ノウイング

2009年7月25日 土曜日

TOHOシネマズ錦糸町スクリーン5 ★★☆

東京限定ポスターなんて書いてあるので写しちゃったが、田名部生来(AKB48)のことを宣伝してるだけらしい。日本語版イメージソングと同じかしらね。何でも便乗すりゃいいってもんじゃないだろうに。あ、でも、こうやって反面教師的にでも取り上げてもらえば向こうはいいのかもね。あー、片棒かついじゃったよ。

■ヒーローでも何でもなかった

見せ物と割り切らないと腹が立つ映画だ(でもまあ、楽しめちゃうんだが)。

で、その見せ物は主に大惨事スペクタクルなのだが、これが意外にも少なくて、惨事に限ると三つしかないのである(三つしかないのに、かなりの部分を予告篇で見せちゃってるのな。たくぅ)。が、その場面の見せ方は、なかなか心憎いものになっていた。

まずは、旅客機事故。息子のケイレブの迎えに遅れ、気の急くジョンだが、車が渋滞して動かない。前方で事故があり、この場所で今日、八十一人が死ぬことをちょうど突き止めたばかりのジョンは、車を降り事故現場へ向かうが、これは単なる交通事故で、でもその時、ジョンを牽制していた警官の顔がひきつり逃げ出してしまう。ジョンが振り向くと今まさに、機体を大きく斜めにした旅客機が送電線に引っかけながら、ジョンの方へ突っ込んで来るところで、そのまま目の前で機体は爆発炎上し、何人かは外に出てきたものの炎に包まれて逃げまどう場面へと有無を言わせずなだれ込んでいく。この一瞬にして地獄と化してしまう映像がものすごい。

二つめは地下鉄事故で、いかにも爆破犯でもいるかのような思わせぶりな演出ではじまるのだが(この前にはジョン自身が妙な行動をして追いかけられる)、地下鉄が暴走し、ホームにまで突っ込んで人を跳ね飛ばしてしまう場面は、これまた目を覆いたくなる。ただし、これはやりすぎで、少なくとも時間だけでも気持ち削った方が、嘘っぽくなくなったのではないか。

三つ目はもう人類(生物)消滅(ポスターは「地球消滅」だけど、それだと言い過ぎような)だから、ものすごいことになる。スケールも大きいが、逆にあれよあれよという感じだろうか。自分の居場所がわかるくらいでないと(登場人物たちの居場所は示されるが)、恐怖心も出てこない。

そう、これは、人類消滅の物語なのだった。

で、映画は何でか五十年前からはじめている。ルシンダという少女がタイムカプセルに入れる絵(のはずだったが)に謎の数字の羅列(時間切れで最後まで書けずに)を残し、それが五十年後に宇宙物理学者のジョン・ケストラー教授の息子ケイレブの手に渡るという手の込んだ話にしているのである。ただ、どうしてそうしたのかが、ちっともわからないのだ。

ルシンダが残した数字の羅列は惨事の予告で、日付と死亡者数に場所(座標軸)なのだった。そして、タイムカプセルで眠っていた五十年間で、そのほとんどが完了し(実際に起こり)、残りがあと三つになっていたというわけだ。

その事実を知ったジョン(9.11や妻が死んだ事故が含まれていたことが、解読の手がかりになる)が、次の惨事を阻止しようとするのだが(これが地下鉄事故になる)、むろんそんな手立てもなく、まあ結果として、右往左往するばかり、で終わってしまう。座標軸が示す交差点を封鎖するように電話をするが信じてもらえず、ムキになっていたけれど、大学教授なのだからそのくらいはわかりそうなはずなんだけどねぇ。

ジョンをそんな行為に駆り立てたのは、あの数字を自分への警告と受け止めたからのようだ。これは妻の事故が大きく影響していて、妻の死に何も感じなかったジョンは、偶然の重なりである未来のことなどわかるはずがないと思い知るのだが、数字の存在を知ってからは、これがあれば妻を救えたはずだと思うようになっていく。

これがさらに、私に救えと言っている、になるのだが、ジョンがそう思うのも無理はない。スーパーフレアが太陽で起きる可能性についての論文も出していたらしいし(それともそういう論文について教授仲間のフィルと話し合ったのだったか)、目の前で連続して起きた事故に、ルシンダ探しで知り合ったその娘のダイアナ(+孫のアビー)とで、ルシンダが書き残した残りの数字の続き(死は全ての人類にやってくる)を突き止めたのだから、ケイレブ経由で数字を手に入れたことは、ジョンにとってもはや偶然であるはずがなかったのだ。

けれどジョンの勘違いは、少々悲しい結末となる。自分は地球を救うヒーローでも、選ばれし者でもなかったのである。選ばれたのは息子のケイレブとダイアナの娘アビーなのだった。

でもまあダイアナの突然の事故死(これもルシンダによって予言されていた)よりははるかにマシだろうか。人類が滅んでいく中、不仲だった父親とも和解した場面も入っていたから。しかしそういうことを考えていくと、ダイアナが九歳の時に自殺したというルシンダなど不幸としかいいようがない一生ではなかったか(娘を授かった喜びとかはあったのだろうが)。何かに憑かれたように数字の羅列を書き殴った時からそのあとも、ルシンダの頭の中からはそのことが消えてくれなかったようであるから。

となると、あの予言(数字)は、別段五十年も眠っている必要があったのかどうかということになってしまう。それとも予言はしてやったのだから、あとは人類が決めることと冷ややかに宇宙人は傍観していたのだろうか。

すべてのことは宇宙人たちのもたらしたことで、だからこれだと宇宙人というよりは神(映像として出てきたのは天使?)になってしまうと思うのだが(予言の部分をなくし、スーパーフレアが起きることだけにすれば高知能の宇宙人の予測ということにもなるのだが)、神のやることは人間にははかりしれないという、超解釈で逃げているようにもみえる。ルシンダには情け容赦がないし、ケイレブとの不可解な接触(黒い石を渡しただけで去ったりしている)も、ケイレブに囁く声が聞ける能力があるかどうかを試していただけなのかもしれないが、やたら回りくどいものだからだ。

映画が何も説明していないのはずるいとしか言いようがないのだが、それにしてはエゼキエル書をもちだしたり、人類の再スタートをアダムとイヴのようにしたり、ジョンの確執の相手が神父だった父だったことなど、過剰な宗教色(欧米の感覚だとこのくらいは普通なのか)がなんともうるさい。

また「世界規模の大惨事」と言っているにしては、映画がはじまってからは、すべてジョンの周りのことばかりと世界規模にはほど遠いもので、最後の場面もルシンダが住んでいた家の側で、選ばれし者まで白人の男の子と女の子(と何故かウサギ二匹)というのもずいぶんな話ではないか。光る水晶の塊のような宇宙船は、ジョンのところでも十機ほどいたから、そしてこれが全世界でも同じことをしていたと考えればいいのかもしれないが、映画にそこまでの言及はなかった。

原題:Knowing

2009年 122分 シネスコサイズ 配給:東宝東和 日本語字幕:林完治

監督:アレックス・プロヤス 製作:アレックス・プロヤス、トッド・ブラック、ジェイソン・ブルメンタル、スティーヴ・ティッシュ 製作総指揮:スティーヴン・ジョーンズ、トファー・ダウ、ノーマン・ゴライトリー、デヴィッド・ブルームフィールド 原案:ライン・ダグラス・ピアソン 脚本:ライン・ダグラス・ピアソン、ジュリエット・スノードン、スタイルズ・ホワイト 撮影:サイモン・ダガン プロダクションデザイン:スティーヴン・ジョーンズ=エヴァンズ 衣装デザイン:テリー・ライアン 編集:リチャード・リーロイド 音楽:マルコ・ベルトラミ

出演:ニコラス・ケイジ(ジョン・ケストラー)、ローズ・バーン(ダイアナ・ウェイランド/ルシンダの娘)、チャンドラー・カンタベリー(ケイレブ・ケストラー/ジョンの息子)、ララ・ロビンソン(ルシンダ・エンブリー/ダイアナの母、アビー・ウェイランド/ダイアナの娘)、ベン・メンデルソーン(フィル・ベックマン/ジョンの同僚)、ナディア・タウンゼンド(グレース・ケストラー)、D・G・マロニー、アラン・ホップグッド、エイドリアン・ピカリング、タマラ・ドネラン、トラヴィス・ウェイト

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