愛と死の間(はざま)で

シャンテシネ1 ★

■ファン御用達映画なので、あら探しはほどほどに

交通事故現場でユンサム(チャーリー・ヤン)という女性の救急活動にあたった救急隊員のコウ(アンディ・ラウ)は、彼女に何か特別なものを感じる。彼女が心臓移植を受けていることを聞いた彼は、彼女の主治医であるホー医師(アンソニー・ウォン)を問いつめ、彼女の心臓が彼の妻チーチン(シャーリーン・チョイ)のものだったことを知る。

コウには、最愛の妻チーチンを交通事故でなくすという過去があった。映画は普通に順序立てた流れだから、優秀な外科医だったはずの彼が救急隊として現れて面くらうことになるのだが、ここはちゃんとした説明がほしいところだ。チーチンのイメージショットの過剰さに比べると、あまりに手抜きではないか。もちろんその映像の中には彼の妻への想いという部分もあるし、医師を辞めたのも、失意と妻が望むような時間を共有出来なかったことへの後悔、いや罪の意識すらあったことは想像に難くない。

妻の心がユンサムの中で生きていることを感じたコウは、彼女を追い求めずにはいられない。が、夫とは別居中(ユンサムの夫に対する思いやりの別居)のユンサムは、重い病をかかえていた。

ここまでの展開は許せる。偶然は多いにしても、まあ普通だろう。だが、ユンサムの夫のデレクがコウと瓜二つ(アンディ・ラウの二役)という設定は、あまりに受け入れがたい。コウがユンサムの夫になりすまし、ユンサムも自分の元から去った夫が戻ってきたと思い込む。って、いくら瓜二つでも夫婦なんだからすぐばれるでしょうに。

映画の後半で、映写ミスでピントが合わない状態(字幕は読める)になったこともあって、この先は上の空状態。ちゅーか、こんな映画の内容に、集中しろっていう方が無理だよね。

話の作り方はとにかくくだらなすぎで、例えば妻の死後、コウが時間と規則に忠実になったことを表現するのに、目の前の交通事故を、指示された仕事ではないからと無視して帰還しようとする場面まであるのだ。さすがに思い直して引っ返し、これがユンサムとの出会いになるのだが、いくらなんでもこんな発想はないだろう。

臓器移植についてはなかなか興味深い報告があって、ユンサムのなかにチーチンの心が生きているというのは、似た事例もいくつか報告されているようだし、それを支持している学者もいるが、話が杜撰だからそこまで踏み込むまでには至っていない。

きっと、アンディの(制作者でもある)アンディによる(主演)アンディのための(自己満足かや)の映画なんでしょう。

【メモ】

コウは自身が元医師で、妻の心臓移植にも同意したはずなのに、移植相手の身元を明かさないというルールを破る。

妻が死んだあともコウは妻の両親と同居している。

宣伝コピー「妻は生きている彼女の中で。一人で逝かせてしまったから、せめて残された時間は彼女の“心”のそばにいてあげたい」

原題:再説一次我愛●(●は人偏+尓) 英題:All About Love

2005年 102分 香港 ビスタサイズ 日本語字幕:■

監督・脚本:ダニエル・ユー[余國偉]、リー・コンロッ[李公樂] 撮影:ジェイソン・クワン 音楽:ジャッキー・チャン、マルコ・ワン

出演:アンディ・ラウ[劉徳華](コウ、デレク)、チャーリー・ヤン[楊采](ユンサム)、シャーリーン・チョイ[蔡卓妍](チーチン)、アンソニー・ウォン[黄秋生](ホー医師)、ラム・シュー[林雪](救急隊の同僚)、ホイ・シウホン[許紹雄](救急隊上司/チーチンの父)、ジジ・ウォン[黄淑儀](チーチンの母)