ラスト・ブラッド
2009年05月31日 日曜日
TOHOシネマズ錦糸町スクリーン6 ★★★
■オニを吸血鬼とする日本観
またしても新趣向の吸血鬼映画がやって来た!? って、オニ(=鬼?)が吸血鬼なのか。で、日本が舞台なのに主演はチョン・ジヒョン(って、誰の、どういう発想なのさ。エンドロールでは名前が、欧文表記でGiannaになっていた)。おー、久しぶり『デイジー』以来か。セリフは三カ国語を流暢?に喋っていたが、吹き替えでないのなら立派。
でもいくらなんでも十六歳は無理だろうと思ったが(セーラー服まで着せられちゃってさ)、映画の質感を変えていることもあって(実際のことは知らないが)そう違和感はなかった。ま、どーせ設定では何百歳なんだから、誤差の内みたいなものなんだろうが。
出てくる風景も、看板は日本語でも見たこともない家並みで(けど『魍魎の匣』のようにはモロ中国ではなく、どこか違う国というイメージなので救われている)、浅草なのに古い丸ノ内線の車両だったりするのだ(七十年代だから形としては合ってるが、銀座線じゃないのね)。まるで嘘臭いのだが、イヤな絵になっていないので、全部許しちゃってた。
舞台も話もいい加減で、簡単なこともほとんど説明する気がないようだ。父をオニゲンに殺されたサヤは、CIAをかたるオニゲン退治の組織(このくらいもう少しは説明しろってんだ!)に、日本にある米軍基地内のアメリカンスクールに送りこまれ、教師に化けたオニゲンの手下から基地の司令官の娘アリスを救い出す。
日本人だからセーラー服って、アメリカンスクールなのにぃ、というのは野暮な話で、そうしたいからそうしちゃったんでしょう。イメージやアクションシーン優先で、後は何でもござれ状態なのだ。
そのアクションだが、今更のワイヤー使いまくりで、これもきっとうるさ方には嫌われそうなのだが、私はこの映画には合っていたように思う。
サヤの武術の先生で、育ての親でもあるカトウと、オニゲンの手下たち(オニというより忍者だし、これだとアメリカンスクールにいたオニとは別物になってしまう気がするのだが)との死闘もよくできていた。でもカトウはサヤを突き放したりはせず、最初から一緒に戦ってもよかったと思うのだが。結局サヤは戻ってきてしまうし、自分は無駄死にではね。なんかこういう話の繋ぎがすこぶる悪いのだな。
サヤとオニゲンの対決も迫力という意味ではおとなし目ながら(ちょいあっけない)、ビジュアル的にはいい感じだ。
オニゲンはサヤが現れるのを心待ちにしていたようでもあり、それはサヤが自分の娘だからなのだが、そこらへんは曖昧なままで、よくわからないうちに話が終わってしまった。オニゲンが殺してしまったというサヤの父との関係だって、解き明かしていったら面白かろうと思うのだが、そういうことには興味がないらしい。
サヤは組織が欲しいもの(血)をくれるので、彼らの命令に従うと言っていたが、この説明もわかったようでわからない。第一これだと、彼女が子供の頃はどうしていたのか、って話になってしまう。
とにかく全部がいい加減なのだが、こういうムチャクチャ映画は結構好きなのだな。雰囲気的にもこの間観た『トワイライト』よりは私向きだった。甘いの承知で★★★。
原題:Blood:The Last Vampire
2008年 91分 香港、フランス シネスコサイズ 配給:アスミック・エース R-15 日本語字幕:松浦美奈
監督:クリス・ナオン アクション監督:コリー・ユン 製作:ビル・コン、アベル・ナミアス 原作:Production I.G 脚本:クリス・チョウ 撮影:プーン・ハンサン 美術:ネイサン・アマンドソン 衣装デザイン:コンスタンサ・バルドゥッシ、シャンディ・ルイフンシャン 編集:マルコ・キャヴェ 音楽:クリント・マンセル
出演:チョン・ジヒョン(サヤ)、アリソン・ミラー(アリス)、小雪(オニゲン)、リーアム・カニンガム(マイケル)、JJ・フェイルド(ルーク)、倉田保昭(カトウ)、コリン・サーモン(ミスター・パウエル)、マイケル・バーン、マシエラ・ルーシャ、ラリー・ラム
消されたヘッドライン
2009年05月31日 日曜日
TOHOシネマズ錦糸町スクリーン6 ★★★
■テレビじゃないんだから、じゃなかったの
よくできたサスペンスドラマと感心していたら、英BBC製作のテレビミニシリーズ『ステート・オブ・プレイ 陰謀の構図』(NHK BS2で放映されたらしい)を、舞台をアメリカにリメイクしたものだという。なるほど、よく練り込まれた脚本だ。が、ミニとはいえテレビシリーズを映画にまとめた弊害も出てしまっている。
弊害は大げさにしても、贅沢に配したキャストがもったいないくらいに、それぞれの挿話が詰め込みすぎな(というか観ている方にとってはあっさりすぎな)感じがしてしまうのだ。映画の出来が悪いというのではなく(一番悪い部分は最後だろうか)、もっともっと人物の相関図の中に入っていきたくなるのである。
女性スタッフのソニア・ベーカーが死んだという知らせに、スティーヴン・コリンズ議員が大事な公聴会で涙を見せるという出だしには、あんまりな気がしてしまったが、これと別の殺人事件が繋がっていることに気づいたワシントン・グローブ紙の記者であるカル・マカフリーが、ベテランらしい記者魂で調査を進めていく流れは、見応えがある。
カルが長髪のむさくるしいデブ男で、ちっとも颯爽としていないのもいい。『グラディエータ-』の戦士が九年でこうも変わってしまうものなのか。これがラッセル・クロウの役作りであるのならいいんだが。
新聞社の内部事情が面白い。紙媒体の新聞はもう売上増は見込めず、ウェブ版の女性新進記者デラ・フライが重用されているような雰囲気だったりするのだが、このデラが新米ながらなかなかで、カルと仕事を通して信頼関係を築いていくサブストーリーも上出来。また女編集局長のキャメロン・リンは立場上、カルの記事にいろいろな意味での圧力をかけざるを得なくなるのだが、ここらへんの匙加減もうまいものだ。
コリンズ議員に話を戻すと、彼はカルとは大学時代からの親友で、あの涙はやはりスティーヴンの不倫の証なのだった。マスコミに追われたスティーヴンは、行き場を失ってカルの家にやってくるのだが、カルにしてみればスティーヴンは情報源でもあり、しかし、それ以上にスティーヴンの妻アンにカルが惚れていたことがあり、それはお互い単純に昔のこととは割り切れずにいるようなのだ。
スティーヴンに、アンに対する愛情がもうなくなっているからいいようなものの(って書くとまずいかしら。愛情がないにしては「友達なのに俺の妻と寝た」などとも言っていた。これは相当昔の話ではないかと思うのだが?)、でもカルが、スティーヴンを助け君(アン)を守りたい、と言った時などのアンの反応にはあまり惹かれるものがなかったので、私としては少々ほっとしたのも事実。そんなだから、カルはアンにも「私はただの情報源」などと言われてしまう。
事件を追うことで、カルは自分の生き方も問われることになるのだが、そこに深入りしている暇がないのは惜しい。最初に書いたように、映画の出来がいいので、もっとこういった部分を覗きたくなってしまうのだ。現実の世界だと、人間関係は曖昧なままであることが多いのだが、小説や映画では、読者や観客はそういう部分こそを知りたいのだから。
と考えると、最後に明らかにされるコリンズ議員の企みは、やはりひねりすぎだろうか。ソニアにはいろいろ事情があって、最初こそスパイとして送り込まれたものの、スティーヴンを愛して、そして妊娠もしていては、もうそれで十分じゃないかという気になってしまったのだったが。
軍事産業の陰謀という構図が浮かんできたところで、テレビじゃないんだから、と映画の中でも言わせていたが、この結末はエンタメ指向の何物でもなく、テレビじゃないんだから、とさらに派手にしてしまったのだろうか。テレビ版にすでにあったにしても削除すべきだし(映画の方はただでさえ尺が短いのだから)、なくて加えたのなら問題だろう。
ところで、『消されたヘッドライン』という邦題はインチキで、せいぜい「消されかかった」だった。
原題:State of Play
2009年 127分 アメリカ、イギリス シネスコサイズ 配給:東宝東和 日本語字幕:松浦美奈
監督:ケヴィン・マクドナルド 製作:アンドリュー・ハウプトマン、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー 製作総指揮:ポール・アボット、ライザ・チェイシン、デブラ・ヘイワード、E・ベネット・ウォルシュ 脚本:マシュー・マイケル・カーナハン、トニー・ギルロイ、ビリー・レイ オリジナル脚本:ポール・アボット 撮影:ロドリゴ・プリエト プロダクションデザイン:マーク・フリードバーグ 衣装デザイン:ジャクリーン・ウェスト 編集:ジャスティン・ライト 音楽:アレックス・ヘッフェス
出演:ラッセル・クロウ(カル・マカフリー/新聞記者)、ベン・アフレック(スティーヴン・コリンズ/国会議員)、レイチェル・マクアダムス(デラ・フライ/ウェブ版記者)、ヘレン・ミレン(キャメロン・リン/編集局長)、ジェイソン・ベイトマン(ドミニク・フォイ)、ロビン・ライト・ペン(アン・コリンズ/コリンズの妻)、ジェフ・ダニエルズ(ジョージ・ファーガス)、マリア・セイヤー(ソニア・ベーカー)、ヴィオラ・デイヴィス、ハリー・J・レニックス、ジョシュ・モステル、マイケル・ウェストン、バリー・シャバカ・ヘンリー、デヴィッド・ハーバー、ウェンディ・マッケナ、セイラ・ロード、ラデル・プレストン
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