武士の一分

新宿ジョイシネマ1 ★★★

■武士の一分とは何か

最初に毒味役についての説明が字幕で出る。「鬼役」という別名があることは知らなかったが、このあと丁寧なくらいに毒味場面が進行するから、説明はまったく不要だ。言葉としても推測可能と思うのだが。対して「一分」がわかる現代人はどれほどいるだろうか。新明解国語辞典には「一人前の存在として傷つけられてはならない、最小限の威厳」とある。広辞苑では「一人の分際。一身の面目、または職責」だ。ふーん。あ、よくわかっていないことがバレてしまったか。いや、何となくは知ってたのだけどさ。

東北の小藩で三十石の下級武士である三村新之丞(木村拓哉)は、毒味役に退屈しきっていたが、その毒味の場で毒にあたって失明してしまう。この時代に失明することがいかに大変なことか。新之丞は命を絶とうとするが、妻の加世(檀れい)に、死ねば自分もあとを追う、と言われては思いとどまるしかない。実入りは減っても「隠居して、道場を作って子供に剣を教えたい」などと、中間の徳平(笹野高史)に話していたのに。

親戚連中が集まっての善後策は、全員が面倒を見たくないだけだから、ろくな話にならない。叔母の以寧(桃井かおり)も、失明という事実が判明するまではただの口うるさいおっせかいと片付けられたのだが。

誰かの口添えで少しでも家禄をもらえるようにするしかないという無策な結論に、加世はつい先日声をかけてもらった島田藤弥(坂東三津五郎)を思い出し、屋敷を訪ねる。藩では上級職(番頭)の島田は、加世には嫁入りする前から想いを寄せていて、チャンスとばかりに加世を手篭めにしてしまう。

物語の進行は静かだ。時間軸が前後することもほとんどない(加世の回顧場面くらいか)。新之丞の暮らしぶり、加世との仲睦まじいやり取り、父の代から仕える徳平とにある信頼関係と、事件が起きる前、そこにあるのは平和ボケともいえる風景である。なのに5人も毒味役がいて大仰なことよ、と思ったがこれは食材によって割り当てが違うことによる。

もっとも新之丞が毒にあたったことで、城内は戒厳令が布かれたかと思うほどの大騒ぎとなる。赤粒貝という危険な食材を時期もわきまえずに使ったことがわかって一件落着と思いきや、上司の樋口作之助(小林稔侍)の切腹というおまけがつく。居眠りばかりしていて、年をとったと新之丞たちにささかれるような樋口ではあったが、一角の武士だったのだ。

毒にあたった場面での新之丞の行動が不可解だ。毒味役ならば異変に気付いた段階ですぐ申し出なければならないはずなのに、大丈夫などと言っているのである。新之丞は何恰好をつけているのか。他に説明もなくこれで終わってしまうのだが、どう考えてもおかしい。事実、藩主は食事を口にする寸前だったのだ。これだと、家名存続、三十石の家禄はそのままで生涯養生に精を出せという「思いもかけぬご沙汰」には繋がらないではないか。

ねぎらいの言葉があるということで新之丞は久々に登城し、廊下のある庭で藩主を待つ。この場面がいい。藪蚊の大群と闘いながら、同僚(上役か)と2人で座して延々と待つのだが、やっと現れた藩主は新之丞たちを目に止めるでもなく「御意」と言い残しただけですたすたと消えてしまうのである。この歯牙にもかけぬ振る舞いに、馬鹿殿様と観客にも思わせておいて、あとで、新之丞の事故は職務上のこと故、と見るべき所はちゃんと見ていたのだよ、という演出だ。

そう、「思いもかけぬご沙汰」は島田の口添えからではなく、藩主の意思だったのである。このこととは別に、以寧の告げ口から加世の行動(島田にあのあとも2度も呼び出されていた)に疑念を抱いた新之丞は、徳平に加世を尾行させる。詰問した加世からすべてが語られるが、俺の知っている加世は死んだと離縁(新之丞はまだこの時、口添えではなく、藩主直々の裁可であったことは知らない)、島田との果たし合いへと進んでいく。

いくら新之丞が剣の達人といっても今や盲目。しかも相手は藩の師範でもある。師匠の木部孫八郎(緒形拳)の道場で執念の稽古にも励むが、勝ち目があるとはとても思えない。新之丞のただならぬ気迫を感じ取った木部は、事情によっては加勢を、と申し出るが、新之丞は「勘弁してくんねぇ、武士の一分としか」と答えるのみ。

期待を高めておいて、しかし、決闘場面はつまらないものだった。がっかりである。腕を切られた島田は、事情を誰にもうち明けることなく切腹。「あの人にも武士の一分があったのか」となるのだが、そう言われてもねぇ。

新之丞の武士の一分も、理由はともかくようするに私憤にすぎず、だからといって助太刀を断ったことだけをいっているとも思えない。島田に至っては事情など証せるはずもなく、しかしあの傷のまま何も語らないではすまないだろうから、生き恥をさらすよりはまし程度であって、それが果たして武士の一分といえるようなものなのか。武士の一分が、潔い死に方というのなら(違うか)この場合は説明がつくが、それだと「必死すなわち生くるなり」で島田にむかっていった新之丞は?と何もわからなくなる。もはや武家社会そのものが面倒で、現代人には理解不能なものともいえるのだが。

このあとは徳平のはからいで身を隠していた加世が、芋がらの煮物を作ったことで、新之丞の知るところとなり……という結末を迎える。

いい映画なのに、タイトルにこだわったことでアラが目立ってしまった気がするのだ。加世にしても徳平に尾行されているのを知っていたのなら、何故その時点で白状してしまわなかったのか。それと新之丞の行動は、加世を大切に思ってというよりは、自分本位な気がしなくもない。これでも江戸時代の男にしては上出来なのだろうが。

  

2006年 121分 ビスタサイズ

監督:山田洋次 原作:藤沢周平『盲目剣谺返し』 脚本:山田洋次、平松恵美子、山本一郎 撮影:長沼六男 美術:出川三男 衣裳:黒澤和子 編集:石井巌 音楽:冨田勲 音楽プロデューサー:小野寺重之 スチール:金田正 監督助手:花輪金一 照明:中須岳士 装飾:小池直実 録音:岸田和美
 
出演:木村拓哉(三村新之丞)、檀れい(三村加世)、笹野高史(徳平)、坂東三津五郎(島田藤弥)、岡本信人(波多野東吾)、左時枝(滝川つね)、綾田俊樹(滝川勘十郎)、桃井かおり(波多野以寧)、緒形拳(木部孫八郎)、赤塚真人(山崎兵太)、近藤公園(加賀山嘉右衛門)、歌澤寅右衛門(藩主)、大地康雄(玄斎)、小林稔侍(樋口作之助)

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