日本以外全部沈没

シネセゾン渋谷 ★☆

■思いつきで、映画も沈没

言わずもがな『日本沈没』のパロディ映画。なの? 筒井康隆の『日本以外全部沈没』は小松左京の『日本沈没』のパロディだが、この映画『日本以外全部沈没』は、筒井康隆作品の映画化ではあるけれど、2度目の映画化である東宝の『日本沈没』(2006)のパロディかというと断じてそうではなく、ようするに便乗映画のたぐい。

2011年にアメリカ大陸が1週間で沈んだあと、中国大陸、ユーラシア……と日本以外の国が次々と沈んでいった。3年後、「クラブ・ミルト」には、各国の首脳が集まり日本の安泉首相(村野武範)におべっかをつかっていた……。いやー、やっぱり威張っちゃうんだろうね、日本人。うはは。

グラミー賞歌手が落ちぶれてそこで歌っている場面に思わず笑ってしまったが、この好調な出だしは全部原作のアイデアだった。あわてて読んだ原作は、舞台もこのクラブに限定された話(全集だと11ページの短篇)で、映画はそこで話される会話を膨らませてクラブ以外の場面も用意しているのだが、ところがそれがまったく腑抜けたもの。

たとえば日本は、外国からの難民で溢れているはずなのに(原作だと人口が5億になっているし、クラブさえ満員でトム・ジョーンズは入場を断られているのだ)、映し出される光景はどれもが人影がまばらだから、説得力がまるでない。予算がないのはわかるが、見せ方があまりにもヘタクソでいやになる。挿入されるCG(というよりアニメか)にしても合成がひどいとかいう問題ではなく、アイデア自体が幼稚なのだ。

これが大学の映研作品というなら拍手喝采してしまうところだが、TV版の『日本沈没』と1973年の映画版で主演した村野武範と藤岡弘まで引っ張り出してきているのだから文句もつけたくなる。

意外にも原作に登場しない日本の首相が「ニッポン音頭」にのって終始にこやかなのは当然。田所博士(寺田農)の学説発表がそれらしい舞台なのは奮発。イスラエルのシャザール大統領のアラブ相手の乱入が、金正日率いる武装ゲリラになっているのは順当。脅かしにも動ぜずGAT(超法規的措置で生まれた外国人アタックチーム)長官(藤岡弘)の自爆で国会議事堂が吹っ飛ぶのはチャチ。停電のローソクの明かりが「世界が沈むそのちょっと前にはじめて平和が訪れる瞬間だった」かどうかは疑問。それより何でこんなところにウクライナ民話『てぶくろ』が出てくるんだ、ってもうどうでもいい気分。以上、書いてる私もかなりの手抜きだ。

それにしても原作だと、ニクソン、毛沢東、周恩来、蒋介石、朴正熙、シナトラ、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーン、ソフィア・ローレン、アラン・ドロン、カポーティ、メイラー、ボーボワール、リヒテルにケンプといった錚々たるメンバー。そっくりさん俳優がシュワルツネッガーやウィリスあたりしか見つからなかったというより、今の時代には絶対的な存在感のある政治家や俳優がいないということなのかも。

 

【メモ】

URLにある画像は、尖閣諸島、竹島、北方領土をわざわざ表示しているが、これも多分思いつきの範囲だろう。ま、それでいいのかもしれないが。

付け加えられてドラマ部分は、おれ(小橋賢児)のアメリカ人妻とオスカー俳優との恋。あと、おれの親友古賀の家庭風景など。

怪獣やヒーローが外国人エキストラを踏みつぶす『電エース』が人気を博す。この映像もあるが、ひどい。

2006年 98分 ヴィスタサイズ

監督・脚本:河崎実 原典:小松左京 原作:筒井康隆 監修:実相寺昭雄 脚本:右田昌万、河崎実 撮影監督:須賀隆 音楽:石井雅子 特撮監督:佛田洋

出演:小橋賢児(おれ)、柏原収史(古賀)、松尾政寿(後藤)、土肥美緒(古賀の妻)、ブレイク・クロフォード(ジェリー・クルージング/オスカー俳優)、キラ・ライチェブスカヤ(エリザベス・クリフト/人気女優、ジェリーの妻)、デルチャ・ミハエラ・ガブリエラ(キャサリン/おれの妻)、寺田農(田所博士)、村野武範(安泉首相)、藤岡弘(石山防衛庁長官)、イジリー岡田、つぶやきシロー(大家)、ジーコ内山(某国の独裁者)、松尾貴史(外人予報士・森田良純)、デーブ・スペクター(本人/日本語学校経営者)、筒井康隆(特別出演)、黒田アーサー、中田博久

蟻の兵隊

イメージフォーラム シアター1 ★★★★

■「殺人現場」への旅

敗戦後も中国に残り軍閥に合流して国共内戦を戦い、捕虜になっていた奥村和一が帰国できたのは1954(昭和29)年の30歳の時。軍命によって戦ったのに、軍籍を抹消された彼に軍人恩給が支給されることはなかった。残留兵の生き残り仲間と裁判を起こすが、敗訴を重ねる。自分たちは勝手に中国に残ったのではなく、そこには保身に走った澄田軍司令官と軍閥との間に密約があったというのが奥村たちの主張だ。

奥村は宮崎元中佐を訪ねる。宮崎は将兵の残留という不穏な動きを察知して澄田軍司令官にその中止を迫ったことがあるのだが(平成4年にテレビ放送されたらしく、それが少しだけ映る)、10年以上も前に脳梗塞で倒れ、現在は寝たきり状態が続いている。宮崎を前に「悔しくて眠れない」ので中国に行き「密約の文書を探しだします」と奥村が言うと、宮崎は絞り出すような声を上げ何度も激しく反応する。何もわからないはずと言っていた宮崎の家族もびっくりした様子だ。

中国に渡る奥村。「天皇に忠誠を誓ったのであって、(軍閥の)閻錫山の雇い兵として戦ったんじゃない」という彼は、太原山西省公文書館に出向き、職員が持ち出してきた資料を開いて、これが何よりの証拠だと指差す。そして「この資料を出したのに、(裁判で)一切無視された」と言う。宮崎に「密約の文書を探しだ」すと言った場面のあとなので、これはまずいだろう。私など早くも、何だ、新資料の発見ではなく映画用の再確認の旅なのか、とがっかりしてしまったくらいだから。がこのあとすぐに、この中国への旅が奥村に別の問題を突きつけていたことを知ることになる。

軍司令官の保身の犠牲になった奥村だが、自身も上官の命令とはいえ、初年兵の教育のため民間人を殺害(肝試しと称していた)した過去があったのだ。奥さんにも話すことがなかったその事実に向き合うことを、自分に科していたようだ。旅の目的地の1つとして指定した「殺人現場」の寧武の街を見下ろす斜面に立ち、当時の模様を詳しく(彼の決意のほどがわかる)語る彼の姿。観客という別世界から眺めていたからいいようなものの、そうでなければ視線を落としていただろう。

ついで処刑の前日に留置場から脱走したという中国人の家族を訪ねる場面。故人の息子が、処刑されたのは日本軍が守る炭坑の警備員で、共産党軍の攻撃に抵抗せずに逃げ出して捕まったのだと話すと、急に奥村の顔色が変わり、彼らの行動は理解できないし処刑されて当然ではないかと「日本兵となって追求」(本人の言葉)してしまう。「自分の中に軍隊教育として受けていたものが残っている」と恥じる奥村。

輪姦された当時16歳という中国人老女の話にもいたたまれなくなるが、日本兵の鬼畜の限りを綴った、自分たちが書いた文章がそこ(中国)には残っているのだからたまらない。この文章のコピーは持ち帰られ、奥村の仲間たちにも突きつけられる。「もう平気でやったんですよ。人を殺したのに記憶がない。日常茶飯事だったんだね」とは仲間の金子の言葉だが、奥村は恨まれたのではないか。

自分たちの犯した罪を暴いてまでも、悔しい気持ちをどうにかしたい。それが奥村たちの気持ちなのだろう。だが、高齢な彼らの仲間は裁判中にも死んで数が少なくなり、この映画に登場する村山も映画の公開を待たずに死んだという。彼らには時間がないのだ。最後の時間との競争だという言葉はあまりに重い。

巻頭では靖国神社がどういうところなのかも知らない女の子と奥村の、さもありなんという対話が収録されていたが、最後の方では、やはり靖国神社で熱弁をふるう小野田元少尉に「小野田さんは戦争美化ですか」と詰め寄る場面も。奥村が電話をしても、また訪ねて行っても、昔のことだからと口を閉ざして何も語ろうとしない老人。簡単に対比されてはこれらの人の立場がないかもしれないが、彼らと大差のない自分を考えないではいられなくなる。

途中、判決文に署名捺印しない裁判官の話があり、これにもびっくりした。理由が「差し支えのため」という訳のわからないものだからだ。奥村が電話で確かめると、転勤で物理的に書けないという返事。だったらそう書けばいいのに。書けないんだろうね。署名捺印のない判決文がそもそも有効なのかどうなのか、そんなことは私にはわからないが、こんなんでちゃんとした裁判ができているのかと心配だ。

  

【メモ】

日本軍山西省残留問題:

終戦時に中国の山西省にいた陸軍第1軍の将兵59,000人のうちの約2,600人は、武装解除を受けることなく(ポツダム宣言に違反)国民党系の閻錫山の軍閥に合流し、3年半の間、共産党軍相手に戦いを続け、約550人が戦死、700人以上が捕虜となったという。

元残留兵たちから、軍命で戦ったのだから当然復員までの軍籍は認められるべきで、軍人恩給や戦死者遺族への扶助料も支払われるべきだという声があがるが、この運動が具体的な形になったのは90年代になってからのことだった。さらに実際の裁判にまで進んだのは2001年5月。原告は元日本兵13名。この時点で最小年の奥村和一は77歳、ほとんどが80歳以上だった。

双方の見解ははっきり別れていて、元残留兵たちは、当時国民政府から戦犯指名を受けていた北支派遣軍第1軍司令官・澄田●四郎(すみたらいしろう[●は貝へん+來])が責任追及を恐れて閻錫山と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張する。

一方、政府の見解は勝手に志願し傭兵になったのだから、その間の軍籍は認められず、政府に責任はないというもの。

裁判で原告は負け続けるが、2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告。が、9月に棄却される。

(2006.10.6追記)澄田軍司令官は、第25代日本銀行総裁(1984-1989)澄田智の父親にあたる。

2005年 101分 ヴィスタサイズ

監督:池谷薫 撮影:福居正治、外山泰三 録音:高津祐介 編集:田山晃一 音楽:内池秀和

出演:奥村和一(わいち)、金子傳、村山隼人、劉面煥、宮崎舜市