地下鉄(メトロ)に乗って

楽天地シネマズ錦糸町-3 ★★☆

■和解話は甘いし、不倫の決着は相手任せ!? で、それ以前に話がいい加減

小さな下着会社で営業の仕事をしている長谷部真次(堤真一)は、実は財界の大物小沼佐吉(大沢たかお)の次男だ。強欲で家族を顧みない父とは長い間縁切り状態でいたが、父の会社を次いでいる弟(三男)から、父が倒れたという知らせがケータイの留守電に入っていた。

無視するように長谷部は帰路につくが、地下鉄のホームで恩師の野平先生(田中泯)に会う。先生は老いていたが、長谷部のことはよく覚えてくれていて、今日が若くして死んだ兄(長男)の命日という話にもなる。

いつの間にかホームには人影がなくなっていて、先生は地下鉄なら当分来ないので私はここで待つと怪しげなことを言う。急ぐのでと先生と別れる長谷部だが、今度はその死んだはずの兄を見かける。思わずあとを追い地上へ出てみると、そこは実家のそばの新中野で、東京オリンピックの開催に湧く昭和39年10月5日だった。

だけどさー、永田町(赤坂見附)だったのに新中野って? エスカレーターが止まっているところがあるかと思うと動いているところもあって、それに長谷部は改札をすり抜けて行ってしまうのだが、こういう細かな部分も含めて、この流れは掴みづらい。

とにかく長谷部は過去に戻り、まず兄の事故死を止めようとするがそれは叶わず、しかしそのあとは若き日の父親と何度が接触し、思ってもいなかった父の知られざる面を知ることになる。闇市で体を張って生き、夢を追いかけていた父。戦渦のただ中の満州で、最後まで民間人を見捨てず守ろうとした父。更に遡って、銀座線車内での初々しい出征姿の父。

父との精神的な和解の物語なのはわかるが、似たような状況にある私には納得できない話だ。人間いいところを見つけようとすれば、誰にも少しくらいはあるからだ。愛情を持って育てられても、ある部分でどうしても許せないことをされたら……という場合だってあるだろう。

そしてここで見る限り、小沼佐吉はせっかく持っていた資質をどんどんねじ曲げていった男にしか見えないのだ。現に最初の昭和39年の長男の通夜ではもう妻を殴っているではないか。闇市時代から愛人のお時(常盤貴子)はかかせない存在だったし、裏社会に足を踏み入れてもいたようだ。現代でも贈収賄事件の尋問の最中だというし、都合が悪いとすぐ入院してしまうようなヤツなのだ。そういう見方だってできるのだから「あなたの子供で幸せでした」という結論にはそう簡単には結びつけられないのである。

結局、これは父に似ていると言われてきた主人公の見たかった夢、と考えれば話は簡単になる。そう思えばタイムスリップが、最初こそ地下鉄が出入り口になっていたものの、途中からは自由自在のようだったことにも納得がいく(いかないか)。ただ、となると、今度は地下鉄が轟音と共に爆走するイメージをタイムスリップに結びつけられなくなってしまうから、少なくともこのイメージの挿入は最初の時だけにしておくべきだった(地下鉄の移動がタイムスリップなら、着いた先のホームからもう時代が変わっている必要がある。そうか、だから兄を見つけたのだろう。でもだったら他の描写も統一しなくては)。

もっともこの主人公の夢説は、不倫相手の軽部みち子(岡本綾)が、闇市にやはりタイムスリップしていたという仰天事実によって説得力を失ってしまう。つまりこのタイムスリップは主人公の心象風景では決してなく、本当のタイムスリップだと? いや、だからそれだとあまりにも都合がよすぎるというかさ。まあ、これは原作者浅田次郎の罪のような気がするが。彼の小説の設定の安易さには辟易してしまうことがあるからねー。

みち子が過去に出現したことで、物語は父との和解とは別の側面を持つに至る。彼女のタイムスリップは仰天事実への扉にすぎず、彼女が長谷部の異母妹だったことに運命の真意はあったようだ。みち子はこのことを知って驚き、禁断の愛に苦悩するが、長谷部には事情を明かさずに去る決意をする(指輪をはずし長谷部の服にもどす)。彼女は生い立ちからして薄幸で、不倫という辛い立場にいたのだが、過去にタイムスリップしたことで、自分も父母に望まれて生まれてきたのだと知る。しかしせっかくその大切な事実を得ながら彼女はそれで十分満足し、親殺しのパラドックスならぬ胎児殺しでもって自分を抹殺する道を選んでしまうのだ。

なんともすごい結末だ。みち子はお時に好きな人の幸せと、子供の幸せのどっちが幸せかとちゃんと問うてはいたが、でもだからといって、とても納得できるものではない。ある意味ではすべて長谷部に都合のいい(もちろんみち子は失うが)ように話が進んだだけではないか。こうなっては1度引っ込めた主人公の夢説をまたぞろ持ち出したくなるではないか。

意識してはいなくてもやはり長谷部には父親に似たどこか薄情なところがあるということだろうか。子供とキャッチボールをし、服に指輪を見つける場面が最後にあるが、ただそれだけなのか。

終盤間際に野平先生がまた現れて「また会えたね。ここにおれば君に会えそうな気がしておったが。この年になればあせる必要はない。思った場所に自在に連れてってくれる」と長谷部に言う。うーむ、やはり野平先生は、水先案内人だったか。彼がまた出現したことで、長谷部の時間旅行は終わったのだ。もっともこの演出はあまり効果的なものではなかったが。

なお、これは映画の中身には関係ないことだが、少なくとも物語の設定は小説の発表時期にまで戻すべきだった。長谷部やみち子の年齢が10歳ほどだが若いことで、気になって仕方のないところが沢山あった。たった10年ではあるが、営団地下鉄から東京メトロになってしまった今となっては、いくら東京メトロ全面協力のもとであっても、ロケには相当手を加える必要があったのだろうけどね。

 

【メモ】

3人でキャッチボール マーブルチョコの広告看板 新中野 鍋屋横町

オデヲン座の看板は、左から『肉体の門』『キューポラのある街』『上を向いて歩こう』。この3本立ては実際のもの? 新中野のオデヲン座を知らないので何とも言えないが、3番館にしてもこの組み合わせはひどくないか。

20歳の小沼佐吉「本当に帰ってこれたら、この千人針を作ってくれた人と結婚して……」。
当時の銀座線の車内はこんなに静かとは思えないが?

BAR AMOUR オムライス 小沼家の墓 会社を作ったきっかけ(スーツケースを持った男、絹の下着)

長谷部の上司はいわくありげに『罪と罰』(それもかなり古い本)を読んでいたが?

2006年 121分 サイズ■

監督:篠原哲雄 原作:浅田次郎『地下鉄に乗って』 脚本:石黒尚美 脚本協力:長谷川康夫 撮影:上野彰吾 視覚効果:松本肇 美術:金田克美 編集:キム・サンミン 音楽:小林武史 主題歌:Salyu

出演:堤真一(長谷部真次)、岡本綾(軽部みち子)、大沢たかお(小沼佐吉)、常盤貴子(お時)、田中泯(野平啓吾)、笹野高史(岡村)、北条隆博(小沼昭一)、吉行和子(長谷部民枝)

出口のない海

楽天地シネマズ錦糸町-4 ★★☆

■不完全兵器「回天」のもたらした悲劇

4隻の人間魚雷回天と搭乗員の並木(市川海老蔵)たちを積んだ伊号潜水艦は敵駆逐艦に見つかり猛烈な爆雷攻撃を受けるが、潜水艦乗りの神様と呼ばれる艦長の鹿島(香川照之)によって窮地を脱する。

いきなりのこの場面は単調さを排除した演出で、それはわかるのだが、しかしここからはじめるのなら、後半の唐突な伊藤整備士(塩谷瞬)のモノローグは最初からでもよかったのではないか。伊藤整備士と会うのは山口の光基地だから、並木の明治大学時代の話や志願の経緯などはそのままでは語れないが、それは並木から聞いたことにすれば何とかなりそうだからだ。ラストでは現在の年老いた伊藤を登場させているのだが、これはさらに意味がないように思われる。ただただ無駄死にという最後の印象を散漫にしてしまっただけではないか。

最初にラストシーンに触れてしまったが、映画は回天の出撃場面の合間に何度か回想の入る構成になっている。甲子園の優勝投手ながら大学では肩を痛め、それでも野球への情熱は失わずに魔球の完成を目指していた並木。長距離の選手だった同級の北(伊勢谷友介)。北の志願に続くように自分も戦争に行くことを決意する並木。秘密兵器の搭乗者になるかどうかの選択。訓練の模様。家族や恋人・美奈子(上野樹里)との最後の別れ。

美奈子の扱いが平凡なのは不満だが、他の挿話がつまらないというのではない。ただ、何となくこれが戦時中の日本なんだろうか、という雰囲気が全体を支配しているのだ。出だしの爆雷攻撃を受ける場面では、上官が「大丈夫か」などと声をかけるところがある。軍神になるかもしれない人間を粗末にはできなかったのか。そういえば並木の海軍志願の理由は「何となく海軍の方が人間扱いしてくれそう」というものだったが、当時の学生に、海軍>陸軍というイメージはあったのか。それはともかく、いい人ばかりというのがねー。

他にも描かれる場面が、並木たちの行きつけの喫茶店の「ボレロ」であったり、野球の試合だったりで、戦争とはほど遠い感じのものが多いことがある。戦況も含めて何もかも理解しているような父(三浦友和)も、楽天的な母(古手川祐子)も、兄の恋の行方に心を痛める妹(尾高杏奈)も、そして当の並木まで栄養状態は良好のようだし、なにより海老蔵の明るいキャラクターがそういう印象を持たせてしまったかも(もっと若い人でなくては)。戦時イコールすべてが暗いというわけではないだろうが、空襲シーンも1度だけだし、何事もいたってのんびりしているようしか見えないのだ。

「敵を見たことがあるか」という父親との問答は、戦争や国家の捉え方として映画が言いたかったことかもしれないが、これまた少しカッコよすぎないだろうか。これはあとで出てくる並木の「俺は回天を伝えるために死のうと思う」というセリフにも繋がると思うのだが、これがどうしても今(現代)という視点からの後解釈のように聞こえてしまうのだ。こんなことを語らせなくても、回天の悲劇性はいくらでも伝えられるのと思うのだが。

回天が不完全兵器だったことは歴史的事実だから、この映画でもそれは避けていない。1度ならず2度までも故障で出撃できなかった北の苦しみは、死ねなかったというまったく馬鹿げたものなのだが、彼の家が小作であることや当時の状況を提示されて、特攻という異常な心境に軍神という付属物が乗るのに何の不思議もないと知るに至る。

そして、並木も何のことはない、敵艦を前に「ここまで無事に連れてきてくださってありがとう。皆さんの無事を祈ります」という別れの挨拶まですませながら回天の故障で発進できずに、基地へと戻ることになる。伊藤整備士は「私の整備不良のせい」と言っていたが、事実は、そもそも部品の精度すらまともでなかったらしい。並木も、死を決意しながらの帰還という北の気持ちを味わうことになるわけだ。このあと戦艦大和の出撃(特攻)に遭遇し艦内が湧く場面があるのだが、並木は何を考えていたのだろうか。

並木は8月15日の訓練中に、回天が海底に突き刺さり、脱出不可能な構造のためあえなく死亡。9月の枕崎台風は、その回天を浮かび上がらせる。進駐軍のもとでハッチが開けられ、並木の死体と死ぬまでに書きつづった手帳が見つかる。

最初に書いた最後の場面へ行く前に、この家族や恋人に宛てた手帳が読み上げられていくのだが、そんな情緒的なことをするのなら(しかも長い)、回天の実際の戦果がいかに低くかったことを知らしむべきではなかったか。

そういう意味では回天の訓練場面を丁寧に描いていたのは評価できる。模型を使って操縦方法を叩き込まれるところや、海に出ての実地訓練の困難さをみていると、これで本当に戦えるのだろうかという疑問がわくのだが、そのことをもっと追求しなかったのは何故なのだろう。

また回天への乗り込みは、資料を読むと一旦浮上しなければならないなど、機動性に富んだものではなかったようだ。映画はこのことにも触れていない(伊藤が野球のボールを並木に渡す時は下からだったが、ということは潜水艦から直接乗り込んだとか?)。こんな中途半端なドラマにしてしまうくらいなら、こぼれ落ちた多くの事実を付け加えることを最優先してほしかった。

なお、敵輸送船を撃沈する場面で、いくら制空権と制海権を握っていたとはいえ、アメリカ軍が1隻だけで行動するようなことがあったのだろうか。次の発見では敵船団は5隻で、これならわかるのだが。

 

【メモ】

人間魚雷「回天」とは、重量 8.3 t、全長 14.75 m、直径 1 m、推進器は 93式魚雷を援用。航続距離 78 マイル/12ノット、乗員1名、弾頭 1500 kg。約400基生産された。連合国の対潜水艦技術は優れており、騒音を発し、操縦性も悪い日本の大型潜水艦が、米軍艦船を襲撃するのは、自殺行為だった。「回天」の技術的故障、三次元操縦の困難さも相まって、戦果は艦船2隻撃沈と少ない。(http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kaiten.html)

「BOLEROボレロ」のマスターは、名前のことで文句を付けられたらラヴェルはドイツ人と答えればいいと言っていたが?

北「俺が走るのをやめたのは走る道がないからだ」

上野樹里は出番も少ないが、まあまあといったところ。並木の母のワンピースを着る場面はサービスでも、これまた戦時という雰囲気を遠ざける。

美奈子「日本は負けているの」 並木「決して勝利に次ぐ勝利ではないってことさ」 

明大の仲間だった小畑は特攻作戦には不参加の道を選ぶが、輸送船が沈没し形見のグローブが並木の家に届けられていた。

手帳には、回天を発進できず、伊藤を殴ったことを「気持ちを見透かされたようだった」と謝っている。

他には、父さんの髭は痛かったとか、美奈子にぼくの見なかった夕日の美しさなどを見てくれというようなもの。

2006年 121分 サイズ■

監督:佐々部清  原作:横山秀夫『出口のない海』 脚本:山田洋次、冨川元文 撮影: 柳島克己 美術:福澤勝広 編集:川瀬功 音楽:加羽沢美濃 主題歌:竹内まりや『返信』

出演:市川海老蔵(並木浩二)、伊勢谷友介(北勝也)、上野樹里(鳴海美奈子)、塩谷瞬(伊藤伸夫)、柏原収史(佐久間安吉)、伊崎充則(沖田寛之)、黒田勇樹(小畑聡)、香川照之(イ号潜水艦艦長・鹿島)、三浦友和(父・並木俊信)、古手川祐子(母・並木光江)、尾高杏奈(妹・並木幸代)、平山広行(剛原力)、永島敏行(馬場大尉)、田中実(戸田航海長)、高橋和也(剣崎大尉)、平泉成(佐藤校長)、嶋尾康史(「ボレロ」のマスター柴田)