蒼き狼 地果て海尽きるまで

2007年4月8日 日曜日

新宿ミラノ3 ★★

■内容以前で、どうにも恥ずかしい

どこの国の話でも英語で処理してしまうアメリカ映画の臆面のなさには辟易していたが、まさか同じことを日本の映画界がしでかすとは(大映が制作した『釈迦』という映画が大昔にあったが観ていない)。しかもいくら同じモンゴロイドとはいえ、日本人が主要キャストを独占していては、比較するのは無理ながら『SAYURI』の方がずっとマシではないか。韓国人のAraはいるが、モンゴル人ではないしね。といって何人かをモンゴル人にしていたら、かえっておかしなものが出来てしまっていただろう。

チンギス・ハーンには高木彬光の『成吉思汗の秘密』以前から成吉思汗=義経説というのがあって、日本人には馴染みが深いということも選ばれた理由の1つと思われるが、そうはいっても21世紀にもなって日本人による日本人のチンギス・ハーンというのは恥ずかしすぎる。

角川春樹は1990年にも『天と地と』で、似たようなことをしているが、あれはロケ地はカナダながら、あくまで日本の話だからその点では問題はなかった。ただ人海戦術映画という点では同じだ。『天と地と』は大味な映画だったが、人間の趣向というのはあまり変わらないようで、昔も今も大作好みなのだろう。好みの差は差し引いても、30億の制作費をかけるべき映画になっていたとは思えない。

確かにスケール感はアップしそれなりの臨場感は出てはいるが、戦闘場面全部が似たような印象では同じものを引用しているようで、ありがたみが少なくなってしまう。それにこういうのは、敵との位置関係、戦力、戦術などがわからないと盛り上がらないと思うのだが。

多数のエキストラを背景にしたチンギス・ハーンとなるテムジンの即位式に至っては、退屈なこともあるが、エキストラがモンゴル人だということを意識してしまうと、これはただただ恥ずかしいとしか言いようがない。

それには目をつぶっても、物語が全体に説明口調なのはいただけない。テムジン(反町隆史)が部族を統一し、金に勝ち、大帝国を築きあげていく流れはヘタな説明でもわかる。が、そこに至る戦いにどんな意味があったのかという部分が、ナレーションに頼りすぎていることもあって、いかにもお座なりな感じがしてしまうのだ。

少年時代にテムジンとかわした、生涯にわたり裏切らないという按達(あんだ)の誓いを、信頼の証ではなく裏切りを恐れる不信の証で、子供の遊びにすぎないと言い放つジャムカ(平山祐介)との宿命の戦いや、2人を巻き込んだ、モンゴルの大部族の長でテムジンの父イェスゲイ(保阪尚希)とは按達のトオリル・カン(松方弘樹)との関係もしかり。

ただ、母のホエルン(若村麻由美)だけでなく妻のボルテ(菊川怜)までもが略奪され、共に父親のわからない子を出産し、それが母の場合はテムジンであり、妻の場合はテムジンがよそ者という意味の名を付けたジュチ(松山ケンイチ)という話は巧妙だ。悲劇の主人公となるジュチの悲しみがかつてのテムジンの悩みに重なるし、そこには女性の視点も入っているからだ。

もっともこれはクラン(Ara)という、やはりはじめは敵ながらテムジンに寵愛される女兵士が登場することで、ボルテは消えたようになってしまうから、女性の視点など忘れてしまったかのようだ。私もクランにはクラクラしてしまったから、テムジンと一緒で、女性の気持ちなどいい加減にしか考えていないのかも(クランにとってはそうではないにしても)。余談はともかく、そういう部分をこういう大作で描くのはやっぱり難しいんでしょうね。

  

2006年 136分 シネスコサイズ 

監督:澤井信一郎 製作:千葉龍平 プロデューサー:岡田裕、徳留義明、大杉明彦、海老原実 製作総指揮:角川春樹 原作:森村誠一『地果て海尽きるまで 小説チンギス汗』 脚本:中島丈博、丸山昇一 撮影:前田米造 特撮監督:佛田洋 美術監督:中澤克己 編集:川島章正 音楽:岩代太郎 主題歌:mink『Innicent Blue~地果て海尽きるまで~』  照明:矢部一男 第2班監督:原田徹 録音:紅谷愃一

出演:反町隆史(テムジン/チンギス・ハーン)、菊川怜(ボルテ)、若村麻由美(ホエルン)、Ara(クラン)、袴田吉彦(ハサル)、松山ケンイチ(ジュチ)、野村祐人(ボオルチュ)、 平山祐介(ジャムカ)、池松壮亮(少年時代のテムジン)、保阪尚希(イェスゲイ・バートル)、苅谷俊介(チャラカ)、今井和子(コアクチン)、唐渡亮(イェケ・チレド)、神保悟志(タルグタイ)、永澤俊矢(ダヤン)、榎木孝明(デイ・セチェン)、津川雅彦(ケクチュ)、 松方弘樹(トオリル・カン)

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