LOFT ロフト

テアトル新宿 ★

■全部が妄想って、そりゃないよね

春名礼子(中谷美紀)は芥川賞作家だが、編集者の木島(西島秀俊)からは通俗的な恋愛小説を要求されている。が、スランプ中だし体調も思わしくない。泥のようなものを吐くが医者はなんともないと言うし、自分でも幻覚かなどと達観している。引っ越しでもして気分転換を図ろうかと思っていると木島に相談すると、彼はぴったりの場所を探してきた。

使われることがあるのかと思われる不思議な建物がそばにあるだけの、緑の中の静かな屋敷。すっかり気分がよくなった礼子だが、前の住人が残していった荷物の中に小説らしい原稿を見つけ、建物に不審な人物が出入りしているのを見る。

調べてみると、建物は相模大学の研修所で、男は吉岡誠(豊川悦司)という大学教授だった。彼は沼から引き上げた1000年前のミイラを、何故か研修所に持ち込んでいて、研究生が研修所を使う2、3日の間、礼子にそのミイラを預かってほしいと言ってくる。

木島の礼子に対するストーカーまがいの行動から、水上亜矢(安達祐実)という、やはり作家志望の女性がここに住んでいたことが判明(木島に弄ばれたらしい)するのだが、このあたりから少しずつ混乱が始まって、何がなんだかわからなくなってくる。礼子と吉岡の恋もえらく唐突な感じで、吉岡は亜矢を殺したと言っているのに、そのあとあっさり礼子と吉岡が絶対的関係になっているのでは(この芝居は大げさだ)、感情移入以前の段階でついていけなくなってしまう。

亜矢を殺した原因も「ちょっとした混乱が……彼女はよくわからないやり方ですっと僕の中に入ってきた」そして「僕の科学者としての立場を突き崩した」ので、口を塞ごうとして……というもの。こういうことはあるだろう。でもここでの説明にはなっていないと思うのだ。

だいたい礼子が最初に泥を吐くことからしてずるい。ミイラを預かってからそういう現象が起きるのならまだわかるのだが。私がずるいと思うのが間違いというのなら、礼子とミイラの関係だけでも説明してほしいものだ。そう思うと、どこもごまかしで満ちているような気がしてならない。ミイラと亜矢の幽霊という2本立てがそうだし。夢の映像は2ヶ所だったと思うが、それだってはっきり断っていないのが他にもあるのだとしたら……。

わかりにくい映画だからと切って捨てるつもりはないが、少なくともわかりたくなるように仕向けるのが監督の仕事のはずだ。もう1度観れば少しは氷解するのかもしれないが、その気が起きないのでは話にならない。

編集者と女流作家に絞って、出てきた原稿から秘密が解き明かされていくというような、ありがちではあるけれど、そんな単純な話の方がずっと怖かったと思うのだ。画面に集中出来ないこともあって、嘘くさいミイラにメスを突き刺す豊川悦司が気の毒になってくる。最後もしかり。「全部妄想だったのか」と大げさに言わせておいて『太陽がいっぱい』と同じどんでん返し……これはコメディだったのか、と突っ込みたくなってしまうのだな。

でもくどいのだが、亜矢のことでミイラに取り憑かれた吉岡というのならまだわかる。でも礼子の方はねー(実は最初は吉岡のことの方がわからなかったのだが)。あと、これはそのこととは関係ないが、礼子と吉岡の救う立場が最初と最後では逆転しているというのが面白い。

【メモ】

袋に入っていた原稿の題名は『愛しい人』。これは原稿用紙に書かれたものだが、礼子はワープロで書く。礼子はこの『愛しい人』を流用していたが? そういえば完成した原稿を、木島は傑作に決まっているからまだ読んでいないとか言っていた。

大学のものなのか、大きな消却施設がある。

建物と男に興味を持った礼子は、昭和初期のミイラの記録映画の存在を知り、教育映画社の村上(加藤晴彦)を友人の野々村めぐみ(鈴木砂羽)と共に訪ねる。

映っていたのはミドリ沼のミイラをコマ落としで撮った短い(実際は3日?)もの。「何を監視していたんだろう」。結局この件はこれっきり。

腐敗を止めるために泥を飲む?

亜矢の件は捜索願が出ていて、めぐみは殺人事件だと思うと礼子に報告する。

エンドロールは部分的に字がずれるもの(FLASH的に)。

2005年 115分 サイズ:■

監督・脚本:黒沢清 撮影:芦澤明子 美術:松本知恵 編集:大永昌弘 音楽:ゲイリー芦屋 VFXスーパーバイザー:浅野秀二

出演:中谷美紀(春名礼子)、豊川悦司(吉岡誠)、西島秀俊(木島幸一)、安達祐実 (水上亜矢)、鈴木砂羽(野々村めぐみ)、加藤晴彦(村上)、大杉漣(日野)

バックダンサーズ!

2006/9/16 新宿ミラノ2 ★★

■くどいのは過剰な言葉だけじゃなくて

『東京フレンズ The Movie』に続いての永山耕三作品(公開時期が重なるが、本作品が第1作)は、少女たちの夢を描いていることもあって雰囲気は似ている。が、4人のダンスがしたいという想いが同じだからか、こちらの方がまとまりはいい(ヘンな設定もないしね)。

クラブ通いがばれて高校を退学になったよしか(hiro)と美羽(平山あや)だが、同じダンス好きの樹里(長谷部優)に誘われてストリート(ムーンダンスクラブ)で踊り始める。樹里のスカウトで、よしかと美羽も巴(ソニン)と愛子(サエコ)を入れたバックダンサーとしてデビュー。あっという間に樹里がアイドルとして人気を集めたから「ジュリ&バックダンサーズ」は人気絶頂となる。

が、樹里は恋愛に走って突然の引退宣言。単なる付属物だった4人は事務所にとってもお荷物的存在で、担当も茶野(田中圭)という新米マネージャーに格下げに。それぞれ事情を抱えた4人は、目的を見失ってバラバラになりかける。

茶野は彼のもう1つの担当である時代遅れのロックバンド『スチール・クレイジー』との共同ライブを企画するが、所詮は旅回りにすぎず、樹里が帰ってくるまでの場繋ぎなのがみえみえ。でもそんな中、よしかとスチクレの48歳のボーカル丈太郎は、彼の昔の曲で盛り上がり(丈太郎の住まいであるトレーラーハウスで歌う場面はいい感じだ)なにやら怪しい雰囲気に……と、これは親子だったというオチがあって、同行していたよしかに気のあるDJケン(北村有起哉)は胸をなで下ろす。

美羽と茶野がいい雰囲気になったり(雪の中のキスシーン)、巴が実は子持ちで、ダンスシーンを見た子供に励まされるというようなことがあって、少しは頑張る気分になってきた4人だが、ライバルの後輩ユニットが売れてきた事務所からは、あっさり解散を言い渡されてしまう。

またしても窮地の4人。仲間内の不満も爆発する。よしかと美羽の喧嘩から仲直りまではなかなかの見せ場だ。それぞれの道を行くかにみえたが、ムーンダンスクラブになんとなく集まってきて「このままじゃくやしい」と茶野やDJケンまでけしかけてダンスコンテストというゲリラライブ企画が実現することになる。

喧嘩から仲直りの見せ場もそうだが、美羽と茶野が惹かれあうのも「最後まで面倒を見る」という言葉に美羽が小さい時に飼っていたウサギを持ち出すなど、沢山ある挿話はどれも丁寧でそこそこまとまっているのだが、全部がそこまでという印象なのは何故だろう。

例えば「かっこよくなりたいから」というのは、4人にとっててらいも背伸びもしていない言葉だとおもうのだが、それが何度も繰り返されるとくどくなる。「面倒をみる」「先が見えない」「上がり」「くやしい」という言葉についても同じ。過剰な言葉が映画を台無しにしているのだ。

2010年の冬に始まって、2002年の秋から2006年の冬、そしてまた2010年という構成もあまり意味があるとも思えない。成功物語なのは前提とはいえ、最初から4人が伝説の存在になっていることをわざわざ示す必要はないだろう。で、最後にまた最初の場面が繰り返されると、言葉の反復だけでないくどさを味合わされた気分なのだ。

  

【メモ】

駐車場の空き地がムーンダンスクラブ。

「恋愛に走って本当に戻って来なかったのは山口百恵だけ」

鈴木丈太郎のロックグループの名前は『スチール・クレイジー』。これは映画『スティル・クレイジー』(98)のもじりか。

幻の名曲があり次のアルバムもできていたのだが、かみさんが出ていって封印。

よしかの母親の花屋は、大森銀座でロケ。丈太郎は花屋に花を持って元女房を訪ねてくる。

「何でも自分のせいにしてうじうじしているあんたが嫌い」と美羽をなじるhiroだが、ムーンダンスクラブで美羽を見つけると「私、美羽のために戻ったんじゃないんだよ。私が美羽といたかったから戻ったんだよ。美羽、ここにいてくれてありがとう」と言う。

物語だけでなく映画のスポンサーでもあるのか、サマンサタバサの社長(本人かどうかは?)が登場。

2006年 117分 ビスタサイズ

監督:永山耕三 脚本:永山耕三、衛藤凛 撮影:小倉和彦  美術:稲垣尚夫 編集:宮島竜治 音楽:Sin 音楽プロデューサー:永山耕三 ダンス監修:松澤いずみ/IZUMI
 
出演:hiro(佐伯よしか)、平山あや(新井美羽)、ソニン(大澤巴)、サエコ(永倉愛子)、田中圭(茶野明)、北村有起哉(DJケン)陣内孝則(鈴木丈太郎)、長谷部優(長部樹里)、 つのだ☆ひろ(ロジャー)、甲本雅裕(高橋修)、鈴木一真(セイジ)、舞(如月真由)、梶原善(磯部元)、浅野和之(小西部長)、木村佳乃(美浜礼子)、真木蔵人(テル)、豊原功補(滝川)、石野真子(佐伯なおみ)