狩人と猟犬、最後の旅

銀座テアトルシネマ ★★

■自然を調節しているという思い上がり

監督のニコラス・ヴァニエ自身が冒険家で、ノーマン・ウィンターにカナダで会って彼の生き方に共感して生まれた作品という。主演も本人自身(いくら生活場面が主とはいえよく演技できるものだ)で、だからノンフィクションと言ってもおかしくないほどリアルな作品となっている。

自然を知り尽くした生活者と冒険家の2人が組んだだけあって、画面に映し出される自然の美しさと過酷さには息を呑む。俯瞰の中で、ノーマンが操る犬ぞりはあくまで小さくて自然の中の一部という感じで捉えられている。が、本当に彼らは自分たちを自然の一部と認識しているのだろうか。

これは熊と対峙したノーマンと犬や、彼らが狼に囲まれる場面が演出したものだから言っているのではなく(狼の方はわからないが、カメラワークからしてもそういう気がする)、映画で語られていたノーマンの自然観に疑義を呈したくなったからなのだ。

彼が「自然を崇拝はしない」と言うのは何となくわかるような気がするのだ。すべての恵みは自然がもたらしてくれるとはいえ、その豹変ぶりは十分身に沁みてのことだろうから。が、「俺たちが(狩をすることで)自然を調節している」という発言は、やはり傲慢に思える。彼の生活が、食べるだけ獲物を捕るのではなく、生活必需品を得るために毛皮を売るという、もはや資本主義経済の一部に組み込まれたものだからだ。

当然、この件について私には口を挟む権利はない。それはわかっているのだが、聞き流してしまうことにも抵抗があるのだ。ノーマンの置かれている状況は、例えば「白人が毛皮を先住民に売る」というセリフにあったように、すでにいびつなものになっている(なにしろ「最後の狩人」なのだ)し、先輩格のアレックスでさえ、もう犬ぞりを操れないからとスノーモービルを手放せないわけで、それを踏まえればすべてが50歩100歩ということになってしまう。

が、やはり私には聞き逃せないセリフだったのだ。そして、もしまだそれを言うのであれば、もう少し詳しくそのことについて触れるべきであったと思う。具体的に自然をどう調節しているのか、調節したことになるのか、ということを。

いきなり批判になってしまったので、映画のフィクション部分に話を戻す。

ノーマンは、実生活がそうであるように、狩人としてユーコンに生きてきた男だ。しかし最近、山の急速な開発で獲物は激減し、山での生活に危機感を覚えていた。買い出しでドーソンの町に出たときに、頼りにしていたリーダー犬のナヌークが車にはねられ死んでしまう。ノーマンの落胆は大きく、雑貨屋の主人が同じハスキー犬(生後10ヶ月の雌)をくれるのだが、レース犬の血を引くせいかなかなか仲間になじもうとしない。

彼の妻である原住民のネブラスカは、そんなアパッシュ(彼女が名付け親)を根気よく育てようとするのだが、ノーマンはアパッシュにダメ犬の烙印を押し、肉をやらない場面まである。これはひどい。ここでの流れからは、ただ忘れたということにはならない(つまり意地悪になってしまう)から、ノーマンだって演じたくなかったのではないかと思うのだが。

しかし、事件が起きてアパッシュの評価は急に上がることになる。ノーマンの読み違いもあって犬ぞりが氷の湖に落ち、彼を残して犬たちは去っていくのだが、アパッシュだけは彼を気にして何度も振り返り、彼の声に他の犬を引っ張るように戻ってきてくれたのだった。この場面もかなりリアルで、かじかんだ指が元に戻らず、しばらく彼が悪戦苦闘する模様が描かれる。

冬に備えノーマンとネブラスカが木を切り出し、家を造るシーンは垂涎もので、移動の理由は猟場にふさわしい場所がなくなってのことなのだが、私のような人間は、眺望のいい場所を見つけさえすればあとは自由に家が建てられるのかと、どうしても都合のいいところだけを観てしまう。愛する人とのこの共同作業は、都会人には夢のまた夢だが、ノーマンはいままでにいくつ家を建てたのだろう。

ノーマンは狩人をやめることに踏ん切りが付けられず、アレックスを訪ねるが結論が出せない。そしてアレックスはアレックスで、自分は引退し、罠道をノーマンに譲ることを考えていたのだった。

ラストでネブラスカに「どうして今年だけなのに、あんなに立派な小屋を建てたの」と訊かれるノーマン。彼女だってわかって手伝っていたのにね。

この映画を観るかぎりでは、妻の方がノーマンよりもずっと孤独な生活(表面的なことだが)を強いられている。ノーマンはたまには町に出て憂さをはらすこともあるようだが(飲み友達もいる)、妻はノーマンが狩に出ている時もひたすら待ち続けているのだから。

環境問題に関係して1番気になったのは森林破壊についてで、映画では再三そのことに言及しているのに、映像がないのは何故だろう。そのシーンがあれば、言葉より圧倒的な説得力を持つはずなのに。残念でならない。

【メモ】

ナヌークが車に轢かれてしまうのは、自動車慣れしていなかったからか。

ネブラスカはナノニ族インディアン。

原題:Le Dernier Trappeur/The Last Trapper

2004年 101分 フランス、カナダ、ドイツ、スイス、イタリア シネマスコープ 日本語字幕:林完治

監督:ニコラス・ヴァニエ 脚本:ニコラス・ヴァニエ 撮影:ティエリー・マシャド 演出:ヴァンサン・ステジュー、ピエール・ミショー 音楽:クリシュナ・レヴィ 動物コーディネート:アンドリュー・シンプソン
 
出演:ノーマン・ウィンター(ノーマン・ウィンター)、メイ・ル(ネブラスカ/妻)、アレックス・ヴァン・ビビエ

One thought on “狩人と猟犬、最後の旅

  1. 自然も人間も混沌として悠然であり資本主義とか金と原住民とか言葉で定義出来る範囲は非常に限られています。
    映画は夢の視覚化であり夢を論理で解くなら夢判断であり、映画を解くなら映画批評だが、先に書かれた貴方は批評出来ていない。

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