MW ムウ

2009/8/2 新宿ミラノ3

■成立しない、毒ガス暴走人間物語

脚本も駄目なら演出も駄目。なんで、書く気がしないのだが……。

十六年前に沖之真船島で、米軍の毒ガス兵器「MW」が微量ながら流出し、島民が虐殺されるという事件が起きるが、その真相は政府により闇に葬られたはずだった。が、島から奇跡的に逃げ延びた二人の少年がいて、彼らが大人になった今、二人はまったく正反対の道を歩んでいたのだった。結城美智雄は優秀な銀行員で、しかし裏では復讐に生きる悪魔のような存在となり、賀来裕太郎は神に身を捧げる神父となっていた……。

映画が駄目なのは、何故二人がそうなったかという部分で手を抜いたからで、二人の関係に踏み込めていないことにある。もちろん一通りの説明はあって、結城が賀来を助けた時にMWを吸ってしまい、死には至らなかったものの後遺症が残ってしまったことが、賀来の結城に対する遠慮となっているとしている。

結城のそれが後遺症というのなら、MWには殺人科学兵器だけではなく、人を悪へと走らせる効果があることになる。ここだけを膨らませても話としては面白くなりそうなのだが、そういうところは軽く流してしまっているので、ドラマは深化せず、どころか成立していない部分までいくつもあって、ただただ結城が暴走していくだけの映画になっていた。

賀来が言うように「人間ではなくなった」結城は、自分たちをこんな目に合わせた者たちへの復讐の鬼と化す。そして、最初は関係者の殺害だったのに、MWを手に入れてからは世界の滅亡へと結城の目的が変わってしまうのだが、ここだって説明不足だろう(「お前にはわからないだろうが、異様に喉が渇くんだ」と賀来には言っていたが)。

原作の主眼は、二人の対比にあったと思われる(MWという毒ガスの名前もそれをイメージして付けられたのだろう。カタカナのムとウもアルファベットと同様、相似形になっているのが面白い)。だから、本来なら半分は賀来の映画なのに、彼は結城の前ではなすすべもなく(時には片棒まで担がされ)苦悩するばかり……って、苦悩している場合じゃないだろうに。いくら山田孝之を配して玉木宏とのキャスティング的なバランスをとっても(とれているかどうかは私にはわからないが)、これではどうしようもない。

人間ドラマの部分を捨て、アクション映画として割り切ったのだろうか。だったらこの原作を選んだ意味がないではないか。ポスターには「手塚治虫、禁断の問題作」という字があるが、禁断の部分(結城と賀来の同性愛)を描かないで、問題作とは恐れ入る。

しかもアクション映画として評価できるのは、冒頭のタイでの捕り物劇(沢木はいいところで結城を逃がしてしまう)と小型飛行機がビルに翼をぶつけながら飛んでいく場面くらいなのだ。それにタイの場面は、終わってみると浮いてしまっていて、取って付けたような印象だ。

沖之真船島でのMWの発見や、そこで米軍のヘリに攻撃を受ける場面(隠れ場所もないのに、逃げられっこないって)、また、米軍の東京基地への潜入など、あまりに都合よく展開してしまうため、いろいろなことは起きるが大して盛り上がらない。

セリフも大袈裟だ。賀来が記者の牧野(彼女も別の方向からMWに迫っていた)に言う「国家が僕たちを脅そうとしているんじゃなくて、彼(結城)が国家を脅そうとしているんだ」とか、結城の沢木に言うセリフ「撃ちたければ撃て、ただ撃てば、あなたが歴史的な犯罪者だ」は、大袈裟だけでなくピントまでずれている。

沢木が米軍基地に乗り込んで行くと「君たちの争いだ。君たちで解決してくれ」と言われてしまうのだが、米軍が大いに関わっている事件で、それも基地内でのことに、こんな鷹揚にしてくれるだろうか(沖之真船島では侵入者をヘリで射殺しようとしていたわけだし)。

最後は、結城が生き延びての犯行予告(予行演習)なんだけど、まさか続編を作る気じゃないよね。

岩本仁志監督のことは知らなかったが、調べてみると日本テレビの演出家で、その前はフジテレビでも演出を手がけていて、相当数のドラマにかかわっていたとある。テレビドラマの延長らしいが『明日があるさTHE MOVIE』(2002年)という映画まで監督しているのだ。で、この醜態なの?

例えば、これは予告篇でいくらでも観ることが出来るのでサイトに行って確認してほしいのだが、結城がビルの屋上から落とした人間が下のトラックに激突する場面がある。屋上からのカットだと、下には人通りはほとんどないし、トラックも停車していないんだよね。第一突き落とされたのではなくロープを切られての落下なのに、歩道ではなくトラックが停車している車道にどうしたら移動できるのだろう。

筋が繋がっていればいいくらいの感覚で、適当に撮っているのだとしたら、いい作品など出来るはずがない。監督は猛省すべきだ。

2009年 130分 シネスコサイズ 配給:ギャガ・コミュニケーションズ PG-12

監督:岩本仁志 製作:松崎澄夫、宇野康秀、白井康介、阿佐美弘恭、堀越徹、李于錫、樫野孝人、松谷孝征、竹内茂樹、久松猛朗、島村達雄、菅野信三 プロデューサー:松橋真三 エグゼクティブプロデューサー:橘田寿宏 原作:手塚治虫 脚本:大石哲也、木村春夫 撮影監督:石坂拓郎 Bカメ撮影:迫信博 特殊メイク:飯田文江 美術:太田喜久男 編集:浅原正志 音楽:池頼広 主題歌:flumpool『MW ~Dear Mr.& Ms.ピカレスク~』 VFXスーパーバイザー:田口健太郎 スクリプター:湯沢ゆき スタイリスト:村上利香 スタントコーディネーター:釼持誠 ヘアメイク:細川昌子 照明:舘野秀樹 整音:佐藤忠治 装飾:竹内正典 録音:原田亮太郎 助監督:戸崎隆司

出演:玉木宏(結城美智雄/銀行員)、山田孝之(賀来裕太郎/神父)、石田ゆり子(牧野京子/新聞記者)、石橋凌(沢木和之/刑事)、山本裕典(溝畑/新聞記者、牧野の部下)、山下リオ(美香)、風間トオル(三田/新聞記者、牧野の同僚)、鶴見辰吾(松尾/望月大臣の秘書)、林泰文(橘誠司/刑事、沢木の部下)、中村育二(岡崎俊一/建設会社役員)、半海一晃(山下孝志/銀行員、結城の上司)、品川徹(望月靖男/大臣)、デヴィッド・スターズィック

ディア・ドクター

新宿武蔵野館3 ★★★★☆

写真1:西川美和、笑福亭鶴瓶、瑛太、八千草薫のサイン入りポスター。写真2、3:「実際の撮影で使われた神和田診療所の看板や、鶴瓶師匠が演じたDr.伊野愛用のドクターバッグや聴診器、その他の小道具を展示しております。」(写真3にある黒いプレートにあった説明文)

■人を判断するもの

『ゆれる』に続いてのこの『ディア・ドクター』(『蛇イチゴ』は未見だし『ユメ十夜』の[第九夜]は、短すぎてピンとこなかったが)、やはり西川美和は只者ではなかった。最後の方にちょっとした疑問はあるが、傑作なのは間違いない。溶け出したアイスという小道具にまで目が行き届いた演出に、『ゆれる』でのたくっていたホースを思い出した。

話は単純だ。伊野が無医村に来て三年、彼の評価は上々で、どころか上がるばかりだったのに、突然失踪してしまい、刑事が行方を調べはじめる。映画は、その聞き込み調査と、伊野のところに研修医の相馬がやってきて来てからの、つまり現在と少し前の過去を巧みに組み合わせた構造になっていて、この二つは、ところどころで、伊野(だけではない)の実像と虚像とを対比する。

虚像とはむろん伊野が偽医者だったことを指す(と書いてしまったが、これは周囲が勝手に作り上げたもののようでもあり、なかなかに難しい)。伊野の虚像部分に対する松重豊演じる刑事の歯に衣着せぬ物言いは的を射たものだが、反面、伊野に対する村人たちの見方や反応を限定してしまいそうで、心配になる。

伊野を連れてきて鼻高々だった村長の落胆は大きく、伊野様々だった村人たちでさえ、もう陰口をききはじめる始末だ。そういう光景を散々見ながらも、刑事は、いま伊野がここに戻ったら、案外袋だたきになるのは僕らの方かも、と漏らす。失踪調査で偽医者であることが判明して、すぐにこんな状況なのは、結局のところ、伊野への評価もすべて肩書きがあったからということになってしまう。それとも刑事の発言は、村人たちの反応が、刑事である自分へ向けた表向きの顔であることを見透かしてのものなのか(なら、自分の発言の及ぼす力のこともわかっているのだろう)。

もっとも映画の主眼は、そういうことの追求ではなさそうである(付随した効果という意味では大いに意識してやっているのだろうが)。また逆に、偽医者に対する関係者の反応を面白がっているというのでもなく、ただ、事例を並べていったという感じなのだ。まあ、それこそ巧妙に並べられているのではあるが。

他にも薬屋(問屋?)の営業マンとの怪しい関係など、なんとも興味深いものもあるが、結局、伊野が何を考えていたのかはわからない。推測するならば、高給(年二千万円もの大金を村は支払っていた)に見合ったことくらいは多少なりともしようと思ったのか(偽物としては本物以上の気配りが必要だったはずだ)。あるいは(またはその結果として)人に喜ばれることの楽しさを知ってしまったのだろう(これは大いにありうることだ)。

そして映画は、その喜ばれていることが一筋縄ではいかないことを描くのも忘れていない。

死にかけている老人を前に伊野は手を尽くそうとする。が、家族の方はもう大往生なのだからと、死んでくれることを願っている場面がある。臨終宣言のあと、伊野が老人を抱きかかえて「よう頑張った」と背中をさすってやると、つかえていた物がとれ息を吹き返す。集まっていた村人の万歳三唱の中、帰って行く伊野。万歳の中に家族の姿があったかどうか思いだせないのだが、たとえあったとしても、もうそれは伊野には知られてしまったことで、だからってそれすら家族は何とも思ってはいないのだろうが……。

伊野の命取りとなる鳥飼かづ子の場合にも、それぞれの事情が存在する。胃の調子の悪いかづ子は、娘たちの、とりわけ東京で女医になったりつ子には心配をかけまいと思っていて、伊野に一緒に嘘ついてくれと言う。りつ子の方は、父の死の時にも取り返しのつかないことをしてしまったという想いがあるらしく、知らないまま何かがあってはと、医者のはしくれとしての恐れもあるのだった。

伊野の必死の勉強(偽医者だからね)にもかかわらず、当然ながらかづ子の胃癌は進行し、盆休み?で帰ったりつ子と伊野の間で、偽(薬屋)の胃カメラの写真を前に、医学的見解が述べられ、りつ子も伊野の意見に納得する(勉強の成果なんだろう)。が、このあと、りつ子の次の帰省が早くて一年後ということを知ると、急に慌てたように、ここで待つようにりつ子言い残して伊野は姿を消してしまうのだった(この、ここで待ては、自分の代わりに村で診療し、母親を診ろと言っているようにもみえるが、これは考えすぎか)。

伊野は、経験豊かな看護婦の大竹主導で気胸の患者を救い(この場面は見物だった)、街の総合病院に運んで手術が行われている時にも姿を消そうとしているかのようだった。だから伊野は慌ててはいたが、逃げ出すタイミングを計っていたのかもしれず、でなければ相馬に僕は免許がない(これは車のだったが)とか、偽医者だ、とは冗談にでも言えなかったのではないか。

伊野の失踪で、診療所の看板は下ろさざるを得なくなる。なにしろ年収二千万でもなり手がいないのだ。ってことは、それ以上に医者は儲かるのか。または、やはり僻地生活などしたくないってことなのだろう。必要以上に多くを語らないのがこの映画だが、こういう誰もが抱く疑問や無医村の問題については、なるほどと思う。しかしそれにしても、大竹や相馬の失踪後の伊野評がはっきりしないのは何故か。一番の関係者たちなのに時間もそう長くとっていないから、これはわざとなのか。

大竹は地元での職を失うわけで、といって伊野を弁護しても何も得られないことくらいはわきまえていそうである。刑事も大竹には伊野との関係に話題を振っていた(大竹は否定)。相馬は伊野に入れ込んでいて、将来はここにこようと思っていたくらいだから、しどろもどろなのも無理はない。そしてやはり研修医という立場では自分を取り繕うしかなかったのだろう。こんなだから「伊野を本物に仕立てようとしたのはあんたらの方じゃないのか」と刑事に毒づかれてしまう。

意外なことに(かづ子の家族としてなら意外でも、医者としてなら必然なんだろう)最後になって伊野を信頼(そこまではいっていないのかも)しようとしたのはりつ子で、「あの先生なら、どんなふうに母を死なせたのかなぁ」と刑事に伊野を捕まえたら聞いてほしいと頼んでいた。

ここでどうにも気になるのがかづ子の応対で、刑事の事情徴収に、伊野を信用したことを怖いと言い、あなたに何かをしてくれたかという問いには、何も、と答えているのだ。何もしてくれないように頼んだのは他ならぬかづ子自身で、だからその答えは間違いではないにしても、伊野は彼の持てる力以上のことをしてくれたのではなかったか。だからかづ子の答えは、成り行きで言ってしまったにしても、そう簡単には受け入れられないものだ(これが最初に浮かんだ疑問である)。

このあと、伊野と刑事たちが駅のプラットホームで、気付くこともなくすれ違う場面がある。そして最後は、入院中のかづ子と伊野が鉢合わせして、二人が笑って、映画はお終いとなる。

この場面のためにホームでのすれ違い場面を用意したのだろう。これは気が利いた処理である。が、二人の笑顔で終わらせたいのであれば、かづ子の刑事に対する答えはもう少し違ったものでなければ、と思ってしまう。そうでないのなら、このラストは外してしまうべきではないか。

ただ、伊野が東京の、それもわざわざりつ子が勤務する病院の職員(それとも出入りの業者か何かなのか)になっているのが、大いに引っかかるところである。伊野はりつ子の勤務先までは知らなかったのだろうか。そうでなくても病院に出入りした場合の危険性は考慮するのが当然ではないか。それともこれはわかっていてのことなのか。職員でなく、単にかづ子に会いに行ったのだとしたら……。

考え出すと切りがなくなるのだが、笑顔の裏にある伊野という男のある部分がちらついて仕方がなくなってくる。そこまでを含めたラストということなら、これはこれで人間の業を考えさせる怖い結末だろう。

  

2009年 127分 ビスタサイズ 配給:エンジンフィルム、アスミック・エース

監督・原作・脚本:西川美和 プロデューサー:加藤悦弘 企画:安田匡裕 撮影:柳島克己 美術:三ツ松けいこ 編集:宮島竜治 音楽:モアリズム 音楽プロデューサー:佐々木次彦 衣裳デザイン:黒澤和子 照明:尾下栄治 録音:白取貢、加藤大和

出演:笑福亭鶴瓶(伊野治)、瑛太(相馬啓介/研修医)、余貴美子(大竹朱美/看護婦)、八千草薫(鳥飼かづ子)、井川遥(鳥飼りつ子/かづ子の娘、医師)、香川照之(斎門正芳/薬屋の営業)、松重豊(刑事)、岩松了(刑事)、笹野高史(村長)、中村勘三郎(総合病院の医師)