同居人が仕事先で借りてきた川崎和男の『デザイナーは喧嘩師であれ』を、又借りして読んでいる。
「持論を崩さないこと。売られた喧嘩はきっちりと受けること。自分のデザインは命がけで守ること。そのために主体的に喧嘩を仕掛ける。これは私の信念である。この信念は、世渡りをしていくには損をすることが多い。お利口な生き方ではないことなどもわかっている。
しかし、さっぱりと生きられるではないか。敵をつくることになってもかまわない。偽善からどれだけ距離をとれるか、自分が自分への偽善で閉じこもるわけにはいかない。これは美学の問題であるわけだ。」
という個所に出くわして、殴り合いにでも行ってやろうかという気になる(残念ながら気分だけ)。こんなふうに仕事をしている人がいるのか、とメチャクチャうらやましくなった。
今や仕事をしているんだかしていないのだか判然としない私だが、それこそ喧嘩腰でやってくる仕事と格闘していた時期があった。川崎和男とはやっていること自体が違うし、そもそもレベルだって違いすぎるのだが、しかし少しは彼に近い状態にいたことだってあったのだ。なのにいつからか自分をどんどん曲げるばかりで、最近ではそれを反省と勘違いしていたような気さえする。
というか、客に迎合してきたのは自分に自信がなかったからなのだが……。そんないやいやの迎合(くどい。いやいやだから迎合なんだってば)だから、今のような状況と、納得がいくってもんだ。
なんにせよ、喧嘩をする(主体的に仕掛けるのだよ)には当然それなりに常日頃鍛えておかにゃいかん、ということであるな。ふぬけじじいにゃ無理かのー。 |