アタゴオルは猫の森

2006年10月22日 日曜日

新宿武蔵野館3 ★★

■「秩序」対「紅鮪」? 

ますむらひろしの原作を知らない者にはタイトルからしてよくわからない。猫の森といいながら人間もいて、でも猫だって擬人化されたもので、その関係や違いがわからないのだ。まあ単純に、アタゴオルという所は動物も人間も対等でいられる楽園とでも解釈しておけばいいのだろうか。

で、そこの年に1度の祭りの日に、ヒデヨシというおさがわせデブ猫が、好き勝手に暴れ回る幕開きとなる。ここはそれなりのインパクトがある。がヒデヨシが、欲望(食欲)に忠実であるという部分を強調するあまり、自分だけ楽しければいいただのわがまま猫にしか見えず、次第に乗れなくなってくる(少し長いこともある)。

祭りを荒らし回ったヒデヨシは棺桶のようなものを見つけ、開けるなと言われるのもかまわずその蓋を開けてしまう(なにしろ言うことを聞かないヤツなのだ)。封印を解かれて現れた植物の女王というピレアが言うには、何でもかつては知性ある植物が世界を支配していたのだと。そして、やおら「あなたがたへ贈り物があります」と言うのだが……。

ピレアは、アタゴオルを秩序ある安らぎの世界に変えるのだと説く。ピレアのもとにいると、世界は歌に満ちて、気持ちよくなって、歌わずにはいられなくなる。生き物たちは片っ端から花(植物)に変えられていくのだが、抗う理由が見つからない。ふうむ、アタゴオルは楽園ではなかったか(人間+猫は欲が深いからねー。それともヒデヨシのような迷惑なヤツがいるからとか)。

しかし、これには当然裏があって、植物に変えることでピレアは自分の言いなりにしたいわけだ。つまりは自分のすることを邪魔されたくないらしい(あれ、ヒデヨシじゃん)。若さを得るために生き玉?を食べる目的もあるらしいのだ。そして、「この星が私そのものになって、私の種子がこの星を被い、無数の私が芽吹く」ようにするというのだ。ただ描写としては手抜きで「根っこがからみついてジャングルが息苦しそう」と言われるくらいでは、何が悪いのかが判然としない。蝉男やギルバルス(何なんだ、こいつらは)がテキトーに解釈してるだけで。

とにかくピレアは悪いヤツなのだ。そして彼女を封印できるのは、植物の王であるヒデコだけなのだと。そのヒデコだが、ピレアが封印を解かれたとき同時に現れていて、何故かヒデコは父親にヒデヨシを選んでいたのだった。しかしこの説明はくだならい。植物女王ピレアは最初から魔力を使い放題なのに、植物王ヒデコは力強く成長するためには父親が必要って、もっとうまいでっち上げを考えてくれないと。紅鮪一筋で好き勝手し放題のヒデヨシだが、何故かヒデコには愛を感じて、ちゃーんと父親たらんとする。これも何だかなー。

ということで対決です(ムリヤリだ)。

「父親ってうまいのか」と馬鹿なことを言っていたヒデヨシなのに、急に人格が変わったように「俺たちはとことん生きるために生まれてきたのよ」とか「この父上にまかせなさい」と、ピレアに立ち向かっていく。大地と直結したヒデヨシの途方もない生命力は、負けはしないがやっつけることもかなわず、ピレアを封印すると自身も消えてしまうヒデコに頼るしかなかった(つまりどこまでもピレアとヒデコは一体なわけだ)。

最後はまた蝉男の解説があるし、「完全じゃないから面白い。完全じゃないから素敵」とかやたら説教じみているのが気になる。完全……の部分は、秩序ある安らぎの世界への当てつけなんだろうけど、でもだったら最後のダンスは全員同じではなく、バラバラにしないとまずいんじゃ。はずしてる爺さん猫はいたけどね。って、そうか、ちゃんと異質な(完全でない)部分にも焦点を当てているってか。

構図や色使いは素晴らしいのだが表情はいまひとつ。これは全員に言えることだが、ヒデヨシに至っては最初から最後まで細目で通してしまっている。猫の擬人化は、マンガならごまかせることがアニメだとむずかしいわけで(バイオリンの弦に指がかかっていなかったりする)、しかもこれは3DCG。ま、これについては何も知らないに等しいからうかつには語れないのだが、でもとにかく猫である必然性はないよね。

筋もひどいが、やっぱり基本からきちんと考えるべきだろう。キャラクターだけの魅力で作っちゃいかんのだな。

 

【メモ】

びしょびしょ君(ヒデヨシはピレアをこう呼ぶ)

音楽で最高の幸せ。満腹の幸せ。みんなの幸せを壊すヒデヨシ

「オッサン、あんたが父上か」「その父親ってのはうまいのか」

すべての生命力はこの星と繋がっている

カガヤキヒコノミヤ(ヒデコ)

「こんなに心がやすらぐのなら花になるのも」「花になったら腹一杯食べられない」

2006年 81分 スコープサイズ アニメ

監督:西久保瑞穂 原作:ますむらひろし『アタゴオル外伝 ギルドマ』 脚本:小林弘利 音楽:高橋哲也 音楽プロデューサー:安井輝 音楽監督:石井竜也 CGディレクター:毛利陽一 CGプロデューサー:豊嶋勇作 キャラクターデザイン原案:福島敦子 音響監督:鶴岡陽太 色彩設計:遊佐久美子 制作:デジタル・フロンティア 美術デザイン:黒田聡
 
声の出演:山寺宏一(ヒデヨシ)、夏木マリ(ピレア)、小桜エツ子(ヒデコ/輝彦宮)、平山あや(ツミキ姫)、内田朝陽(テンプラ)、田辺誠一(ギルバルス)、谷啓(蝉男)、石井竜也(MCタツヤ)、谷山浩子(テマリ)、佐野史郎(竜駒)、牟田悌三

トリスタンとイゾルデ

2006年10月22日 日曜日

新宿武蔵野館1 ★★★★☆

■丁寧なつくりの重厚なドラマが楽しめる(苦しめられる)

(↓ほとんど粗筋ばかりなので読まない方がいいかも)

ローマ軍が撤退したあと、強大なアイルランド王に対抗する連合を打ち立てられないイギリスは、暗黒時代が続いていた。トリスタン(ジェームズ・フランコ)は幼い時に両親をアイルランド軍に殺され、命の恩人であるコーンウォールの領主マーク(ルーファス・シーウェル)のもとで成長する。トリスタンは自分の立てた作戦で、アイルランド王の片腕であるモーホルトを仕留めるが、自身も傷つき、毒薬のため死んだと思われて船葬で海に流される。

アイルランドに流れ着いたトリスタンを見つけたのはアイルランド王の娘イゾルデ(ソフィア・マイルズ)で、解毒の方法に詳しい彼女によって彼は一命を救われる。彼女の献身的な看病のうち、ふたりは恋に落ち海岸の小屋で結ばれる。

トリスタンを最初に発見したのがイゾルデというあたりに多少無理はあるものの(イギリスと敵対しているのに海岸線の防備はどうなっているのだ)、よく練られた脚本で、導入部から無理なく物語に入っていくことができる。歴史的な背景もわかりやすく説明してある。

船葬が発見されてしまったため、イゾルデの正体を知ることもなく、一旦はイギリスに戻るトリスタン。死んだと思っていたマーク王は、我がことのように喜ぶ。一方アイルランド王はモーホルトを失った(実は王との間で、イゾルデを妻にする約束が出来ていたのだが)ことから体勢を立て直す意味もあって、イゾルデと領地を餌にイギリスの領主たちに最強戦士を決める試合を開催するという知らせを出す。

褒美に釣られて半数の領主が参加するなか、自分の愛した女性がイゾルデであることを知らないトリスタンは、マーク王に「自分が名代になって出場して勝ち、イギリスの盟主と目されているあなたがアイルランド王女を妻に迎えることになれば、血を流さずに平和がもたらされる」と説く。

筋ばかり追ってしまっているが、これが巧妙なのだ。イゾルデをモーホルトから守ったのがトリスタンならば、そのイゾルデを親代わりであるマーク王に嫁がせたのもトリスタンということになるからだ。

王女争奪戦でのトリスタンの活躍はなかなかだ。仕組まれたインチキ試合に勝ち上がっていくトリスタンをカメラは魅力的に追う。恋愛劇の側面が強調されているが、この試合だけでなく、森での戦いや、城攻めの場面などどれも正攻法ながら迫力がある。また、俯瞰で捉えた城の内部や夜の挙式など、静の部分の美しさにも魅せられる。

「ここが忠義のない世界だったら私と結婚してくれた?」「そんな世界などない」「初夜がつらいわ」人目を忍んで交わされるトリスタンとイゾルデの会話が切ない。というか、
マーク王と睦まじくしているイゾルデを、地獄にいるトリスタンは「妻を演じるのに少しは苦労するかと」となじってしまう。

そしてマーク王の立派さが、さらに悲劇を際だたせる。トリスタンにとってマーク王は忠義以上に尊敬の対象(王としての資質のみならず、トリスタンを救う時に右手まで失っている)だし、イゾルデもトリスタンと知り合っていなければマーク王の愛を受け入れていたはず(優しくて憎めない人)なのだ。なのに、初恋の情熱故か、イゾルデはトリスタンに「愛に生きる」ことを宣言させてしまう。

密会を重ねる当のトリスタンに、マーク王はイゾルデの素行調査を依頼する。いや、詳しく書くのはもうやめるが(書くだけでもつらい話だ)、とにかく、この隙をつくようにアイルランド王と裏切り者が動きだし、マーク王は事実に直面する。が、イゾルデからトリスタンが瀕死の時に知り合ったことを訊いて、何も言わずふたりを解放しようとする。

しかし、トリスタンは「愛が国を滅ぼしたと伝えられる」と言ってマーク王のために戦うことを選ぶ。マーク王の寛容さに応えずにはいられなかったのだろうが、結局は彼には死が待っていた。「生は死より尊い。だが愛はもっと尊い」「ふたりの愛は国を滅ぼさなかった」という、ここだけ聞いたらおちゃらかしたくなるような結末なのだが、素直にしんみりできる。

アイルランド王の、娘を将棋の駒の1つとしか考えていない酷薄さや、トリスタンと同い年で、彼の存在故に常に2番手に甘んずるしかなかったマーク王の甥の悲しさなども、きちんと描かれていた。これでイギリスの部族間の抗争がもう少し深く捉えられていたら言うことがないのだが。

私の書いた文章からだと重たくるしい映画というイメージしか残りそうもないが、例えばトリスタンを人肌で温めようとするイゾルデが乳母にも裸になるように言うと、乳母は嬉々として「男と抱き合うのは15年ぶりよ」と言う。このあとトリスタンの正体を知って乳母が「イギリス人ですよ」と窘めると、イゾルデは「捕虜にしたの」と答えるのだ。まだ恋のはじめのはじめ、楽しい予感に満ちたひととき……。

 

原題:Tristan + Isolde

2006年 125分 サイズ■ アメリカ 日本語字幕:古田由紀子

監督:ケヴィン・レイノルズ 脚本:ディーン・ジョーガリス 撮影:アルトゥール・ラインハルト 編集:ピーター・ボイル 音楽:アン・ダッドリー
 
出演:ジェームズ・フランコ(トリスタン)、ソフィア・マイルズ(イゾルデ)、ルーファス・シーウェル(マーク)、 デヴィッド・パトリック・オハラ、マーク・ストロング、ヘンリー・カヴィル、ブロナー・ギャラガー、ロナン・ヴィバート、ルーシー・ラッセル

サンキュー・スモーキング

2006年10月28日 土曜日

シャンテシネ1 ★★★☆

■洒落た映画だが、映画自体が詭弁じみている

ニック・ネイラー(アーロン・エッカート)は、タバコ研究所の広報マン。すでに悪役の座が決定的なタバコを擁護する立場にあるから、嫌われ者を自覚している。TVの討論会では、15歳の癌患者を悲劇の主人公にしようとする論者を敵(味方などいるはずもない)に回して、タバコ業界は彼が少しでも長生きして喫煙してくれることを願っているが、保健厚生省は医療費が少なくてすむよう彼の死を願っているなどと言って論敵や視聴者を煙に巻く。

映画は、最後まですべてこんな調子。それを面白がれれば退屈することはない。といって喋りだけの平坦さとは無縁。テンポよく次々とメリハリのある場面が飛び出してくる。

ニックはタバコのイメージアップに、映画の中で大物スターにタバコを吸わせることを考えつく。上司のBR (J・K・シモンズ)はニックの案を自分の発案にしてしまうようなふざけた野郎だが、フィルター発案者でタバコ業界の最後の大物と言われるキャプテン(ロバート・デュヴァル)はちゃんとニックのことを買っていて、ロスに行って日本かぶれのスーパー・エージェントであるジェフ・マゴール(ロブ・ロウ)と交渉するように命じる。

キャプテンについての紹介は「1952年、朝鮮で中国人を撃っていた」というものだし、マゴールの仕事のめり込みぶりは度外れていて、ニックがいつ眠るのかと問うと日曜と答える。現代物は無理だがSF映画で吸わせるのならなんとかなると仕事の話も速い。

とにかく、登場人物は癖のあるヤツらばかりだし、それでいてほとんど実在の人物なのかと思わせる(だからこそ心配にもなってくる)あたり、大したデキという他ない。ニックが賄賂を持って出かけた初代マルボロマンだというローン・ラッチ(サム・エリオット)には「ベトコンを撃つのが好きだったが、職業にはしなかった」と言わせてしまうのだから。

ラッチとの駆け引きは見ものだ。相手はなにしろ銃を片時も手放さないし、クールが好きでマルボロは吸わなかったとぬけぬけと言うようなヤツ。癌と知って株主総会に出たという彼に、ニックはバッグ一杯の金を見せながら、告訴となければこの金は受け取れなくなり、寄付するしかなくなるとおどす。

タバコ悪者論者の急進派の一味に襲われ、ニコチンパッチを体中に貼られて解放される事件が起きて入院すれば、すかさず「ニコチンパッチは人を殺します。タバコが命を救ってくれた」(よくわからんが、タバコが免疫を作ってくれていたということなのか?)と切り返していたニックだが、親しくなっていた女性新聞記者のヘザー・ホロウェイ(ケイト・ホームズ)に仲間のことから映画界への働きかけから、口封じ、子供のことまですべてを記事で暴露され、会社をクビになる。誘拐で彼への同情はチャラになり、頼みのキャプテンは「今朝」死んだときかされる。

落ち込むニックを救ったのは息子ジョーイ(キャメロン・ブライト)の「パパは情報操作の王」という言葉。でもこれはどうなんだろ。ジョーイは父親を尊敬しているという設定にはなっているが、とはいえ、子供に屁理屈王と言われてしまったのではねー。

ニックは離婚していて、ジョーイには週末にしか会えないのだが、でもまあ子供思いで、学校にも行って仕事の話をするし、仕事先にもジョーイを連れ回す(マルボロマンとの交渉ではジョーイが役に立つ)。詭弁家ではあるが、子供にはきちんと向き合おうとしている。題材と切り口は奇抜ながら、実は父子の信頼関係の物語なのである。

立ち直りの速さはさすが情報操作王で、暴露記事には反省の姿勢を見せつつ、記者と性交渉を持つと最悪だが、紳士として相手の名前は伏せると反撃も忘れない。その勢いでタバコ小委員会に出席し、タバコに髑髏マークを付けようとしている宿敵のフィニスター上院議員(ウィリアム・H・メイシー)を徹底的にやりこめる。

無職なのだからもはや「ローンの返済のため」というのではないわけで、これは情報操作王としての意地なのだろうか。タバコはパーキンソン病の発症を遅らせると軽くパンチを出し、タバコが無害だと思う人なんていないのに何故今さら髑髏マークなのかと言い放つ。死因の1位はコレステロールなんだから髑髏マークはチーズにだって必要だし、飛行機や自動車にも付いてないじゃないかと。

ただ、この屁理屈と論旨のすり替えはいただけないし、またかという気持ちにもなる。というわけで、このあとの子供にもタバコを吸わせるのかという質問には、18歳になって彼が吸いたければ買って吸わせると、子供の自主性を強調していた。最初の方でもニックはジョーイの宿題に、自分で考えろと言っていたし、これについては異論はないのだけどね。

この活躍でニックは復職を要請される。が、それは断わって、自分でネイラー戦略研究所を立ち上げる。父親の血を引いたジョーイはディペードチャンピオンになって目出度し目出度し、ってそうなのか。言い負かしさえすればいいってものでははずだし、そんなことは製作者もわかっているみたいなのだが、だからってディベート社会そのものまでは否定していないようだ。

この映画を製作するとなると、どうしてもタバコ擁護派のポーズを取らざるを得ないわけで、だからこそそのために周到に映画の中ではタバコを吸う場面を1度も登場させていない(劇中のフィルムにはあるが)のだろう。そうはいってもこの終わり方ではやきもきせざるを得ない。ニックは最後に、誰にでも才能があるのだからそれを活かせばいいのだとも言う。それはそうなんだが、この割り切りも私には疑問に思える。

書きそびれたが、ニックの広報マン仲間で、アルコール業界のポリー(マリア・ベロ)と銃業界のボビー(デヴィッド・コークナー)の3人が飲んでいる場面がちょくちょくと入る。これがまたいいアクセント代わりになっている。3人は「Marchant of Death(死の商人)」の頭文字をとって「モッズ(MOD)特捜隊」(昔のテレビ番組)と名乗り、日頃のうっぷん晴らしや互いを挑発し合ったりしているのだが、これがちょっとうらやましくなる関係なのだ。

【メモ】

タイトルはタバコのパッケージを模したもの。

「専門家みたいに言うヤツがいたら、誰が言ったのかと訊け」「自分で考えろ」

「君は息子の母親とやっている男だ」

ジョーイもかなり口が達者で、父親についてカリフォルニアに行くことを母親に反対されると「破れた結婚の不満を僕にぶつけるの?」と言い返していた。 

「あの子はあなたを神と思っているの」

「何故秘密を話したの? ママは、パパは女に弱いからって」

原題:Thank You for Smoking

2006年 93分 サイズ■ アメリカ 日本語字幕:松浦美奈

監督・脚本:ジェイソン・ライトマン 原作:クリストファー・バックリー『ニコチン・ウォーズ』 撮影:ジェームズ・ウィテカー 美術:スティーヴ・サクラド 衣装:ダニー・グリッカー 編集:デーナ・E・グローバーマン 音楽:ロルフ・ケント
 
出演:アーロン・エッカート(ニック・ネイラー)、マリア・ベロ(ポリー・ベイリー)、デヴィッド・コークナー(ボビー・ジェイ・ブリス)、キャメロン・ブライト(ジョーイ・ネイラー)、ロブ・ロウ(ジェフ・マゴール)、アダム・ブロディ(ジャック・バイン)、サム・エリオット(ローン・ラッチ)、ケイト・ホームズ(ヘザー・ホロウェイ)、ウィリアム・H・メイシー(フィニスター上院議員)、J・K・シモンズ(BR)、ロバート・デュヴァル(ザ・キャプテン)、キム・ディケンズ、コニー・レイ、トッド・ルイーソ

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