無花果の顔

シネマスクウェアとうきゅう ☆

■わかりたくもない桃井ワールド

部下のやった手抜き工事を直す工務店勤めの父親(石倉三郎)。近所のようだったのに、わざわざウイークリーマンションまで借りて、しかも配管は複雑でも大した工事とは思えないのだが、こっそりやる必要があるからなのか、夜間だけ。でも、バレるでしょ。マンションの窓越しに見える女(渡辺真起子)が気になって仕方がなかったが、工事が終わってしまえばそれっきりである。「おとうさんが帰ってくるとうるさくていいわ」と、それなりにウキウキの母(桃井かおり)。でもその父に突然の死がやってきて……。

葬式で様子のおかしい母であったが、物書きになった娘(山田花子)と東京タワーの見えるマンションで暮らしだす。時間経過がよくわからないのだが、勤めだした居酒屋の店長(高橋克実)にプロポーズされてあっさり再婚し、新居に越していく。何故かそこに、前の家にあった無花果の木を植え(家はまだ処分していなかったのか)、前夫の遺品を埋める。娘は不倫のようなことをしていたようだが、子供を生む。

家族のあり方、それも主として母(妻)の置かれている立場を描いたと思われる。しかし、何が言いたいのかはさっぱりわからない。

例えば最初の食事の場面から家族がだんだんと消えていき、無花果の木に残されたカメラに向き合う母という構図で、彼女の見えない孤独を提示していたのかもしれないのだが、しかしこの場面を削ったり入れ替えたりしても、全体としてそうは影響がなさそうだ。そして、他にもそう思える場面がいくつもあるのだ。映画というのは単純に時間から判断しても相当凝縮された空間のはずで、本来削除できない場面で構成されるべきものと考えると、これはまずいだろう。

題名、演技、撮影、照明、小道具と、何から何まで思わせぶりだから退屈することはないが、それでも最後にはうんざりしてくる。人工的な色彩だろうが、ヘンな撮り方をしようが、わざと不思議な寝方や死体の置き方をさせようが、それはかまわない。でも、納得させてほしいのだ。すべてがひとりよがりの域を出ていないのでは話にならない。

興味の対象が違うだけとは思うが、普通の映画のつくりをしていないことは逃げにもなるから致命傷になる。わかりやすい映画だけがいいとは言わないが、少なくともわからない部分を解き明かしたくなるようには創ってもらいたいと思うのだ。

 

2006年 94分 サイズ■

監督・原作・脚本:桃井かおり 製作:菊野善衛、川原洋一 エグゼクティブプロデューサー:桑田瑞松、植田奈保子 統括プロデューサー:日下部哲 協力プロデューサー:原和政 撮影:釘宮慎治 美術:安宅紀史 美術監督:木村威夫 衣装デザイン:伊藤佐智子 編集:大島ともよ 音楽プロデューサー:Kaz Utsunomiya VFXスーパーバイザー:鹿角剛司 スーパーバイザー:久保貴洋英 照明:中村裕樹 録音:高橋義照 助監督:蘆田完 アートディレクション:伊藤佐智子
 
出演:桃井かおり(母)、山田花子(娘)、石倉三郎(父)、高橋克実(新しい父親)、岩松了(男)、光石研(母の弟)、渡辺真起子(隣の女)、HIROYUKI(弟)