蟹工船

2009年7月12日 日曜日

テアトル新宿 ★

SABU監督のコメントと撮影で使われた歯車とシンボルマークが描かれた旗。

■なまぬるさは現代的?

年に何本か体質的に受け入れられない映画にぶつかるが、この作品もそうだった。映画が素晴らしければそれを堪能すればよく、駄作であっても作品をけなしまくる楽しみというのがあって、意外とそれが面白かったりする。が、そういう気が起きない映画というのもあって、もうメモをとるのすら憂鬱なんである。あー、何から書きゃいいんだ。

とりあえず原作を読んだときに感じた悲惨さがまるでなかったことでも書いておくか。けど、私が原作を読んだのは四十年近くも前の話で、ほとんどと言っていいくらい何も覚えてないのだが。それに原作に忠実であればいいってもんでもなし……。

「今は何時だ。今日は何曜日だ」というセリフは、重労働が続いて時間の感覚がなくなっていることを訴えているのだろうが、この映画の蟹工船内にそんな感じはない。どころか、歯車(これも俺たちは歯車だ、というセリフにリンクさせたのだろうけどねぇ)を回している者はまだしも、蟹缶の仕分け作業など、見た目通りの軽作業にしか見えない。軽作業だから楽とは限らないが、その描きこみがない(言葉ではあっても)んじゃ話にならない。ま、それ以前にこの蟹工船での操業が、カムチャッカという凍り付くような北の海(特にこの部分)での、つまり逃げ場のない労働なのだ、ということすらあまり伝わってこないのだが。

長時間労働にしては全員で議論したり愚痴り合ったりする時間が案外たっぷりあるようで、だから労働はきついのだろうが、搾取されているという図式までにはならない。なにしろ、みんなが語り出すこれまでの貧乏生活自慢の方が、蟹工船より悲惨に見えてしまうのだ。このイメージ映像は逆効果としか思えないものではあるが、貧乏比べになっているだけまだ見ていられるのだが、これと対になっているかのようなお金持ち(に生まれ変わったら)イメージ映像の陳腐さといったらなく、監督の感性を疑いたくなった。

その貧乏自慢を後ろ向きと決めつける新庄が、前向きだからと提案するのが集団自殺。どうやっても勝てないから来世に賭けるというのだが、そんな妄想でみんなを煽動するなんてどうかしている。お前が一番後ろ向きだとか、死にたくないという奴もいたのに、そろそろ楽になろうぜと、という新庄の言葉に、いつのまにか全員で首つりをしようとしているのだからたまらない。船が大きく揺れたものだから踏み台が外れて未遂に終わる、って、これも馬鹿らしい。

運良くロシア船に救助された新庄と塩田は、ロシア船で歌って踊って思想転換?し、またまた運良く帰ってきて、今度は死ぬ話ではなく生きる話、とみんなが夢を語る方向へと持って行く。けど、やっていることに真実味がないし、自殺に比べたら大分マシな話とはいえ、またしても煽動されてしまう労働者どもの主体性の無さも気になる。

こんなだから彼らは、監督の浅川の言動の矛盾にも気づきもしないのだろう。浅川は蟹工船の操業を国家的事業と位置づけ、人口増に対する食料政策は日本とロシアの戦争でもあるという。そのくせ同じ蟹工船の秩父丸が救助を求めてきた時も、沈んだら保険金が入ってかえって得するなどと言っていた(これは船長への脅し文句だが)。浅川にとっては日本とロシアの戦争ではなく、他の蟹工船との戦争(=自分の成績)にすぎないことは他の場面でも明らかなのに、これについては追求されることがない。

「俺は人間の体力の限界を知っている」などと言ってはキレまくっている浅川だが、彼のしごきが空回りに見えてしまうのは、労働者の方に最初に書いたような切実さがないからだろう。だから、浅川によって絶望感がもたらせられる、という図にはならず、「俺たちの未来は俺たちの手で勝ち取ろう」という蜂起にどう繋がっていったのかもよくわからない。新しい言葉が発せられて、それになびいただけ、という印象なのだ。

だから、どうしてそうなったかがわかりにくいのだが、労働者たちは団結して浅川たちを追い詰める。が、これは日本軍の駆逐艦がやってきて、あっけなく鎮圧されてしまう。

代表者となっていた新庄の死で「代表者なんか決めなければよかった。俺たちは全員が代表者なんだ」と再度みんなが目覚めたところで終わりになるのは、多分原作がそうなのだろうが、いかにも甘い。もう一度同じことが起きたらどうするつもりなのか、何の回答も示されてないというのに。原作は悲惨さは描けていたからまだしも(というかそれ以上の比較が私には出来ないだけなのだが)、映画にはそれがないから、団結場面はおよそ現実感のないものにしか見えなかったのである。

こう言ってしまっては悪いが、映画が小説の人気に便乗したのは間違いなく、そして小説がワーキングプアに受け入れられたにしても、入場料が千八百円の映画を彼らが観るかといえばそれはあまり考えられないし、となるとこの映画は誰に観てもらいたくて制作したのかという話になってしまう(とりあえず『蟹工船』ブームで、『蟹工船』が何かを知りたい人とかは観るのかしら。でもだとしたらもう遅いような?)。

むきだしの歯車を並べた現場や、太い管が積み上げられたような労働者に割り当てられたベッド、こういうセットも内容で躓いているので、ただ奇異なものとしか映らない。タコ部屋的状況を表したいのだとしたらいかにも中途半端だろう。歯車の中に人の手を三本組み合わせた旗や鉢巻きにさえ、労働者たちの妙な余裕に思えてしまう。やはり過酷な労働という部分をおろそかにしたことが全てを台無しにしてしまったようだ。

が、よくよく考えてみると現代の労働環境が、小林多喜二の『蟹工船』ほど過酷とは考えられず、このなまぬるさは案外現代的なのかもしれない。

 

2009年 109分 ビスタサイズ 配給:IMJエンタテインメント

監督・脚本:SABU プロデューサー:宇田川寧、豆岡良亮、田辺圭吾 エグゼクティブプロデューサー:樫野孝人 原作:小林多喜二 撮影:小松高志 美術:磯見俊裕、三ツ松けいこ 編集:坂東直哉 音楽:森敬 音楽プロデューサー:安井輝 主題歌:NICO Touches the Walls『風人』 VFXスーパーバイザー:大萩真司 スクリプター:森直子 スタイリスト:杉山まゆみ ヘアメイク:河野顕子 音響効果:柴崎憲治、中村佳央 照明:蒔苗友一郎 装飾:齊藤暁生 録音:石貝洋 助監督:原桂之介 スーパーバイジングプロデューサー:久保田修 共同エグゼクティブプロデューサー:永田勝治、麓一志、山岡武史、中村昌志

出演:松田龍平(新庄/漁夫)、西島秀俊(浅川/監督)、高良健吾(根本/雑夫)、新井浩文(塩田/漁夫)、柄本時生(清水/雑夫)、木下隆行(久米〈TKO〉/雑夫)、木本武宏(八木〈TKO〉/雑夫)、三浦誠己(小堀/雑夫)、竹財輝之助(畑中/雑夫)、利重剛(石場/漁夫)、清水優(木田/漁夫)、滝藤賢一(河津/雑夫)、山本浩司(山路/雑夫)、高谷基史(宮口/雑夫)、手塚とおる(ロン/支那人)、皆川猿時(雑夫長)、矢島健一(役員)、宮本大誠(船長)、中村靖日(無電係)、野間口徹(給仕係)、貴山侑哉(中佐)、東方力丸(大滝/釜焚き係)、谷村美月(ミヨ子)、奥貫薫(清水の母親)、滝沢涼子(石場の妻)、内田春菊(久米の妻)、でんでん(和尚)、菅田俊(畑の役人)、大杉漣(清水の父親)、森本レオ(久米家の通行人)

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