機械じかけの小児病棟
2006年07月17日 月曜日
シネマスクエアとうきゅう ★★☆
■意外と凝ったホラーだが
老朽化のため閉鎖間近のイギリス、ワイト島にあるマーシー・フォールズ小児病院に、看護婦の欠員があってエイミー(キャリスタ・フロックハート)が派遣されてくる。そこは忌まわしい過去が封印された病院だった……。
同僚の看護婦ヘレン(エレナ・アナヤ)や看護婦長フォルダー(ジェマ・ジョーンズ)を微妙なところ(敵か味方か)に置いて、エイミーの活躍にロバート医師(リチャード・ロクスバーグ)の協力で、昔の惨劇が明かされていく。なんでもフォルダーがこの病院に来たばかりの頃、看護婦が女の子を骨折させていた事件があったというのだ(もっともこれがわかるのは最後の方)。入院患者の子供たちが2階(ある事件で閉鎖されていた)の物音に怯え、その中で霊感の強いマギーという子が、全身に金属の矯正器具を付けたシャーロットという女の霊が出ていると言っていたのは本当だったのだ。
最初に病院から搬送されようとしたサイモンという男の子の骨折シーンは、その霊の仕業だったというわけか。でも何故。それにあれはいかにもレントゲンを撮ることで骨折が引き起こされたような映像だったが? 医師自身が骨折箇所が増えていることに疑問を呈しているのだが、説明がヘタでなんともまぎらわしい。
前任の看護婦スーザンの死については、彼女が相談していたという霊媒者姉妹をエイミーに訪問させて、「死期が近づいている者にのみ霊が見え」「彼ら(霊)は愛するもののそばにいようとする」と解説させる。そして、これがちゃんとした伏線になっていたのだけど、なんとなく霊媒者まで出してきたことで、うさんくさくなって、ちょっと馬鹿にしてしまっていたのね。
エイミーとロバートが必死になって事件のカルテを見つけようとするあたりからは急展開。シャーロットが実は看護婦で、マンディ・フィリップスというのが患者である少女の名前だったことが判明する。シャーロットはマンディを虐待し、退院させたくないために彼女の骨を折っては退院を延期させていたというのだ。うわわわ、サイモンの骨折もこれだったのだ。事件が明るみにでて有罪となった彼女はマンディを殺害し(可能?)、自分に矯正器具を付け(これがわからん)自殺し、幽霊となって出ていたのだと。
よくできた話とは思うが、全体の見せ方があまりうまいとはいえない。矯正器具を付けた幽霊が、それこそ矯正器具で固定されているようで全然怖くないし、途中で映画を幽霊ものと思ってしまって興味を半減してしまったということもある。ま、これは私が悪いのだけれど。ここまで脚本に凝っているとは思わなかったのね。最後になって急に盛り上がられてもなーという感じ。ロバート医師も中途半端だったかなぁ。
【メモ】
閉鎖が決まった病院は、入院患者や医療機器の移送がはじまっていたのだが移送の最終日に大規模な鉄道事故が発生する。患者たちを移す予定だった近隣の病院は負傷者があふれ、病院の閉鎖はしばらく延期されることになる。
エイミーも2階の物音や異変に気付き、エレベーターに閉じ込められたりもする。
エイミーはスーザンの自宅を訪ねるが、彼女はその前日に運転する車がスリップ事故を起こして死亡していた。
続いて、病院の従業員ロイの不審死(窓に飛び込む)。
エイミーにも自分のミスで患者を死なせているという過去がある。
死期が迫っていたスーザン、マギーには霊の姿が見える。そして、エイミーにも……。
原題:Fragile
2005年 102分 シネマスコープ スペイン 日本語字幕:関美冬
監督:ジャウマ・バラゲロ 脚本:ジャウマ・バラゲロ、ホルディ・ガルセラン 撮影:シャビ・ヒメネス 音楽:ロケ・バニョス
出演:キャリスタ・フロックハート(エイミー)、リチャード・ロクスバーグ(ロバート)、エレナ・アナヤ(ヘレン)、ジェマ・ジョーンズ(フォルダー)、ヤスミン・マーフィ(マギー)、コリン・マクファーレン 、マイケル・ペニングトン
幸せのポートレート
2006年07月22日 土曜日
シャンテシネ3 ★★☆
■あー大変、疲れちゃうよ
ニューヨークのキャリア・ウーマン、メレディス(サラ・ジェシカ・パーカー)が、恋人のエヴェレット(ダーモット・マローニー)に連れられて、クリスマス休暇を過ごすためにストーン家にやってくる。
結婚相手の家族とうまくやっていけるかどうかは、現代のアメリカ女性にとっても大問題のようだ。仕事のようにはいかないとわかってか、家に入る前からメレディスは緊張気味。で、これがえらく難問だったとさ。
メレディスに対するストーン家の反応は過剰で、あまりにも意地悪すぎ。1度会ったことのある次女のエイミー(レイチェル・マクアダムス)が吹き込んだメレディス評のせいかもしれないし、母親のシビル(ダイアン・キートン)などは癌が再発したという事情があるのだけど、それを差し引いたにしてもいただけない。すべてがオープンで、エイミーの初体験相手の名前が飛び出すような気取らないストーン家と、スーツで身を固め、妹のジュリー(クレア・デインズ)との電話にもプライバシーだからと人払いをせずにはいられないメレディスは、火と油にしてもだ。
異色なのはエヴェレットもで、だからメレディスを相手に選んだのだろうか(もっともこの点については違う展開になるのだが)。シビルによれば、彼は理想家で完璧を目指しすぎるらしい。で、本当に求めているものに気付いていないと最後までメレディスとの結婚に反対するのだが、この理屈はよくわからない。
メレディスは応援のつもりで呼び寄せたジュリーが人気をさらって裏目になるし、さらに3男のサッド(タイロン・ジョルダーノ)に話題が及んで、とんだ侮辱発言を開陳してしまう。サッドは聾者でゲイ。彼の相手で黒人のパトリック(ブライアン・ホワイト)も家族の一員になりきっている。「親なら誰も子が障害を持つことを望まない」と言うメレディスに「自分の子がみんなゲイであればと願ったわ。女の子に取られないから」とサッドたちに気遣いをみせるシビルだが、そのことには気付かないメレディスは、自分の発言を取り繕うとして失言を重ね、父親のケリー(クレイグ・T・ネルソン)に「もう沢山だ」とまで言われてしまうのだ。
これでメレディスの評価が下がるというのなら仕方ないのだけどねー。もっとも次男のベン(ルーク・ウィルソン)はメレディスにはじめから好意的だったから一方的に怒ることなく、慰め役にまわることになる。
で、結局メレディスとベン、エヴェレットとジュリー、さらにはメレディスのおかげエイミーに初体験の相手という組み合わせが誕生するのだが、さすがに少しやりすぎだし理屈(じゃないけどね)からいっても飲み込みにくい。脚本は、人物の交通整理はよくできているのに肉付けがまずいのではないか。
メレディスは意外にもストーン家に近い面があり、で、それはなるほどと思えるのだが、ジュリーについてはもう少し何かがほしいところだ。最初からストーン家に受け入れられるのは、メレディスの逆バージョンと受け取ればいいのかもしれないのだけどね。
それに比べるとメレディスはエヴェレットに「プロポーズはしていない」とみんなの前で言われてしまうし、本当に散々な役。さすがに可哀想になってくるが、でもだからって共感するまでには至らない。出演者は多いんだけど、つまるところ彼らと違って、寄り添うべき人物が見つからなかったのだ。
末期癌の話も途中ですっ飛んでしまったけど、でもまあそれは最後に次の年のクリスマスシーンがあって、シビルの姿がそこにはなく、という終わり方になっていた。
邦題はメレディスがクリスマスプレゼントにストーン家の人たちに贈った額入りの写真からつけている。エヴェレットの机にあったものだと言っていた。シビルのお腹にエイミー(メレディスはエヴェレットと思っていた)がいた時のもので、この写真は最後にまた出てくる。
【メモ】
タイトルデザインは、書体もデザインもそれぞれ違うクリスマスカードで綴られる(雪や船の部分は動きがついている)。
メレディスが「結婚前なのにエヴェレットの部屋には泊まれない」と、エイミーの部屋を借りることになるのだが、エイミーはこれも気に入らない。ここでシビルは、メレディスに「あなたと寝たくないのね」とまで。
辛辣な言葉の数々。「礼儀がどうだろうとあんな女は願い下げ」「エヴェレットは自分のことがわかっていない」さすがにエヴェレットも反論する。「僕へのいやがらせか」「父さんにも失望した」これはだいぶ経ってからのセリフだが「母さんはみんなの人生をやっかいにした」とも(このあと指輪を渡されて「指輪はあなた次第」と)。
エヴェレットは、昔シビルから結婚相手をみつけて来たら祖母の指輪をあげると言われていた。このクリスマス休暇はその目的もあった。
ベンはメレディスに会ってその晩すぐ夢に見る。「君は小さな女の子で雪かきをしている。俺は雪なんだ。君がすくう」というもの。
この指輪をエヴェレットがジュリーにはめて取れなくなる騒動も。
原題:The Family Stone
2005年 103分 アメリカ 日本語字幕:松浦美奈
監督・脚本:トーマス・ベズーチャ 撮影:ジョナサン・ブラウン 編集:ジェフリー・フォード 音楽:マイケル・ジアッキノ
出演:サラ・ジェシカ・パーカー(メレディス・モートン)、ダーモット・マローニー(エヴェレット・ストーン)、ルーク・ウィルソン(ベン・ストーン)、ダイアン・キートン(シビル・ストーン)、クレア・デインズ(ジュリー・モートン)、レイチェル・マクアダムス(エイミー・ストーン)、クレイグ・T・ネルソン(ケリー・ストーン)、タイロン・ジョルダーノ(サッド・ストーン)、ブライアン・ホワイト(パトリック・トーマス)、エリザベス・リーサー(スザンナ・ストーン・トゥルースデイル)、ポール・シュナイダー(ブラッド・スティーヴンソン)、ジェイミー・ケイラー(ジョン・トゥルースデイル)、サヴァンナ・ステーリン(エリザベス・トゥルースデイル)
DEATH NOTE デスノート 前編
2006年07月23日 日曜日
新宿ミラノ3 ★★★★☆
■デスノートというアイディアの勝利
原作の力なのだろうが、とてつもない面白さだ。マンガ10巻で1400万部というのもうなずける。
「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という「DEATH NOTE」を手に入れた夜神月(やがみらいと=藤原竜也)。法律を学び警察官僚を目指す正義感の強い彼が、神の力(この場合は死神だが)を手に入れたことで、どんどん傲慢になっていく。
デスノートを手に入れる前の彼がどんな人物なのかはいまひとつわからないのだが、司法試験一発合格という頭脳を持っているのであれば、ラスコリーニコフになっても不思議はない。しかもはじめのうちは服役中の凶悪犯や法の網からくぐり抜けたと思われる人物を始末していくわけだから、法による正義の限界を感じていた彼にとっては大義名分とカタルシスの両方が得られていたというわけだ。
もっともいくら処刑されるのが凶悪犯とはいえ、警察としてはキラ(いつしか巷ではそう呼ばれるようになっていて、信者までが現れる人気者となっていた)の行動を見逃すわけにはいかない。犯罪の大量死が世界中をターゲットにしていることから各国の警察やFBIも動きだし、インターポールは天才的頭脳を持つ探偵L(松山ケンイチ)を警視庁に送り込んでくる。
犯人が日本にいることが特定される理由も、もちろんLによって示されるのだが、Lが日本人(だよな。松山ケンイチは適役)ということもあって、急に世界が狭くなってしまう。些細なことなのだが、あまりに話が面白いので、日本に限定してしまうことが惜しく感じられたのだ。
Lの登場によって、キラ(月)との駆け引きは、天才対天才という側面を持ち、壮絶な頭脳戦となっていく。この設定は面白いに決まっているが、内容がともなわないといけないわけで、だからそういう意味でもすごいのだ(アラはあるけどね。でも着想とたたみかけるようなテンポで、観ているときはゾクゾクものなのだ)。
しかしこのことで、キラは自分を守るためにデスノートを使うようになってしまう。FBI捜査官レイ(細川茂樹)に、彼の婚約者でやはり元FBI捜査官の南空ナオミ(瀬戸朝香)と次々と手を下していくことになる。
ここまでくると本当にキラ(月)が犯罪のない理想社会を作り出そうとしているのかどうかはわからなくなっている。すでに彼にとってはLに勝つことが(自分の身を守ること以上かもしれない)最大の目的になっているように見えるからだ。
前編でのハイライトは、キラ(月)が幼なじみ秋野詩織(香椎由宇)までも手にかけてしまうことだ。流れとしては必然ながら、ここでも彼は冷酷なままなのだ。果たしていいことなのかどうか。彼の心理描写に時間を割いてもいいと思う反面、極力説明を排除した方がこの場合には合っていそうに思えるのだ。
ついでに言うと、芝居はCGの死神も含めて全員が大げさで、映画自体の雰囲気をテレビドラマ並のチャチなものにしている。でもそれがかえっていい。なにしろデスノートの存在が架空なのだから、リアリティはこの際不要。でないと警察があそこまでハッキングされっぱなしということなどもおかしいわけで、そういう部分の枝葉の説明に終始しだしたら、とたんにつまらなくなってしまうだろうから。
ということは、デスノートの存在につきるのかもね。そこには詳細なルールのようなことまで書かれていて、死因だけでなく死に至る行動までを決めることができるのだ。これをどのように操るかというのも見所で、Lとの攻防はまさにゲームのような面白さをみせる。キラ(月)はページの一部だけをちぎって使ったりもするのだ。
デスノートに触れた者だけにしか見えないという死神は、フルCGでいかにもという姿形なのだが、この存在感もなかなかだった。死神が何故デスノートを自分で使わないのか(使えないのか?)は不思議なのだが、彼の行動をみていると納得がいく。彼はあくまで傍観者を装い、デスノートを手にした者の意志に任せているのだ。が、夜神月に拾わせるようにし向けたのも間違いなさそうだ。死神の勘で、月が自分の意に叶った人物であることを見抜いていたのだろう。
となると次は弥海砂(あまねみさ=戸田恵梨香)をどう扱うかだが、前編ではほとんど明らかにならず(前編だけだと彼女は話をわかりにくくしているだけだ)、キラ(月)の運命と共に後編を待つしかない。それにしても10月までお預けとはねー。
【メモ】
南空ナオミが月を追いつめる。月の手が動きペンに伸びるが、南空ナオミは偽名を名乗っていた。
ポテトチップスの袋のトリック。隠しカメラの段階ではLが敗北するが、あとのシーンでは月の前に、Lは袋を持って登場する。
詩織の死。「キス、人前でしちゃった」
2006年 126分 ビスタサイズ
監督:金子修介、脚本:大石哲也、原作:大場つぐみ『DEATH NOTE』小畑健(作画)、撮影:高瀬比呂志、及川一、編集:矢船陽介、音楽:川井憲次
出演:藤原竜也(夜神月)、松山ケンイチ(L/竜崎)、瀬戸朝香(南空ナオミ)、香椎由宇(秋野詩織)、鹿賀丈史(夜神総一郎)、細川茂樹(FBI捜査官レイ)、藤村俊二(ワタリ)、戸田恵梨香(弥海砂)、青山草太(松田刑事)、中村育二(宇生田刑事)、奥田達士(相沢啓二)、清水伸(模木刑事)、小松みゆき(佐波刑事)、中原丈雄(松原)、顔田顔彦(渋井丸拓男)、皆川猿時(忍田奇一郎)、満島ひかり(夜神粧裕)、五大路子(夜神幸子)、津川雅彦(佐伯警察庁長官)、中村獅堂(死神リューク:声のみ)
ある子供
2006年07月29日 土曜日
早稲田松竹 ★★★☆
■子供が親になりまして……
20歳のブリュノはいい加減なヤツだ。まだ小学生か中学生くらいのスティーヴたちを使って盗みを働いてのその日暮らし。18歳のソニアが妊娠して入院すれば、同居していた彼女のアパートは貸してしまうし(映画は出産してアパートにソニアが帰ってくる場面から始まる。この導入部はよく考えられている)、生まれてきた子供にも関心がなさそうだ(わかるけどね)。彼女にも「(入院中に)見舞いにも来てくれないし」となじられていた。
一体ソニアはブリュノのどこを好きになったのだろう。ふたりが子犬のようにじゃれあう姿はあまりに無邪気すぎて、うらやましく思う反面、やはり子供の親としては心もとなくて心配になるばかりだ。
それでもソニアには子供を産んだ母親としての自覚がはっきりと芽生えているから救われる。ブリュノにはちゃんとした職に就いて欲しいのだが、ブリュノは「クズ共とは働けない」とどこまでもお気楽で、職安の列にも並びたがらない。
ソニアが代わりに列に並び、子供の乳母車をブリュノがひくことになるのだが、ひとりになった途端、盗品の売りさばき先(闇ルート)で子供が高く売れる話を思い出し、それこそ思いつきのように話をまとめ、売ってしまう。ここはあれよあれよという間に話が進み、すぐにお膳立てされた場所で子供とお金が交換されていく。
映画は、前編ドキュメンタリーのような作りで、だからこの場面は怖い。『息子のまなざし』と手法は似ているがカメラの位置は多少引き気味で、多少は余裕をもって画面を追えるからあそこまでの息苦しさはないのだが、淡々と取引が進行することが緊迫感を生み出すのは同じだ。
悪びれた様子もなくお金を見せるブリュノにソニアは卒倒し、病院に運び込まれる騒ぎとなる。
ブリュノにソニアの反応が予想できなかったのにはあきれるが、なるほど「ある子供」とはやはり彼のことだったのだ。靴の泥で壁を汚し、その印がどのくらい高くまでつけられるかというひとり遊びに興じていたが、あれはまぎれもなく彼の、そのままの姿だったわけだ。20歳にしてはあまりに幼くて、後になって警官に「俺の子じゃない」とか「浮気したいからムショに送る気だ」とソニアを非難する嘘の言い逃れをしたり、一転ソニアに泣きつき金をせびるあたりでは、観ているのがつらくなるほどだ。
話が前後するが、ソニアに訴えられるかもしれないと思ったブリュノは売ったばかりの子供を引き取ることにする。売った時と同じような手順がここでまた繰り返されるのだが、普通の劇映画のような省略や緩急をつけた演出ではないから、ある部分ではいらつくような流れになるのだが、それがまた心理的な効果を増幅し静かな怖さを呼び戻す。
子供の買い戻しはあっさりできたものの、ブリュノは儲け損なった闇ルートの一味に身ぐるみはがれ、多額の借金を負うことになる。そして、スティーヴを使ってのひったくり。そして、金は奪ったもののこれが失敗してブリュノはムショ送りとなる。
ブリュノはやることは子供で何の考えもないのだが、ある部分では憎めないところがあるのも確かだ。言われれば子供の認知もするし、仲間うちでのルール(盗みの配分)もきっちり守っている。自分のせいで冷たい川に入ったスティーヴを必死で介抱するし、スティーヴが捕まれば自分が首謀者であると名乗り出る(もっともこれには闇ルートからの追求には逃れられそうもないということもあるだろう)。
ソニアはブリュノのそういった部分を好きになったのだろう。だから最後は彼女が服務中のブリュノに面会するという感動的な場面になる。ここではじめてブリュノは息子のジミーの名を自分から口にする。
だけどねー、意地悪な見方をすればここでもブリュノはまだまだ子供なのではないか。若年層の失業率が20%というベルギーの状況をふまえての映画ということでは意味があるのかもしれないが、ブリュノがまだ善悪を知らない子供として描かれている、つまりは最初から救いはあったという観点からいうと、すごく甘い映画にしかみえないのだ。
【メモ】
育児センターの職員が、子供の様子を見にくる。
先のことなど何も考えず、余ったお金でソニアに自分とお揃いの皮ジャンを買う。
じゃれ合うのはソニアからも。飲みかけの飲料をブリュノにふりかけて、追い駆けっこを始めるふたり。
「子供は売った。またできるさ」。このセリフのあとにソニアが卒倒するのだが、卒倒場面は『息子のまなざし』でも出てきた。卒倒好きなのね。でもこちらの方が自然だ。
ブリュノが子供を取り戻して病院に戻るとソニアは警察を呼んでいた。ここで浮気発言になるのだが、子供は(自分の)母親に預けていた、という嘘もつく。このあと母親に口裏を合わせてもらいに母のアパートを訪ねるのだが、母は見知らぬ男と一緒にいる。
往来の激しい車道を主人公たちは何度か横断する。単純だがこれが不安感を煽る。子供を抱いて渡る場面では実際はらはらしてしまった。
最後はまた無音のエンドロール。
原題:L’Enfant2005年 95分 ビスタサイズ ベルギー、フランス PG-12 日本語字幕:寺尾次郎
監督・脚本:リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ 撮影監督:アラン・マルコァン、カメラマン:ブノワ・デルヴォー カメラ・アシスタント:イシャム・アラウィエ 録音:ジャン=ピエール・デュレ 編集:マリー=エレーヌ・ドゾ 美術:イゴール・ガブリエル
出演:ジェレミー・レニエ(ブリュノ)、デボラ・フランソワ(ソニア)、ジェレミー・スガール(スティーヴ)、ファブリツィオ・ロンジョーネ(若いチンピラ)、オリヴィエ・グルメ(私服の刑事)、ステファーヌ・ビソ(盗品を買う女)、ミレーユ・バイ(ブリュノの母)
息子のまなざし
2006年07月29日 土曜日
早稲田松竹 ★★★★
■息苦しい距離感が、許しを突き抜ける
オリヴィエ(オリビエ・グルメ)が木工を教えている職業訓練所に、フランシス(モルガン・マリンヌ)という少年が入所してくる。前半(といってもわずか4日ほどの話なのだが)は彼が何者で、オリヴィエが何故異常なほど彼に興味を示すのかという点に絞られる。
カメラは最初から最後まで手持ちで、ほとんどオリヴィエの頭に近い位置にあり、彼だけしか映さないわけではないが、彼と行動を共にする。つまり映し出される映像はオリヴィエのバストショットか、背後から彼を追いかけるものとなる。部屋から部屋に移動し、階段を一緒に駆け下りたりする。カメラが車の中にいてオリヴィエを追えなくなって途切れるようなこともあるが(彼がカメラから遠ざかることで視界が開けたりする)、また次のシーンでは定位置に戻っているのだ。
情報はかなり限定されているといっていいだろう。なのに物語の進行に差し支えがないのは驚きだ。会話と狭い範囲の視覚で事足りてしまうのだから。
普段、人に近づくことはあってもここまで執拗に見続けることはしないだろう。そんな失礼なことはしやしないからだし、この映画のカメラだって別にオリヴィエ以外の誰かの目線というわけではなく、単純に対象を追ったものと考えればいいのだが、やはりこの距離感は息苦しい。この息苦しさは何なのだろう。対象に近づくことで底知れぬ感情が渦を巻いていることを意識せざるをえないからだろうか。が、近づいたからといって何を考えているのかは当然わからない。
フランシスは木工課を望んでいたらしいが、手一杯とオリヴィエは断ってしまう。が翌日になると、何故かフランシスのことが気になってしかたがない彼は、溶接課にまで出向きフランシスを引き取ることにする。
この謎は、オリヴィエの別れた妻マガリとの会話であっさり明かされる。彼らの子供はフランシスに殺されたというのだ。マガリはオリヴィエに犯人がいる訓練校を辞めるように言うが、彼は取り合わない。実は前日にマガリはオリヴィエに再婚と子供が産まれることを知らせに来たのだが、この日のやりとりを見ていると、彼らがうまく行かなくなったのは、子供が殺された事件が影を落としているのだと思えてくる。
オリヴィエはこのあともフランシスの後をつけたり、鍵を一時的に盗み出してフランシスの借りている部屋に入りこんだりする。ベッドに横たわって、こんな異常なことまでして、彼は一体何を考えているのか。何をしようとしているのか。
訓練校からの帰えりにフランシスを車に乗せ、それをマガリに見られて「何をする気、狂気の沙汰よ」と詰め寄られるが、彼女に対する答えからでは、オリヴィエにも自分の行動は説明できないようなのだ。
次の日の土曜、彼は車でフランシスを連れて木材の仕入に向かう。製材所は休みで誰もいないが、そこはオリヴィエの弟が経営者で、彼は鍵を持っているのだ。製材所で木材の種類や用途をフランシスに教え、フランシスもノートを見ながら熱心に耳を傾ける。
ここまでの過程で、彼はフランシスに、起こした過去の事件の経緯をしつこくたずねていたのだが、ついに「お前が絞め殺したのは俺の息子だ」と言ってしまう。逃げるフランシス。怖がらなくていいと言いながら追いかけ、捕まえるとフランシスの首に手をかける。
結局何事もなかったように手を離し、森から車に戻り木材を車に積み込みはじめるオリヴィエ。そこにフランシスが現れ、一緒にロープがけの手伝いをはじめる。
最後の共同作業は、和解であり、未来の共同作業さえ示しているかに見える。オリヴィエはいつからこんな聖人君子になったのか。マガリとの会話ではフランシスの受け入れを匂わせていたから不思議ではないし、復讐(首に手をまわしたとはいえ、そこまで考えていたわけではないだろう)がまったく反対の形に転化してしまうことだってないとはいえないが、それ以前に、ここまで興味を持ってフランシスに接触するということが私にはやはり不可解だ。
私にはこの共同作業は、まずあるべき「許し」という地点を突き抜けてしまっているように思うのだ。許すということ自体が大変だと思われるのに。が、おかしなことに突き抜けてしまったことで、逆にそういうこともあるかもしれないという感想も持てたのだが。
ただそれでも、4日間という設定は少し早急ではなかったか。だからってこのカメラにこれ以上振り回されるのは無理なのだが。つまりこの表現方法故の4日間だったのかもしれない。
特異なカメラではあるが、もちろんフランシス側の気持ちもオリヴィエを通して描かれてはいた。睡眠薬を飲まないと眠れない毎日。11歳で事件を起こし、5年間少年院に。母親には嫌われ、父の居場所も知らないという。目測で正確な距離を言い当てるオリヴィエを尊敬し、何かと面倒を見てくれる彼に後見人になってほしいとたのむ。振り返りたくないだろう事件のことも、後見人になるなら知る権利があると言われて、告白するに至る。サッカーゲームに興じ、オリヴィエに勝って少年院でも無敵だったとはしゃぐ……。
原題はたんに「息子」だが、邦題だと自分たちの息子のまなざしがすべてを見ているというような感じもする。オリヴィエは、息子を殺したフランシスに、自分の息子を重ねているのだろうか。まさか。
無音のエンドロールで息苦しさからは突然解き放たれるが、言葉にならないものはいつまでも消えることがない。
【メモ】
オリヴィエは自宅に帰ると、椅子を使った腹筋をしている。
マガリ「再婚するの」。オリヴィエ「よかった」。マ「あなたは誰かいないの」。オ「ああ」。マ「それと子供が産まれるの」。
マガリを下まで追いかけて。オ「何故今日来たんだ」。マ「休みだから」。オ「何故今日なんだ」。マ「診断が出たから」。最後は怒ったように訊いていた。
オリヴィエが無断欠勤の少年を訪ねるシーンも。面倒見がいいのだろう。教えることが好きだとも言っていた。
フランシスとの握手は拒否してたし、製材所行きの途中で立ち寄った食堂での勘定はワリカンだった。
原題:Le Fils
2002年 103分 ベルギー/フランス 日本語字幕:寺尾次郎
監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック=ピエール・ダルデンヌ 撮影監督:アラン・マルコァン キャメラ:ブノワ・デルヴォー 録音:ジャン=ピエール・デュレ 編集:マリー=エレーヌ・ドゾ 美術:イゴール・ガブリエル
出演:オリビエ・グルメ(オリヴィエ)、モルガン・マリンヌ(フランシス)、イザベラ・スパール(マガリ)、レミー・ルノー(フィリポ)、ナッシム・ハッサイーニ(オマール)、クヴァン・ルロワ(ラウル)、フェリシャン・ピッツェール(スティーヴ)、アネット・クロッセ(職業訓練所所長)
M:i:III
2006年07月30日 日曜日
TOHOシネマズ錦糸町-8 ★★★☆
■感情剥き出し男対冷眼冷徹冷酷男
娯楽アクション超大作の名に恥じぬデキで、目一杯楽しめる。トム・クルーズが爆風で車に叩きつけられる場面など、予告篇でいやというほど観ているのに、流れの中で観てまた感心してしまったくらいだ。
スパイは卒業して教官となり、ジュリア(ミシェル・モナハン)との結婚も控えているイーサン・ハント(トム・クルーズ)だが、教え子リンジー(ケリー・ラッセル)の救出に乗り出したことで、とんでもない事件に巻き込まれていく。教え子の死。黒幕デイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)の捕獲に、彼の逃亡。その瞬間、魔の手はジュリアに伸びる。彼女が捕らえられたことで、ハントには「ラビットフット」という謎の兵器を取り戻すという新たなミッション(脅迫)が与えられることになってしまう。
ハラハラドキドキのまま突っ走るが、さすがに最後の方では息切れしたのか、あれっという感じの終わり方に。で、冷静になって考えるとやはりアラが見えてくる。十分楽しんでおいてアラ探しちゅーのもなんだけど。
まずどうしても気になってしまうのが、一番の大仕掛けである橋の上の場面。デイヴィアンの救出に、小型ジェットやヘリがロケット弾で攻撃してくるのはさすが国際的な武器商人と思わせるが、しかし米国内でこんなことが可能なのか。
ここまで派手に暴れて米軍がこれを見落としたのなら、それは裏(それも相当上層部とのつながりでないと)があるってことになるし、それを考えないハントも能なしになってしまう。でもこれでIMFの組織内の裏切りがわかってしまうのでは、それもへんてこだ。そのために組織内裏切り(これも最近では鼻に付いてきたものな)にはもうひとひねりが用意されているのだろうけどね。でもやっぱりこれとは関係ないよね。
次はお得意のマスクのトリックで、今回はマスク製造器まで登場させているのは楽しくていいのだが、このトリックをデイヴィアンがハントを痛めつけるのに使う(冒頭の場面)っていうのはどうなんだろう。IMFだけでなく悪役までがこれを自在に使えるのでは、もうどんな話でも作れそうだ。それに付け加えるならば、デイヴィアンがハントの結婚相手のジュリアに身代わりを立てる必要はなにもないはずだ。
そのジュリアだが、はじめて銃を持たされてあの活躍はねぇ。ハントが頭に埋め込まれた爆弾の回路を電気ショックで切り、ショック死した彼を蘇生させるという荒技までやってのける(彼女は看護士なんでした)。まあ、大甘でこれも見逃して、でも最後にIMFの本部で組織の連中と彼女が打ちとけているというのは? 「スパイ大作戦」はあくまで謎の組織が、その指令テープまで一々消去していたと記憶していましたが。こんなにオープンな組織だったとは。だったらいっそジュリアも仲間だったというオチにすれば……ってそれじゃああんまりか。
最初に最後があれれと書いたのは、この他にハントが仲間と別れ、武器も携帯1つになっていくのに合わせるかのように(でも最後までチームプレーは強調されていた)、デイヴィアン側も人数が手薄になっていくことで、自分の救出劇にあれだけの物量をぶつけてきたデイヴィアンとはとても思えないのだな。
ベルリン、ヴァチカン、ヴァージニアと快調に飛ばしてきて、上海篇は少しふざけすぎなのよ。ビルに野球のピッチングマシーンでボールを投げるのも、ハントの走りも。この走りは正当派故にその挙動がかえっておかしいのだ(ジャンプもオリンピック選手のようだった)。あと、これははじめの方のパーティ場面に戻るが、ハントが唇を読んじゃって。ありゃ、怖いよ。会話への割り込みも含めて、あんなことしてるようじゃ結婚解消と思うが。で(また最後に)、最後に愛は勝つじゃあ、って笑っちゃ悪いか。
この『M:i:III』では、ハントが特に感情剥き出しでスパイらしくないのが見物(そこが欠点でもあり面白さでもあるのだが)。何しろミッションはリンジーやジュリアがらみで、つまりなにより彼自身のミッションに他ならない。だからその延長線上で、デイヴィアンに対する怒りが爆発し、飛行機の中での度を超した脅かしとなる。が、デイヴィアンはまったく動ぜず、逆にハントの運命を予言する。
このデイヴィアンの造形もなかなかだが、裏切り上司マスグレーブ(ビリー・クラダップ)の言い分がふるっていた。彼も国益と民主主義のために働いているらしいのだ。武器商人を泳がせることでテロ国家を攻撃する口実を作ると言うのだけど、屁理屈もここまでくると……って案外現実に近いか。米国が今やっていることだものね。
ところでこの映画で私が一番心を惹かれたのは、ハントとリンジーの関係だ。リンジーがハントにお礼をいう映像には胸が熱くなった。けれど、ああいう場面を見ると同僚のヴィング・レイムス(ルーサー)ではないが、「寝たのか?」と聞きたくなってしまう。ハントの答えは「彼女は妹のようだった」というもの。いや、そうでしょうとも。だってジュリアと結婚しようとしているんだから。でもね。教え子は女性でなくてもよかったような? でないと私のような下品な人間は、あらぬことを考えてしまいますがな。
【メモ】
「ラビットフット」とは一体何? 正体を明かさなくても十分物語は成り立つし、そういう演出もありなんだが。でも例えば生物兵器よ、と言われたら……あ、そう、で終わりか。
これも演出方法の問題だが、上海のビルに潜入したと思ったらハントは「ラビットフット」をもう手にしていた。侵入が今までは見せ場だったのにね。
ローレンス・フィッシュバーンは、最初の疑惑の上司ブラッセル役。堂々としていてさすがだ。
原題: Mission: Impossible III
2006年 126分 アメリカ 日本語字幕:戸田奈津子
監督:J・J・エイブラムス、脚本:J・J・エイブラムス、アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー、原作:ブルース・ゲラー、撮影:ダニエル・ミンデル、音楽:マイケル・ジアッキノ、テーマ音楽:ラロ・シフリン
出演:トム・クルーズ(イーサン・ハント)、フィリップ・シーモア・ホフマン(オーウェン・デイヴィアン)、ミシェル・モナハン(ジュリア)、ケリー・ラッセル(リンジー)、ヴィング・レイムス(ルーサー)、ローレンス・フィッシュバーン(ブラッセル)、サイモン・ペッグ(ベンジー)、ビリー・クラダップ(マスグレーブ)、マギー・Q(ゼーン)、ジョナサン・リス=マイヤーズ(デクラン)
日本沈没
2006年07月30日 日曜日
2006/7/30 TOHOシネマズ錦糸町-3 ★★☆
■日本半分沈没
なにしろ日本沈没である。日本が沈没するとなると1億2千万の全日本人(外人もいるけど、おおまかね)に、否が応でも劇的なドラマが訪れるわけである。つまりこの映画の登場人物は、選ばれし人物ということになる。
であるのに映画はいきなり、ハイパーレスキュー隊員である阿部玲子(柴咲コウ)によるアクロバチックな、少女(倉木美咲=福田麻由子)救出劇を用意する。女性隊員という設定もだが、あとの場面で彼女は長髪をなびかせたりするのだ。
のっけから細かいことに難癖を付けて申し訳ないが、なにしろ日本が沈没してしまうのだから、やはりここは相当マジで行きたいと思うのだ。
彼女と潜水艇のパイロットである小野寺俊夫(草彅剛)の恋愛話を、日本政府の対応に対極させる形にしたのは決して間違いではないし、「自分だけが幸せにはなれない」という彼女に突き動かされるように、最後は彼にも「俺にも守りたい人がいます」「奇跡を起こせます。起こしてみせます」とまで言わせるというのは悪くはない。
が、骨組みはよくても肉付け部分に難がある。神出鬼没の小野寺というご都合主義にはまだ目をつぶれるが、最初に書いた玲子の造型などが話を台無しにしている。ふたりのラブシーンでの妙な引き延ばしは『LIMIT OF LOVE 海猿』に比べれば、ずっと抑えてはあるのだが……。
次は、これはどうしてもはずせない田所博士(豊川悦司)だが、日本沈没の兆候発見者であるにもかかわらず、アメリカのすっぱ抜き?があってか、最初から迷走気味。これでは型破りな科学者というよりは、冷静さを欠いた行動ばかりが目立つただのマッドサイエンティストではないか。
政府の対応は、これまたあまりに心もとない。いい加減な連中を適当に配したのはわかるが、しかし山本首相(石坂浩二)は、髪型からしても小泉首相を意識しているのだろう。だからだね、中国訪問を前に、「どれだけ(日本人を)受け入れてもらえるか」と鷹森文部科学大臣(大地真央)に悩みをうち明けるのは。交渉難航は必然だものなー。
山本首相は続けて、未曾有の国難を前に「何もせず、愛する者と一緒に滅んだ方がいい」という特殊な意見が違う分野から出ていることについて、「こういう考え方が日本人なのかも」しれず、自分の考えもこれに近いと語る。しかし、この考え方のどこが日本人的なのだろう。本気でこのセリフを喋らせているなら問題ではないか。日本人は果たして特殊な民族だろうか。そう思い込みたいだけじゃないのか。
山本首相の死後(訪問に出かけた首相専用機が阿蘇山の噴火に巻き込まれるというお粗末な設定)、危機管理担当大臣にも任命されていた鷹森大臣が、元夫でもある田所博士の助言(これも訊くのが遅いんだよね)により、世界中の掘削船を導入して、プレート内部に爆薬を仕掛けるという最後の賭けに出るのだが、他の奴らは何をしているんだ! まあ、映画だから仕方ないのだけどね。
このあとの話の盛り上げ方も低レベル。各国の掘削船で何カ所にも爆薬を仕掛けながら、最終的には強力な爆薬を深海潜水艇から直接操らなければならないなんて。しかも最新の潜水艇は結城(及川光博)もろとも失われ、小野寺は博物館に展示されているすでにお払い箱となった旧式の潜水艇に乗り込むことになるのだ。掘削船だけじゃなく、潜水艇も借りろよ。
爆薬(N2爆弾の起爆装置?)すら予備がなくて、結城が落としてしまったものを拾うって! 日本が沈没しつつあるっていうのに、プレートのそばに落としたものが見つけられるわけがないでしょ! 小野寺の「特攻」を演出したかったのかもしれないが、あまりにひどい。そもそもアイディアは『アルマゲドン』だしね。
というわけで、日本はなんとか沈没をまぬがれるのでした。ずたずたに分断された島だらけの国となって残るのね。ありゃりゃ、ということは日本人がユダヤ人のような放浪の民族になったらどうなるか、という原作の壮大な意図はどこへ行ってしまったのだろう。
特撮はなかなかだし、なにしろ日本(半分)沈没なわけだから、どんな話をもってきても考えさせられることが多いわけで、それだけでも意味があると思うのだが、逆に自分に引きつけた物語を見つけようとすると、どうしても点は辛くなってしまうだろう。
こうなったら、毎年『日本沈没』の別バージョンを創り続けるか、もしくはマクロ的な、それこそ特撮に特化し個人の感情など徹底的に排除した、つまり蟻のような人間しか出てこない『日本沈没』というのは、いかがでしょう。観たいな、これ。いや、ホント。
【メモ】
旧作の『日本沈没』は東宝の製作と配給で、1973年12月29日に正月映画として公開された。小松左京の原作も1973年、光文社のカッパノベルスから上下2巻の同時刊行。
玲子が倉木美咲を救出する方法もどうかと思うが、美咲を引き取るのもおかしい。玲子は骨折で仕事を休むが?
「沈没することが明らかになった以上、唯一の救いは数10年後に起きることが今予測できたことだ」と、最初のうちはまだ余裕もあったのだが……。
「こうなってしまった以上何が大切ですか」「私は心だと思う」
デラミネーション。
鷹森大臣と田所博士は20年前に離婚。
仏像の運び出し場面。賄賂代わりに、国宝を手みやげ。
「命よりも大事な場合もあるの。人を好きだって気持ちは」小野寺俊夫に彼の母が言う。
「日本はアメリカに見捨てられた」というセリフは、アメリカを信用していない者にとっても唐突だ。これだけの大異変となると近隣諸国に及ぼす影響も大きいわけで、すべてのことが日本政府の決断と平行して国連がらみで進行していくのではないだろうか。
避難民が山の方へ向かうのはわかるが、富士山に向かって行く?
最新の潜水艇は「わだつみ6500」。展示品になっていたのは「わだつみ2000」。
最後の爆発時に、海上にはまだ船(掘削船だよね)が多数いたようだが?
2006年 135分 配給:東宝
監督:樋口真嗣 脚本:加藤正人 原作:小松左京 撮影監督:河津太郎 編集:奥田浩史 音楽:岩代太郎 特技統括/監督補:尾上克郎 特技監督:神谷誠 撮影協力:防衛庁、東京消防庁、JAMSTEC(独立行政法人 海洋開発研究機構)
出演:草彅剛 (小野寺俊夫 潜水艇パイロット)、柴咲コウ(阿部玲子 ハイパーレスキュー隊員)、及川光博(結城慎司 潜水艇パイロット)、石坂浩二(山本尚之 内閣総理大臣)、豊川悦司(田所雄介 地球生命学博士)、大地真央(鷹森沙織 文部科学兼危機管理担当大臣)、福田麻由子(倉木美咲)、吉田日出子(田野倉珠江 玲子の叔母)、國村隼(野崎亨介 内閣官房長官)、長山藍子(小野寺俊夫の母)、和久井映見(小野寺俊夫の姉)、六平直政、ピエール瀧、柄本明、福井晴敏、庵野秀明
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