息子のまなざし

早稲田松竹 ★★★★

■息苦しい距離感が、許しを突き抜ける

オリヴィエ(オリビエ・グルメ)が木工を教えている職業訓練所に、フランシス(モルガン・マリンヌ)という少年が入所してくる。前半(といってもわずか4日ほどの話なのだが)は彼が何者で、オリヴィエが何故異常なほど彼に興味を示すのかという点に絞られる。

カメラは最初から最後まで手持ちで、ほとんどオリヴィエの頭に近い位置にあり、彼だけしか映さないわけではないが、彼と行動を共にする。つまり映し出される映像はオリヴィエのバストショットか、背後から彼を追いかけるものとなる。部屋から部屋に移動し、階段を一緒に駆け下りたりする。カメラが車の中にいてオリヴィエを追えなくなって途切れるようなこともあるが(彼がカメラから遠ざかることで視界が開けたりする)、また次のシーンでは定位置に戻っているのだ。

情報はかなり限定されているといっていいだろう。なのに物語の進行に差し支えがないのは驚きだ。会話と狭い範囲の視覚で事足りてしまうのだから。

普段、人に近づくことはあってもここまで執拗に見続けることはしないだろう。そんな失礼なことはしやしないからだし、この映画のカメラだって別にオリヴィエ以外の誰かの目線というわけではなく、単純に対象を追ったものと考えればいいのだが、やはりこの距離感は息苦しい。この息苦しさは何なのだろう。対象に近づくことで底知れぬ感情が渦を巻いていることを意識せざるをえないからだろうか。が、近づいたからといって何を考えているのかは当然わからない。

フランシスは木工課を望んでいたらしいが、手一杯とオリヴィエは断ってしまう。が翌日になると、何故かフランシスのことが気になってしかたがない彼は、溶接課にまで出向きフランシスを引き取ることにする。

この謎は、オリヴィエの別れた妻マガリとの会話であっさり明かされる。彼らの子供はフランシスに殺されたというのだ。マガリはオリヴィエに犯人がいる訓練校を辞めるように言うが、彼は取り合わない。実は前日にマガリはオリヴィエに再婚と子供が産まれることを知らせに来たのだが、この日のやりとりを見ていると、彼らがうまく行かなくなったのは、子供が殺された事件が影を落としているのだと思えてくる。

オリヴィエはこのあともフランシスの後をつけたり、鍵を一時的に盗み出してフランシスの借りている部屋に入りこんだりする。ベッドに横たわって、こんな異常なことまでして、彼は一体何を考えているのか。何をしようとしているのか。

訓練校からの帰えりにフランシスを車に乗せ、それをマガリに見られて「何をする気、狂気の沙汰よ」と詰め寄られるが、彼女に対する答えからでは、オリヴィエにも自分の行動は説明できないようなのだ。

次の日の土曜、彼は車でフランシスを連れて木材の仕入に向かう。製材所は休みで誰もいないが、そこはオリヴィエの弟が経営者で、彼は鍵を持っているのだ。製材所で木材の種類や用途をフランシスに教え、フランシスもノートを見ながら熱心に耳を傾ける。

ここまでの過程で、彼はフランシスに、起こした過去の事件の経緯をしつこくたずねていたのだが、ついに「お前が絞め殺したのは俺の息子だ」と言ってしまう。逃げるフランシス。怖がらなくていいと言いながら追いかけ、捕まえるとフランシスの首に手をかける。

結局何事もなかったように手を離し、森から車に戻り木材を車に積み込みはじめるオリヴィエ。そこにフランシスが現れ、一緒にロープがけの手伝いをはじめる。

最後の共同作業は、和解であり、未来の共同作業さえ示しているかに見える。オリヴィエはいつからこんな聖人君子になったのか。マガリとの会話ではフランシスの受け入れを匂わせていたから不思議ではないし、復讐(首に手をまわしたとはいえ、そこまで考えていたわけではないだろう)がまったく反対の形に転化してしまうことだってないとはいえないが、それ以前に、ここまで興味を持ってフランシスに接触するということが私にはやはり不可解だ。

私にはこの共同作業は、まずあるべき「許し」という地点を突き抜けてしまっているように思うのだ。許すということ自体が大変だと思われるのに。が、おかしなことに突き抜けてしまったことで、逆にそういうこともあるかもしれないという感想も持てたのだが。

ただそれでも、4日間という設定は少し早急ではなかったか。だからってこのカメラにこれ以上振り回されるのは無理なのだが。つまりこの表現方法故の4日間だったのかもしれない。

特異なカメラではあるが、もちろんフランシス側の気持ちもオリヴィエを通して描かれてはいた。睡眠薬を飲まないと眠れない毎日。11歳で事件を起こし、5年間少年院に。母親には嫌われ、父の居場所も知らないという。目測で正確な距離を言い当てるオリヴィエを尊敬し、何かと面倒を見てくれる彼に後見人になってほしいとたのむ。振り返りたくないだろう事件のことも、後見人になるなら知る権利があると言われて、告白するに至る。サッカーゲームに興じ、オリヴィエに勝って少年院でも無敵だったとはしゃぐ……。

原題はたんに「息子」だが、邦題だと自分たちの息子のまなざしがすべてを見ているというような感じもする。オリヴィエは、息子を殺したフランシスに、自分の息子を重ねているのだろうか。まさか。

無音のエンドロールで息苦しさからは突然解き放たれるが、言葉にならないものはいつまでも消えることがない。

【メモ】

オリヴィエは自宅に帰ると、椅子を使った腹筋をしている。

マガリ「再婚するの」。オリヴィエ「よかった」。マ「あなたは誰かいないの」。オ「ああ」。マ「それと子供が産まれるの」。

マガリを下まで追いかけて。オ「何故今日来たんだ」。マ「休みだから」。オ「何故今日なんだ」。マ「診断が出たから」。最後は怒ったように訊いていた。

オリヴィエが無断欠勤の少年を訪ねるシーンも。面倒見がいいのだろう。教えることが好きだとも言っていた。

フランシスとの握手は拒否してたし、製材所行きの途中で立ち寄った食堂での勘定はワリカンだった。

原題:Le Fils

2002年 103分 ベルギー/フランス 日本語字幕:寺尾次郎

監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック=ピエール・ダルデンヌ 撮影監督:アラン・マルコァン キャメラ:ブノワ・デルヴォー 録音:ジャン=ピエール・デュレ 編集:マリー=エレーヌ・ドゾ 美術:イゴール・ガブリエル

出演:オリビエ・グルメ(オリヴィエ)、モルガン・マリンヌ(フランシス)、イザベラ・スパール(マガリ)、レミー・ルノー(フィリポ)、ナッシム・ハッサイーニ(オマール)、クヴァン・ルロワ(ラウル)、フェリシャン・ピッツェール(スティーヴ)、アネット・クロッセ(職業訓練所所長)

ある子供

早稲田松竹 ★★★☆

■子供が親になりまして……

20歳のブリュノはいい加減なヤツだ。まだ小学生か中学生くらいのスティーヴたちを使って盗みを働いてのその日暮らし。18歳のソニアが妊娠して入院すれば、同居していた彼女のアパートは貸してしまうし(映画は出産してアパートにソニアが帰ってくる場面から始まる。この導入部はよく考えられている)、生まれてきた子供にも関心がなさそうだ(わかるけどね)。彼女にも「(入院中に)見舞いにも来てくれないし」となじられていた。

一体ソニアはブリュノのどこを好きになったのだろう。ふたりが子犬のようにじゃれあう姿はあまりに無邪気すぎて、うらやましく思う反面、やはり子供の親としては心もとなくて心配になるばかりだ。

それでもソニアには子供を産んだ母親としての自覚がはっきりと芽生えているから救われる。ブリュノにはちゃんとした職に就いて欲しいのだが、ブリュノは「クズ共とは働けない」とどこまでもお気楽で、職安の列にも並びたがらない。

ソニアが代わりに列に並び、子供の乳母車をブリュノがひくことになるのだが、ひとりになった途端、盗品の売りさばき先(闇ルート)で子供が高く売れる話を思い出し、それこそ思いつきのように話をまとめ、売ってしまう。ここはあれよあれよという間に話が進み、すぐにお膳立てされた場所で子供とお金が交換されていく。

映画は、前編ドキュメンタリーのような作りで、だからこの場面は怖い。『息子のまなざし』と手法は似ているがカメラの位置は多少引き気味で、多少は余裕をもって画面を追えるからあそこまでの息苦しさはないのだが、淡々と取引が進行することが緊迫感を生み出すのは同じだ。

悪びれた様子もなくお金を見せるブリュノにソニアは卒倒し、病院に運び込まれる騒ぎとなる。

ブリュノにソニアの反応が予想できなかったのにはあきれるが、なるほど「ある子供」とはやはり彼のことだったのだ。靴の泥で壁を汚し、その印がどのくらい高くまでつけられるかというひとり遊びに興じていたが、あれはまぎれもなく彼の、そのままの姿だったわけだ。20歳にしてはあまりに幼くて、後になって警官に「俺の子じゃない」とか「浮気したいからムショに送る気だ」とソニアを非難する嘘の言い逃れをしたり、一転ソニアに泣きつき金をせびるあたりでは、観ているのがつらくなるほどだ。

話が前後するが、ソニアに訴えられるかもしれないと思ったブリュノは売ったばかりの子供を引き取ることにする。売った時と同じような手順がここでまた繰り返されるのだが、普通の劇映画のような省略や緩急をつけた演出ではないから、ある部分ではいらつくような流れになるのだが、それがまた心理的な効果を増幅し静かな怖さを呼び戻す。

子供の買い戻しはあっさりできたものの、ブリュノは儲け損なった闇ルートの一味に身ぐるみはがれ、多額の借金を負うことになる。そして、スティーヴを使ってのひったくり。そして、金は奪ったもののこれが失敗してブリュノはムショ送りとなる。

ブリュノはやることは子供で何の考えもないのだが、ある部分では憎めないところがあるのも確かだ。言われれば子供の認知もするし、仲間うちでのルール(盗みの配分)もきっちり守っている。自分のせいで冷たい川に入ったスティーヴを必死で介抱するし、スティーヴが捕まれば自分が首謀者であると名乗り出る(もっともこれには闇ルートからの追求には逃れられそうもないということもあるだろう)。

ソニアはブリュノのそういった部分を好きになったのだろう。だから最後は彼女が服務中のブリュノに面会するという感動的な場面になる。ここではじめてブリュノは息子のジミーの名を自分から口にする。

だけどねー、意地悪な見方をすればここでもブリュノはまだまだ子供なのではないか。若年層の失業率が20%というベルギーの状況をふまえての映画ということでは意味があるのかもしれないが、ブリュノがまだ善悪を知らない子供として描かれている、つまりは最初から救いはあったという観点からいうと、すごく甘い映画にしかみえないのだ。

【メモ】

育児センターの職員が、子供の様子を見にくる。

先のことなど何も考えず、余ったお金でソニアに自分とお揃いの皮ジャンを買う。

じゃれ合うのはソニアからも。飲みかけの飲料をブリュノにふりかけて、追い駆けっこを始めるふたり。

「子供は売った。またできるさ」。このセリフのあとにソニアが卒倒するのだが、卒倒場面は『息子のまなざし』でも出てきた。卒倒好きなのね。でもこちらの方が自然だ。

ブリュノが子供を取り戻して病院に戻るとソニアは警察を呼んでいた。ここで浮気発言になるのだが、子供は(自分の)母親に預けていた、という嘘もつく。このあと母親に口裏を合わせてもらいに母のアパートを訪ねるのだが、母は見知らぬ男と一緒にいる。

往来の激しい車道を主人公たちは何度か横断する。単純だがこれが不安感を煽る。子供を抱いて渡る場面では実際はらはらしてしまった。

最後はまた無音のエンドロール。

原題:L’Enfant2005年 95分 ビスタサイズ ベルギー、フランス PG-12 日本語字幕:寺尾次郎

監督・脚本:リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ 撮影監督:アラン・マルコァン、カメラマン:ブノワ・デルヴォー カメラ・アシスタント:イシャム・アラウィエ 録音:ジャン=ピエール・デュレ 編集:マリー=エレーヌ・ドゾ 美術:イゴール・ガブリエル

出演:ジェレミー・レニエ(ブリュノ)、デボラ・フランソワ(ソニア)、ジェレミー・スガール(スティーヴ)、ファブリツィオ・ロンジョーネ(若いチンピラ)、オリヴィエ・グルメ(私服の刑事)、ステファーヌ・ビソ(盗品を買う女)、ミレーユ・バイ(ブリュノの母)