悲夢

2009/2/14 新宿武蔵野館3 ★★☆

キム・ギドク、オダギリージョー、イ・ヨナンのサイン(監督のサインはこれだと切れちゃってますが)『悲夢』ポスター

■パズルとしては面白そうだが

ジンという男の見る夢が、ランという見ず知らずの女を夢遊病という行動に走らせるという、まあくだらない話。

くだらないのは設定だけじゃない。自分が眠ってしまうことでランに犯罪を起こさせてしまうことを知ったジンが、何とか眠らないように努力をするのだけれど、努力したってもねー。ランが殺人事件を起こしたあとには「もう絶対眠りません」とまで言っていたジンだけど、そしてそれはランを好きになったからにしても、幼稚すぎて失笑するしかないではないか。目を見開いたり、テープを貼り付けたりはコメディレベルだけど、頭に針や彫刻刀を刺したり、足をカナヅチで叩いたりは異常者でしょうが。

ジンは印鑑屋(芸術家?)で、ランは洋裁(デザイナー?)で食っているらしいから、もともと無関係な2人が時間帯をずらすのは(どちらかが昼夜を逆にすれば)そう難しいことではないはずなのに、眠るのを我慢しようとしたり(交替で寝ようとはしていたが、同じ時間帯でやろうってたってさ)、手錠を嵌めてランの行動を制限しようとするのだけれど、手錠の鍵を隠そうともしないから(何これ)、取り返しのつかないことになってしまう。

そんな細かいことに一々目くじら立てなさんな、とキム・ギドクは言いたいのだろう。なにしろオダギリジョーは最初から最後まで日本語のセリフで通してしまうし、もちろん劇中でそんなことに驚くヤツなど誰もいない、韓国が舞台でも日本語の通じてしてしまう映画なのだ。

あんまりな話(くだらなさには目をつむってもこの評価はかえようがない)ということを別にすれば、ジンの夢とランの現実という構造はなかなか興味深いものがある。ジンは別れた恋人が忘れられない。それが夢となって結実すると、眠りに中にいるランを夢遊病者に仕立て、別れた恋人に引き合わせることになる。ランは別れた恋人をものすごく嫌っているというのに。

ジンの元恋人は男が出来てジンをふったらしいのだが、その男というのはランがふった男で、つまりジンとランの元恋人同士が恋人という(ああややこしい)、入れ子のような関係になっているわけだ。最初に無関係な2人と書いてしまったが、ジンの夢で繋がっているだけでなく、現実でも間に1人置くようにして2人は繋がっているのである。

この4人が葦原にいる場面では、奇妙さよりも胸苦しさを覚えてしまう。思いは伝わらずねじれたように4人を行き来する。はじめこそ第三者のようにしていたジンとランだが、それぞれ影のように存在する同性に自分の姿を見てしまうのか、互いにその同性を慰めたりする。が、考え出すとこの場面はわからなくなる(これも夢なのか)。

なるほど映画の早い段階で女精神科医が言っていたように、ジンの幸せはランの不幸で、「2人は1人」なのだから「2人が愛し合えば」解決することなのかもしれない(白黒同色という言葉が出てくる。ジンがこの言葉を刻印している場面もあったし、タイトルの「悲夢」も印影が使われていた。そういえば、ジンは印面に鏡文字を直接描いていたが?)。

結局、ジンはランに対する責任感もあって彼女のためにいろいろ手を尽くし、それが好意に変わっていったのだろう。ランの方も、最初こそ自分の置かれている状況が理解出来ないでいたが、自分に代わって罪まで負おうとするジンの姿勢に、最後は「どんな夢でも恨まない」と彼に言う。

結ばれる運命にあった2人という話の流れがあっての結末なのかも知れないが、ジンの夢は恋人が忘れられないくらい思い詰めているから見たものだし、これでは辻褄が合わなくないか。それに何故、恨まないと言われたのにジンは自殺しなければならなかったのか。それとも、これもやはりジンのランに対する愛(夢で人を操作することの嫌悪も含まれた)と解すればいいのか。

パズルとしての面白さはそこここにあって、蝶のペンダントの役割なども考えていけば、もう少しは何かが見えてきそうな気もするのだが(ただ胡蝶の夢を表しているだけなのかも)、これもそこここにあるくだらなさが邪魔をして、何が何でもパズルを解いてやろうという気分には至らない。ジンの仕事場、町の佇まいやお寺など、撮影場所は魅力的だったのだが……。

原題:悲夢 ・・ェス 英題:Dream

2008年 93分 韓国/日本 ビスタサイズ 配給:スタイルジャム PG-12 日本語字幕:●

監督・脚本:キム・ギドク 撮影:キム・ギテ 照明:カン・ヨンチャン 音楽:ジ・バーク

出演:オダギリジョー(ジン)、イ・ナヨン(イ・ラン)、パク・チア(ジンの元恋人)、キム・テヒョン(ランの元恋人)、チャン・ミヒ(医師)、イ・ジュソク(交通係調書警官)、ハン・ギジュン(強力係調書警官)、イ・ホヨン(現場警官1)、キム・ミンス(現場警官2)、ファン・ドヨン(警官1)、ヨム・チョロ(警官2)、ソ・ジウォン(タクシー運転手)

HERO

楽天地シネマズ錦糸町-1 ★★☆

■ちんちくりんのゆで卵との掛け合いは楽しいんだが

テレビドラマの映画化ということで、ある程度ドラマを観ていた観客を想定して作られているようだ。だから門外漢が口を出すとおかしなことになりそうだが、しかしそのテレビも放送されていたのは6年前らしく、この6年の空白が映画にも引き継がれている内容になっているのは面白い。

でもということは、久利生公平(木村拓哉)は、テレビではチョンボを犯して飛ばされていたってことになってしまいそうなのだけど。あれ、違うのかな。どうもこういうちょっとしたことがわからず、困るところがいくつもあった(だからってつまらなくはないんだけどね)。

例えば滝田明彦(中井貴一)の扱いなど違和感が残るばかりで(久利生の性格を語る重要な場面でもあるのだが、やっぱり必要ないよね)、さらに雨宮舞子(松たか子)とも連絡すらしていなかったって、そんな。

「6年も」とやたら言葉にはこだわっていたが、言葉以外では空白を埋めようとしていないけど、これで納得なんだろうか。6年も離れていて、違いが雨宮の香水くらいというのは、それほど信頼関係があるということなのかもしれないのだけど、手抜きではないよね。東京地検の城西支部には久利生の席が当然のようにあり、同じように?雨宮が久利生の事務官となるというのもねー。

こういうたぐいの演出は他にもずいぶんあって、裁判所から傍聴人がほとんど退席していなくなったり、そこに久利生の同僚たちが新たな証拠を持って現れたりするのだが、この羽目の外し方はドラマを踏襲しているのかもしれないが、作品としては軽いものになってしまう。久利生に検事としてはラフな恰好をさせた時点で、そんな細かいことには文句を言うなってことなのかもね。

被告も犯行を認めていた単純な傷害致死事件が、花岡代議士(森田一義)の贈収賄事件に利用されたことで予想外の展開となっていく。花岡側がうかつにもアリバイ工作に久利生が担当していた事件の被告を使ってしまったことから、その場所にいてはいけない被告が犯行を否認。そしてやっかいなことに蒲生一臣(松本幸四郎)というやり手の弁護士がつくことになる。

窮地に立たされる久利生だったが、雨宮が「どんな小さな事件にも真剣に取り組み」「決して諦めない」彼を、そして一見バラバラな城西支部の連中が、意外なチームワークを発揮して地道な協力を厭わず、というのはもうドラマでも繰り返されてきた筋書きなんだろうが、この一体感は現実にはそう味わえそうもない心地よいものだ。サラリーマンの夢の代弁である。

ただ、犯行の車を追って韓国でも聞き込み調査を繰り広げるあたりは、さすがにだれる。最後に証拠のためケータイの写真を探す場面でも足で稼ぐ聞き込みがあるから、本当にこれはこのドラマの持ち味にしても、こんなに効率が悪いことをしていたんじゃ、見つかっても見つからなくて話が嘘っぽくなってしまう。第一、韓国語もわからない2人を送り込んだりするのだろうか。「彼女を絶対離すな」と言うイ・ビョンホンの使い方はいいのに残念だ。

でもそんなことより1番残念なのは蒲生を話のわかる弁護士にしてしまったことだ。久利生の姿に昔の自分をみて方針を変えたと思わせるような場面もあるのだが、そこまでの深みはない。裁判が真実を明らかにする場所から裁判というゲームになりかけている風潮を考えるなら、ここは蒲生を悪徳弁護士にしておいてもよかったのではないか。蒲生に負けて廃人になってしまった検事もいると言わせているんだから、そのくらいの凄味はほしい。

裁判という敷居の高いものを、ドラマの気安さでわかりやすくみせてくれるのはいいのだが、「人の命の重さを知るための裁判」などと言い出すと少し荷が重くなってしまうようだ。雨宮を「ちんちくりんのゆで卵みたいなヤツ」と久利生に評させている時は快調なんだけどね。うん、2人は名コンビかな。

  

2007年 130分 シネスコサイズ 配給:東宝

監督:鈴木雅之 製作:亀山千広 プロデューサー:現王園佳正、牧野正、宮澤徹、和田倉和利 エグゼクティブプロデューサー:清水賢治、島谷能成、飯島三智 統括プロデュース:石原隆 企画:大多亮 脚本:福田靖 撮影:蔦井孝洋 美術:荒川淳彦 編集:田口拓也 音楽:服部隆之 VFXスーパーバイザー:西村了 スクリプター:戸国歩 ラインプロデューサー:森賢正 照明:疋田ヨシタケ 録音:柿澤潔 助監督:片島章三、足立公良 監督補:長瀬国博
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出演:木村拓哉(久利生公平)、松たか子(雨宮舞子)、松本幸四郎(蒲生一臣)、香川照之(黛雄作)、大塚寧々(中村美鈴)、阿部寛(芝山貢)、勝村政信(江上達夫)、小日向文世(末次隆之)、八嶋智人(遠藤賢司)、角野卓造(牛丸豊)、児玉清(鍋島利光)、森田一義(花岡練三郎/代議士)、中井貴一(滝田明彦)、綾瀬はるか(泉谷りり子)、国仲涼子(松本めぐみ)、岸部一徳(桂山薫/裁判長)、山中聡(里山裕一郎)、石橋蓮司(大藪正博)、ペク・ドビン(キム・ヒョンウ)、眞島秀和(東山克彦)、波岡一喜(梅林圭介)、長野里美(柏木節子)、イ・ビョンホン(カン・ミンウ)、伊藤正之(川島雄三)、正名僕蔵(井戸秀二)、田中要次(マスター)、古田新太(郷田秀次/放火犯)、MEGUMI(河野桜子)、奥貫薫(芝山良子)、鈴木砂羽(黒川ミサ)

眉山

2007/05/29 109 ★★

■かっこいい母であってくれたなら(願望)

母の死に至る数ヶ月を娘の目で綴った作品。

32歳の河野咲子(松嶋菜々子)は母の龍子(宮本信子)が入院したという知らせを受けて東京から徳島へ帰る。慌ただしく着いた病室からは、龍子の看護師の仕事ぶりに対する叱責が聞こえてきて、咲子はいきなりイヤな気分になる。

神田生まれの江戸っ子の龍子は、徳島に来てからは小料理屋を切り盛りしながら、女手ひとつで咲子を育ててきた。気っぷがよくて分け隔てのない性格でファンの多い龍子だが、その遠慮のない物言いで衝突することも少なくなかった。娘にとってはそれが耐えられないのだ。

この母を見る娘の視点は大いにうなずけるもので、この場面に親近感を持った人は多いのではないか。ただずるいのは、龍子がちょっとかっこよすぎることだろうか。私の母も龍子と少しながら似た要素を持っているのだが、遙かに年上で、だから加齢による偏狭さも加わっていて(じゃないのかなー。もともとの性格かしらね)、そしてその息子である私も映画の咲子ほどには母のことを本心から考えていないから、それは納得なんだけど。

話がだいぶそれてしまったが、そもそもそういう想いを抜きにしては観られない映画で、作り手もそれを意識していると思われるところがある。映画という完成度は低くなるが、それでもいいかなという、割り切りが感じられるのだ。

咲子は東京でひとりながらちゃんと生活しているキャリアウーマンである。旅行代理店の企画という仕事の厳しさを導入できっちり描いているのに、一旦徳島に帰ってしまうと、会社に連絡をとっている場面こそあるものの、もうそのあとは仕事のことなどすっかり忘れてしまったかのようなのだ。余分と思われるものは思いきって削ぎ落として、母と娘に直接関係するものだけに絞り込んでいるのである。

この母娘は「仕事は女の舞台」(これは龍子のセリフ)と考えていて手を抜かないし(だから仕事の場面が最初だけというのがねー)、互いに相手を頑固と思っていそうだし、やはり似ているのだろう。だから余計父のこととなると素直にはなれず対立してしまうのかもしれない。咲子はかすかに記憶のある父に会いたくて仕方のない時期があったのだが、母には死んだと言われていたのだ。お父さんとは結婚していないけれど、大好きな人の子だからお前を産んだ、と。

そう言われてそのまま長い年月が経ってしまっていたが、龍子の店の元板前で今も信頼関係にある松山(山田辰夫)から、死後渡すように言われていた「遺品」を受け取り、そこにあった篠崎孝次郎(夏八木勲)という男からの手紙の束を読んで、その男が父で、多分まだ生きていることを確信する。

思い切って問いただすと、龍子はお互い様だと言う。咲子が末期ガンを告知しないでいることを知っていたのだ。

映画とはいえ、2人の関係は羨ましい。龍子は、人様の世話にはなりたくないと車椅子に乗ることを拒否したり、人形浄瑠璃では客席で舞台に合わせて小さいとはいえ声を出したり、我が儘な部分も見せるのだが、私の母もこれくらいなんだったら許しちゃうんだけどな(あれ、また自分のことを書いてるぞ)。

咲子が東京に戻って父を訪ねたり、病院の医師寺澤大介(大沢たかお)と恋人になっていく過程を織り込みながら、しかし情報量としては最小限にとどめているため、観客は自分の中にある母への想いという個人的な感情を思い出しながら映画を観ることができるのだ(弁解してやんの)。

そうして映画は、2つの見せ場を用意する。1つは阿波踊りの中での母と父との再会だ。迫力ある阿波踊りが繰り広げられているところを横断する咲子という暴挙もあれば、そもそもこんな混乱の中で出会うという設定自体がボロいのだが、ここでも阿波踊りを隔てた遠景で篠崎と再会を果たした龍子が寺澤に「そろそろ帰りましょうか。十分楽しませてもらったから」というセリフが爽快で、まあいいかという気持ちになる。

2つ目は、龍子が死んで2年後に、献体依頼時に龍子が書いていたメッセージを咲子が読む場面。「娘河野咲子は私の命でした」と書かれたその紙は、本来医学生宛のもので、咲子が読むべきものではないという説明がすでにされていて、この抜け目のなさは感涙度を高めている。

献体はこの作品のもう1つのテーマで、咲子の父が医師であることが龍子に献体をさせたのだし、彼女が咲子の相手の寺澤医師に信頼を寄せた(むろん軽はずみな失言に対してすぐ詫びを入れてきたという部分が大きかったのだろうが)理由があるというわけだ(医学や医師への理解は、篠崎への愛の揺るぎなさからきているはずだから)。

流れであまりけなしていないが、全体として説明不足なのは否めない。30年ぶりに徳島に帰ってきたのだから篠崎にだってもっと語ってもらいたいところだが、語らせたら結局はどこにでもある不倫話にしかならないと逃げてしまっていては、映画にいい点はあげられない。

なのに、こんなダメ映画に泣いてしまった私って……。

   

2007年 120分 シネスコサイズ 配給:東宝

監督:犬童一心 原作:さだまさし『眉山 -BIZAN-』 脚本:山室有紀子 撮影:蔦井孝洋 美術:瀬下幸治 編集:上野聡一 音楽:大島ミチル 主題歌:レミオロメン『蛍』 照明:疋田ヨシタケ 録音:志満順一
 
出演:松嶋菜々子(河野咲子)、宮本信子(河野龍子)、大沢たかお(寺澤大介)、夏八木勲 (篠崎孝次郎)、円城寺あや(大谷啓子)、山田辰夫(松山賢一)、黒瀬真奈美(14歳の咲子)、永島敏行(島田修平)、中原丈雄(小畠剛)、金子賢(吉野三郎)、本田博太郎(綿貫秀雄)

百万長者の初恋

テアトルタイムズスクエア ★

■ヒョンビンとヨンヒを見るだけのめちゃくちゃ映画

18歳になって、祖父の作り上げた財団という莫大な遺産が転がり込むはず(住民登録証というのが必要らしい)でいたカン・ジェギョン(ヒョンビン)だが、相続には田舎にあるポラム高校を卒業しなければならないという条件(祖父の遺言)がついていた。18歳の男にこれから高校を卒業しろとは、ジェギョンというのは昔から相当の放蕩息子だったのか、祖父に先見の明があるのか、それとも脚本がいい加減なだけなのか(余計なことだが韓国の学制は6・3・3・4制である)。

しかたなく生徒になったジェギョンだが、退学処分になれば遺産が相続できるのではないかと考え、登校早々同級生のミョンシク(イ・ハンソル)に喧嘩を売って彼に殴りかかる。が、彼の父親からは男は喧嘩をして育つものだと言われ、家で夕食をご馳走になってしまう。ウォンチョル校長(チョン・ウク)には支援金を寄付するから退学させてくれとかけ合うが、信念の人である校長が動じるはずもなく、遠回りでも正しい道をと諭される。

ポラム高校と指定されていた理由を考えないジェギョンがそもそも間抜けで、だいたい卒業が条件というのに強制退学では通りっこないのだが、というより映画がすべてにアバウトなのだ。それは遺産に難病のヒロインと、臆面のない設定をしていることでもわかる。

ジェギョンのキャラクターも最初こそ金持ちを鼻にかけた嫌味なものだが、田舎に呼び寄せた悪友たちが、自分がぶつかってばかりいたイ・ウナン(イ・ヨンヒ)を悪く言うと、もうその時点ではウナンの味方になっているのである。

クラス委員でもあるウナンは、自分が育った恩恵園という施設の子供たちのためにアルバイトでミュージカルの費用を稼いでると。健気なのだ。そんで、というかなのに、彼女は肥大性心臓疾患という不治の病にかかっていた、ってねー。

深刻なのにふざけたくなるのは、映画がそうだからで、この心臓病の危険さを語った医者に、愛が恐ろしい(動悸で心臓に負担がかかるから)と言わせて、ジェギョンもウナンにきつい言葉を浴びせて別れようとするのだが、失恋は感情がたかぶらないとでもいうのだろうか。

病気のウナンはこのあとも普通に働いていたし、どころか心臓が故障したみたいと言ったかと思えばミュージカルで激しい踊りを披露したり(『サウンド・オブ・ミュージック』なのだが、映画とはイメージの違う別物)と、このいい加減さは筋金入りなのである。

なにしろ病室にいつまでも2人っきりでいたり、途中からは同棲生活のようなことまではじめてしまうし……ようするに2人の甘ったるい会話が成立さえすれば、あとは何でもありという映画なんだろう。

だから、実はジェギョンとウナンは幼なじみで、それで巻頭にあった場面の謎が解けるのだが、しかしそれが明かされたころには、もう物語などどうでもよくなってしまっているのである。

なのに飽きずに映画を観ていられたのは、ウナン役のイ・ヨンヒが可愛らしかったからだ。写真だと特に好みというわけではないのだが、画面で動いている彼女の表情や仕草にはデレッとしてしまう。なにより今の日本の女の子のような人工的な感じがしないのがいい。映画館はヒョンビン目当ての女性が多そうだった(女性率95%)が、配給会社はこのイ・ヨンヒをもっと売り込むべきではなかったか。

しかし、それにしても何故「日本版エンディング曲」をつけたがるのか。しらけるだけなのに。

 

【メモ】

http://blog.naver.com/hyunbin2005 ←映画未公開映像「ドレミの歌」。こちらは元の映画と似た作りになっている。

原題:・ア・護棗・川攪 ・ォ・ャ・曾r
英題:A Millionaires First Love

2006年 113分 ビスタサイズ 韓国 日本語字幕:根本理恵

監督:キム・テギュン 脚本:キム・ウンスク 音楽:イ・フンソク
 
出演:ヒョンビン(カン・ジェギョン)、イ・ヨンヒ(イ・ウナン)、イ・ハンソル(ミョンシク)、チョン・ウク(ウォンチョル校長)、キム・ビョンセ(ユ弁護士)