ルネッサンス

シネセゾン渋谷 ★★☆

■絵は見事ながら結論が陳腐

『ルネッサンス』におけるモノクロ映像の鮮烈さは脅威だ。モノクロ2値(グレー画像の入る場面もけっこうあって、これもなかなかいい)で描かれたコントラストのはっきりしたアニメは、極度の緊張感を強いられるが、しかし『スキャナー・ダークリー』にあった色の洪水に比べれば、意識の拡散は少ない。

そして2054年のパリの変貌度。これもすごい。色は抑えられていても、未来のパリが、古い部分を残しながら、しかし重層的な街(しかも水路がかなり上の方にあったりして、こんなところにもわくわくさせられてしまう)として提出されると、やはり意識はどうしようもなく拡散し、物語を追うのは後回しにしたくなる。

未来都市は一面ガラス張りの道路があって、これは物語の展開に少しはからんでくるし、カーアクションや企業の建物、街中のホログラムの娼婦にステルススーツを着た暗殺者などもそれなりには見せるのだが、とはいえ単なる背景程度だから別にこの映画でなきゃというものではない。せっかくの重層的な街がたいして機能していないのにはがっかりする。

モーション・キャプチャー技術による映像というが、技術的なことはよくわからない。絵的には面白くても、人物造型となると陰翳だけではのっぺりしてしまって深みがなくなるから、ここはやはり都市の造型の意味に言及(そのことでアヴァロン社の存在を説明するとかね)しなければ、何故こういう形のアニメにしたのかがわからなくなる。鑑賞中そんなことばかり考えていた。

だから物語を掌握できたかどうかの自信はないのだが、これだけ凝った映像を用意しておきながら、それはまったく薄っぺらなものであった。

パリすべてを支配しているようなアヴァロンという企業(パリ中にここの広告があふれかえっているのだ)で働く、22歳の女性研究員イローナ・タジエフが誘拐されるという事件が起きる。アヴァロンの診療所(こういうのもすべてアヴァロンが運営しているのだろうか)のムラー博士の通報で、高名(とアヴァロンの副社長?のダレンバックが言っていた)なカラス警部が捜査に乗り出す。

イローナの5歳年上の姉ビスレーン(とカラス警部の恋もある)や、カラス警部とは因縁のあるらしい裏社会の実力者ファーフェラーをかいして、サスペンスじみた進行でイローナの行方に迫っていくのだが、しかしその過程にはほとんど意味がなく、だからただでさえ単調な結末がよけい惨めなものにみえてしまう。

手を抜いてしまうが、結局イローナは早老病の研究にかかわっていて不老不死の方法を手に入れたらしいのだが、これには当然アヴァロン(ダレンバック)の影があって、でも最後にはイローナが暴走。人類は私の発見を待っているのよ、私が世界を変えるのよ、みたいな調子になるのだが、こういうのってあまり恐ろしくないのだな。

ムラー博士の弟クラウスは早老病になったが、ムラー博士が不死を発見したことで子供のまま40年生きていたという部分など、別物ながら『アキラ』を連想してしまったし、不老不死を死がなければ生は無意味と位置づけている凡庸さにも同情したくなった。「アヴァロン、よりよい世界のため」という広告が出て終わるのは、巻頭のタイトル(カラス警部の夢のあとの)後と同じ構成にして「よりよい世界」の陳腐さを強調したのだろうが、それ以前に映画の方がこけてしまった感じがする。

そういえばクラウスの描いた絵だけがカラーで表現されていた。あれにはどういう意味があるのか。真実はそこにしかない、だとしたらそれもちょっとなんである。

 

原題:Renaissance

2006年 106分 シネスコサイズ フランス、イギリス、ルクセンブルク 配給:ハピネット・ピクチャーズ、トルネード・フィルム 日本語字幕:松岡葉子

監督:クリスチャン・ヴォルクマン 脚本:アレクサンドル・ド・ラ・パトリエール、マチュー・デラポルト 音楽:ニコラス・ドッド キャラクターデザイン:ジュリアン・ルノー デザイン原案:クリスチャン・ヴォルクマン

声の出演:ダニエル・クレイグ(バーテレミー・カラス)、ロモーラ・ガライ(イローナ・タジエフ)、キャサリン・マコーマック(ビスレーン・タジエフ)、イアン・ホルム(ジョナス・ムラー)、ジョナサン・プライス(ポール・ダレンバック)、ケヴォルク・マリキャン(ヌスラット・ファーフェラ)

ルイーズに訪れた恋は…

銀座テアトルシネマ ★★

■露悪的すぎて恋愛気分になれない

39歳のルイーズ(ローラ・リニー)は、コロンビア大学芸術学部の入学選考部の部長。同じ大学の教授であるピーター(ガブリエル・バーン)とは離婚したばかりだが、友人関係は続いていた。そんな彼女が1通の願書を目にしたことから……。

いきなりのこの進展は承服しかねる。願書のF・スコット・ファインスタウトという名前が20年前に車の事故で死んだ恋人と同じというだけで、個人面接の場までつくってしまうのはともかく、現れた青年(トファー・グレイス)は容姿まで似ているというのだから(名前の件はあとで本名ではなく、家ではフランだと言っていたが、これって?)。

ルイーズの気持ちはわからなくはない。こんなことが起きたら、誰だって若い頃まで時間を巻き戻してしまいそうだ。ましてやスコットの描く絵は素晴らしく(静かな日常を描いた暖かみのある作品)、そのことでも驚嘆せずにいられないとしたら。そして彼もルイーズを15歳も年上などというものさしで計るような人間ではないから、ふたりは簡単に恋に落ちてしまったのだろう。

でも、だからっていきなりルイーズ主導のセックス(「アレ持ってる? つけて」)になるのはどうか。いや、このくらいは今だと普通なのかもしれないのだが、性急にしか思えない私には、出だしから居心地の悪いものになった。

ルイーズの学生時代からの友達ミッシー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)からは「あなたは男と寝ると声が変わる」といきなり見透かされてしまうのだが、実は彼女とは昔の恋人を争奪しあった仲だということがあとになってわかる。ミッシーがかけた電話に、ルイーズの不在でスコットが代わりに出たことから、彼の存在がバレてこれでひと騒動。

もう1つの騒動は、ピーターの自分はセックス中毒だったという告白。結婚中に数え切れないほどの相手がいただけでなく、10人ほどの男たちとも寝たというのだ。ルイーズとはセックスレスだったというのに。そしてこの告白が、ルイーズの弟サミー(ポール・ラッド)による矯正プログラムであることもルイーズの癇に障ったようだ。

ルイーズはなじめない弟とすぐ衝突してしまうのだが、母エリー(ロイス・スミス)は彼を当然のように受け入れている。その母にピーターのセックス中毒のことをこぼすルイーズだが、スコットとのことがあったあとだから、そうは共感できない。

39歳に思春期のような恋をさせろとは言わないが、こう露悪的な話ばかりが続いては、年下男性との恋を応援する気持ちにはなれない。最後には、元夫、友人、家族との間にあった棘が消えるというハッピーエンドが待っているのだが。

ルイーズは、スコットに中年になった自分を想像させるゲームをさせたり(残酷だとスコットも言ってはいたが、想像は出来ても決して実感できないのが若さというものではないだろうか)、結局彼にも昔の恋人の話を聞かせることになるのだが、そういう話がうまく噛み合ってこないから説得力がないまま終わってしまう。

ローラ・リニーは『愛についてのキンゼイ・レポート』もそうだったが、こういう際どい役が好きなんだろうか?

 

【メモ】

ルイーズのスコットに課したゲームは、彼を裸にして鏡の前に立たせ、40歳になっても芽のでない絵描きを想像させるもの。評価されないから叔父の中古車販売を手伝うほかなく、太って髪も薄くなってきている男。そしてジョギングでもしたらと妻に言われてしまうのだ。

原題:P.S.

2004年 100分 ビスタサイズ アメリカ 日本語字幕:栗原とみ子

監督・脚本:ディラン・キッド 原作:ヘレン・シュルマン 撮影:ホアキン・バカ=アセイ 編集:ケイト・サンフォード 音楽:クレイグ・ウェドレン
 
出演:ローラ・リニー(ルイーズ・ハリントン)、トファー・グレイス(スコット・ファインスタウト)、ガブリエル・バーン(ピーター)、 マーシャ・ゲイ・ハーデン(ミッシー)、 ポール・ラッド(サミー)、ロイス・スミス(エリー)