ザ・バンク 堕ちた巨像

109シネマズ木場シアター7 ★★★★

■映画史に残る美術館での銃撃戦

重要参考人から情報を引き出そうとしていたニューヨーク検事局の調査員を目の前で殺されてしまうインターポール(国際刑事警察機構)捜査官のルイ・サリンジャー、という場面がのっけにあって、まだ状況の掴めていない観客をいきなり事件に引きずり込む。何が起きたのかと茫然とするルイと同じ(じゃないが)立場になれるこのベルリン駅での導入がいい。

重要参考人はIBBCという欧州を拠点にした国際銀行の行員だったが、その彼も後に調べると、最初の殺人の九時間後には殺されていたことがわかる。もっとも謎は深まるというよりは一直線にIBBCへと向かう。そして、最後に変などんでん返しが待っているというのでもない。悪の正体こそ単純だが、ちょっとした手がかりから捜査をすすめていくサリンジャーたちと、次から次へと証拠(証人)を抹殺していくIBBC側とのやりとりが、緊迫したタッチで描かれていく。

インターポールとニューヨーク検事局との連係プレーというのが、よくわかっていないのだが、ニューヨーク検事局の調査員が殺されてルイは、彼の同僚で一緒に捜査にあたっていた女性のエレノア・ホイットマンを応援に呼ぶ。だいたいインターポールは直接逮捕はしない(と言っていた)んだってね。証拠集めが仕事(?)ならこのコンビもアリなんだろうけど、殺人が続いているから、大丈夫なのかと思ってしまう。

エレノアの存在は映画的味付けなのだろうが、無骨で時に悪人顔に見えてしまうクライヴ・オーウェンに、凛としたナオミ・ワッツの組み合わせはいい感じで、エレノアは「ちゃんと寝たのは? 食事は? 女と寝たのは?(そこまで訊くのかよ)」とサリンジャーのことを心配していた。ま、でも恋の方へはいかないのだけどね。

あらゆる手を使って証拠の隠滅をはかるIBBC側は、軍事メーカーの社長で次期イタリア首相候補でもあるウンベルト・カルビーニまでも選挙演説中に暗殺してしまう。カルビーニにまでなんとかたどりついたサリンジャーとエレノアは、彼との内密の会見でIBBCの狙いを訊きだした矢先だった。重要参考人をまたしても失ってしまう彼らだったが、暗殺現場に残された弾道の角度の違い(弾がうまいこと貫通してたのな)から、警官によって殺された狙撃者とは別の狙撃者の存在がいたことを知る。

この義足の殺し屋コンサルタントを追って舞台はニューヨークへと移り、映画の最大の見せ場となっているグッゲンハイム美術館での銃撃戦となる。美術館がボロボロになる(だからセットなのだろう)この場面は、映画史に残るといっても過言でない凄まじさだ。

IBBC側はコンサルタントの正体がばれそうになったため、サリンジャーもろとも消してしまおうと暗殺部隊を送り込んでくるのだが、これに対抗するためサリンジャーとコンサルタントが手を組むという予想外の状況が生まれることになる。美術館をまるごと(螺旋の回廊も効果的に使われている)、好き勝手に壊していくのも迫力あるが、それ以上に、この二人が息の合ったところを見せるというのがなかなかの趣向で、コンサルタントがいかに優秀な殺し屋だったかもわかる、出色の場面に仕上がっている。

場所も選ばず暗殺部隊を送り込んでしまっては現実離れもいいとこなのだが、これだけの映像が撮れたのだから文句は言うまい。IBBCが一九九一年に破綻したBCCI(国際商業信用銀行)のスキャンダルを実モデルにしているのは明白で、BCCIは金融犯罪以上のあらゆることをやっていたらしいから、殺し屋くらいは雇っていたかもしれないが、美術館に暗殺部隊を投入しちゃったら、そりゃ台無しだもんね。

カルビーニが語ったIBBCの狙いは、例えば武器取引で儲けようとしているのではなく、借金を支配したいというもの。借金の支配とはわかりずらいが、要するに何もかもが思い通りに動くようになれば、儲けなどあとからいくらでもついてくるというわけだろう。

結局サリンジャーはBCCIのスカルセン頭取側近のウェクスラーに接触し、彼が昔持っていた大義に働きかけ(ウェクスラー自身が贖罪を求めていると、サリンジャーはエレノアに言っている。もっとも彼も殺されてしまうのだが)、最後にはスカルセンを追い詰める。

スカルセンは追い詰められてなお「おまえに逮捕権はない」と言うのだが、サリンジャーは「誰が逮捕すると言った」と答える。すでにエレノアには、法の枠を超えた決着をつける、とカッコいい別れの挨拶をすませていたのだった(注)。

ド派手な美術館の銃撃戦のあとでは、最後は見せ場としては、イスタンブール市街の屋根づたいという素晴らしい景観はあっても、おとなしく見えてしまう。決着の付け方も目新しいものではないが、でも話を妙にいじらなくても、筋道をきちんと追っていけば十分娯楽作になることを証明してくれていた。

注:「君は正しい道を歩め、俺一人でやる」なんて、書き出すとちょっと恥ずかしくなるセリフだ。そもそも司法の中にいたのではIBBCは破滅させられないと、サリンジャーに逆に迫ったのはウェクスラーだったが。

原題:The International

2009年 117分 シネスコサイズ アメリカ、ドイツ、イギリス 配給:ソニー・ピクチャーズ PG-12 日本語字幕:松浦奈美

監督:トム・ティクヴァ 製作:チャールズ・ローヴェン、リチャード・サックル、ロイド・フィリップス 製作総指揮:アラン・G・グレイザー、ライアン・カヴァノー 脚本:エリック・ウォーレン・シンガー 撮影:フランク・グリーベ プロダクションデザイン:ウリ・ハニッシュ 衣装デザイン:ナイラ・ディクソン 編集:マティルド・ボンフォワ 音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル

出演:クライヴ・オーウェン(ルイ・サリンジャー/インターポール捜査官)、ナオミ・ワッツ(エレノア・ホイットマン/ニューヨーク検事局検事補)、アーミン・ミューラー=スタール(ウィルヘルム・ウェクスラー/スカルセン頭取の側近)、ブライアン・F・オバーン(コンサルタント/殺し屋)、ウルリッヒ・トムセン(ジョナス・スカルセン/IBBC銀行頭取)、ルカ・バルバレスキー(ウンベルト・カルビーニ/欧州最大の軍事メーカー社長、次期イタリア首相候補)

おっぱいバレー

109シネマズ木場シアター4 ★★☆
109シネマズ木場ではこんなもん売ってました

■実は実話

頑張ってみたら何とかなるかもよ映画のひとつ。味付けは新任美人教師のおっぱい。って、えー!なんだけど、男子バレー部員たち(たって5人+あとから1人)のあまりのやる気のなさに、つい「本気で頑張るなら何でもする」と美香子先生が言ったことから、次の大会で一勝したら先生のおっぱいを見せると約束させられてしまったのだった。

ぬぁんと映画は、ほぼこの話だけで最後まで引っぱっている。なのでこの顛末は、さすがにうまくまとめてある(注1)。美香子がなんとか約束を反故にさせようとしたり、でも部員たちは「おっぱいあっての俺たち」だと取り合わないし、「おっぱいを見ることが美香子への恩返し」なんていう結論まで導き出して俄然やる気をおこし、メキメキ上達していく。で最後には美香子までが「私のおっぱいを見るために頑張りなさい」って。うへー。これは亡くなった恩師の家を訪問して、恩師の妻の昔話で気づかされたことや、おっぱいの件が問題になって学校を辞めざるをえなくなっての発言なのだけど。

でも結局、当然美香子のおっぱいは見られない。不戦勝という願ってもない事態には「すっきりした形で見たい」からと辞退してしまうし、美香子の応援で盛り返した試合も、本気になった強豪校が一軍にメンバーチェンジしてしまっては歯が立つはずもなく、なのだった。そりゃそうだ。そして、おっぱいは見られないからというのではないのだが、映画もそんなには面白くなかった。生徒の方はおっぱいは見られなくても、先生の胸に飛び込むことができて、別の満足を得たのだったが(胸に飛び込む練習もしていたというのが可笑しい)。

ひとつには映画の視点が生徒ではなく先生の方にあったことがある。もちろんそれでもかまわないのだが、でも美香子を中心にするなら、何の経験も関係もないバレー部に、いくら顧問にさせられたからといって、何故そこまでのめり込んだのかという前提部分はしっかり描いてほしいのだ。普通に考えれば顧問より授業に対する比率が多くなって当然なのに、そこらへんは割り切ってしまったのだろうが、だったらそれなりの説明はすべきだろう。

前の学校での美香子の嘘発言が生徒の信頼を裏切ってしまい、そのことがおっぱいを見せるという言質を取られることになるわけだが、これももう少し何か別の要因がないと、美香子は学校の先生としては未熟すぎるだけになってしまう。だいたい最初の新任挨拶で、高村光太郎の『道程』が好きと言って騒然となる朝礼場面からして、国語教師にしては言葉のセンスがなさすぎで(挨拶でなくとっさに出てしまったのならともかく)、頼りないったらありゃしないのだけど(注2)。

あとはやはりバレーをやっている場面がもの足りない。練習風景も試合も、もっと沢山見せてくれなくっちゃ。それもヘタクソなやつでなくうまい方のもね。

中学生のおっぱい見たい発言というのも、どうなんだろ。頭の中はそうにしても、口に出せただろうか。これは世代や時代(舞台は一九七九年の北九州)の差かもしれないので何とも言えないのだが、私のようなじじいなりかけ世代にはとても考えられない状況だ。

綾瀬はるかは、サイボーグに座頭市と、人間離れした役はうまくこなしていたと思うのだが、『ハッピーフライト』とこれはちょっと評価が難しい。

ところで映画のチケットを買うのに「おっぱい」という言葉をいうのが恥ずかしい人にと、「OPV」という略称が用意されていたが、恥ずかしいと思っているのがわかっちゃう方が恥ずかしかったりはしないのかしら。私はちゃんと言いましたよ、もう昔の中学生じゃないんで。題名を言わなきゃいけないのはシネコンだからだよね。ピンク映画のシネコンがあったとして(ないか)、どうしても観たいのがあったら、そりゃ恥ずかしいでしょうね。

注1:アイデアがひらめいた後、無理矢理話を考えていったのだろうと思っていたが、原作の『おっぱいバレー』は、著者である水野宗徳が実話を基に書いた小説のようだ。

注2:この場面を嘘っぽく感じたものだから、デッチ上げ話と思ってしまったのだった(って、この場面が原作にあるかどうかは知らないのだが)。

  

2008年 102分 シネスコサイズ 配給:ワーナー=東映

監督:羽住英一郎 製作:堀越徹、千葉龍平、阿部秀司、上木則安、遠藤茂行、堀義貴、西垣慎一郎、平井文宏 プロデューサー:藤村直人、明石直弓 プロデュース:堀部徹 エグゼクティブプロデューサー:奥田誠治、堀健一郎 COエグゼクティブプロデューサー:菅沼直樹 原作:水野宗徳『おっぱいバレー』 脚本:岡田惠和 撮影:西村博光 美術:北谷岳之 音楽:佐藤直紀 主題歌:Caocao『個人授業』 照明:三善章誉 録音:柳屋文彦

出演:綾瀬はるか(寺嶋美香子)、青木崇高(堀内健次/教師)、仲村トオル(城和樹/良樹の父)、石田卓也(バレー部先輩)、大後寿々花(中学時代の美香子)、福士誠治(美香子の元カレ)、光石研(教頭)、田口浩正(竜王中男子バレー部コーチ)、市毛良枝(美香子の恩師の妻)、木村遼希(平田育夫)、高橋賢人(楠木靖男)、橘義尋(城良樹)、本庄正季(杉浦健吾)、恵隆一郎(江口拓)、吉原拓弥(岩崎耕平)

グラン・トリノ

上野東急2 ★★★★

■じじいの奥の手

『チェンジリング』はえらく重厚な作品だったが、こちらはクリント・イーストウッドの一発芸だろうか。むろんその一発芸(最後の見せ場)に至る描写は念の入ったもので、しかし冗長に過ぎることはなく、相変わらず映画作りの才能を遺憾なく発揮した作品となっている。

無法者には銃で決着をつけるのがイーストウッドの流儀、とこれまでの彼の映画から私が勝手に決めつけていたからなのだが、最後にウォルト・コワルスキーがとった行動はまったく予想できなかった。

むしろ、銃による裁きをしたあと、どうやってそのことを正当化するのだろうかと、先走ったことを考えていて、だからこの解決策には唸らされたし、イーストウッドには、こんな映画まで作ってしまって、と妬ましい気分さえ持ってしまったのだった。

で、だからというのではないが、難癖をつけてみると、やはりこれはウォルトが先行き短い老人だったから出来たことで、誰もがとれる方法ではないということがある。ま、これはホントに難癖なんだけどね。先行き短くったって、しかもウォルトの場合は深刻な病気も抱えていたにしても、いざやるとなったら、そう簡単には出来るこっちゃないんで。しかも彼のとった行動は、タオとスーの行く末を考えた上の周到なものであって(ウォルト自身も彼なりの区切りの付け方をしている)、決して突飛でもやけっぱちなものでもないのだ。

ついでに書くと、ウォルトは妻に先立たれたばかりで(映画は葬式の場面から始まっている)ウォルトは息子や孫たちには見放された(彼は見放したんだと言うだろうが)存在だった。だから自分の死は皮肉なことに、タオとスー以外にはそれほど大きな負担にはならない場所にいたことになる。もちろんタオとスーには負担(この言葉は適切じゃないが)以上の贈り物が与えられるのだが。

実際のところこれでは、結局息子や孫たちには、ウォルトは死後も理解されないままで終わってしまいそうである。孫娘は何故ヴィンテージカーのグラン・トリノが自分にでなくタオの物になってしまったのかを、ちゃんと考えるだろうか(注1)。映画としては、考えるだろうという立ち位置にいるのかもしれないが、私は難しいとみる。ウォルトも苦虫を噛みつぶしているばかりでは駄目で、聞く耳をもたないにしても、というかそうなる前にもう少し付き合い方を考えておくべきだったはずなのだ(注2)。

難癖のもうひとつは、ウォルトの行為があくまでも法の力が整備された下で成立することで、つまり戦争やテロとの戦いでは無力だろうということである。また、囮捜査的な性格があったことも否めないだろう。ま、そこまで言ったらウォルトに銃を持たせるしかなくなってしまうのだが(注3)。また、銃弾まみれになったのも(苦しむ間もない即死と十分な証拠が得られたのは)、運がずいぶん味方してくれたような気もしてしまう。それだけ、相手がどうしようもないヤツらだった、ということでもあるのだが。

以上、あくまで難癖なので、そのつもりで。

ところでウォルトの隣人たちはアジア系(タオの一家はモン族)になっているし、最初の方でタオをからかっていたのは「メキシコ野郎」で、スーは白人男とデートしていて黒人三人にからまれる。ウォルトは、白人男のだらしなさに憤慨し、隣人や街が異人種ばかりと嘆き(でもタオの祖母は、逆にウォルトが越していかないことを不思議に思っているのだ)、罵りの言葉をまき散らす。ため息だって怪獣並なのだ(まさか。でもすごいのだな、これ)。

ウォルトはトヨタランドクルーザーを「異人種のジャップの車」といまいましそうに言うが(注4)、けれど自分はというと「石頭のポーランドじじい」で、そう言うウォルト行きつけの床屋の主人は「イカレイタ公」なんだから、そもそも異人種の中にいたんじゃないのと笑ってしまうのだが、でもまあ、旧式頭のアメリカ人には白人なら同類なんだろうな。

汚い言葉ばかり吐いているウォルトはどう見ても人種差別主義者なのだが、NFLの招待券や家を狙ってる長男夫婦やヘソピアスの孫は拒否してしまうのに、タオやスーの真面目さには心を開く。そういう部分を見てこなかった彼の家族は、ウォルトの頑固さが大きな壁だったにせよ、ちょっと情けない。

もうひとつ忘れてならないのは若い神父の存在で、彼は亡き妻にウォルトを懺悔させることを約束させられたため、何度も足を運んでくるのだが、ウォルトは「あんたは27歳の童貞で、婆様の手を握り、永遠の命を誓う男だ」と相手にしようともしない。この神父、なかなかの人物なんだけどね。

が、スーの暴行に対してウォルトの考えに理解を示したことで(あくまでウォルトとタオだったらどうするかという話ではあったが)、ウォルトは最後に神父に懺悔をする。妻にキスをしたこと。ボートを売ったのに税金を払わなかったこと。二人の息子の間に出来てしまった溝について。

ところがウォルトはこのあと、一緒にスモーキーの家に乗り込んで行くつもりでいたタオを地下室に閉じ込め、その時タオには、朝鮮戦争で人を殺したことを告白するのだ(注5)。「お前みたいな子供も殺した」とも。神父にはもっと前に、朝鮮戦争でのおぞましい記憶についてはあっさりながら語っているのだが、懺悔の時にはそのことには触れていなかった。これこそ懺悔をすべきことだったはずなのに。

懺悔をしてしまったら、いくら自分が手をくだすのではないにしても、復讐はできなくなってしまうのだろうか。ここらへんは無神論者の私などには皆目わからないのだが、ウォルトは神父を無視しているようでいて、そういうとことも意識していたのかも、と思ってしまったのだった。

注1:孫娘がウォルトのグラン・トリノに目を付けたのは、ウォルトがまだタオのことなど知らない妻の葬式のあとの集まりでだった。彼女が「ヴィンテージカー」と言った言葉はウォルトを喜ばせたはずだが、いきなり「おじいちゃんが死んだらどうなるの?」はさすがにいただけなかった。「グラントリノは我が友タオに譲る」という遺言状を聞いて憮然としていたが、あんなこと言っちゃったんじゃ、まあ、しょうがないさ。

注2:と書いたが、実は私はといえばウォルトに近いだろうか。別に血が繋がっているからといって、他の人間関係以上に大切にすることなどないわけだし。ただ私の場合それが極端になることがあるので、一応自戒の意味も含めて上のように書いてみたのである。が、この映画で私が評価したいのは、血縁関係によらない人間関係なのだけどね。

注3:もっともタオのいとこのスパイダーやリーダー格のスモーキーたちは、ウォルトの相手をねじふせないではいられない態度に(ウォルトが挑発したようなものだから)暴走しだしたという側面も否定出来ない。そうはいっても、スーに対する行為は許し難いものがあるが。そして、ウォルトがその責任を痛感していたのは言うまでもないだろう。

注4:この車で葬式に来ていた長男のミッチはトヨタ車のセールスマンで、ウォルトは長年フォードの工場に勤めていたという、なんともすごい設定になっていた。

注5:これはタオに、朝鮮で何人殺し、どんな気持ちがしたかと問われたからではあるが。ウォルトの答えは十三人かそれ以上で、気持ちについては知らなくていいと答えて、タオを地下室に閉じ込めてしまうのだ。

原題:Gran Torino

2008年 117分 シネスコサイズ アメリカ 配給:ワーナー 日本語字幕:戸田奈津子

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ、ビル・ガーバー 製作総指揮:ジェネット・カーン、ティム・ムーア、ブルース・バーマン 原案:デヴィッド・ジョハンソン、ニック・シェンク 脚本:ニック・シェンク 撮影:トム・スターン プロダクションデザイン:ジェームズ・J・ムラカミ 衣装デザイン:デボラ・ホッパー 編集:ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス

出演:クリント・イーストウッド(ウォルト・コワルスキー)、ビー・ヴァン(タオ・ロー)、アーニー・ハー(スー・ロー/タオの姉)、クリストファー・カーリー(ヤノビッチ神父)、コリー・ハードリクト(デューク)、ブライアン・ヘイリー(ミッチ・コワルスキー/ウォルトの長男)、ブライアン・ホウ(スティーブ・コワルスキー/ウォルトの次男)、ジェラルディン・ヒューズ(カレン・コワルスキー/ミッチの妻)、ドリーマ・ウォーカー(アシュリー・コワルスキー)、ジョン・キャロル・リンチ(マーティン/床屋)、ドゥーア・ムーア(スパイダー/本名フォン、タオの従兄弟)、ソニー・ビュー(スモーキー/スパイダーの仲間)、ティム・ケネディ(ウィリアム・ヒル/建設現場監督)、スコット・リーヴス、ブルック・チア・タオ

レッドクリフ Part II 未来への最終決戦

上野東急 ★★☆

■決戦の運命は女二人に託される

CGがどこでもドアになって以来、スペクタクル物には不感症気味になっているので、そのことについてはあえて書かない(つまらないと言っているのではないよ。そりゃ大したものなのだ。それにCGを否定するつもりはないし、どころか使い方によっては歓迎さえしているのだが)。

前篇で赤壁の戦いを前にして、次のおたのしみはこの後篇で、とはちゃっかりしたものだが、とはいえ、大方の人が知っている話を二部作にしたわけだから工夫は必要で、Part IIでは大決戦を女二人に託すこととなった。これには孔明の風読みの知恵もかすれ気味だ(まあね。だって気象学の知識はすごくても、偶然待ちには違いないんで)。

まず、孫権の妹尚香は、大胆にも敵地に乗り込んでいってスパイ活動をする。これが、男装もだけど体型まで誤魔化してだから(体に敵の戦力配置をしたためた紙を巻いて太っちょになっている)もうマンガでしかない。けれど尚香と蹴鞠(といってもサッカーに近いものになっていた)がうまくて千人部隊の隊長に抜擢された孫叔材との恋は微笑ましかった。もっとも孫叔材の方は尚香をデブ助と呼んでいるくらいで、女とは思っていないから彼にとっては友情なのだが。

もう一人は、周瑜の妻の小喬。そもそも曹操は彼女を狙ってこの戦いを挑んできたという噂があるくらいだった。この時代にそんな噂が遠くまで飛び交うとは思えないが、けれど、噂というのはあなどれないからねぇ。で、小喬はこれまた単身で(お腹の子は勘定に入れなければね)、こちらは正面から曹操の元へと出向いて行く。

曹操の機嫌を取りにね。そして、それは夫を想うが故ながら、しかし考えようによっては思い上がりもはなはだしい。じゃないか、ちゃんと「夫の為でなく民の為に来た」と曹操に向かって正義を説いてはいたが、でもそれだって、私には思い上がりにみえてしまったのだった。小喬が曹操を評して「お茶を解さない方」と言ったのが、引っかかっているからなんだけど。映画だと口に出さないといけないからにしても、こういうのは言ってしまうとなぁ。

結局、小喬がお茶の相手をしたことが、風向きが変わるまでの時間稼ぎとなる。これが呉蜀連合軍が、数で圧倒する魏軍を火攻めで打ち負かす要因になるのだが、小喬はそこまで知っていたのだろうか。ま、それはともかく、結果、小喬大活躍の巻なのだった。尚香のスパイ活動共々、どこまで三国志に書かれているのかはよく知らないのだが、もう少し控え目でよかったのではないか。

女二人に活躍の場を与えてしまったので、その皺寄せは呉蜀連合の男共にきてしまう。ヒーローたりうる頭数はいるのに、話が分散気味なのだ。周瑜が一応中心なのはわかるが、小喬のことで足を引っぱられているような気がしなくもない。もしや、小喬はすすんで曹操の元に行ったとか、って、そういう話にはなりっこないのだが、個人的に小喬があまり好ましく思えなかったものだから、ついそのことを気にしてしまっていたようだ。

曹操はやることが冷酷だし、なにしろ兵隊は沢山いるし(注)、判官贔屓で悪役になるしかないのだが、部下の志気を高める心遣いなど天性のものがあったのか、呉に勝ったら税は三年免除、などと太っ腹なことを言っていた。が、曹操自ら疫病が蔓延しているところに行って、病気の兵士に粥を食べさせたり家族の話を聞かせたりはやりすぎで、話が途端に嘘臭くなる。

判官贔屓で悪役と書いたが、最後になってくると一人で悪役を引き受けているようで、曹操が逆に気の毒に見えてくる。「たった一杯の茶で大義を失った。皇帝の命で来たのだぞ」と自嘲気味に言う場面では少なからず同情してしまう。彼なりの大義で天下を統一しようとしていただけなのに、と。

それにしても『未来への最終決戦』とは、ひどい副題を付けたもんだ。史実はともかく、映画だと「去れ! お前の地に戻るがよい」と曹操を解放してしまうんで(そりゃないよね)、未来への最終決戦だったのに、また争いの種を蒔いてるようなものなんだもの。

注:映画だと八十万対五万、二千隻対二百隻。どこまで本当かは知らないが、この数字が確かなら関ヶ原の戦いの五倍ほどの規模になる。以前なら眉唾に却下してしまったはずだが、故宮や万里の長城を実際に目にしてきた今は、あながちデッチ上げとは思えずにいる。

原題:RED CLIFF: PART II 赤壁

2009年 144分 アメリカ、中国、日本、台湾、韓国 シネスコサイズ 配給:東宝東和、エイベックス・エンタテインメント 翻訳:鈴木真理子 日本語字幕:戸田奈津子 日本語版監修:渡邉義浩

監督:ジョン・ウー[呉宇森] アクション監督:コリー・ユン 製作:テレンス・チャン[張家振]、ジョン・ウー 製作総指揮:ハン・サンピン[韓三平]、松浦勝人、ウー・ケボ[伍克波]、千葉龍平、デニス・ウー、ユ・ジョンフン、ジョン・ウー 脚本:ジョン・ウー、チャン・カン[陳汗]、コー・ジェン[郭筝]、シン・ハーユ[盛和煜] 撮影:リュイ・ユエ[呂楽]、チャン・リー[張黎] アクション監督:コリー・ユン[元奎]  編集:デビット・ウー、アンジー・ラム[林安児]、ヤン・ホンユー[楊紅雨] VFX監督:クレイグ・ヘイズ VFX:オーファネージ 美術・衣装デザイン:ティム・イップ[葉錦添] 音楽:岩代太郎 主題歌:アラン

出演:トニー・レオン[梁朝偉](周瑜)、金城武(孔明/諸葛亮)、チャン・フォンイー[張豊毅](曹操)、チャン・チェン[張震](孫権)、ヴィッキー・チャオ[趙薇](尚香/孫権の妹)、フー・ジュン[胡軍](趙雲)、中村獅童(甘興)、リン・チーリン[林志玲](小喬/周瑜の妻)、ユウ・ヨン[尤勇](劉備)、ホウ・ヨン[侯勇](魯粛)、トン・ダーウェイ[菴汨蛻ラ](孫叔材/曹操軍の兵士)、ソン・ジア[宋佳](驪姫/曹操の側室)、バーサンジャプ[巴森扎布](関羽)、ザン・ジンシェン[臧金生](張飛)、チャン・サン[張山](黄蓋)

ニセ札

テアトル新宿 ★★

■ニセ話

題名を聞いただけでワクワクしてしまうような面白い題材を、よくも屁理屈だけで固めた実体のない映画にしてしまったものだと、大がっかりなのだった。

そもそも兌換券でなくなった(金本位制度から管理通貨制度になった)時点で。お札という胡散臭いものの正体はもっと暴かれてもいいはずだったのではないかと思うのだが(って、よくわかってないのにテキトーに書いてます)、当時の人々は利便性という部分だけでそれを受け入れてしまったのだろうか。それとも国家の存在が下々にもゆき渡っていたからこそ、兌換券(これだって疑ってかかったら似たようなものだが)でなくとも大丈夫と権力者たちは踏んだのか。

偽札というのは向こうがその気ならこっちだってという、覚悟のいった犯罪と思うのだが、映画は、裁判で佐田かげ子教頭に「正直言ってあんまり悪いことをしたって気にならない」と、いとも簡単に言わせてしまっている。

いや、まあ、それでもいいのだ。感覚的には「悪いことをしたって気にならない」でも。しかし、それだけなら結局は自分たちだけがよければいいという抜け駆けでしかなくなってしまうので、「(お札は)やっぱり人間が作っているものだな」とか「国家がお金の価値を決めるんですか」などと、いくらはしゃがれてもエールは送れない。

かげ子にこの言葉をどうしても使わせたいのであれば、偽札テストの買い物(この役も自分から買ってでているのだ)で、本物のお札で支払いをすませてしまってはまずいだろう。実行前に「立派に通用した暁には、村の人たちに配らせてもらいます」と言わせているのだから。あくまでその場になったらびびってしまったという描写であるなら、他の場面を考えるべきではなかったか。あるいはテストは、他の人間にやらせればよかったのだ。

今書いてきたことをまとめると、自分が使えない偽札を配って、で、結局捕まって、裁判で一人気炎を上げられても困ってしまう、ってことになる。捕まって裁判で一席ぶつのがかげ子の目的だったというのなら話は違ってくるが、でもたとえそうだったにしてもねぇ。もっと逡巡した上での彼女の述懐であったなら、まだ耳を傾けることができたかもしれないのだが……。

裁判には知的障害のある哲也もきていて、傍聴席から偽札の紙ヒコーキを飛ばしてしまう。そのあと偽札を大量にばら撒いて目の色を変えた傍聴人たちの大騒ぎになるのだが、この場面も途中の論理がよれよれだから、勝手に騒いでいるだけという印象で終わってしまう。哲也の悪戯書きのお札も含めて、金と名がつくものにはすぐ踊らされてしまう人間模様を描きたかったのだろうが。伏線もなく紙ヒコーキを飛ばされてもなぁ。

主犯格の戸浦の「偽札で誰が死にます。お国が偽札作って僕らが作ってあかんということはないやろ」とか「偽札を作るつもりはない。これから作るのはあくまで本物。みなさんもそういう心構えで」というセリフも、威勢はいいがこれまた言葉だけという感じで、それに、人も死んじゃうわけだし。こんなことなら実際にあった偽札事件を、妙な解釈は付けずに忠実になぞっていっただけの方が、マシなものが出来たのではないか。

もう一つ。かげ子本物の札を試作品と偽ったことで資金調達(高価な印刷機が必要なのだが、購入して村に運び込んだりしたらすぐ足がつきそうだ)がうまくいき始めるのだが、本物を加工したもの(偽札に近づけるわけだ)と比べさせたとかいうような説明を加えないと、説得力もないし面白くなっていかないと思う。

主張は上滑り(ちっともなるほどと思えないのだな)でも偽札団内の人物造型は悪くない。が、村人と偽札団との関係はもう少し何かないと大いにもの足りない。これこそ描くべきものだったはずなのだ。

2009年 94分 ビスタサイズ 配給:ビターズ・エンド

監督:木村祐一 製作:山上徹二郎、水上晴司 企画:山上徹二郎 脚本:向井康介、井土紀州 共同脚本:木村祐一 撮影:池内義浩 美術:原田哲男 編集:今井剛 音楽:藤原いくろう 主題歌:ASKA『あなたが泣くことはない』 照明:舟橋正生 美術プロデューサー:磯見俊裕 録音:小川武

出演:倍賞美津子(佐田かげ子/小学校教頭)、段田安則(戸浦文夫/庄屋、元陸軍大佐)、青木崇高(中川哲也/かげ子に育てられた知的障害のある青年)、板倉俊之(大津シンゴ/かげ子の教え子)、木村祐一(花村典兵衛/写真館館主)、村上淳(橋本喜代多/紙漉き職人)、西方凌(島本みさ子/大津の愛人、飲み屋の雇われママ)、三浦誠己(小笠原憲三/戸浦の陸軍時代の部下)、宇梶剛士(倉田政実/刑事)、泉谷しげる(池本豊次/住職)、中田ボタン(商店の店主)、ハイヒールリンゴ、板尾創路(検察官)、新食感ハシモト(青沼恭介/小学校教員)、キムラ緑子、安藤玉恵、橋本拓弥、加藤虎ノ介(森本俊哉/刑事)、遠藤憲一(裁判官)

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

新宿武蔵野館1 ★★☆

■犬と生きた幸せな時間

副題と予告篇とで観る気を失っていたのだが(なのに観たのね)、意外にもしっかりと作られた映画だった。お話しはありきたりながら、犬と暮らした年月に重ね合わせた人間の時間を丁寧に綴ったことで、ジョン・グローガンという男の壮年期を描くことに成功している。

幸せな結婚、記者に憧れながらコラムニストに甘んじるジョン、仕事をあきらめ子育てに専念するジェニー……。どこにでも転がっている話だ。誰もが想い描いた人生を生きられるわけではないのだ。が、志を曲げたからといって必ずしも不首尾な人生というわけではないのだよ、とほんわりと包んでくれる。

それはそうなのだろう。私だって異議を唱えることではないことくらいわかっているつもりなのだが、けれど、これをそのまま映画として提出されると、いくら丁寧に作られているとはいえ、多少の疑問を感じざるをえない。実際のところ、平凡の中に幸せを見つけることは、そんなに簡単なことではないし、それこそが素晴らしいことなのだとは思うのだが……。

子供を育てるには予行演習必要だという記者仲間のセバスチャンの助言で、ジョンはラブラドール・レトリバーの子犬をジェニーの誕生日にプレゼントする。けど、このマーリーが馬鹿犬で……。まあ確かにそうなんだが、それは躾ができているかどうかという人間の都合だからなぁ。それでも、溺愛しちゃうんだろうね、わかるよな、ジョンたちの気持ち。

子犬のマーリーが海岸を全力で走る姿がとても素敵に撮れていた。

原題:Marley & Me

2008年 118分 シネスコサイズ 配給:フォックス映画 日本語字幕:松浦奈美

監督:デヴィッド・フランケル 製作:カレン・ローゼンフェルト、ギル・ネッター 製作総指揮:アーノン・ミルチャン、ジョセフ・M・カラッシオロ・Jr 原作:ジョン・グローガン『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』 脚本:スコット・フランク、ドン・ルース 撮影:フロリアン・バルハウス プロダクションデザイン:スチュアート・ワーツェル 衣装デザイン:シンディ・エヴァンス 編集:マーク・リヴォルシー 音楽:セオドア・シャピロ

出演:オーウェン・ウィルソン(ジョン・グローガン)、ジェニファー・アニストン(ジェニー・グローガン)、エリック・デイン(セバスチャン・タンニー)、アラン・アーキン(アーニー・クライン)、キャスリーン・ターナー(ミス・コーンブラッド)、ネイサン・ギャンブル、ヘイリー・ベネット、クラーク・ピータース、ヘイリー・ハドソン、フィンリー・ジェイコブセン、ルーシー・メリアム、ブライス・ロビンソン、トム・アーウィン、アレック・マパ、サンディ・マーティン、ジョイス・ヴァン・パタン

ワルキューレ

TOHOシネマズ錦糸町スクリーン7 ★★★★

■クーデターと割りきゅーれてたら?

よくできたサスペンス史実映画である。戦争映画らしい派手な場面は最初にあるくらいなのだが、最後まで緊迫感が途切れることがなかった。結果は誰もが知っていることなのに、と不思議な気もしたが、映画を観ていて、焦点を少しずらせば、いくらでもハラハラドキドキものになるのだということに気づく。

最初に見せられる飛行場での暗殺計画(これも事実に基づいたもの)など、まだのっけのことだし、余計成功するはずがない、というか絶対しっこないのだが(ってそれは後のも同じか)、暗殺そのものよりも、暗殺を企てていたことを知られてしまったかどうか、にすることで、そりゃあもう十分、手に汗握る、なんである。

そんなマクラがあって、トム・クルーズ演ずるシュタウフェンベルク大佐が実行犯となる暗殺計画が語られていく。

様々なヒトラー暗殺計画があったことは聞いていたが、これほど大がかりなものだったとは。なにしろワルキューレ作戦という戒厳令を利用した(と連動した)暗殺計画なのだ。考えてみれば暗殺はもちろんだが、そのあとには軍を掌握しなければならないし、戦争相手の連合国との交渉まで控えている。暗殺が個人的な恨みに立脚しただけのものであればことは簡単だが、ドイツの命運を賭けたものとなるとそうはいかなくなってくる。

計画が壮大なだけにそこにかかわってくる人間の数も多くなる。それぞれの野心と保身とが絡み合って、入り組んだものが不得手という映画の制約もあるが(人間関係の把握はそうなのだが、なにしろこの部分、たまらなく面白いところなのだ)、個性派俳優を配して、ギリギリながら何とか切り抜けている(俳優に馴染みがない人は厳しいかも)。

映画のうまさは、結果はわかっていながら、この暗殺計画がもう少し早いか遅ければ成功していたかもしれない、と思わせられてしまうことでもわかる。そう思ってしまった観客(私だが)も、一緒に暗殺計画に乗せられてしまっているわけだ。

早ければ、まだ陽気も暑くならず予定通り狼の巣での作戦計画は密室で行われて、少なくとも暗殺だけは成就しただろう。遅ければ、米英軍のノルマンディー上陸作戦(6月)やソ連軍の攻勢も続いていたからドイツ軍の規律も少しは乱れ、暗殺が未遂に終わってヒトラーの威信は低下し、もう少しは反乱軍として機能したかもしれない、などと……。とはいえ、こうした流れをみていくなら歴史を調べ直した方が面白いのは言うまでもないのだが、娯楽的要素が主眼の映画としては、十分なデキだろう。

映画からは少し脱線してしまうのだが、暗殺計画よりは、というより暗殺にはこだわらないクーデター計画であったら、そして、それがもっと綿密なものであれば、この作戦は成功していたのではないかと思える場面がいくつかあった(脱線と書いたが、こう思ったのは映画を観ての感想である。他の資料をあたったわけではないので)。暗殺は成功しなかったのに、つまり偽情報下だったにかかわらず、電話や通信によってある程度は新政府が機能し始めるのだ。

また、これと関連することだが、予備軍を動かす為の書類を改竄したシュタウフェンベルク大佐が、ヒトラーのサインをもらいに出向いていく場面がある。暗殺の前に、当人のサインが必要というのが、なんだか面白い(って観ていて面白がってる余裕などなかったが)。しかし、これとて偽サインでもよかったのではないか。

クーデターを支える人脈が完璧であったなら、って、でもそうなったらなったで機密の漏洩する確率は高くなるから暗殺の方が確実でてっとり早いのだろう。また、ヒトラー暗殺の報が流れると、電話の交換手たちは泣いていたから、やはりヒトラーの存在は別格だったわけで、となると暗殺は絶対条件だったのだろうか。そして、暗殺の成功すらも、ヒトラーのような強力な指導者の不在を意味するから、新政府が動き出しても相当困難な船出を強いられただろう(どのみちタラレバ話にすぎないが)。

成功を確信し、その場にいる全員が同志のカードを掲げる場面がある(これはどこまで本当なんだろう)。けれどそんな連帯間はわずかな時間の中であとかたもなく消えていってしまう。この崩壊速度の中にあって、爆発をこの目で見たと言い張るシュタウフェンベルク大佐は、滑稽ですらあった。滑稽ではあるのだが、この場面は入れて正解だった。成功しない計画なんてたいていこんなものだろうから。

それにしても映画を、ドイツ人配役で作るわけにはいかなかったのだろうか。昔ほど露骨ではないが、でも途中から完全に英語だからなー。片目に片手のトム・クルーズはよかったんだけどね(なのに相変わらず好きにはなれないのだな)。

 

原題:Valkyrie

2008年 120分 アメリカ、ドイツ ビスタサイズ 配給:東宝東和 日本語字幕:戸田奈津子

監督:ブライアン・シンガー 製作:ブライアン・シンガー、クリストファー・マッカリー、ギルバート・アドラー 製作総指揮:クリス・リー、ケン・カミンズ、ダニエル・M・スナイダー、ドワイト・C・シャール、マーク・シャピロ 脚本:クリストファー・マッカリー、ネイサン・アレクサンダー 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル プロダクションデザイン:リリー・キルヴァート 衣装デザイン:ジョアンナ・ジョンストン 編集:ジョン・オットマン 音楽:ジョン・オットマン プロダクションエグゼクティブ:パトリック・ラム

出演:トム・クルーズ(シュタウフェンベルク大佐)、ケネス・ブラナー(ヘニング・フォン・トレスコウ少将)、ビル・ナイ(オルブリヒト将軍)、トム・ウィルキンソン(フロム将軍)、カリス・ファン・ハウテン(ニーナ・フォン・シュタウフェンベルク)、トーマス・クレッチマン(オットー・エルンスト・レーマー少佐)、テレンス・スタンプ(ルートヴィヒ・ベック)、エディ・イザード(エーリッヒ・フェルギーベル将軍)、ジェイミー・パーカー(ヴェルナー・フォン・ヘフテン中尉)、クリスチャン・ベルケル(メルツ・フォン・クヴィルンハイム大佐)、ケヴィン・マクナリー、デヴィッド・バンバー、トム・ホランダー、デヴィッド・スコフィールド、ケネス・クラナム、ハリナ・ライン、ワルデマー・コブス、フローリアン・パンツァー、イアン・マクニース、ダニー・ウェッブ、クリス・ラーキン、ハーヴィー・フリードマン、マティアス・シュヴァイクホファー

トワイライト 初恋

楽天地シネマズ錦糸町シネマ7 ★★★

■息づかいが聞こえてくる

新感覚映画とでも呼びたくなるような、今までにない雰囲気がある映画だった。が、何がそうなのかと言われると、どう表現していいのか見当がつかなくなってしまう。多分私が旧式人間だからなんだろう。

全体に青を基調とした画面で、と表面的なことなら書けても、後が続かない。もしかしたらこれは私が今の若者を、すでにかなりの部分で理解できなくなっていることとつながっている気がする。

主人公の二人も、私の感覚だと美形というのとはちょっと違うのだが、まあ、そんなことはどうでもいいか。

脱線気味で書き始めてしまったが、話は単純だ。ヴァンパイアと人間の恋という奇異さはあるが、そしてそのヴァンパイアの説明に少し時間を使っているが(少女にとっては謎なんだから当然なのだが)、それを削ってしまうとどこにでもあるような話だろうか。

ベラ・スワンはママの結婚で、雨の多い町フォークスで警察署長をしているパパのところに戻ってきた転校生だ。新しい学校にも慣れ、友達も出来、順調なスタートをきるが、学校では別行動を取りがちな「アタックするだけ無駄」らしいエドワード・カレンに興味を持つ。

というか露骨に避けられてしまうのだが、なるほどねー、かえってハートに火がついてしまったのね。そして、無視されているはずだったのに、車の暴走から身を守ってくれたことで、エドワードの飛び抜けた身体能力と彼の秘めた想いを知ることとなる。

別行動はエドワードがヴァンパイアだからで、なるべく一族でまとまっているからだし、避けるのは「君の心だけが読めない」からと説明されるけど、じゃあ何で人間界にいるんだってことになるし、「君の心だけが読めない」というのも、どう考えても詐欺のような説明である。

矛盾だらけなのは、ヴァンパイア物の宿命だが、エドワードの情熱と抑制を際立たせようとしているからだろうか。そして「君の心だけが読めない」からこそ(心が読めちゃったら恋はできないような気がする)、ベラはエドワードにとっての初恋(「初恋」は邦題だけにあるにしても)となったのだろう。

ベラの方はもうすっかりその気になっていて、血を吸われてもかまわないと思っているのに、エドワードはあくまでベラを禁忌の対象と位置づけようとする。吸血は動物だけで人間には手を出さないベジタリアン(はぁ?)っていうのだけれど、自分だってヴァンパイアにされたわけだし、ベラも望んでいることなのだ。本当に命取りになるならともかく、これはあまり説得力がない。

欠点はあるが、情熱と抑制が交差する展開はなかなかだ。このエドワードの自制心が、若い女性観客にはたまらないのかも(そういや観客の九割が若い女性だった)。二人の踊りが近くて(他の場面でも)、息づかいが聞こえそうで胸が苦しくなってくる。ベラも一族になってくれれば二人の恋は永遠になるのでは、と思うが、もしかしたらそれだと……って映画では何も言っていないのだけど、それは続編待ちなのだろうか。

人間の血を吸う正統派?吸血鬼のグループも登場させたことだし、だから単にそのうちの一人がベラに目をつけた程度では面白味がないのだが、これは伏線貼りすぎの上で登場させたにしては、案外あっさりかたがついてしまう(ヴァンパイア流草野球や忍者もどきの木登り場面の方が印象に残ってるくらいだから)。

それにしてもうまいことバンパイア物を、学園ドラマにアレンジしてしまったっものである。古臭い十字架や棺桶に古城、ニンニクや十字架も一掃。むろん誰も燕尾服などは着ていない。雨の多いフォークスを拠点にした設定にはしてあるが、太陽の光に当たったからといって灰になったりはせず、キラキラ耀いちゃうんだから。

★三つは甘めだが、次回作の期待料込みってことで。

  

原題:Twilight

2008年 122分 アメリカ シネスコサイズ 配給:アスミック・エース、角川エンタテインメント 日本語字幕:石田泰子

監督:キャサリン・ハードウィック 製作:マーク・モーガン、グレッグ・ムーラディアン、ウィック・ゴッドフレイ 製作総指揮:カレン・ローゼンフェルト、マーティ・ボーウェン、ガイ・オゼアリー、ミシェル・インペラート・スタービル 原作:ステファニー・メイヤー『トワイライト』 脚本:メリッサ・ローゼンバーグ 撮影:エリオット・デイヴィス 衣装デザイン:ウェンディ・チャック 編集:ナンシー・リチャードソン 音楽:カーター・バーウェル 音楽監修:アレクサンドラ・パットサヴァス

出演:クリステン・スチュワート(ベラ・スワン)、ロバート・パティンソン(エドワード・カレン)、ビリー・バーク(チャーリー・スワン/ベラの父、警察官)、ピーター・ファシネリ(ドクター・カーライル・カレン/エドワードの養父、医師)、エリザベス・リーサー(エズミ・カレン)、ニッキー・リード(ロザリー・ヘイル)、アシュリー・グリーン(アリス・カレン)、ジャクソン・ラスボーン(ジャスパー・ヘイル)、ケラン・ラッツ(エメット・カレン)、キャム・ギガンデット(ジェームズ)、エディ・ガテギ(ローラン)、レイチェル・レフィブレ(ヴィクトリア)、アナ・ケンドリック(ジェシカ・スタンリー)、テイラー・ロートナー(ジェイコブ・ブラック)、ジル・バーミンガム(ビリー・ブラック)、サラ・クラーク、クリスチャン・セラトス、ジャスティン・チョーン、マイケル・ウェルチ、ホセ・ズニーガ、ネッド・ベラミー

フロスト×ニクソン

新宿武蔵野館2 ★★★☆

■遠い映画

予告篇で「インタビューという名の決闘」と言っていただけのことはある。地味な題材をこんなに面白く見せてくれるんだから。大物といえどニクソンが登場するくらいじゃ、そのインタビューが娯楽映画(は言い過ぎか)になるとは思わないだろう。けれど、いつの間にか身を乗り出して、二人のやりとりを聞き逃すまいとしていた。それなのに、映画が終わってみると意外にも、そんなに感慨が残ることはなかった。

というわけで、映画に想いを巡らすまでにはなかなかならず、何故そんな気持ちになるのかという一歩手前を考えてしまうのだった。それでいてその考えに捕らわれるまでにもならなかったのは、要するに、面白くても私には遠い映画だったのだろう。

トークショーの司会者である英国人のフロストは、掛け持ちでオーストラリアの番組も持っている人気者だ。ニクソン辞任の中継を見ていたフロストは、その視聴率に興味を持ち、ニクソンとの単独テレビインタビューを企画する。が、ニクソン側は出演料をつり上げてくるし、三大ネットワークへの売り込みは失敗するしで、自主製作という身銭を切っての賭とならざるを得なくなる。

成功すれば名声と全米進出を手にすることができる(アメリカで成功することは意味が違うというようなことを言っていた)わけで、彼がそれにのめり込むのも無理はないのだが、負けず嫌いなのか、プレイボーイを気取っているのか、飛行機でものにした彼女には苦境にあることはそぶりも見せない。インタビュー対決はもちろんだが、こうしたそこに至る道筋がインタビュー以上にうまく描けている。

巨悪のイメージのあるニクソンだが、やはりすでに過去の人でしかないからか。フロストのインタビューやその前後の様子からは、老獪さよりは人間味が感じられてしまい、え、ということは、私もあっさり(映画の)ニクソンに籠絡されてしまったことになるのだろうか。だとしたらそのままでは終わらせなかったフロストは、やはり大した人物だったのかもしれない。

が、フロストとニクソンとの白熱(とは少し違う。三日目まではニクソンの完勝ペースだし)したやりとりも、結果としてニクソンの失言待ち(フロストが引き出したものだとしても)だった印象が強いのだ。うーん、これもあるよなぁ。

それにすでにニクソンは失脚しているわけで、このことで政界復帰の道は完全に閉ざされたにしても、日本にいる身としは、このインタビューがそれほどの意味があったとは思えなかったのだ(映画では政界復帰の野望を秘めていたことになっている。ついでながらこの話に乗ったのは金のこともあるが、フロストを与しやすい相手と判断したようだ)。それにしつこいけど、過去のことだし。

アメリカ人にとっては意味合いが全然違うのだろうな。そもそも大統領に対する人々の持つイメージや、メディアなどでの扱いが日本における首相とは比べものにならないと、これは常々感じていることだけど。だから、ま、仕方ないってことで。あ、でもフロストは英国人。いや、でも同じ英語圏だし、兄弟国みたいなもんだから、って映画からはずれちゃってますね。

書き漏らしてしまったが、ニクソンの失言は「大統領がやるのなら非合法ではない」というもの。フロストはこれを突破口にして「国民を失望させた」という謝罪に近い言葉をニクソンから引き出す。もっともこの展開は少し甘い。ニクソンならいくらでも弁解できたはずで、逆に言うとニクソンは告白したがっていたという映画(深夜の電話の場面を入れたのはそういうことなのだろう)なのが、私としては気に入らない

罪を認めたからって軽くはならないのだから、どうせならニクソンには沈黙したままの悪役でいてほしかった、のかなぁ私は。ニクソンのことよく知らないんで、どこまでもいい加減な感想なんだけど。

 

原題:Frost / Nixon

2008年 122分 アメリカ シネスコサイズ 配給:東宝東和 日本語字幕:松岡葉子

監督:ロン・ハワード 製作:ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー 製作総指揮:ピーター・モーガン、マシュー・バイアム・ショウ、デブラ・ヘイワード、ライザ・チェイシン、カレン・ケーラ・シャーウッド、デヴィッド・ベルナルディ、トッド・ハロウェル 脚本・原作戯曲:ピーター・モーガン 撮影:サルヴァトーレ・トチノ プロダクションデザイン:マイケル・コレンブリス 衣装デザイン:ダニエル・オーランディ 編集:マイク・ヒル、ダン・ハンリー 音楽:ハンス・ジマー

出演:フランク・ランジェラ(リチャード・ニクソン)、マイケル・シーン(デビッド・フロスト)、ケヴィン・ベーコン(ジャック・ブレナン)、レベッカ・ホール(キャロライン・クッシング)、トビー・ジョーンズ(スイフティー・リザール)、マシュー・マクファディン(ジョン・バード)、オリヴァー・プラット(ボブ・ゼルニック)、サム・ロックウェル(ジェームズ・レストン)、ケイト・ジェニングス・グラント、アンディ・ミルダー、パティ・マコーマック

ウォッチメン

新宿ミラノ ★★★★

■スーパーヒーローがいたら……って、いねーよ

ぶっ飛びすぎのトンデモ映画のくせして(だから?)ムズカシイっていうのもなぁ(わかりにくいだけ?)。なんだけど、これだけ仰天場面を続出されては、はい降参、なのだった。ま、トンデモ映画好き以外には勧められないが。

できるだけ予備知識は持たずに映画と対面するようにしている私だが、今回は概略だけでも頭に入れておけばよかったと後悔した。殺人事件の謎解き話で始まるのに、背景説明が多く、物語が進まなくてくたびれてしまったからだ。だからってゆったりというのではなく、二時間四十三分をテンポよくすっ飛ばして行くのだけれど、これでは息つく暇がない。

というわけで、詳しく書く自信はないので、気になったいくつかをメモ程度に残しておく(機会があればもう一度観るか、原作を読んでみたいと思っている)。

スーパーヒーローがいたら世界はどうなっていたか、じゃなくて、こうなっていたというアメリカ現代史が語られるのだが、そのスーパーヒーローがヒーローらしからぬ者共で、そう、彼(彼女)らは複数でチームまで組んで活躍していたらしい(アメコミヒーローの寄せ集め的設定なのか)。私にはこの設定からして受け入れがたいのだけど、まいいか。

彼らの行動原理は正義の御旗の元に、というより悪人をこらしめることに喜びを感じる三文自警団程度のもので、制裁好きがただ集まっただけのようにもみえるし、どころか、コメディアンが自分が手をつけたベトナム女性を撃ち殺してしまうという話まであるくらいなのだ。そんなだから市民の方も嫌気がさして、ヒーロー禁止条約なるものまで出来てしまう。

Dr.マンハッタンだけは放射能の影響で神の如き力を得(だから厳密にスーパーヒーローというと彼だけになってしまう)、ベトナム戦争を勝利へと導く(ニクソンが三期目の大統領って、憲法まで変えたのね)が、とはえい冷戦が終了するはずもなく、だもんだから(かどうか)話のぶっとび加減は加速、フルチンDr.マンハッタン(火星を住居にしちゃうのな)は、自らの存在をソ連(というか人類)に対する核抑止力とすべく……。

イメージは充満しているのに細部を忘れてるんで(観たばかりなのに!)うまく書けないのだが、神に近づいたDr.マンハッタンは人間的感覚が薄くなっていて、だから恋人だったシルク・スペクターも離れていくし(んで、ナイトオウルのところに行っちゃうんだな)、それは個に対する関心がないってことなんだろうか。これはオジマンディアスも似たようなもので、人間という種が生き残ればいいらしい(1500万人も見殺しだからなぁ)。そして、それを平和と思っているらしいのだ。

神に近づくってーのは(本人は否定してたけどね)、そんなものなのかと思ってしまうが、聖書のノアの方舟など、案外これに近いわけで、でもその辺りを考えていくには、最初の方で神経を磨り減らしてしまっていて、後半のあれよあれよ展開には茫然となってしまったのだった(このことはもう書いたか)。なんで唐突なんだけど、おしまい(あちゃ! これじゃロールシャッハが浮かばれないか)。

そうだ、驚愕のビジュアルっていうふれこみだけど、そうかぁ。確かにそいうところもふんだんにあるが、ベトナム戦争の場面など、半分マンガみたいだったよね?

まともな感想文になってないが、今はこれが限界。正義の振りかざし方に明快な答えでもあるんだったら書けそうな気がするんだけど、それは無理なんで。

8/7追記:やっと原作を読むことができた。思っていた以上に作り込まれた作品で、やはり映画の相当部分を見落としていたことがわかった。原作を知らないとよく理解できない映画というのもどうかと思うが(もっとも今や映画が一回限りのものとは誰も認識していないのかも)、特にジオマンディアスの陰謀という核になる部分が、今(もう四ヶ月も経ってしまったから余計なのだが)、かなり薄ぼんやりしていて、よくそんなで感想を書いてしまったものだと後悔しているくらいなのだ。やはりこの作品はもう一度観なくては。けどDVDとかを観る習慣がないんでねぇ。いつのことになるかは?

  

原題:Watchmen

2009年 163分 アメリカ シネスコサイズ 配給:パラマウント R-15 日本語字幕:?

監督:ザック・スナイダー 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、デボラ・スナイダー 製作総指揮:ハーバート・W・ゲインズ、トーマス・タル 原作:アラン・ムーア、デイヴ・ギボンズ(画) 脚本:デヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー 撮影:ラリー・フォン 視覚効果スーパーバイザー:ジョン・“DJ”・デジャルダン プロダクションデザイン:アレックス・マクダウェル 衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン 編集:ウィリアム・ホイ 音楽:タイラー・ベイツ

出演:マリン・アッカーマン(ローリー・ジュスペクツィク/シルク・スペクター)、ビリー・クラダップ(ジョン・オスターマン/Dr.マンハッタン)、マシュー・グード(エイドリアン・ヴェイト/オジマンディアス)、カーラ・グギーノ(サリー・ジュピター/初代シルク・スペクター)、ジャッキー・アール・ヘイリー(ウォルター・コバックス/ロールシャッハ)、ジェフリー・ディーン・モーガン(エドワード・ブレイク/コメディアン)、パトリック・ウィルソン(ダン・ドライバーグ/ナイトオウル)、スティーヴン・マクハティ(ホリス・メイソン/初代ナイトオウル)、マット・フルーワー(エドガー・ジャコビ/モーロック)、ローラ・メネル(ジェイニー・スレイター)、ロブ・ラベル、ゲイリー・ヒューストン、ジェームズ・マイケル・コナー、ロバート・ウィスデン(リチャード・ニクソン)、ダニー・ウッドバーン

ストレンジャーズ 戦慄の訪問者

新宿ミラノ3 ★

■未解決事件をデッチ上げ解釈してみました(そうかよ)

プロポーズの場を演出した自分の別荘に、クリスティンを連れてきたジェームズだが、結婚に踏み切れるまでにはクリスティンの気持ちはなっていなかった。申し出を断られたジェームズは落胆し、頭を冷やそうと別荘を出ていく。

二人の微妙な位置関係がわかったところで、深夜の訪問者による恐怖に巻き込まれていく(実は最初のノックがあった時は少しだけいい雰囲気になりかけていた)のだが、手をかけて説明した二人の関係やその心理状態が、まったくといっていいくらい生かされていないのはどうしたことか。

どころか、恐怖に遭遇したことで、愛していると言い合ったりでは、あまりに情けないではないか。いや、人間なんてそんなものかもしれず、だからそこまで踏み込んで描けたら、それはそれで面白い映画になったような気もするのだが……。

思わせぶりな演出は、この手の映画にはつきものだからとやかく言わないが、相手は現実の三人で、そうか、「実際の事件」(これについては後述)と断っていただけあって、心霊現象なんていうインチキで逃げることはしないのだな、といい方に納得できてからは、逆にますますつまらなくなっていく。

ジェームズの親友のマイクが早めに来てしまったことで誤射事件という悲劇くらいしかアイデアがなく、あとはおどかしだけで突っ走ろうっていうんだから、虫が良すぎ。85分という短めの上映時間なのに、それが長く感じられてしまう。

電話も車も壊されてしまったため、納屋にある無線機で外部と連絡を取ろうとするのは納得だが、別行動をとる必要があるんだろうか。いくらなんでも進んで、餌食になりますよ、はないだろう。

巻頭、「実際の事件に基づく物語」という字幕に続いてもっともらしい解説があったが、未解決でほとんど何もわかっていない実際の事件、って、そりゃどうにでもできるよね。

で、映画のデッチ上げは、犯人たちは車で移動しているストレンジャーで、殺人もしくは人を恐怖に陥れるのが趣味の三人組の犯行、なんだって。はいはい。そして、主人公たちは見事彼らにやられてしまう。んー、怖い話じゃないですか。けど、出来た映画は怖いどころか退屈。

最後の付けたし場面も意味不明の、いいとこなし映画だ。

原題:The Strangers

2008年 85分 アメリカ シネスコサイズ 配給:プレシディオ PG-12 日本語字幕:川又勝利

監督・脚本:ブライアン・ベルティノ 製作:ダグ・デイヴィソン、ロイ・リー、ネイサン・カヘイン 製作総指揮:ケリー・コノップ、ジョー・ドレイク、ソニー・マリー、トレヴァー・メイシー、マーク・D・エヴァンズ 撮影:ピーター・ソーヴァ プロダクションデザイン:ジョン・D・クレッチマー 衣装デザイン:スーザン・カウフマン 編集:ケヴィン・グルタート 音楽:トムアンドアンディ 音楽監修:シーズン・ケント

出演:リヴ・タイラー(クリスティン・マッケイ)、スコット・スピードマン(ジェームズ・ホイト)、ジェマ・ウォード(ドールフェイス)、キップ・ウィークス(マン・イン・ザ・マスク)、ローラ・マーゴリス(ピンナップガール)、グレン・ハワートン(マイク)