ディア・ドクター
2009年08月02日 日曜日
新宿武蔵野館3 ★★★★☆


写真1:西川美和、笑福亭鶴瓶、瑛太、八千草薫のサイン入りポスター。写真2、3:「実際の撮影で使われた神和田診療所の看板や、鶴瓶師匠が演じたDr.伊野愛用のドクターバッグや聴診器、その他の小道具を展示しております。」(写真3にある黒いプレートにあった説明文)
■人を判断するもの
『ゆれる』に続いてのこの『ディア・ドクター』(『蛇イチゴ』は未見だし『ユメ十夜』の[第九夜]は、短すぎてピンとこなかったが)、やはり西川美和は只者ではなかった。最後の方にちょっとした疑問はあるが、傑作なのは間違いない。溶け出したアイスという小道具にまで目が行き届いた演出に、『ゆれる』でのたくっていたホースを思い出した。
話は単純だ。伊野が無医村に来て三年、彼の評価は上々で、どころか上がるばかりだったのに、突然失踪してしまい、刑事が行方を調べはじめる。映画は、その聞き込み調査と、伊野のところに研修医の相馬がやってきて来てからの、つまり現在と少し前の過去を巧みに組み合わせた構造になっていて、この二つは、ところどころで、伊野(だけではない)の実像と虚像とを対比する。
虚像とはむろん伊野が偽医者だったことを指す(と書いてしまったが、これは周囲が勝手に作り上げたもののようでもあり、なかなかに難しい)。伊野の虚像部分に対する松重豊演じる刑事の歯に衣着せぬ物言いは的を射たものだが、反面、伊野に対する村人たちの見方や反応を限定してしまいそうで、心配になる。
伊野を連れてきて鼻高々だった村長の落胆は大きく、伊野様々だった村人たちでさえ、もう陰口をききはじめる始末だ。そういう光景を散々見ながらも、刑事は、いま伊野がここに戻ったら、案外袋だたきになるのは僕らの方かも、と漏らす。失踪調査で偽医者であることが判明して、すぐにこんな状況なのは、結局のところ、伊野への評価もすべて肩書きがあったからということになってしまう。それとも刑事の発言は、村人たちの反応が、刑事である自分へ向けた表向きの顔であることを見透かしてのものなのか(なら、自分の発言の及ぼす力のこともわかっているのだろう)。
もっとも映画の主眼は、そういうことの追求ではなさそうである(付随した効果という意味では大いに意識してやっているのだろうが)。また逆に、偽医者に対する関係者の反応を面白がっているというのでもなく、ただ、事例を並べていったという感じなのだ。まあ、それこそ巧妙に並べられているのではあるが。
他にも薬屋(問屋?)の営業マンとの怪しい関係など、なんとも興味深いものもあるが、結局、伊野が何を考えていたのかはわからない。推測するならば、高給(年二千万円もの大金を村は支払っていた)に見合ったことくらいは多少なりともしようと思ったのか(偽物としては本物以上の気配りが必要だったはずだ)。あるいは(またはその結果として)人に喜ばれることの楽しさを知ってしまったのだろう(これは大いにありうることだ)。
そして映画は、その喜ばれていることが一筋縄ではいかないことを描くのも忘れていない。
死にかけている老人を前に伊野は手を尽くそうとする。が、家族の方はもう大往生なのだからと、死んでくれることを願っている場面がある。臨終宣言のあと、伊野が老人を抱きかかえて「よう頑張った」と背中をさすってやると、つかえていた物がとれ息を吹き返す。集まっていた村人の万歳三唱の中、帰って行く伊野。万歳の中に家族の姿があったかどうか思いだせないのだが、たとえあったとしても、もうそれは伊野には知られてしまったことで、だからってそれすら家族は何とも思ってはいないのだろうが……。
伊野の命取りとなる鳥飼かづ子の場合にも、それぞれの事情が存在する。胃の調子の悪いかづ子は、娘たちの、とりわけ東京で女医になったりつ子には心配をかけまいと思っていて、伊野に一緒に嘘ついてくれと言う。りつ子の方は、父の死の時にも取り返しのつかないことをしてしまったという想いがあるらしく、知らないまま何かがあってはと、医者のはしくれとしての恐れもあるのだった。
伊野の必死の勉強(偽医者だからね)にもかかわらず、当然ながらかづ子の胃癌は進行し、盆休み?で帰ったりつ子と伊野の間で、偽(薬屋)の胃カメラの写真を前に、医学的見解が述べられ、りつ子も伊野の意見に納得する(勉強の成果なんだろう)。が、このあと、りつ子の次の帰省が早くて一年後ということを知ると、急に慌てたように、ここで待つようにりつ子言い残して伊野は姿を消してしまうのだった(この、ここで待ては、自分の代わりに村で診療し、母親を診ろと言っているようにもみえるが、これは考えすぎか)。
伊野は、経験豊かな看護婦の大竹主導で気胸の患者を救い(この場面は見物だった)、街の総合病院に運んで手術が行われている時にも姿を消そうとしているかのようだった。だから伊野は慌ててはいたが、逃げ出すタイミングを計っていたのかもしれず、でなければ相馬に僕は免許がない(これは車のだったが)とか、偽医者だ、とは冗談にでも言えなかったのではないか。
伊野の失踪で、診療所の看板は下ろさざるを得なくなる。なにしろ年収二千万でもなり手がいないのだ。ってことは、それ以上に医者は儲かるのか。または、やはり僻地生活などしたくないってことなのだろう。必要以上に多くを語らないのがこの映画だが、こういう誰もが抱く疑問や無医村の問題については、なるほどと思う。しかしそれにしても、大竹や相馬の失踪後の伊野評がはっきりしないのは何故か。一番の関係者たちなのに時間もそう長くとっていないから、これはわざとなのか。
大竹は地元での職を失うわけで、といって伊野を弁護しても何も得られないことくらいはわきまえていそうである。刑事も大竹には伊野との関係に話題を振っていた(大竹は否定)。相馬は伊野に入れ込んでいて、将来はここにこようと思っていたくらいだから、しどろもどろなのも無理はない。そしてやはり研修医という立場では自分を取り繕うしかなかったのだろう。こんなだから「伊野を本物に仕立てようとしたのはあんたらの方じゃないのか」と刑事に毒づかれてしまう。
意外なことに(かづ子の家族としてなら意外でも、医者としてなら必然なんだろう)最後になって伊野を信頼(そこまではいっていないのかも)しようとしたのはりつ子で、「あの先生なら、どんなふうに母を死なせたのかなぁ」と刑事に伊野を捕まえたら聞いてほしいと頼んでいた。
ここでどうにも気になるのがかづ子の応対で、刑事の事情徴収に、伊野を信用したことを怖いと言い、あなたに何かをしてくれたかという問いには、何も、と答えているのだ。何もしてくれないように頼んだのは他ならぬかづ子自身で、だからその答えは間違いではないにしても、伊野は彼の持てる力以上のことをしてくれたのではなかったか。だからかづ子の答えは、成り行きで言ってしまったにしても、そう簡単には受け入れられないものだ(これが最初に浮かんだ疑問である)。
このあと、伊野と刑事たちが駅のプラットホームで、気付くこともなくすれ違う場面がある。そして最後は、入院中のかづ子と伊野が鉢合わせして、二人が笑って、映画はお終いとなる。
この場面のためにホームでのすれ違い場面を用意したのだろう。これは気が利いた処理である。が、二人の笑顔で終わらせたいのであれば、かづ子の刑事に対する答えはもう少し違ったものでなければ、と思ってしまう。そうでないのなら、このラストは外してしまうべきではないか。
ただ、伊野が東京の、それもわざわざりつ子が勤務する病院の職員(それとも出入りの業者か何かなのか)になっているのが、大いに引っかかるところである。伊野はりつ子の勤務先までは知らなかったのだろうか。そうでなくても病院に出入りした場合の危険性は考慮するのが当然ではないか。それともこれはわかっていてのことなのか。職員でなく、単にかづ子に会いに行ったのだとしたら……。
考え出すと切りがなくなるのだが、笑顔の裏にある伊野という男のある部分がちらついて仕方がなくなってくる。そこまでを含めたラストということなら、これはこれで人間の業を考えさせる怖い結末だろう。
2009年 127分 ビスタサイズ 配給:エンジンフィルム、アスミック・エース
監督・原作・脚本:西川美和 プロデューサー:加藤悦弘 企画:安田匡裕 撮影:柳島克己 美術:三ツ松けいこ 編集:宮島竜治 音楽:モアリズム 音楽プロデューサー:佐々木次彦 衣裳デザイン:黒澤和子 照明:尾下栄治 録音:白取貢、加藤大和
出演:笑福亭鶴瓶(伊野治)、瑛太(相馬啓介/研修医)、余貴美子(大竹朱美/看護婦)、八千草薫(鳥飼かづ子)、井川遥(鳥飼りつ子/かづ子の娘、医師)、香川照之(斎門正芳/薬屋の営業)、松重豊(刑事)、岩松了(刑事)、笹野高史(村長)、中村勘三郎(総合病院の医師)
ハリー・ポッターと謎のプリンス
2009年07月29日 水曜日
楽天地シネマズ錦糸町シネマ2 ★★☆
■最終篇の序章は、校長の死と惚れ薬騒動?
『ハリー・ポッター』も完結篇なのだから観ておこうか、って、全然違うじゃないの(原作が完結したのを取り違えてたようだ。ま、私がその程度の観客ってことなんだけど。そもそもファンタジーは苦手だし)。映画の最後で、次は二部作(えー)の最終篇が来るってお知らせが……ほへー。
簡単にいってしまうと(詳しく言えないだけなんだが)、この六作目の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』は、その最終篇の序章のようなものらしく、だからいきなり現実部分で、三つの黒い渦巻きのようなものがロンドンのミレニアム橋を襲い、破壊する場面を見せるのに、それは、最近よく起きている怪奇現象の一つみたいに片付けられてしまい、そして話の方も、もう現実世界でのことには触れることなく、学校に戻って行ってしまう。
ただし今回は、ダンブルドア校長の死という痛ましい結果が待ち構えている。そして、その前の段階でダンブルドアとハリーの二人三脚場面が多くあり、ハリーにも選ばれし者という自覚が芽生えているので、それなりに盛り上がってはいくんだが、地味っちゃ地味(スペクタクル場面は予告篇で見せちゃってるし、それも橋破壊とクィディッチ場面くらいだから)。
そのハリーだが、早々に簡単な魔法にかかって学校に遅刻しそうになるんで、これで選ばれし者なの、と言いたくなるが、まあご愛敬ってことで。
ヴォルデモート卿に関しては、毎回のようにその影響がハリーたちに降りかかるという設定なので、私のようにいい加減にしか観ていないものには、全部が似たようなイメージになってしまっている。しかし今回は(たって前がどうだったかは、って、しつこいか)ヴォルデモート卿の過去に遡っての話(だからトム・リドルという実名で登場する)で、少しずつヴォルデモート卿の輪郭をはっきりさせてもいるのだろう。
題名の『謎のプリンス』は、ヴォルデモート卿の過去から弱点を探るために、ダンブルドアがハリーを出汁に連れてきたホラス・スラグホーンの授業で、ハリーがたまたま手に入れた(ずるいよなぁ)ノートに記されていた名前で、正確には原題のthe Half-Blood Princeである。
実は、これは昔スナイプが書いた署名なのだが、それはあっさりスナイプがそう言うからで、謎って言われても、なのだが、スナイプは今回特別な役回りを与えられているのだった。
怪しさ芬芬のアラン・リックマンならではのスナイプは、ダンブルドアからも信頼(ではないのかもしれないが、映画だとよくわからなかった)され、しかし、破らずの誓いによって、ドラコ・マルフォイの保護者のような立場になってしまう(それは前からなのだが、この誓いではドラコが失敗した場合、その代役にならざるを得なくなる)。
つまり今回は、the Half-Blood Princeによるダンブルドアの死というのが大筋なのだ。出てくる小道具や交わされる言葉が、魔法学校のため、とまどうことがしばしばなのであるが(今更何を言ってんだか)、話はほぼ一直線。来るべき戦いを前に(分霊箱探しに)決意を新たにするハリーに、ハーマイオニーが私たちも行くと力強く続き、次作への期待を高まらせて終わりとなる。
ところで、すべてが次ではあんまりと思ったのか、学園ラブコメディ的要素が多くなった。出演者たちが成長したからこそだし、観客も彼らをずっと観てきたわけだから、これも楽しみの一つには違いない。が、なにしろここには惚れ薬なんてものまであるので、ロンのキスしまくり状態などという、だらけた場面に付き合わされることになる。ついでにロンを好きになっているハーマイオニーの嫉妬ぶりとかもね。
ハリーに至っては前作のファーストキスのことは忘れてしまったようで、ロンの妹のジニーに熱を上げていた。ジニーは付き合っている人がいたみたいなのに、何で二人はくっついちゃったのかしら。恋愛感情がどうのこうのというよりは、くっつき合いゲームになってしまっているのだ。展開が雑といってしまえばそれまでだけど、せっかく彼らの成長ぶりを観客だって見守ってきたのだから、これはもったいないよね。時間だってそれなりに割いてあるっていうのに。
こういうところも、原作にはちゃんと書かれているのだろうか。このシリーズ、まさか原作を読んだ人専用ってことはないだろうが、いつもそんな気になってしまうのだ。
原題:Harry Potter and the Half-Blood Prince
2008年 154分 イギリス、アメリカ シネスコサイズ 配給:ワーナー・ブラザース映画 日本語字幕:岸田恵子 監修:松岡佑子
監督:デヴィッド・イェーツ 製作:デヴィッド・ハイマン、デヴィッド・バロン 製作総指揮:ライオネル・ウィグラム 原作:J・K・ローリング 脚本:スティーヴ・クローヴス 撮影:ブリュノ・デルボネル クリーチャーデザイン:ニック・ダドマン 視覚効果監修:ティム・バーク 特殊メイク:ニック・ダドマン プロダクションデザイン:スチュアート・クレイグ 衣装デザイン:ジェイニー・ティーマイム 編集:マーク・デイ 音楽:ニコラス・フーパー
出演:ダニエル・ラドクリフ(ハリー・ポッター)、ルパート・グリント(ロン・ウィーズリー)、エマ・ワトソン(ハーマイオニー・グレンジャー)、ジム・ブロードベント(ホラス・スラグホーン)、ヘレナ・ボナム=カーター(べラトリックス・レストレンジ)、ロビー・コルトレーン(ルビウス・ハグリッド)、ワーウィック・デイヴィス(フィリウス・フリットウィック)、マイケル・ガンボン(アルバス・ダンブルドア)、アラン・リックマン(セブルス・スネイプ)、マギー・スミス(ミネルバ・マクゴナガル)、ティモシー・スポール(ピーター・ペティグリュー)、デヴィッド・シューリス(リーマス・ルーピン)、ジュリー・ウォルターズ(ウィーズリー夫人)、ボニー・ライト(ジニー・ウィーズリー)、マーク・ウィリアムズ(アーサー・ウィーズリー)、ジェシー・ケイヴ(ラベンダー・ブラウン)、フランク・ディレイン(十六歳のトム・リドル)、ヒーロー・ファインズ=ティフィン(十一歳のトム・リドル)、トム・フェルトン(ドラコ・マルフォイ)、イヴァナ・リンチ(ルーナ・ラブグッド)、ヘレン・マックロリー(ナルシッサ・マルフォイ)、フレディ・ストローマ(コーマック・マクラーゲンデヴィッド・ブラッドリー、マシュー・ルイス、ナタリア・テナ、ジェマ・ジョーンズ、ケイティ・ルング、デイヴ・レジーノ
重力ピエロ
2009年07月26日 日曜日
新宿武蔵野館3 ★★★★

写真1:おっ、また出演者の不祥事か……と思ったが(『今度の日曜日に』の時と同じと思ってしまったのだな)、何のことはない、5.23という公開日を武蔵野館が紙を貼って消しているだけだった(この変則?公開のお陰で観ることができたのだが)。あと、別に「エロ」を強調しているわけではなくて、たまたま……。写真2:元のポスターはこれ。
■親殺しを肯定
泉水と春の兄弟が市内(舞台は仙台)で起きている連続放火事件に興味を持ち、その謎を追う。春が落書き(グラフィティアート)消しの仕事をしているうちに、必ずそのすぐ近くで放火が起きていることに気付き、泉水に相談したのだった。
そしてこの謎が、自分たち家族に刻印されてしまった、ある忌まわしい事件と結びついていることが次第にわかってくる……。
まず、この落書き消しの仕事っていうのが、そもそも怪しいんだが、それには触れていないのがどうもね。バラバラな場所で書かれた落書きなのに(ということは依頼主もバラバラだろうから)、その始末を何で春が全部やっているんだろう、とかね(そりゃ春が手を回せば仕事を取るのは可能にしても、泉水にはそのことも含めて不自然なのがわかってしまいそうなんだもの。ま、最終的には、気づけ!という意味もあるんで、これで正解なのかもしれないが)。
これに限らず、この落書きがあるメッセージを持っていて、それが遺伝子配列を使った暗号だということがわかったりするのだが(泉水は大学院で遺伝子を研究しているのな)、このミステリー部分は、実はいらなかったりもするのだな(え、そんな!)。
この凝ったつくりは、原作(未読)が伊坂幸太郎だからのような気もするが、そしてだからってそれほどうるさくはないのであるが(仕掛けが多い割にはわかりやすい映画だろうか)、泉水を巻き込む必要があったとはいえ、春の凝りようは凡人には理解しづらい面がある。
また、二十四年前のレイプ事件(犯人は高校生だった)で授かってしまったのが春で、その噂話が家族を苦しめ(転居もするのだが、父の正志が公務員ということもあって、噂話圏内からは逃れられなかったのか)小学生の時には泉水と春にもそのことが耳に入っていたという場面(春の疑問に、泉水はとっさにファンタ・グ・レイプと誤魔化す)は、映像になると突出してしまうので、もう少しぼかしておいてもよかった気がする。
けなしてばかりなのに、★四つ評価なのは、この作品には別の魅力があったからで、泉水の兄としての微妙な立場の描き方がその一つ目だ。
なにしろ彼の弟は、カッコがよくて女の子にはもてるし、これはおまけだが絵もうまい。ぼわっとしたイメージの泉水としては、どうしても弟と比較されてしまうから相当ストレスがあったらしいのだが、泉水は(むろん春も)両親の愛情の下、それがけっしてやっかみにはならないように育てられたのだった。とはいえ春の出生の秘密を知っていて、仲のいい兄弟でい続けるのは難しいことだったと思われる。
そしてこの作品は、泉水の目を通して語られる家族の物語であり、そこに春は何よりも不可欠な存在としてあるのである。
二つ目は春が実の父親を殺してしまうことで、これについては「ムチャクチャだな」と泉水に言わせてはいるが、警察に行くという春を泉水は「世の中的には悪いことじゃない」と断言し、そして「実は俺もあいつを殺そうとした」と春に告白するのだった(事実これは実行段階寸前だった)。
最後の場面は父の死後(結局胃癌で死んでしまったのだった)、二人が父の趣味をついで?養蜂作業(蜜の分離)をしているところで終わっている(注1)から、あの泉水の言葉は、春が自首することをおしとどめたようである。つまり作品として、春の行為を正当な殺人として肯定しているのである。そして、どう考えても「ムチャクチャ」なのに、それを受け入れてしまっている自分がいて、これも驚きなのだった。殺人はバットを何度も振り下ろすという、かなり残忍なものだったのに。
確かに春の実父葛城由紀夫の精神構造は不快としかいいようがないもので(好きになれない渡部篤郎だが、この役はうってつけだった)、こいつの言い分を聞かされていると、あまりの身勝手さに怒りが湧いてくる(三十人レイプは葛城の青春の一ページになってしまうし、他のセリフも書くのが躊躇われるようなものばかりなのだ)。正義など、それを振りかざす人間の数だけいるのだろうとは思うが、ここまで極端だと、こちらの正義をぶつける気にもならなくなってしまう。
むろん、だから殺人を犯していいのかといえばすぐには頷けないのであるが、春を責める気になるのも難しい。尊属殺人罪など、とうの昔になくなりはしたが、同じ殺人でも親殺しや子殺しになると、今だに道義的な解釈が余計にプラスされてついてまわることになる。親子関係というのはどうしてもそういう部分から抜けられないのだろう。
あんな奴が実の父親であることがわかったら、一体どんな気持ちがするだろうか。そして遺伝子は、いろいろな部分を葛城から春に正確にコピーしているのである(注2)。だから、春は女性に興味がないみたい、なのではなく、興味を持たないようにしていたのかもしれないではないか。学生時代にクラスのむかつく女をレイプしようとした相手に本気で向かっていったのは、そういうことだったのである。
市内の落書き消しという凝った設定がわかりづらいと最初の方で書いたが、もしかしたらそれは、春にとっては父親(が過去に三十件ものレイプをした場所)の痕跡を消す作業だったのかもしれない。そこに父親を度々呼び出し、春なりに過去に向き合わせようとしたのに、葛城は反省するそぶりすら見せなかったのだろう。
春がこのことを泉水に知らせようとしたのは、自分は臆病で大事な時には兄貴がいないと駄目、だからと言うのだが、これはあまり説得力がない。自分の中にある暴力性に自信が持てない春が、表面的には役に立ちそうもない泉水を側におくことで、抑止力としていたと考えればわかりやすくなるが、どうだろう。
あと映画を観ていて気になったのが、家族四人でサーカスに行った場面で、この時のことが題名になっているので外せなかったのだろうが(注3)、これと「俺たちは最強の家族」という言葉が繰り返される部分は、削除した方がいいと思うのだが。
注1:厳密にはこのあとストーカー女の夏子があらわれ、そして巻頭と同じ「春が二階から落ちてきた」というモノローグに合った場面となる。
注2:「どうして僕だけ絵がうまいの」というセリフはあったが、これが葛城の遺伝かどうかは定かではない。アルコールに弱いのは共通している。
注3:「家族の愛は重力を超える」はポスターの惹句だが、そう言ってたかどうかは忘れてしまった。楽しくしてれば地球の重力だって消せる、だったか。空中ブランコをしているピエロが落ちそうになるのを心配する子供たちに、大丈夫よ、と母親が言ってくれるのだ。
2009年 119分 ビスタサイズ 配給:アスミック・エース
監督:森淳一 プロデューサー:荒木美也子、守屋圭一郎 エグゼクティブプロデューサー:豊島雅郎 企画:相沢友子 原作:伊坂幸太郎『重力ピエロ』 脚本:相沢友子 撮影:林淳一郎 美術:花谷秀文 編集:三條知生 音楽:渡辺善太郎 音楽プロデューサー:安井輝 主題歌:S.R.S『Sometimes』 VFXスーパーバイザー:立石勝 スクリプター:皆川悦子 照明:中村裕樹 装飾:山下順弘 録音:藤本賢一 助監督:安達耕平
出演:加瀬亮(奥野泉水/大学院生)、岡田将生(奥野春/泉水の弟)、小日向文世(奥野正志/泉水の父、元公務員)、吉高由里子(夏子/春の元?ストーカー)、岡田義徳(山内/泉水の友人、大学院生)、渡部篤郎(葛城由紀夫/春の実父、デリヘル業)、鈴木京香(奥野梨江子/泉水の母)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
2009年07月26日 日曜日
新宿ミラノ1 ★★☆








写真1~8:2009年6月28日(日)のミラノ座前。「第3新歌舞伎町宣言」のコスプレイベント。私はただの通りすがり。この日は『ターミネーター4』を観たので。あ、でもちゃっかり『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のクリアファイルをもらっちゃいました。



写真9~12:こちらは映画を観た日に新宿ミラノ1内で撮った写真。関連商品が沢山。ロビーに展示されていたフィギュア。イベント時にあったものと同じ物だが、零号機ははじめて? だったらちゃんと写真を撮ればいいのに、と言われちゃいそうだけど、ま、そんな熱心なファンじゃないんで。
■未だ不明なり
「エヴァンゲリオン」のことは「ヱヴァンゲリヲン」でしか知らないので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の時も混乱しているうちに終わってしまったくらいで(最初だったので今回よりさっぱりだった)、こんなだから私が何かを書いてもロクなものになりそうにない。なので、感想はパスするつもりでいたが、そうすると次作の時にまた混乱してしまいそうなので(一応次のも観るつもり。ここでやめたら馬鹿らしいので)、メモ程度になってしまいそうだが、それを残しておくことにした。エヴァンゲリオンに詳しい人からみたら噴飯ものになっていそうだが、こういう観客もいるっていうことで……。
使徒の正体が不明なのはともかく、それがぽつんぽつんとやってくるのが相変わらずわからない。一気に攻撃したらひとたまりもなさそうなのに、それが出来ない、もしくはそのことに気づいていない理由でもあるのだろうか。相手が人間とは違う思考形態ということも考えられるが、この設定はまるでテレビ放映に合わせているかのようで、でもそれじゃあさすがにおかしいと気づいたのか、今回は多少だが、矢継ぎ早の使徒登場という感じになっていた。
そもそも使徒ばかりでなく、どういう状況に世界がなっているのかということすらなかなか明かにならない。今回で言えば、セカンドインパクトによって海は赤くなってしまい、水族館のような所(海を元に戻すための研究所)で、セカンドインパクト前の生き物を見たりしているのだが、それにしては第三新東京市の日常は、ごくごく普通のもので、防災都市として造られている部分を見ていなければ、とてもセカンドインパクト(というかこれだって?)後とは思えない風景なのだ。
だからシンジたちが学園生活を送っていること自体がまったく現実感のないものなのだが、あまりにも当然のようにそこには日常があるので、どう解釈すればいいのかとまどってしまうのである。
それに、よくぞ第三新東京市を造る暇(余裕と言うべきか。たんなる再建じゃないんだから)があったなと。第三新東京市と称してはいるが、他にもこういうところがあるのか。世界的にはどうなのか。ネルフというのは何でも国連の直属の非公開組織らしいんだが(これはネット出調べたのな)、そんなこと言ってたっけ。で、何で本部が第三新東京市で、シンジの父親ゲンドウが総司令なんだ(ここまで言っちゃったら身も蓋もなくなるが)。
にしては、バチカン条約とやらを急に持ち出してきて、各国のヱヴァンゲリヲンは三体までに制限されているという。各国のエゴがからんでいるらしいのはセリフからもわかったが、でも軍縮で牽制し合っているわけじゃあるまいし、使徒という人類共通の敵に対抗するのに制限……って、そうか、これはヱヴァンゲリヲンが貴重品なため割り当てを決めているだけとか? ってことはネルフの本部があってもそこまでは自由にならないんだ?
これだけ説明が不十分でよく客がついてきているものだと、別のところに感心してしまうが、この不親切さはテレビ時代からのものらしい、って。はぁ。この作品の魅力って、もしかしたら謎だらけだから、とかねぇ。
父親との確執というか、ただ父親に認めてもらいたいだけのシンジがまたまた出てくるのだが、これもなぁ。巻頭の母親の墓参りで「父さんと話せて嬉しかった」ってシンジが言うのだけれど、十四歳の子供が父親にこんなこと言うかしら(たとえ思っても口には出さないんじゃ)。
ヱヴァンゲリヲンの搭乗員が、シンジ以外は女の子って、これもすごい設定なんだけど(職員も女性が多いんだから!)、それぞれが少しずつ信頼関係を築いていって、協力して使徒を倒していって、ついにはシンジとレイとで「初号機の覚醒がなった」のな。はは。裏コードがあったり、エネルギーが切れて活動限界にあるのに動いちゃって、ヱヴァにこんな力があったとは、って驚かれちゃってもですね。ま、覚醒に至る伏線は、巧妙に貼られてはいましたがね。
「世界がどうなっても綾波だけは絶対助ける」って、シンジってこんなだったんだ。けど、異常なまでの綾波レイ人気が私にはよくわからないんで(レイが孤独にしているような部分と「私も碇君にぽかぽかしてほしい」というセリフに違和感を感じてしまうからかなぁ)、シンジの快挙にも「やったぜ」とはならず。
あと、戦闘場面で、三百六十五歩のマーチ、今日の日はさようなら、翼をください、って、ちょっとない発想だよね。曲をリアルタイムで体験してきた身にとっては恥ずかしいだけなんだもの。って、もうこのへんでやめとくわ。あ、でも人類補完計画は? ヱヴァの仮設5号機って? パイロットなしのダミーシステム? ?が沢山過ぎで、未だ不明なり。
2009年 108分 ビスタサイズ 配給:クロックワークス、カラー
総監督・企画・原案・脚本:庵野秀明 監督:摩砂雪、鶴巻和哉 キャラクターデザイン:貞本義行 メカニックデザイン:山下いくと 作画監督:鈴木俊二、本田雄、松原秀典、奥田淳 原画:橋本敬史、西尾鉄也、小西賢一、山下明彦、平松禎史、林明美、平田智浩、向田隆、田中達也、高倉武史、朝来昭子、奥村幸子、押山清高、室井康雄、板垣敦、合田浩章、柿田英樹、飯田史雄、桑名郁朗、羽田浩二、松田宗一郎、コヤマシゲト、川良太、上村雅春、すしお、錦織敦史、吉成曜、高村和宏、今石洋之、前田明寿、寺岡巌、高田晃、田村篤、鈴木麻紀子、横田匡史、長谷川ひとみ、鎌田晋平、北田勝彦、黄瀬和哉、前田真宏、庵野秀明、鶴巻和哉、摩砂雪、小松田大全、中山勝一、増尾昭一、鈴木俊二、松原秀典、奥田淳、本田雄 第二原画:松尾祐輔、竹内奈津子、矢吹佳陽子、吉田芙美子、西垣庄子、益山亮司、関谷真実子、茶山隆介、矢口弘子、ジョニー・K、柏崎健太、小磯沙矢香、城紀史、阿部ルミ、平松岳史、岡穣次、井下信重、立口徳孝、松本恵、久保茉莉子、大原真琴、杉浦涼子、竹上充知子、大薮恭平、何愛明、斎藤梢、小野和美、大洞彰子、諏訪真弘、鶴窪久子 撮影監督:福士享 美術監督:加藤浩、串田達也 編集:奥田浩史 音楽:鷺巣詩郎 CGI監督:鬼塚大輔、小林浩康イメージボード:樋口真嗣、前田真宏 デザインワークス:高倉武史、渡部隆、佐藤道明、鬼頭莫宏、あさりよしとお、本田雄、増尾昭一、小松田大全、小林浩康、松原秀典、鈴木俊二、奥田淳、鶴巻和哉、コヤマシゲト、庵野秀明、吉浦康裕、きお誠児、浅井真紀、okama、前田真宏 作画監督補佐:錦織敦史、奥村幸子、貞本義行 色彩設計:菊地和子 動画検査:寺田久美子、犬塚政彦 特技監督:増尾昭一 副監督:中山勝一、小松田大全 デジタル演出:鈴木清祟 画コンテ:鶴巻和哉、樋口真嗣、橘正紀、佐藤順一、山本沙代、増井壮一、錦織敦史、合田浩章、小松田大全、中山勝一、摩砂雪、庵野秀明
声の出演:緒方恵美(碇シンジ)、林原めぐみ(綾波レイ)、宮村優子(式波・アスカ・ラングレー)、坂本真綾(真希波・マリ・イラストリアス)、三石琴乃(葛城ミサト)、山口由里子(赤木リツコ)、山寺宏一(加持リョウジ)、石田彰(渚カヲル)、立木文彦(碇ゲンドウ)、清川元夢(冬月コウゾウ)、長沢美樹(伊吹マヤ)、子安武人(青葉シゲル)、優希比呂(日向マコト)、関智一(鈴原トウジ)、岩永哲哉(相田ケンスケ)、岩男潤子(洞木ヒカリ)、麦人(キール・ローレンツ)
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