さんかく

テアトルダイヤスクリーン2 ★★★★


写真1、2:劇場に掲示してあったサイン入りポスター。

■男の馬鹿なところ

勘違いはしちゃいそうだが、けれど、あそこまでしつこく桃のケータイに留守電を入れ続ける百ちゃんは、本当に馬鹿なのだった 。映画を観ている私は少しは冷静だから、こんな行動はありえない気もしたのだけれど、桃とキスまでしちゃったのなら、やはりそうしちゃうんだろうか。

で、そんな馬鹿な百ちゃんをいつまでも好きな佳代が、こちらも相当馬鹿なのだけど、だんだんいじらしく思えてくるのは、映画を観ている限りでは冷静な私も、実は(というより当然)馬鹿だったりするわけで……。

最後の方に、百ちゃんがはるばる佳代の田舎を訪ねてきた真相を、佳代に知られてしまう何ともうまい場面がある。二人を前に選択を余儀なくされるようなラストもいい感じだ(ま、実はその直前に百瀬にも自分が大切にしなくてはいけないものは何かはわかるのではあるが)。

この理詰めの展開が効いているのだが、観ている時にそういう印象が少しもないのは、いかにも吉田恵輔監督らしい、と言っていいのだろうか。

百ちゃん、佳代、桃の三人が、三人共ストーカー(桃のは、百ちゃんや佳代に比べれば多少軽症ではあるが)に走ってしまうっていうのもおかしくって、そしてちょっぴり悲しくもある。

 

2010年 99分 ビスタサイズ 配給:日活 映倫:G

監督・脚本・照明:吉田恵輔 プロデューサー: 有重陽一、三浦剛、深津智男、曽我勉 企画:石田雄治 撮影:志田貴之 美術:藤田徹 編集:松竹利郎 音楽:佐々木友理 主題歌:羊毛とおはな『空が白くてさ』 スタイリスト:小里幸子

出演:高岡蒼甫(百瀬)、田畑智子(佳代)、小野恵令奈(桃)、矢沢心(佳代の友人)、大島優子、太賀、赤堀雅秋

重力ピエロ

新宿武蔵野館3 ★★★★

写真1:おっ、また出演者の不祥事か……と思ったが(『今度の日曜日に』の時と同じと思ってしまったのだな)、何のことはない、5.23という公開日を武蔵野館が紙を貼って消しているだけだった(この変則?公開のお陰で観ることができたのだが)。あと、別に「エロ」を強調しているわけではなくて、たまたま……。写真2:元のポスターはこれ。

■親殺しを肯定

泉水と春の兄弟が市内(舞台は仙台)で起きている連続放火事件に興味を持ち、その謎を追う。春が落書き(グラフィティアート)消しの仕事をしているうちに、必ずそのすぐ近くで放火が起きていることに気付き、泉水に相談したのだった。

そしてこの謎が、自分たち家族に刻印されてしまった、ある忌まわしい事件と結びついていることが次第にわかってくる……。

まず、この落書き消しの仕事っていうのが、そもそも怪しいんだが、それには触れていないのがどうもね。バラバラな場所で書かれた落書きなのに(ということは依頼主もバラバラだろうから)、その始末を何で春が全部やっているんだろう、とかね(そりゃ春が手を回せば仕事を取るのは可能にしても、泉水にはそのことも含めて不自然なのがわかってしまいそうなんだもの。ま、最終的には、気づけ!という意味もあるんで、これで正解なのかもしれないが)。

これに限らず、この落書きがあるメッセージを持っていて、それが遺伝子配列を使った暗号だということがわかったりするのだが(泉水は大学院で遺伝子を研究しているのな)、このミステリー部分は、実はいらなかったりもするのだな(え、そんな!)。

この凝ったつくりは、原作(未読)が伊坂幸太郎だからのような気もするが、そしてだからってそれほどうるさくはないのであるが(仕掛けが多い割にはわかりやすい映画だろうか)、泉水を巻き込む必要があったとはいえ、春の凝りようは凡人には理解しづらい面がある。

また、二十四年前のレイプ事件(犯人は高校生だった)で授かってしまったのが春で、その噂話が家族を苦しめ(転居もするのだが、父の正志が公務員ということもあって、噂話圏内からは逃れられなかったのか)小学生の時には泉水と春にもそのことが耳に入っていたという場面(春の疑問に、泉水はとっさにファンタ・グ・レイプと誤魔化す)は、映像になると突出してしまうので、もう少しぼかしておいてもよかった気がする。

けなしてばかりなのに、★四つ評価なのは、この作品には別の魅力があったからで、泉水の兄としての微妙な立場の描き方がその一つ目だ。

なにしろ彼の弟は、カッコがよくて女の子にはもてるし、これはおまけだが絵もうまい。ぼわっとしたイメージの泉水としては、どうしても弟と比較されてしまうから相当ストレスがあったらしいのだが、泉水は(むろん春も)両親の愛情の下、それがけっしてやっかみにはならないように育てられたのだった。とはいえ春の出生の秘密を知っていて、仲のいい兄弟でい続けるのは難しいことだったと思われる。

そしてこの作品は、泉水の目を通して語られる家族の物語であり、そこに春は何よりも不可欠な存在としてあるのである。

二つ目は春が実の父親を殺してしまうことで、これについては「ムチャクチャだな」と泉水に言わせてはいるが、警察に行くという春を泉水は「世の中的には悪いことじゃない」と断言し、そして「実は俺もあいつを殺そうとした」と春に告白するのだった(事実これは実行段階寸前だった)。

最後の場面は父の死後(結局胃癌で死んでしまったのだった)、二人が父の趣味をついで?養蜂作業(蜜の分離)をしているところで終わっている(注1)から、あの泉水の言葉は、春が自首することをおしとどめたようである。つまり作品として、春の行為を正当な殺人として肯定しているのである。そして、どう考えても「ムチャクチャ」なのに、それを受け入れてしまっている自分がいて、これも驚きなのだった。殺人はバットを何度も振り下ろすという、かなり残忍なものだったのに。

確かに春の実父葛城由紀夫の精神構造は不快としかいいようがないもので(好きになれない渡部篤郎だが、この役はうってつけだった)、こいつの言い分を聞かされていると、あまりの身勝手さに怒りが湧いてくる(三十人レイプは葛城の青春の一ページになってしまうし、他のセリフも書くのが躊躇われるようなものばかりなのだ)。正義など、それを振りかざす人間の数だけいるのだろうとは思うが、ここまで極端だと、こちらの正義をぶつける気にもならなくなってしまう。

むろん、だから殺人を犯していいのかといえばすぐには頷けないのであるが、春を責める気になるのも難しい。尊属殺人罪など、とうの昔になくなりはしたが、同じ殺人でも親殺しや子殺しになると、今だに道義的な解釈が余計にプラスされてついてまわることになる。親子関係というのはどうしてもそういう部分から抜けられないのだろう。

あんな奴が実の父親であることがわかったら、一体どんな気持ちがするだろうか。そして遺伝子は、いろいろな部分を葛城から春に正確にコピーしているのである(注2)。だから、春は女性に興味がないみたい、なのではなく、興味を持たないようにしていたのかもしれないではないか。学生時代にクラスのむかつく女をレイプしようとした相手に本気で向かっていったのは、そういうことだったのである。

市内の落書き消しという凝った設定がわかりづらいと最初の方で書いたが、もしかしたらそれは、春にとっては父親(が過去に三十件ものレイプをした場所)の痕跡を消す作業だったのかもしれない。そこに父親を度々呼び出し、春なりに過去に向き合わせようとしたのに、葛城は反省するそぶりすら見せなかったのだろう。

春がこのことを泉水に知らせようとしたのは、自分は臆病で大事な時には兄貴がいないと駄目、だからと言うのだが、これはあまり説得力がない。自分の中にある暴力性に自信が持てない春が、表面的には役に立ちそうもない泉水を側におくことで、抑止力としていたと考えればわかりやすくなるが、どうだろう。

あと映画を観ていて気になったのが、家族四人でサーカスに行った場面で、この時のことが題名になっているので外せなかったのだろうが(注3)、これと「俺たちは最強の家族」という言葉が繰り返される部分は、削除した方がいいと思うのだが。

注1:厳密にはこのあとストーカー女の夏子があらわれ、そして巻頭と同じ「春が二階から落ちてきた」というモノローグに合った場面となる。

注2:「どうして僕だけ絵がうまいの」というセリフはあったが、これが葛城の遺伝かどうかは定かではない。アルコールに弱いのは共通している。

注3:「家族の愛は重力を超える」はポスターの惹句だが、そう言ってたかどうかは忘れてしまった。楽しくしてれば地球の重力だって消せる、だったか。空中ブランコをしているピエロが落ちそうになるのを心配する子供たちに、大丈夫よ、と母親が言ってくれるのだ。

  

2009年 119分 ビスタサイズ 配給:アスミック・エース

監督:森淳一 プロデューサー:荒木美也子、守屋圭一郎 エグゼクティブプロデューサー:豊島雅郎 企画:相沢友子 原作:伊坂幸太郎『重力ピエロ』 脚本:相沢友子 撮影:林淳一郎 美術:花谷秀文 編集:三條知生 音楽:渡辺善太郎 音楽プロデューサー:安井輝 主題歌:S.R.S『Sometimes』 VFXスーパーバイザー:立石勝 スクリプター:皆川悦子 照明:中村裕樹 装飾:山下順弘 録音:藤本賢一 助監督:安達耕平

出演:加瀬亮(奥野泉水/大学院生)、岡田将生(奥野春/泉水の弟)、小日向文世(奥野正志/泉水の父、元公務員)、吉高由里子(夏子/春の元?ストーカー)、岡田義徳(山内/泉水の友人、大学院生)、渡部篤郎(葛城由紀夫/春の実父、デリヘル業)、鈴木京香(奥野梨江子/泉水の母)

スター・トレック

新宿ミラノ2 ★★☆

■最強物質電送機

(スタートレックに詳しい人は読まない方がいいかも)

CGの技術が日進月歩だから、というのも理由になるのではないかと思うが、エンタメ系SF人気作のリメイクや続編が装いも新たにといった形で登場(ビギンズやエボリューションとして)している。この作品は題名もシンプルに『スター・トレック』のみ。つまり今までの作品は清算して、ここからまたはじめるつもりなんだろう。

そういうわけで、ジェームズ・T・カークやその他の乗組員たちが、ロミュラン人のネロが引き起こした事件に平行して、揃っていくという物語になっている。ただ、特にファンでもない私など(映画も二、三本しか観ていないはす)、スポックの変わったイメージくらいしか頭に残っていないから、これはおいおいでもよかったのだが……。

カークとスポックに関しては少年時代から始めている。まずカークだが、これがなんとも危ない少年なのだ。度胸試しだけならまだ自己責任と見逃すこともできるが、自分のものでもないビンテージカーを谷底に落としてしまうのはやりすぎ。数年後もその性格はあんまり変わっていなくて、でもそんなカークに目を付けたのが、父の最期の場に居合わした新型艦U.S.S.エンタープライズの初代船長パイクで、12分間だけだったがU.S.S.ケルヴィンの船長で、それでも800人を救った父を超えてみろ(この経緯が巻頭の場面で、カークは父と入れ違うかのように生を受けたのだった)、とカークに言う。

パイクは、無鉄砲な性格が今の艦隊には欠けていると常々感じていたらしいのだが、でもこんなカークが士官になってさらに船を持ったらどうなるのさと思ってしまう(司官昇任試験で不正行為というのも見過ごせない)。まあ、だから直情的なカークと論理的なスポックというなかなか得難いコンビの誕生になるのだろうけど。でもねぇ。

このあとU.S.S.エンタープライズに乗り込むことになるのも緊急事態に乗じてだし(ボーンズの機転による)、何ともいい加減なものなのだ。で、最期には正式な船長になってしまうのだけど、なんだかえらく軽いノリなんだよね。さすがに見かねて(としか思えないのだ。自分は感情に負けて船長の座を降りたのに、こいつときたら……、だからね。って、この文章は感情的だが)、スポックがサブリーダーに立候補するのだけど、スポックの補佐がないのだったらカークには辞めてもらう他ないんだもの。ただの戦闘機乗りならともかく、U.S.S.エンタープライズの船長となるとねぇ。

スポックの生い立ちについては、直情的なカーク篇に比べるとよく出来た話になっている。論理的なスポックではあるが、これはそもそもバルカン人の特性で、彼の場合は母が地球人という特殊な状況があり、実は彼にも感情を抑制できない時期があった(実際にはまだ過去形にはなっていなかったのだが)というのが興味深い。逆にいうと、そういう部分を持ちながら常に冷静でいられるようになったのだとしたら……。そして、混血のスポックには、ウフーラとの恋まで用意されているのだ。

このことと関連して気になるのがスポックの父の発言で、地球人と結婚したのは観察のため、とせっかく言わせておきながら、結局は愛していたから、と前言を取り消してしまう。これは非情でも、というかそれがバルカン人なのだから(バルカン人には恋という概念もなさそうなんで)、母の愛情だけでもよかったのではないか。あくまで父親はバルカン人としてふるまってくれないと、スポックが混血でなくてはならない理由がなくなってしまう。ただでさえ流れとしては、論理を捨て正しいと思ったことをせよ、なんだから。で、これには大いに反論したいのだが、映画とは関係なくなりそうなのでやめておく。

ところで、今回の敵のネロだが、これは採掘船ごと未来からやってきたという設定。だからとんでもない科学力も持っていて、惑星を巨大ドリルで穴を開け、赤色物質で惑星ごと消してしまうてんだからイヤになる(これでバルカン星は六十億の民が犠牲になってしまう)。なんでこうまでして派手にするかねぇ(巨大ドリル、よくできてるんだけどね)。さらには老人スポックまで未来からきて、こう都合よく時間移動されちゃうと、緊張感も何もあったもんじゃないんだけれど。

で、さらに調子が狂ってしまったのが、エンジニアのモンゴメリィ・スコットによる物質電送で、これがワープしている船にも転送できちゃったり、最期には「二ヶ所から三人の転送ははじめて」と、もうはしゃぎまくりの使いまくりなんだもの。絶体絶命で転送、って、ある意味最強じゃん! 観客の中にこれが受けて大声で喜んでいた人がいたが、そのくらいの気持ちで観ないと楽しめないかなぁ、と反省。だって、そもそもそういう話なんだろうから。

じいさんにはめまぐるしい作品だったが、宇宙空間の美しさにはひきこまれた。いや、わかってますって、CGなのは。

 

原題:Star Trek

2009年 129分 アメリカ シネスコサイズ 配給:パラマウント 日本語字幕:松崎広幸

監督:J・J・エイブラムス 製作:レナード・ニモイ、J・J・エイブラムス、デイモン・リンデロフ 製作総指揮:ブライアン・バーク、ジェフリー・チャーノフ、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン 原作:ジーン・ロッデンベリー 脚本:ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン 撮影:ダン・ミンデル 視覚効果スーパーバイザー:ロジャー・ガイエット プロダクションデザイン:スコット・チャンブリス 衣装デザイン:マイケル・カプラン 編集:メリアン・ブランドン、メアリー・ジョー・マーキー 音楽:マイケル・ジアッキノ

出演:クリス・パイン(ジェームズ・T・カーク)、ザカリー・クイント(スポック)、エリック・バナ(ネロ)、ウィノナ・ライダー(アマンダ・グレイソン/スポックの母)、ゾーイ・サルダナ(ウフーラ)、カール・アーバン(レナード・“ボーンズ”・マッコイ/医師)、ブルース・グリーンウッド(クリストファー・パイク)、ジョン・チョー(スールー)、サイモン・ペッグ(スコッティ)、アントン・イェルチン(パーヴェル・チェコフ)、ベン・クロス(サレク/スポックの父)、レナード・ニモイ(未来のスポック)、クリス・ヘムズワース(ジョージ・カーク)、ジェニファー・モリソン(ウィノナ・カーク)、ジミー・ベネット(少年期のジェームズ・T・カーク)、ヤコブ・コーガン(少年期のスポック)、ファラン・タヒール、レイチェル・ニコルズ、クリフトン・コリンズ・Jr、グレッグ・エリス、ケルヴィン・ユー、アマンダ・フォアマン

幸せのセラピー

新宿武蔵野館2 ★★

■メタボマスオをセラピーすると

『幸せのセラピー』という邦題に、甘い恋愛映画を思い浮かべていたからだけど、あからさまな内容には驚いてしまった(なのにチケット売り場では『幸せのレシピ』と言ってしまった私。それはもう観たじゃないのねぇ)。

銀行頭取の娘ジェスと結婚したビルは、一族で固められた銀行の主要ポストにはいるものの、すべてのことは義父や義弟に従う習慣にどっぷり漬かっていて、嫌いな鴨狩りにも行きたくないとは言えず、行けば行ったで犬の代わりに獲物を拾いに行くのが関の山。ストレスでチョコバーが手放せず、鏡を見ればそこには冴えない顔があるだけだ。メタボだし、老いを感じずにはいられない。

追い打ちをかけるように発覚したジェスの浮気だが、ビルはジェスが浮気するのも無理からぬと自分でも思ったのか(ある意味偉い?)、浮気現場を撮影したビデオを証拠にジェスに詰め寄るが、何故か怒りの対象は浮気相手のテレビレポーターに向かう(は?)。

まず、これがわからない。ジェスを怒れないのは長年のマスオさん生活よるものにしても、ジェスに「捨てられたらどうしよう」はないだろう。まあ、そういう自分を、メンター制度(OBのところで社会体験をする制度)で知り合ったマセガキ学生と、彼の年上の恋人未満のルーシーの協力で変えていくという話なので、どうしてもビルが情けない人物像になってしまうのは致し方ないのだが、そうではなく、ビルの思考回路が私にはよく理解出来ないのだった。

もしかしたらそれは、彼が負けず嫌いだからなのだろうか。銀行の業務に逆らうようにドーナツ屋のフランチャイズオーナーになろうと努力を重ねていたのも、分散投資の見本を示したかっただけなのか(ちょいスケールがねぇ)、最後の方ではジェスも反省して、このフランチャイズに乗り気になってくれたというのに、ビルはやりたいことではなかったと言ってしまう。単に脱メタボ指向になったのでそう言っただけのようにも見えるが、彼にとっては一人でやり遂げることに意味があったのかもしれない。

執拗に挟まれるプールでのトレーニング映像が、彼の負けず嫌いを語っているのだが、この彼の性格は、彼のことをねじ曲げているように思えてならないのだ。だからって、ビルの選んだ新しい人生を、別に邪魔しようというのではないのだけれど。この際、リセットすべきなのかもしれない。出来る人は大いにやった方がいいと思う。

ただしマセガキ学生との友情関係については、私のようなじじいにとっては、彼がとんでもないヤツにしか見えない。金もふんだんに使える恵まれたお坊ちゃんで、って、もういいか、どうでも。

宣伝ポスターからだと、ジェシカ・アルバはまるでアーロン・エッカートの相手役のような印象を受けるが、マセガキ学生にナンパされるただのランジェリーショップ店員にすぎない。マセガキ学生を諭すようなことも言っていたが、ジェスの嫉妬心を煽る役を買って出たり、なんだか面白くもない役所だった。

そういえば脱メタボに取り組み始めたビルが、カッコよく見せるためなのだろう、体毛を剃る場面があった。胸毛に、あとの方では腕や足の毛まで。アジア圏ならそんな気もするが、アメリカやヨーロッパでは男の体毛はセックスシンボル的役割を果たしていると思っていたが、昨今ではそうでもないのかしら。けどこの場面まで、こう丁寧に見せられちゃってはねぇ。

まとまりのないヘタクソな話なのだが、至る所に本音やら本性は出ていたか。まあ、薦めないけど。

原題: Meet Bill

2007年 97分 アメリカ ビスタサイズ 配給:アートポート 日本語字幕:高内朝子 PG-12

監督メリッサ・ウォーラック、バーニー・ゴールドマン 製作:ジョン・ペノッティ、フィッシャー・スティーヴンス、マシュー・ローランド 製作総指揮:ティム・ウィリアムズ、アーロン・エッカート 脚本:メリッサ・ウォーラック 撮影:ピーター・ライオンズ・コリスター  プロダクションデザイン:ブルース・カーティス 衣装デザイン:マリ=アン・セオ 編集:グレッグ・ヘイデン、ニック・ムーア 音楽:エド・シェアマー 音楽監修:デイヴ・ジョーダン、ジョジョ・ヴィラヌエヴァ

出演:アーロン・エッカート(ビル)、ローガン・ラーマン(生徒)、エリザベス・バンクス(ジェス/ビルの妻)、ジェシカ・アルバ(ルーシー/ランジェリーショップ店員)、ティモシー・オリファント(チップ・ジョンソン/テレビレポーター、ジェスの浮気相手)、ホームズ・オズボーン(ジョン・ジャコビー/ジェスの父、銀行頭取)、リード・ダイアモンド、トッド・ルイーソ、クリステン・ウィグ、ジェイソン・サダイキス

ザ・スピリット

新宿ミラノ2 ★★

■見所は不死身同士のなまくら殴り合い!?

予告篇はものすごく艶っぽく、そして謎めいても見えたのだが、それは表面的なもので、骨のない無残な作品だった。

で、私といえば、こういうヒーローものが五万とあるから『ウオッチメン』のような作品が出て来るのか、と途中からまったく違うことを考えながら、気もそぞろで観ていたのだった。

モノトーンに赤を効果的に配した映像は確かにアメコミ風な感覚に繋がるものがあるが、中身がなくてはそれまでだろう。それにこれは『シン・シティ』(2005)ですでに観ているものだし。って、別に新しい作風にしろと言っているんじゃないんだけどね。

セントラル・シティを恋人と言ってはばからないスピリットは、今日も宿敵オクトパスと戦いを続けていた。街を恋人と言うのは、モノローグでのことなのだけど、けど、しつこいくらいにスピリットはこれを繰り返すんだよね。「この街のおかげで生きられる。必要な物は何でも与えてくれる」ってなにさ。意味不明だってば。ただそう言われただけじゃ。

これはあとでわかることなのだが、この二人はある実験の結果、不死身になってしまったようなのだ。といっても一応傷は負って、スピリットの場合は外科医で恋人らしきエレンに手当をしてもらうのだけど、スピリットがオクトパスと戦うのは手当をして欲しいのかとも、ってまたヘンなこと考えちゃてたんだよね。

オクトパスもそのことを楽しんでいるかのように(その秘密を知っていたからか)、二人は文字通り最初の対決場面で、沈没した古い貨物船から引き上げた物をめぐって文字通りの泥仕合を繰り広げるのだが、これがなんとも白ける殴り合いなのだ。不死身同士の殴り合いを見せられてもなぁ。

まあ、これはまだ最初だからいいのだけど、最後など、スピリットは防弾チョッキを着込んでた、ってあんまりな。不死身同士のライバルだって(それに二人は双子のようなものなのだから)見せ方によってはいくらでも面白くなるのではないかと思うのだが、これがまったくつまらない。

ここにもうひとり絡んでくるのが、上昇志向が強くキラキラしたものが好きなサンド・サレフという宝石泥棒で、手に入れたいものがあって汚れたこの街に戻ったという彼女は、なんとスピリットの幼なじみで初恋の相手だった。

これは昔の映像で語られるから現在にもそれなりの影を落としているってことなんだろうけど、そこらへんがまったくといっていいほど見えてこないのだ。最後にスピリットとサンドのキスシーンもあるのだが、それ以上にはならない。スピリットの「昔の恋人だ」というこの割り切りがどうにもわからないのだ。

オクトパスの部下のクロ-ン君たちなど、なかなか面白いキャラも出てくるのだが、本筋でずっこけているからちっとも楽しめない。

オクトパスの助手のスカーレット・ヨハンソン(あら、彼女だけ本名で書いちゃった)もいいところなし。というか、コスプレショーができればいいや、くらいの気持ちだったのか(オクトパスもナチス親衛隊のコスプレに嬉々としていたから、この二人はコスプレ繋がりなのか?)。最後に、バラバラになったオクトパスの指(まだ生きてるのだ)を拾って消えてしまったから、見せ場は次回作のお楽しみなのかしら。え、次回作!? どうしよう。

原題:The Sprit

2008年 103分 アメリカ シネスコサイズ 配給:ワーナー・ブラザース映画 日本語字幕:林完治

監督・脚本:フランク・ミラー 製作:デボラ・デル・プレト、ジジ・プリッツカー、マイケル・E・ウスラン 製作総指揮:ベンジャミン・メルニカー、スティーヴン・マイヤー、ウィリアム・リシャック、マイケル・パセオネック、マイケル・バーンズ 原作:ウィル・アイズナー 撮影:ビル・ポープ 視覚効果スーパーバイザー:スチュー・マシュウィッツアートディレクション:ロザリオ・プロベンサ 衣装デザイン:マイケル・デニソン 編集:グレゴリー・ナスバウム 音楽:デヴィッド・ニューマン

出演:ガブリエル・マクト(スピリット、コルト刑事)、サミュエル・L・ジャクソン(オクトパス)、エヴァ・メンデス(サンド・サレフ)、スカーレット・ヨハンソン(シルケン・フロス)、ジェイミー・キング(ローレライ)、サラ・ポールソン(エレン)、ダン・ローリア(ドーラン)、パス・ベガ(プラスター・オブ・ハリス)、ルイス・ロンバルディ(フォボス)、スタナ・カティック(モーゲンスターン)、フランク・ミラー、エリック・バルフォー、ダニエル・ハバート、ジョニー・シモンズ、セイチェル・ガブリエル、マイケル・ミルホーン

スラムドッグ$ミリオネア

新宿ミラノ2 ★★★☆

■運命は手に入れられる!

成る程、よくできた脚本だ。映画は主人公ジャマールがハイライトを浴びるクイズ番組が進行していく①と、実はその番組の途中、続きは明日というところで、理不尽なことに警察にしょっ引かれて拷問されたあと、警部に真相を語る②、さらに、ジャマールの幼少時代から今へと続いてくる③の三つの時間軸から構成されている。この①②③は、その配置が絶妙なだけでなく、最後には全部が同じ時間(現在)に重なるようになっている。

スラム育ちで教養のないジャマールがクイズ番組を勝ち進むのは、どう考えても不正をしているに違いないというのが警察の言い分(実は、逮捕はクイズ番組司会者の差し金で、こいつがまた何とも胡散臭い男なのだ)だが、ジャマールの語る今までの体験談(つまり③)の中にクイズに出題されたほとんど(正確には二問以外の全部)の答えがあったというわけだ(③は②の裏付けという意味合いもあるのだ)。

そして、そのジャマールの物語は、同じみなし児でスラム育ちのラティカという少女への想いの物語でもあって、ジャマールにとっては、クイズ番組に出たのもラティカが聞いていてくれるのではないかという願いからなのだった。

ミリオネアになる夢物語とクイズ正解の謎、それに純愛。映画としての要素はもう十分すぎるのだが、カメラは、スラムという、言葉では知っていても実体となるとどこまで把握しているかあやふやな場所へと乗り込んでいる。そしてここでの映像は、見事なほど躍動感に満ちたもので、生きる力をまざまざと感じさせてくれるのである(注1)。

宗教対立でジャマールの母親は殺されてしまうし(注2)、子供をダシに稼いでいる悪党(『クリスマス・キャロル』のスクルージといった役所)のやることも悪辣で残酷極まりない(注3)のに、彼らが生きようとする力の前では、そう大した障害とも思えない気分になってしまうのだ。で、多分そういうことも含めて、いや、それこそが、かな、「運命だった」と言いたいのだろう。

であれば、最後の問題を振られたラティカ(ジャマールは兄のケータイへかけたはずだったが、兄からラティカに渡されていた)には、何が何でも正解を言ってほしかったのだが、これをしてしまうと、また最後に答えの謎解き映像を挿入することになって、その分しまりのない映画になってしまう可能性もある。まあ、それは今までの構成に準じてやったらの話ではあるが。

私がうまい映画と思いながらもうひとつ乗れなかったのは、「運命だった」を「ついていた」に置き換えてしまいたくなるところもあるからで、だって、どうでもいいことだが、クイズは最後まで四択なんだもの。ま、これはこれは元の番組がそうなんだろうけど、ツキで勝ち抜いてしまうこともないとは言い切れないんでね。

最後になったが、小ずるい性格に育ってしまった兄のサリームには、ちょっぴり同情もしたくなる。ま、それは映画だからで、実例としてあったら許せないのだけど、最後は彼なりに、弟のために命を賭けて頑張ってくれるのだ。

注1:仰天場面もある。貸トイレ番で稼いでいた兄弟だが、映画スターがやって来た時に、ジャマールはサリームに意地悪をされてトイレに閉じ込められてしまう。映画スターに会いたいジャマールは意を決して肥だめに飛び込んで脱出する。糞まみれになってサインをもらいに行くのだが、思ったほどには周りは騒がないし、映画スターもちゃんとジャマールにサインをくれるのだった(えらい!)。

注2:ヒンズー教徒によるイスラム教徒への襲撃らしい。ここらへんの事情はさっぱりなのだが、これだとヒンズー教徒は悪者になってしまうけど、いいのかしら。

注3:同情がかいやすくなる(=稼ぎが増える)からと、歌のうまい子供の目を潰して路上で歌わせていたのだ。数年後に、このめくらの歌い手からジャマールが「偉くなったんだね」と声をかけられる、なんとも胸をつかれる場面がある。が、彼が目を潰されたその時にジャマールとサリームは逃げ出したので、ジャマールの声を彼が覚えていたというのは、多少苦しい気がしてしまう。

   

原題:Slumdog Millionaire

2008年 120分 イギリス、アメリカ シネスコサイズ 配給:ギャガ・コミュニケーションズ PG-12 日本語字幕:松浦奈美

監督:ダニー・ボイル 共同監督:ラヴリーン・タンダン 製作:クリスチャン・コルソン 製作総指揮:ポール・スミス、テッサ・ロス 原作:ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』 脚本:サイモン・ボーフォイ 撮影:アンソニー・ドッド・マントル  プロダクションデザイン:マーク・ディグビー 衣装デザイン:スティラット・アン・ラーラーブ編集:クリス・ディケンズ 音楽:A・R・ラーマン

出演:デヴ・パテル(ジャマール・マリク)、マドゥル・ミッタル(サリーム・マリク/ジャマールの兄)、フリーダ・ピント(ラティカ)、アニル・カプール(プレーム・クマール/クイズ司会者)、イルファン・カーン(警部)、アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカール(幼少期のジャマール)、アズルディン・モハメド・イスマイル(幼少期のサリーム)、ルビーナ・アリ(幼少期のラティカ)

ザ・バンク 堕ちた巨像

109シネマズ木場シアター7 ★★★★

■映画史に残る美術館での銃撃戦

重要参考人から情報を引き出そうとしていたニューヨーク検事局の調査員を目の前で殺されてしまうインターポール(国際刑事警察機構)捜査官のルイ・サリンジャー、という場面がのっけにあって、まだ状況の掴めていない観客をいきなり事件に引きずり込む。何が起きたのかと茫然とするルイと同じ(じゃないが)立場になれるこのベルリン駅での導入がいい。

重要参考人はIBBCという欧州を拠点にした国際銀行の行員だったが、その彼も後に調べると、最初の殺人の九時間後には殺されていたことがわかる。もっとも謎は深まるというよりは一直線にIBBCへと向かう。そして、最後に変などんでん返しが待っているというのでもない。悪の正体こそ単純だが、ちょっとした手がかりから捜査をすすめていくサリンジャーたちと、次から次へと証拠(証人)を抹殺していくIBBC側とのやりとりが、緊迫したタッチで描かれていく。

インターポールとニューヨーク検事局との連係プレーというのが、よくわかっていないのだが、ニューヨーク検事局の調査員が殺されてルイは、彼の同僚で一緒に捜査にあたっていた女性のエレノア・ホイットマンを応援に呼ぶ。だいたいインターポールは直接逮捕はしない(と言っていた)んだってね。証拠集めが仕事(?)ならこのコンビもアリなんだろうけど、殺人が続いているから、大丈夫なのかと思ってしまう。

エレノアの存在は映画的味付けなのだろうが、無骨で時に悪人顔に見えてしまうクライヴ・オーウェンに、凛としたナオミ・ワッツの組み合わせはいい感じで、エレノアは「ちゃんと寝たのは? 食事は? 女と寝たのは?(そこまで訊くのかよ)」とサリンジャーのことを心配していた。ま、でも恋の方へはいかないのだけどね。

あらゆる手を使って証拠の隠滅をはかるIBBC側は、軍事メーカーの社長で次期イタリア首相候補でもあるウンベルト・カルビーニまでも選挙演説中に暗殺してしまう。カルビーニにまでなんとかたどりついたサリンジャーとエレノアは、彼との内密の会見でIBBCの狙いを訊きだした矢先だった。重要参考人をまたしても失ってしまう彼らだったが、暗殺現場に残された弾道の角度の違い(弾がうまいこと貫通してたのな)から、警官によって殺された狙撃者とは別の狙撃者の存在がいたことを知る。

この義足の殺し屋コンサルタントを追って舞台はニューヨークへと移り、映画の最大の見せ場となっているグッゲンハイム美術館での銃撃戦となる。美術館がボロボロになる(だからセットなのだろう)この場面は、映画史に残るといっても過言でない凄まじさだ。

IBBC側はコンサルタントの正体がばれそうになったため、サリンジャーもろとも消してしまおうと暗殺部隊を送り込んでくるのだが、これに対抗するためサリンジャーとコンサルタントが手を組むという予想外の状況が生まれることになる。美術館をまるごと(螺旋の回廊も効果的に使われている)、好き勝手に壊していくのも迫力あるが、それ以上に、この二人が息の合ったところを見せるというのがなかなかの趣向で、コンサルタントがいかに優秀な殺し屋だったかもわかる、出色の場面に仕上がっている。

場所も選ばず暗殺部隊を送り込んでしまっては現実離れもいいとこなのだが、これだけの映像が撮れたのだから文句は言うまい。IBBCが一九九一年に破綻したBCCI(国際商業信用銀行)のスキャンダルを実モデルにしているのは明白で、BCCIは金融犯罪以上のあらゆることをやっていたらしいから、殺し屋くらいは雇っていたかもしれないが、美術館に暗殺部隊を投入しちゃったら、そりゃ台無しだもんね。

カルビーニが語ったIBBCの狙いは、例えば武器取引で儲けようとしているのではなく、借金を支配したいというもの。借金の支配とはわかりずらいが、要するに何もかもが思い通りに動くようになれば、儲けなどあとからいくらでもついてくるというわけだろう。

結局サリンジャーはBCCIのスカルセン頭取側近のウェクスラーに接触し、彼が昔持っていた大義に働きかけ(ウェクスラー自身が贖罪を求めていると、サリンジャーはエレノアに言っている。もっとも彼も殺されてしまうのだが)、最後にはスカルセンを追い詰める。

スカルセンは追い詰められてなお「おまえに逮捕権はない」と言うのだが、サリンジャーは「誰が逮捕すると言った」と答える。すでにエレノアには、法の枠を超えた決着をつける、とカッコいい別れの挨拶をすませていたのだった(注)。

ド派手な美術館の銃撃戦のあとでは、最後は見せ場としては、イスタンブール市街の屋根づたいという素晴らしい景観はあっても、おとなしく見えてしまう。決着の付け方も目新しいものではないが、でも話を妙にいじらなくても、筋道をきちんと追っていけば十分娯楽作になることを証明してくれていた。

注:「君は正しい道を歩め、俺一人でやる」なんて、書き出すとちょっと恥ずかしくなるセリフだ。そもそも司法の中にいたのではIBBCは破滅させられないと、サリンジャーに逆に迫ったのはウェクスラーだったが。

原題:The International

2009年 117分 シネスコサイズ アメリカ、ドイツ、イギリス 配給:ソニー・ピクチャーズ PG-12 日本語字幕:松浦奈美

監督:トム・ティクヴァ 製作:チャールズ・ローヴェン、リチャード・サックル、ロイド・フィリップス 製作総指揮:アラン・G・グレイザー、ライアン・カヴァノー 脚本:エリック・ウォーレン・シンガー 撮影:フランク・グリーベ プロダクションデザイン:ウリ・ハニッシュ 衣装デザイン:ナイラ・ディクソン 編集:マティルド・ボンフォワ 音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル

出演:クライヴ・オーウェン(ルイ・サリンジャー/インターポール捜査官)、ナオミ・ワッツ(エレノア・ホイットマン/ニューヨーク検事局検事補)、アーミン・ミューラー=スタール(ウィルヘルム・ウェクスラー/スカルセン頭取の側近)、ブライアン・F・オバーン(コンサルタント/殺し屋)、ウルリッヒ・トムセン(ジョナス・スカルセン/IBBC銀行頭取)、ルカ・バルバレスキー(ウンベルト・カルビーニ/欧州最大の軍事メーカー社長、次期イタリア首相候補)

ストレンジャーズ 戦慄の訪問者

新宿ミラノ3 ★

■未解決事件をデッチ上げ解釈してみました(そうかよ)

プロポーズの場を演出した自分の別荘に、クリスティンを連れてきたジェームズだが、結婚に踏み切れるまでにはクリスティンの気持ちはなっていなかった。申し出を断られたジェームズは落胆し、頭を冷やそうと別荘を出ていく。

二人の微妙な位置関係がわかったところで、深夜の訪問者による恐怖に巻き込まれていく(実は最初のノックがあった時は少しだけいい雰囲気になりかけていた)のだが、手をかけて説明した二人の関係やその心理状態が、まったくといっていいくらい生かされていないのはどうしたことか。

どころか、恐怖に遭遇したことで、愛していると言い合ったりでは、あまりに情けないではないか。いや、人間なんてそんなものかもしれず、だからそこまで踏み込んで描けたら、それはそれで面白い映画になったような気もするのだが……。

思わせぶりな演出は、この手の映画にはつきものだからとやかく言わないが、相手は現実の三人で、そうか、「実際の事件」(これについては後述)と断っていただけあって、心霊現象なんていうインチキで逃げることはしないのだな、といい方に納得できてからは、逆にますますつまらなくなっていく。

ジェームズの親友のマイクが早めに来てしまったことで誤射事件という悲劇くらいしかアイデアがなく、あとはおどかしだけで突っ走ろうっていうんだから、虫が良すぎ。85分という短めの上映時間なのに、それが長く感じられてしまう。

電話も車も壊されてしまったため、納屋にある無線機で外部と連絡を取ろうとするのは納得だが、別行動をとる必要があるんだろうか。いくらなんでも進んで、餌食になりますよ、はないだろう。

巻頭、「実際の事件に基づく物語」という字幕に続いてもっともらしい解説があったが、未解決でほとんど何もわかっていない実際の事件、って、そりゃどうにでもできるよね。

で、映画のデッチ上げは、犯人たちは車で移動しているストレンジャーで、殺人もしくは人を恐怖に陥れるのが趣味の三人組の犯行、なんだって。はいはい。そして、主人公たちは見事彼らにやられてしまう。んー、怖い話じゃないですか。けど、出来た映画は怖いどころか退屈。

最後の付けたし場面も意味不明の、いいとこなし映画だ。

原題:The Strangers

2008年 85分 アメリカ シネスコサイズ 配給:プレシディオ PG-12 日本語字幕:川又勝利

監督・脚本:ブライアン・ベルティノ 製作:ダグ・デイヴィソン、ロイ・リー、ネイサン・カヘイン 製作総指揮:ケリー・コノップ、ジョー・ドレイク、ソニー・マリー、トレヴァー・メイシー、マーク・D・エヴァンズ 撮影:ピーター・ソーヴァ プロダクションデザイン:ジョン・D・クレッチマー 衣装デザイン:スーザン・カウフマン 編集:ケヴィン・グルタート 音楽:トムアンドアンディ 音楽監修:シーズン・ケント

出演:リヴ・タイラー(クリスティン・マッケイ)、スコット・スピードマン(ジェームズ・ホイト)、ジェマ・ウォード(ドールフェイス)、キップ・ウィークス(マン・イン・ザ・マスク)、ローラ・マーゴリス(ピンナップガール)、グレン・ハワートン(マイク)

昴 スバル

新宿ミラノ3 ★★

■主役(だけじゃないが)ありき、でないと

群れを離れた狼とか野良猫と呼ばれてきたという宮本すばるが「私が私でいられる」バレエの世界で生きていく決心をする……。それはいいんだが、話の展開がやたら強引。だから物語だけという印象だし、多分マンガだと効果的なセリフも上滑りだ。

双子の弟とバレエ教室をのぞいてはその世界に憧れていた幼い日も入れているのは、弟の死(脳腫瘍から記憶障害になる)を引きずってきたすばるを位置づけるためなのだろうが、弟しか見ていない父(とすばるは感じていた。母はもっと早くに亡くなっている)も含めてこのあたりはもう少しあっさりでもよかった。特に弟絡みの部分は。映画で思い出を映像化すると重たくなるんだもの。

ストリップ小屋(この設定はイメージしにくいが)のおばちゃんとそこのダンサーたちとの出会いから(おばちゃんが最初のすばるの先生となる)、バレエ教室の先生の娘呉羽真奈との「白鳥の湖」のオーディションでの競争、コーヘイという恋人のような存在もでき、彼に誘われたストリートダンスで、オーディションでみんなと呼吸を合わせることが出来ずにいたのを解消? さらにはアメリカン・バレエ・シアターのリズ・パークがすばるをライバルと認め、だからか度々すばるの前に現れる(でもなぁ)。そして真奈とリズも出る上海でのバレエ・コンクールに挑戦することに。そのための新たな指導者天野は、実はバレエ教室の先生の元夫(真奈の父親)という因縁めいた展開。それ以前に、準ライバルにしかなれない真奈は、母子共々複雑な立場だ。コンクールの直前には、おばちゃんの死の知らせがすばるを苦しめる……。

すっ飛ばして書いてもこんな感じ。運命の黒猫が要所に配置されてるから、それがうまい具合に交通整理してくれればいいのだけど、あれは絵としての効果しかないみたいで、だからやっぱり強引な展開にしかみえない。

なかでも不可解なのがリズ・パークで、場末にあるおばちゃんの小屋でボレロを踊るすばるに一目惚れしてしまうのだが、何でこんなところにいるのさ。世界的ダンサーが、いくらすばるに才能を感じたからといって、こんなふうにいろいろちょっかいを出してくるっていうのがねぇ。ま、それだけリズにすごさが伝わってしまったということなのだろう。ライバルに対する正しい接し方、というか、同じ価値観を持つ者同士がこんなふうに挑発したり一緒に買い物したくなる気持ち、ってわかるような気がするもの。

リズは韓国系のアメリカ人という設定らしいので、日本語がたどたどしいのは今回はいいにしても、Araは日本だとこれが限界と思われても仕方ないかな。私はちょいファンなんで(ってよくは知らない)残念なのだが。

黒木メイサは決して悪くないと思う。全身をなめ回すようにカメラが追っても、私のようにダンスのわかってない人間には十分鑑賞に耐える踊りだったから。

とはいえ、だからって天才的バレリーナとなるとどうなんだろう。正式な修行は積んでいなくてもその才能は横溢して、なのだからうまいとかうまくないというのとは違うレベルの話のような気もするのだが。

だいたいこの手の映画で、こういう疑問が少しでも出てしまうようならその企画は諦めた方が無難と思うのだが。そしてそれは、黒木メイサ一人の問題ではないだろう。彼女の場合は、まだ挑みかかるような目つきがあったから……。

2008年 105分 日本、中国、シンガポール、韓国 ビスタサイズ 配給:ワーナー

監督・脚本:リー・チーガイ 製作:三木裕明 製作総指揮:ビル・コン、松浦勝人、千葉龍平、リー・スーマン 原作:曽田正人 撮影:石坂拓郎 美術監督:種田陽平 衣装デザイン:黒澤和子 編集:深沢佳文 振付:上島雪夫 音楽プロデューサー:志田博英 テーマ曲:冨田ラボ『Corps de ballet』 主題歌:倖田來未『faraway』 メインテーマ:東方神起『Bolero』 照明:舘野秀樹 装飾:伊藤ゆう子 録音:前田一穂

出演:黒木メイサ(宮本すばる)、桃井かおり(日比野五十鈴)、Ara(リズ・パーク)、平岡祐太(コーヘイ)、佐野光来(呉羽真奈)、前田健(サダ)、筧利夫(天野)

ストリートファイターIV オリジナルアニメーション featuring さくら

新宿ミラノ3 ☆

■セーラー服で格闘!?

4分の短篇アニメだし、絵柄も好きではないし、人気女子高生キャラクター「さくら」といわれても何も知らないし……。なんで採点不能の☆。

卒業したらどうするとか友達と話したり、戦う意味を問われてもいたが(さくらの答えは、自分がどんなふうになるのか確かめること、だったかな?)、ファン以外が見ても何もわからないし、面白くもなんとないフィルム。

セーラー服着て、格闘されてもなぁ。

?年 4分 ?サイズ 制作:スタジオ4℃ 配給:?

総監修:森本晃司

ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー

新宿ミラノ3 ★☆

新宿ミラノ3では字幕版と吹替版の交互上映だった。私が確認した時間帯だと字幕版の圧勝。私はそうこだわっていないが、日本人は字幕が好きらしい。

■怒りを消せ、と言うのだが

大ヒットしたカプコンの対戦型格闘ゲームを元にして作った映画。

ゲームのことは名前しか知らないので、チュンリー(春麗)のキャラクターや彼女がどんな位置づけをされていたのかはさっぱり。もちろんそんなことはわからなくてもいいように映画はできているのだが、話は荒っぽいし、何より見えない力に導かれて、的な要素が強すぎるので、師匠となるゲンを探す過程も、いろいろあったというモノローグで納得するしかなく、興味をそそられるには至らない。

裕福な家庭に育ち、自分もピアニストとして成功していたのに、ある日届いた謎の巻物に隠されていた情報でやってきたバンコクではもう金に困っているって言われてもですねぇ(実際こんなふうに一文で説明されたような気分なのだ)。ゲンを探すためには過去に決別しろ、みたいなことがあって財産を処分したらしいのだが(別れの場面はある)、要するに話の繋ぎが悪いからしっくりこないのだな。ま、そんなであっても手に蜘蛛の入れ墨のある人(スパイダー・ウェブの仲間)が食べ物をくれたりするんだけどね。

やっとゲン(スパイダー・ウェブの元締め?)を探し出すが「怒りが消えたら教える」って、呼び寄せた(?)くせして突き放されてしまう。いや、まあ、それはいいにしても、あとになっても怒りがチュンリーから本当に消えたかどうかはよくわからなかったのだ。というか、真相を知れば知るほど怒りが増して当然と思うし、ゲンにしても怒りの存在がなければ、ベガと闘う根本のところのものがなくなってしまうのではないか。怒りという感情に流されてはいけないという教えなのだろうが、説明がヘタというしかない。

ゲンには特殊な力があって、傷口は塞いでしまうし、ミサイル攻撃にあっても死なないし、そうじゃありませんでしたって、簡単にやり直してしまうところは、ゲーム感覚なんだろうか(映画にするなら、一番マネしてほしくないところだけどね)。

チュンリーに武術の手ほどきをした実業家の父は、彼女が幼い時にベガに拉致され、娘の安全を餌にいいように操られてきたらしいのだが、その父にそれほど長い間利用価値があったのだろうか。他にも曖昧なことが多く、説明はあっても中途半端だから、話は軽くなるばかりである。地元の女刑事にインターポールの刑事などは完璧な添え物で、まあ、本当にひどい脚本なのだ(書き出すのが億劫になってきた)。

が、一番わからないのは、ベガが生まれる前の娘に自分の良心を移してしまったという件。悪人として生きるためには必要なことだったらしい。妊娠している妻の腹を引き裂く儀式めいた場面がむごたらしい。で、その娘が、何でかはわからないのだが(このくらいはちゃんと説明してくれぃ)大きくなってベガの元に帰ってくるのである。いや、これはベガが呼び寄せたのだったか。

どうせなら、純粋培養した良心である実の娘を抹殺することで、さらなる巨悪になれるというような話にでもしてくれれば盛り上がるのだが(自分で書いていて、これいいアイデアじゃん、と自画自賛したくなった)、バンコクの臨海地域の治安を悪くして安値で買い占めたという話までもが、この娘(わざわざホワイト・ローズというコードネームで呼んでいた)が出てきたことでうやむやになってしまっては開いた口が塞がらなくなる。

チュンリーの前で父を殺したベガが、同じ目にあうことになるという結末(そのためだけのホワイト・ローズだったりして。まさかね)になっては、怒りが消えたらという話はどうなったのさ、と突っ込みを入れたくなった。だって純粋培養良心(これは私が勝手にそう呼んでるだけだが)の娘の前での殺害だよー。この娘につけた傷はどうすんだい! 続編に繋がりそうな終わり方をしていたから、今回は「怒りの鉄拳篇」にしておいて、次でそれはどうにかすればよかったのではないかと……。

まあとにかく、事件は解決しまして、チュンリーは怒りからではなく、戦う価値のあるものを見つけたようなんである。けどこのデキじゃ続編は無理かしらね。

アクションシーンはさすがに迫力のあるものだったが、ゲームファンから見たらどうなんだろ。ポスターにある「可憐にして最強」というキャッチコピーは、本当に再現できたら、それこそ黙っていてもヒットしそうなのだが……。アクションシーンもちゃんとこなしていたまあ可愛い(って、褒め言葉になってないか)クリスティン・クルックだけど、可憐となると微妙かなぁ。

原題:Streetfighter:The Legend of Chun-li

2009年 97分 アメリカ シネスコ 配給:ギャガ・コミュニケーションズ、アミューズソフトエンタテインメント 日本語字幕:伊東武司

監督:アンジェイ・バートコウィアク アクション監督:ディオン・ラム 製作:パトリック・アイエロ、アショク・アムリトラジ 製作総指揮:辻本春弘、稲船敬二、徳丸敏弘 脚本:ジャスティン・マークス 撮影:ジェフ・ボイル プロダクションデザイン:マイケル・Z・ハナン 編集:デレク・G・ブレッシン、ニーヴン・ハウィー 音楽:スティーヴン・エンデルマン

出演:クリスティン・クルック(チュンリー)、ニール・マクドノー(ベガ)、ロビン・ショウ(ゲン/チュンリーの師匠)、マイケル・クラーク・ダンカン(バイソン/ベガの用心棒)、タブー(バルログ)、クリス・クライン(ナッシュ/インターポール刑事)、ジョジー・ホー、チェン・ペイペイ、エドマンド・チャン、ムーン・ブラッドグッド

少年メリケンサック

楽天地シネマズ錦糸町-2 ★★★★

■『デトロイト・メタル・シティ 序章』(なわけないが)

メイプルレコード契約社員の栗田かんなは、ネットの動画で「少年メリケンサック」という生きのいいバンドを見つける。かんな自身はパンクなど嫌いだったが、彼らのまき散らす怪しい魅力に血が騒ぎ、何故だか成功を確信する。

83年生まれだから25歳、なんとかギリギリ新人セーフ、と勝手に判断して社長に掛け合い、契約交渉に乗り出すが、ネットにあった83年という文字は、誕生年などではなく、解散コンサートの年だった、つまりメンバーはもう50も過ぎたオヤジたちだったのだ。

筋はくだらなくかつ強引、メンバーがバラバラになっているだけでなく、腕は錆び付いているし(もともとうまくなさそうだ)、兄弟で反目し合っているアキオとハルオが何かにつけ意地の張り合いをするし(これには深ーいわけがあった)、とりあえず結束するだけでも大変な状況。が、ネットのアクセス数は鰻登り。パンクへの肩入れのある社長が全国ツアーまで組んでしまい、かんなは後に引けなくなってしまう、ってことでコメディのお膳立ては揃いまして……ちゅーか、結末で再結成の舞台が成功すればいいだけだから、あとはどうにでもなれ状態で、いいようにやってるだけのような気もしなくはないのだけど、まあ、それが楽しいというか……。

とはいえ、マトモに考えていくと無理なところはいっぱいあって、そもそも契約社員が新人発掘のような仕事を任せられるのかとも思うし、ボーカルのジミーのよれよれ度ぶりを見てしまったら、再結成など考えられっこないはずなのだ(いや、かんなもそう思ったんだったっけ)。ジミーのよれよれぶりは、どうやら昔の「少年メリケンサック」時代の大乱闘に起因しているらしく、でも、実は歩けなかったり呂律が回らないのは嘘だった(?)というような場面も入っていて、何が何だかわからなかったりする(障害者手当のちょろまかしか)。

作り手としては「農薬飲ませろ」が「ニューヨークマラソン」に聞こえてくれればしめたもので、この強引さが妙なテンションとなって映画を引っぱっていくのだが、その合間に昔のグループサウンズの映像(ちゃんとしたエピソードでもある)をぬけぬけと入れて、平気で水を差したりもする。かんな同様パンクなど特に好きじゃない私だが、こんなグループサウンズ映像を観せられると、グループサウンズのキモさが際立って(あーそうだった、って感じなんだもの)、パンクがマトモに、は見えないが、まだマシかも、とは思ってしまう。

さらに、かんなの恋人マー君(歌手志望なんである)の、グループサウンズに通じる綺麗なだけの虫酸の走る歌も、大いに水を差す。マー君の正体にかんなも気づいて(中年オヤジたちに気づかされて)、そいでマー君も浮気なんかしちゃうから、悪い人じゃないって書いてやろうと思っていたけど、やっぱりダメ人間だったのね。

で、最後にそのマー君は「少年メリケンサック」に引きずり込まれちゃう、って、えー何だぁ! もしかしてマー君って『デトロイト・メタル・シティ』の崇一(松山ケンイチ)だったとか。じゃあ何だ『少年メリケンサック』の実体は『デトロイト・メタル・シティ 序章』なのか、ってなわけはないのだけど。

馬鹿げた連想はともかく、マー君を引き込んでしまうのは、兄弟二人が腕を折っての代役ってこともあるのだけれど、だからアキオがのたまわっていた「嘘を上回る奇跡を起こ」したのかどうかはわからないのだが、でも無理矢理の二人羽織ギターまで飛び出して、「結末で再結成の舞台が成功すればいいだけだから」と安直な感動オチを予想をしてしまった私は、降参するしかないのだった。うん、降参(でも奇跡はないよ)。

それにしても宮崎あおいはすごかった。泣けるし、笑えるのは知ってたけど、啖呵も切れるのね。こんなハイテンションな芝居をして無理がないんだから。佐藤浩市もよかった。歳をとったらこうなるんだって卑猥なセリフをまき散らしては見事に居直ってた。前は苦手だったが、この人のことがだんだん好きになってきた気がする(ちょいやば)。

  

2008年 125分 ビスタサイズ 配給:東映

監督・脚本:宮藤官九郎 アニメーション監督:西見祥示郎 プロデューサー:岡田真、服部紹男 エグゼクティブプロデューサー:黒澤満 アソシエイトプロデューサー:長坂まき子 撮影:田中一成 美術:小泉博康 衣裳:伊賀大介 編集:掛須秀一 音楽:向井秀徳 音楽プロデューサー:津島玄一 スクリプター:長坂由起子 スタイリスト:伊賀大介 プロデューサー補:植竹良 メインテーマ:銀杏BOYZ『ニューヨーク・マラソン』 ラインプロデューサー:望月政雄 擬斗:二家本辰巳 照明:吉角荘介 装飾:肥沼和男 録音:林大輔 助監督:高橋正弥

出演:宮崎あおい(栗田かんな)、佐藤浩市(アキオ/少年メリケンサックBa.)、木村祐一(ハルオ/Gt.)、勝地涼(マサル/かんなの恋人)、ユースケ・サンタマリア
(時田/メイプルレコード社長)、田口トモロヲ(ジミー/Vo.)三宅弘城(ヤング/Dr.)、ピエール瀧(金子欣二)、峯田和伸[銀杏BOYZ](青春時代のジミー)、佐藤智仁(青春時代のアキオ)、波岡一喜(青春時代のハルオ)、石田法嗣(青春時代のヤング)、田辺誠一(TELYA)、哀川翔(かんなの父)、烏丸せつこ(美保)、犬塚弘(作並厳)、中村敦夫(TV局の司会者)、広岡由里子、池津祥子、児玉絹世、水崎綾女、細川徹、銀杏BOYZ[我孫子真哉、チン中村、村井守](少年アラモード)、SAKEROCK[星野源、田中馨、伊藤大地、浜野謙太]

禅 ZEN

楽天地シネマズ錦糸町-3 ★★★☆

■月がでかすぎる

気が進まなかったし(なら観なければいいのにね)、冒頭にある道元の母の死の場面では少し引いてしまったし、続いて日本人俳優が中国語で演じ出しては仰天するしかなかったが(ひどいと思ったわけではない)、観終わってみると立派な映画だった。

道元の教えをきちんと知ろうとしたら、それは大変なのかもしれないが(現に『正法眼蔵』など、途中で投げ出しちゃったもの)、映画の中で繰り返し述べている程度のことであれば、案外すとんと入ってくる(むろん実践するとなると話は大いに違ってくるが)。というか、そういうことを念頭に置いて作ったのだろう。実にわかりやすく噛み砕かれたものになっていた。

「悟りを開こうと思うな」
「悟りが無限である以上、修行も無限」
「只管打坐そのものが悟り」
「生きてこそ浄土」

とはいえ、「あるがままでよい」のであれば、おりんに恋心(=欲)を抱いた俊了を追放(ではなく俊了が逃げ出すのだが)してすむことなのか。また、鎌倉というまだまだ生きていくことすら厳しい時代にあって、ただ座禅していればいいってもんじゃないだろう、というような話になってしまう。米が底をつき「ならば白湯で座禅をさせてもらう」って、それはないような(現代の富裕層には少しでも只管打坐をしてもらって、何をすべきかを考えて欲しいものだが)。

只管打坐なのだからと、映画でただひたすら座禅ばかりしているわけにはいかないわけで、だからこそのおりんの存在なのだが、彼女を準主人公にした設定は評価できる。道元だけを描いたら単調にすぎるし、それこそ観念論的なものになってしまっただろうから。

それでも何故か頻繁に画面に出てくる月が、あるがままどころか、馬鹿にでかくて、観念論で頭でっかちになっている象徴のように見えてしまうときがあった。

道元と北条時頼の対決場面も、時頼が何故道元の言葉に最終的にはうなずくことになるのかと言われればちとつらい(でもこれは誰がやっても描けないのではないか)のだが、ふたりのやり取りは真剣で、芯のあるものだった。

最後は、中国に渡ったおりんの姿が画面に映し出される。道元の教えが脈々と引き継がれていることを強調したのだろうが、入滅前の道元が懐奘におりんの得度をたのんでいるし、おりんが教えを実践している場面も入れたのだから、これはやり過ぎのような気がする。道元の意志が受け継がれていくという意味では、この少し前にすでに山門から続々と僧が出てくる素晴らしい場面があり、これで十分ではなかったか。

中村勘太郎は適役。道元入門映画として観るに値する。

2008年 127分 ビスタサイズ 配給:角川映画

監督・脚本:高橋伴明 製作総指揮:大谷哲夫 原作:大谷哲夫 撮影:水口智之 美術:丸尾知行 編集:菊池純一 音楽:宇崎竜童、中西長谷雄 音響効果:福島行朗 照明:奥村誠 録音:福田伸

出演:中村勘太郎(道元)、内田有紀(おりん)、テイ龍進(寂円、源公暁)、高良健吾(俊了)、藤原竜也(北条時頼)、安居剣一郎(義介)、村上淳(懐奘)、勝村政信(波多野義重)、鄭天庸(如浄)、西村雅彦(浙翁)、菅田俊(公仁)、哀川翔(松蔵/おりんの夫)、笹野高史(中国の老僧)高橋惠子(伊子/道元の母)

ストレンヂア -無皇刃譚-

テアトル新宿 ★★☆

■殺陣、殺陣、殺陣

アニメで殺陣を描くことを追求した作品といってしまっていいくらい斬り合いの場面が詰め込まれている。見せ方にも工夫があって、そうとう殺陣にこだわりがあるのだなと思わせるが、背景部分は大風呂敷を広げた割には雑。

不老不死の仙薬を抽出するために是が非でも必要だという少年(ここがやはり説得力に欠けるのだな)仔太郎とかかわりをもつことになる浪人の名無しが、戦国時代のとある国を滅ぼすことになる戦いに巻き込まれていく。

日本にまで仔太郎を追ってきたのは明国の王命を受けた者たちで、その中には青い目の羅狼という者までがいて、クライマックスではこの名うての剣の使い手と抜刀を封じていた(抜刀できないようにしている)名無しとの対決がある。

彼らが赤池ノ国の領主にどうやって取り入ったかは不明ながら、領主の庇護の元、大掛かりな装置(薬の抽出のためらしいが、大げさなだけでさ)をある時期に合わせて作りあげる(これまた薬に関係があるらしい)。もっとも、領主の方もただ明の人間たちにいいようにやられているような人間ではないから、最後には両者の熾烈な争いになる。

明からの武装集団は不老不死の仙薬を抽出しようとするだけあって、自分たちにも薬を使った強化をしている。ドーピングは拷問にも耐えられるすごいものなのだが、領主側もそんなことに少しもひるまない。

なにしろ戦いにからんだ人間(名無しと仔太郎の他)は、すべて死んでしまうことになるのだから凄まじい。姫を我が物にしたい若者を出してきて、普通なら美談めいた扱いにするところだが、若者は明の捕虜となった城主を自らすすんで殺してみせる。そしてこの若者も適当なところで画面から抹殺されてしまうのだ。

描写もPG-12ですんでいるのはアニメだからであって、このままそっくり実写にしたら目をそむけずにはいられないほどの残酷さなのである。

救いは名無しと仔太郎とが一緒に行動することになって、何とか生き延び、馬に乗りながら将来を語るところだ。この流れや名無しの過去の扱いなどは使い古されたものなのだが、全体が殺伐とした雰囲気にある中で、生きることの楽しさがうまく演出されていた。

  

2006年 102分 ビスタサイズ PG-12 配給:松竹

監督:安藤真裕 アニメーション制作:ボンズ プロデューサー:南雅彦 原作:BONES 脚本:高山文彦 撮影監督:宮原洋平 美術監督:森川篤 美術設計:竹内志保 音楽:佐藤直紀 音響監督:若林和弘 作画監督:伊藤嘉之 色彩設計:中山しほ子 人物設計:斎藤恒徳

声の出演:長瀬智也(名無し)、知念侑李(仔太郎)、竹中直人(祥庵)、山寺宏一(羅狼)、石塚運昇(領主)、宮野真守(戌重太郎)、坂本真綾(萩姫)、大塚明夫(虎杖将監)、筈見純(絶界)、野島裕史(風午)、伊井篤史(白鸞)

幸せのレシピ

新宿ミラノ1 ★★☆

■子供や恋はレシピ通りというわけには……

腕に自信アリの、マンハッタンの高級レストランの女料理長ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、交通事故で姉を失い、生き延びた九歳の姪のゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)をひきとることになる。この状況とどう向き合うか、というのが一つ目の問題。

子供に一流料理を作ってどうすんだと言いたくなるような女だから、ゾーイとの関係もそんなには簡単にいかないし、そのためにちょいと職場を離れていたら経営者のポーラ(パトリシア・クラークソン)がイタリアかぶれの陽気なニック(アーロン・エッカート)という男を副料理長として雇ってしまって、二つ目の問題も。

ドイツ映画『マーサの幸せレシピ』(2001)のリメイクだということは観てから知ったが、もともと毒っ気とはまったく縁のない映画なのだろう。だから難題であっても安心してハッピーエンドを待てばいいだけで、それも悪くはないのだが、もの足りなさは否めない。

ポーラがちょっと欲を出す程度で、他はもう全部いい人で固めていて、そのことも幸福感を演出しているのだが、自信過剰のケイトが一番問題のような気がしてしまう。早起きして市場にまで出向く完璧主義者だから手強いのだな。ということは、原題の『No Reservations』は、ケイトに「素直に」とでも言っているのかしら。

客がまずいと言ったらまずいのに、それがわからないとなると怖い。味覚の趣向についてあれこれ言うことがそもそもおかしいと、私が思っているからなのだが、料理ではなく他のことに置き換えて考えることにした(これなら納得できる)。

ニックがどこまでもいい人というのがなかなか信じられないケイトなのだが、それ以前に調理場でオペラを流してパヴァロッティ気取りでいられたら、やっぱりいらついてしまうかも。ニック自身がケイトのファンを自認しているのだから恋もすぐその先なのだが、なによりゾーイが彼の料理ならちゃんと食べてくれるという、ケイトにとっては泣きたくなる展開。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズの抑えた演技は好感が持てるし、アーロン・エッカートも終始楽しそうで、しかもそれほど押しつけがましくないのがいい。ボブ・バラバンは『レディ・イン・ザ・ウォーター』では映画評論家だったが、ここでは精神科医。蘊蓄たれ男が適役と思われているのか。ポーラが欲を出したと書いてしまったけど、ケイトに精神科医行きをすすめたのは彼女でした。

そういえばケイトはその精神科医に「何故セラピーを受けろと言われたかわかるかね」と問われて「いいえ」と答えていたっけ。

 

原題:No Reservations

2007年 104分 シネスコサイズ 配給:ワーナー 日本語字幕:古田由紀子

監督:スコット・ヒックス 製作:ケリー・ヘイセン、セルヒオ・アゲーロ 製作総指揮:スーザン・カートソニス、ブルース・バーマン 脚本:キャロル・フックス オリジナル脚本:サンドラ・ネットルベック 撮影:スチュアート・ドライバーグ プロダクションデザイン:バーバラ・リング 衣装デザイン:メリッサ・トス 編集:ピップ・カーメル 音楽:フィリップ・グラス

出演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(ケイト・アームストロング)、アーロン・エッカート(ニック・パーマー)、アビゲイル・ブレスリン(ゾーイ)、パトリシア・クラークソン(ポーラ)、ボブ・バラバン(精神科医)、ブライアン・F・オバーン、ジェニー・ウェイド、セリア・ウェストン、ジョン・マクマーティン

西遊記

109シネマズ木場シアター7 ★★

■私たちの旅はただ天竺に着けばいいというのではない

昔々テレビでやっていた『西遊記』を1回も観ていないのでわからないのだが、三蔵法師を夏目雅子がやったように、深津絵里という女性にしたのはあのテレビ作品を継承しているのだろうか。ともかく、また新たな西遊記を作ったのは、この話にそれだけ魅力があるということなのだろう。というか、この映画は2006年のテレビ版の映画化で、出演者もほとんど全員映画に移って作ったもののようだ(何も知らなくてすんません。それに三蔵法師は夏目雅子だけじゃなく、そのあとも宮沢りえ、牧瀬里穂がやっていたのね。ということは日本では女性が演じるのが常識なのか)。

仏典を天竺に求めて旅する三蔵法師、沙悟浄(内村光良)、猪八戒(伊藤淳史)、孫悟空(香取慎吾)の一行は、砂漠の中にある虎誠(フーチェン)へとやってくる。この都の玲美(多部未華子)という姫のたっての頼みで、一行は険しい山の頂に住むという金角大王(鹿賀丈史)銀角大王(岸谷五朗)退治に出かけることになるのだが、そこには玲美の祖父劉星(小林稔侍)がいるだけで、すでに虎誠は金角銀角の手中となっていたのだった。

玲美は両親を助けたいが為に悟空たちを利用し、金角銀角の言われるままに「無玉」を持ち帰ろうとする。「無玉」には、この世から太陽を封じ込める力があり、金角銀角はそれで全世界を我が物にしようとしていた。玲美が金角銀角の手先にならざるを得なかったこと、その玲美が悟空との信頼を築くことは、前半の要になっているのだが、これがあまりに杜撰な話で、観ていてつらくなってくる。

玲美が山に行くのに悟空たちの助けがいるのはわかるが、でも金角銀角にとっては何も玲美に無玉を取りに行かせることもないことで、どうしても玲美がそのことに必要というのであれば、自分たちが玲美を連れて行った方がてっとり速いはずだ。虎誠の城内に「三蔵法師求む」などというビラを貼って、わざわざやっかいな悟空たちを引き留めておく理由など何もないではないか。

金角銀角が虎誠の宮殿にいるという情報も、わざわざ凛凛(水川あさみ)に持ってこさせ(テレビ版の常連を引っ張ってきただけ)、玲美と「約束」をした悟空には、三蔵法師を破門(!)させる。悟空を残して下山した三蔵法師だが、「天竺に行こうと思うあまり」悟空を叱ってしまったことを悔い、沙悟浄と猪八戒は再び山に出向いていく。だが、そのため1人になった三蔵法師は、銀角によって吸引瓢箪(これは何ていうのだ)の中に閉じこめられてしまう。

巨大ナマズの棲む河や、入山を拒むかのように険しい階段や崖、さらにはインディ・ジョーンズばりの仕掛けが襲ってくる(難を逃れるのは横に隠れるだけというのがねー)、容易には到達できないはずの場所なのに、コンビニに行く感覚で入山下山が出来てしまうのでは(ではなく省いているだけなのでしょうけど)難所であることを強調してきた意味がなってしまう。

そうして、銀角はもっとあっさり山にやってきて(ほらね)無玉を奪っていくのである。銀角の乗るエアーバイクの出す黒雲(これ、いいよね)と、悟空の隗箔l雲(エアーボードか)はイメージが逆のような気もするが、ここはなかなかの見せ場になっている。

が、他のCGは総じてチャチ。というか、CGが必要でない普通の部分の絵に奥行きがないものだから(最後に三蔵法師の鈴の音と共に悟空たちが出てくるキメの絵などがいい例だ)、映画全体に安っぽいイメージが漂ってしまうのだ。

金角銀角の強さなどはよく出ていたと思うが、やられてしまった悟空がいくつも刺さっていた小刀を抜いてやり返す、ってあんまりだ。悟空に底知れぬパワーがあるのはいいとしても、こんなヘタクソな見せ方はないだろう。瞬間移動する銀角を、繰り出す如意棒で仕留められずにいたのなら、次は如意棒に円形運動をさせるなり、何か工夫させろってんだ。

とにかく三蔵法師には「生きるということは戦うこと」、悟空には弱い人間にもすごい力があってそれは「なまか(仲間)を作れるってこと」だと偉そうなことを言わせて、金角銀閣を退治。封印を解かれて巨大化していた龍のようなものは吸引瓢箪に収めて、虎誠は以前の緑と水源に囲まれた国に、人々は虎の民と呼ばれていた尊厳を取り戻し、玲美の父と母は亀から人間に。はい、目出度し目出度し。で、三蔵法師の一行は天竺めざして砂漠の旅を続けるのでありました。

で、また最初と同じような場面に戻って、悟空が「もう歩けないよー」とか馬鹿なことを言ってるところでお終いなんだけど、この悟空のだだっ子ぶりにも感心できなかったのだ。『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』もだけど、香取慎吾はへんてこりんで難しい役ばっかりなのな。

「生きるということは戦うこと」については、田畑を耕す父のように赤子を育てる母のようにという補足があって、この補足部分はいいのだが、とはいえそんな簡単なことではないはずだ。「なまかを作れるってこと」も別の見方ができる(「約束は守らなければならない」というのもね)のだが、その前に虎誠の人々を「誰にも従わない勇気ある民」とし、最後に「この世で一番勇気があるのは仲間がいるやつ」と隷属することが仲間ではないとも言っているようなので、これはまあ見逃すか。

でもセリフだけ1人歩きされると困るのだな、やはり。「私たちの旅はただ天竺に着けばいいというものではない」と三蔵法師に言わせ、結果でなく過程こそ肝腎と説いていたのだから、もっといろいろなところに慎重になってほしいのである(特に脚本)。

  

2007年 120分 シネスコサイズ 配給:東宝

監督:澤田鎌作 製作:亀山千広 プロデューサー:小川泰、和田倉和利 プロデュース:鈴木吉弘 エグゼクティブプロデューサー:清水賢治、島谷能成、飯島三智 企画:大多亮 脚本:坂元裕二 撮影:松島孝助 特撮監督:尾上克郎 美術:清水剛 音楽:武部聡志 主題歌:MONKEY MAJIK『Around The World+GO!空』 照明:吉角荘介 録音:滝澤修

出演:香取慎吾(孫悟空)、深津絵里(三蔵法師)、内村光良(沙悟浄)、伊藤淳史(猪八戒)、多部未華子(玲美)、水川あさみ(凛凛)、大倉孝二(老子)、谷原章介(文徳)、三谷幸喜(国王)、小林稔侍(劉星)、鹿賀丈史(金角大王)、岸谷五朗(銀角大王)

シュレック3 日本語吹替版

新宿ミラノ3 ★★☆

■昔々、誰かが僕たちをこんなにした

1、2作目を観ていないので、比較も出来なければ話の流れもわかっていないのだが、シュレックはどうやら2作目の活躍(?)で王様代行の地位を、このおとぎの国で得ていたらしい。もっともシュレックが王様代行としてふさわしいかどうかは本人が1番よく知っていることで、何しろシュレックは怪物らしいんだが、そしてこれは多分3作目だからなのだろうが、せいぜい見た目が緑でごっつくて息が臭いくらいでしかなくって、そう、すでに人気者なのだった。

とにかくシュレックが何者なのかも、ドンキーと長靴をはいた猫が何で彼の部下となっているのかもわかってなく、怪物なのにヒーローで、結婚したフィオナ姫(シュレックと同じ怪物なのに蛙国王が父!?)までいるんだ?と、一々ひっかかっていてはどうしようもない。

だから楽しめなかったかというとそんなことはないのだが、残念なことにシュレックにそれほど親近感が持てぬまま終わってしまったのは事実。

蛙国王ハロルドの死(死の場面で笑いをとってしまうんだからねー)で、いよいよ王位に就くしかなくなったシュレックは、フィオナ姫の従弟のアーサーという王位継承者の存在をハロルド王から聞いたことで、アーサー探しの船旅に出、ある町の高校でアーサーを見つけだす。

このアーサー、円卓の騎士(アーサー王伝説)からの命名らしく、ライバル(恋敵でなくいじめっ子)はランスロットで、かつて魔法を教えてくれていたのがマーリンというヘンな元教師(魔術師という設定は正しいが、彼には別の場所で会う)。ただ、円卓の騎士の話は名前だけの借用で、話が関連してくるでもなく、アーサーはまぬけな臆病ものでしかない。

一方、シュレックが王になっては面白くないチャーミング王子は、おとぎ話で悪役や嫌われ者になっている白雪姫の魔女やシンデレラの継母にフック船長などにくすぶっている不当な扱いや不満をすくい取り、シュレックがいないのを狙いすましたように反旗をひるがえす。

チャーミング王子が自分勝手で狡賢いヤツでなければ、彼らの想い(昔々、誰かが僕たちをこんなにした)に応えるこの発想は捨てたものではないのだが、自分が注目されたいがために、所詮はおだてて利用しようとしているだけというのがねー。てっきり子供向けだから単純な設定にしておいたのだろうと思ったのだが、白雪姫やシンデレラたちをちょっと鼻持ちならないキャラクターにしたりと、手のこんだところもみせる。で、髪長姫にはチャーミング王子に協力するという裏切りまでさせているのだ。

ただそのチャーミング王子は、巨大劇場での自己満足演目に浸りきってしまう幼稚さだから、シュレックが旅から戻ると一気にその企ても崩れ去るのみ。おとぎの国の悪役たちも、アーサーが王らしい訓示を垂れれば(シュレックの受け売りなんだけどね)、武器を捨ててしまうのだから、あっけないったらありゃしないのである。

映画全体にあるこの生温さは、怪物として機能する必要がなくなってしまったシュレックにありそうなのだが、なにしろ1、2作を観ていないのでいい加減な感想しか書けないのは最初に断った通り。CGは見事だし、ほとんどお馴染み顔ぶれが繰り出すギャグも1作目から観ていたらもっと楽しめたと思うのだが、とにかくシュレックのヒーローとしての際立った魅力がこの3には感じられないのだ。王様になることを恐れたり、生まれてくる赤ん坊の悪夢を見ていたというような印象ばかりではね。

 

【メモ】

最近の日本語吹替版ではあたりまえのようだが、タイトルやエンドロールも日本語表記のもの。アニメなんだから私なぞ日本語吹替版で十分(むしろこの方が楽しめるかも)。

原題:Shrek the Third

2007年 93分 シネスコサイズ アメリカ 配給:アスミック・エースエンタテインメント、角川エンタテインメント

監督:クリス・ミラー 共同監督:ロマン・ヒュイ 製作:アーロン・ワーナー 製作総指揮:アンドリュー・アダムソン、ジョン・H・ウィリアムズ 原作:ウィリアム・スタイグ 原案:アンドリュー・アダムソン 脚本:ピーター・S・シーマン、ジェフリー・プライス、クリス・ミラー、アーロン・ワーナー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

声の出演(日本語吹替版):濱田雅功(シュレック)、藤原紀香(フィオナ姫)、山寺宏一(ドンキー)、竹中直人(長ぐつをはいた猫)、橘慶太(アーサー)、大沢あかね(白雪姫)、星野亜希(シンデレラ)、光浦靖子(髪長姫〈オアシズ〉)、大久保佳代子(眠れる森の美女〈オアシズ〉)

図鑑に載ってない虫

新宿武蔵野館2 ★★★☆

■岡っていう字がアザラシに似ている

この映画について書くのは難しい。この面白さを伝えられる人は、すでに作家を生業としているか他人と尺度が違いすぎて(映画を楽しむのとは別)生活破綻者になっている気がするのだ。真っ当とはいわないが、作家からも生活破綻者からも遠い所にいる私が書くことなどないではないか。

で、このままペンを置けばいいのだけど、私はそういう部分では気が小さいというか律儀なのな。ということで、何の展望もないのだが、とりあえず粗筋から書くことにする。

フリーライターの俺(伊勢谷友介)は『月刊黒い本』の女編集長(水野美紀)から臨死体験ルポを書くよう指示されるのだが、そのためには「死にモドキ」という虫がうってつけなのだという(というより死にモドキによる臨死体験ルポなのか)。が、誰もそんな虫の存在など知らないから、俺はアル中のオルゴール職人で金欠のエンドー(松尾スズキ)と、まず死にモドキを探すことからはじめる。手がかりはカメラマンの真島(松重豊)がすでに死にモドキを追っていたというこどだけ……。

死にモドキを追う過程で、自殺願望(リストカットマニア)のあるSM嬢のサエコ(菊地凛子)が加わって乞食の巣になっている島に上陸したり、目玉のおっちゃんにその弟分のチョロリ(ふせえり)などがからんで、話は脱線するばかり。これじゃあ話にならないよと思った頃に、「死にモドキのいるところが見つかったよ」とサヨコからメール。えー。

締め切りまであと2日というところで、死にモドキを手に入れて臨死体験にも成功するのだが、俺は「結局死んでるのか生きてるかわからない」という結論になる。こんなだからか原稿もボツ。編集長には取材の経費も返せと言われてしまう。でもよくわからん。だって、一緒に臨死体験をしたエンドーが死んで1週間と言っていたのに、これはまだ2日後なんだもの。

よーするに、この映画にとって話はほとんど関係なくて、ただ三木聡が面白いと感じたことを話の間に散りばめていったにすぎないようだ。つまり、そこに出てくる面白さは、話とは無関係の面白さであって、話は面白さを適当にばらまくための装置でしかないのである。

面白さの定義はいろいろあるだろう。それこそ知的な笑いから低俗なものまで。で、ここにあるのはそういうのとは無関係の(低俗には引っかかるものはあるか)、笑いの1つ1つが響き合うこともなく、だから筋道のある笑いではなくて、独立しているのである。でもそれでもおかしいのだけど。

1つだけにしておくが、たとえば「岡っていう字がアザラシに似ている」と唐突に言われてしまうのである。で、それをおかしいでしょ、と押し売りされたら臍を曲げたくなるかもしれないのだけど、やっぱりおかしいのだ。だってアザラシなんだもの(もっともつまらなかったり、よくわからないものもあるのだが、とにかくそういうのがものすごい量詰まっているのである)。

三木聡は『イン・ザ・プール』『亀は意外と速く泳ぐ』で「脱力系」映画作家ということになっているらしいが、これもそんなところか。脱力系という言葉もよくわからないが、脱力とはいえそこに力がないかというとそんなことはなくて、でも大勢には影響しない力というか。そうか。笑いの質もこれかな。

ね。だからこういうのっていくら書いてもしかたのないことになってしまう。ただちょっと付け加えておきたいのは、この映画を見ていると俺とエンドーの、あんなにいい加減であっても、そこにはある信頼関係のようなものがあって、それがじんわりと伝わってくるということだ。あとはサヨコが母の死を思い違いしていたような映像もあるのだけど、全体のくだらない雰囲気に飲まれて、よくわからにままに終わってしまったのだった。

以下、おまけ。

図という字は、泳いでいるエイで、
鑑という字は、大金を前にガハハと大笑いしている顔で、
載という字は、車に寄っかかってタバコを吸っている人で、
映という字は、昔ウチにもよく来ていた野菜を担いで売りに来ていたおばさんで、
画という字は、リニアモーターカー(玉電にしかみえない)が正面から突っ込んでくるところ……。

真似してみたけど、やっぱ、才能ないみたいなので、ヤメ。

 

2007年 103分 ビスタサイズ 

製作:葵プロモーション、ビクターエンタテインメント、日活、IMAGICA、ザックプロモーション 配給:日活

監督・脚本:三木聡 製作:相原裕美、大村正一郎、高野力、木幡久美、宮崎恭一 プロデューサー:原田典久、渋谷保幸、佐藤央 協力プロデューサー:林哲次 撮影:小松高志 美術:丸尾知行 編集:高橋信之 音楽:坂口修 コスチュームデザイン:勝俣淳子 ラインプロデューサー:鈴木剛、姫田伸也 照明:松岡泰彦 録音:永口靖

出演:伊勢谷友介(俺)、松尾スズキ(エンドー)、菊地凛子(サヨコ)、岩松了(目玉のおっちゃん)、ふせえり(チョロリ)、水野美紀(美人編集長)、松重豊(真島)、笹野高史(モツ煮込み屋の親父)、三谷昇(種田師匠)、渡辺裕之(船長)、高橋恵子(サヨコの母親)、村松利史(半分男)、片桐はいり(SMの女王様)、森下能幸、志賀勝、嶋田久作、つぐみ、園子温、山崎一、田中哲司、マメ山田、佐々木すみ江、新屋英子

ゾディアック

新宿ミラノ1 ★★★★

■こちらまで取り憑かれてしまいそうになる

まず、事件の描き方がどれも巧妙かつ思い入れたっぷりだ。ただ殺人事件を提示すればすむところを被害者の背景や事件の進行状況を的確に描き出していく。映画にある最初の殺人でも女が人妻らしいことをさらりと語って、観客の心を波立たせる。あとの事件でも犯人は夜の道路で女にタイヤが弛んでいると近付き、よかったら締めてあげようと言って逆に弛めてしまうのだが、この一連の流れがものすごく怖いのだ(映画では4つの事件が描かれている)。

この映画の面白さが、犯人ゾディアックの存在にあるのは間違いないが、こういう魅力的な描写に支えられている部分も大きい。例えば、映画は時間軸に沿って機械的に年月や時刻を画面に刻印していくのだが、その年代へのこだわりは偏執狂的ですらある。時代考証だけでなく、それを映し出すカメラもで、車を真上から執拗に追いかけたり、また時にはある高層ビルが建設されていく一部始終を捉えた映像(早送りでクレーンが動き建物が出来ていく)までが出てきたりするのである。

ここまで神経が行き届いていて物語がつまらないわけがない。しかもこのゾディアックと名乗る犯人は、事件を通報し、新聞社には犯行声明を送りつけ、その中の暗号文を掲載しないと無差別殺人に移ると脅す。劇場型犯罪は映画や小説には度々登場しているが、こちらは実話(映画のはじめには「実際の事実に基づく」と出る)。私が事件をほとんど知らないこともあって、風刺漫画家のロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)同様、事件の進展にどうなるのかと、息を呑んで見守ることになった。

グレイスミスは声明文が送られてきたその場所にいたことと、元々大のパズル好きだったことからその謎解きに取り憑かれてしまう。辣腕記者のポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・Jr)は、当初はグレイスミスの推理に耳を貸さずにいたが、彼の本気度とその説得力に、彼を認めるようになる。

ゾディアックを尋問しながら見逃してしまうという重大な失態を犯した警察だが(これはゾディアックによって、明らかにされてしまう)、サンフランシスコ市警の刑事デイブ・トースキー(マーク・ラファロ)と相棒のビル・アームストロング(アンソニー・エドワーズ)は、大量の偽情報にうんざりしながらも、何人かの男に狙いを付けていた。

カップルが襲われた2つの事件ではいずれも男性の方は命までは奪われずにいるし、指紋に足跡、犯人が送りつけてきた被害者のシャツの切れ端、筆跡、暗号に円から飛び出した十字のマークなど手がかりも沢山あって、それにも一々触れている。謎解きの興味はいやがおうにも高まるのだが、映画はそこに固執しているのではなかった。

はじめの方にいくつかあるゾディアックの犯行描写があまりに克明だったものだから、事件に方が付くのは当然と思ってしまったのだが(つまり犯行の映像は犯人の供述に沿ったものと思っていたのだ。でないとなると、あれは……)、容疑者と特定した人物と筆跡鑑定は一致せず、証拠不足のまま、また幸い?なことに新たな犯行が行われることもなく、虚しく年月のみが過ぎていくことになる。

エイブリーは酒に溺れ新聞社を首になっている。アームストロング刑事は定時に帰りたいのだと移動願いを出して殺人課を去っていく。そして、数年経っても殺害現場に度々足を運んでいたトースキー刑事には証拠捏造嫌疑が持ち上がる。グレイスミスは最後まで執念を持ち続け、最初から資料を調べ直す(トースキーとも接触し、記者には教えられないと言われながらも助言をもらう)のだが、結局はゾディアックに翻弄された人生を送ることになる。

事件発生の1年後、グレイスミスはメラニー(クロエ・セヴィニー)と付き合うようになり、4年後の日付ではすでに結婚している。メラニーはグレイスミスのことをよく理解しているようだったが、でも結局はうまくいかなくなっている。理由はグレイスミスが自分をメディアに露出させてまでゾディアックを調べようとしたからで(無言電話がかかってくるようになっていた)、メラニーが家族の安全は二の次になっていると言っても、ゾディアック事件の真相を明かすのは僕しかいないと取り合ってもらえず、彼女は子供たちを連れて家を出ていく。

このあともう1度だけ、容疑者らしき男の住居をグレイスミスが訪ねるというちょっと怖い演出が待っているのだが、これはおまけだろうか。グレイスミスは完全に取り憑かれた男になっていて、久しぶりに訪ねてきたメラニーも「この結婚は幻」と言うしかなかったようだ。

グレイスミスは本も書き、生き残った被害者のマイクの証言(顔写真を見て言い当てる)も得、どう考えても怪しいとしか思えないアーサー・リー・アレン(ジョン・キャロル・リンチ)に結局舞い戻るのだが(すでに事件から22年が経過しているのだ)、リーは心臓発作で死んでしまう。しかしDNAは一致しないなど物的証拠は1つも得られなかったようだ。エイブリーが肺気腫で死んだことや、リーの死後グレイスミスには無言電話がかかってこなくなったという説明もつく(原作はグレイスミスながら、この部分でそれも含めて映画を作ったと言っているようだ)が、この徒労感は癒されることがない。

もちろんのめり込んでいったことに本人たちは納得しているのだろうが、その人生を考えると複雑な思いにかられるのだ。映画は徒労感を漂わせながら、しかし強力に観客をゾディアック事件にいざなう。で、こんなにいつまでも引きずられてしまっては、ちょっと危ないかもだ。

犯人は映画でも言っていたが、もしかしたら2人なのかも。そうすればDNA鑑定の矛盾なども説明できそうだ。こういう猟奇事件は犯行がエスカレートするといわれているが、ある時からやめてしまったことも、犯人が複数であればお互いを牽制しあって可能だったのではないか。いや、もうやめよう、本当に。でも映画はまた観たい。

 

【メモ】

映画の中で『ダーティハリー』(犯人のサソリ)がこのゾディアックをモデルにしているという話が出てくる。この映画を観に行った時のグレイスミスは、メラニーとはまだデートをしている間柄である。

ゾディアックは ゾディアックブランドの時計からの命名ではないかと推理していた。この時計をリーは腕に付けていた。

ゾディアックについてはこの他にも(映画の中だけでも)、メモしておきたいことが沢山あるのだが、それをしだすと私も本当に取り憑かれてしまいそうなので、やめ。というか、それぼどマメでなくてよかった。よかった。

原題:Zodiac

2006年 152分 シネスコサイズ アメリカ PG-12 配給:刊ワーナー・ブラザース映画 日本語版字幕:杉山緑

監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、ブラッドリー・J・フィッシャー、ジェームズ・ヴァンダービルト、シーン・チャフィン 製作総指揮:ルイス・フィリップス 原作:ロバート・グレイスミス 脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:ハリス・サヴィデス プロダクションデザイン:ドナルド・グレアム・バート 衣装デザイン:ケイシー・ストーム 編集:アンガス・ウォール 音楽:デヴィッド・シャイア

出演:ジェイク・ギレンホール(ロバート・グレイスミス)、マーク・ラファロ(デイブ・トースキー刑事)、ロバート・ダウニー・Jr(ポール・エイブリー)、アンソニー・エドワーズ(ウィリアム・アームストロング刑事)、ブライアン・コックス(ベルビン・ベリー)、イライアス・コティーズ(ジャック・マラナックス巡査部長)、クロエ・セヴィニー(メラニー)、ドナル・ローグ(ケン・ナーロウ)、ジョン・キャロル・リンチ(アーサー・リー・アレン)、ダーモット・マローニー(マーティ・リー警部)

そのときは彼によろしく

テアトルダイヤ ★

■そのときは、ってそんなもんあるかい

遠山智史(山田孝之)が経営するアクアプランツ(水草)ショップ「トラッシュ」に、押しかけるようにやってきて居座ってしまった森川鈴音(長澤まさみ)は「世の中の8割の人が彼女のことを知っている」という人気モデル(智史は知らないのだな)だったが、何故か引退してしまったという。それにしてもどうして雑誌に紹介されても客が増えないようなこの店に、彼女はやってきたのか?

彼女が実は幼なじみの花梨だったことを「鈍感な」智史が知るのは、かなり経ってから。開業医の父遠山悟郎(小日向文世)の心臓が悪くなり、閉院の為の片付けで昔の思い出の品が出てきて、思い出に浸ったばかりなのだから、この鈍感さは筋金入りだ。パン屋の柴田美咲(国仲涼子)が好意を抱いてくれているのにもまったく気付いていないのだから。

花梨がモデルを辞めたのは、眠るとだんだん起きられなくなるという奇病(何なのだこれは)が悪化して、死を予感したからで、13年前からずっと好きだった智史に会いにきたのだった。トラッシュが紹介された雑誌で智史のことを知ったのだ。なにしろ、智史は有名なモデルになっても気づいてくれないんではね。

そしてその雑誌は、絵の好きだったもう1人の友達五十嵐佑司(塚本高史)の目にも止まっていた。彼は智史を個展に呼ぶとはりきっていたが、母とその愛人による詐欺に会い、さらにバイト先の画材店からの帰り道でオートバイが転倒して入院先で昏睡状態でいるのだと、佑司の恋人葛城桃香(北川景子)から連絡が入る。

あらすじを書くのもかったるいので端折るが、タイトルの『そのときは彼によろしく』は、以下に書くことによる。花梨が眠りにつくのと入れ替わるように目を覚ました佑司は、夢の中で花梨に会い、早く帰れと言われたのだと言う。ただの夢なのだが花梨が救ってくれたのだと思いたい、とも。そして、花梨がスケッチブックに残していったメッセージを、見せたら花梨に怒られてしまうかもと言いながら智史に渡す。

目を覚ましたら読んでもらえることを、という書き出しで、そこには花梨の智史への想いと、好きだと伝えられなかったが、目を覚まして智史に会えたら、そのときは、彼によろしくと書いてあった。ただ、この「彼によろしく」は生きているうちに書くのではなく(好きだというのは構わないのだが)、夢の中で佑司が聞いてきたことにしないと効果が半減してしまわないだろうか。

さらに眠っている花梨には智史の父が死ぬことで、花梨に、智史が待っているからもどってやってくれ、そして智史を愛していた、花梨ちゃんはまた智史にあえるだろうから、そのときは智史によろしく伝えてほしいと言われたというのだ。

そう、花梨は5年間の眠りのあと、そのまま死んでしまうことなく、智史のところに戻ってくるのである。え、いや、そんな(ってオニバスの種でもうわかっちゃてたけどさ)。

まったく強引な話なのだが、それに目をつぶれば市川拓司らしい愛に満ちた世界に浸れるってことなのかも。ま、「そのときは、彼によろしく」を2度使うには(2度の登場でやっと一人前になるセリフっていうのもねー)ああするしかなかったのかもしれないけど、話を創ったのが見え見え。難病ものということだけでも文句を付けたくなるのに、その病気までが現実離れしていているんだもの。

3人は物理学でも解明できない強い力で引き合っていたと父に言わせて誤魔化そうったって、そうはいかないのだな。そういう意味では、「眠ったままでもかまわない」から「このまま待ってていいんだよね」に変わっていた時の智史や、佑司の「花梨はお前(智史)が待ち続けることを望んでいるかな」というセリフの方にこそ真実はあるのだと思うのだが。でもそれじゃ、映画にはならないか。

映画は9歳の時の3人(そうだ、9歳の花梨のファーストキスというのもあった)と13年後の現在が目まぐるしく入れ替わりながら少しずつ状況を説明していくという構成。これは、前半は智史が花梨のことを思い出す過程にもなっているのだろうが、ちょっとうるさくもある。もっともこれくらい何かしないと、いくら死(描写としてはないが、智史の母の死もある)がばらまかれていても、あまりに平板にすぎてしまうのかも。

ところで『フランダースの犬』(これは智史が花梨からもらってタイムカプセルにしまっていた)ならパトラッシュと思うのだが、何でトラッシュなんだろ。

  

2007年 114分 ビスタサイズ 配給:東宝

監督:平川雄一朗 製作:島谷能成、信国一朗、亀井修、安永義郎、久安学、原裕二郎、井上良次、沢井和則 プロデューサー:神戸明、山中和成、川村元気 プロデュース:春名慶 エグゼクティブプロデューサー:市川南、濱名一哉 アソシエイトプロデューサー:大岡大介 企画:春名慶 原作:市川拓司『そのときは彼によろしく』 脚本:いずみ吉紘、石井薫 撮影:斑目重友 美術:磯田典宏 編集:今井剛 音楽:松谷卓 音楽プロデューサー:北原京子 主題歌:柴咲コウ『プリズム』 VFXスーパーバイザー:小坂一順 スクリプター:鈴木一美 ラインプロデューサー:竹山昌利 照明:上妻敏厚 装飾:河合良昭 録音:横溝正俊 助監督:塩崎遵 プロダクション統括:金澤清美

出演:長澤まさみ(滝川花梨/森川鈴音)、山田孝之(遠山智史)、小日向文世(遠山悟郎)、塚本高史(五十嵐佑司)、国仲涼子(柴田美咲)、北川景子(葛城桃香)、黄川田将也(夏目貴幸)、本多力(松岡郁生)、黒田凛(子供時代の花梨)、深澤嵐(子供時代の智史)、桑代貴明(子供時代の佑司)、和久井映見(遠山律子)

300

新宿ミラノ2 ★★☆

■スパルタ教育って優性思想なのか!?

戦闘シーンの迫力に目を奪われていたら、117分はあっけなく過ぎていて、つまりこの映画の映像にはそれだけの迫力があったということなのだが、しかし物語の方は心もとないものだった。

まずスパルタではどのように子供を育てるかという話が出てくる(スパルタ教育を復習)。発育不全や障害は排除され、7歳で母親から離され暴力の世界で生きることを学ばされる。そして、今のスパルタ王レオニダス(ジェラルド・バトラー)は、そういう意味でも完璧だったというのだ。

そのレオニダスのもとにペルシャ王クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)からの使者が訪れる。西アジアやエジプトなどを手中にしたペルシャは100万という大軍をもってギリシャに迫り、属国になることを要求するのだが、レオニダスはためらうことなく使者を殺してしまう。彼にとって戦うことは当然だったが、好色な司祭たちはクセルクセスの餌(スパルタが滅んだ時は生娘を毎日届けるというすごいもの)に、託宣者(オラクル)のお告げと称してレオニダスにスパルタ軍の出兵を禁じてしまう。

スパルタの滅亡が目に見えているレオニダスは苦悩するが、「戦争はしない。散歩だ」と言って、でも王妃には別れを告げ、親衛隊と北に向かう。それをきいたアルカディア軍も駆けつけてくるが、レオニダスが動かせる兵はわずか300。が、敵の進路にあたる海岸線が狭くなる地点で敵と対峙すれば単純な数の比較は成立しない……たってねー。

で、このあとあらかた戦闘場面についやされるのだが、腑に落ちないのが王妃ゴルゴ(レナ・ヘディ)の行動だ。自分が議会で派兵の要請をしても説得できる可能性が少ないとみてセロン(ドミニク・ウェスト)に接近し、我が身と引き換えに協力を得ようとするのだが、セロンからは逆に王妃に誘惑されたと発言されてしまう。首飾りを渡し「骸となっても戻ってきて」とレオニダスに言っていたのにあまりではないか。

ま、これは男性観客へのサービスみたいなものか。密会場面で王妃は「いい夜ですね」と切り出すがセロンは「話相手に呼んだのではない」とばっさり。王妃は「わかってます」と強気に答えるが、「法を破り議会を無視して進軍したのだから」とすぐ主導権を奪われて、「現実主義者の見返りはおわかりのはず」「すぐにはすまない。苦痛だぞ」だもんね。東映のチャンバラ時代劇にもあるいたぶって喜ぶ悪代官みたいな感じ。

セロンの発言のひどさに、怒りに燃えた王妃が、剣で彼を刺し殺してしまうのだが、セロンの懐からペルシア金貨がこぼれ落ちたことから、セロンが裏切り者だったことがわかる。いや、もう、なんともわかりやすい説明(こんな時に持ってるなよ、ペルシャ金貨)。

物語は他の部分ではもっと単純。とにかく戦闘場面に集中しろということか。確かにその映像は一見に値する。茶を基調に色数を抑えたざらついた質感の画面に、スパルタ兵のまとうケープや血しぶきの赤を強調するところなど『シン・シティ』(この原作もフランク・ミラーだ)にもあった手法だが、戦闘場面にこだわった映画だけに、これがものすごく効いている。スローモーションと速送りを自在に組み合わせることで、獲物を仕留める正確さと速度の尋常ならざることの両方をきっちりと描く。

無茶なアップや雑なカメラ移動もないから安心して観ていられるのだ。すべてが計算された動きの中にある感じで、いかに敵を仕留めたかを観客にわからせようとしているようでもある。そしてこれを徹底させることが、画面から現実味をなくし、よりゲームに近い世界を作り上げることになった。首が、腕が、飛び、血しぶきが舞いながら、残虐性より美しさが演出されていたと言ったら褒めすぎか。実写をデジタル処理したマンガと思えば(そこまではいってないが)いいのかも。

このことに関係しているはずだが、ペルシャ軍の秘密兵器の飾り立てられたサイや象なども、もはや常識の大きさではなく、まるでゲイのようなクセルクセスの高い背、戦場とは思えない御輿なども、すべてがゲームやマンガに近い。1人が100人を殺しても(疲れちゃうものね)3万人の犠牲ですみそうなのに、ペルシャ軍はありえない巨大動物だけでなく、怪力男、忍者?部隊なども繰り出してくる。それを次々と撃破してしまうんだからねー。

とはいえ、敵に山羊の道を知られたことで退却者も出、スパルタの勇士たちにも力の尽きる時がくる。レオニダスは無数の矢に射られて命を落とし、王妃の元には使者によって首飾りが届けられる。

ただ、このあとの「神秘主義と専政政治から世界を救う」というメッセージには同調しかねる。最初の方でも「世界の手本である民主主義」などという言葉が出てきたが、そこまで言っては思い上がりというものだ。

一般のペルシア兵が仮面軍隊というのは、面白さとわかりやすさから採用されたのだとは思うが、見方を変えると個性剥奪というずいぶんな扱いであるし、それに巻頭にあった、スパルタでは弱者は生かしてもらえないという部分は、ナチスなどの優性思想に通じるものだもね。2500年前にはそうでもなきゃ生きていけなかったのかもしれないけど、こうあからさまに言われてしまうと聞き捨てならなくなる。

  

原題:300

2006年 117分 シネスコサイズ アメリカ R-15 配給:ワーナー・ブラザーズ映画 日本語字幕:林完治

監督:ザック・スナイダー 製作:ジャンニ・ヌナリ、マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン、ジェフリー・シルヴァー 製作総指揮:フランク・ミラー、デボラ・スナイダー、クレイグ・J・フローレス、トーマス・タル、ウィリアム・フェイ、スコット・メドニック、ベンジャミン・ウェイスブレン 原作:フランク・ミラー、リン・ヴァーリー 脚本:ザック・スナイダー、マイケル・B・ゴードン、カート・ジョンスタッド 撮影:ラリー・フォン プロダクションデザイン:ジェームズ・ビゼル 編集:ウィリアム・ホイ 音楽:タイラー・ベイツ

出演:ジェラルド・バトラー(レオニダス)、レナ・ヘディ(ゴルゴ/王妃)、デヴィッド・ウェンハム(ディリオス)、ドミニク・ウェスト(セロン)、ミヒャエル・ファスベンダー(ステリオス)、ヴィンセント・リーガン(隊長)、トム・ウィズダム(アスティノス)、アンドリュー・プレヴィン(ダクソス)、アンドリュー・ティアナン(エフィアルテス)、ロドリゴ・サントロ(クセルクセス)、マリー=ジュリー・リヴェス、スティーヴン・マクハティ、タイロン・ベンスキン、ピーター・メンサー

しゃべれども しゃべれども

新宿武蔵野館1 ★★★★

■落語の味わい、ながら本気度満点

この映画を文章で説明してもあまり面白くなりそうもないのだが、しかし目的はまず自分のための忘備録なのであるからして、やはり粗筋くらいは書いておくか(書き出せばなんとかなるだろう)。

二つ目で今昔亭三つ葉という名をもらっている外山達也(国分太一)が、師匠の小三文(伊東四朗)に弟子入りしたのは18の時だから、もうすでに10年以上が経っている。達也は古典落語にこだわり、常に着物を着る、根っからの落語好き。なのに、どう喋ったらいいかがなかなか掴めずにいた。そんな彼が、よりによっておかしな3人を相手に話し方教室を開くことになるという、まるで落語の題材のような映画だ。

まずは、村林優(森永悠希)という大阪からの転校小学生。言葉の問題でいじめにあっているらしい。心配になって達也に相談してきたのが彼の叔母の実川郁子(占部房子)。彼女は達也の祖母春子(八千草薫)のお茶の生徒で、優が落語を覚えれば人気者になって問題解決と思ったらしい(これが彼女らしさなのかも)。達也は郁子に秘かに想いを寄せていたのだが、展開の糸口も見せてくれないうちに「来年結婚することにした」という郁子の宣言を達也は聞かされることになる(はい、残念でした)。

2人目は十河五月(香里奈)という若い女性。小三文が講師となったカルチャースクールの話し方教室を中途退席した失礼なヤツ。達也は「師匠はいつもあんなもん」と弁護するのだが、五月は「本気でしゃべってない」から「つまらない」と手厳しい。2人の掛け合いが、実際に自分がその内の1人だったらとてもこうはいかないと思うのだが、ギリギリのところで繋がっていて面白い。

五月のように、こうぶっきらぼうに話されてはたまったものではないし、だから話し方教室はぜひとも必要と思わせるのだが、しかし彼女の口から出る言葉は常に本音だから、達也も正面からぶつかっていったのだろう。事実、何故か一緒に行くことになったほおずき市でも、楽しかったと正直な感想を述べていた(達也は郁子の気持ちをこの時はまだ知らない。五月の方は、男にフラれた話を達也にしたところだった)。

3人目は元野球選手の湯河原太一(松重豊)。現役時代は「代打の湯河原」として湧かせたらしいが、話し下手であがり症だから解説者としての前途は暗澹たるもので、教室の噂を聞きつけて飛び込みでやってきたのだった。

3人が教室で一緒になる設定は、強引といえば強引。だけど、この取り合わせの妙は捨てがたいものがある。優は小学生ながら、口は達者でお調子乗り。湯河原太一とは相性が悪く険悪ムードが漂うが、でも優のいじめっ子宮田との野球対決に湯河原が一役買ってという流れにはちゃんと2人の本気度が感じられる。結局、アドバイスはもらったものの宮田には三振で負けてしまうのだが、このあと優の失踪騒動(達也の部屋にいただけだった)では、達也が優に手を出してしまうことになる。

こんなだから、教室の発表会の開催はあやしくなる。達也にも、師匠から一門会があるという話があって、集中しなければならない事情があった。なにしろ達也はあろうことか師匠の十八番である『火焔太鼓』をやると決めてしまったのだ。これを決める少し前に達也が「俺、師匠の噺が好きです」と師匠に言う素晴らしい場面がある。この達也の真っ直ぐな気持ちには泣けてしまう。

クライマックスというほどのものなどないのだが、結局達也(ここは三つ葉と書くべきか)は体調を崩していたことも幸いしたのか、一門会で自分なりの『火焔太鼓』をものにする。そして、教室の発表会も無事行われることとなった。

優は『饅頭こわい』で宮田から笑いを取り、姿をなかなか見せずに心配させた五月も、演目を変え達也と同じ『火焔太鼓』を披露する。教室には何しにきていたのかわからないような湯河原だったが、彼も来年からはコーチをやることになったという。不器用な彼ら(優は最初から器用だったけどね)だったが、五月の言ったとおり「みんな、本気でなんとかしたいって思って」いて、本当になんとかしたのだった。

最後は達也を追いかけるようにして五月が水上バスに乗り込んできて、言わないと一生後悔する気がすると、ほおずきがうれしかったことを告げる。いらないと言い張っていたほおずきを、達也が買って五月の家に届けてやっていたのだ。2人が結ばれる結末は予想どおりにしても、ここまではっきりとした意思表示を五月が見せるとは思いもしなかった。ということは『饅頭こわい』を『火焔太鼓』にしたのにも、同様の意味があったということか。ずっと練習していた『饅頭こわい』ではなく、達也が悩み苦しんでいた『火焔太鼓』を五月も一緒になって演じたかったのだ。

一方的に五月に攻勢をかけられてしまっては、達也が心配になるが、『火焔太鼓』を30点評価にして「『饅頭こわい』はどこに行った」と切り返すあたり、さすがにそれはわかっていたらしい。で、「ウチにくるか、祖母さんがいるけどな」となる。

もっとも、そこまでわかっているなら、達也がもう少し気をきかせてやってもよかったような。じゃないか、五月が自分で意思表示することが1番大切なことだと、達也にはわかっていたのだよね(そういうことにしておこう)。

しかしくだらないことだが、達也が豊島区の家を出ると、次には江東区の水上バスに乗っているというのがどうもね。深川図書館や水上バスが出てくる風景は、私にとっては日常の延長線のものだからそれだけでうれしいのだが、だからよけい気になってしまうのである。

  

2007年 109分 ビスタサイズ 配給:アスミック・エース

監督:平山秀幸 プロデューサー:渡辺敦、小川真司 エグゼクティブプロデューサー:豊島雅郎、藤島ジュリーK.、奥田誠治、田島一昌、渡辺純一、大月昇 原作:佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』 脚本:奥寺佐渡子 撮影:藤澤順一 美術:中山慎 編集:洲崎千恵子 音楽:安川午朗 音楽プロデューサー:安井輝 主題歌:ゆず『明日天気になぁれ』 照明:上田なりゆき 装飾:松本良二 録音:小松将人 助監督:城本俊治 落語監修・指導:柳家三三、古今亭菊志ん

出演:国分太一(外山達也/今昔亭三つ葉)、香里奈(十河五月)、森永悠希(村林優)、松重豊(湯河原太一)、八千草薫(外山春子)、伊東四朗(今昔亭小三文)、占部房子(実川郁子)、外波山文明(末広亭の師匠)、建蔵(今昔亭六文)、日向とめ吉(今昔亭三角)、青木和代(八重子)、下元史朗(十河巌)、水木薫(十河みどり)三田村周三

素晴らしき休日

銀座テアトルシネマ ★★☆

■畑の中の映画館

『監督・ばんざい!』の上映前にかかった短篇。カンヌ映画祭60周年を記念して、35人の映画監督に映画館をテーマに持ち時間3分で短篇の依頼があって作られたものらしい。

田舎の畑の三叉路にあるヒカリ座という映画館に1人の男(モロ師岡)がやってくる。ちょっとうっかりしていて定かではないのだが、男は「農業1枚」(こんなこと言うかな)と言って切符を買う。ちなみに映画は『Kids Return キッズ・リターン』で料金は大人500円、学生400円、子供200円。農業はいくらなんだ。

上映となるが、すぐにトラブルがあって、映写技師(北野武)がちょっと待ってくださいと言う。が、タバコ数本分は待たされてしまう。しかしどうでもいいのだが、この映画館のボロさはただ者ではないのだな。朽ちかけた椅子もあるし。で、再開されるのだが、今度はフィルムが焼けてしまう(いまだに可燃フィルム?)。男も怒るでもなく、犬にパンなどをやっているのだ。

「はい、いきまーす」のかけ声で映画がまた始まる。

私は観ていないからわからないのだが、多分『Kids Return キッズ・リターン』がそのままかかっていて、「俺たち終わっちゃったのかな」「まだ始まっちゃいねえよ」という場面が映る。

外はもう夕方になっていて、男が1本道を画面の奥に向かって帰って行く。

これだけの映画(3分だからね)だが、タイトルが『素晴らしき休日』ということは、男は十分満足して帰ったということなのか。映画がよっぽど素晴らしかったのか。ってそれだと自画自賛だけど、客1人のために映画を上映するというのがなんだかいい。客の方も映画を観にとぼとぼとやってきたわけで。

むふふ映画館もこんな畑の中に作ればよかったかなー、と思ってしまったのだな(まったく気が多い)。んで、私も短篇を作って客に強制的に観せてしまうというのはどうかな、と。こういう短篇は妄想がふくらむから、幸せな気分になれる。

2007年 3分 ビスタサイズ

監督:北野武

出演:モロ師岡、北野武

女帝[エンペラー]

有楽座 ★★☆

■様式美が恨めしい

『ハムレット』を基に、唐王朝崩壊後の五代十国時代の中国に移し替えた作品ということだが、話自体にかなり手を入れていることもあって、印象はまったく違うものとなった。

皇太子ウールアン(ダニエル・ウー)の妻だったのに、どうしてか彼の父の王妃となっていたワン(チャン・ツィイー)は、王の謎の死で、今度は新帝となった王の弟リー(グォ・ヨウ)のものとなる。ウールアンからすると、父と叔父に妻を取られるという図である。

「そちを手に入れたから国も霞んで見える」とリーに言わせるほどのワンではあるが(傾国の美女ってやつね)、この設定はいただけない。チャン・ツィイーを主役にするための『ハムレット』の改変だが、恋人だったウールアンを救うためにワンがリーの妻になるというのがはじまりでは、観客はもう最初からどうにでもなれという心境になる。話をいたずらに込み入らせるばかりで、気持ちの整理がつかなくなると思うのだが。

ワンが妻から義理の母になったことで、ウールアンは呉越で隠棲し、ただ歌と舞踏の修行に打ち込んでいたらしいのだが、兄を殺害(死の真相)したリーは、魔の手をウールアンにも差し向ける。

ウールアンの修行の地で繰り広げられる、舞踏集団とリーの送り込んだ暗殺団とのアクション場面は、舞踏集団の白面に白装束の舞が戦闘場面とは思えぬ優美さを演出するのだが、しかしやはりそれは舞踏にすぎないのか、暗殺団の手によって次々と命を落としていく様は、その美しさが恨めしくなるほどだ。彼らが積んできた修行の結果のその舞は、ほとんど何の役にも立たないのである。そして、それは皮肉なことにこの映画を象徴しているかのようである。

衣装や宮殿の豪華さを背景に、ワイヤーを多用した様式化された映像は、最近では多少鼻についてはきたものの息を呑むような仕上がりになっている。が、肝腎のドラマが最後まで機能していないのだ。

都に戻ったウールアンはワンに再会したのに「父上のお悔やみを言うべきか、母上にはお祝いを言うべきか」などと皮肉をいう始末。ウールアンにしてみればワンの行動が自分の安全と引き換えになっているなどとはとても思えない(現に暗殺されそうになった)から当然なのだが、でもここまで言ってしまうとちょっとという気になる(ここで演じられるワンとウールアンの舞踏?も物語と切り離して見る分には素晴らしいのだけどね)。

王妃の即位式でのウールアンの当てつけがましい先帝暗殺劇に、拍手を贈る裏でまたもウールアンの暗殺をもくろむリー(しかしここはそのまま人質交換要員として送り出してしまった方がよかったのではないか)。ワンはウールアンの許嫁チンニー(ジョウ・シュン。これがオフィーリアになるんだろうか)の兄イン・シュン将軍(ホァン・シャオミン)に、暗殺の阻止とリーへの偽りの報告をさせ、自らは毒薬を手に入れ、夜宴の席でリーの盃に注ぐ。

これがチンニーの死を招くことになってしまうのだが、真相を知ったリーは「そちが注いでくれた酒だ。飲まぬわけにはいくまい」と自ら毒杯を仰ぐ。ここもワンへのリーの想いがここまでになっていたことを表す場面なのだが、そういう気持ちに入り込むことより、ここに至るお膳立ての方ばかりに目が行ってしまうのだ。リーがワンの復讐心に気付かなかったのは不思議でもあるが、しかしそう思いなおしてみるとワンの復讐心がきちっと描かれていなかった気もしてくる。

といってワンに復讐心ではなく権力欲があったとも思えないのだが、チンニー、リー、ウールアン、イン将軍と、あれよあれよという間に登場人物がどんどん死んでいって、女帝陛下ワンが誕生することになる。これはワンが望んでいたものではなかったはずだが、欲望の色である茜色が好きで「私だけがこの色に燃えて輝く」などと言わしているところをみると、案外そうでもなかったのか。

しかしそのワンも、その言葉を口にしたとたん、やはり誰かに殺されてしまうのである。映画は額に血管の浮き出たワンの表情を捉えるが、殺した者を明かすことなく終映となる。しかし、ここのカットだけ長くして彼女の気持ちを汲み取れと言われてもなー。それに、チャン・ツィイーは今回ちょっと見慣れぬ化粧(時代考証の結果?)ということもあって、この最後の場面はともかく、表情とかよくわからなかったのね。

 

原題:夜宴 英題:The Banquet

2006年 131分 シネスコサイズ 中国、香港 PG-12 日本語字幕:水野衛子 字幕監修:中島丈博 配給:ギャガ・コミュニケーションズ

監督・脚本:フォン・シャオガン[馮小剛] アクション監督:ユエン・ウーピン[袁和平] 撮影:レイモンド・ラム 美術・衣装デザイン:ティミー・イップ[葉錦添] 音楽:タン・ドゥン[譚盾]

出演:チャン・ツィイー[章子怡](ワン)、ダニエル・ウー[呉彦祖](ウールアン)、グォ・ヨウ[葛優](リー)、ジョウ・シュン[周迅](チンニー)、ホァン・シャオミン(イン・シュン将軍)、リー・ビンビン、マー・チンウー、チン・ハイルー

スパイダーマン3

楽天地シネマズ錦糸町-1 ★★☆

■超人がいっぱい

スパイダーマン(トビー・マグワイア)の今回の敵は3人?+自分。

まずはいまだ父親を殺害したと誤解しているハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)がニュー・ゴブリンとして登場する。しかしどうやってニュー・ゴブリンとなったかは省いてしまっている(ハリーも父親と同じ薬を飲んだとか。だったら彼も邪悪になってしまうけど)。そんなことを一々説明している暇はないのだろうけど、まあ乱暴だ。

次は、サンドマン。ピーターの伯父を殺したフリント・マルコ(トーマス・ヘイデン・チャーチ)が刑務所から脱走してしまうのだが、彼が素粒子実験場に逃げ込んだところでちょうど実験がはじまってしまい、体を砂のように変えられるサンドマンになっちゃう。簡単に超人(怪物)を誕生させちゃうのだな。まあ、そもそもスパイダーマンもそうなのだけど。

最後は宇宙生物。隕石に乗って地球にやってきた紐状の黒い生命体がスパイダーマンに取り憑く。この生命体は寄生生物で、人間にある悪い心に働きかけてくる(宿主の特性を増幅する)らしい。ピーターは前作でメリー・ジェーン・ワトソン=MJ(キルステン・ダンスト)の愛を手に入れたし(今回はどうやって結婚を申し込むかというところからスタートしている)、スパイダーマンもヒーローと認知されていて人気も高く、前作のはじまりとはまったく逆ですべてがうまく行っていて、そこにちょっとした慢心が生まれていた。寄生生物に取り憑かれる隙があったということなのだが、これまたファーストフードよろしく、あっと言う間の出来上がりなのだ。

スパイダーマンのスーツまで赤から黒に変わってしまうというのもよくわからないが、一応ピーターはヒーローであるからして、自分の中にいる悪の魅力に惹かれながらもその悪と戦うという構図。しかし、彼が苦悩の末剥ぎ取った寄生生物は、同僚のカメラマンでピーターに敵愾心を燃やすエディ・ブロック(トファー・グレイス)に乗り移って、スパイダーマンと同等以上の能力(これもわかるようでわからない)になって襲いかかってくる。

それにしても、何故これだけ沢山の敵を登場させなければならないのか。最近のアクション大作は、最初から最後まで見せ場を作ることが義務づけられているのだろうが、今回のように安易に敵の数を増やしては、その誕生の説明からまるで流れ作業のようになっていて、ちっとも訴えかけてこない。こんなことは監督とて承知のはずだろうに、それでも盛り沢山の構成を要求(誰に?)されてしまうんではつらいだろうな。

で、増やしすぎた結果、サンドマンと寄生生物に取り憑かれたエディ(チラシだとヴェノムと称している)が手を組んで、対スパイダーマンとニュー・ゴブリンのハリーというチーム戦にしてしまってはねー。もちろん、そのためにはピーターがハリーに助けを求める(MJのためだ、とも言う)という、この映画の大切なテーマがそこにはあるのだが、ハリーのいままでの思い違いを解く鍵を、オズボーン家の執事の「黙っていましたが、私はすべてを見ていました」にしてしまっては、力が抜けるばかりだ(もう1作での状況は覚えていないので何ともいえないのだが)。

その2対2のバトルも案外あっけない。ハリーの活躍があっての勝利だったが、そのハリーは死んでしまう。ハリーとの和解という切ない場面が、サンドマンの改心も(こういう風に併記してしまうところが問題なのだな)だが、とにかくすべてが駆け足では、どうこういうべき状況以前というしかない。

しかしそうしないことには、MJとの複雑な恋の行方が描けない、つまりその部分もいままでどおりにやろうっていうのだから、もう滅茶苦茶なんである。

スパイダーマンがヒーローとして人気を集めいい気になっているピーターは、舞台が酷評だったMJの気持ちをつい見逃してしまう。スパイダーマンの祝賀パーティーで、事故から救ったグエン・ステイシー(ブライス・ダラス・ハワード)と調子に乗ってキスをするに及んで、MJの気持ちもはなれてしまい、ピーターは伯母のメイ・パーカー(ローズマリー・ハリス)がプロポーズにとくれた婚約指輪を、MJに渡せなくなってしまう。

マルコの脱走のニュースがピーターに知らされるのもこのときで、彼は憎悪をつのらせる。ピーターには慢心だけでなく、こういう部分でも寄生生物に取り憑かれる要因があったってことなのね。

MJがハリーに傾きかけたり(お互い様なのだろうけど、これはそろそろやめてほしい)、またそれをハリーに利用されたりという事件も経て、「復讐」を「赦し」に変えるテーマが伯母の助言という形で語られるというわけだ。

不良もどきのピーターは持ち前のうじうじから解放されたようで、本人はうきうきなのだろうが(笑えたけどね)、でもヒーローでありながら悩めるピーターでいてくれた方が、スパイダーマンファンとしては安心できるのである。

 

【メモ】

まるでエンディングのような導入だが、ここには1、2作のカットが入れてある。

エンドロールで確認し忘れたので吹き替えかどうかはわからないのだが、キルステン・ダンストが酷評(声が最前列までしか届かないというもの)だった舞台で「They Say It’s Wonderful」(題名は?)をけっこう長く歌っていた。

ハリーはスパイダーマンとの死闘で記憶障害になり、ピーターとの間にしばし友情が戻る。

ハリーに記憶が返ってくるのは、MJとキスし、彼女がその事実にあわてて、ご免なさいと言いながら帰ってしまってから(MJはハリーが「高校の時君のために戯曲を書いた」という言葉にまいってしまったようだ)。このあとMJは憎悪の塊となったハリーに脅かされ、ピーターに好きな人が出来たと言わされる。

エディは、偽造写真を使っていたことをピーターにばらされ、会社を解雇されてしまう。

サンドマンは水に流されてしまうが、下水から蘇る。

ピーターはMJとのことを心配して尋ねてきてくれた叔母に指輪を返すが、叔母はそれを置いて帰っていく(助言をする場面)。

サンドマンの改心は娘の存在故で、そういえば最初から弁解じみたことを言っていた。とはいえ、これでピーターがマルコを赦してしまうのは、ちょっと説明が先走った感じだ。ピーターからの赦しの言葉を得て、サンドマンは砂となって消えていく。

〈070622 追記〉CINEMA TOPICS ONLINEにサム・ライミ監督の言葉があった。これはわかりやすい。でもだったらよけい、3は死んでしまうハリーを中心に話を進めるべきだった。そうすえばサンドマンやヴェノムはいらなくなって……これじゃ迫力ないと企画で却下されてしまうのかな。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6210

シリーズ3作のメガホンをとるサム・ライミは言う。「『スパイダーマン』は、ピーターの成長の物語だ」。スパイダーマンとしての”運命”を受け入れた『スパイダーマン』。スパイダーマンとして生きる運命に”苦悩” した『スパイダーマン2』。そして『スパイダーマン3』では、ピーターの”決意”が描かれる。たとえ、どんなに自分が傷つこうとも、正しい心を、愛を取り戻すために、自らの心の闇の化身とも言うべきブラック・スパイダーマンと闘う。まさに「自分」への挑戦である。更にサム・ライミはこうコメントする。「『スパイダーマン』の物語の中心はピーター、MJ、ハリーの3人のドラマだ」。

原題:Spider-Man 3

2007年 139分 シネスコサイズ アメリカ 日本語字幕:菊池浩司 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

監督:サム・ライミ 製作:ローラ・ジスキン、アヴィ・アラッド、グラント・カーティス 製作総指揮:スタン・リー、ジョセフ・カラッシオロ、ケヴィン・フェイグ 原作:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ 原案:サム・ライミ、アイヴァン・ライミ 脚本: サム・ライミ、アイヴァン・ライミ、アルヴィン・サージェント 撮影:ビル・ポープ プロダクションデザイン:ニール・スピサック、J・マイケル・リーヴァ 衣装デザイン:ジェームズ・アシェソン 編集:ボブ・ムラウスキー 音楽:クリストファー・ヤング テーマ曲:ダニー・エルフマン

出演:トビー・マグワイア(ピーター・パーカー/スパイダーマン)、キルステン・ダンスト(メリー・ジェーン・ワトソン)、ジェームズ・フランコ(ハリー・オズボーン)、トーマス・ヘイデン・チャーチ(フリント・マルコ/サンドマン)、トファー・グレイス(エディ・ブロック/ヴェノム)、ブライス・ダラス・ハワード(グウェン・ステイシー)、ジェームズ・クロムウェル(ジョージ・ステイシー)、ローズマリー・ハリス(メイ・パーカー)、J・K・シモンズ(J・ジョナ・ジェイムソン)、ビル・ナン(ロビー・ロバートソン)、エリザベス・バンクス(ミス・ブラント)、ディラン・ベイカー(カート・コナーズ博士)、テレサ・ラッセル(エマ・マルコ)、クリフ・ロバートソン(ベン・パーカー)、ジョン・パクストン(バーナード/執事)、テッド・ライミ(ホフマン)、ブルース・キャンベル(クラブのフロアマネージャー)、パーラ・ヘイニー=ジャーディン(ペニー・マルコ)、エリヤ・バスキン(ディトコヴィッチ氏)、マゲイナ・トーヴァ(ウルスラ)、ベッキー・アン・ベイカー(ステイシー夫人)、スタン・リー(タイムズ・スクエアの男)

神童

新宿武蔵野館2 ★★☆

■好きなだけじゃダメな世界

天才少女と知り合ってしまった音大受験浪人生の悲しい(?)日々……。

ピアノを演奏することが大好きな菊名和音(松山ケンイチ)は音大目指して毎日猛レッスンに励んでいる。受験に失敗したらピアノはあきらめて家業の八百屋を継がねばならないのだ。

そんな時に知りあった成瀬うた(成海璃子)は13歳ながら言葉を覚える前に楽譜が読めたという天才少女。なにしろ和音がピアノを弾くと近所からの苦情になるが、うたが弾くと八百屋の売り上げがあがるってんだから(ひぇー、普通人もそんなに耳がいいんだ。私にはなーんもわからないんだけどねー)。

そんなうただが、母親の美香(手塚理美)には唯一の望み(借金返済の)だから、レッスン中心の生活で、突き指予防で体育は見学だし、訓練の一環で左手で箸を使うよう厳命されたりしているから、「ピアノは大嫌い」という発言になるのだろう。

その一方で事実にしても天才と持ち上げられているせいか、和音にため口なのはともかく、高慢ともいえる言動が目立つ。理由はともあれ、こんなでは和音の気持ちがうたに傾くとは思えない。というのもどうやらうたは和音のことが好きらしいのだ(これについては後で書く)。

うたは和音のために秘密の練習場(うたが以前住んでいた家)を提供してくれたり、ま、このあと相原こずえ(三浦友理枝)とのことで和音とはちょっとトラブったりもするのだけど、受験の日には応援に行って、何やら霊力を授けてしまったというか、うたが和音に乗り移ったとでもいうか、和音の神懸かり的な演奏は、彼をピアノ課に主席で入学させてしまうのである(ありえねー。でもこの場面はいい)。が、和音にとってはこれが仇になって小宮山教授からも見放されてしまう(「好きなだけじゃダメなんだよ、ここでは」と言われてしまうのだ)。

またうたの方も、母親との軋轢は変わらぬまま、自分の耳の病気を疑うようになっていた。うたの父親光一郎(西島秀俊)が、やはり難聴で自殺したらしいのだ。音大の御子柴教授(串田和美)が昔光一郎と交流があってそのことがわかるのだが、しかしここからは、難解では決してないものの、意味もなくわかりにくくしているとしか思えない流れになっている。

昔光一郎に連れられていったピアノの墓場から1台のピアノを救い出した幼少時の思い出が挿入され、うたも父と同じ難聴に悩まされているような場面があるのに、それはどうでもよくなってしまうし、うたの演奏がちょうど来日していたリヒテンシュタインの耳にとまって、これが彼の不調で、うたに彼による指名の代役がまわってくるのだ。

この演奏会で、うたは自分からピアノを弾きたい気持ちになる。そしてここが、一応クライマックスになっているのだが、それではあんまりと思ったのか、うたがピアノの墓場(倉庫)に出かけて行く場面がそのあとにある。

夜歩き牛丼を食べ電車に乗り線路を歩くこの行程には、うたの同級生の池山(岡田慶太)が付いて行くのだが、彼は見つけた倉庫に窓から入る踏み台になる役でしかない(ひでー)。倉庫の中でうたはあるピアノを見つけるが、指をおろせないでいる。と、彼女の横に何故か和音が来て、ピアノを弾き始めるのだ。

「聞こえる?」「聞こえたよ、ヘタクソ」という会話で、2人の楽しそうな連弾となる。

この場面は素敵なのだが、もうエンドロールだ。うたが心から楽しそうにピアノに向き合っているというのがわかる場面なのだが(捨てられていたピアノが息を吹き返すという意味もあるのだろうか)、「大丈夫だよ、私は音楽だから」という、さすが天才というセリフはすでに演奏会の場面で使ってしまっていて、でもここはそういうことではなく、ただただ楽しんでいるということが大切なんだろうなー、と。

しかしそれにしてもちょっとばかり乱暴ではないか。倉庫のピアノの蓋が何故みんな開いているとか、和音はどうしてここに来たのかというような瑣末なこともだが、うたの耳の病気の説明もあれっきりではね(うたが気にしすぎていただけなのか)。それに、和音については途中で置き去りにしたままだったではないか。

この置き去りはいただけない。うたの再生には和音の存在が必要だったはずなのに、その説明を省いてしまっているようにみえてしまうからだ。うたと和音の関係が、恋人でも家族でもなく、友達というのともちょっと違うような、でもどこかで惹かれ合うんだろうな。この関係は、最後の連弾のように素敵なのだから、もう少しうまくまとめてほしくなる。

和音はうたよりずっと年上だから、すでに相原こずえが好きだったし(振られてたけどね)、音大に入ってからは加茂川香音(貫地谷しほり)という彼女もできて、年相応のことはやっているようだ。うたにそういう意味での関心を示さないのは、うたが和音にとってはまだ幼いからなのか。とはいえ寝ているところに急にうたが来た時はどうだったんだろ。和音も映画も、さらりとかわしているからよくわからない。けど、そういう関係が成立するギリギリの年にしたんだろうね。

耳の肥えた人ならいざしらず、私にとっては音楽の場面はすべてが素晴らしかった。和音のヘタクソらしいピアノも。

  

2006年 120分 ビスタサイズ 配給:ビターズ・エンド

監督:萩生田宏治 プロデューサー:根岸洋之、定井勇二 原作:さそうあきら『神童』 脚本:向井康介 撮影:池内義浩 美術:林田裕至 編集:菊井貴繁 音楽:ハトリ・ミホ 音楽プロデューサー:北原京子 効果:菊池信之 照明:舟橋正生 録音:菊池信之
 
出演:成海璃子(成瀬うた)、松山ケンイチ(菊名和音/ワオ)、手塚理美(成瀬美香)、甲本雅裕(長崎和夫)、西島秀俊(成瀬光一郎)、貫地谷しほり(加茂川香音)、串田和美(御子柴教授)、浅野和之(小宮山教授)、キムラ緑子(菊名正子)、岡田慶太(池山晋)、佐藤和也(森本)、安藤玉恵(三島キク子)、柳英里沙(女子中学生)、賀来賢人(清水賢司)、相築あきこ(体育教師)、頭師佳孝(井上)、竹本泰蔵(指揮者)、モーガン・フィッシャー (リヒテンシュタイン)、三浦友理枝(相原こずえ)、吉田日出子(桂教授)、柄本明(菊名久)

さくらん

銀座テアトルシネマ ★★

■鮒に戻ってしまいそうだ

8歳で吉原の玉菊屋に売られ、きよ葉(小池彩夢→土屋アンナ)と名付けられた遊女の物語。

脱走を繰り返すきよ葉は、店番の清次(安藤政信)になだめられ、花魁の粧ひ(菅野美穂)には花魁としての生き方を教えられる。初めての客は高尾花魁(木村佳乃)の馴染みのご隠居(市川左團次)で、きよ葉はすぐ玉菊屋の人気者になるが、惣次郎(成宮寛貴)と恋に落ちる。

客の浮世絵師、光信(永瀬正敏)の気持ちまできよ葉に向いていることことを知った高尾は、きよ葉と惣次郎の仲を裂く策略に出る。騒動となって、きよ葉はまた清次になだめられるが、高尾は悲惨な運命を選ぶ。

日暮という玉菊屋を背負って立つ花魁になったきよ葉は、大名の倉之助(椎名桔平)に見初められる。日暮のためどこまでも尽くす倉之助だったが、日暮が選んだのは、気が付くといつも自分を励ましてくれていた清次だった……。

椎名林檎の曲が舞う極彩色の映像の中にヤンキーを放り込んだ吉原を再現してみせた演出に、そう違和感がないのは褒めていいが、でもそのことで、例えば何で大門の上に金魚がいるんだとか、え、なにこの言葉、でも目くじら立てるほどではないかとか、そっちの方ばかりに気が向いてしまって(悪くはないんだけどさ)、緊張感のない話がよけい間延びしてしまったようだ。

きよ葉は最初、花魁になることを恐れていた。そんなきよ葉に粧ひは「金魚は3代で鮒にかえってしまう。美しくいられるのはビードロの中だけ」で遊女も同じと諭す。そして自らは金持ちに身請けされ、真っ当な方法で吉原から出ていく。が、粧ひは自分が羨望の目で見られる別の意味も当然知っていた。だからきよ葉に「人より多くもらう者は、より多く憎まれる」と言って簪を与えたのだ(後にきよ葉も同じことをするのだが、これはあまり意味のある場面になっていない)。

きよ葉にとっては、大切なのはてめえの足で吉原を出ることだから、身請けにはそんなに大きな意味はない。もっとも初恋の惣次郎にはそう言ってほしかったのだろうが。自分の初恋と高尾の純愛の末路を見て吹っ切れたのか、自力での足抜けが宙に浮いたようになってしまう。

「やなもんはやなだけ」と言い切れる実力をもって、楼主(石橋蓮司)や女将(夏木マリ)とやりあえるのを見せつけられては、切実さも生まれない。倉之助のあれだけの思いをかわしていくのだって、あんまりいい気分じゃない。とはいえ、誰の子かわからぬ子を妊娠してしまうのがこの商売なのだろうし、楼主や女将に楯突けるのも口先だけなのだろう。

妊娠の身でもかまわぬと言う倉之助には同情しかけるが、しかし、まず前提として遊郭などに出入りして散財しているようなやつなのだ。ご隠居のことを通人として持ち上げるのもねぇ。ま、それは別の問題にしても、ともかく肩入れ出来る人間がいないのでは仕方がない。消去法というのもつまらないが、清次が日暮の相手になるのが妥当なところか。

となると最初に清次がきよ葉に、「この桜の木に花が咲いたらここから出してやる。あの桜は咲かないんだよ」と言っていたことをちゃんと説明してほしくなる。単純に考えれば、清次は足抜けなどできっこないと言っていただけではないか。だから最後に2輪咲かせてしまったのは、2人の気持ちの表明したのかもしれないが、私にはこれがいい加減に思えてしまったのだ。

いや、ご隠居にも「咲かない花はない」と言わせているし、倉之助も金の力で玉菊屋の庭を桜で一杯にして、そのことは説明しているか。しかし、それでも納得出来ないのは2人の気持ちが伝わってこないからだろう。

吉原を後にしたきよ葉と清次が楽しそうに菜の花畑を走り、桜の下を歩いていく。なのに鮒に戻ってしまいそうだと思ってしまった私は意地が悪いのかも。

「さくらん」というのは単純に「おいらん」+「さくら」と考えればいいのか。錯乱という要素はあまりなかったと思うが。

  

【メモ】

清次は玉菊屋の跡取りとなる手筈になっていて、楼主の姪との祝言が決まっていた。

きよ葉の妊娠に最初に気付いたのも清次。きよ葉は流産してしまう。

2007年 111分 ビスタサイズ PG-12

監督:蜷川実花 チーフプロデューサー:豊島雅郎 製作:寺嶋博礼、堤静夫、亀山慶二、工富保、山本良生、庄司明弘、那須野哲弥、中村邦彦、渡辺正純 プロデューサー:宇田充 、藤田義則 エグゼクティブプロデューサー:椎名保、山崎浩一、早河洋、五十嵐隆夫、水野文英、伏谷博之、廣瀬敏雄、石川治、石井晃 原作:安野モヨコ『さくらん』 脚本: タナダユキ 撮影:石坂拓郎 視覚効果:橋本満明 美術:岩城南海子 編集:森下博昭 音楽:椎名林檎 音楽スーパーバイザー:安井輝 スクリプター:小泉篤美 スタイリスト: 伊賀大介、杉山優子 音響効果: 小島彩 照明:熊谷秀夫 装飾: 相田敏春 録音: 松本昇和 助監督:山本透
 
出演:土屋アンナ(きよ葉/日暮)、安藤政信(清次)、椎名桔平(倉之助)、成宮寛貴(惣次郎)、木村佳乃(高尾)、菅野美穂(粧ひ)、永瀬正敏(光信)、石橋蓮司(楼主)、夏木マリ(女将)、市川左團次(ご隠居)、美波(若菊)、山本浩司(大工)、遠藤憲一(坂口)、小池彩夢(少女時代のきよ葉)、山口愛(しげじ)、小泉今日子(お蘭)、蜷川みほ(桃花)、近野成美(雪路)、星野晶子(遣手)、翁華栄(番頭)、津田寛治(粧ひの客)、長塚圭史(きよ葉の客)、SABU(床紅葉の客)、丸山智己(日暮の客)、小栗旬(花屋)、会田誠、庵野秀明、忌野清志郎、大森南朋、ゴリ〈ガレッジセール〉、 古厩智之、村松利史、渋川清彦

シネセゾン渋谷 ★☆

■共有できない「意味」

去年公開の『LOFT ロフト』に続く黒沢清監督作品。『LOFT ロフト』もだが、この映画も私の理解を超えていた。

東京湾の埋立地で身元不明の女の他殺死体が発見される。担当刑事の吉岡(役所広司)は、捜査現場で赤い服を着た謎の女(葉月里緒菜)を見る。そして、同様の手口(わざわざ埋め立て地に運び海水を飲ませる)と思われる殺人事件が次々と起きるのだが、手口以外の共通点が見つけられぬうち、思わぬ容疑者が浮上する。

映画は初めのうち、吉岡がいかにも犯人かのような証拠(コートの釦や指紋など)を提示し、同僚の宮地(伊原剛志)に疑わせ、そして吉岡自身もその証拠に困惑するという手の込んだことをしてみせるのだが、これは観客をわざと混乱させるだけのものだったらしい。

本人が知らないうちに犯行を重ねていたというのは、この手の話にはありがちにしても、きちんと向き合うのであれば、それは何度作られてもいいテーマだろう。なのに、ここではそれが、ただの飾りか混乱の道具にしかなっていないのである。

もっとも事件が吉岡とまったく無関係かというと、さすがにそんなことはなく、連続殺人の調べが進んで、吉岡の過去とも繋がりのあることがわかってくる。が、それは15年も前のことで、何故今頃という気もするのだが、一応説明すると次のようになる。

吉岡は湾岸航路を使って通勤していたことがあり、その途中にある、戦前には療養所だった黒い建物(アパート)の中にいた女(赤い服の女)と目が合っていたというのだ。療養所は元の収容者たちが住み着いていて、そこでは規律を守らないと洗面器に海水を入れ窒息するまで体罰をしていたという噂があったとも。しかしその噂を吉岡が知ったのは最近のことなのだ(風景と同じように忘れてしまっていただけなのかもしれないが)。

赤い服の女(といったって幽霊なんだが)の言い分はこうだ。「ずーっと前、あなたは私を見つけて、私もあなたを見つけた……それなのに、みんな私を見捨てた」と。目が合っただけなのに。言いがかりもいいとこで、女の勝手な思い込みなのに。しかも1対1の関係を強調しているようで、何故か「みんな」になってしまっているのだ。で、その「みんな」というのが、他の被害者(同じ航路を利用していた)なのだろう。

この女の指摘は一方的で怖いが、確かに人間関係のある側面を捉えてはいる。個別の人間が行為や言葉を、本当に同じ意味で共有できるかどうかは、考え出すと途方もなく大きな問題だからだ。

しかし、後になって吉岡がその建物に行ったことで、女は吉岡に「やっと来てくれたのね。あなただけ許します」と言うのである。他の被害者たちとの差はここ(元療養所)へ来てくれたことだけなのか。「できることがあった」と言っていたのは、そんなことだったのか。女にとっては、それだけで許せてしまうのか。それとも許されることで背負うことになる罪を描いているのか。死ならば「すべてなしに」もできるが、許されてしまうとそうはならなくなるというのか。

ところで映画は吉岡のプライベートな部分の描写で、春江(小西真奈美)という存在を最初から登場させている。彼女と吉岡は恋人以上の関係で、吉岡は春江を信頼しきっているようなのだが、春江はいつも吉岡には距離おいているのか、時間がないとか言ったりで、どこかよそよそしい。しかしそれなのに、ふたりだけになれるからと海外へ誘った吉岡は、逆に搭乗口で春江ひとりを行かせてしまうのだ。

平行して語られていたこの春江が実はやはり幽霊で、吉岡は半年前に恨まれるような何かしたらしいのだが、それは明らかにされない。ここでも同じように見て見ぬ振りをすることはできない、というような関係性が問われているようなのだが、でも、また春江も吉岡を許すのである(吉岡もどうして俺だけが、と言う)。いや、春江は最初から許していたのではなかったか。が、赤い服の女とは対極にいるような春江も、最後には叫んでいた。何を叫んでいたのかはわからないのだが。

で、さらにわからないのは洗面器に宮地が引っ張り込まれてしまうことだ。この場面は確かにすごいのだけど、でも何にもわからない。なんで宮地なんだ。「私は死んだ。だからみんなも死んでください」って何なのだ。

また、何の役にも立たない精神科医(オダギリジョー)や、反対に吉岡の案内役になる作業船の男(加瀬亮)も、すべてが思わせぶりなだけとしか思えない。赤い服の女の描写も好きになれなかったし、彼女が登場する時に起きていた地震も何だったのだろう。

すべては私の勘違いなのかもしれないのだが、だからってもう1度観直す気分にもなれない。それに、ここまでわかりにくくすることもないと思うのだが。何だかどっと疲れてしまったのだな。

2006年 104分 ビスタサイズ 

監督・脚本:黒沢清 プロデューサー:一瀬隆重 エグゼクティブプロデューサー:濱名一哉、小谷靖、千葉龍平 撮影:芦澤明子 特殊効果:岸浦秀一 美術:安宅紀史 編集: 高橋信之 音楽:配島邦明 音楽プロデューサー:慶田次徳 主題歌:中村中『風になる』  VFXスーパーバイザー:浅野秀二 照明:市川徳充 特殊造型:松井祐一 録音:小松将人  助監督:片島章三

出演:役所広司(吉岡登)、小西真奈美(仁村春江)、葉月里緒菜(赤い服の女)、伊原剛志 (宮地徹)、オダギリジョー(精神科医・高木)、加瀬亮(作業船の船員)、平山広行(若い刑事・桜井)、奥貫薫(矢部美由紀)、中村育二(佐久間昇一)、野村宏伸(小野田誠二)

世界最速のインディアン

テアトルタイムズスクエア ★★★☆

テアトルタイムズスクエアに展示されていた、実際の撮影に使用された「インディアン」この展示は大人気で、写真を撮っている人が大勢いた

■世界最速を目指す男が誰からも愛されるのは何故だろう

ニュージーランドの片田舎インバカーギルに住むバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)はオートバイで速く走ることに憑かれた男だ。朝早くから騒音をふりまき、庭は放ったらかしだから近所の評判もよろしくない。しかし隣の家の少年トム(アーロン・マーフィ)には好かれていて、2人でバイクの改造に余念がない。

バートはすでに63歳、愛車の1920年型インディアン・スカウトは40年以上も前の代物だが、彼独自の改造(無造作にタイヤを削ったり、昔のエンジンを溶かしてピストンを作ったり、パーツに日用品を使ったりだから心配になってしまうのだが、すべて緻密に考えてのことなのだ)で ニュージーランドでは敵なし。バートは、自分が一体どのくらいのスピードが出せているのか知りたくてしかたがない。そんな彼が友人たちの援助(家を抵当に入れ金も借りて)で、夢だった米国ユタ州ボンヌヴィルの塩平原で開かれるスピード記録会に出場することになる。

破天荒な物語だが実話という。しかも、彼がこの時作った記録は今も破られていないというから驚くばかりだ。

映画は、夢の実現に踏み出すまでと、貨物船に乗り込み(船賃を浮かすためコックとしてなのだ)アメリカに上陸してからはボンヌヴィルまでの長い行程、そして記録会での活躍と順を追って、さながらバートの歩調に合わせたかのようなゆったりとしたペースで進んでいく。

インディアンの船荷が崩れていたり、入管事務所で尋問されたり、牽引トレーラーのタイヤがはずれる事故、あげくは記録会の登録はとっくに締め切られているし、自身は心臓と前立腺の調子が悪いときていて、つまり問題はいろいろ起きるのだが、その都度自力で、それがダメな時は助けがあらわれて、となんとかなってしまう。困難を前にバートは悲嘆にくれるでもなく、まあ出来るところまでやってみようと鷹揚に構えていて、でも決して諦めてはいない。そしてそれを観ている側は、失礼なことながら、何だか愉快な気分になっているというわけだ。

最初に「評判がよくない」と書いたが、しかしトムの両親などあんなに文句を言っていたのに、バートが記録会に出ることを知るとコレクトコールでいいから電話しろとトムに言わせている。誕生会を開きカンパを募ってくれる仲間もいれば、本気で彼のことを考えてくれる女友達もいるし、旅の行程で次々と助け船があらわれるのもバートの人柄だろうか。

変人だし、自説は曲げないし、どころかタバコは体に悪いと見ず知らずの人間に説教までする。そんなバートなのに、何故愛されるのだろう。

バートの持っている自分がやりたいことへの強烈な情熱。多分これが周囲の人間の心を動かすのだ。誰しも夢はあっても、羞恥心や自尊心や世間体や経済力や、とにかくいくらでも転がっている理屈をつけては、そんなものはとうに何処かにしまいこんでしまっているから、バートのような情熱を見せつけられると、応援せざるを得なくなるのだろう。

バートがアメリカに渡って記録を出したのは事実にしても、他の挿話の大部分は映画用に用意されたものに違いない。ロジャー・ドナルドソン描くバート像は愛らしさに満ちているが、それが出来るということは本当に素敵なことだ。

もっともバートがバートらしくしていられるのは、これが60年代だからだろうか。今だと、私のように速度記録など環境破壊でしかない、とイチャモンをつける人間もいそうだ。気分のいい映画を観ることが逆に、世知辛くて住みにくい世の中になっていることを実感することになるのだから、なんともめんどーではある。

書きそびれてしまったが、記録会でバートがインディアンにのって爆走する場面は見物だ(こういう場面がよくできているかどうかはかなり肝腎なのだ)。ただひたすら真っ直ぐ突っ走るだけなのに、知らないうちに身体に力が入っていた。これも多分ここまでの挿話の積み重ねが効いていると思われる。

 

原題:The World’s Fastest Indian

2005年 127分 シネスコサイズ 製作国:アメリカ、ニュージーランド 日本語字幕:戸田奈津子 翻訳協力:モリワキエンジニアリング

監督・脚本:ロジャー・ドナルドソン 製作:ロジャー・ドナルドソン、ゲイリー・ハナム 撮影:デヴィッド・グリブル プロダクションデザイン:J・デニス・ワシントン (アメリカ)、ロブ・ギリーズ(ニュージーランド) 編集:ジョン・ギルバート 音楽:J・ピーター・ロビンソン
 
出演:アンソニー・ホプキンス(バート・マンロー)、クリス・ローフォード(ジム・モファット/記録会出場カーレーサー)、アーロン・マーフィ(トム)、クリス・ウィリアムズ(ティナ・ワシントン/モーテルの受付嬢?)、ダイアン・ラッド(エイダ/未亡人)、パトリック・フリューガー(ラスティ/ベトナム休暇兵)、ポール・ロドリゲス(フェルナンド/中古車販売店店主)、アニー・ホイットル(フラン/郵便局員の女友達)、グレッグ・ジョンソン、アントニー・スター、ブルース・グリーンウッド、ウィリアム・ラッキング、ウォルト・ゴギンズ、エリック・ピアポイント、ジェシカ・コーフィール、クリス・ブルーノ

それでもボクはやってない

テアトルダイヤ ★★★★☆

■ここは私の法廷です(うゎ)

導入に別の痴漢犯(こちらは証拠に言及されて否認をすぐ撤回する、つまり本物)を平行して置いたり、担当弁護士を女性にしたりといった細かな工夫は随所に見られるものの、まったくの直球である。描きたいことを優先して撮っていたら、余計なことをしている暇が無くなってしまったという感じがするほど密度が濃いのだ。裁判という難物を扱っての濃さなのに、143分という長さを感じさせないし、痴漢冤罪事件という身近に起こりうるもので裁判の実態を解きほぐしているのだから見事というほかはない。

会社の面接に向かうために通勤ラッシュの電車に乗った金子徹平(加瀬亮)は、乗り換えの駅のホームに降りたとたん、女子中学生に袖をつかまれ痴漢呼ばわりされる。必死になって否定するが、駅事務室に連れていかれると、警察が来て拘置され、そのまま裁判に巻き込まれることに、いや裁判を闘うことになる。

警察、検察の有無を言わせぬ取り調べ、留置場の同房者、当番弁護士、上京した母の狼狽、アパートの管理人、友人の協力、民事専門の弁護士、冤罪事件に積極的なベテラン弁護士に新任女性弁護士、対照的な裁判官、公判立会検事、同じ痴漢冤罪事件の当事者、元恋人、裁判傍聴オタク、事件の目撃者など、恐るべき数の登場人物がゆるぎなく配置され、時には役割を借りた説明役になるといった案配で、無駄と思われる場面がほとんどない。

いちいち感想を書いていくときりがないのでしないが、何といっても印象深いのは裁判官によって状況が変わってしまうことだ。刑事裁判の最大の使命は無実の人を罰してはならないことだと司法修習生に説く裁判官から、「ここは私の法廷です」(審理を静粛に行うことの妨げになると、今まで認めてくれていた定員以上の傍聴人を排除)と言って憚らない裁判官に途中で交代となる。立場の違いもだが途中交代というのも、ことがことだけに恐ろしいではないか。柔和なイメージの小日向文世にこの尊大な裁判官をやらせたのは配役の妙で、こんなヤツには裁かれたくないよな、と誰しもが思うだろう。

裁判官が無罪を出すのは、警察と検察の否認ということで、それは国家にたてつくことになる、とは傍聴人の高橋長英のセリフだが、政治色の薄い裁判でも同じ構図の上にあるということか。「裁判官は被告にだけは騙されまいと思っている」という指摘にも、そんなものかと考えさせられる。さすがにすぐ「裁判官に悪意があるとは思わない」と、同じ役所広司に言わせているが、私など過激で短絡的だから、手加減することなどないのに、と思ってしまう。裁判官という職業自体が傲慢と知るべきではないか、と。

2009年にはじまる予定の裁判員制度にはずっと懐疑的でいた私だが、考えを改めないといけないのかもしれない。刑法39条や刑事法上の時効などわからないことだらけだし、少なくとも私には裁判員になる資格などないっていうのにね。

話がそれたが、あえて難点をあげるなら、再現ビデオを作ることで被害者の証言に疑問が出てくるところだろうか。ビデオはお金もかかることであるし、これはやはり実験し確証を得た上でのビデオ製作となるのが普通だろう。あとはもうすでに触れたことだが、裁判制度ではなく裁判官によって判決が、つまり裁判官に責任が転嫁されかねないということだが、しかしまあ、これも含めて裁判制度の不備を突いていることになるだろうか。

とにかく、「すべての男には動機があるの」だから、観た方がいいと思うよ。被告になる可能性が大ありなんだから。で、それ以前に、痴漢行為はやめましょう(動機のある私が言っても説得力ないんでした)。

  

2007年 143分 サイズ■ 

監督・脚本:周防正行 製作:亀山千広 プロデューサー:関口大輔、佐々木芳野、堀川慎太郎 エグゼクティブプロデューサー:桝井省志 企画:清水賢治、島谷能成、小形雄二 撮影:栢野直樹 美術:部谷京子 編集:菊池純一 音楽:周防義和 照明:長田達也 整音:米山靖、郡弘道 装飾:鈴村高正 録音:阿部茂 助監督:片島章三
 
出演:加瀬亮(金子徹平)、役所広司(荒川正義)、瀬戸朝香(須藤莉子)、山本耕史(斉藤達雄)、小日向文世(室山省吾)、正名僕蔵(大森光明)、もたいまさこ(金子豊子)、田中哲司(浜田明)、光石研(佐田満)、尾美としのり(新崎孝三)、大森南朋(山田好二)、本田博太郎(三井秀男)、高橋長英(板谷得治)、 鈴木蘭々(土井陽子)、唯野未歩子(市村美津子)、柳生みゆ(古川俊子)、野間口徹(小倉繁)、山本浩司(北尾哲)、益岡徹(田村精一郎)、北見敏之(宮本孝)、田山涼成(和田精二)、石井洋祐(平山敬三)、大和田伸也(広安敏夫)、田口浩正(月田一郎)、徳井優(西村青児)、清水美砂(佐田清子)、竹中直人(青木富夫)、矢島健一、大谷亮介、菅原大吉