佐賀のがばいばあちゃん

楽天地シネマズ錦糸町-3 ★

■辛い話は昼にせよ(収穫はこれのみ)

漫才コンビ“B&B”の島田洋七による同名の自伝的小説の映画化。「がばい」は佐賀弁ですごいの意。

明広(池田壮磨→池田晃信→鈴木祐真)は原爆症で父を亡くし、兄と共に居酒屋で働く母(工藤夕貴)に育てられていたが、泣き虫で母の足手まといになることが多かった。伯母の真佐子(浅田美代子)が見かねてのことか母が頼んだのか、新しい服を着せられ新しい靴を履かされたうれしい日に、騙されるように真佐子に連れられて佐賀の祖母のもとにやってくる。

着いたとたん挨拶もそこそこに、しかも夜だというのに次の日からの飯炊き係を言い渡される明広。こうして2人の生活がはじまることになるのだが、ようするに昭和30年代の佐賀を舞台にしたばあちゃんと少年の話で、映画は昔流行った『おばあちゃんの知恵袋』の貧乏生活篇的様相を帯びる。

夫の死後7人の子を育てたというがばいばあちゃん語録を列記すると、「川はうちのスーパーマーケット」(上流にある市場で捨てられたくず野菜や盆流しの供物が流れずに引っかかるように工夫してある)、「この世の中、拾うものはあっても捨てるものはない」(外出時には道に磁石をたらすことを忘れない)、「悲しい話は夜するな、どんない辛い話でも昼したら大したことない」、「今のうち貧乏をしとけ、金持ちになったら大変よ、よかもん食べたり、旅行へ行ったり、忙しか」などとなる。

貧乏についても「暗い貧乏と明るい貧乏」があって「うちは明るい貧乏」なのだと説く。まあ、たしかに。もっともばあちゃんの家は門構えも立派なら垣根も堂々たるもので、台所は敷地内の「スーパーマーケット」小川を渡った先にあるのだ。こんな広い家に住んでいて貧乏とはね。今とは違う価値観の中に放り込まれて、それは頭ではわかるのだが貧乏を実感できない恨みは残る。

明広が剣道をやりたいと言えば、竹刀や防具にお金がかかるといい、明広が柔道に格下げ?しても柔道着がいるからだめで、ばあちゃんから許しが出るのは走ることだった。それも靴が磨り減るから素足にしろ、全力疾走は腹が減るからダメ、とこんな調子の話が続く。

ただ明広が中学の野球部でキャプテンになったことを知って、スパイクを買いに行く話はどうか。夜、閉店しているスポーツ用品店をたたき起こし、店の親父に1番高いのが2500円と言われて1万円にならんかと詰め寄る。必要なものにはお金を惜しまないところを見せたかったのだろうが、この演出は白ける。

他にも先生たちとの弁当交換話や、マラソン大会での母との再会などがあるが、ばあちゃん語録からそういう話に格上げされたものはどれも出来が悪い。この積み重ねが、最後の中学を卒業し母の所へ帰ることになる明広とばあちゃんの別れの場面を、薄めてしまったのではないか。

母との再会(何と長い年月! それも1度も会っていないのだ)では、明広の兄が何故来ないのか(単純に金がなかったのかもしれないが)、そして明広を兄と差別したことの後ろめたさを、母に語らせてもよかったのではないかと思うのだが。

しかし、この映画の1番の難点は、吉行和子ががばいばあちゃんのイメージにそぐわないことではないだろうか。そして大人の明広も、本人の島田洋七ではなく、何で三宅裕司なんだろう。本人でないのなら、この大人の視線部分は不要だろう。とんでもない事件が起きるわけではないので、演出が平坦になることを避けたのかもしれないが、意味があるとは思えない。

【メモ】

明広の弁当が貧弱なのは有名らしく、先生が今日は腹具合が悪いからと明広に腹に負担のかからない弁当と交換してくれと言うのだが、これが何人も……。不思議がる明広に、ばあちゃんは「人に気付かれないのが、本当の優しさ、親切」と解説する。

「明広、行くな」最後に残されたばあちゃんは、号泣しながら叫ぶ。

2006年 104分 サイズ:■

監督:倉内均 脚本:山元清多、島田洋七 原作:島田洋七『佐賀のがばいばあちん』 撮影:三好保彦 美術:内藤政市 編集:阿部亙英 音楽:坂田晃一
 
出演:吉行和子(ばあちゃん)、工藤夕貴(岩永明広の母)、浅田美代子(真佐子)、鈴木祐真(中学生の明広)、池田晃信(小学校高学年の明広)、池田壮磨(小学校低学年の明広)、穂積ぺぺ(小2担任教師)、吉守京太(警官)、石川あずみ(看護婦)、緒形拳(豆腐屋)、三宅裕司(大人の明広)、島田紳助(スポーツ店主)、島田洋八、山本太郎(中野先生)

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