ファウンテン 永遠に続く愛

銀座テアトルシネマ ★☆

■永遠の勘違い男

そうわかりにくい話ではないのに、現実と物語を交錯させ、さらにもう1つ主人公の精神世界のような映像も散りばめ、そしてそれらの境目までも曖昧にしてしまう。しかもそこにある概念といえば仏教の輪廻もどきのもの。これではダーレン・アロノフスキーとの相性が多少はいい人でも観るのは相当キツイのではないか。とにかく初見(かどうかは関係ないか)の私にはとてもついていけなかったのである。だから粗筋すら書く気が失せているのだが……。

医師のトム・クレオ(ヒュー・ジャックマン)は、妻のイジー(レイチェル・ワイズ)が脳腫瘍の末期にあることを知って、死は病気の1つという信念で研究に冒頭していく。が、イジーの方は、残された短い時間を夫と一緒に過ごせれば、もう死を受け入れる覚悟ができていた。

イジーが書き進めていた物語は、そのことをトミーにわからせたいが故のものだろう。そして未完成部分の第12章をトミーに完成して欲しいと願うのだ。映画の中で何度もイジーの「完成して」という言葉が繰り返されるが、それはきっとそういう単純なことだったのではないか。観ている時は何かあるのかもれないと思っていたのだが、そもそもこの映画は、構成こそ入り組んでいるが、伏線らしきものは見あたらないのである。

トミーといえば、行き過ぎた猿への実験で上司のリリアン・グゼッティ博士(エレン・バースティン)に休日を言いわたされる始末。が、そのことで手がかりを掴めそうになると、さらに狂気のごとくその研究にのめり込んでいく。しかしこんな実験で、余命幾ばくもない人間の命を救えることになるなどと実際に医療にたずさわっている者が本気で考えるだろうか。新薬が日の目をみるには、動物実験を経た後も、治験を繰り返す必要があることくらい常識だろうに。

かくの如く、まったく奇妙なことにこの現実部分は、イジーの書いた物語より現実離れしているのだ(これには何か意味でもあるのだろうか)。それもと体裁としては現実ながら、イジーの物語と同列扱いにしたかったのかもしれない。

イジーの書いた『ファウンテン』と題された物語は、16世紀のスペインのイザベル女王が、騎士トマスに永遠に生きられる秘薬を探せと命じるというもの。11章まで書いたというのに、映画では最初の命令部分と任務途中でのアクション場面があ少しあるだけのものでしかない。これをイジーとトミーがそれぞれ演じていて(ここはヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズがと書かなくてはいけないのかもしれないが)、イジーの顔のアップとイザベル女王のアップを交互に見せたりしている。

そしてトミーはマヤに古くから言い伝えのある生命の木にたどり着き、花を蘇生させるその樹液でもって、永遠の命を得ようとする。現実部分のトミーが新しい治療法の手がかりを見つける(やはりある樹皮を猿に投与する)のもこのことと重なっている。またこれとは別にトミーの精神世界のような場所でも、同じような行為が繰り返される。

球体に囲まれた小さな世界の中に、イジーが横たわっていて(すでに死んでいるのか?)、そこには剃髪したトミーがいて、その球体の中に聳えている生命の木の樹液を飲むのだ。樹液を飲んだトミー(いや、これは騎士のトマスだったか)は歓喜の表情となるのだが、直後、トミーの全身からは花が芽吹き、トミーは花に包まれてしまう。この場面は単純なものだが、この映画唯一の見所となっている。

繰り返しになるが、イジーが「完成して」と言った意図は11章まで物語を丹念に読むこと、つまりイジーが何を考え、生き、トミーと生活してきたかを自分がしたように辿ってほしかっただけなのだ。そうすれば12章は自動的に完成したはずなのだ。まあ、勘違い男のトミーが、不死の秘薬探しを即自分の職業に結びつけてしまったのは無理からぬところではある。しかしイジーからペンとインクまでプレゼントされて「完成して」と言われたら、さすがにわかりそうなものなんだけどね。

実は私の中ですでに混乱してしまっていているので断言できないのだが、トミーが花にとって変わってしまう場面が騎士トマスにもあったとしたら、物語を書いたイジーもそのことを予言していたことになる。永遠の命はその樹にとってのもので、トマスはただ養分になったにすぎないことを。

映画はトミーの暴走によって不死というテーマへと脱線していくのだが、そこで語られる不死観に具体的なものは何もない。生命が渦巻いているような光の洪水の中に漂う球体は美しいけれど、ただそれだけなのである。輪廻の映像化というよりは、小さな閉じた世界にとどまっているようにしかみえないのだ。

剃髪したトミーが座禅し黙想する姿は仏教そのもののようだが、生命の木についてはマヤの言い伝えとしているし、スペインによる南米搾取はキリスト教の布教絡みでもあったわけだから、何がなんだかわからなくなる。

とにもかくにも、最後になって一応はトミーも死を受け入れても精神は死なないという世界観を会得したらしいのだが、イメージだけでみせているからそれだって大いに疑問。それにすでにそこに至る前に、イジーのメッセージを読みとれずにいるトミーには、永遠に勘違いしていろ、と何度も言ってしまっていた私なのだった。

(070801 追記)公式サイトに次のような文章があった。

    「舞台を現代だけにして、不死の探求についての物語を伝えるのは難しかった。そこで、トミーの物語を16世紀、21世紀、そして26世紀と、3つの時代を舞台にすることにした」とアロノフスキー監督は語る。「しかしこの映画は、伝統的な意味での時空を超えた物語ではない。むしろ、1人の人間の3つの側面を体現する各キャラクターを異なる時代に描いて、3つの物語を結合させている」

私が精神世界と思っていたのは26世紀なのか! それはまったくわかりませんでした。もう少しヒントをくれてもいいと思うのだが。

原題:The Fountain

2006年 97分 ビスタサイズ アメリカ 配給:20世紀フォックス映画 日本字幕:戸田奈津子

監督・脚本:ダーレン・アロノフスキー 製作:エリック・ワトソン、アーノン・ミルチャン、イアイン・スミス 製作総指揮:ニック・ウェクスラー 原案:ダーレン・アロノフスキー、アリ・ハンデル 撮影:マシュー・リバティーク プロダクションデザイン:ジェームズ・チンランド 衣装デザイン:レネー・エイプリル 編集:ジェイ・ラビノウィッツ 音楽:クリント・マンセル

出演:ヒュー・ジャックマン(トマス/トミー/トム・クレオ)、レイチェル・ワイズ(イザベル/イジー・クレオ)、エレン・バースティン(リリアン・グゼッティ博士)、マーク・マーゴリス、スティーヴン・マクハティ、フェルナンド・エルナンデス、クリフ・カーティス、ショーン・パトリック・トーマス、ドナ・マーフィ、イーサン・サプリー、リチャード・マクミラン、ローン・ブラス

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