2:30~5:30、7:15起。氷9ミリ厚。晴。

左の下っ腹に鈍痛。いや、気のせいかも。ちょっとスクワットをやれば股関節が痛くなるし……へぼい体で嫌になる。

1階の、最近自転車の出入り口にしている扉に隙間テープを貼る(発砲スチロールの板を仮止めしてしのいでいた)。だけど、貼っても隙間が消えたのは下の方の1/3だけで、やった効果はありやなしや(なし)。ここって最初からこんなに歪んでたかなぁ……。

隙間テープは使い切ってしまったのだけど、2重にしてもどうかなぁ、という感じ。まあ、しないよりはした方がいいんだろうけど。

写真1:1/21に工事をしていた電柱だが、私の考えは杞憂にすぎず、ちゃんと歩道を塞がないように出来上がっていた。電柱の交換って、ずいぶんと大変なのね。写真2、3:ブロック塀は崩れたままに新しい柵を作っちゃったのかしら。

「上野東急」と「上野東急2」が閉館になるという。ありゃりゃりゃ。そうなると上野地区はピンク映画館だけになってしまう。駅前の映画館がなくなって少しは東急に観客が流れるのかと多少は期待したんだけど、違ってたようだ(実際、客足は伸びてなかったものな)。

映画の見方も変わってきてそうだ。例えば彼女とデートで映画の場合、とりあえずシネコンに行き、そこで時間や混雑状況やらで観る映画を決めてしまうとかさ。ケータイ待ち合わせと似た感覚だったら、そういうことも大いにありそうだ。デートの場合、映画なんて二の次だろうし(そう?)。

それだと単館上映(上野東急は2スクリーンだけど)なんて、当然選択肢から除外されてしまうわけで(まあ、今の上野東急はデート向きの映画館とはとても言えないんだけど)。

この推測はそんなに外れてはいないと思うが、ピンク映画館がしぶとく残っていることの方が不思議だけど、インターネットに縁遠い人たちの需要がまだまだあるのかも。2010年にオークラ劇場が新館になっているなんて、上野だからこそ、かしらね。

サイトにあった閉館理由は以下の通り。

 「上野東急」は、昭和32年1月19日に開業いたしましたが、その後、「上野とうきゅうビル」の建設にともない一時閉館し、昭和57年12月4日に「上野東急」「上野東映」(平成10年3月「上野東急2」に名称変更)の2館体制として、新たに営業を開始いたしました。昭和32年の開業以来、半世紀以上にわたり、多くの映画ファンに親しまれるとともに、新宿地区・渋谷地区・池袋地区とならび当社の映画興行事業を支える主要な事業所として運営を行ってまいりました。また、近年では当社が企画協力・運営受託する「したまちコメディ映画祭」の会場のひとつとなるなど、地域への映像文化を促進する拠点としての役割も担ってまいりました。
 しかしながら、近年は、近隣への相次ぐシネマコンプレックスの出店により、観客動員の減少を余儀なくされ、大変厳しい劇場運営を続けており、当社としては、さまざまな営業施策ならびに徹底したコスト削減に取り組んでまいりましたが、業績の回復にはいたらず、営業活動の継続は難しいとの判断にいたり、閉館をすることといたしました。
 お客さまをはじめ地域・関係者の皆さまにおかれましては、これまで賜りましたご愛顧・ご支援に対し、改めて心から感謝申し上げます。また、営業終了までご来館されます皆さまが気持ちよく過ごしていただけますよう、日々の営業活動に取り組んでまいります。

シネコンの影響はわかるが、「近隣への相次ぐシネマコンプレックスの出店」って、どこのことなのさ。

にしても池袋に続いてだからなぁ。矢継ぎ早、という感じ。新宿の4館も危ないし(コマの跡地にシネコンが出来るまでの命? というか、それまでもってくれればいいが)、渋谷はヒカリエには映画館は出来ないようだし……。

写真4、5:同じものを撮している。印象がこう違っちゃうと、なんかインチキした気分になる。

 

写真整理、up:日1、ピ:15、ス:50×2、ひ:20×5、腹囲:79.3、体重:57.1kg、体脂肪:22.5、歩数:8124。

(2) Comments    Read More   

6:10、8:40起。雨ときどき曇。

1階のトイレのドアが1週間位前から上をこするようになっていた。蝶番はどう見ても緩んでないし、直しようがないと思っていたのだったが、外してみると蝶番部分で微調整が出来るようになっていた。なるほど、こんなふうになったドアがあるんだ。というか、私が無知なだけなのかもしれないが(というわけで、直しは完了)。

そういえば、次女から鍵穴に吹きかける潤滑剤(というか粉)を借りてやってみたら、私のひん曲がったカギでさえひょいと入れられるようになって、これも知らなかったなぁ、と感心した(鉛筆の芯でもいいと言っている人がいるが、潤滑剤だからなんでもいいというわけではないらしい)。

仕事を少し(名刺印刷に伝票書きなど)。そのあと賀状書き(16通出)。食事で外に出ただけ。

写真1、2:えー、そんな所に建てちゃうの? まさかね。けど、両方共ちゃんと埋まっているように見えるんだけど……。

 

掃除、up:日4、ピ:10+30、ひ:20×4、腹囲:79.3、体重:57.2kg、体脂肪:21.8、歩数:7308。

(0) Comments    Read More   

3:30、7:30起。雨、夕方から曇。

何日ぶりの雨だろうか。一度起きた時に地面が濡れていた日があったけれど、それを勘定に入れないと1ヶ月以上のはず。なんにしてもありがたい。溜めていた水がすっからかん直前だったんで。

「国民年金・厚生年金保険年金証書」というのが届く。厚生年金が124500(雀の涙なのは加入期間が短いから)で、国民年金はまだ申請していない(と自動的に65歳支給になる?)から空欄になっている。

前にもメーカーに問い合わせたことだが、寒くなるとエアコンが止まってしまうっていうのはなぁ。今日は6回(×約9分)も止まってた。無駄なんだろうけど、この間のサービスマンにも聞いてみるのだった。

勉強会のため新橋へ。空模様が怪しかったので地下鉄で行く。結果論だけど自転車でも平気だった。なんだが、帰りの乗り換えで通路でやっていた地図展に気付き(行きは三越の中を通っちゃったんで)、これがなかなかだったので、自転車をあきらめたのは正解だった。もっとも時間が遅かったこともあって、15分も見ていないんだが(残りの五街道や海図で見る東京の海などの展示は全部パス)。

勉強会(18:55、19:16~)は、前回に続いてI村さんのリポート。テキストは『国家の存亡 〈平成の開国〉が日本を亡ぼす』(関岡英之)。出席者は他に、M本、T丸、S川、H谷、O川、M、I川の8人。

関岡はやたらアメリカの脅威と言っているが、これはアメリカにとっても枷になるわけで、であれば、TPPは日本も策略として捉えて交渉に臨めばいいようなって、そんなことのできる人材などいないか。本も全部読んでいないし、TPPは個別に考えると結論が出せなくなる。鎖国でもするならまた別なんだが。

二次会には参加せず、忘れていた食事をして帰る。

写真2:何でこんな所に起重機があるんだ? 写真3、4:ははーん、この工事に使うわけか。終電後にでもやるんだろうな。「京浜百貨店」(→「京急ストア」→「けいきゅうストア」?→「FINE FOOD MARKET 新橋店」?になっていたらしい、ってとっくの昔からみたいだが)のあとは、どうなるのかしら。写真5:銀座線新橋駅。天井が綺麗になっていたので(あまり意味はなし。新橋だとほとんど自転車なので、意外と駅を利用することがないのだな)。
写真6~11:「地図展 日本橋と五街道」。写真7:スペースとしては大したことはないのだが、地図なのでじっくり見ていると大変なことに。写真8:空襲後はともかく昭和19年12月13日にもこんなに精密な写真を撮られちゃってるんではね。写真9:関東大震災で被災(焼失)した場所の描かれた図。大阪日報社という新聞社の附録。写真10:同じ新聞社の記事。すごい字だ。大が付くと「ざん」になるの? 9/13の発行になっているのは(震災は9/1)大阪ということもあるのだろう。これでもかなり頑張って記事にしたのではないか。写真11:明治16年ごろに陸軍参謀本部がフランスの技術を習得して作成したもの。小さな建物まで全部の形が描かれている1/5000地図。すごい。

掃除、ピ:20、ひ:20×4、腹囲:79.6、体重:57.2kg、体脂肪:22.9、歩数:10132。

(0) Comments    Read More   
  • Links

  • 2024年4月
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930