007 慰めの報酬

新宿ミラノ1 ★★★

■続篇であって、続篇にあらず

話が前作からほとんど時間をおくことのない展開ということもあって、前作で確立した生身のボンド像を継承している。今回は拷問があるわけはないので、生身ではあっても多少スーパー度は戻ってきている。が、基本は前作と変わっていない、つまり『007 カジノ・ロワイヤル』で書いた感想と同じになるので、これについては繰り返さない。

ボンドは使命を遂行しながらもヴェスパーの復讐を胸に秘めていたというのが、今回のキモ。Mたちにはそれがボンドの暴走に見えてしまう(最後に本当のことがわかる)。

にしてはヴェスパーの映像が出ることもなく、それはギャラや肖像権の問題なのかどうかはわからないが、映画としては説明不足ではないか。作品の一部であるMはともかくとして、CIA役のジェフリー・ライトだって続き出だっていうのにさ。

まあ、前作は観ていなくても(忘れていても、つまり私のことだ)そんなには違和感はないのだけどね。ヴェスパーとミスター・ホワイトのことはそうなんだと思ってしまえば、悪役は表舞台にも立つドミニク・グリーンという人物で、全くの別な(というのではないが悪の世界も入り組んではびこっているのだな)わけだし。

怪物用心棒も出てこなければ、メドラーノ将軍にしても使い捨てにすぎないので、悪役たちが手薄な感じもしなくはない。利権話も、石油や鉱物資源などではなく水。金になれば対象が何であれかまわないわけで、これは1999年にボリビアで実際にあった事件を元にしているのだが、利権も含めてごくごく普通のもので駒を並べた印象だ(手詰まり故の逆転の発想なのかも)。

でありながらMI6にはスパイまで忍ばせているしたたかさ。ってほらね、やはりこういうのには不感症になっているから、そんなには驚けないでしょ。

その分アクションをエスカレートさせたのかもしれないが、私のように歳をとってきたものにはめまぐるしすぎた。しかも同時進行しているものにかぶせるような演出が2つも入っているのはどうしたことか。カーアクションなど多少ゆるくなっても、引いたカメラで位置関係をはっきりさせてくれた方が、緊張感は生きてくるはずなのだが。

ボンドガール(イメージとしては違うが)は、魅力的なオルガ・キュリレンコ(エヴァ・グリーンよりずっといい)だが、ボンドはヴェスパーの影を引きずった設定だからベッドを共にするわけにはいかなかったのか、キスまで。カミーユは復讐という目的のためには悪役の相手も辞さずにやってきたというのにね。もっともボンドも、フィールズ嬢とは豪勢なホテルで楽しんでるので、そういう部分ではヴェスパーの影を引きずってなどいない。

小道具は高機能携帯電話やMI6のコンピュータくらいだが、でもこのおかげでMとの連係(でなかったりの)プレーや、世界をそれこそ股に掛けての活躍が可能になっている。股に掛けた部分はカーアクションに似て目まぐるしくて、そこまですることもないと思うが、娯楽作としては十分なデキだ。

が、この作品最大の見所はラストのボンドとMのやり取りだろうか。ボンドは今回の行動とこれからの自分についてMに簡潔に答える。弁明なんだけどグッとくる。

 

原題:Quantum of Solace

2008年 106分 シネスコサイズ イギリス/アメリカ 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 日本語字幕:戸田奈津子

監督:マーク・フォースター 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 製作総指揮:カラム・マクドゥガル、アンソニー・ウェイ 原作:イアン・フレミング 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ポール・ハギス 撮影:ロベルト・シェイファー プロダクションデザイン:デニス・ガスナー 衣装デザイン:ルイーズ・フログリー 編集:マット・チェシー、リチャード・ピアソン 音楽:デヴィッド・アーノルド テーマ曲:モンティ・ノーマン(ジェームズ・ボンドのテーマ) 主題歌:アリシア・キーズ、ジャック・ホワイト

出演:ダニエル・クレイグ(ジェームズ・ボンド)、オルガ・キュリレンコ(カミーユ)、マチュー・アマルリック(ドミニク・グリーン)、ジュディ・デンチ(M)、ジェフリー・ライト(フィリックス・レイター)、ジェマ・アータートン(フィールズ)、イェスパー・クリステンセン(ミスター・ホワイト)、デヴィッド・ハーバー(ビーム)、アナトール・トーブマン(エルヴィス)、ロシー・キニア(タナー)、ジャンカルロ・ジャンニーニ(マティス)、ホアキン・コシオ(メドラーノ将軍)、グレン・フォスター(ミッチェル)、フェルナンド・ギーエン・クエルボ(カルロス大佐)、スタナ・カティック、ニール・ジャクソン

ミーアキャット 日本語版

新宿武蔵野館1 ★★

■貧血か居眠りか?

ミーアキャットのことはほとんど知らなかったし、動物ものなら見ていてあきないのだけれど、そしてコンパクトにまとまった予告篇はよくできていたのだけれど、そうはいっても物語映画にするようなフィルムだったか、という疑問は残る。テレビのドキュメンタリー番組として、解説もふんだんに入れてくれた方がタメになったように思うからだ(この内容なら時間も半分以下ですむだろう)。

家族愛(大家族)があって、ワシやコブラという天敵もいれば、同じミーアキャット同士の縄張り争いもあり、これを物語にしない手はないと踏んだのだろうが(後述の見せ場が撮れてしまったからかも)、でも生まれたばかりの1匹をコロと名付けて擬人化したことで、結局はありきたりの成長物語にするしかなくなってしまったともいえる。

教育係の兄(親ではないのね)からサソリの捕獲を教わったり、その兄の死(見分けがつかないのだな)や、コロが群れから離れてしまい、なんとか帰還する話も挿入してはいるが、ちょっと苦しい。

もちろん見せ場がないわけではない。巣にまでもぐり込んできて画面に大写しになるコブラは迫力で、しかも巣の道が二股に分かれた前で、コブラがどちらに行ったらよいか迷う(!?)というコブラの視点に切り替わる場面もある。コブラが尻尾を攻撃され、体を折り返すようにして狭い巣穴を戻っていくまでの編集は、アクション映画顔負けである。しかもこの場面は、後で起こるゴマバラワシの襲撃の伏線になっていて、結局悪役コブラは、ミーアキャットの代わりに、もう一方の悪役ゴマバラワシの餌食になってしまうというオチまでつく。

この話を可能にしたのは、巣穴でも写る赤外線カメラや至近距離での映像なのは言うまでもないだろう。体長30センチというミーアキャットの視線から見ると、世界も一変する。カラハリの、過酷な地だという説明がつく割には、意外と狭い範囲に多くの生き物がいる事実にも驚かされる。

その撮影だが、オフィシャル・サイトに行ったら、本当に手の届くような至近距離で撮影している写真があってびっくりした。ミーアキャットに、人間は安全な生き物と認識させてしまったのだろうか。30センチの視線は、単純に穴を掘ってカメラの位置を下げたようだ。

ミーアキャットが日光浴のために後ろ足と尾で直立する姿が可愛らしいため、これが盛んに宣伝に使われている。利用しない手はないと私も思うが、予告篇は「日光浴を時々やりすぎて貧血をおこす」なのに、オフィシャル・サイトの説明文だと「陽だまりの心地よさに立ったまま居眠りを始める」なの?

原題:The Meerkats

2008年 83分 シネスコサイズ イギリス 配給:ギャガ・コミュニケーションズ

監督:ジェームズ・ハニーボーン 製作:トレヴァー・イングマン、ジョー・オッペンハイマー 構成:ジェームズ・ハニーボーン ナレーション脚本:アレキサンダー・マッコール・スミス 撮影:バリー・ブリットン 編集:ジャスティン・クリシュ 音楽:サラ・クラス ナレーション:ポール・ニューマン 日本語版ナレーション:三谷幸喜