愛の流刑地

銀座シネパトス2 ★★

■裁判の結果をありがたがるとは

作家の村尾菊治(豊川悦司)は、人妻の入江冬香(寺島しのぶ)を情事の果てに扼殺したと警察に電話する。逮捕から裁判へと進むが、村尾は扼殺は冬香にたのまれた上でのことで、愛しているからこその行為だったという。

冬香には3人の子供がいるのだから無責任には違いないが、たとえそうだとしても非難するには当たらないだろう(それに、嘘の生活を続けても責任のあることとはいえないし)。2人のことは2人で決着をつけるしかないのだから。それでも子供の存在は、冬香を死にたくさせたかもしれないとは思う。幸せなままでいたいための死なのだから。

しかし問題なのは、村尾が冬香の真意を理解しないうちに、懇願されるまま首に手をかけ殺してしまったことだ。

村尾に会って生きている感じがすると言っていた冬香が死にたいと口に出すようになったのは、先に書いたことでほぼ言い尽くしているだろう。が、村尾は、冬香に会うまでが死んでいたのであって、冬香に会ってからは創作意欲も出てきて(昔は売れっ子だったが、最近は何も書けずにいる作家という設定)小説を書き上げたいし、君と一緒に生きたいと言っていたのにだ。

そういう意味では冬香は、子供(小説)が出来るまでは待っていたともいえるが、とにかく殺人を犯した当の村尾がやってしまった後で困惑しているのでは、観ている方はさっぱりである。

映画は裁判を通しながら、村尾と冬香の出会い、密会場面をはさんで進行していく。裁判の争点を、2人の愛の軌跡と重なり合わせるように明かしていこうというのだろう。構成はわかりやすくとも、そもそも裁判には馴染まない内面の問題を扱っているのだから、おかしなことになる。

村尾もそのことは自覚していて、「刑はどんなに重くなってもいいから彼女をもうこれ以上人前に晒したくない」「愛は法律なんかでは裁けない」「あなたは死にたくなるほど人を愛したことがあるんですか。この裁判は何もかも違っている」というようなことを何度も発言しているのだが、だったら何故そんな裁判に彼は付き合うのか。裁判という手続きからは逃れられないというのがテーマならともかく、村尾は、最後には裁判結果の懲役8年を、冬香から与えられた刑としてありがたがっているのだから、わけがわからない。

私の理解を超えているのでうまく説明できないのだが、村尾は自分が、冬香から「選ばれた殺人者」だったことに気づく。そして、だから冬香のためにどんな処罰も受けたいのだとも言う。また、冬香からも、自分が死んだ後に村尾が読むことを想定した手紙(村尾を悪い人と言いながら、舞い上がった自分には罪があるのであなたに殺してもらうというような内容)が届いて、村尾は自分の認識が間違っていないことを確証して終わるのだが、この結論に至るまでのぐだぐださにはうんざりするばかりだ。

村尾と冬香の愛の形を補足するために、女検事の織部美雪(長谷川京子)も重要な役を与えられている。彼女は自分の検事副部長(佐々木蔵之介)との恋愛関係が、愛より野心が優先されたものであることから(これについては自分でも納得していたようだ)、冬香の生き方に次第に共感するようになるのだが、長谷川京子の演技がひどく、対比する以前にぶち壊してしまっていた。

もっともこれは演技だけの責任ではなく、ことさら女を強調したような服装で登場させた監督の責任も大きいだろう。村尾が愛の行為を録音していたボイスレコーダーを証拠に、嘱託殺人として争うことを持ちかける弁護人役の陣内孝則や、冬香の夫の仲村トオルも浮いていては、裁判場面は嘘臭くなるばかりで、映画が成立するはずもない。

村尾の無実を疑わない高校生の娘高子(貫地谷しほり)や、村尾を怨みながら「後悔していないから」と言い残して出ていった冬香の本当の気持ちが知りたい母(富司純子)も登場するが、これは村尾に配慮しすぎで、しかしこれは原作者である渡辺淳一の都合のいい妄想に思えなくもない。

なにしろ村尾の昔のベストセラーは、18歳の女性が年上の男たちを手玉に取る話で、これを高子だけでなく、冬香も18の時に読んで心酔したというのだから。そういえば村尾の新作は、文体が重くて若者に受けないとどこの出版社からも断られてしまうのだが、これについても冬香に「この子(小説)はいつか日の目を見る」と言わせていた。ま、とやかく言うことでもないのだけどね。

【メモ】

原作の『愛の流刑地』は、2004年11月から2006年1月まで日本経済新聞で連載され、内容の過激さからか「愛ルケ」という言葉が生まれるほどの話題となった。

映画の村尾は45、冬香は32歳という設定。

冬香という熱心なファンを紹介することで、村尾に少しでも書く気が起きてくれたらと思ったと言う魚住祥子に、織部は「生け贄を差し出した」と皮肉っぽく評していたのだが。

寺島しのぶに敬意を払ったと思えるきれいな映像もあるが、街並みにオーバーラップさせたり、太陽を持ってきたりする場面は大げさでダサイだけだ。

2006年 125分 ビスタサイズ R-15

監督・脚本:鶴橋康夫 製作: 富山省吾 プロデューサー:市川南、大浦俊将、秦祐子 協力プロデューサー:倉田貴也 企画:見城徹 原作:渡辺淳一『愛の流刑地』 撮影:村瀬清、鈴木富夫 美術:部谷京子 編集:山田宏司 音楽:仲西匡、長谷部徹、福島祐子 主題歌:平井堅『哀歌(エレジー)』 照明:藤原武夫 製作統括:島谷能成、三浦姫、西垣慎一郎、石原正康、島本雄二、二宮清隆 録音:甲斐匡 助監督:酒井直人 プロダクション統括:金澤清美

出演:豊川悦司(村尾菊治)、寺島しのぶ(入江冬香)、長谷川京子(織部美雪/検事)、仲村トオル(入江徹/冬香の夫)、佐藤浩市(脇田俊正/刑事)、陣内孝則(北岡文弥/弁護士)、浅田美代子(魚住祥子/元編集者、冬香の友人)、佐々木蔵之介(稲葉喜重/検事副部長)、貫地谷しほり(村尾高子/娘)、松重豊(関口重和/刑事)、本田博太郎(久世泰西/裁判長)、余貴美子(菊池麻子/バーのママ)、富司純子(木村文江/冬香の母)、津川雅彦(中瀬宏/出版社重役)、高島礼子(別れた妻)