オール・ザ・キングスメン

武蔵野館3 ★★★★

■叩けば出る埃

考えさせられることの多い深遠な映画だが、その前にまずどうにも居心地の悪くなる映画でもあった。

映画の語り手であるジャック・バーデン(ジュード・ロウ)という人間は一体何を考えているのだろう。いつまでも初恋にしがみついているだけの男?「どこで何が起ころうと関知しない主義」だから「知らなければ傷つくことがない」などと言うのだろうけど、どうもうじうじしているだけのようで、それは自分のそういう部分を見せつけられている気分になるからでもあるのだが、どうにか出来ないのかと言いたくなってくるのだ。こんなヤツが語り手だからだろう、実際ジャックの性格によるところは大きく、彼の回想部分が交錯する構成は少しまわりくどいものとなっている。

ウィリー・スターク(ショーン・ペン)はもう1人の主人公というべき人物で、郡の出納官にすぎなかったが「たった1人で汚職に立ち向かった男」(これはジャックの記事)として注目され、州の役人タイニー・ダフィ(ジェームズ・ガンドルフィーニ)にそそのかされるように知事選に打って出る。が、その出馬は別候補の引き立て役にすぎなかったこと知る。スタークという男に魅せられた新聞記者のジャックは、彼の下で働きたいとその前から言っていたのだが、彼に演説の仕方を助言したことで彼に輝きが戻り、彼の熱狂的ともいえる原稿なしの演説が始まることになる。

いつもながらやり過ぎとも思えるショーン・ペンの演技が、このスタークに関してはぴったりで、選挙戦での昂揚ぶりは見事という他ない。ジャックは新聞社の方針に反した彼の提灯記事(本心だったろうが)を書いて辞職となり、スタークは地滑り的大勝利を収め知事に就任する。

権力を手にした人間の辿る道は結局同じなのか、富裕層や企業への対決姿勢を崩さないスタークだが、自身は酒に溺れ(ジャックが最初に会った時は妻に遠慮して酒は飲まないといって「オレンジソーダにストロー2本」だったのだが。選挙戦の時もこの禁は犯している)、女遊びもはじまり、不正への疑惑までが新聞を賑わせるようになる。

引退後も影響力があるアーウィン元判事(アンソニー・ホプキンス)の、疑惑の調査が望ましいという発言から弾劾になることを察したスタークは、アーウィン判事のことを調べるようジャックに命令する。

そもそもアーウィンはジャックのおじで「父が去った後、父以上に父らしい人間」であった。ジャックから見てもアーウィンは、まずなにより高潔な判事であり、いくら探り回っても何も出てこないのだが、スタークは執拗にアーウィンを調べろと言い続ける。叩けば埃の出ない人間などいないと言わんばかりに。

これはスタークの人間観そのもので、自分のことも埃の出る人間として見ているからだろう「私の部下の不正は、潤滑油で今までの知事とは比較にならないくらい小さい」と言って憚らない。それに、それなりに評価すべきこともやっていたようだ。

ジャックのことを考えるとイライラするのは、あまりに我関せずでいるからなのだが、しかしスタークに対しては、何故職を辞してまで彼について行こうとしたのか。シニカルなジャックがスタークに魅せられたのは、一般大衆のように熱狂的な演説によってだとは思えない。単にスタークという男の一部始終を見届けたかった、というのにも同意しかねる。彼の人間観に惹かれたというのが、意外に当たっていそうな気がするのだが。

そうして、完璧と見えたアーウィンから、ついに埃が出る日がやってくる。

アーウィンはジャックに突きつけられたその疑惑(現在の地位は不正に手に入れたものと記した手紙)を、こんなものは証拠にもならないと否定した上で関係者もみんな故人と付け加えるが、しかし、自ら命を絶つことで疑惑が事実であることを認めてしまう。母から自殺を知らせる電話が入って、ジャックは母に責められ、意外な事実を知る。「あなたは実の父を殺した」と。

ジャックの父がどういう状況で「去った」のかは語られていないのではっきりとはいえないのだが、アーウィンは母の浮気相手ということになる(「私も君を苦しめることが出来る」とアーウィンが言っていたのはこのことだったか)。アーウィンが父としてジャックに接していたことは、ジャックの回想からも、またアーウィンが残していたジャックについてのスクラップブックからもわかるのだが、それはジャックにとって慰めになったのだろうか。

アーウィンがいなくなったからなのかはわからないが、スタークへの弾劾投票は否決される。新しい病院の院長にアーウィンが要請していた前知事の息子であるアダム・スタントン(マーク・ラファロ)が就くことも決まって、もう怖いものが何もなくなったかに見えたスタークだったが、そのアダムに暗殺されてしまい、ダフィ新知事が誕生する。

ジャックにとってはアダムは昔からの親友で、その妹のアン(ケイト・ウィンスレット)はジャックの初恋の相手だった。アーウィンの過去を暴くためにアンに再会したジャックだったが、映画では最初の方からジャックとアダムとアンの3人が夜の海にいる場面が何度か繰り返されている。

この回想場面は、ジャックの記憶が曖昧でなかなか思い出せないでいることなのかと思ってしまったのだが、そうではなく(こんな大切なことをそう簡単には忘れないよね。そんな年でもないし)、思い出したくなかっただけだったのか(もしそうならこの場面の挿入の仕方はずるくないだろうか)。

ジャックはアンと海の中で気持ちを伝え会い、部屋にまで行くが、「あまりに大切で壊したくなくて」何もしないままで終わる。このことをジャックはいつまでも気にしていて、アンの気持を今になってもはかりかねているようなのだ。

しかし、アンの気持ちはどうであれ、彼女は何故かスタークの女になっていた。いや、それはアダムを院長にするためにだったらしいのだが、スタークにとってもスタントンの名声が利用できる、願ってもないことだったというのに。事実ジャックは、アダムの説得にあたっていた。「知事は悪でも病院は善だ。善は悪からも生まれる」と言って。

アダムは世間知らずなのかもしれないが純粋で、ジャックとアンとのことも優しく見守ってくれるような男だった。アダムにとってもアンとスタークのことは寝耳に水で、アンに「妹の情夫のヒモにはならない」と言ったらしい(ここでジャックが「僕もそう思う」と言っていたのには笑いたくなったが)。

アダムによるスターク殺害の理由はこれ以上には語られていない。こんなことで、と思わなくもないが、とにかくあっけない幕切れだ。2人から流れた血が溝にそって広がり混じっていく画面が、ひどく陰惨なものに見えた。それはスタークとアダムという、水と油のような2人の人間を無理矢理引き合わせた結果であり、死によってしか混じりあえないとでもいっているようだった。

結局、ジャックのやってきたことはなんだったのか。機会があったらもう1度観て考えてみたい。

  

【メモ】

この映画は1949年版のリメイクで、原作はロバート・ペン・ウォーレンによる1946年のピューリッツァー賞受賞作(鈴木重吉訳の「白水社版では『すべて王の臣』という邦題がついている)。1928年から32年にルイジアナ州知事となったヒューイ・P・ロング(後に上院議員)について書かれた実話だそうだ。

原題のAll the King’s Menは『マザーグース』のハンプティ・ダンプティからの引用で、取り返しのつかない状況を表す。ついでながら、1974年の『大統領の陰謀』(原題:All the President’s Men)は、All the King’s Menのもじりがタイトルになっている。

Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king’s horses and all the king’s men
Couldn’t put Humpty together again.

原題: All the King’s Men

2006年 128分 ビスタサイズ アメリカ 日本語字幕:松浦奈美

監督・脚本:スティーヴン・ザイリアン 製作:ケン・レンバーガー、マイク・メダヴォイ、アーノルド・メッサー、スティーヴン・ザイリアン 製作総指揮:アンドレアス・グロッシュ、マイケル・ハウスマン、ライアン・カヴァノー、トッド・フィリップス、アンドレアス・シュミット、ジェームズ・カーヴィル、デヴィッド・スウェイツ 原作:ロバート・ペン・ウォーレン 撮影:パヴェル・エデルマン プロダクションデザイン:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン 衣装デザイン:マリット・アレン 編集:ウェイン・ワーマン 音楽:ジェームズ・ホーナー
 
出演:ジュード・ロウ(ジャック・バーデン)、ショーン・ペン(ウィリー・スターク)、アンソニー・ホプキンス(アーウィン判事)、ケイト・ウィンスレット(アン・スタントン)、 マーク・ラファロ(アダム・スタントン)、パトリシア・クラークソン(セイディ・バーク)、ジェームズ・ガンドルフィーニ(タイニー・ダフィ)、ジャッキー・アール・ヘイリー、キャシー・ベイカー、タリア・バルサム、トラヴィス・M・シャンパーニュ、フレデリック・フォレスト、ケヴィン・ダン、トム・マッカーシー、グレン・モーシャワー、マイケル・キャヴァノー

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