我が至上の愛 アストレとセラドン

銀座テアトルシネマ ★☆
銀座テアトルシネマにあった主役2人のサイン入りポスター

■古臭くて退屈で陳腐

エリック・ロメールが巨匠であることを知らない私には、えらく退屈で陳腐な作品だった。

まずわざわざ17世紀の大河ロマン小説を原作に持ってきた意味がわからない。古典に題材を求めたのは、ロメールがそこに「愚かなほど絶対的なフィデリテ(貞節や忠誠を意味する)」を見い出したからと、朝日新聞の記事(2009年1月15日夕刊)にあったが、映画から私が感じたのは、古典によくある、言葉を弄ぶ大仰さであって(こういうのが面白い場合ももちろんあるが)、現実感に乏しいものでしかなかった。

浮気と誤解され「姿を見せるな」と言われたのでアストレには会えない、とセラドンに言わせておきながら、もちろんそのことでセラドンは川に身を投げるし、助け出されても村には戻らずに隠遁生活のような暮らしを送ったりはするのだが、結局は、僧侶の差し金があったとはいえ、女装までしてアストレに近づくという笑ってしまうような行動に出る。

アストレもセラドンが死んだと思い込んでいたのに、僧侶の娘(セラドンが化けた)にはセラドンに似ているからにしてもぞっこんで、ふたりでキスをしまくってのじゃれようを見ていると、セラドンよ、喜んでいていい場合なのかと言いたくなってしまうのだが、当人は自分に気づかぬアストレの振る舞いを見て楽しんでいるふしさえあって、これではさすがにげんなりしてくる。

髭を薄くする薬があったというのはご愛敬としても、5世紀という時代設定なのにペンダントの中は写真だし、この時代の物とは思えない金管楽器に、印刷物としか思えない石版の文字……。

細かいことに文句を付けたくはないが、原作に忠実にガリア地方で撮影したかったが、手つかずの自然がなかったのでそれは断念した、などと言わずもがなのことをわざわざ映画の巻頭で述べていての、この時代考証の無視には頭をひねるしかない。

映画の虚構性についての、これがロメールの言及というのなら、少々幼稚と言わねばなるまい。テーマが古臭くとも今の時代に十分価値があると思っての「引退作」は、しかしそれなりの現代的な解釈や味付けが必要だったはずである。

原題:Les Amours D’astree et de Celadon

2007年 109分 35ミリスタンダード フランス/イタリア/スペイン 配給:アルシネテラン 日本語字幕:寺尾次郎

監督・脚本:エリック・ロメール 製作:エリック・ロメール、ジャン=ミシェル・レイ、フィリップ・リエジュワ、フランソワーズ・エチュガレー 原作:オノレ・デュルフェ 撮影:ディアーヌ・バラティエ 衣装:ピエール=ジャン・ラローク 編集:マリー・ステファン 音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ

出演:アンディ・ジレ(セラドン)、ステファニー・クレイヤンクール(アストレ)、セシル・カッセル(レオニード)、ジョスラン・キヴラン、ヴェロニク・レモン、ロセット、ロドルフ・ポリー、マティルド・モスニエ、セルジュ・レンコ

エレジー

シャンテシネ2 ★★★

■都合がよすぎてつけ加えた負荷

60を超えたじじいが30も歳下の美女に好かれてしまうという、男には夢としかいいようのない内容の映画である。原作はフィリップ・ロス。知性も名声もあるロスの実体験か。そんな話を聞かされても面白くはないが、でも、覗き見+なりたい願望には勝てない私なんであった。

自分は50人以上もの女性と付き合ってきたというのに、女の、50人以上からしたらたった5人の、それも「過去の」男であっても気になってしかたない。これは笑える(って、ただ私自身のことではないのと、そして自分でも同じようなことをやりかねない気分だからなのだが)。

男の失われた若さがそうさせている面もあるだろう。女のちょっとした言動にもやきもきしてしまうのだが、女は自分の家族に男を紹介しようとする。つまり本気。けれど、この恵まれた状況を、過去の人間関係にうんざりしている男は、見え透いた嘘で壊してしまうことになる。

話が少しそれるが、別れた妻との息子が、男の元に不倫の相談に来たりする。男は面倒そうにしている。この息子はファザコンなんだろうか。父親に不倫の相談というのも笑止千万なのだけれど、要するに、こういうやっかいな関係を昔作って今に至っていることを、男は後悔しているというわけだ。

また、別の女性(これまた自分の生徒だった時にものにしている。ただ相手も歳をそれなりに重ねているので老いを負い目に感じるようなことはない)と、長年にわたるある種の性的信頼関係が出来ていて(もっともこの女性も、女の存在に感づいて男を責めていた)、この理想的と思ってきた関係と、もしかしたら単なる若い女への欲望とを、比較しての選択だったか。

仲間の教授から注意されても、女との関係は断ち切れずにいたくらいで、だから男のこの感情は私にはわからなかった。もしかしたらこんな都合のよすぎる話では厚かましすぎると思ったのかもしれない(まさか)。

で、2年という時を経て女が再び男の前に現れる際に、男の老いに相当するような、乳癌という負荷を、女にもかけたのだろうか。

どちらも負い目を持った末に、純粋な愛という形を手にするというのがラストの海岸のシーンに要約されているのだけど(多分)、こじつけのような気がしてならなかった。

どうでもいいことだけど、ペネロペ・クルスは、ゴヤの「着衣のマハ」には似てないよねぇ。

原題:Elegy

2008年 112分 ビスタサイズ アメリカ 配給:ムービーアイ 日本語字幕:松浦美奈

監督:イザベル・コイシェ 製作:、トム・ローゼンバーグ、ゲイリー・ルチェッシ、アンドレ・ラマル 製作総指揮:エリック・リード 原作:フィリップ・ロス『ダイング・アニマル』 脚本:ニコラス・メイヤー 撮影:ジャン=クロード・ラリュー プロダクションデザイン:クロード・パレ 衣装デザイン:カチア・スタノ 編集:エイミー・ダドルストン

出演:ペネロペ・クルス(コンスエラ・カスティーリョ)、ベン・キングズレー(デヴィッド・ケペシュ)、パトリシア・クラークソン(キャロライン)、デニス・ホッパー(ジョージ・オハーン)、ピーター・サースガード(ドクター・ケニー・ケペシュ)、デボラ・ハリー(エイミー・オハーン)