図鑑に載ってない虫

新宿武蔵野館2 ★★★☆

■岡っていう字がアザラシに似ている

この映画について書くのは難しい。この面白さを伝えられる人は、すでに作家を生業としているか他人と尺度が違いすぎて(映画を楽しむのとは別)生活破綻者になっている気がするのだ。真っ当とはいわないが、作家からも生活破綻者からも遠い所にいる私が書くことなどないではないか。

で、このままペンを置けばいいのだけど、私はそういう部分では気が小さいというか律儀なのな。ということで、何の展望もないのだが、とりあえず粗筋から書くことにする。

フリーライターの俺(伊勢谷友介)は『月刊黒い本』の女編集長(水野美紀)から臨死体験ルポを書くよう指示されるのだが、そのためには「死にモドキ」という虫がうってつけなのだという(というより死にモドキによる臨死体験ルポなのか)。が、誰もそんな虫の存在など知らないから、俺はアル中のオルゴール職人で金欠のエンドー(松尾スズキ)と、まず死にモドキを探すことからはじめる。手がかりはカメラマンの真島(松重豊)がすでに死にモドキを追っていたというこどだけ……。

死にモドキを追う過程で、自殺願望(リストカットマニア)のあるSM嬢のサエコ(菊地凛子)が加わって乞食の巣になっている島に上陸したり、目玉のおっちゃんにその弟分のチョロリ(ふせえり)などがからんで、話は脱線するばかり。これじゃあ話にならないよと思った頃に、「死にモドキのいるところが見つかったよ」とサヨコからメール。えー。

締め切りまであと2日というところで、死にモドキを手に入れて臨死体験にも成功するのだが、俺は「結局死んでるのか生きてるかわからない」という結論になる。こんなだからか原稿もボツ。編集長には取材の経費も返せと言われてしまう。でもよくわからん。だって、一緒に臨死体験をしたエンドーが死んで1週間と言っていたのに、これはまだ2日後なんだもの。

よーするに、この映画にとって話はほとんど関係なくて、ただ三木聡が面白いと感じたことを話の間に散りばめていったにすぎないようだ。つまり、そこに出てくる面白さは、話とは無関係の面白さであって、話は面白さを適当にばらまくための装置でしかないのである。

面白さの定義はいろいろあるだろう。それこそ知的な笑いから低俗なものまで。で、ここにあるのはそういうのとは無関係の(低俗には引っかかるものはあるか)、笑いの1つ1つが響き合うこともなく、だから筋道のある笑いではなくて、独立しているのである。でもそれでもおかしいのだけど。

1つだけにしておくが、たとえば「岡っていう字がアザラシに似ている」と唐突に言われてしまうのである。で、それをおかしいでしょ、と押し売りされたら臍を曲げたくなるかもしれないのだけど、やっぱりおかしいのだ。だってアザラシなんだもの(もっともつまらなかったり、よくわからないものもあるのだが、とにかくそういうのがものすごい量詰まっているのである)。

三木聡は『イン・ザ・プール』『亀は意外と速く泳ぐ』で「脱力系」映画作家ということになっているらしいが、これもそんなところか。脱力系という言葉もよくわからないが、脱力とはいえそこに力がないかというとそんなことはなくて、でも大勢には影響しない力というか。そうか。笑いの質もこれかな。

ね。だからこういうのっていくら書いてもしかたのないことになってしまう。ただちょっと付け加えておきたいのは、この映画を見ていると俺とエンドーの、あんなにいい加減であっても、そこにはある信頼関係のようなものがあって、それがじんわりと伝わってくるということだ。あとはサヨコが母の死を思い違いしていたような映像もあるのだけど、全体のくだらない雰囲気に飲まれて、よくわからにままに終わってしまったのだった。

以下、おまけ。

図という字は、泳いでいるエイで、
鑑という字は、大金を前にガハハと大笑いしている顔で、
載という字は、車に寄っかかってタバコを吸っている人で、
映という字は、昔ウチにもよく来ていた野菜を担いで売りに来ていたおばさんで、
画という字は、リニアモーターカー(玉電にしかみえない)が正面から突っ込んでくるところ……。

真似してみたけど、やっぱ、才能ないみたいなので、ヤメ。

 

2007年 103分 ビスタサイズ 

製作:葵プロモーション、ビクターエンタテインメント、日活、IMAGICA、ザックプロモーション 配給:日活

監督・脚本:三木聡 製作:相原裕美、大村正一郎、高野力、木幡久美、宮崎恭一 プロデューサー:原田典久、渋谷保幸、佐藤央 協力プロデューサー:林哲次 撮影:小松高志 美術:丸尾知行 編集:高橋信之 音楽:坂口修 コスチュームデザイン:勝俣淳子 ラインプロデューサー:鈴木剛、姫田伸也 照明:松岡泰彦 録音:永口靖

出演:伊勢谷友介(俺)、松尾スズキ(エンドー)、菊地凛子(サヨコ)、岩松了(目玉のおっちゃん)、ふせえり(チョロリ)、水野美紀(美人編集長)、松重豊(真島)、笹野高史(モツ煮込み屋の親父)、三谷昇(種田師匠)、渡辺裕之(船長)、高橋恵子(サヨコの母親)、村松利史(半分男)、片桐はいり(SMの女王様)、森下能幸、志賀勝、嶋田久作、つぐみ、園子温、山崎一、田中哲司、マメ山田、佐々木すみ江、新屋英子

不完全なふたり

新宿武蔵野館2 ★★

■黒いカットはNGか

ニコラ(ブリュノ・トデスキーニ)とマリー(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)という結婚して15年になる金持ちの夫婦が、友達の結婚式に出席するためにリスボンからパリにやってくる。映画はホテルに向かうタクシーの映像で始まる。

交わされる会話はありきたりで他愛のないものだが、この映像は撮り方が印象的(進行方向は右。車全体ではなく顔がわかるところまで近づいたもの。一応会話を追っているのにわざわざ外側から撮っている)なだけでなく、このあとに展開される2人の気持ちのゆらぎや夾雑物を、タクシーのガラス窓に映し込んでいた。

次はホテルの1室。簡易ベッドを運び込ませている。これについては合意事項らしいのに、どちらがそれを使うかで、くだらない意地を張り合う。

夜のレストランに2人の友人夫婦ときている。2人は彼らにとって理想の夫婦だったようだ。新しい仕事の話が出たところだったが、ニコラの切り出した離婚という言葉でその場の雰囲気が変わってしまう。

ホテルでもレストランでもカメラは動こうとしない。長回しはいい意味で俳優に緊張感を強いる場面で使われることが多いが、ここでは言葉が途切れた、その時を際立たせるために使用しているように思えた。あるいは、大まかな流れの中で、セリフを俳優たちにまかせて撮っていったことの結果かもしれない。具体的な撮影方法について知っているわけではないので、憶測でしかないが、もしかしたらこの黒い画面はNG部分だったのかとも思えてしまう。全体で10カットもなかったと思われるが、でもこれだけあるとやはり気になる。監督の意図が知りたくなる。

この長回しは、最後のホームの場面まで続くから、カット数は相当少なそうである。だからといって、全篇それで押し通そうとしているというのではなく、顔のアップなどでは手持ちカメラも含めて、わりと自在にカメラをふっている。

ニコラとマリーの離婚話に戻るが、ニコラの言い出したそれは、マリーには唐突だったらしい(まさかとは思うが、友達に話したのが最初だったとか?)。部屋に鍵を置いたまま出かけてしまったニコラを責めるのは当然としても、結婚パーティーに出かけるのにドレスや靴のことであんなに情緒的になられては(私と行きたい?とマリーはニコラに何度か訊いていた。しかしこのセリフはものすごく理論的でもある)、ニコラとしてもやりきれなくなるだろう。

ふくれっ面で結婚式を通したらしいマリーに、今度はニコラがあたって、夜の街に飛び出していく。着信履歴があったからとカフェに女性を呼びだし、結局何もなかったのだが、ホテルに戻ったら夜明けになっていた。

眠れなかったというマリーと帰ったニコラの会話は、自由を感じたかったというニコラと何年も孤独だったというマリーの、もう刺々しくはない穏やかな、でも接点のないものだ。

マリーはその日、2日続けで来たロダン美術館で、古い友達のパトリック(アレックス・デスカス)に声をかけられる。娘を連れてきている彼に妻を亡くした話を聞き涙するマリー。流れがうまく読めないのだが、それにしてもこの涙には危うさを感じないではいられない。

なにしろ、場面の空気はわかっても映画は説明することをしないから、観客は自分に引きつけて考えるしかなくなるのだが、とはいえニコラは建築家でマリーは写真家だったらしいし、なにより裕福そうだから、私などそう簡単には映画に入っていけない。少なくともニコラが離婚を言い出した理由くらいは明らかにしてくれないと、もやもやするばかり(でもこれで十分という見方もできるのが人間関係のやっかいさかも)。また、説明は排除しても俳優の個性は残るから、普遍性を持たせた(かどうかは知らないが)ことにもならないと思うのだが。

マリーが別に部屋をとったからか、自分の知らない旧友に会ったからかどうか、ニコラがマリーにキスの雨を降らせる場面があるのだが、ベッドに移りながら何故かそれはそこで中断となって、ニコラはマリーに、明日はボルドーに行くから1人で帰ってと言われてしまう。

次の日駅にやって来た2人はホームで見つめ合う。荷物は乗せたのに、いつまでも見つめ合っているものだから、列車は行ってしまうのだ。で、ふふとか言って笑いだすのだけど、いやもう勝手にしてくれという感じ。

『不完全なふたり』は原題だと『完全なふたり』のようだけど、これはどっちでも大差ないということか。だったら「完全な」の方がよくないか。「私たち何をしたの? 何をしなかったの?」という問いかけを、あんな笑いにかえられるんだもの。これ以上の完全はないでしょ。

ところでびっくりしたことに、監督はフランス語がほとんどわからないのだそうだ。公式ページのインタビューでそう答えている(http://www.bitters.co.jp/fukanzen/interview.html
)。「もし全能の立場を望むのであればこの映画をフランスで撮りはしなかった」とも。なるほどね、やはりそういう映画なんか。しかし私としては、監督はあくまで全能であってほしいと思うのだけどね。

原題:Un Couple Parfait

2005年 108分 ビスタサイズ フランス 日本語字幕:寺尾次郎 製作:コム・デ・シネマ、ビターズ・エンド 配給:ビターズ・エンド

監督:諏訪敦彦 プロデューサー:澤田正道、吉武美知子 構成:諏訪敦彦 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ 衣裳:エリザベス・メウ 編集:ドミニク・オーヴレ、諏訪久子 音楽:鈴木治行

出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(マリー)、ブリュノ・トデスキーニ(ニコラ)、アレックス・デスカス(パトリック)、ナタリー・ブトゥフー(エステール)、ジョアンナ・プレイス(ナターシャ)ジャック・ドワイヨン(ジャック)、レア・ヴィアゼムスキー(エヴァ)、マルク・シッティ(ローマン)、デルフィーヌ・シュイロット(アリス)