ボルベール〈帰郷〉

シネフロント ★★★

■男なんていらない

映画のはじまりにある墓地の場面で、大勢の女たちがそれぞれの墓を洗い、花を飾っていた。墓石の形も花も違うのだが、スペインの風習も日本のそれとそうは変わらないようだ。強い日差しと風のせいもあるのかもしれないが、女たちの表情が、死者を想って悲しみいたむというより、自分たちの中から湧き出る生を抑えきれずにいるという印象。男たちの姿がほとんど見えないのは本篇と同じで、生と死をめぐる女たちの話にふさわしい幕開けとなっている。

15歳の娘パウラ(ヨアンナ・コボ)からの連絡で家に戻ったライムンダ(ペネロペ・クルス)は、パウラが夫のパコを殺害した事実に驚くが、パコに本当の父親ではないのだからと関係を迫られ、包丁で刺してしまったと聞くと、パウラにはパパを殺したのはママだと記憶に刻めと言って、警察には届けず遺体を始末する決意をする。

それはないだろうと思ってしまうから、居心地の悪いまま映画を観ることになるのだが、これにはちゃんとした理由があるのだった。もちろん、理由がわかるのは映画も後半になってからである。ライムンダもやはり酔った父親に強姦されて、身籠もった子がパウラだったというのだ。つまりパコの自分は父親でないという発言は本当だったわけだ。

パコは失業したというのに飲んだくれて(これは失業したから、なのかも)、自慰だけでは性欲を発散できずに娘に手を出してしまうのだから、とんでも男でしかないのだが、ライムンダはパコの死体を彼が好きだった場所に運んで埋め、そこにある木を墓に見立てて生年などを刻んでいたから、パコを全否定しているわけでもなさそうだ。

もっともいくら娘のためとはいえ、死体を隠してしまうのだからあまり褒められたものではない。たまたま休業になって鍵を預かっていた隣のレストランの冷蔵庫に、死体をとりあえず入れてしまうのはわからなくもないが、それを冷蔵庫のまま運び出すのはどうか(調べられたらすぐばれてしまうだろう)。女たちの連係プレーを演出したかったのかもしれないが、埋める時点では協力者は娼婦だけだから、穴を掘るのだって無理そうなのだ(あまりくだらないところにケチを付けたくないんだが、これはちょっとね)。

パウラが事件を起こした時に入ってきたのが、故郷のラ・マンチャに住む伯母の死の知らせ。巻頭の墓掃除は、姉のソーレ(ロラ・ドゥエニャス)とパウラの3人でボケだした伯母を見舞った折りのことだったが、事件を抱えたライムンダは、今度は帰るに帰れず、ソーレと伯母の家のそばに住むアグスティナ(ブランカ・ポルティージョ)に葬儀のことを任せるしかない。

ライムンダは葬式から戻ったソーレの自宅兼美容室を訪ねるが、何故かそこに4年前に死んだはずの母イレーネ(カルメン・マウラ)の匂いと影を感じる……。

イレーネについてはソーレも死んだと思っていたのだが、本人が噂通りに現れてびっくりという展開(どうせ姿を現すのだから車のトランクに隠れることはないと思うが)。仲の悪かったライムンダには会わせられないと、映画はちょっとコメディタッチとなる。イレーネをロシア人だと客まで騙したり、というようなのもあるのだけど、そういうのではなく、たとえば、まだ死体のあるレストランにライムンダがいる時、ちょうど近所に来ていた映画の撮影隊が食事のできる場所を探していて、ライムンダはオーナーの不在をいいことに、近所の女たちの手や食料品を借りて、勝手にレストランを開いてしまったりするというような。

ペドロ・アルモドバルの作品を観るといつも感じることなのだが、この人にはやはり独特の感覚があるということだ。肯定できる時もできない時にもそれはあって、うまく表現できないのだが、自分とは違う人種だと感じざるを得ない。この作品の場合だと、死体を作っておいてのこの悠長さ、だろうか。それを恐れているのでも楽しんでいるのでもない、というのがどうもわからないのだ。

それはともかく、レストランは評判で、次の予約までもらってしまい、打ち上げパーティの席では、ライムンダはイレーネに教わったという『Volver』を歌う。歌も聴かせるが(ペネロペ・クルスが歌っているかどうかはエンドロールで確認できなかった)これを隠れていたイレーネが聞いていて、2人の和解へと繋がっていく。

ただ、ここからの展開はどうしてもイレーネによる説明となるので少々飲み込みにくい。イレーネの夫は彼女を死ぬまで裏切り続けていて、アグスティナの母親と浮気をしていたというのだ。4年前の火事で死んだのは夫と浮気相手で、イレーネはそのこと(火を付けたのも彼女)で身を隠していた。

ライムンダがイレーネと確執を持つに至ったのは、父の強姦をイレーネがどう対処したかによるだろう。ライムンダにしてみれば、自分がパウラにしたように自分を守って欲しかったはずだが、そこらへんははっきりしたことがわからない。イレーネは「許して欲しくて戻った」と言っているのだから、そしてライムンダがそのことを納得したのならそれで十分だろうか。

しかし、ライムンダの事件は彼女が10代の頃で、父とアグスティナの母親の死は4年前だから、それまでに10年という月日が経っていることになる。これはずいぶん長いから、4年前の真相をライムンダが知ったとしても気が晴れはしないだろう。イレーネもそのことはわかっているのだろう。それに2人を始末したのは、娘のためというよりはやはり自分のためだったはずだ。ライムンダと暮らすのではなく、アグスティナの最期に付き合おうとするのはそのこともあるのではないか。

複雑になるので触れなかったが、アグスティナは不治の病になってしまい、彼女にとってもヒッピーの母の失踪は気になるのだろう、ライムンダにイレーネが本当に現れたら(最初は幽霊の噂が立っていた)母のことを訊いてくれと何度も言われていたのだ。

ライムンダはイレーネにパコのことを話そうとする。イレーネの答えは「あとでゆっくり聞きましょう」というもの。この感覚はいい。

それにしても男達をここまで愚かに描く意図がわからない。アドモバルの女性讃歌。物語を作った結果。ま、どうでもいいか。それにパコなんて姿を消しても誰も気にもしないし、彼の捜索で警察が動いたという形跡もないのだ。まるで男なんていらない、といってるような映画なのである。でもさー、だったら胸を強調するような服をペネロペ・クルスに着せて、胸元を真上から撮る必要はないよね。

原題:Volver

2006年 120分 シネスコサイズ スペイン 日本語字幕:松浦美奈 配給:ギャガ・コミュニケーションズ

監督・脚本:ペドロ・アルモドバル 製作:エステル・ガルシア 製作総指揮:アグスティン・アルモドバル 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 編集:ホセ・サルセド 音楽:アルベルト・イグレシアス

出演:ペネロペ・クルス(ライムンダ)、カルメン・マウラ(イレーネ/母)、ロラ・ドゥエニャス(ソーレ/姉)、ブランカ・ポルティージョ(アグスティナ)、ヨアンナ・コボ(パウラ/娘)、チュス・ランプレアベ(パウラ伯母さん)、アントニオ・デ・ラ・トレ(パコ/夫)

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