レベル・サーティーン

2007年06月17日 日曜日

シネセゾン渋谷 ★★★★

■もう引き返せない。「レベル最低」ゲームは、最後に融合する!

すごい映画を観てしまったものだ。グロで下品で、性的な場面こそないが、それ以外での傍若無人さは目に余るものがあって書くのもためらわれるのだが、観てしまったのだから、もう引き返せない。映画館を出なかった私もゲームをやめなかった主人公のプチット(クリサダ・スコソル・クラップ)と同じようなものだ。って、そんなわけはないのだが、人間が暴走していく要因など案外にたようなもので、単なる怖いもの見たさだったりするのではないかと、ふと、思ってしまったのだった。

プチットは輸入楽器のセールスマンだが、要領のいい同僚には出し抜かれるし、営業成績がちっとも上がらない。なのに、故郷の母親との電話では課長への昇進を匂わせて、いいところ見せてしまうような男で、だから逆に金を無心されて、それにもいい返事をしていた。車のローンすら滞納しているっていうのにね。車を取り上げられてバスで出社すれば、机には請求書の束が届いているし、おまけにクビを言い渡されてしまう。

にっちもさっちも行かなくなって非常階段で苦悩していると、突然ケータイが鳴る。ケータイの見知らぬ声は、幸運にもゲームの参加者に選ばれたことと、ゲームをクリアしていくと超高額の賞金を手にすることができることを語り、プチットはゲームに参加するかどうかを促される。

プチットがゲームに心を動かされる状況にあることはすでに述べた通り。その説明がちゃんとあるのはこのあとの展開を考えると意外な感じもする。そんなに追い詰められていない人間でもこのゲームを始めてしまいそうだからなのだが、プチットの性格付けという意味もそこに込めた上での流れと考えれば無難なとこか。

そして、最低のゲームが始まっていく、レベル1は手元にある新聞で壁の蠅を叩き落とすというもの。これで1万バーツ。レベル2は叩き落とした蠅を飲み込むことで5万バーツ。

ゲーム(というより課題である)がエスカレートしていくことは容易に想像が付くが、プチットはもう引き返せない(ゲームは、1.ゲームの終了を申し出たら、2.誰かにゲームのことを教えたら、3.ゲームの正体を探ろうとしても中止になると前置きされるが、できれば中途退場の場合のルールについてももう少し詳しく触れておいてもらいたいところだ)。

というのもレベル5で、大便を食材にした料理を食すというとんでもない課題が出てくるからだ(それも繁盛しているレストラン内でのことなのだ)。この難問(映画作品とする時の難問にはならなかったのだろうか)は、この後に出てくるいくつかのゲームよりかなりハードルが高い(これについては時間制限はなかったが)こともあって、この段階で登場するのは少々疑問なのだが、プチットはそれも決行するに至る。

プチットにしても、この時点でこのゲームがどのくらい巧妙に仕組まれたものなのかは推理したはずだ。というか、そもそも最初のゲームからして並大抵の設備と準備がなければ、ゲームを成立させる状況にはならないし、進行中の不確定要素も入れると、このゲームがどれほどの規模で行われているのか、いくら「とろい」プチットといえども考えただろう。

この謎については、プチットに好意を持つ同僚のトン(アチタ・シカマナ)が、プチットの行動に疑問を抱き、テレビでプチットがバスで大喧嘩(レベル6)をして警察に追われているニュースも見て、ネットで事件を調べていくうちに、怪しげな会員制のサイト(http://www.13beloved.com/ このアドレスはこの映画のタイ語の公式サイトになっていた)に行き着き、少しずつ判明していく。が、これすらもある程度予想(もしくは途中から組み込んだのか。会員制のサイトなのに、「侵入者を信用」してしまうのだ)されていたフシがあるのだ(トンも最後の方でゲームの一部として登場する)。

プチットのゲームは、途中、数の推理(これこそゲームらしいが、これは13のうちには含まれないようだ)や井戸に落ちた老人の救出などをこなしながら(昔の恋人の現在の彼を叩きのめすというのもあった。レベル8)、痴呆の老婆を病院から連れ出した(レベル9)ことから起きる惨劇(レベル10)へ一気に突っ走る(老婆の行動はどこまでが演出なのだ!)。ここではワイヤで首を落とされた暴走族の1人がのたうち回るかなり気味の悪い場面も用意されている。ここまで、多少のモタモタ感がないわけではないが、課題も内容に富んだよく考えられたものだ。

トンの犬を殺すのがレベル11で、このあと牛を殺してその肉を食べることを経て(やはりこの順番は難ありだ。もっともそれもちゃんとわかっていて、この賞金は5000バーツである)、いよいよ最後のレベル13に到達する(実はトンも拉致されてその場、別室だが、に連れてこられている)。

プチットに課せられたのは父親殺しで、その当人が目の前に顔に袋を被せられて現れる。プチットにとって父親は飲んだくれで、オモチャを壊し、愛犬をころし、虐待されてきた憎むべき相手だったから、この決断は意外と簡単と思われたが、何故かプチットに父を肯定する思い出が過ぎって(愛犬殺しも狂犬病故のことだった)、父殺しなど出来ないと自覚する。が、プチットがそこに至ったとき、プチットは自分が殺すべき相手に、反対に殺されてしまうのである。

つまり父親の方も、多分プチットと同じようにゲームを経て、この最後のレベル13に到達していたのだろう。ゲームの主催者(サイト管理者)にとっては、ここまでは細心の注意を払いながら課題を設定し進めてきたが、ここに至ってはどちらかがレベル13をクリヤーすればそれで十分なのは改めて言うまでもないことだ。

このアイディアの非情さには舌を巻くしかないのだが、ゲームの主催者を中学生くらいに設定しているのも憎いばかりだ。その少年「キース様」はトンに「今まで何人が犠牲になったか知ってるか」と詰め寄られるのだが、「ゲームだ。僕は知らない、プレーヤーがやった。心配ない。法は僕側だ」と言って憚らない。人殺しという言葉にも「僕じゃない、みんなだよ」と同じことを繰り返すだけだ。

もっともトンは解放されたようだ。内情をあそこまで知っている(教えたという方が正しい)トンを解放したのは、キー様に絶対の自信があるということなのだろう。そう、最後の場面で彼女に近づいていったのは、未確認ながら多分「過去に同様の事件があった」と言ってこの事件を捜査していた警官のようだったから。

ところでここまできて、巻頭に、横断歩道で老婆の手助けをしてケータイを落としてしまう場面があったことを思い出したのだが、あれにはどういう意味があったのだろう。誰か教えて欲しいのだが。

 

【メモ】

本文で書き漏らしたゲームは次の通り。レベル3は、3人以上の子供を泣かす。レベル4は乞食の小銭を奪う。

このゲームが成立するには相当数の隠しカメラが市内(いや郊外にもだった)に張り巡らされている必要がある。また、ゲームのプレイヤーへの連絡はケータイだから充電を心配して、プチットにも途中でケータイを替えるような指示が出ていた。

トンの通報で警察もサイトを調べるが、ページすら見つからない。もっともその警察のファイルに13という数字と怪しげなマークがあるので、ここもゲームの主催者のもとにあることがわかる。

不思議だが、トンに対しては「手荒な真似をしてすまない」などと言っていた。「気付いたのは君がはじめて。ウィークポイントを教えてくれた」とも言っていたから、キー様はトンに敬意を払っていたのだろうか。

プチットは昔の彼女に会って「お袋が会いたがっているし、やり直そう」と言うのだが、彼女からは「その話、前にも聞いたけど嘘だったわ。それにその話が本当だとしても、私を有名歌手にはできないでしょ」と言い返されてしまう(すごいよね、これ)。そして、彼女の彼がろくでもない男なのに、彼女が男を好きなことを知ってショックを受けることになる。

原題:13 BELOVED

2006年 114分 ビスタサイズ タイ R-15 配給:ファインフィルムズ、熱帯美術館 宣伝協力:スローラーナー 日本語版字幕:風間綾平

監督:マシュー・チューキアット・サックヴィーラクル 製作総指揮:ソムサック・デーチャラタナプラスート 原作:エカシット・タイラット 脚本:マシュー・チューキアット・サックヴィーラクル、エカシット・タイラット 音楽:キティ・クレマニー

出演:クリサダ・スコソル・クラップ(プチット)、アチタ・シカマナ(トン)、サルンヨー・ウォングックラチャン(スラチャイ警部)、ナターポン・アルンネトラ(ミク)、フィリップ・ウィルソン(ジョン・アダムス/プチットの父)、スクルヤ・コンカーウォン(プチットの母)

そのときは彼によろしく

2007年06月24日 日曜日

テアトルダイヤ ★

■そのときは、ってそんなもんあるかい

遠山智史(山田孝之)が経営するアクアプランツ(水草)ショップ「トラッシュ」に、押しかけるようにやってきて居座ってしまった森川鈴音(長澤まさみ)は「世の中の8割の人が彼女のことを知っている」という人気モデル(智史は知らないのだな)だったが、何故か引退してしまったという。それにしてもどうして雑誌に紹介されても客が増えないようなこの店に、彼女はやってきたのか?

彼女が実は幼なじみの花梨だったことを「鈍感な」智史が知るのは、かなり経ってから。開業医の父遠山悟郎(小日向文世)の心臓が悪くなり、閉院の為の片付けで昔の思い出の品が出てきて、思い出に浸ったばかりなのだから、この鈍感さは筋金入りだ。パン屋の柴田美咲(国仲涼子)が好意を抱いてくれているのにもまったく気付いていないのだから。

花梨がモデルを辞めたのは、眠るとだんだん起きられなくなるという奇病(何なのだこれは)が悪化して、死を予感したからで、13年前からずっと好きだった智史に会いにきたのだった。トラッシュが紹介された雑誌で智史のことを知ったのだ。なにしろ、智史は有名なモデルになっても気づいてくれないんではね。

そしてその雑誌は、絵の好きだったもう1人の友達五十嵐佑司(塚本高史)の目にも止まっていた。彼は智史を個展に呼ぶとはりきっていたが、母とその愛人による詐欺に会い、さらにバイト先の画材店からの帰り道でオートバイが転倒して入院先で昏睡状態でいるのだと、佑司の恋人葛城桃香(北川景子)から連絡が入る。

あらすじを書くのもかったるいので端折るが、タイトルの『そのときは彼によろしく』は、以下に書くことによる。花梨が眠りにつくのと入れ替わるように目を覚ました佑司は、夢の中で花梨に会い、早く帰れと言われたのだと言う。ただの夢なのだが花梨が救ってくれたのだと思いたい、とも。そして、花梨がスケッチブックに残していったメッセージを、見せたら花梨に怒られてしまうかもと言いながら智史に渡す。

目を覚ましたら読んでもらえることを、という書き出しで、そこには花梨の智史への想いと、好きだと伝えられなかったが、目を覚まして智史に会えたら、そのときは、彼によろしくと書いてあった。ただ、この「彼によろしく」は生きているうちに書くのではなく(好きだというのは構わないのだが)、夢の中で佑司が聞いてきたことにしないと効果が半減してしまわないだろうか。

さらに眠っている花梨には智史の父が死ぬことで、花梨に、智史が待っているからもどってやってくれ、そして智史を愛していた、花梨ちゃんはまた智史にあえるだろうから、そのときは智史によろしく伝えてほしいと言われたというのだ。

そう、花梨は5年間の眠りのあと、そのまま死んでしまうことなく、智史のところに戻ってくるのである。え、いや、そんな(ってオニバスの種でもうわかっちゃてたけどさ)。

まったく強引な話なのだが、それに目をつぶれば市川拓司らしい愛に満ちた世界に浸れるってことなのかも。ま、「そのときは、彼によろしく」を2度使うには(2度の登場でやっと一人前になるセリフっていうのもねー)ああするしかなかったのかもしれないけど、話を創ったのが見え見え。難病ものということだけでも文句を付けたくなるのに、その病気までが現実離れしていているんだもの。

3人は物理学でも解明できない強い力で引き合っていたと父に言わせて誤魔化そうったって、そうはいかないのだな。そういう意味では、「眠ったままでもかまわない」から「このまま待ってていいんだよね」に変わっていた時の智史や、佑司の「花梨はお前(智史)が待ち続けることを望んでいるかな」というセリフの方にこそ真実はあるのだと思うのだが。でもそれじゃ、映画にはならないか。

映画は9歳の時の3人(そうだ、9歳の花梨のファーストキスというのもあった)と13年後の現在が目まぐるしく入れ替わりながら少しずつ状況を説明していくという構成。これは、前半は智史が花梨のことを思い出す過程にもなっているのだろうが、ちょっとうるさくもある。もっともこれくらい何かしないと、いくら死(描写としてはないが、智史の母の死もある)がばらまかれていても、あまりに平板にすぎてしまうのかも。

ところで『フランダースの犬』(これは智史が花梨からもらってタイムカプセルにしまっていた)ならパトラッシュと思うのだが、何でトラッシュなんだろ。

  

2007年 114分 ビスタサイズ 配給:東宝

監督:平川雄一朗 製作:島谷能成、信国一朗、亀井修、安永義郎、久安学、原裕二郎、井上良次、沢井和則 プロデューサー:神戸明、山中和成、川村元気 プロデュース:春名慶 エグゼクティブプロデューサー:市川南、濱名一哉 アソシエイトプロデューサー:大岡大介 企画:春名慶 原作:市川拓司『そのときは彼によろしく』 脚本:いずみ吉紘、石井薫 撮影:斑目重友 美術:磯田典宏 編集:今井剛 音楽:松谷卓 音楽プロデューサー:北原京子 主題歌:柴咲コウ『プリズム』 VFXスーパーバイザー:小坂一順 スクリプター:鈴木一美 ラインプロデューサー:竹山昌利 照明:上妻敏厚 装飾:河合良昭 録音:横溝正俊 助監督:塩崎遵 プロダクション統括:金澤清美

出演:長澤まさみ(滝川花梨/森川鈴音)、山田孝之(遠山智史)、小日向文世(遠山悟郎)、塚本高史(五十嵐佑司)、国仲涼子(柴田美咲)、北川景子(葛城桃香)、黄川田将也(夏目貴幸)、本多力(松岡郁生)、黒田凛(子供時代の花梨)、深澤嵐(子供時代の智史)、桑代貴明(子供時代の佑司)、和久井映見(遠山律子)

ゾディアック

2007年06月26日 火曜日

新宿ミラノ1 ★★★★

■こちらまで取り憑かれてしまいそうになる

まず、事件の描き方がどれも巧妙かつ思い入れたっぷりだ。ただ殺人事件を提示すればすむところを被害者の背景や事件の進行状況を的確に描き出していく。映画にある最初の殺人でも女が人妻らしいことをさらりと語って、観客の心を波立たせる。あとの事件でも犯人は夜の道路で女にタイヤが弛んでいると近付き、よかったら締めてあげようと言って逆に弛めてしまうのだが、この一連の流れがものすごく怖いのだ(映画では4つの事件が描かれている)。

この映画の面白さが、犯人ゾディアックの存在にあるのは間違いないが、こういう魅力的な描写に支えられている部分も大きい。例えば、映画は時間軸に沿って機械的に年月や時刻を画面に刻印していくのだが、その年代へのこだわりは偏執狂的ですらある。時代考証だけでなく、それを映し出すカメラもで、車を真上から執拗に追いかけたり、また時にはある高層ビルが建設されていく一部始終を捉えた映像(早送りでクレーンが動き建物が出来ていく)までが出てきたりするのである。

ここまで神経が行き届いていて物語がつまらないわけがない。しかもこのゾディアックと名乗る犯人は、事件を通報し、新聞社には犯行声明を送りつけ、その中の暗号文を掲載しないと無差別殺人に移ると脅す。劇場型犯罪は映画や小説には度々登場しているが、こちらは実話(映画のはじめには「実際の事実に基づく」と出る)。私が事件をほとんど知らないこともあって、風刺漫画家のロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)同様、事件の進展にどうなるのかと、息を呑んで見守ることになった。

グレイスミスは声明文が送られてきたその場所にいたことと、元々大のパズル好きだったことからその謎解きに取り憑かれてしまう。辣腕記者のポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・Jr)は、当初はグレイスミスの推理に耳を貸さずにいたが、彼の本気度とその説得力に、彼を認めるようになる。

ゾディアックを尋問しながら見逃してしまうという重大な失態を犯した警察だが(これはゾディアックによって、明らかにされてしまう)、サンフランシスコ市警の刑事デイブ・トースキー(マーク・ラファロ)と相棒のビル・アームストロング(アンソニー・エドワーズ)は、大量の偽情報にうんざりしながらも、何人かの男に狙いを付けていた。

カップルが襲われた2つの事件ではいずれも男性の方は命までは奪われずにいるし、指紋に足跡、犯人が送りつけてきた被害者のシャツの切れ端、筆跡、暗号に円から飛び出した十字のマークなど手がかりも沢山あって、それにも一々触れている。謎解きの興味はいやがおうにも高まるのだが、映画はそこに固執しているのではなかった。

はじめの方にいくつかあるゾディアックの犯行描写があまりに克明だったものだから、事件に方が付くのは当然と思ってしまったのだが(つまり犯行の映像は犯人の供述に沿ったものと思っていたのだ。でないとなると、あれは……)、容疑者と特定した人物と筆跡鑑定は一致せず、証拠不足のまま、また幸い?なことに新たな犯行が行われることもなく、虚しく年月のみが過ぎていくことになる。

エイブリーは酒に溺れ新聞社を首になっている。アームストロング刑事は定時に帰りたいのだと移動願いを出して殺人課を去っていく。そして、数年経っても殺害現場に度々足を運んでいたトースキー刑事には証拠捏造嫌疑が持ち上がる。グレイスミスは最後まで執念を持ち続け、最初から資料を調べ直す(トースキーとも接触し、記者には教えられないと言われながらも助言をもらう)のだが、結局はゾディアックに翻弄された人生を送ることになる。

事件発生の1年後、グレイスミスはメラニー(クロエ・セヴィニー)と付き合うようになり、4年後の日付ではすでに結婚している。メラニーはグレイスミスのことをよく理解しているようだったが、でも結局はうまくいかなくなっている。理由はグレイスミスが自分をメディアに露出させてまでゾディアックを調べようとしたからで(無言電話がかかってくるようになっていた)、メラニーが家族の安全は二の次になっていると言っても、ゾディアック事件の真相を明かすのは僕しかいないと取り合ってもらえず、彼女は子供たちを連れて家を出ていく。

このあともう1度だけ、容疑者らしき男の住居をグレイスミスが訪ねるというちょっと怖い演出が待っているのだが、これはおまけだろうか。グレイスミスは完全に取り憑かれた男になっていて、久しぶりに訪ねてきたメラニーも「この結婚は幻」と言うしかなかったようだ。

グレイスミスは本も書き、生き残った被害者のマイクの証言(顔写真を見て言い当てる)も得、どう考えても怪しいとしか思えないアーサー・リー・アレン(ジョン・キャロル・リンチ)に結局舞い戻るのだが(すでに事件から22年が経過しているのだ)、リーは心臓発作で死んでしまう。しかしDNAは一致しないなど物的証拠は1つも得られなかったようだ。エイブリーが肺気腫で死んだことや、リーの死後グレイスミスには無言電話がかかってこなくなったという説明もつく(原作はグレイスミスながら、この部分でそれも含めて映画を作ったと言っているようだ)が、この徒労感は癒されることがない。

もちろんのめり込んでいったことに本人たちは納得しているのだろうが、その人生を考えると複雑な思いにかられるのだ。映画は徒労感を漂わせながら、しかし強力に観客をゾディアック事件にいざなう。で、こんなにいつまでも引きずられてしまっては、ちょっと危ないかもだ。

犯人は映画でも言っていたが、もしかしたら2人なのかも。そうすればDNA鑑定の矛盾なども説明できそうだ。こういう猟奇事件は犯行がエスカレートするといわれているが、ある時からやめてしまったことも、犯人が複数であればお互いを牽制しあって可能だったのではないか。いや、もうやめよう、本当に。でも映画はまた観たい。

 

【メモ】

映画の中で『ダーティハリー』(犯人のサソリ)がこのゾディアックをモデルにしているという話が出てくる。この映画を観に行った時のグレイスミスは、メラニーとはまだデートをしている間柄である。

ゾディアックは ゾディアックブランドの時計からの命名ではないかと推理していた。この時計をリーは腕に付けていた。

ゾディアックについてはこの他にも(映画の中だけでも)、メモしておきたいことが沢山あるのだが、それをしだすと私も本当に取り憑かれてしまいそうなので、やめ。というか、それぼどマメでなくてよかった。よかった。

原題:Zodiac

2006年 152分 シネスコサイズ アメリカ PG-12 配給:刊ワーナー・ブラザース映画 日本語版字幕:杉山緑

監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、ブラッドリー・J・フィッシャー、ジェームズ・ヴァンダービルト、シーン・チャフィン 製作総指揮:ルイス・フィリップス 原作:ロバート・グレイスミス 脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:ハリス・サヴィデス プロダクションデザイン:ドナルド・グレアム・バート 衣装デザイン:ケイシー・ストーム 編集:アンガス・ウォール 音楽:デヴィッド・シャイア

出演:ジェイク・ギレンホール(ロバート・グレイスミス)、マーク・ラファロ(デイブ・トースキー刑事)、ロバート・ダウニー・Jr(ポール・エイブリー)、アンソニー・エドワーズ(ウィリアム・アームストロング刑事)、ブライアン・コックス(ベルビン・ベリー)、イライアス・コティーズ(ジャック・マラナックス巡査部長)、クロエ・セヴィニー(メラニー)、ドナル・ローグ(ケン・ナーロウ)、ジョン・キャロル・リンチ(アーサー・リー・アレン)、ダーモット・マローニー(マーティ・リー警部)

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