ストリートファイターIV オリジナルアニメーション featuring さくら

新宿ミラノ3 ☆

■セーラー服で格闘!?

4分の短篇アニメだし、絵柄も好きではないし、人気女子高生キャラクター「さくら」といわれても何も知らないし……。なんで採点不能の☆。

卒業したらどうするとか友達と話したり、戦う意味を問われてもいたが(さくらの答えは、自分がどんなふうになるのか確かめること、だったかな?)、ファン以外が見ても何もわからないし、面白くもなんとないフィルム。

セーラー服着て、格闘されてもなぁ。

?年 4分 ?サイズ 制作:スタジオ4℃ 配給:?

総監修:森本晃司

無花果の顔

シネマスクウェアとうきゅう ☆

■わかりたくもない桃井ワールド

部下のやった手抜き工事を直す工務店勤めの父親(石倉三郎)。近所のようだったのに、わざわざウイークリーマンションまで借りて、しかも配管は複雑でも大した工事とは思えないのだが、こっそりやる必要があるからなのか、夜間だけ。でも、バレるでしょ。マンションの窓越しに見える女(渡辺真起子)が気になって仕方がなかったが、工事が終わってしまえばそれっきりである。「おとうさんが帰ってくるとうるさくていいわ」と、それなりにウキウキの母(桃井かおり)。でもその父に突然の死がやってきて……。

葬式で様子のおかしい母であったが、物書きになった娘(山田花子)と東京タワーの見えるマンションで暮らしだす。時間経過がよくわからないのだが、勤めだした居酒屋の店長(高橋克実)にプロポーズされてあっさり再婚し、新居に越していく。何故かそこに、前の家にあった無花果の木を植え(家はまだ処分していなかったのか)、前夫の遺品を埋める。娘は不倫のようなことをしていたようだが、子供を生む。

家族のあり方、それも主として母(妻)の置かれている立場を描いたと思われる。しかし、何が言いたいのかはさっぱりわからない。

例えば最初の食事の場面から家族がだんだんと消えていき、無花果の木に残されたカメラに向き合う母という構図で、彼女の見えない孤独を提示していたのかもしれないのだが、しかしこの場面を削ったり入れ替えたりしても、全体としてそうは影響がなさそうだ。そして、他にもそう思える場面がいくつもあるのだ。映画というのは単純に時間から判断しても相当凝縮された空間のはずで、本来削除できない場面で構成されるべきものと考えると、これはまずいだろう。

題名、演技、撮影、照明、小道具と、何から何まで思わせぶりだから退屈することはないが、それでも最後にはうんざりしてくる。人工的な色彩だろうが、ヘンな撮り方をしようが、わざと不思議な寝方や死体の置き方をさせようが、それはかまわない。でも、納得させてほしいのだ。すべてがひとりよがりの域を出ていないのでは話にならない。

興味の対象が違うだけとは思うが、普通の映画のつくりをしていないことは逃げにもなるから致命傷になる。わかりやすい映画だけがいいとは言わないが、少なくともわからない部分を解き明かしたくなるようには創ってもらいたいと思うのだ。

 

2006年 94分 サイズ■

監督・原作・脚本:桃井かおり 製作:菊野善衛、川原洋一 エグゼクティブプロデューサー:桑田瑞松、植田奈保子 統括プロデューサー:日下部哲 協力プロデューサー:原和政 撮影:釘宮慎治 美術:安宅紀史 美術監督:木村威夫 衣装デザイン:伊藤佐智子 編集:大島ともよ 音楽プロデューサー:Kaz Utsunomiya VFXスーパーバイザー:鹿角剛司 スーパーバイザー:久保貴洋英 照明:中村裕樹 録音:高橋義照 助監督:蘆田完 アートディレクション:伊藤佐智子
 
出演:桃井かおり(母)、山田花子(娘)、石倉三郎(父)、高橋克実(新しい父親)、岩松了(男)、光石研(母の弟)、渡辺真起子(隣の女)、HIROYUKI(弟)

ジョルジュ・バタイユ ママン

銀座テアトルシネマ ☆

■私のふしだらなさまでを愛しなさい

理解できないだけでなく、気分の悪くなった映画。なのであまり書く気がしない。

背景からしてよく飲み込めなかったのだが、適当に判断すると、次のようなことだろうか。母親を独り占めにしたいと思っていたピエール(17歳?)は、その母のいるカナリア諸島へ。そこは彼には退屈な島で、母親にもかまってもらえない(世話をしてくれる住み込み夫婦がいる)。

が、フランスに戻った父親が事故死したことが契機になったのか、母親は自分についてピエールに語り出す。「私はふしだらな女」で「雌犬」。そして「本当に私を愛しているのなら、私のふしだらなさまでを愛しなさい」と。

このあと彼女は、父親の書斎の鍵をピエールに渡したり(父親の性のコレクションを見せることが狙い? 事実ピエールはここで自慰をする)、自分の愛人でもある女性をピエールの性の相手として斡旋したりする。

というようなことが、エスカレートしながら(SMやら倒錯やらも)繰り返されるのだが、彼女が一体何をしたいのかが皆目わからないのだ。欲望の怖さを知れば、パパや私を許せるというようなセリフもあったが、それだと、ただ自分を許して欲しいだけということになってしまう。

性の形は多種多様で、自分の趣味ではないからといって切って捨てる気はないが、私にはすべてが、金持ちの時間を持て余したたわごとでしにしかみえなかった。それに息子だからといって自分の趣味(それも性愛の)を押しつけることはないだろう。

父親にしてもはじめの方で自分の「流されてしまった」生き方を後悔しながら、ピエールには「お前が生まれて私の若さは消えた、ママも同じだ」と言う。親にこんなことを言われてもねー。

最悪なのは、最後に母親の死体の横でするピエールの自慰だ。ここで、タートルズの「ハッピー・トゥギャザー」をバックに流す感覚もよくわからない。

この映画は「死」と「エロス」を根源的なテーマとするバタイユの思想を知らなければ何も理解できないのかも知れない。が、そもそも映画という素材を選んだのだから、きどった言葉をあちこちに散りばめるような、つまり言葉によりかかることは最小限にすべきだったのだ。

そして、愛と性を赤裸々に描きだすことが、その意味を問い直すことになるかといえば、それもそんな単純なものでもないだろう。扇情的なだけのアダルトビデオの方がよっぽど好ましく思えてきた。

【メモ】

巻頭は、母親の浮気からの帰りを父親が待っている場面。

アンシーは母に頼まれて自分に近づいたのではないかと、ピエールは彼女を問いつめる。

息子の前から姿を消す母。欲望が枯れると息子に会いたいと言う。

原題:Ma mere

2004年 110分 フランス ヨーロピアンビスタサイズ R18 日本語字幕:■

監督・脚本:クリストフ・オノレ 原作:ジョルジュ・バタイユ(『わが母』) 撮影:エレーヌ・ルバール

出演:イザベル・ユペール(母ヘレン)、 ルイ・ガレル(息子ピエール)、フィリップ・デュクロ(父)、エマ・ドゥ・コーヌ(恋人)、ジョアンナ・プレイス(母の愛人?)、ジャン=バティスト・モンタギュ、ドミニク・レイモン、オリヴィエ・ラブルダン