いのちの戦場 ―アルジェリア1959―

新宿武蔵野館3 ★★★

武蔵野館に展示してあったブノワ・マジメルによる映画の写真展写真7枚とオリジナルポスターの一部(写真がヘタでごめんなさい)

■人殺しの戦場

ブノワ・マジメルが立案、主演したアルジェリア戦争映画。映画の最後に「フランスはアルジェリア戦争を1999年まで公式に認めなかった」という字幕が出る。だからこそ「アメリカがベトナムを描いたようにフランスもアルジェリアを描かねばならない」(これは予告篇にも出てきたブノワ・マジメルの言葉)という。アルジェリア戦争を知らない1974年生まれの彼の想いが伝わってくる、真面目な映画である(注1)。

作戦ミスだか無線連絡の食い違いだかで、同士討ちの末死んでしまった前任者(この夜間戦闘場面で映画の幕があく)の後釜として赴任してきたテニアン中尉は、日常的な戦争という不条理を前にして(そのために失敗も繰り返し)次第に理性を失っていく。

妻子持ちの設計技師が何故志願などしたのだろう。後半に、フランスに一時帰郷したテニアン中尉が、ニュース映画を見ている場面が出てくる。スクリーンには、アルジェリアを語って「平和を保証するのは心の交流」という文言が踊っていた。彼はそのスクリーンの文言に、戦場から離れた本国にいて、戦争の何たるかを知らずに、それこそ踊らされて、ゲリラ戦と化しているアルジェリアの山岳地帯(カビリア地方)まで行ってしまった自分を重ねていたはずである。

軍歴の長い下士官をさしおいて、こうやって赴任してくるのは、どこの国にもあることらしい。テニアンがどこまで中尉としての訓練を受けて来たのかはわからないが、着任早々、フランスとフェラガ=アルジェリア民族解放戦線(FLN)の二重支配下にあるタイダで、多分見せしめなのだろう、井戸に隠れていたアマール少年以外の村人全員が虐殺されるという惨事が起きる。あまりの惨状を前に、部下への言葉が出てこないでいるテニアン中尉に代わって、ドニャック軍曹は「タイダでみたことを忘れるな」と言う(注2)。

タイダのような「立入禁止区域」での戦闘は、毎日がこうした疑心暗鬼の連続で、テニアン中尉は民間人にカモフラージュしたフェラガを見抜けず醜態をさらしてしまうし、常態化している拷問にも耐えられない。そしてまったくいやらしい脚本というしかなのだが、この2つの出来事をあとになってテニアン中尉に同じようにやらせている。女性と少年が怪しいと、彼はもう最初の時のようには深く疑いもせず、間違った射殺命令を出すし(「立入禁止区域」には入った方が悪いので、咎められることはないのだが)止めさせていた拷問にも自ら手を染めてしまう。

ドニャック軍曹が落ち着いて見えるのは、場数を踏んできたことはもちろんだが、部下にもアルジェリア人がいるという複雑な状況下では、割り切るしかないと腹をくくっているからなのだろう。ドニャック軍曹がフェラガから寝返らせたという者もいれば、第二次世界大戦やインドシナで同じフランス兵として戦った者もいる。裏切りが発覚し、しかしその者を「戦友」として許しても、他の者が家族を殺されたから、と撃ち殺してしまう場面がある。植民地支配による長年のねじれた関係が、すべてを一層ややこしくしているのである。

もっともそのドニャック軍曹にしてからが、最後には、軍隊から脱走してしまうのだ。休暇から戻ったテニアン中尉に「何故戻って来たんです。あんたの居場所はない」と言っていたドニャック軍曹だが、すでにその時点でこれは、テニアン中尉にというよりは、自分に言い聞かせていた言葉だったのではないか。

テニアン中尉が軍隊に戻ったのは、自分の家に居場所がないことを知ったからだろう。民間人まで殺してしまった自分の姿を、彼が家族に見せられるはずがない(声をかければ届くところにいたというのに)。狂人の一歩手前にいて、しかし皮肉なことに家族との関係では、自分とのことを正確に把握していたことになる(注3)。拷問場面では、テニアン中尉は狂ってしまったかに見えたが、そうではなかったのだ。ニュース映画の「心の交流」が戦地のどこにあるのかと、正気の心が別のところから問いかけていたのである。

死んだ仲間が撮影したフィルムをクリスマスイブにみんなで観て、最初ははしゃいでいたもののだんだんみんなの声が小さくなって、しまいには泣き出してしまう、というしょうもない(他に何て言えばいいんだ)場面がある。悪趣味な演出に違いないのだが、戦争映画なんて真面目に撮ったら、すべてが悪趣味になってしまいそうだ。

次の日の朝、テニアン中尉はドニャック軍曹の居場所を尋ねていた(すぐ後の彼のモノローグで、彼はこの日脱走したのだという)。彼を探していてのことかどうか、テニアン中尉は山肌に猪の姿を目にする。そして、双眼鏡で何かを見て笑ったその時、撃たれて絶命してしまう。静かで清々しいくらいの景色と笑顔は、せめてもの餞か。けれど、やがて現れた敵兵の中には、あのアマール少年の姿があった。

拷問を止めさせたり、息子の絵を飾っていたテニアン中尉に親近感を持ったアマール少年だが、テニアン中尉が自分を見失ってからは失望し、軍から抜け出してしまったのだった。もっともこれには、アマール少年の兄がフェラガだったという事情もあるようなのだが。

何とも重苦しい映画である。戦っている当人たちが「インドシナとここはまともじゃない」「チュニジアとモロッコは独立を認めたのに。この戦争はFLNが正しい」などと言っているのだ。テニアン中尉は純粋で真面目な人間だったにしても(ドニャック軍曹に言わせると理想主義者で、だから「中尉が死んだのは幸運」ということになる)、どこまで自分の置かれている立場を理解していたのだろうか。

注1:アルジェリア戦争を扱った映画といえば『アルジェの戦い』(1966、日本公開1967)が有名だが、観ていない。あれはイタリア映画だったはずだが、キネ旬データベース(http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=13792)では制作国がフランス、アルジェリアとなっている。これは完全な誤記だろう。

注2:しかしこれはどっちもどっちで、フランス空軍が禁止爆弾のナパーム弾(特殊爆弾と称していた)を使用し、一面黒こげの死体だらけにしてしまう場面がある。近代兵器に分があるのは当然で、アルジェリア戦争の死傷者数は、最後に出てくる数字でも15倍以上の差があった。

注3:沢山の手紙を未開封のままにしていたのは、家族を目の前にして声をかけられなかったのと同じ理由だろう。

原題:L’ennemi Intime

2007年 112分 シネスコサイズ フランス 配給:ツイン 日本語字幕:齋藤敦子

監督:フローラン・シリ 脚本:パトリック・ロットマン 撮影:ジョヴァンニ・フィオーレ・コルテラッチ 美術:ウィリアム・アベロ 音楽:アレクサンドル・デスプラ

出演:ブノワ・マジメル(テリアン中尉)、アルベール・デュポンテル(ドニャック軍曹)、オーレリアン・ルコワン(ヴェルス少佐)、モハメッド・フラッグ(捕虜)、マルク・バルベ(ベルトー大尉/フランス軍情報将校)、エリック・サヴァン(拷問官)、ヴァンサン・ロティエ(ルフラン)、ルネ・タザイール(サイード/フランス軍兵士、アルジェリア人)、アブデルハフィド・メタルシ(ラシード/ドニャックの部下、アルジェリア人)

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