パフューム ある人殺しの物語

新宿ミラノ3 ★★★★☆

■神の鼻を持った男はいかにして殺人鬼となったか-臭気漂う奇譚(ホラ話)

孤児のジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)は、13歳の時7フランで皮鞣職人に売られるが、落ち目の調香師ジュゼッペ・バルディーニ(ダスティン・ホフマン)に荷物を届けたことで、彼に自分の才能を印象付けることに成功し、50フランで買い取ってもらい晴れて弟子となるが……。

巻頭の拘置所にいるグルヌイユの鼻を浮かび上がらせた印象的なスポットライトに、死刑宣告の場面をはさんで1転、彼の誕生場面に移る。パリで1番悪臭に満ちた魚市場で、彼はまさに「産み落とされる」のだ。この場面に限らず、匂いにこだわって対象をアップでとらえた描写は秀逸で、匂いなどするはずのない画面に思わず鼻腔をうごめかしてしまうことになる。そして、なんと次は産まれたばかりの血にまみれた赤ん坊が演技をする(これはCGなのだろうけど)という、映画史上初かどうかはともかく、とにかくもう最初から仰天続きの画面が続く。

こんな筆致で、どんな物も嗅ぎ分ける神の鼻を持った男が殺人鬼となるに至った一部始終を描いていくのだが、おぞましいとしか言いようのない内容を扱いながらギリギリのところで観るに耐えうるものにしているのは、この映画が全篇ホラ話の体裁をまとっているからだろう。

例えば、次のような描写がある。孤児院に連れて行かれた赤ん坊のグルヌイユは、そこの子が差し出した指を握り、匂いを嗅ぐ。だいぶ大きくなったグルヌイユが、他の子がいたずらで彼にぶつけようとしたりんごを、後ろ向きなのにもかかわらず、匂いを感知してよける。

グルヌイユの桁違いの嗅覚については、この後も枚挙にいとまがないほどだ。バルディーニが秘密で研究していた巷で人気の香水が、彼の服についていることを言い当てることなどグルヌイユにとっては何でもないことで、瓶に密封された香料までわかるし(多少は瓶に付着しているということもあるのかもしれないが)、調合すら自在。そんなだから、人の気配までもが匂いでわかってしまうし、これはもっとあとになるが、何キロも先に姿を消した人間まで、匂いで追跡してしまうのである。

次のような例もある。グルヌイユに関わった人間は次々と死んでしまう。まず母。グルヌイユの最初に発した(泣き)声で、母親は子捨てが発覚し絞首刑。彼を売った孤児院の女は、その金を狙われて殺されるし、鞣職人は思わぬ金を手にして酔って溺死。職人証明書を書く代わりにグルヌイユから100種類の香水の処方箋をせしめたバルディーニは、幸せのうちに眠りにつくが、橋が崩れてしまう(この橋の造型を含めた川の風景は見事。セーヌにかかる橋の上が4、5階ほどのアパートになっていて、そういえば時たま天井から土が落ちてきていた)。

バルディーニから、グラース(これはどのあたりの町を想定しているのだろう)で冷浸法を学べば生き物の体臭を保存できるかもしれないと聞いていたグルヌイユは、究極の匂いを保存しようとその地を目指す。途中の荒野で彼は自分自身が無臭だということに気付く。彼にとって無臭は、誰にも存在を認められないということを意味するようである。なるほどね。ただ、この場面はやや哲学的で私にはわかりずらかった。

グラースで職に就いたグルヌイユは、女性の匂いを集めるために次々と殺人を犯すようになる(パリでの1番はじめの殺人こそ成り行きだったが)のだが、そのすべてが完全犯罪といっていい巧みさでとりおこなわれていく。匂いで察知し、追いかけ、家に忍び込んでからは、もう嗅覚がすぐれているからという理由では説明がつかないようなことを、最後の犠牲者になるローラ(レイチェル・ハード=ウッド)には用心深い父親のリシ(アラン・リックマン)が付いているにもかかわらず、すべてを手際よくやりのけてしまうというわけである。

リシの厳しい追及でグルヌイユは捕まり死刑台に登るのだが、彼はあわてることなく完成した香水(拷問までされていたのに隠し持っていたこと自体もホラ話というしかない)で、まず死刑執行人に「この男は無実だ」と叫ばせる。匂いを含ませたハンカチを投げると、ハンカチは広場を舞い、司祭は「人間でなく天使」と言い、500人を越すと思われる死刑見物人たち(全員がグルヌイユの死を望んでいた)はふりまかれた匂いに酔ったのか服を脱ぎ捨て、司祭も含め広場では乱交状態となる(グルヌイユ自身は、生涯にわたって性行為とは無縁だったようだ)。そして、私は騙されんぞと言っていたリシまで、最後には「許してくれ、我が息子よ」となってしまう。

ホラ話は最後まで続く。この香水で世界を手にすることもできたグルヌイユだが、パリに戻って行く。香水で手に入れた世界など虚構とでも思ったのだろうか。彼は産まれた場所に出向き、香水を全部自分にふりかけてしまうのである。

そうか、無臭でいままで存在していなかった彼(犬にも気付かれないのだ)は、このことによって、今やっと誕生したのかもしれない(もっともそう感じるのは彼だけのような気もするのだが。しかし人はその人の価値観でしか生きられないわけで、彼には必要な行為だったのだろう)。と、そこにいた50人くらいの人が「天使だわ、愛している」と言いながら彼に殺到する。

グルヌイユが彼らに食われてしまったのか、ただ単に姿を消してしまったのかはわからないのだが(翌日残っていた上着も持ち去られてしまう)、もはやそんなことはどうでもいいことなのだろう。なにしろホラ話なのだから。

グルヌイユの倫理観を問うことが正しいことかどうかはさておき、ローラから採った香りを、殺害場所からそうは離れていないところで抽出している彼の姿は美しく崇高ですらあった。彼は捕まって殺害理由を問われても、必要だったからとしか答えないのである。

(071018追記)
17日にやっと原作を読み終えることができた(読むのに時間がかかったわけではない)。グルヌイユが無臭であることは、原作だと生まれたときからの大問題であって、飛び抜けた嗅覚の持ち主であること以上にこのこと自体が、彼の生涯を決めたことがわかる。

なにしろ彼が忌み嫌われる原因は「無臭」だからというのだ。これについてはちゃんとした説明があって、その時はふむふむと読み進んでしまったのだが、でも説得力があるかというとどうか。グルヌイユの嗅覚が天才的ということとは別に、当時の人々にも相当な嗅覚がないと「無臭」に反応したり、グルヌイユ(の香水にか)を愛したりは出来ないことになると思うのだが。

グルヌイユが7年間を1人山で過ごすことになるのも、このこと故なのだが、これもわかったようでやっぱりわからなかった。

というようなことを考えると、映画は多少の誤魔化しがあるにしても、うまく伝えられない部分は最小限にして、挿話も目立たないところは書き換え(彼を売った孤児院の女などそのあと52年も生きるのだ)、壮大なホラ話に仕立て上げていたと、改めて感心したのだった。

  

【メモ】

果物売りの女の匂いを知った(服を剥ぎ取り、体をまさぐり、すくい取るように匂いを嗅ぐ場面がある)ことで、惨めなグルヌイユの人生に崇高な目的が生まれる。それが、香りの保存だった。

グルヌイユの作った香水だが、そもそもバルディーニから聞いた伝説による。その香料は、何千年も経っているのに、まわりの人間は楽園にいるようだと言ったとか。12種類の香料はわかっているが13番目が謎らしい。

グルヌイユの殺人対象は処女のようだが、娼婦も餌食になっている。

グルヌイユのとった香りの保存法は、動物の脂を体中に塗りたくり、それを集めて抽出するというもの。

犠牲者が坊主姿なのは、体毛を全部取り除いたということなのだろうか。犠牲者の飼っていた犬が、埋めてあった頭髪(死体)を掘り起こして、彼の犯罪が明るみとなる。

原題:Perfume:The Story of a Murderer

2006年 147分 シネスコサイズ ドイツ、フランス、スペイン 日本語字幕:戸田奈津子

監督:トム・ティクヴァ 製作:ベルント・アイヒンガー 製作総指揮:フリオ・フェルナンデス、アンディ・グロッシュ、サミュエル・ハディダ、マヌエル・マーレ、マーティン・モスコウィック、アンドレアス・シュミット 原作:パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』 脚本:トム・ティクヴァ、アンドリュー・バーキン、ベルント・アイヒンガー 撮影:フランク・グリーベ 美術監督:ウリ・ハニッシュ 衣装デザイン:ピエール=イヴ・ゲロー 編集:アレクサンダー・ベルナー 音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル 演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:サイモン・ラトル ナレーション:ジョン・ハート

出演:ベン・ウィショー(ジャン=バティスト・グルヌイユ)、ダスティン・ホフマン(ジュゼッペ・バルディーニ)、アラン・リックマン(リシ)、レイチェル・ハード=ウッド(ローラ)、アンドレス・エレーラ、サイモン・チャンドラー、デヴィッド・コールダー、カロリーネ・ヘルフルト