世界最速のインディアン

テアトルタイムズスクエア ★★★☆

テアトルタイムズスクエアに展示されていた、実際の撮影に使用された「インディアン」この展示は大人気で、写真を撮っている人が大勢いた

■世界最速を目指す男が誰からも愛されるのは何故だろう

ニュージーランドの片田舎インバカーギルに住むバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)はオートバイで速く走ることに憑かれた男だ。朝早くから騒音をふりまき、庭は放ったらかしだから近所の評判もよろしくない。しかし隣の家の少年トム(アーロン・マーフィ)には好かれていて、2人でバイクの改造に余念がない。

バートはすでに63歳、愛車の1920年型インディアン・スカウトは40年以上も前の代物だが、彼独自の改造(無造作にタイヤを削ったり、昔のエンジンを溶かしてピストンを作ったり、パーツに日用品を使ったりだから心配になってしまうのだが、すべて緻密に考えてのことなのだ)で ニュージーランドでは敵なし。バートは、自分が一体どのくらいのスピードが出せているのか知りたくてしかたがない。そんな彼が友人たちの援助(家を抵当に入れ金も借りて)で、夢だった米国ユタ州ボンヌヴィルの塩平原で開かれるスピード記録会に出場することになる。

破天荒な物語だが実話という。しかも、彼がこの時作った記録は今も破られていないというから驚くばかりだ。

映画は、夢の実現に踏み出すまでと、貨物船に乗り込み(船賃を浮かすためコックとしてなのだ)アメリカに上陸してからはボンヌヴィルまでの長い行程、そして記録会での活躍と順を追って、さながらバートの歩調に合わせたかのようなゆったりとしたペースで進んでいく。

インディアンの船荷が崩れていたり、入管事務所で尋問されたり、牽引トレーラーのタイヤがはずれる事故、あげくは記録会の登録はとっくに締め切られているし、自身は心臓と前立腺の調子が悪いときていて、つまり問題はいろいろ起きるのだが、その都度自力で、それがダメな時は助けがあらわれて、となんとかなってしまう。困難を前にバートは悲嘆にくれるでもなく、まあ出来るところまでやってみようと鷹揚に構えていて、でも決して諦めてはいない。そしてそれを観ている側は、失礼なことながら、何だか愉快な気分になっているというわけだ。

最初に「評判がよくない」と書いたが、しかしトムの両親などあんなに文句を言っていたのに、バートが記録会に出ることを知るとコレクトコールでいいから電話しろとトムに言わせている。誕生会を開きカンパを募ってくれる仲間もいれば、本気で彼のことを考えてくれる女友達もいるし、旅の行程で次々と助け船があらわれるのもバートの人柄だろうか。

変人だし、自説は曲げないし、どころかタバコは体に悪いと見ず知らずの人間に説教までする。そんなバートなのに、何故愛されるのだろう。

バートの持っている自分がやりたいことへの強烈な情熱。多分これが周囲の人間の心を動かすのだ。誰しも夢はあっても、羞恥心や自尊心や世間体や経済力や、とにかくいくらでも転がっている理屈をつけては、そんなものはとうに何処かにしまいこんでしまっているから、バートのような情熱を見せつけられると、応援せざるを得なくなるのだろう。

バートがアメリカに渡って記録を出したのは事実にしても、他の挿話の大部分は映画用に用意されたものに違いない。ロジャー・ドナルドソン描くバート像は愛らしさに満ちているが、それが出来るということは本当に素敵なことだ。

もっともバートがバートらしくしていられるのは、これが60年代だからだろうか。今だと、私のように速度記録など環境破壊でしかない、とイチャモンをつける人間もいそうだ。気分のいい映画を観ることが逆に、世知辛くて住みにくい世の中になっていることを実感することになるのだから、なんともめんどーではある。

書きそびれてしまったが、記録会でバートがインディアンにのって爆走する場面は見物だ(こういう場面がよくできているかどうかはかなり肝腎なのだ)。ただひたすら真っ直ぐ突っ走るだけなのに、知らないうちに身体に力が入っていた。これも多分ここまでの挿話の積み重ねが効いていると思われる。

 

原題:The World’s Fastest Indian

2005年 127分 シネスコサイズ 製作国:アメリカ、ニュージーランド 日本語字幕:戸田奈津子 翻訳協力:モリワキエンジニアリング

監督・脚本:ロジャー・ドナルドソン 製作:ロジャー・ドナルドソン、ゲイリー・ハナム 撮影:デヴィッド・グリブル プロダクションデザイン:J・デニス・ワシントン (アメリカ)、ロブ・ギリーズ(ニュージーランド) 編集:ジョン・ギルバート 音楽:J・ピーター・ロビンソン
 
出演:アンソニー・ホプキンス(バート・マンロー)、クリス・ローフォード(ジム・モファット/記録会出場カーレーサー)、アーロン・マーフィ(トム)、クリス・ウィリアムズ(ティナ・ワシントン/モーテルの受付嬢?)、ダイアン・ラッド(エイダ/未亡人)、パトリック・フリューガー(ラスティ/ベトナム休暇兵)、ポール・ロドリゲス(フェルナンド/中古車販売店店主)、アニー・ホイットル(フラン/郵便局員の女友達)、グレッグ・ジョンソン、アントニー・スター、ブルース・グリーンウッド、ウィリアム・ラッキング、ウォルト・ゴギンズ、エリック・ピアポイント、ジェシカ・コーフィール、クリス・ブルーノ

ダーウィンの悪夢

新宿武蔵野館3 ★★★

■「悪夢」として片付けられればいいのだが……

『ダーウィンの悪夢』というタイトルは、映画の舞台となったヴィクトリア湖が「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていることからとられたようだ(これについては、ティス・ゴールドシュミット著、丸武志訳『ダーウィンの箱庭 ヴィクトリア湖』という恰好の本があるので詳しくはそれを参照されたい。読んだのは紹介文だけだが、なかなか興味深かそうな本である)。ここのナイルパーチは、日本のブラックバスと同じく、外来種の導入が既存の生態系を破壊した例として有名だが、そのナイルパーチを肴にタンザニアの現状を切り取って見せたドキュメンタリーである。

肉食のナイルパーチの放流(漁獲高をあげる目的で導入されたらしいが、正確なことはもはや不明という)で、在来種のシクリッド・フィッシュ(熱帯魚)は絶滅の危機に直面する一方、ナイルパーチによってその捕獲から加工、輸出までの一大産業が成立するに至る。

映画はムワンザ市のその周辺をくまなく描写していく。加工業者と工場、輸出に不向きな部分の行き先、EUに魚を空輸する旧ソ連地域のパイロットたち、その相手をする娼婦たち、蔓延するエイズ、ストリートチルドレンなど。目眩のするような内容なので、詳しく書く気分ではないのだが、そのうち印象的なものをいくつかあげておく。

一番の衝撃はナイルパーチのアラがトラックで運び込まれる集積場だ。アラを天日干しにしているのだが、蛆だらけだし、煙があちこちで充満している。残骸からはアンモニアガスも出るという。加工場の清潔さに比べるとなんともはなはだしい差である。

子供たちが食べ物を奪い合う場面がある。ただでさえ少ない量なのに、一部では取っ組み合いになって、それは地べたにまかれ、口にはほとんど入らない。

前任者が殺されたため職にありつけたという漁業研究所の夜警の男は、戦争を待ち望んでいる。夜警よりずっと稼げるからだと言う。

パイロットたちと酒場で興じる娼婦たち。その中のひとりは客に殺されてしまい、後では画面に姿を見せることがない。

飛行場のそばにいくつも散らばる飛行機の残骸。まるで飛行機の墓場のようだ。なるほどと思うほど頻繁に飛行機が飛び立っていく。事故は荷の積み過ぎが原因らしい(管制塔の描写もあって、それを見ているとそればかりとは思えないのだが)。

飛行機は空でやってきてナイルパーチを目一杯積み込んでいく。往路では武器が満載されていて途中のアンゴラなどで降ろされているのではないか。製作者はそれを証明したかったようで、ジャーナリストやパイロットの証言も出てくるが、限りなく怪しいというだけで決定打にまではなっていない。

映画ではこれらがまるでナイルパーチによってもたらされたかのような印象を与えるが(宣伝方法のせいもあるかも)、これだけで判断してしまうのはやはり一面的で手落ちだろう。タンザニアのことをあまりに知らなさすぎる私に言えることは何もない。ただたとえ一面的ではあっても、切り取られていた風景はどれも寒々しいものばかりで、当分脳裏から離れてくれそうにない。短絡的と言われてしまうかもしれないが、人類は滅亡するしかないという気持ちになってしまう映画だった。

【メモ】

2004年 ヴェネツィア国際映画祭 ヨーロッパ・シネマ・レーベル賞
2005年 山形国際映画祭 審査員特別賞 コミュニティシネマ賞
2006年 セザール賞 最優秀初監督作品賞、アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞ノミネート

原題:Darwin’s Nightmare

2004年 112分 ビスタサイズ オーストリア、ベルギー、フランス

監督・脚本:フーベルト・ザウバー