レディ・イン・ザ・ウォーター

新宿ミラノ1 ★★★

■アパートは世界なんだ。シャマランでなく、あの映画評論家に作ってもらいたかった

物語だけをたどってみると、そのくだらなさにうんざりしてしまうのだが、真剣に見てしまったのは何故か。でっちあげおとぎ話なのにね。

アパートの管理人をしているクリーブランド・ヒープ(ポール・ジアマッティ)の前にストーリー(ブライス・ダラス・ハワード)と名乗る女性が現れる。彼女は水の精で、素晴らしき未来をもたらす能力を秘めた若者に、その直感を与える使命を持って人間の世界にやってきたのだが、いまだ目的を果たせず、恐ろしい緑の狼に追われて、自分の世界にも戻れずにアパートの中庭のプールに身を潜めていたのだという。

いきなり、何だこりゃというような話になる。突飛だからか、巻頭に子供の絵みたいなもので、水の精の解説をしてくれてはいたが。そればかりか、韓国人系住人に伝わるおとぎ話までもってきて、しかもその通りに物語が展開していくんだから開いた口がふさがらない。

ヒープは、ストーリーの話が韓国人老婆の語るおとぎ話に符合することや、彼女と一緒だと吃音にならないこと、そして緑の狼を見るに及んで、ストーリーの話を信じ、アパートの住人と協力して彼女が無事元の世界に戻れるようにしようとする。

当然、ファンタジーらしい鍵がいくつもちりばめられていて、記号論者、守護者、職人、治癒者という、いわば世界を救う勇者探しがまずは急務となる。勇者たちが勇者であることを自覚していないのはお約束で、ヒープもストーリーを救ったことから自分を守護者と勘違いするくだりがある。もっとも記号論者がクロスワードパズル好きの親子だったように、この役割分担に特別の意味があるわけではなく、それは実際パズルのようなもので、その謎解き(よくわからんのだ)よりは、アパートの住人たちの中に勇者がいるということが大切なようだ。

ヒープは管理人という特技?を活かして協力者を捜し出す。選ばれし者たちの中には、彼にとっては厄介者だった若者のグループがいたりする。アパートには様々な人種がいるし、このアパートは小さいながら世界そのものを表しているのだろう。と考えると、これだけ壮大なテーマに、怪物まで引っ張り出しながら、アパートから1歩も出ないで映画が成立しているわけがわかろうというものだ。

それぞれはバラバラで孤独なようだけど、みんな繋がっているし、困っている人を差しのべることが、世界を救うことになる。きっと、こういうことが言いたいのではないだろうか。それに、これって当たってるよね。

ただ、その仕上げに重なるようにヒープの過去の重石まで解放されるあたりは、もうこれは好みの問題なのだが、まるで集団治癒の1場面みたいで感心できないし、緑の狼が猿のようなものに退治されるのも(もう少しマシなのを用意しろよな)、巨大な鷲につかまってストーリーが去る場面(あれっ、水の世界に戻るんじゃ)も、つまらなくて拍子抜けするばかりである。

要するに、立ち上がる、そのことが重要な訳だから、あとは韓国人老婆の語るおとぎ話通りでも問題ないのだろう(というかストーリーが物語をたずさえてやってきたと解釈すればいいわけだ)。でも、このおとぎ話にすでに結末があったということは、世界はすでに救われていることにならないだろうか。そうでないのなら、若者の著作によってみんなが目覚め、世界が救済されるのだという結末は避けるべきだった。

それにしても、あの映画評論家(ボブ・バラバン)は気の毒でした。読みが外れて、緑の狼の餌食とは(唯一の犠牲者じゃん)。シャマランにとっては、高慢な自説で好き勝手に映画を切り捨てるようなヤツは許し難いのかもしれないが、私は憧れちゃうな。あの映画評論家のような確固たる自説が持てるのであれば、世間に裏切られようとも、怪物の餌食になろうとも、さ。

  

【メモ】

体の右側だけを鍛えている若者(何だーコイツは)が守護者だった。

原題:Lady in the Water

2006年 110分 サイズ:■ アメリカ 日本語字幕:古田由紀子

監督・脚本:M・ナイト・シャマラン 撮影:クリストファー・ドイル 編集:バーバラ・タリヴァー 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
 
出演:ポール・ジアマッティ(クリーブランド・ヒープ)、ブライス・ダラス・ハワード(ストーリー)、フレディ・ロドリゲス(ジェフリー・ライト)、ボブ・バラバン(映画評論家)、サリタ・チョウドリー、ビル・アーウィン、ジャレッド・ハリス、M・ナイト・シャマラン、シンディ・チャン、メアリー・ベス・ハート、ノア・グレイ=ケイビー、ジョセフ・D・ライトマン

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