リトル・チルドレン

シャンテシネ2 ★★★

■情熱が消えてしまったのは何故か

ナレーターがいて、ご丁寧に登場人物それぞれの心理描写までしてくれる。ベストセラーの映画化ではあるが、まるで小説をそのまま映像化しようとしたようにもみえる。

ただこの心理描写は映画に適したものかどうか。本と違って言葉での説明は、映画の場合立ち止まっている余裕がないので、ちょっとでも状況が飲み込めずにいると大変なことになる。今回もどこでどうまごついたか、話がよく理解出来ずに終わってしまった感じがするのだ。

サラ・ピアース(ケイト・ウィンスレット)は夫のリチャード・ピアース(グレッグ・エデルマン)との間にルーシー(セイディー・ゴールドスタイン)という娘がいる専業主婦だ。ビジネスに成功したリチャードと裕福で満ち足りた生活を送っていたはずだったが、ある日、リチャードのちょっと変わった性癖を目の当たりにしてしまう。

ブラッド・アダムソン(パトリック・ウィルソン)は司法試験に2年連続で失敗中。有名なドキュメンタリー映像作家の妻キャシー(ジェニファー・コネリー)と息子のアーロン(タイ・シンプキンス)がいて、だから逆に肩身が狭い。サラが妻に代わってアーロンの世話をするブラッドと出会ったのは、不思議なことでも何でもなかったが、より親密になったのは、リチャードの知られざる側面を知って通販で衝動買いをした赤い水着のせいだったかもしれない。

このあたりまでの語り口は、的確で迷いがない。夏のプールで親しくなっていく2組の親子をワンカットで追いながら、状況が少し変わった様子(違う日なのだ)を何度か繰り返すという印象深いショットもある。

サラを語るのにリチャードからはじめていたくらいだから、語り手の対象となるのは2人だけに限らない。映画はこの静かなボストン郊外の町ウッドワード・コートに48歳の性犯罪者が釈放されて、母親のもとに帰るという報道に及び、そのロニー・マゴーヴィー(ジャッキー・アール・ヘイリー)という男についてまで述べはじめるのだ。

またロニーを異常に敵視する元警官のラリー・ヘッジス(ノア・エメリッヒ)にも言及する。もっともブラッドはラリーのことは少しだけだが知っていて、ロニーの見張りをしていたラリーに、アメフトのチームに入るよう誘われるという繋がりにはなっているのだが……。

ロニーを常に庇う母親は、ロニーの相手にシーラ(ジェーン・アダムス)という女性をさがし息子のためにデートを演出するのだが、そのせっかくのデートで理解しがたいロニーの性癖が、シーラを傷つける場面がある。直前でシーラはロニーに彼女の最後のデートで置き去りにされた辛い思い出を語っていただけに、ロニーの行為は罪が重い。

話をサラとブラッドに戻すと、2人が不倫に走ったのはいわば必然と言いたいのだろう。そして、それは回を重ね、ついにはブラッドの司法試験当日にそれを放棄させ、1泊の不倫旅行に出かけるいう大胆な行動を2人にまでなる。

このあとアーロンの口から新しい友達の名前が出て、キャシーもサラの存在を知ることになり、ピアース一家を夕食に招くのだが、その席でキャシーはサラと夫との関係に気付いてしまう。ただ、ここから先は、話がなんだかちっともわからなくなる。

確証を得たのにキャシーのしたことといえば、自分の母親にブラッドの監視を頼むという馬鹿げたもので、その母親も流石に夜のアメフトの練習までは付き合いきれない。そしてその日、警官チームはブラッドの活躍で初勝利を収めるのだが、ブラッドがトライを決めた時、誰よりも喜んだのは試合を観に来ていたサラで、抱き合った2人は駆け落ちを決意する。

が、この決意は予期せぬ出来事で簡単に、しかも2人共覆ってしまうのである。サラは待ち合わせ場所の公園にロニーが現れたことで。ブラッドは公園に急ぐ途中で、いつもは声をかけられもしなかった若者たちにスケボーを勧められ、怪我をしてしまうからなのだが……。

ちょっと待ってくれ。この結末は一体何なのだ。ナレーターの関心も最後は2人から離れて、ロニーもラリーも悪い人ではなかったが……というあきれるような陳腐さで終わってしまうのである。

『リトル・チルドレン』は、ついぐだぐだ書いてしまったくらい人物造型のスケッチ集として観ているぶんには面白いのだが、2人の情熱がどうして消えてしまったのかはさっぱりわからない。いや現実なんてそんなものかもしれず、こんな展開もありそうな気がしてしまうのだが、映画としてはどうか。ま、2人同時というところが十分映画的ともいえるのだけど。

【メモ】

サラが公園で「主夫」として仲間の注目を集めていたブラッドにキスをしたのは、いたずら心からだったが……。

サラが感想を述べる読書会では『ボヴァリー夫人』が取り上げられていた。

原題:Little Children

2006年 137分 スコープサイズ R-15 提供・配給:ムービーアイ

監督:トッド・フィールド 製作:アルバート・バーガー、トッド・フィールド、ロン・イェルザ 製作総指揮:ケント・オルターマン、トビー・エメリッヒ、パトリック・パーマー 原作:トム・ペロッタ 脚本:トッド・フィールド、トム・ペロッタ 撮影:アントニオ・カルヴァッシュ プロダクションデザイン:デヴィッド・グロップマン 衣装デザイン:メリッサ・エコノミー 編集:レオ・トロンベッタ 音楽:トーマス・ニューマン

出演:ケイト・ウィンスレット(サラ・ピアース)、パトリック・ウィルソン(ブラッド・アダムソン)、ジェニファー・コネリー(キャシー・アダムソン)、ジャッキー・アール・ヘイリー(ロニー・マゴーヴィー)、ノア・エメリッヒ(ラリー・ヘッジス)、グレッグ・エデルマン(リチャード・ピアース)、フィリス・サマーヴィル(メイ・マゴーヴィー)、ジェーン・アダムス(シーラ)、セイディー・ゴールドスタイン(ルーシー・ピアース)、タイ・シンプキンス(アーロン・アダムソン)、レイモンド・J・バリー、メアリー・B・マッキャン、トリニ・アルヴァラード、サラ・バクストン、トム・ペロッタ

オーシャンズ13

新宿ミラノ1 ★★☆

■友情のため、悪者はとことんとっちめるのだ

シリーズものだから余計な説明はいらないとはいえ、今回は映画のほとんどを、だましの仕掛けの手口の解説とそれがいかに実行されたかの検証にあてるという徹底ぶりで、ここまでやられてしまっては、もう立派としかいいようがないではないか(と書いてしまったが、11や12はどうだったかは? 相変わらず心許ない記憶力だ)。

今まさに金庫を破ろうという時にケータイが鳴ると(映画館で鳴らせるヤツと同じかよ)、ラスティー・ライアン(ブラッド・ピット)はその仕事を放り出して(病院へ俺は行くとは言ってたけどね)、ダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)が待つ飛行機に乗り込む。オーシャンズの大切な仲間ルーベン・ティシュコフ(エリオット・グールド)が心筋梗塞で倒れ24時間が勝負とあっては、ラスティーの行動は当然ではあるが、ふざけた導入だ。

ルーベンの病気は、そもそも強欲なホテル王ウィリー・バンク(アル・パチーノ)によって新しくオープンするホテルの共同経営者から、まったくの他人に格下げさせられてしまったことによる。もっともこれはバンクのただの脅しにルーベンが屈して出資金を巻き上げられてしまうという面白くもなんともない話だ。

ルーベンは巻頭では危篤だったのに、すぐよく持ちこたえたになり、病気の克服は見込みがないわけではなく、第1に家族(これは無理のようだ)、次に友人の協力が欠かせないになっていて、オーシャンズたちもみんなで励ましの手紙を書くなどという殊勝なところをみせる。廃人のようにみえたルーベンだが、映画の途中ではもう平気のへーちゃらの助になって、ホテルのオープン日にはカジノの客としてバンクの前に顔を出すという調子のよさ。最後の方でルーベンがバシャー・ター(ドン・チードル)に手紙で生き返ったとお礼を言う場面がある。

アル・パチーノはとにかく悪役ぶりが潔い。どこからみてもいい役ではないのだが、それを演じきってしまうのだから、アル・パチーノだ、と言っておこう。バンク側はあと、女性の右腕アビゲイル・スポンダー(エレン・バーキン)がいるのだが、2人じゃあね。多勢に無勢だ。

ホテルでは5つのダイヤモンド評価という最高格付けを狙い(保有ホテルすべてがすでにそうなのだという)、さらにカジノ収入でもとびきりの目標を立てているバンクの用意したセキュリティというのがすごくて、カジノにいるすべての客の瞳孔(脈拍もだったか?)のデータを入手し、行動パターンを読みとって不穏な動きがないかどうかまでも管理するという。

で、その対応策は、英仏海峡を掘削したドリルを近くに持ち込んで(どうやってさ)、人口地震を起こして瞬間的な隙間(リセットに3分)に、一気にトリックを駆使したインチキで大金をせしめてしてしまおうというものだ。ホテルは悪評判にし、カジノではバンクを破産に追い込み、おまけに最上階のプライベートルームにある本物のダイヤモンドまでっせしめてしまおうという、これでもか作戦。ま、このくらいしないと掘削ドリルの持ち込みでは華にならないということもあるのだけどね。

事実そのドリルの出番たるやほんのわずか(本物の地震が起きてしまうんだものね)。でも平坦な物語にとってはこのドリルが、面白い展開を生むことになる。オーシャンズが力を合わせてもドリルを借り受ける財力がなく、いままで散々やり合ってきた宿敵(『オーシャンズ12』)テリー・ベネディクト(アンディ・ガルシア)に頭を下げて協力を申し出るのである。

他には、メキシコにある工場へ潜入してダイスの原材料にマグネトロンを入れてダイスの目を操るというもの(説明されても仕組みがよくわからん)や、嘘発見器からいかにして逃れるかとか、偽格付け員を仕立てあげたり、本当の格付け審査男の泊まる部屋に匂いや害虫の細工をしたり、高速でエレベーターが行き交う中をアクロバチックに潜入していったり、従業員の弱みにつけ込んで懐柔するといった程度のものなのだが(人数分見せ場を用意するだけでも大変そうだ)、それをスマートにさらりと見せていく手腕はなかなかではある。

1晩で5億ドルが消えたバンクだが、ゴルフならまだハンデ2だと負けを認めようとしないところはさすが。でもうろたえてたけどね。ちょっと気の毒なのはエレン・バーキンで、「スポンダーはホスト好き」ということになっていて、ライナス・コールドウェル(マット・デイモン)の付け鼻男に媚薬でめろめろにさせられてしまう。ま、これもアル・パチーノ共々余裕でやられ役を楽しんでいたということにしておくか。

とことん痛めつけてしまった格付け審査男にはちゃんとそれなりのご褒美を用意するし(途中でも1100万ドルという数字を出していたから、最初から報いるつもりだったようだ。でもあのスロットマシンは、どこの、誰の?)、ただでは引っ込むはずのないベネディクトのダイヤの横取り(ヴァンサン・カッセルまで出て来ちゃったよ)も防いで、かつそんな企みまでしていたのだからと、分け前分はお灸の意味も込めてベネディクト名義で寄付。

今回は正義も貫いて、最後のオチまでよくできてます。でもそれだけなんだけどね。

 

【メモ】

ウエイトレスが2キロ太っただけでクビになる話が出てくる。ウエイトレスを容姿だけではクビに出来ないのだが、採用時に「給仕兼モデル」にしてあるので、可能らしいとも。

人工知能セキュリティの説明でエクサバイト(テラバイトの100万倍)という言葉がでてきた。これを破るのには天災でもないと、ということで掘削ドリルが登場するというわけだ。

ダニーとラスティーが「オプラの番組」(?だったか)というテレビを見て涙を流していたが? 

ホテル(カジノの方か?)のオープニングイベントに相撲が登場する。

原題:Odean’s Thirteen

2007年 122分 シネスコサイズ アメリカ 日本語字幕:菊地浩司 アドバイザー:アズビー・ブラウン 配給:ワーナーブラザース映画 

監督:スティーヴン・ソダーバーグ 製作:ジェリー・ワイントローブ 製作総指揮:ジョージ・クルーニー、スティーヴン・ソダーバーグ、スーザン・イーキンス、グレゴリー・ジェイコブズ、ブルース・バーマン、フレデリック・W・ブロスト 脚本:ブライアン・コッペルマン、デヴィッド・レヴィーン 撮影:ピーター・アンドリュース プロダクションデザイン:フィリップ・メッシーナ 衣装デザイン:ルイーズ・フログリー 編集:スティーヴン・ミリオン 音楽:デヴィッド・ホームズ

出演:ジョージ・クルーニー(ダニー・オーシャン)、ブラッド・ピット(ラスティー・ライアン)、マット・デイモン(ライナス・コールドウェル)、アンディ・ガルシア(テリー・ベネディクト)、ドン・チードル(バシャー・ター)、バーニー・マック(フランク・カットン)、エレン・バーキン(アビゲイル・スポンダー)、アル・パチーノ(ウィリー・バンク)、ケイシー・アフレック(バージル・マロイ)、スコット・カーン(ターク・マロイ)、エディ・ジェイミソン(リビングストン・デル)、シャオボー・クィン(イエン)、カール・ライナー(ソール・ブルーム)、エリオット・グールド(ルーベン・ティシュコフ)、ヴァンサン・カッセル(フランソワ・トゥルアー)、エディ・イザード(ローマン)、ジュリアン・サンズ(グレコ)、デヴィッド・ペイマー、ドン・マクマナス、ボブ・エインスタイン、オプラ・ウィンフリー(本人) 

夕凪の街 桜の国

シネマスクエアとうきゅう ★★★★

■「原爆」は生きている

戦後62年、繰り返されてきた原爆忌の式典。6月30日のしょうがない久間発言で、今年は注目度が増したが、広島や長崎から遠いところにいる私にとって、新聞には1面に載っていても片隅にある記事程度になっていた。しょうがない発言のひどさには驚いてみせたけれど、意識の低さの点では私もそうは変わらなさそうだ。

これまでも広島の原爆を扱った作品にはいくつか出会い、その度に当時の悲惨な状況を刻み込まれてはきたが、この作品ほどそれを身近に感じたことはなかった。別に以前に観た作品を貶めるつもりはないのだが、総じて原爆の脅威を力ずくで描こうとするきらいがあったように思う。が、この映画は、銭湯の女風呂を覗いたら、そこにはケロイドの女性たちが何人もいた(実際に出てくる場面だ)というように、日常の少し先(もちろんこれは私という観客にとっての認識で、被爆者にとってはそれが日常なのだが)に、原爆がみえるという作りになっている。

2部構成の最初にある『夕凪の街』は、昭和33年、原爆投下後13年の広島を舞台にしている。26歳の平野皆実(麻生久美子)は、海岸沿いのバラックに母のフジミ(藤村志保)と2人暮らしだ。父と妹の翠を原爆で失い、弟の旭(伊崎充則)は戦争中に水戸の叔母夫婦の元に疎開し、そまま養子となっていた。

皆実は会社の打越豊(吉沢悠)から好意を持たれ、皆実も打越のことが気になっていたのだが、いまだに被爆体験が皆実を苦しめ、自分が生きていること自体に疑問を感じていた。被爆時に倉庫にいたため助かった皆実だったが、そのあと巡り会った妹の翠をおぶってあてどなく市内をさまよううちに、翠は皆実の背中で死んでしまう。13歳の皆実にとって決して忘れることのできない思い出だった。この話は本当に悲しい。大げさな演出でなく、皆実が翠をおぶって歩くのを追うだけなのだが、この時の皆実の気持ちを考えたら何も言えなくなってしまう。

生きていることが疑問の皆実にとって、打越の愛を受け入れることなど考えられないことだった。自分は幸せになってはいけない、と思いこんでいたのだ。そんな皆実だったが、打越の真剣な想いに次第に心を開いていく。が、突然原爆による病魔が彼女を襲う……。

私の説明がヘタなので暗い話と思われてしまいそうだが、磨り減るからと、家の近くの河原の土手にくると靴を脱いで帰る皆実が、なんだか可愛らしいし、なにより2人の昔風の恋がいい感じだ。農家出の打越に雑草のおひたしか何か(よくわからん)を出してしまったり、会社の同僚のために、やはり会社の2階からのぞける洋品店の服を真似て型紙(作ったのはフジミだが)をプレゼントしたり、と貧乏なんてへっちゃらの昭和30年代が微笑ましく描写されている。

昭和33年は『ALWAYS 三丁目の夕日』と同じ設定だが、片や東京タワーが完成しつつあるというのに、広島ではまだ戦争の影がケロイドが消えないように残っているのだ。皆実の住むバラックの近くにも不法占拠地らしいことがわかる立看があったり、私が単純になつかしいさを感じてしまう光景であっても、住んでいる場所や立場で、当然のことだが実際はずいぶんと違うものなのだろう。

ここから第2部の『桜の国』は、平成19年の東京へと飛ぶ。石川七波(田中麗奈)が、定年退職した父の旭(堺正章)の最近の様子がおかしいことを弟の凪生(金井勇太)に相談していると、その旭が家を抜け出していくではないか。旭をあわてて追いかける七波。何も持たずに家を出てしまった七波だが、駅でちょうど幼なじみの利根東子(中越典子)と出会い、彼女に言われるままに、一緒に旭の後を付けることになる。

1部から内容ががらっと変わってサスペンスもどきの展開になるのは、現代風なイメージとなっていいのだが、旭が黙って家を出る理由くらいは説明しておくべきではないか(最後に七波の尾行には気付いていたというのだから余計だ。その時今度の旅が皆実の50回忌という意味合いがあったことがわかるのだが、であればやはり何も言わないで出かけることはないだろう)。堺正章もはじまってすぐは旭役にうってつけと思われたが、残念なことにあまり役に合っていなかった。

予想外のところでつまずきをみせるものの(ま、たいしたキズじゃないからね)、3人を乗せた夜行バスが広島に向かったことで、1部との繋がりから、若き日の旭の恋に、七波の母京花(粟田麗)の死、そして凪生と東子の恋までが明らかになっていく構成は見事だ。第2部の途中からは、旭が巡る皆実の思い出の地や旧友にだぶるように、七波が過去の映像に登場し(つまり過去に想いを馳せているわけだ)。第1部と第2部が自然融合した形にもなる。そしてそれは母の死の場面なども七波に呼び起こすことになる。

ただ、それらを繋ぐのがすべて「原爆」というのだから、途方もなく悲しい。けれど、その悲しさの中にある美しいきらめき(3つの恋)をちゃんとフィルムに定着させているのは素晴らしい。皆実と打越は、皆実の自責の念と死。旭と京花は、思わぬフジミの反対。凪生と東子には東子の両親が壁となる。3番目のはまだまだこれからだけど、死以外のことならなんとかなりそうだと思えてくる。

静かな作品だが、皆実には強烈なことを言わせている。水戸から戻った旭に久しぶりに対面したというのに(皆波の死期が近づいて駆けつけたのだろう)、原爆は広島に落ちたんじゃなく、落とされたのだと断固として訂正する。そして、自分の死を悟って、あれから13年も経ったけど原爆落とした人は私を見て「やったぁ、また1人殺せた」って思ってくれてるかしらとも。広島弁をうまく再現できなし、ちゃんと聞き取れたか不安なのだが、この言葉の前には「うれしい」とも言ってるのだ。

これは当然、原爆を落とした人間に聞いていることになるのだが、大量虐殺兵器使用者への使用したことへの怨念(には違いないのだけど)というよりは、殺そうと思った人間の1人1人が何をどう感じていたかなんて、今となってはもう何も考えてなどいないでしょう、と言っているようにみえた。

あと気になったのが、広島で東子の気分が悪くなって七波と一緒にラブホテルに行く場面。細かいことだがラブホの看板が遠くて、これなら茶店でもよかったのではないかと思ってしまう。この場面自体はいいアクセントになっているから余計残念だ。旭の家出場面同様いくらでも説明の仕方がありそうだからもったいなかった(困ったらすぐそこに入口があったくらいにしておけばね)。

ところで、題名の『夕凪の街』が広島で『桜の国』が東京なのはわかるのだが、映画だと桜の国は、七波がまだ元気だった京花(彼女は被爆時に胎児だった)もいる4人が暮らした団地を特別に指しているようにとれたのだが……。

  

【メモ】

原作のこうの史代の同名マンガは、平成16年度文化庁メディア芸術賞マンガ部門大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。

2007年 118分 ビスタサイズ 配給:アートポート

監督:佐々部清 製作:松下順一 プロデューサー:臼井正明、米山紳 企画プロデュース:加藤東司 原作:こうの史代『夕凪の街 桜の国』 脚本:国井桂、佐々部清 撮影:坂江正明 美術:若松孝市 音楽:村松崇継 照明:渡辺三雄

出演:田中麗奈(石川七波)、麻生久美子(平野皆実)、吉沢悠(青年時代の打越豊)、中越典子(利根東子)、伊崎充則(青年時代の石川旭)、金井勇太(石川凪生)、田山涼成(打越豊)、粟田麗(太田京花)、藤村志保(平野フジミ)、堺正章(石川旭)