ごくせん THE MOVIE

楽天地シネマズ錦糸町シネマ4 ★★

■路上同窓会(顔見せ大会)

『ごくせん』が何なのか、映画を観るまで何も知らなかったので(今回は何故か予告篇にも出会わなかったのだな)、ヤンクミとか言われても何が何だか、なのだった。

成田空港での、ハイジャック犯を投降させてしまう場面には少々面食らったが(それにこれは大分たってから教えてもらえるのだが、犯人説得って、ありえねー)、ヤンクミのキャラクターと行動パターンはすぐ理解出来るわかりやすさだった。というか脚本が単純すぎるという側面もあるのだが。

数々の事件だか難敵教え子だかを攻略してきたらしいヤンクミだが(だから知らないんだってば)、今度の生徒たちとはまだ馴染めるまでにはなっていなかった。そこにかつての教え子の小田切が、教育実習生としてやってくる。自分と同じ道を選ぼうとしている小田切の姿に、勘違い感動に震えるヤンクミは「一緒に生徒の為に汗を流そうじゃないか」と言うのだが、小田切は「いっそう暑苦しくなったな」とそっけない。大学には行ったもののいまだに何をしていいのか迷っているのだった。

極道一家に育てられたヤンクミ(それで「ごくせん」なのか、って鈍くてスマン)は、義理人情に厚く筋の通らないことには目をつぶっていられない。これは任侠映画の嘘部分の受け売りだから可笑しいのだけど、まあ、生徒(仲間)のためなら命がけ、というのはともかく、やたら昔の青春ドラマのノリで熱くなって「夕陽に向かって走るぞ」って、これ、今だとかえって受けるのかしら。

とにかくヤンクミがあり得ないキャラなので、そのつもりで観るしかないのだが、やっぱり暑苦しいのだった。ギャグも寒いし。

でも一番の欠点はやはり脚本で、生徒と他校生のいざこざが暴走族との対決にエスカレートしてしまうのもありきたなら、割のいいバイトにひかれた卒業生の風間が覚醒剤取引に関わってしまい、それが今をときめく花形IT企業の経営者黒瀬健太郎に繋がっていたというメインの話に至っては、みちゃいられないレベルだ。

んで、これはヤンクミならではなのかもしれないが、その悪玉の黒瀬にまで「もう一度償ってやり直せ」と説教を垂れるのだ。ちょっと前まで「絶対許せない」って言っていたのに(もっともこれは黒瀬が、ヤンクミが昔好きだった人に似ているという伏線があって、黒瀬の衆議院議員立候補演説にメタメタになってしまった自分が許せなかったとかね)。

こんな勘違い単細胞ヤンクミを大真面目で演じている仲間由紀恵は、偉いというか何というか、とにかく七年もこの役を演じてきた底力みたいなものがあった、って褒めすぎ? とはいえ、テレビの連続ドラマならともかく、このノリで二時間一気はきついのも確かだ。

ヤンクミの信念を通す支えは、彼女の格闘術(握力も強いのね)なのだが、これはヘボかった。今の技術ならもっとまともなアクション場面にだって出来るだろうに。でも結局は腕っぷしが強いというのはどうもねぇ。

私としては、ヤンクミが信念を通そうとすると、必ず大江戸一家や、今までヤンクミの世話になってきた誰かが、その手助けをしてしまう、または知らないうちに手助けしてしまっていたというような話にしてほしかったのだが。でもそれだと、イメージが違っちゃうのかしら。

キャストも全部テレビからのをそのまま移行しているらしく、映画は最初からヤンクミの「おっ、○○、久しぶり」の連発で、道を歩けばかつての教え子当たる、状態なのだった。なるほどこれは今までのテレビの集大成で、顔見せ大会でもあったわけだ。

  

2009年 118分 シネスコサイズ 配給:東宝

監督:佐藤東弥 プロデュース:加藤正俊 原作:森本梢子 脚本:江頭美智留、松田裕子 音楽:大島ミチル 主題歌:Aqua Timez『プルメリア ~花唄~』

出演:仲間由紀恵(山口久美子/赤銅学院数学教師)、亀梨和也(小田切竜/黒銀学院卒業生)、生瀬勝久(猿渡五郎/赤銅学院教頭)、高木雄也(緒方大和/赤銅学院3年D組)、三浦春馬(風間廉/赤銅学院3年D組)、石黒英雄(本城健吾/赤銅学院3年D組)、中間淳太(市村力哉/赤銅学院3年D組)、桐山照史(倉木悟/赤銅学院3年D組)、三浦翔平(神谷俊輔/赤銅学院3年D組)、玉森裕太(高杉怜太/赤銅学院3年D組)、賀来賢人(望月純平/赤銅学院3年D組)、入江甚儀(松下直也/赤銅学院3年D組)、森崎ウィン(五十嵐真/赤銅学院3年D組)、落合扶樹(武藤一輝/赤銅学院3年D組)、平山あや(鷹野葵/赤銅学院英語教師)、星野亜希(鮎川さくら/赤銅学院養護教諭)、佐藤二朗(牛島豊作/赤銅学院古典教師)、魁三太郎(鳩山康彦/赤銅学院世界史教師)、石井康太(鶴岡圭介/赤銅学院物理教師)、内山信二(達川ミノル/大江戸一家)、脇知弘(熊井輝夫/白金学院卒業生、熊井ラーメン)、阿南健治(若松弘三/大江戸一家)、両國宏(菅原誠(大江戸一家)、小栗旬(内山春彦)、石垣佑磨(南陽一)、成宮寛貴(野田猛)、速水もこみち(土屋光)、小池徹平(武田啓太)、小出恵介(日向浩介)、沢村一樹(黒瀬健太郎)、袴田吉彦(寺田雅也)、竹内力(鮫島剛)、金子賢(朝倉てつ/大江戸一家)、東幹久(馬場正義/赤銅学院体育教師)、江波杏子(赤城遼子/赤銅学院理事長)、宇津井健(黒田龍一郎/大江戸一家/久美子の祖父)

交響詩篇 エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい

テアトルタイムズスクエア ★★

テアトルタイムズスクエアにあったサイン入りポスター(部分)

■じじいには理解不能の萌えキャラファンタジー!?

骨格はSFながらファンタジー色が妙に強くてなじめなかった。観た直後の印象はそんなに悪いものではなかったのに、何かを書き残そうとしている今、よからぬ部分ばかりが浮かんできてしまうのだ。

宇宙からやってきた謎の生命体イマージュとの戦いがもう四十五年も続いていて……というSF部分の設定も、高度な文明体同士の戦いが長続きするはずがない、と断言したい口なので、同じぶっ飛び設定でも、ハリウッド映画にありがちな、危機があっという間に拡大して、でも意外にもお間抜けな解決策で目出度し目出度し、の方がまだしもという気がする。そういえば、戦いが長期化しているのは『ヱヴァンゲリヲン』もで、これは主人公の成長ドラマを詰め込むには、その方が好都合なのかと、余計なことを考えてしまう。

また、ホランド・ノヴァク隊長率いる戦闘母艦・月光号のメンバーは「ドーハの悲劇」(付けも付けたりだよね)の生き残りで、ある実験によって通常の三倍の早さで年をとるようになってしまっている。そういう部分と幼生ニルヴァーシュ(この造型も苦手だし、戦闘機?もニルヴァーシュって何なのさ。それに、レントンだけが幼生の言葉を理解出来る選ばれし者って言われてもな)を同居させてしまう神経が私には理解できない。

エウレカが人間でなく、どころかイマージュのスパイロボットというのもどこかで聞いたような話で、でもエウレカとレントンの一途な想いにはぐっときてしまう。と言いたいところだが、これも二人の感情の流れが見えすぎてしまうのが難点だろうか。二人が最初から好き合っているのはいいにしても、そればっかりでは(見せ方に工夫がないと)、観ている方は既定路線を押しつけられた感じになる。

まあここらへんは好みの問題なのだが、エウレカの幼児時代が、ロリコン萌えキャラみたいなのもねぇ。よくわかっていないのでそういうのとは違うと言われてしまうかもしれないが、とにかく、じいさんにはついていけなかったのだ(『ポケットが虹でいっぱい』という副題を見た時に気づくべきだったか)。

テレビ版の元アニメをまったく知らない門外漢が、的外れなことを長々と書いても仕方ないのでもうやめるが(きちんと理解出来ていないことが多くて書けないってこともある)、月光号に乗り込むようになったレントンでもまだ14歳だから、これを単純に少年少女ものと思えば、そして私がそうだった頃のものに比べたら、とんでもなくよくできている(複雑すぎるともいえる)のだけどね。

  

2009年 115分 ビスタサイズ 配給:東京テアトル

総監督:京田知己 アニメーション制作:ボンズ プロデューサー:南雅彦 撮影監督:木村俊也 美術監督:永井一男 音楽:佐藤直紀 主題歌:iLL『Space Rock』 アニメーションディレクター:斎藤恒徳 キャラクターデザイン:吉田健一 音響監督:若林和弘 特技監督:村木靖 色彩設計:水田信子 製作:バンダイビジュアル、バンダイナムコゲームス、ボンズ、博報堂DYメディアパートナーズ、毎日放送

声の出演:三瓶由布子(レントン)、名塚佳織(エウレカ)、藤原啓治(ホランド)、根谷美智子(タルホ)、山崎樹範(ドミニク)、小清水亜美(アネモネ)

今度の日曜日に

新宿武蔵野館2 ★★★

大麻所持で逮捕されちゃったのでポスターからも消されちゃった中村俊太

■興味を持つと見えてくる

ソウルからの留学生ソラと、中年の、まあ冴えない男との交流を描くほのぼの系映画。

ソラが実習授業で与えられた課題「興味の行方」の興味は、ヒョンジュン先輩をおいて他にないはずだったが、事情はともあれ、彼とは悲しい失恋のようなことになって、変な人物に行き当たる。それが学校の用務員の松元で、他にピザ配達と新聞配達をしているのは、彼が借金まみれだからなのだった。

交差しそうもない二人が自然と繋がりができていく過程はうまく説明されているし(でも松元のドジ加減や卑屈さは強調しすぎ。もっと普通でいい)、この組み合わせだと危ない話になってしまいそうなのだが、ユンナと市川染五郎のキャラクターがそれを救っていた。あと、松元の小学生になる息子が訪ねて来るんでね。本当に(ソラが)ただの学生だとお母さんに誓って言える、と指切りまでしちゃったら、悪いことは出来ないよな。

ソラが何故日本で映像の勉強をしているかというと(注)、母親の再婚話への反発がちょっぴりと、でも一番は、ビデオレターの交換相手で、想いを寄せる先輩と同じことをしたかったからなのだが、はるばる日本へやってくると、先輩は実家の火事で父親が亡くなり、行き違いで韓国へ戻ってしまっていたのだった。

ヒョンジュンを巡る話は、彼がソラに会うのがつらくて逃げていたという事情はあるにせよ、行き違いの部分も含めて少々無理がある。だから、最初は削ってしまった方がすっきりすると思ったのだが、でもソラの心の微妙なゆれは、留学を決めたときから最後のヒョンジュンの事故死(彼の役回りは気の毒すぎて悲しい)を聞くところまでずっと続いているわけで、そう簡単には外せない。

ヒョンジュンが死んだことを聞いて、ソラは、松元が集め心のよりどころにしていたガラス瓶を積んでいる自転車を倒してしまう。落ち込むソラを松元がアパートのドアの外から執拗に語りかける場面は、ここだけ見ると、おせっかいで迷惑にも思えるが、もうこの時にはお互いに踏み込んでいい領域はわかっていたのだろう。

それに二人で松元の子供を駅に見送るあたりから、松元はソラさんは強いから大丈夫などと言っていたから、ソラがどこかに寂しさを抱えていることを見抜いていたのだろう。ソラが松元に自分の気持ちを打ち明けているような場面はなかったはずだが。興味の行方を自分のような中年男にしたことで、松元は何かを感じていたのだろうか。

やっとドアを開けたソラから瓶を割ってしまったことを聞いた松元は、ソラがなんとか修復しようとしていた瓶を「人が悲しむくらいならない方がいい」と言って全部外に持ち出して割ってしまう。「瓶なんか割れたっていいんだ。大切なのはソラさんなんだ」とも言って。

ただ、ここと、クリスマス会(瓶で音楽の演奏する練習もしていたのに)にも来ないで、ありがとうという紙切れを残していなくなってしまう松元、という結末は説明不足だし唐突だ。ソラの「興味の行方」の映像も、これでは未完成のままだろうに。

映画のテーマは何だろうか。普段見過ごしているようなこと(人)も興味を持つと見えてくる、そんなところか。あまりにも普通すぎることだけど、多分みんな見過ごしているとが沢山あるはずだと思うから……。

そういえば「興味の行方」の課題が出た授業で、せっかく韓国から来たのだからと言う級友に、ソラは「あたし、韓国代表じゃありません」と言っていた。そして映画もことさらそういうことにはこだわらず、だから別段留学生でなくてもいい話なのだが、でも隣国の韓国ともこんなふうにごく自然に付き合っていけるようになってきたのなら、それはとてもいいことだ(と書いてるくらいだからまだまだなんだろうけど)。

注:留学先は信州の信濃大学という設定である。ロケは信州大学でやったようだ(http://www.shinshu-u.ac.jp/topics/2008/03/post-138.html)。

2009年 105分 ビスタサイズ 配給:ディーライツ

監督・脚本:けんもち聡 プロデューサー:小澤俊晴、恒吉竹成、植村真紀、齋藤寛朗 撮影:猪本雅三 美術:野口隆二 音楽:渡辺善太郎 主題歌:ユンナ『虹の向こう側』 企画協力:武藤起一 照明:赤津淳一 録音:浦田和治

出演:ユンナ(チェ・ソラ/留学生)、市川染五郎(松元茂/用務員)、ヤン・ジヌ(イ・ヒョンジュン/ソラの先輩)、チョン・ミソン(ハ・スジョン/ソラの母)、大和田美帆(伊坂美奈子/ソラの同級生)、中村俊太(大村敦史/ヒョンジュンのバイト仲間)、峯村リエ、樋口浩二、谷川昭一朗、上田耕一、竹中直人(神藤光司/教授)

恋極星

新宿武蔵野館2 ★

武蔵野館に掲示してあった戸田恵梨香と加藤和樹のサイン入りポスター(部分)

■思い出なんかいらないって言ってるのに

戸田恵梨香と加藤和樹のファン以外はパスでいいかも。

菜月を男で一つで育ててくれた父も今は亡く、残された弟の大輝は精神障害があり施設で暮らしているが、何かある度に施設を抜け出しては父の経営していたプラネタリウムへ行ってしまう。菜月は、大輝のことで気の抜けない毎日を繰り返していた。そんなある日、菜月は幼なじみの颯太と再会するが、彼も難病を抱えていて……。

こんな設定ではうんざりするしかないのだが、それは我慢するにしても颯太の行動はかなり一人よがりで(カナダから日本に4年前に帰っていて、このことは菜月もけっこうこだわっていたが、そりゃそうだよね)、病気ということを差し引いても文句が言いたくなってくる。

デートで菜月を待ちぼうけにさせてしまったのは病気が悪化してのことだからともかく、問題はそのあと態度だ。こうなることは早晩わかっていたはずではないか。いや、颯太の気持ちはわからなくはないんだけどね。私だってこんな状況にいたら自分の我が儘を通してしまいそうだから。でも映画の中ではもっとカッコよく決めてほしいじゃないのさ。

「私は思い出なんかいらない。もう置いてきぼりはいや」と菜月は言っていたのに。颯太はその時「もう1回この町に来たかった」と自分の都合を優先させていたけれど、菜月の言葉もそれっきり忘れてしまったのだろうか。

颯太の甘え体質(並びに思いやりのなさ)は母親譲りのようだ。颯太の死後、菜月に遺品を渡すのだが(「つらいだけかなぁ」と言いながら、でも「やっぱりもらってほしい」と)、それは菜月が望んだらでいいのではないか。菜月には思い出を押しつけるのではなく、嘘でも颯太のことは忘れて、新しい人生を生きてほしいと言うべきだった。

で、恋人の死んでしまった菜月だが、父親のプラネタリウムを再開して(取り壊すんじゃなかったの)健気に生きてます、だとぉ。生活していけるんかい。

菜月が流星群を見るために、町の人たちに必死で掛け合って実現した暗闇も、ちょっとだけど明かりを消してくれる人もいたんだ、というくらいにしておけば納得できたのにね(だって、ふんっていうような対応をされる場面を挟んでいるんだもの)。こういう映画にイチャモンをつけても仕方がないのかもしれないが、もう少しどうにかならんもんかいな。

2009年 103分 ビスタサイズ 配給:日活

監督:AMIY MORI プロデューサー:佐藤丈 企画・プロデュース:木村元子 原案:ミツヤオミ『君に光を』 脚本:横田理恵 音楽:小西香葉、近藤由紀夫 主題歌:青山テルマ『好きです。』

出演:戸田恵梨香(柏木菜月)、加藤和樹(舟曳颯太)、若葉竜也(柏木大輝/菜月の弟)、キムラ緑子、吹越満(柏木浩一/菜月の父)、熊谷真実(舟曳弥生/颯太の母)、鏡リュウジ

恋とスフレと娘とわたし

新宿武蔵野館2 ★☆

■子離れ出来ない過干渉母親と末娘の××話

いくら末娘のミリー(マンディ・ムーア)に男運がないからってネットで娘にかわって恋人を募集し自ら面接って、もうそれだけでげんなりしてしまう話なのだが、母親のダフネ(ダイアン・キートン)はそんなことをするくらいだから、一事が万事で、すべてに過干渉。ダイアン・キートンはよくこんな役を引き受けたものだ。

もっとも親娘4人はすこぶる仲良しで、揃って買い物やエステに出かけているから、ネットでの恋人募集まではダフネもそうはひどい母親ではなかったのか。コメディだから大げさにせざるを得ない弊害かもしれないが、「私の言葉は絶対」という神経にはついていけない。

ネット効果?でミリーの男運は急転。今までの相手といえばゲイか既婚者か異常者ばかりだったのに、数撃ちゃ当たる(とんでもない男達を次々に見せていくあたりは芸がない)でダフネのメガネにもかなう建築家のジェイソン(トム・エヴェレット・スコット)は現れるし、面接現場に居合わせたミュージシャンのジョニー(ガブリエル・マクト)までがダフネのやっていることに興味を持って、結果、2人共ミリーに好意を寄せてくることになる。

ジョニーは子持ちで右手の甲に刺青があって、だからかダフネには「浮気なギタリスト」と最初から嫌われてしまうのだが、「偏見あるコメントをありがとう」とジョニーの方は余裕の受け答え。この優しさと安心感がミリーを二股へと進ませるのだけど、二股はないでしょ。

当然それはバレて、でもミリーも本当の愛に気付いてという流れなのだけど、そしてミリーにもそれなりのお仕置きはあるのだけれど、バレてからの右往左往だから後味は悪い。

救いはジェイソンをイヤなヤツにしていなかったことだろうか。曾祖父のキャンドルをミリーが壊してしまって不機嫌になってしまうのだが、次には別の形見をミリーへのプレゼントとして持ってきて、ちゃんと謝っていた。なかなか見上げたものなのだ。ま、とはいえ相性が合わないのでは仕方ないんだが、でも「あなたといると自分じゃない」というミリーの断り方は、ひどいなんてもんじゃない。

ダフネは一時的に声が出なくなって大人しくなるのかと思ったら大間違いで、それでも最後にはミリーへのおせっかいは「あなたを私にしたくなかった」からで、もう二度とミリーの人生には干渉しないと言ってはいた。でもあなたを私にしたくないというセリフも、とどのつまりは娘を自分と同じと考えているようで、私には感心できないのだけど。

だから、改善されるかどうか疑わしいよね、ダフネのそれ。ただ彼女もこの騒動でジョニーの父といい仲になってしまったので、当分は自分のことに忙しいだろうから、観ている方はげんなりでも、この親娘にとってはこれでハッピーエンドなんでしょう。

スフレが何なのか知らなかった私。くだらない映画でも勉強になります。

原題:Because I Said So

2007年 102分 ビスタサイズ アメリカ 配給:東北新社 日本語字幕:佐藤恵子 字幕演出:川又勝利

監督:マイケル・レーマン 製作:ポール・ブルックス、ジェシー・ネルソン 製作総指揮:マイケル・フリン、スコット・ニーマイヤー、ノーム・ウェイト 脚本:カレン・リー・ホプキンス、ジェシー・ネルソン 撮影:ジュリオ・マカット プロダクションデザイン:シャロン・シーモア 衣装デザイン:シェイ・カンリフ 編集:ポール・セイダー、トロイ・タカキ 音楽:デヴィッド・キティ

出演:ダイアン・キートン(ダフネ)、マンディ・ムーア(ミリー)、ガブリエル・マクト(ジョニー)、パイパー・ペラーボ(メイ/次女)、トム・エヴェレット・スコット(ジェイソン)、ローレン・グレアム(マギー/長女)、スティーヴン・コリンズ(ジョー/ジョニーの父)、タイ・パニッツ、マット・シャンパーニュ、コリン・ファーガソン、トニー・ヘイル

GOAL! 2

新宿ミラノ3 ★

■おそろしくつまらない

ここまでつまらない映画というのも珍しい。最初から3部作ということが決まっていることが裏目に出たか。こんなことでワールドカップ篇が作れるのか心配になる(ちゅーか、今は観たくない気分)。

ガバン・ハリス(アレッサンドロ・ニヴォラ)の不振が続くレアル・マドリードは、補強策としてニューカッスルでゴールを量産しているサンティアゴ・ムネス(クノ・ベッカー)に白羽の矢を立てる(一足先にハリスはレアルに移籍してたのね)。日本での契約交渉を経てサンティは晴れてスター軍団レアルの一員となるのだが、婚約者のロズ・ハーミソン(アンナ・フリエル)に相談もなく決めてしまったものだから、彼女に不満がくすぶることになる。

契約に縛られたサンティの代わりにロズがイギリスからスペインに行ってばかりなのに、サンティの方は豪邸を買い、ランボルギーニを乗り回し、おまけに独身男ハリスの気ままな生活に影響されてと、ロザの疎外感には気付かなくはないのだが、まるで自分たちのことではないような気分でいるのだ。

第1作で成功への道を掴むまでの過程に比べると、すでにニューカッスルではスターで、さらにレアルの一員になって、スタメンとしては使ってもらえないものの「スーパーサブ」として活躍中とあっては、その華やかさに触れないわけにはいかなかったのだろうが、やはりこんなではサンティの心境同様に浮ついたものになるしかない。

それではあんまりと、ロザとの行き違いの他、エージェントのグレン・フォイ(スティーヴン・ディレイン)との決別などでサンティを苦しめるのだが、さらにサンティにとって父の違う弟エンリケ(ホルヘ・ガルシア・フラド)を登場させている。家を捨てた母のロサ(エリザベス・ペーニャ)がスペインで生んだ子という。

ただこのエンリケの描き方は雑で、話を壊している。父親がちゃんと酒場を経営しているのに、エンリケは貧困が不満で、兄なら何故助けてくれないとロサにあたる。それだけでなく、財布は盗むし、サンティのランボルギーニを乗り回して事故まで起こしてしまうのだ。まだ子供とはいえ、ここまでやらせてしまうと同情しにくくなる。ロサは、サンティは別世界の人とエンリケを諭すのだが、とはいえサンティが兄ということを教えたのはそのロサではないか。

母親との再会は、家族を捨てた女をどう説明するかにかかっていると思うのだが、これはロサを暴行した2人の1人が伯父で、父にも言えず家を飛び出し、3週間たって戻ってみたら誰もいなかった、と納得の理由を用意してみせる。が、ロサにただ弁解させているだけだから芸がない。物語は作れても、それをどう見せるかがわかっていないのである。

この他にも、初先発でのレッドカード、遅刻、監督との確執、エージェントに騙されたハリスがサンティの元に来ての共同生活、サンティの怪我、記者への暴行、美人キャスター、ジョルダナ(レオノア・バレラ)とのパパラッチ写真といろいろあるのだが、全部が何事もなかったかのようにおさまってしまうのだ。

なにしろ、1番難題なはずのロザとのことも、サンティの謝りの電話であっさり和解、ではね。で、そこには身重になっている彼女のカットが入っていた。女はどうしても男に振り回される立場になるものね。だから、そもそもロザの要求はサンティには酷。サンティがレアルに入ることを決めた時点で(これはロザでなくサッカーを選んだのだから)結婚を解消するか、ロザがスペインに行くしかなかったのだ。

あと話題(?)のベッカム、ラウール・ゴンサレス、ジダン、ロナウドたちとの夢の共演だが、ほとんどがロッカールーム要員という肩すかし。ベッカムはちょっと特別扱いになっていて(チラシもサンティ、ハリス、ベッカムの3人だものね)最後にはゴールを決め、レアルはアーセナルを破ってヨーロッパチャンピオンに。まあ、いいけどさ。それにそのベッカムももうレアルを離れる(た)んだよね。

それほど熱心なサッカーファンではないのでよくわからないのだが、サッカー場面は映像的にも一応様になっていたのではないか。ただ、試合の中でのそれを見せていたとはとても思えない。試合を映画で見せるのが難しいから、いろいろな要素を詰め込まざるを得なかったのだろうけど、それもことごとく失敗してたのはもうすでに述べたとおりだ。

原題:GOAL II: living the Dream

2007年 114分 スコープサイズ イギリス 配給:ショウゲート 日本語字幕:岡田壮平

監督:ジャウム・コレット=セラ 製作:マット・バーレル、マーク・ハッファム、マイク・ジェフリーズ 製作総指揮:スチュアート・フォード 原案:マイク・ジェフリーズ 脚本:エイドリアン・ブッチャート、マイク・ジェフリーズ、テリー・ローン 撮影:フラヴィオ・マルチネス・ラビアーノ プロダクションデザイン:ジョエル・コリンズ 音楽:スティーヴン・ウォーベック
 
出演:クノ・ベッカー(サンティアゴ・ムネス/サンティ)、アレッサンドロ・ニヴォラ(ガバン・ハリス)、アンナ・フリエル(ロズ・ハーミソン)、スティーヴン・ディレイン(グレン・フォイ/エージェント)、レオノア・バレラ(ジョルダナ・ガルシア/キャスター)、ルトガー・ハウアー(ルティ・ファン・デル・メルベ/監督)、エリザベス・ペーニャ(ロサ・マリア/サンティの母)、ホルヘ・ガルシア・フラド(エンリケ/弟)、ニック・キャノン(TJ・ハーパー)、カルメロ・ゴメス(ブルチャガ/コーチ)、フランシス・バーバー(キャロル・ハーミソン/ロズの母)、ミリアム・コロン(メルセデス/祖母)、キーラン・オブライエン、ショーン・パートウィー、デヴィッド・ベッカム、ロナウド、ジネディーヌ・ジダン、ラウール・ゴンサレス、イケル・カシージャス、イバン・エルゲラ、ミチェル・サルガド

こわれゆく世界の中で

シャンテシネ2 ★★☆

■インテリの愛は複雑だ。で、これで解決なの

ウィル(ジュード・ロウ)は、ロンドンのキングス・クロス再開発地区のプロジェクトを請け負う建築家で、仕事は順調ながらやや中毒気味。リヴ(ロビン・ライト・ペン)とはもう同棲生活が10年も続いていたが、リヴとその連れ子ビーの絆の強さにいまひとつ踏み込めないでいた。そのことが彼を仕事に没頭させていたのかも。

リヴはスエーデン人の映像作家。ドキュメンタリー賞を受賞していて腕はいいらしいが、ビーが注意欠陥・多動性障害(ADHD)で、そのこともあってかリヴ自身もセラピーを受けている。ウィルにとってはセラピーのことさえ初耳だが、リヴからは「仕事に埋もれ身勝手」と言われてしまう。ウィルは、僕もビーを愛していると言うのだが、言葉は虚しく2人の間を流れていくばかりだ。

そんな時、ウィルが新しくキングス・クロスに開設した事務所が、初日に窃盗に入られてしまう。実は警報機の暗証番号を替えるところを外から盗み見されていて、また被害にあいそうになるのだが、共同経営者のサンディ(マーティン・フリーマン)が事務所に戻ってきたため、泥棒たちは逃げ出す。

いくら治安の悪い地区とはいえ、ということで暗証番号をセットしたエリカに疑惑の目が向けられたり、でもあとでそのエリカとサンディが恋に落ちたり、また事務所を見張っているウィルが、この世で信じられるのはコンドームだけという娼婦と知り合いになって哲学的会話をするなど、物語は枝葉の部分まで丁寧に作られているのだが、とはいえどれもあまり機能しているとはいえない。

夜警でウィルは1人の少年(ラフィ・ガヴロン)のあとをつけることに成功する。彼の身辺を調べるうちに彼の母親のアミラ(ジュリエット・ビノシュ)と知り合い、ウィルは彼女に惹かれていく。ウィルの中にあった家庭での疎外感がアミラに向かわせたのだし、アミラもウィルをいい人と認識していたのだが、息子のミルサドが部屋にあったウィルの名刺を見て、ミルサドは自分のやっていたことが暴かれるとアミラにすべてを打ち明ける。

アミラとミルサドはボスニア内戦でサラエボから逃れてきて、今は服の仕立屋として生計を立てているという設定。ミルサドにロンドンに来なかった父のことを訊かれてサラエボの話は複雑とアミラも答えていた。当人がそうなら日本人にはさらにわかりにくい話なのは当然で、といってすんなりそう書いてしまっては最初から逃げてしまっているだけなのだが、彼らの話に入りにくいのは事実だ。

アミラのとった行動がすごい。ウィルと関係をもってそれを写真に収めミルサドを救う手段としようとする。「弱みにつけ込むなんて、私を利用したのね」と言っておいての行動なのだから決然としている。女友達の部屋を借り証拠写真でも手助けしてもらっていた。ボスニア内戦を生き延びてきただけのしたたかさが垣間見られるのだが、しかしそれだけで関係をもったのでもあるまい。

ここはもう少し踏み込んでもらいたかったところだが、結局ミルサドは別の形で捕まってしまい、物語は表面的には案外平穏なものに収束していくことになる。ウィルがアミラとの関係をリヴに打ち明け、つまりリヴの元に帰って行き、ミルサドを救う形となる。

あくまで誘われたからにしても、ミルサドから窃盗の罪が消えたとは思えない。15歳という十分責任能力のある人間に、これではずいぶん甘い話ではないか。が、ウィルによって「人生を取り戻せた」のも真実だろう(ラストシーンにもそれは表れている)。ミルサドが盗んだウィルのノートパソコンにあった、ビーの映像を見ている場面が入れておいたのは甘いという批判を避ける意味もあったろう。そして、被害者に想いを寄せられる人間であるなら、甘い決断もよしとしなければならないとは思うのだが、ま、これは私が人には厳しい人間ということに尽きるかもしれない。

ウィルとアミラのことがよく整理できないうちに、ビーがウィルの仕事現場で骨折するという事故が起き、このあとリヴがウィルに「あなたを責めないことにし」「悪かった」と言って、前述のウィルの告白に繋がるのだが、この流れもよくわからなかった。

ようするにこれは、いつのまにかお互いを見なくなっている(巻頭にあったウィルのモノローグ)夫婦が、愛を取り戻す話だったのだな。だけど、これを誰にも感情移入出来ないまま観るのは、かなりしんどいのである。最後にリヴが何もなかったように家に帰るのかとウィルを問いつめるくだりは新趣向なんだけど、基本的なところで共感できていないから、装飾が過ぎたように感じてしまうのだ。だって、ウィルとリヴの問題が本当に解決したとは思えないんだもの。

【メモ】

Breaking and Enteringは、壊して侵入する。不法侵入、住居侵入罪を意味する法律用語。

アミラは仕立屋をしているが、時間があると紙に書いたピアノの鍵盤を弾くような教養ある人間として描かれている。

キングスクロスについても何度も語られていたが、これも土地勘がまったくないのでよくわからない。「荒れ果てた地を僕たちが仕上げて、最後に緑をちらす」などというウィルの設計思想も映画で理解するには少々無理がある。

原題:Breaking and Entering

2006年 119分 シネスコサイズ イギリス、アメリカ PG-12 配給:ブエナビスタ・インターナショナル(ジャパン) 日本語字幕:松浦美奈

監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ 製作:シドニー・ポラック、アンソニー・ミンゲラ、ティモシー・ブリックネル 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、コリン・ヴェインズ 撮影:ブノワ・ドゥローム プロダクションデザイン:アレックス・マクダウェル 衣装デザイン:ナタリー・ウォード 編集:リサ・ガニング 音楽:ガブリエル・ヤレド 、UNDERWORLD

出演:ジュード・ロウ(ウィル)、ジュリエット・ビノシュ(アミラ)、ロビン・ライト・ペン(リヴ)、マーティン・フリーマン(サンディ)、レイ・ウィンストン(ブルーノ刑事)、ヴェラ・ファーミガ(オアーナ)、ラフィ・ガヴロン(ミロ/ミルサド)、ポピー・ロジャース(ビー)、マーク・ベントン、ジュリエット・スティーヴンソン、キャロライン・チケジー、ラド・ラザール

恋しくて

テアトル新宿 ★★

■どこが「恋しくて」なんだろう

幼なじみだった比嘉栄順(東里翔斗)と宮良加那子(山入端佳美)は高校に入って再会、加那子の兄清良(石田法嗣)の発言で、島袋マコト(宣保秀明)も一緒になってみんなでバンドを組むことになる。思いつきのように始まったバンドだが、同級生の浩も加わって自分たちの企画したバンド大会で優勝し、プロデビューの話が持ち上がる。

よくある話ながら、東京に行ってからのことはほとんど付け足しで、あくまでも主役は沖縄(石垣島)と言いたげな構成だ。「これが沖縄」という風景の中で、高校生たちがバンドに熱中していく様子がなんとも楽しい。沖縄だったら山羊も牛も喋りそうな気にもなるし(喋る演出が入るのだ)、恋も底抜けに明るくて、だから困ったことに恋という感じがしないのである。普通に生活しているうちに、自然に相手といることが多くなって、みたいな流れなのだ。

そのことは当人たちも感じたらしく、栄順は加那子に2人が付き合っているかどうかを確認する場面があるのだが、これがとてもいい。高校生にもなって清良と屁こき合戦までやってのけてしまう加那子のキャラが伸びやかで、でも堂々としているとまではいかなくて、仰天場面を見ても栄順にとっては恋の対象であり続けたのだと思わせるものを持っているのである。

ただバンドが東京に出ていくことになってやってくる2人の別れになると、それが加那子からの一方的な手紙ということもあって、まったくの説明口調になってしまっている。普通の恋物語にある出会いのときめき度が薄かったからという理由がここにもあてはまるのかもしれないが、でもそれだと何のためにずーっと2人(とバンド活動)を描いてきたのかがわからなくなってしまう。別れても「恋しくて」しかたがないのは、はっきりそう言っているのだからそうなのだろうが、やはり言葉ではなく映画的なものでみせてほしいのだ。

結局、BEGINのデビュー曲の「恋しくて」をタイトルに使ってしまったのがよくなかったのではないか。どうしてもそういう目でみてしまうもの。最後に主人公たちのライブ場面は、BEGINの新曲「ミーファイユー」の演奏場面にとってかわる。ようするに、そういう映画なのだろう。しかし私としては、イベントに登場してきた80年代のヒット曲や山本リンダにピンキラを歌う個性溢れる高校生バンドの熱演(しかしなんで古い曲ばかりなんだ)の方が楽しかったのだ。

加那子の家族についての挿話がどれもバラバラなのも気になった。清良が父探しの旅で、父の残した楽譜を見つけて帰るのだが、加那子が4歳の時に父が家出して(清良によって旅先の山で崖から落ちたことがわかる)以来、歌が歌えなくなっていたということにはあまり繋がってこない。

また、母のやってきたバーの仕事(経営者で歌手でもある)や、祖母の美容院の実体のなさは何なのだろう。清良がピアニスト代わりったって、それは最近だろうし、その清良がいなくなったからってバーを閉じるというのもとってつけた話のようで、このバーは与世山澄子に歌を歌わせたかっただけの装置にしかなっていないのだ。石垣島の大らかさといってしまえばそれまでなのだろうが、客を無視した美容院というのもねー。母と祖母の接点がないことも印象をバラバラなものにしてしまったのではないか。

 

2007年 99分 ビスタサイズ

監督・脚本:中江裕司 製作:松本洋一、松崎澄夫、渡辺純一、廣瀬敏雄、松下晴彦 プロデューサー:姫田伸也、新井真理子、町田純 エグゼクティブプロデューサー:大村正一郎、相馬信之 原案:BEGIN 撮影:具志堅剛 美術:金田克美 衣装デザイン:小川久美子 編集:宮島竜治 音楽監督:磯田健一郎 主題歌:BEGIN『ミーファイユー』 ラインプロデューサー:増田悟司 照明:松村志郎 整音:白取貢 録音:白取貢 助監督:瀬戸慎吾
 
出演:東里翔斗(比嘉栄順)、山入端佳美(宮良加那子)、石田法嗣(宮良清良)、宜保秀明(島袋マコト)、大嶺健一(上地浩)、与世山澄子(宮良澄子)、吉田妙子、國吉源次、武下和平、平良とみ(おばぁ)、三宅裕司、BEGIN

今宵、フィッツジェラルド劇場で

銀座テアトルシネマ ★★★☆

■名人芸を楽しめばそれでよい?

実在の人気ラジオ番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」(原題はこちらから)の名司会者ギャリソン・キーラー本人(出演も)が、洒落っ気たっぷりに番組の最終回という架空話をデッチ上げて脚本を書いたという。

そのあたりの事情は当然知らないのだが、映画の方の「プレイリー・ホーム・コンパニオン」は、ミネソタ州のセントポールにあるフィッツジェラルド劇場で、長年にわたって公開生中継が行われてきたのだという設定だ。が、テキサスの大企業によるラジオ局の買収で、今夜がその最終日になるという。

その舞台を、楽屋裏を含めほぼ実時間で追ったつくりにしているところなどいかにもアルトマンの遺作に相応しい(群像劇でもあるしね)。『ザ・プレイヤー』ではこれ見よがしの長まわしを見せられて気分を害したものだが(実験精神は買うが)、ここにはそういうわざとらしさはない。

リリー・トムリンやウディ・ハレルソンたちが次々と繰り出す歌や喋りを、それこそラジオの観客にでもなったつもりで楽しめばそれでいいのだと思う。なにしろみんな芸達者でびっくりだからだ(そういう人が集められただけのことにしてもさ)。メリル・ストリープが相変わらず何でもやってしまうのにも感心する(ファンでもないし他の人でもいいのだが、このメンバーでは彼女が1番わかりやすいかなというだけの話)。今回も歌手になりきっていた。

舞台の構成も興味深い。度々入る架空のCMが面白く、ギャリソン・キーラーの仕切ぶりや歌はさすが長年司会をやってきたと思わせるものがある。公開生番組といってもラジオだからいたって安手で、そもそも劇場も小ぶりだし、同じ芸人が何度も登場する。手作り感の残る親しみやすさが、最終日という特殊事情で増幅されて、登場人物の気持ちを推しはかざるを得なくなるという効果を生んでいるというわけだ。

むろんそんな感傷はこちらが勝手に作り上げたもので、ことさらそれは強調されてないし、実際湿っぽくなってもいない。陽気すぎるウディ・ハレルソンとジョン・C・ライリーのめちゃくちゃ下品な掛け合いは別にしても、それぞれ最後の舞台を、プロとしてそれなりにつとめていくるからだ。

例外は、チャック・エイカーズ(L・Q・ジョーンズ)の死だろうか。もっともこれとて白いトレンチコートの女(ヴァージニア・マドセン)を登場させるための布石という側面が強い。謎の女は、劇場の探偵気取りの警備係、ガイ・ノワール(ケヴィン・クライン)に、自分は天使のアスフォデルだと語る。

自分から正体を明かす天使もどうかと思うが、ノワールは、劇場に乗り込んできた首切り人のアックスマン(トミー・リー・ジョーンズ)を天使に追い払ってもらえないかと考える。で、よくわからないのだが、天使もその気になったらしく、すでにアックスマンの車に乗り込んでいて(神出鬼没なのだ)、一緒に帰って行く。

女はやはり天使だったらしい。アックスマンの車は事故を起こして炎上してしまうのだ。しかし、そのあとは「さらば首切り人、でも事態は好転しなかった」(ノワールのナレーション)だと。なるほどね。

先にわざとらしさはないと書いたが、こんな仕掛けの1つくらいは用意せずにはいられないのがアルトマンなのだろう。で、その結論も、すでに何事も諦念の域にあるかのようだ。そうはいっても、この天使の扱いはこれでいいのだろうか。ちょっと心配になる。エイカーズの死の際に「老人が死ぬのは悲劇でない」と言わせて、すでに点は稼いでいるのだけどね。

生放送の最後の余った時間に、ヨランダ(メリル・ストリープ)の娘ローラ(リンジー・ローハン)のデビュー場所を提供しているのも粋だ。老人の諦念だけでなく、ちゃんと次の世代の登場も印象付けている。

おしまいは、解体の進む劇場で(あれ、劇場もなくなってしまうんだ)ノワールがフィッツジェラルドの胸像(貴賓席に置いてあったもの)が置かれたピアノにむかっている。追い払われてしまうんだけどね。そして隣の食堂には、いつもの顔ぶれが集まっていた……。え、天使もかよ。

【メモ】

ロバート・アルトマンは2006年11月20日、がんによる合併症のためロサンゼルスの病院で死去(81歳)。

原題:A Prairie Home Companion

2006年 105分 シネスコサイズ アメリカ 日本語字幕:岡田壮平

監督:ロバート・アルトマン 製作:デヴィッド・レヴィ、トニー・ジャッジ、ジョシュア・アストラカン、レン・アーサー 原案:ギャリソン・キーラー、ケン・ラズブニク 脚本:ギャリソン・キーラー 撮影:エド・ラックマン プロダクションデザイン:ディナ・ゴールドマン 衣装デザイン:キャサリン・マリー・トーマス 編集:ジェイコブ・クレイクロフト 音楽監督:リチャード・ドウォースキー
 
出演:ケヴィン・クライン(ガイ・ノワール)、ギャリソン・キーラー(ギャリソン・キーラー)、メリル・ストリープ(ヨランダ・ジョンソン)、リリー・トムリン(ロンダ・ジョンソン)、ウディ・ハレルソン(ダスティ)、リンジー・ローハン(ローラ・ジョンソン)、ヴァージニア・マドセン(デンジャラス・ウーマン)、ジョン・C・ライリー(レフティ)、マーヤ・ルドルフ(モリー)、メアリールイーズ・バーク(ランチレディ)、L・Q・ジョーンズ(チャック・エイカーズ)、トミー・リー・ジョーンズ(アックスマン)、ロビン・ウィリアムズ

幸福な食卓

楽天地シネマズ錦糸町-4 ★★★☆

■崩壊家族とは対極にある家族の崩壊+恋物語

今日から中学3年生という始業式の朝、中原佐和子は、兄の直と一緒に「今日で父さんを辞めようと思う」という父(弘=羽場裕一)の言葉をきく。こんなことを言い出す父親が、いないとは言わないが、相当生真面目というか甘ったれというか……。

家族揃って朝食をとるのだから、きちんとしているのかと思いきや、これはかつての名残で、母親の由里子(石田ゆり子)は近所のアパートでひとり暮らしをしているし(なのに食事の支度はしにくるのだ。これは母さんを辞めていないからなんだと)、優秀だった兄は大学に行かず農業をはじめたというし、とりあえずは真っ当にみえる佐和子も、梅雨になると調子が悪くなるらしく、薬の世話になっていたようなセリフがある。

ただ崩壊家族にしては家族間の会話は濃密で、親子だけでなく兄妹の風通しだってすこぶるいい。そこだけを見れば理想の家族といっていいだろう。別居はしているものの、父が母のバイト先の和菓子屋に顔を見せる場面だってある。

それなのにどうしてそんな生活をしているのかは、3年前の父の自殺未遂にあるのだと、これはすぐ教えてもらえるのだが、その原因についての説明はほとんどない。直が父の自殺未遂を見てオレもこの人みたいになると感じ(父の遺書を持っているのは予防薬のつもりか)、子供の頃から何でも完璧にやってきたのが少しずつズレていったのだと佐和子に告白することが、間接的だが唯一の説明だろうか。いや、もうひとつ、母が父より頭がよかったらしく、そのことで気をつかっていたらしいのだが、何も気付かなかったことをやはり悔いていた。そうだ、まだあった(けっこう説明してるか)。やってみたかったという猫飯(みそ汁かけご飯)もね。でもこれは父さんを辞めてからだから、ということは父親はやってはいけないんだ(私はやるんだなー、これ。何でいけないんだろ)。

で、その父親は、教師の仕事を辞め、父親であることを辞め、もう一度大学(今度は医大のようだ)に行くと勉強を始め、夜は予備校でバイト。でも1年後には受験に失敗し浪人生に……。勉強の仕方をみて「父さんになっちゃってる」という佐和子だが、私には父を辞めるという意味がさっぱりわからない。直も「人間には役割があるのに、我が家ではみんなそれを放棄している」と言っていた。どうやら中原家の住人は、私と違って役割というものを全員が理解しているらしい。

どうにも七面倒臭い設定だが、それが鬱陶しくならないのは、もう1つの柱である佐和子の恋物語が、いかにも中高生らしい清々しいものだったからだ。

相手は始業式の日に転校してきた大浦勉学(勝地涼)で、空いていた佐和子の隣の席に。彼の家も崩壊しているというが、父は仕事、母は勉強、そして弟はクワガタのことばかり、とこちらはわかりやすい。もっともそれは大浦が明るく言っただけのことだが。とにかくこの大浦の快活さと決断力がなかなかだ(ハイテンションで強引という見方もできるが)。不器用でカッコ悪いのだけど、佐和子への愛情がいたるところににじみ出ているのだ(でも、勝地涼に中学生をやらすなよな)。

そんな大浦を佐和子も真っ直ぐに受け止める。一緒に希望の高校を目指し、合格。別のクラスながら学級委員になって活躍。合唱にのってこない級友たちを大浦の秘策で乗り切ったり、キスシーンも含めてふたりの挿話がどれも可愛いらしい。そしてクリスマスが近づいてくる。大浦の家は金持ちなのだが、彼は佐和子へのプレゼントは自分で稼いだ金でしたいと新聞配達をはじめ、佐和子も母と一緒にマフラーを編み始める……。

突然の勉学の事故死はよくある展開だが、映画はこのあともきっちり描く。

父と力を合わせて料理し、この家に帰ってこようかなと言う母のセリフを全部否定するかのように、佐和子は「死にたい人が死ななくて、死にたくない人が死んじゃうなんて。そんなの不公平、おかしいよ」と言うのだ。当の父を前にして。兄からの慰めの言葉もそうなのだが、私にはこういう会話が成り立つこと自体がちょっと驚きでもある。

このあと、大浦の母や兄の恋人である小林ヨシコとのやり取りを通して、佐和子もやっと父の自殺が未遂に終わってよかったと思えるようになる。大浦のクリスマスプレゼントの中に彼の書いていた手紙があって、というあたりはありきたりだが、内容が彼らしく好感が持てる。怪しいだけでいまいち存在理由のはっきりしなかった小林ヨシコ(さくら)も、最後になって本領発揮という慰め方をする(でもまたしても卵の殻入りシュークリームはやりすぎかな)。

佐和子がお返しのように大浦の家をたずね編んだマフラーを渡すと、大浦の母はもったいないから弟にあげちゃダメかしらと言う。コイツが全面クワガタセーターで現れるのがおかしい。弟には大きいのだが、その彼が息せき切って坂道を帰る佐和子を追いかけてくる。「大丈夫だから、僕、大きくなるから」と言う場面は、しかし私にはよくわからなかった。もっと短いカットなら納得できるのだが。

そして佐和子の歩いていく場面。最初のうち彼女は何度が後ろを振り返る(うーん)のだが、だんだんとしっかり前を見てずんずん歩いていく。最後はアップになっているので、正確にはどんな歩き方をしているのかはわからないのだが、4人の食卓が用意されつつある場所(のカットが入る)へ向かって。

ここにミスチルの歌がかぶる。「出会いの数だけ別れは増える それでも希望に胸は震える 引き返しちゃいけないよね 進もう 君のいない道の上へ」と。でも歌はいらなかったような。その方が「気付かないけど、人は誰かに守られている」(大浦は本当は鯖が嫌いなのに、佐和子のために無理して給食を食べてくれていて、これはその時のセリフ)という感じがでたのではないかと思うのだ。

 

【メモ】

瀬尾まいこの原作は第26回吉川英治新人文学賞受賞作。

食卓シーンは多い。葱を炒め、醤油と生クリームで食べるおそばも登場するが、どれも大仰でなく家庭料理という感じのもの。

大浦に携帯の番号を聞かれるが、佐和子は持っていない。言いたいことがあれば直接会って話せばいい、と。

2006年 108分 シネスコ

監督:小松隆志 原作:瀬尾まいこ『幸福な食卓』 脚本:長谷川康夫 音楽:小林武史 主題歌:Mr.Children『くるみ -for the Film- 幸福な食卓』
 
出演:北乃きい(中原佐和子)、勝地涼(大浦勉学)、平岡祐太(中原直)、さくら(小林ヨシコ)、羽場裕一(中原弘)、石田ゆり子(中原由里子)

氷の微笑2

楽天地シネマズ錦糸町-2 ★★☆

■きっと手玉に取られそう

『氷の微笑』の続編だが、すでにあれから14年もたつという。あのキャサリン・トラメル(シャロン・ストーン)が、前作と似たようなことを繰り広げるのだが、彼女が「危険中毒」というなら、14年間もおとなしくしていられたとはとても思えない。

舞台をアメリカからイギリスに移したのは、そこらへんを考慮してのことか。もっとも人気犯罪小説家なのだからアメリカもイギリスも関係なさそうだが。ただシャロン・ストーンが14年も続編を我慢できたのだから、それは可能か。失礼とは思うが、キャサリンのイメージをシャロンに置き換えるのはそう難しくないのだな(失礼どころか褒め言葉だよね)。

シャロンの自信はたいしたものだが、それができるのだから脱帽だ。観客は実年齢を知っているのだし。もっとも最初の車の疾走場面から、あんなにフェロモンをばらまかれたのでは、かえって引いてしまう。快楽優先主義者という設定なのだからこの演出は仕方がないのかもしれないが、観客サービスになっていない気がして心配になる。

思わせぶりな映画といってしまえばそれまでだが、話は十分楽しめる。ただし、今回の相手はマイケル・ダグラスに比べるといささか頼りない。デヴィッド・モリッシー演じるマイケル・グラス(何なのだ、この役名は!)は、犯罪心理学者で精神科医。ロイ・ウォッシュバーン刑事(デヴィッド・シューリス)からキャサリンの精神鑑定を依頼され、はじめのうちこそ自信満々でいたが、途中からはキャサリンに翻弄されっぱなしで、ただただひたすら転落していく。

犯人がキャサリンかウォッシュバーン刑事か、などと迷いだしているうちはともかく、いつのまにか昇進(というのとはちょっと違うのだろうか)話は立ち消え、最後には思いもよらぬ場所にいるマイケル・グラス。

キャサリンみたいのに捕まったら、きっと私もこうだろうなと思ってしまったものね。おー、こわ。

原題:Basic Instinct 2

2006年 118分 シネマスコープ アメリカ R-18 日本語字幕:小寺陽子

監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ 脚本:レオラ・バリッシュ、ヘンリー・ビーン 撮影:ギュラ・パドス プロダクションデザイン:ノーマン・ガーウッド 衣装デザイン:ベアトリス・アルナ・パッツアー 音楽:ジョン・マーフィ テーマ曲:ジェリー・ゴールドスミス
 
出演:シャロン・ストーン(キャサリン・トラメル)、デヴィッド・モリッシー(マイケル・グラス)、シャーロット・ランプリング(ミレーナ・ガードッシュ)、デヴィッド・シューリス(ロイ・ウォッシュバーン刑事)、ヒュー・ダンシー(アダム)、インディラ・ヴァルマ(デニース)