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ブックリブックス(目録) 注文方法 目録の見方・本の状態
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ブックリブックスの店主デクノロジジイの日記です。暇を持て余している人以外は近付かないほうがよろしいようで。
また本や映画については、ネタバレに関しての配慮はしていませんので、その点もご注意ください。一応、最近のものについては映画の内容に触れている部分は青くしています。
なお2006年からは、この日記と同じ内容のブログ(http://blog.livedoor.jp/dechnologigy/)もあります。
日付

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■2006.6.30(金) Congratulations! Your order is complete.

 

本業に使っているドメインは「.cc」(ブックリブックスは「.com」)で、その期限が8月に切れるという連絡はもらったのが今月の初め。だけどここはすべてが英文(メールもサイトも)で、何をするにしてもえらく面倒なのだ(語学力がないだけ)。

開設時も家人にやってもらったのだから、とメールを転送してうっちゃらかしていたが、家人もよくわからないと言ってきた。

なるほどメールには、

2 years Save 15%
3 years Save 20%
5 years Save 30%
10 years Save 40% (Best Value)

とあるのに、サイトに行くと10 yearsはなくて9 yearsが出てくる(プルダウンメニューにこれしかない?)。いや9 years でSave 40%になるというのだからいいのだけど、とにかく契約画面がすべて英文というのはやっかいだ。日本語でもいやなのにさ。

英文をにらんでいたら癇癪を起こしそうになってきて、だったらいっそドメインを「.com」や「.net」などの日本語で手続きできるものに代えることを検討しようという話になった。それに今や「.com」などの方が、9年で4割引いてくれてもまだ安かったりするのだ(「.jp」が取れちゃう値段)。

そうはいってもドメインを変更すると、かなり困ったことになるのも事実で、何も問題が起きなければ、また9年後まではとりあえず英文に悩むこともないだろう、という何とも安直な結論に。

で、今日、

Hello ×××,
Congratulations! Your order is complete.

というメールが無事?届いたという次第。なんじゃ、こりゃ。はい、よく出来ましたと馬鹿にされているような気がするんだけど。

FLASH自習11回目。45分。半月ぶりだ。


■2006.6.29(木) ブドウ 網戸の張り替え

 

ここにきてまた梅の木の落葉が目立つ。やっぱり虫害か? 葉が縮れていないのは薬を撒いた一部だけだし。買ってこないとダメかしらねー。途中で空になってそのままだもんね。だいたいそのスプレーの薬も私が買ったものではないし(長女のか?)。

去年生ゴミから発芽したブドウは元気で、2本に分かれた枝(まだ蔓?)の1つは私の背をはるかに超えてしまった。けれどこちらも一番下の方の葉には斑点が出だし、黄色くなってしまっているものまである。虫は確認できていないが心配だ。

4月に買ってきて、そのままにしていた網戸をやっと張り替える。汗が噴き出るようになってからやらなくてもいいのにね。暑い!

印刷データを京都に送る。ここは2度目の利用。他にも安いところはあるのだが、よくできたシステムで利用しやすかったのと、扱い品目が多いこともあって、まあいいかなと。でも何のことはない、価格改定でここの方が安くなっていた。それに前回のポイントまであったとはね。忘れてたよ。


■2006.6.28(水) 専従者給与廃止届 本『神の微笑み』(芹沢光治良)

 

じわじわ暑くなっている。あと2、3度で、じっとしていても汗ばむようになるのかな。やだやだ。

税務署に行く。得意先の解散や倒産が続き、専従者給与が払えなくなっていたのだ。で、その廃止の届け出。家人には別に収入があって、そちらの方が忙しいのだから、まあ当然の成り行き……。

芹沢光治良『神の微笑み』(新潮文庫)を読む。

神はいる。しかし、そこに宗教が介在してダメになっている、というような本。自身を無信仰で実証主義者と言っているが、これだけ神の啓示を受けているのには驚く。結局は最初から著者には霊的なものを求める気持ちがあったのということだろうか。

少しもたもたしているし、あまりうまい文章という感じがしないのだが、著者90歳の作品というのは敬服するしかない。


■2006.6.27(火) デブメダカの死 マンガ『ゆらりうす色』(やまだ紫)

 

デブメダカが死んでしまった。1匹だけ異様に腹の膨らんだメダカがいたのだが、食べ過ぎか? 胴回りは他のメダカの倍。とにかくがつがつしていたからね。

やまだ紫の『ゆらりうす色』(ちくま文庫)を読む。不倫マンガ。と簡単に言ったら叱られてしまうかな。あとがきに「不倫」「フリン」「不道徳」「ヨロメキ」「浮気」などの定義が書き連ねてあったから、ちゃんと言葉を選ばなくてはいけないのだろうけど。これがマンガより面白かった、と言ったらもう口もきいてくれないだろうな。いや、知らないさ。文章のテンの使い方なんかもね。いいんだ.。


■2006.6.26(月) Y子ちゃん 真相は闇

 

眠くて、だるくて、だらけっぱなし。天気もさえない。ろくでもないことばかり考えている。

昨日の法事では1歳上のY子ちゃんに会った(何年ぶりかは? 実はTじいの葬式では見逃していたのだ)。こんなに話したのは初めてだし、当然どういう人なのかもまったくといっていいほど知らない。でも昔の写真には一緒に写っていたりする。まあ親戚なんだからそんなものか。

Y子ちゃんがおしゃべりなのにはびっくりした。なにしろ話してばかりだから、出てきた物にほとんど手を付けずに終わってしまったのだ。でもびっくりも何もないか、ほとんど初対面のようなものなのだから。

晩年は好々爺としか見えなかった彼女の父親の話には胸をつかれた。断酒会で表彰されたという話を伝え聞いていたし、当人もそう言っていたのに、最後までお酒と縁が切れなかったと言うのだ。家で荒れることもあったらしい。この話が出て、妹もその現場を見てしまったことをはじめてうち明ける。そうか。そうだったんだ。

当人はY子ちゃんのことを逆にこぼしていたが、真相は闇。新たな証人の出現で、断酒できなかったのは事実になってしまったが。当然のことだが、立場や視点を変えるとまるで違ったものが見えてくる。死んだ人間のことをあれこれ言ってもはじまらないし、そもそも私には遠い遠い物語。

それより私自身の評価は、昨日の行動で、墓参りもしない馬鹿者、でしょうかねー。せめて真相は闇でいいから、即断しないでもらえないかなぁ。いままでの積み重ねがあるから、それは無理か。まあ、いいんだけどさ。


■2006.6.25(日) 順ちゃんの一周忌

 

自転車で妹の所まで。10:10に着き10:20には母、妹と道路でY叔母の車を待つ。ところがいろいろあったらしく、来たのがなんと10:50。立会川の来福寺に着いた時には11:10をまわっていた。ただ法要は、ちょうど席を移動したところで、まだ始まっていなかった。ほっ。

法要、会食と一通り終わって13時半すぎ。移動がないから思っていたよりずっと早い。

最後にウチの墓にもY叔母、隆ちゃん、Y子ちゃん、母、妹で行っていた。私も呼ばれたが、お参りをする気などさらさらない。忘れていたことを思い出して厭な気分になる。

家のごたごたで、家人に代わりを頼んだりしてきたから、私は来福寺には40年近く来ていないはずだ。しかし印象はほとんど変わっていなかった。蓼太の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の句碑があるらしいのに、見ないで帰ってきてしまった。また今度、って来るかどうかもわからないのだけど。

帰りはまたY叔母に妹の所まで送ってもらう。少しだけど雨もぱらつきだしたので解散(解放?)となった。

もうこの時点で今日はすっかり疲れ果てていて(明け方トロに付き合わされたこともある)そのまま帰ることにした。自転車ものろのろ。TOKIAに来て2階のベンチで30ほど休憩。文庫を読んでいたが、元気にならないので、またのろのろ帰る(16:20)。

ずっと曇だったし決して暑いわけではないのだが、冬夏兼用の喪服で自転車では、いくらのろのろ運転でも汗になる。だらだらとまではいかないが、気持ち悪くて、すぐシャワー。


■2006.6.24(土) 映画『インサイド・マン』『初恋』『ウルトラヴァイオレット』

 

朝食後、ちょっとだけPC。掃除をしてから出かける。

新宿武蔵野館1で『インサイド・マン』(Inside Man)。

新趣向の銀行強盗映画。感心して観ていたが、ところどころで、あれれ。最後は、げげげ。

4人組?を率いるダルトン・ラッセル(クライヴ・オーウェン)が、マンハッタン信託銀行を急襲し、従業員と客を人質に取り立てこもる。現場へ急行したNY市警のキース・フレイジャー(デンゼル・ワシントン)とビル・ミッチェル(キウェテル・イジョフォー)だが、犯人の行動が読めず膠着状態が続くことになる。

犯人と警官の駆け引きは面白いが、よくよく考えると、盗聴を試みたつもりが反対に犯人に盗聴されていたり、クイズや演説テープに惑わされたりと犯人にいいようにやられているだけなのだ。そして、緊迫感も薄い。途中に何度か解放された客の尋問シーンが入るのだが、尋問するフレイジャーが少しばかり馬鹿っぽくて、大いに気をそがれる。

一番の見所は人質に犯人と同じ服装をさせ、解放時にラッセル以外の3人が人質に紛れ込んでしまうという部分か。警察は犯人を割り出せない(これが尋問の映像)のだが、しかしこれだって壊された防犯カメラには客は写っているはずで、客や従業員に共犯者がいるならともかく(可能性は高いが?)、少なくとも塗装会社を装って一緒に侵入してきた3人に関しては捕まえられるはずなのだ。逆に言えば、ラッセル以外の3人はすでに客として銀行の中に先にいなければこのトリックは成立しないことになってしまう。

最後の「来るべき時が来たら、堂々と正面から出て行く」と言っていたラッセルのトリックはつまらなくてがっかりだ。しばらくの間ならともかく、何日も誰も壁の異変に気付かないなんてねー。警察の大チョンボでしょう、これじゃ。

人殺しはせず(暴行も演出というのであれば共犯者が必要だよね)銀行の札束にも手を付けず、ある貸金庫のカルティエの指輪(これはある目的のため残される)とダイヤが狙いだったからなんとか成り立ったスマートな犯罪なんだが、犯人はどこから情報を手に入れたんでしょうかねー。

犯行の動機ついては、事件が起きてあわてた銀行の会長アーサー・ケイス(クリストファー・プラマー)が、腕利きの女弁護士マデリーン・ホワイト(ジョディ・フォスター)に何やら依頼するという別の側面が描かれて、判明はするのだけどさ。てえことは、トラップ大佐のアルプス越えは、マリアと7人の子供たちにナチスの資金を運ばせるためだったんかいな。

やられっぱなしのデンゼル・ワシントンもだけど、ウィレム・デフォー(存在感ありすぎの彼なのに、とくにひどい扱い)とジョディ・フォスターは何だったんでしょうか。「私は敵より友人を作ってここまで出世したのよ」。はぁ、さよですか。金のためなら何でもやる、どこにでもいそうな弁護士でしたが。

やっぱりこの手の映画には、きちっとした説明が省けない。そうすることで製作者側も欠点が見つけられたはず。で、脚本の書き直し。おおっ、傑作だ!

続けて、新宿武蔵野館2で『初恋』。

心をときめかせていた人に「おまえが必要だ」と言われて、「三億円事件」の実行犯になってしまった女子高生の物語。

「三億円事件」といったら、あの迷宮入りの「三億円事件」(1968/12/10)だからね、いやびっくり。原作者(中原みすず)と主人公のみすずが同一人物で、というかもしくはそう思わせたいだけにしてもね。それだけで興味津々だもの。

なのに映画は、構成も演出もすべてが古くさく、何ともぱっとしない。みすず(宮崎あおい)が引き取られている叔母一家の冷たさ(「あの女の娘」発言)や、新宿で補導されそうになるシーンなど、もう少しどうにかならなかったか。中盤から持ち直すものの、この出だしのつまずきは痛い。

兄の亮(宮崎将)を頼って訪ねたジャス喫茶にたむろしているユカ、タケシ、テツ、ヤス、そして岸(小出恵介)たちの描き方も奥行きに乏しい。権力に反抗し強がってはいるが、結局は親や社会におもねるように転向していかざるをえないのだが、薄っぺらな描写はつまらないだけだ。

新宿の夜景(ペトリカメラの電飾)、伊勢丹に都電のパンタグラフの火花、それに映画館のセットなどの背景(新宿3丁目2に階段? 昔の住居表示だと甲州街道の階段になる?)がよくできていて、懐かしさで一杯になってしまう。私が新宿をもっと知るのは、もう少しだけあとなのだけど。

ジャス喫茶に居場所をみつけた女子高生のみすずという視点と思えば、年長の仲間たちの捉え方だって、この映画程度で十分だったとも言える。背伸びしてみたところで、どこまで彼らの心情にまで立ち入れたかどうかは。それに自分だって実際薄っぺらだったし……。多少的外れな感想になっているのは、この映画の風景や全体をおおう古臭さが、昔の自分を、幼さを含めてやたら思い出させるからだ。

予期せぬことはあったにせよ計画は成功。でもこのあとの岸の行動はみすずのあずかり知らぬことだから、推測、もしくはここだけは違う視点ということになるだろうか。岸が現職大臣の息子だということはわかったかもしれないが、みすずの視点を貫いたのであれば、バイク屋のオヤジ(藤村俊二)がらみの背景の事情について、多くは語られないのは当然ともいえる。

小さい頃、母親(兄を連れて家を出た)に捨てられた孤独なみすずが、立派に仕事をやりとげ、岸に頭をなでられた時の気持ちを想うと胸が熱くなる。納得しての別れ。でも待つことは辛くて……。そんなある日、岸の残したランボーの詩集に彼が綴った言葉を見つけた時の喜び……。

だけど、いくらこんな素敵なプレゼントをもらったにしても、これはみすずがかわいそうかな。待ち続けてしまうもの。それにしても岸は何故「少女に恋をした」その時、その想いを告白しないと決めてしまったのだろうか。岸にとってもこれが「初恋」であったのなら、わかるような気もするのだが。

少女が自分に寄せる想いは、計画をラブホテル(当時すでにあったのかしらね、いやー真面目な私は知りませんでした)で語った時にわかったはず(岸にとってはみすずの想いを知ることは信頼以上に大切だった)で、だったら臆することなど何も、いや、すでにここでは事件に巻き込む方向で話が進んでいるのだから、やっぱり言えないか。でもそれなら書き込みのあるランボーの詩集を残すのは……これもいけないとは言えないよね……。

この話が「三億円事件」の真実かと言われればきっと違うのだろうけど、でも本当だったらいいなとも思う。

新宿ミラノ2で『ウルトラヴァイオレット』(Ultraviolet)。

映画よりゲームに近い。CG画面の割り切り(遠景など完全に手を抜いている)もだが、物語よりはアクションを観ろ、ってか。アメコミが背景(本物かどうかは知らないが、各国語の表紙が次々と出てくる)のタイトルが、最初からこれはマンガですよ、とは言ってたけどね。

21世紀の近未来(という感じじゃないが)、新種のウィルスによって(『イーオン・フラックス』ではありませんぞ。地下組織の女戦士にクローンとかもね……)、感染者は短命となってしまうものの、超人的な身体能力を獲得。彼らは「ファージ」と呼ばれ、その能力を恐れた人間たちによって根絶されようとしていた。

というような説明が、冒頭ファージ側の殺し屋ヴァイオレット(ミラ・ジョヴォヴィッチ)によって語られると、もうあとは最後までほとんどアクションシーンが連続する。最初のID検査シーンもなかなかだ。ただ、あれだけ入念に検査されて正体がバレなかったのは、抑制剤でごまかしてたっていうんじゃ、こちらがごまかされた気分。

アクションシーンはSF的味付けが自在に出来るとあって、派手かつ荒唐無稽。相手が何人いようがおかまいなしの立ち回りが繰り広げられる。ヴァイオレットを囲んだ兵士は円を描くように倒れていくし、やられた政府軍兵士の制服は硝子細工のように砕け散る。似たシーンが繰り返されるので鼻につくが、終始、時代劇の立ち回りのような様式美で統一しようとしている。

それに比べると、話の方は杜撰もいいとこだ。最終兵器が9歳の子供というのもわかりにくければ、仲間を裏切ってまでその子を守ろうとするヴァイオレットというのも、中絶を強制させられた過去があるにしても、強引としか思えない。

指導者の「ファージに代わる恐怖感が必要」というのは納得なのだが、であるならば、現状のままでもいいということになってしまうが。おまけに人間側の指導者が、実はファージだったって。そうきたか。頭角を現せたのはそのおかげと言っていましたな。

未来の人類ってどうもあんまり明るく描かれていないよね。この映画でも、感染防止のため鼻栓をしてつまらなそうに歩いていたし、指導者以外は人格すらなさそうなのばかりだったけど。それに、鼻栓が必要なくらい感染力が強いのなら、ファージは地下組織云々以前に、いくらでも菌をばらまけたんじゃないのかな。ってだんだんどうでもいい感想になってら……。


■2006.6.23(金) 死因? 囲碁メール復活 

 

先週メダカが死んでしまった水槽をそのままにしていたら、40匹ほど稚魚が孵っていた。

死因はこの水槽の水が原因だとばかり思っていたのだが。それともいくら小さなメダカといえども、成魚にとっては酸素不足(かどうかは? だいたいそういう配慮はしたことがないからねぇ)はやはり致命傷になるのだろうか。

3ヶ月ぶりにU氏との囲碁メールが復活した。私が返事を出し忘れていたことに気付いたのが、氏の退職後のこと。U氏の自宅のメールアドレスを知らなくて、彼の奥さんに問い合わせていたのだが、やっと返事が来たという次第。

職場ではともかく家ではメールなんかしないよと言っていたので、予想はしていたし(もちろん忙しかったのだろう)、今後も相当ペースダウンしそうなのだが、それでも私と碁の相手をしてくれる人などいるはずもないので、まずはめでたし。あとは勝たねば。


■2006.6.22(木) 高価な梅の実

 

減りつつあった体重だが、4日間の外食+弁当(朝食はいつもと同じ)で、あっけなくも元に戻ってしまった。簡単に戻りすぎ。

梅の実は家人が1つ1つ丁寧に水洗いしてくれたので、黒ずみが取れる。手だけだと、ごしごしやってもまったく取れなかったのに。黒ずみは排ガスのせいではないかというのが家人説。確かに以前は梅の木のある場所に車が来ることなどめったになかったが、A家の車庫が出来たものなー。どうなんだろう。

梅の実は採取に2人がかりで15分?。手で汚れと虫を取るのに30分?。水洗いは1時間半以上かかっていたから、えらく高価なものになってしまった。


■2006.6.21(水) 天声人語 梅の実 無駄遣い

 

一般にはなじみが薄いが、たまに目にする言葉に「ディシプリン」がある。英語では「discipline」で、規律、鍛錬、しつけ、懲罰などの意味がある。サッカーでは、チーム全体の「共通理解」や「約束事」といった戦術面での徹底を指す意味で使われることが多いという。

経済の世界では、こんなふうに使われていた。「新しい自由な社会においては、みんながある道徳律というか、ディシプリンを持つようにならないといけないと思うんです」。10年前、当時副総裁だった福井俊彦日銀総裁が述べた(岡本行夫対談集『ニッポン再生最前線』)。

上記は今日の天声人語の書き出し部分だが、記事内容はともかく、カタカナ語の普及にまた新聞が一役買っているようで気に入らない。それに最近の天声人語、ちっとも面白くないんだよな。

梅の実292個採取。数はまあまあだが、どれひとつとしてちゃんと育っていない。いびつなのが多いし、小さいものばかり。そしてこれもほとんどなのだが、表面の1/4ほどに黒ずみがある(何なんだ?)。でね、2、3ミリの白い紐のような虫(これも?)がついているのね。肉眼だと動かないから怖くないんだけどさ。

5/22までに300個ほど落ちてしまったから、全部で650位は結実したはずなのにねー(これだけの数は3年ぶり)。失敗したなー。悠長にアブラムシの虐殺などしていないで、早いとこ殺虫剤を使ってしまうべきだったか。食べるものだからとためらっていたのだけれど、出来損ないのこの梅の実を食べるのも勇気がいるよなー。

財団法人日本予防医学協会というところから封書。「胃ガン検診を受診される皆様にお詫び」とあるが、何のことはない、単に検診問い合わせ先の電話番号が間違っていたというのだ。まったくね、何たる無駄遣い。だいたいこの検診は区がやっているものだと思っていたが……委託?


■2006.6.20(火) 弁当 一眼デジカメ新製品

 

5時に目が覚めてそのままだから眠い眠い。

家人がいないとやはり食べることに困る。休みならともかく、仕事場にへばりついていなければならないとなると、もう弁当しかないかな。近所に弁当製造業者があって、そこで525円(コンビニなどに並ぶ値段)弁当を390円で売っているので大助かり。2日共これにした。

だけど、味は濃いめで油こってり。やっと体重が減り始めたというのに、外食続きで逆戻りかな。

アサヒカメラが届く。ソニーのα100にペンタックスからK100D、松下からもデジタル一眼DMC-L1。いやー面白いことになってきたな。K100Dは手ブレ防止機能を付けて名前もKに変えてはいるが、この程度じゃ*istD路線。α100のレンズを前に新設計と書いたのは私の早とちりで、ほとんどが鏡胴デザインを替えただけのものらしい。となると松下のDMC-L1が一番ユニークか。一眼レフらしくないし。バウンス可能なストロボとかもいいよね。

家人下関より戻る(22:45)。


■2006.6.19(月) 衝撃波

 

あちゃー。隣のおじいさんがメダカの水槽で手を洗ってる。メダカは目をこらさないと見えないんだけどねー。ちょうど卵から孵りつつあるところで、昨日の段階でまだ2匹しか確認していなかったのだけど……2匹はいるか。でも生まれたばかりであの衝撃波をくらったら……平気なのかな(今までのケースだと生まれだすと続々だから)。でも水もけっこう外に流れちゃってるよー。

平和な何事もないような日にも事件は起きる……。


■2006.6.18(日) 映画『雪に願うこと』『ココシリ』『親密すぎるうちあけ話』

 

小雨なので自転車で銀座テアトルシネマへ。

『雪に願うこと』。

東京で事業に失敗し、捨てたはずの故郷に帰ってきた男が、兄の経営する厩舎にいた馬刺寸前の輓馬に自分の姿を見、その世話を通して自分を取り戻していく。よくあるパターンの再生物語だ。

話も古くさい(予告で内容がわかってしまったものなー)が、主人公の矢崎学(伊勢谷友介)があまりに子供っぽいのにはあきれてしまう。

13年も絶縁状態にあったのは、結婚相手とのつり合いを考えて母親を死んだことにしてくれと兄の威夫(佐藤浩市)に言った経緯があった。この身勝手さもひどいが、事業の破綻は輸入したサプリメントが薬事法違反で、しかも死人まで出してしまったというのだ。

破産手続きのために学を追ってきた(学は彼にまで居場所を隠そうとしていた)共同経営者の須藤(小澤征悦)に、「昔はよかった話」をして詰め寄られ、あげくに「生命保険に入っている」という馬鹿な発言までして、完全に見放されてしまう。

彼の馬鹿さ加減は、少しずつ心の傷が癒えていっても変わらない。兄に悩みがなくていいなと言うのもどうかと思うが、賄いの晴子(小泉今日子)にまで、兄と一緒になってくれなどとおせっかいなところもみせる。この無神経さには驚くばかりで、これでよく会社が経営できていたものだと思わずにいられない。

幼なじみのテツヲ(山本浩司)をはじめとした厩舎の仲間たちや女性騎手の牧恵(吹石一恵)との交流、老人ホームでの母との再会(認知症の母に学は認めてもらえない)、そして彼自身も輓馬のウンリュウの世話にやりがいを感じていくシーンが丁寧に綴られていくものの、ここまで主人公をつまらない人間として描いてしまっていては、映画に入っていくことができない。

ウンリュウのレースを見ずに屋根に雪玉を置き、厩舎を去る決心をした学。須藤にとにかく謝ると言っていた。他にも謝らなければならない人が沢山いるはずだ。それしかないでしょう。そこが出発点。私が観たいのはここから先の彼の姿で、なのに映画はこれでおしまいだってさ。

輓曳競馬の宣伝映画としてならよくできてたけどね。普通の競馬にない迫力が胸を打つ。だけど馬が可哀想で。早朝の調教シーンで、馬の息や体から湯気が立ちのぼっている映像は美しかった。湖に沈んでいることが多いという昔の鉄道の橋(牧恵のお気に入りの場所)もこの目で確かめたくなったな。

次の席をとってから食事。ゆっくりしたつもりはないのに、かつ定食を食べ終わったら、もうあまり時間がなくなっていた。

シャンテシネ3で『ココシリ』(可可西里)。

「ココシリ」というのは、この映画の舞台になったチベット高原の地名(手元にある地図では可可西里[ホフシル]山脈という文字しか確認できなかった)。海抜4700メートルという神々しいほど美しい場所が、人間にとっていかに過酷なところなのか、映画は容赦なく映しだす。密猟者と民間山岳警備隊の闘いであるだけでなく、自然との闘いでもあるところがこの映画を特異なものにしている。彼らの行動は、常に死と隣り合わせなのだ。

毛皮目当ての密猟からチベットカモシカを守るために結成された民間山岳警備隊の隊員が数ヶ月前に殺され、その取材でココシリにやって来た北京の記者ガイ(チャン・レイ)は、チベット族の退役軍人で警備隊のリーダーであるリータイ(デュオ・ブジエ)に頼み、行動を共にすることになる。

密猟者が残した、皮を剥ぎ取られたチベットカモシカの残骸。密猟の協力者を捕まえ、隠してあった毛皮は500以上。銃弾で穴のあいた毛皮が一面に並べられたシーンなど、ドキュメンタリーと錯覚しそうな場面が続く。

氷河から流れ出した川を、下着姿になって素足で渡る。逃走者を走って追いかければ、薄い酸素で、たちまち呼吸困難になってしまう。食料が足らないことがわかり、捕まえた密猟協力者が放り出される。ガス欠のトラックは、隊員共々置き去りにされる。雪が降らないことを祈るだけというのは、降れば死しかないということなのだ。町で食料と燃料を補充した隊員は流砂に埋もれてしまうし、17日を費やして密猟の首謀者と遭遇した時にはリータイとガイの2人だけとなっていた。

リータイ(彼らといった方がいいだろうか)の使命感を支えるものは一体何なのか。隊員の治療費と買い出しのためには、没収した毛皮を売ることもいとわない。密漁協力者にも、草原の砂漠化で放牧ができなくなったという言い分がある。首謀者が悪なのは間違いないのだが、リータイには、まるで殺されるために首謀者にたどりついたかのようなあっけない死が待ち受ける。

この凄絶な世界を前に、口を挟むのはさすがにはばかれる。そして、冷静に観ていられなかったからか、記憶に残っていう場面の印象は強烈なのに、細かいところが抜け落ちてしまっているのだ。中国政府がココシリを自然保護区にし、チベットカモシカも増えだしたというようなことが最後の字幕に出たと思うのだが、そんなことまでもう曖昧になっているとは。

1時間45分の空き時間はビックカメラで。

シャンテシネ1で『親密すぎるうちあけ話』(Confidences Trop Intimes)。

精神科医と間違えて税理士の事務所のドアをノックし、夫との性生活の悩みを語る女……ってそんなぁ。さすがに設定が苦しいものだから、当のアンヌ(サンドリーヌ・ボネール)に、よく左右を間違えると言わせたり、はじめの2度の訪問はかなり短いものにしてある。最初の訪問が先客と入れ違いだったりとなかなか芸が細かい。ウィリアム(ファブリス・ルキーニ)の事務所にベッドがあるのは精神科医らしくもあって、実は仮眠用と説明があるのだが、彼はこの事務所が住居だから、それもなぁ。

けど、まあそこはそれほど問題にするにあたらない。逆にそれがアンヌの行動を疑うウィリアムという展開にもなっているしね。そして、それを言い出したのが、間違えの元になったモニエ医師(ミシェル・デュショソーワ)というのがおもしろい。ウィリアムはアンヌのことでモニエ医師に相談し、120ユーロを支払うはめになるし、あとでは食事までおごらされてしまうんだよね。

このルコント監督の話術には引き込まれる。惑わされるのはウィリアムばかりでなく観客もだからだ。心が波立つような音楽が、よけい落ち着かなくさせる。

アンヌが少しずつ語って判明した悩みというのは、結婚して4年になる夫のマルク(ジルベール・メルキ)が、半年間セックスはおろか一度も彼女に触れてくれないというもので、原因は自分が起こした車の事故で不能になったというものだった。

ウィリアムの正体を知って、レイプされたのと同じと言いながら、次には「私が愛人を作れば、夫の欲望もよみがえる」(これはマルクの希望だと言っていた)と、ウィリアムを挑発しだす。

希望通りのことを妻がしていると思い込んだマルクが、嫉妬心もあらわにウィリアムのところに現れる。そればかりか、向かいのホテルでのアンヌとの行為を見るように電話までしてくる。

セックス話に重点を置きすぎた感じがするし、過激な展開はサスペンスにでもなりそうな気配もあったが、アンヌはマルクと別れ遠くに行くと言って、姿を消してしまう。マルクを取り戻すことが私の自由、とまで言っていたのだから、不可解さは否めない。

しかし、このあとのラストはいい。パリから南仏のバレエ教室ヘ、画面の色調までがらっと変わる。ウィリアムが事務所を移転し、アンヌを探し出せたのは、彼女の話を最初から全部忘れずにいたからだった。

エンドロールがしゃれている。新しいウィリアムの事務所で彼とアンヌが話す様子をカメラは真上から捉える。ウィリアムがアンヌに近づいてできた左側にキャストやスタッフの字幕が流れていく。途中でカメラはそのままに、2人のいない画面が続く。もうお終いのこんな些細な場面にさえ、心にさざ波が立つ……。

ウィリアムについてほとんど書かなかったが、彼にしても単なる料理好きの堅物というのではない。相手を見つけたという元妻(アンヌ・ブロシェ)とセックスの関係があり、事務所の裏窓からホテルの部屋を眺める愉しみも捨てがたいようだ。アンヌをつけて自宅まで行ったりもしていた。

彼は父の仕事を継ぎ、ここで生まれどこにも行ったことがなく、女や世界を征服する冒険家になるのが夢だったが、世界は縮んでこの部屋になった、と語っていた。

そんな彼に、アンヌが最後にお礼と言って贈ったのが、彼女の勤め先の商品とはいえ旅行鞄だったのは暗示的だ。なくしたライターだって彼女の演出かもしれないではないか。いずれにせよ恋は一方通行では成立しないのだから、とやかく言うべきことではないのだが。

それに自分をさらけだして話をする関係が成立というのも、商売ではないのならやはりもう恋でしかないよね。逆にそこまでは言えないということもあるか。

雨はやっと上がっていた。

ソニーの前を通りかかると2Fにα100の現物がすでに展示されているというので、のぞいてしまう。何度も握って感触を確かめる。ネットで見たよりはずっといいが、ファインダーはやはり少し小さめか。並べて比較したわけじゃないのでわからないが、情報表示が今使っているPENTAXの方がはっきりしているので、そう感じてしまう。

入った店は手が足りないのか、つけうどんなのになかなか出来上がってこない。別に急いではいないけどさ。帰ったら21時。あれ、トロ何してる。ちょうど真ちゃんもトロを入れようと下りてきたところだった。


■2006.6.17(土) 映画『ダ・ヴィンチ・コード』『LIMIT OF LOVE 海猿』 本『嫌われ松子の一生(下)』(山田宗樹) 

 

家人は朝、下関へ(7:20)。

昨日のスクワットで腿が痛い。だめだこりゃ。

楽天地シネマズ錦糸町-1で『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code)。

ここまで騒がれるといくら耳を塞いでいても無理。ヴァチカンばかりかイスラム世界までがこの映画に反応したものだから、新聞を読むだけで(むろん映画欄は飛ばしても)謎がわかってしまったもんな。ふにゅ。

が、それでも、映画は十分楽しめた。さすがロン・ハワード、手慣れたものだ。そうはいってもかなりのスピードで進んでいくから、謎解きの内容を吟味している暇などはない。それはやっぱり原作を読めばいいんではないかと。触手を伸ばしたくなったもの。原作を読んだ人にとっては、だから酷評だろうね。商業映画の場合、時間的制約があるから本の情報量にはかなわないわけで。

それでも宗教史家のリー・ティービング(イアン・マッケランっていいねぇ)による「最後の晩餐」などは映像解説だからね、わかりやすいことこの上ない(大富豪だからパソコンのモニタも巨大)。ロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)の最初の宗教象徴学の講義でのスライドや、最後に彼が謎解きの言葉と共にルーブルに至るまでも、映像があるとないとでは大違いだろう。

ただ、私にはこの最後の付け足しのような部分は、まるで理解できなかった。これは一体何。美術館の下に眠ってるってことは、設計者(や関係者も?)はこのことを知ってたってことになるが? やっぱり原作を読めってことかいな。

館長のダイイングメッセージなどやりすぎとしか思えない(裸になって円を描き、あの有名な図柄のポーズをとる。いや、その前にアナグラムも作って残さなきゃ。って死ぬ間際にだよ)部分も目に付くが、それは原作の問題かもしれず、触れるべきではないのかも。しかし、そのあとの謎に迫っていく過程は、ラングドンとソフィー・ヌヴー(オドレイ・トトゥ)にティービングが加わって、かなりの面白さだ。

もっとも、謎が解けてから拍子抜けしてしまうのは、キリスト教とは縁が薄い日本人だからなのか。キリストに妻子がいることがそんなに衝撃なんだろうか。その血筋を受け継いだ人間がいるからって何か意味がある? キリストとは関係ないよ。映画でも「人は結局何を信じるか」だと繰り返してたじゃないの。え。

まあいいや。どうでも。私としてはラングドンとソフィーの関係が映画にしては抑制のきいたものだったので、かえって新鮮だったかな。あとは大昔の映像にもふんだんに予算を割いていて、贅沢でしたね。それと『ピンクパンサー』でも使われていた2人乗りスマートがまた出てた。雑感は以上。いいんじゃないすか、本の宣伝映画ってことで。

TOHOシネマズ錦糸町-8で『LIMIT OF LOVE 海猿』。

前作は未見(テレビ版もあるとか)だが、ヒットしているというのでつい観てしまった。が、がっかりもいいとこだ。観ていてものすごくイラついたもの。

話は単純で、鹿児島港沖で乗客620名と195台の車を載せた大型フェリーが砂利運搬船と接触し、その救援作業にあたっていた海上保安官の仙崎(伊藤英明)と吉岡(佐藤隆太)が、乗客(吹越満)と船の売店で働いていた妊婦(大塚寧々)と共に逃げ遅れてしまうというもの。

フェリーの損傷は予想以上で、ゆっくりだが確実に沈没をはじめる。『タイタニック』ね、これは。それと閉じこめられた部分は『ポセイドン・アドベンチャー』。アイディアもパクリなら進行もほとんど予想の範囲内。ただ、事故現場を鹿児島港沖という設定にしたことで背景が単調にならず、桜島や市民が見守る中での救出劇に、臨場感が演出できていた。

沈没シーンのCGも、海上保安庁の全面協力による巡視船の映像をからませた、迫力あるものだ。スペクタクル大作はハリウッドには逆立ちしても太刀打ちできないものだったが、CGの利用で新しい局面が開けつつある(だからってハリウッドの物まねなどしてほしくないが)。

もっとも予算は当然ないから『タイタニック』的な見せ場はほとんどない。遠景か近景に絞らざるをえないのだろう。そのためもっぱら船内での話にしてあるのだが、こちらもしょぼい。船がどんどん傾いていくのに、煙突の中の梯子は垂直にしか見えないし、でもその気になって気合いを入れて上って行かれては苦笑するしかない。傾いてはいるが梯子の位置がちょうど上になってしまい使えず、掴むものがないから這い上っていく(傾いているだけだから上れるのよね)のが大変、くらいにしておかないと。

けれど、問題はそんなことではなくて、決断を迫られているすべてのシーンでよけいなお喋りが入ることだ。いいかげんうんざりしているのに仙崎はフィアンセ(加藤あい)にプロポーズまでするしまつ。吉岡を見殺しにしていいのかよ。ってみんな助かるんだけどね。はいはい。

「絶対戻ってくるからな」「仙崎さんは絶対に戻ってきます」うへー。「大輔くんを信じてあげて」「大輔くんは生きて帰るって約束してくれました」カレの上司にこんな言葉遣いでいいのかや。「まだ諦めていないやつらがいる!」当然のような気もしますが。「よく最後まで信じましたね」「彼のフィアンセですから」あー、はいはい。そうだ、冒頭シーンもわかりにくかったぞ。映像もだが、このことが仙崎に結婚を躊躇させたっていうのがね。

山田宗樹『嫌われ松子の一生(下)』(幻冬舎文庫)読了。小説も読んでよかった。細かいいきさつや心の軌跡などはどうしたってかなわないから。そうか、そうかってうなづきながらページをめくる。そして改めて映画のまとめ方に感心。


■2006.6.16(金) スクワット

 

雨で果太を保育園へ。やだ、ホントに片道抱いていくだけなのにしんどくなっている。嫌われ松子の真似をして、スクワットを少しやっただけで息が上がっちゃうし。でもいいかもスクワット。


■2006.6.15(木) やり方を忘れている

 

次女は病欠で真ちゃんは早番。で、果太が6時半には寝ているところにやって来た。まいったなー。「昨日お風呂で泣いたのは誰?」って聞いてやった。「かんちゃん」と元気に答えてやんの。

アップための入力。やり方を忘れている。いかにやっていないかの証拠だ。単純過ぎるものの手順を書いておくというのもなんだし……。忘れたからというわけではないのだが、アップの仕方を少々変えるつもり。今のやり方だと元からある本にいつまでたっても手を付けられないので。

というか、ごちゃごちゃ言ってないで、どんどんやればいいんだけどね。


■2006.6.14(水) 拷問風呂 本『嫌われ松子の一生(上)』

 

次女が不調で早引けしてくる。それはいいのだが、たまたま真ちゃんも遅くて私が果太とお風呂に入ることになった。前に一緒に入ったのはいつだったか。もう1年以上は経つような気がする。

果太は気が小さいし、状況変化に弱いから予想通りの展開。20秒くらいはもったかな。あとは大泣き。あそこまで激しく泣かなくてもいいと思うけどねぇ。結局出るまで泣きっぱなしで、耳がガンガンしてきた。近所の人は虐待と思ったろうな。

独りになって髪を洗っていると、反省したらしくのぞきに来た。はいはい、おやすみ。めんどうだねぇ。

また下に降りてPC。

ライブドアの株主数は15万人以上いるらしく、幕張メッセの臨時株主総会会場には15000席を用意したが、出席は約1800人だったという。もちろん平日の昼ということもあるのだろうけど、メッセまで行くのもねー。

そういえばこの総会をGyaOでライブ中継するといってたけど、それもすごいや。

山田宗樹『嫌われ松子の一生(上)』(幻冬舎文庫)読み終わる。


■2006.6.13(火) 乱雑 アフェリエイト断念

 

W杯は、Yahoo!の速報をチラチラと。近所の歓声が聞こえる。お、先制したのか。ってPCに向かっているのに集中してないのな。

朝、新聞を見たら、あれ、1-3で負けてるじゃん。私が歯を磨いている間に立て続けに3点も入れられていたとは。

仕事場の本を整理。乱雑になりすぎで。ジャンル別にしてみた。早いとこアップしていかなくては。

実はアフェリエイト(Amazonのはアソシエイト)をやるつもりで、いろいろ考え、登録画面にまで行ったのだがやめることにした。こんなことをして用を増やすより、その前にまだやることがいくらもあるのにねー。もっと早く気付けよ。


■2006.6.12(月) 4年前

 

午前中のかなりの時間を仕事場の掃除にあてる。返していない(使ってもいない)ダスキンが2つもたまっていたため、すす払い、床、外回りと手当たり次第拭いていく。埃よりも物がこれだけ散乱しているとなぁ。

W杯は日本対オーストラリアだが、テレビがないので見られない。やることが詰まっているからこれでいいんだが。

古新聞整理が、ちょうど4年前のW杯の時期のものにさしかかる。まるっきりの偶然。だけど感慨深くはなるね。

FLASH自習10回目。30分。やる間隔も時間もいい加減になるばかり。それにまた作画でひっかかってねー。


■2006.6.11(日) 映画『花よりもなほ』

 

廃品回収は小雨決行とあったが……けっこう降ってるなぁ。中止かなぁ。いいか、今度で。

11時に家人と歩いて錦糸町へ。時間が合わないのでマクドナルドのハンバーガーを持ち込むが、待っている間にあらかた食べてしまう。

楽天地シネマズ錦糸町-2で『花よりもなほ』。

青木宗左衛門(岡田准一)は父の仇討ちのため信州から出てきているものの、なかなかその重責を果たせないまま、仇討ちそのものに次第に懐疑的になっていた。自分の剣術の腕がへぼいということがあるにしても、真剣にそのことについて思い悩む。

この弱い主人公の逡巡ぶりが清々しくみえるのは、岡田准一によるところが大きい。V6というアイドルグループを見たこともなければ、岡田准一の他の映画も未見なので、何も知らないのだが(だからよかったとか)、この映画に関して言えば、彼はいい感じなのだ。

主人公の悩みが重苦しくならないのは貧乏長屋の連中の造形にもよる。15人ほどの、愉快で憎めない、けど怠惰ながら抜け目もなければ隅にも置けない連中の描きっぷりの、気持ちのいいこと。それぞれが過不足なく、かつ物語を進める役目も担っている脚本は見事というほかない。

で、驚いたことに、この長屋には潜伏中の赤穂浪士までがいたのね。もっともこの江戸名物(事件前から仇討ちはいつになるのかと江戸中の噂になっている)については、当事者の1人に「隠居した老人の寝込みを襲うだまし討ち」と言わせてしまう扱いにし、宗左には、なんとでっち上げを仕組ませる。しかも藩主からの百両の賞金は、みんなのたまった店賃にあててもお釣りがくるという算段。なるほどねぇ。

日本人にとっては仇討ちといえば忠臣蔵だから、この同時進行劇は目の付け所がいい。もっとも若い世代は忠臣蔵とは縁が薄そうだから、どこまでこの対比が強烈にうつるかどうかだが。でもともかくめっぽう面白いことになりやがったぜ、とじじいの私は浮き足だったのな。

いやでもまあこのでっち上げは、とどこおりもなくというか、そんなには盛り上がらなくって……。それに実のところこれは、後々問題になりそうなのだ。見事仇討ちを成し遂げた主役を藩主は放っておくかなぁ。百両の使い道は親戚中に詮索されそうだし、第一宗左は江戸に残っていられるのか、とかね。侍はやめちゃいそうだけど、おさえ(宮沢りえ)さんとの恋は……。

この疑問を払うような続編を作ってもらいたいな。そうすれば長屋のみんなにもまた会えるし。続編は陳腐になりがちだけど、是枝裕和監督なら宗左のように「糞を餅にする」方法を何か考えてくれそうな気がするのね。叔父の青木庄三郎(石橋蓮司)も、たぶん言葉だけだろうけど、力になってくれそうだし。

宗左の最後にみせる笑顔が素敵だ。仇討ち(憎しみ)の連鎖を断ち切っただけでなく、自分のやりたいことまではっきり見つけたという顔だった。

あ、でも1つだけ文句を。1年の季節の移り変わりに違和感はなかったが、巻頭のシーンはあれも冬なんだよね。冬の朝の日差しにしては強すぎて朝という雰囲気ではなかった。、それにいくらなまけもの揃いといっても、江戸時代の人間があんなに陽が高くなってから動きだすかい? 

あと、タイトルデザインがシンプルかつほんのりとしていて、好きだな、これ。

帰りは別々。私はブックオフ経由。小雨の中の散歩は、ちょっといい気分。


■2006.6.10(土) 映画『嫌われ松子の一生』『トランスポーター2』『LOVEHOTELS ラヴホテルズ』

 

掃除に雑用。はっきりしない天気だが、まあいいか。

出かけたのは14時過ぎ。地下鉄で池袋へ。

テアトルダイヤに着くと、え、列が上の方まで。時間が早めだからって古本屋などのぞいてる場合じゃなかった。並んだところに従業員がやってきて「今からだとお立ち見の可能性があります」とアナウンスしだす。何度も言われて、入口でも同じことを繰り返されて、少し前にいた何人かは帰ってしまった。ままよ、と入ってしまった私だが、お誂えの席が、それも通路側に1つ空いていた(この時点であと5席くらいか。帰ってしまった人の数だなぁ、こりゃ。

『嫌われ松子の一生』。

山田宗樹の同名小説の映画化。原作を読みはじめたのでどうしても対比してしまうが、それと付き合わせていくと(いかないが)、映画的試みはかなり多そうだ。

物語の大胆な省略だけでなく、極彩色の画面の中に60〜80年代の風俗を自在に織り込み、またひょっとこ顔の追加など、あくまでイメージ重視の構成にかえている。これは全体をミュージカル仕立てにしていることでもわかる。単純に映画に置き換えていったら収まりきらないだろうし暗くなりそうな話を、これでテンポよろしく監督(中島哲也)ペースで最後まで突っ走ってしまったんだろう。すごい。

話の流れは、確かに川尻松子(中谷美紀)がどんどん堕ちていく方向にあるのだが(「これで人生が終わったと思いました」と何度も言ってたものね)、その都度松子は新しい夢を見つけるので、逆に、希望の物語になっているというわけだ。

転落のパターンも、ただ不幸がやってくるというのではなく、少なからず彼女の意志がそこにはあったということが重要だ。なんであんなことを言ってしまったのだろかとか、そして最後の最後は、デブで、挨拶はしないしゴミ出しのルールも守れない、中年のひきこもりのような生活で、あげくに川原で虐殺されてしまう、まったくもってひどい人生なんだが、観ている方にもどこかしら思い当たるふしがある気がしてきて、松子の人生を単純には笑えない。

どころか、愛されたいのに愛されず(これは父との関係がすでにそうだった)、だったら、せめて誰よりも愛そう(地獄でもついてゆく)と決めた松子の一生は、惨めったらしいのだが、でもなかなか誇らしいものだったことに気付くのだ。

そしてこれは、人間の価値は人に何をしてもらうかではなく何をしてあげるか、という松子の甥(瑛太)の恋人(柴崎コウ)のセリフにもつながっている。ただ、映画ははしょりすぎが祟って、恋人の出番を大幅に削ってしまったものだから、これは多少居心地が悪いものになってしまった。

展開の丁寧さが原作にかなわないのはまあ当然で、転落のいきさつなどは原作の方が納得しやすい。だから用意したわけではないだろうが、かつての教え子でヤクザの龍洋一(伊勢谷友介)と同棲しているところに沢村めぐみ(黒沢あすか)が訪ねて来るシーンを、3人それぞれの視点から重層的に描いてみせている。

ラストでは、松子の「ただいま」に、妹(市川実日子)の「おかえり」という声がかえってくる。龍洋一とのねじれた関係の決着も気になるところだが、映画ではいつも松子を慕ってくれていた病弱な妹にもう1度スポットを当てていた(考えてみると松子は妹には辛く当たっていたからねー)。

他に香川照之、柄本明、木村カエラ、片平なぎさ、本田博太郎、ゴリ、谷原章介、角野卓造、宮藤官九郎、劇団ひとり、武田真治、荒川良々、土屋アンナ、山田花子、あき竹城、嶋田久作などなど、配役が豪華?だ。

吉野家で豚丼と野菜サラダをかっ食らい、テアトル池袋へ急ぐ。でもガラガラ。予告が始まる直前で20人ほどではね。

『トランスポーター2』(The Transporter 2)。

黒のスーツできめこんだジェイソン・ステイサムがAudi A8に乗り込んで華麗な運転さばきを見せる。この映像はまるでアウディのCFだ(当然兼ねてるか)。なにしろこれだけ激しいカーチェイスを披露しながら、傷をつけないってんだから。

今回は何故かコート・ダ・ジュールでなくマイアミ。だからタルコーニ警部(フランソワ・ベルレアン)は休暇でフランクのところにやってきたという設定。でもプロの運び屋(トランスポーター)なのに子供(ハンター・クラリー)の送り迎え? そこら辺は駆け足で、いろいろ説明してるとまだるっこしくなるからなんだろうけど。

巻頭の強盗相手のアクションはほんのお披露目で、病院に誘拐犯が現れてからはもうノンストップ。ルール好きのフランクと、ルールは破るものと言ってはばからない悪役(アレッサンドロ・ガスマン)と女の殺し屋(ケイト・ノタ)を配した対比もきいている。が、ウィルスを子供経由で麻薬対策会議のメンバーと米大統領にばらまくというややっこしい手続きが必要だったかどうかは疑問だ。発病が早まれば会議には出られないわけだし。

でもこれだけ見所を次々と繰り出してこられてはねー。車の下にセットされた爆弾を、車を空中で回転させて、クレーンのフックに当ててもぎ取るなんて、いやもう馬鹿馬鹿しいんだけど、お見事と言うしかない。消防ホースを使ってのアクションも出色で、服がダメになると新しいスーツを車から取り出すあたりにもニヤリとさせられる。

そんな洒落た場面まで用意してあるのに、ヘリを車で追いかけるあたりからはやりすぎが目に余る。離陸途中の小型ジェット機に乗り込んでしまうのもどうかと思うが、そこでしたい放題のアクションを繰り広げ、ついには海に墜落。小型ジェットが爆発をまぬがれたのは幸いにしても、フランクはダメージを受けることもなく海から脱出。しかも悪役まで連れて。もはやスーパーマン並だ。目くじら立てたら野暮ですかい。はいな。

子供の母親(アンバー・ヴァレッタ)は夫とは衝突ばかりで、フランクといい雰囲気だったが、これは事件を契機に和解できたようだ。フランクにいいように使われたタルコーニ警部の休暇も事件の解決に合わせるようにおしまいとなってしまったが、本人はずいぶん楽しめたようでなにより。続編が出来そうな雰囲気だが、また休暇をとるのかしら。

そのまま同じ劇場でレイトショーを待つ。こちらの方が入りがよくて階段に並ばされるが、前と同じ1番前の席に座れる(ここがこの劇場の私的特等席)。7割くらいの入りか。

上映前に嶋田達樹、三浦敦子、鈴木美生と司会者で約10分のトークショー。

『LOVEHOTELS ラヴホテルズ』。

ラブホテルを舞台にした4つの物語の間に、飲み会のような席(ここにも出演者たちがいる)で男と女について雑談している映像が入る。

1つ目は『SUZUKO's STORY -SWEET OPTIMISM-』。二股愛の女(原田佳奈)。クリスマスに同じラブホテルの別の部屋を行き来する。ピザを配達する女に去年までの自分の姿を見る……。男が2人とも眠ってしまい、よく寝ているので帰ります、と同じメモを残して去る。なんじゃ、これは。単なる思いつきを提示しただけでねーの。といってこのままさらに描き込んだら、もっとおかしなものになりそうだ。

2つ目は『SAKURA's STORY -BLUE-』。不倫相手は元同級生。相手の妻も同級生。決定的瞬間を見られた女(片山けい)だが、いつまでも相手からの連絡を待つという。これもなんか違うぞ。バレて、この展開なの。おいしいものはじっくり待って食べる女だというが……。

3つ目は『SACHI's STORY -SKIN-』。幼なじみのセフレの彼(嶋田達樹)に好きな娘ができて動揺する女(三浦敦子)。自分も別な男に愛を告白される。前の2つに比べれば時間もとっているし水中撮影などもあるけれど、イメージが先行していて何を伝えたいのかがみえてこない。

4つ目は『AI's STORY -ANTI SEX-』。父親(榎木孝明)の死でラブホの経営をすることになった女子高生(サエコ)。ラブホにもセックスにも反感を持っていた彼女の恋を、これだけはコメディタッチで描く(まあまあのデキ)。だったら、このラブホの客の話として最初の3つを押し込めば、構成としてはすっきりしそう。特にラブホでなくてもいいような話もあるしね。

4つの愛の形はいずれも断片的で、見る側に体験的に近いものがあればまだしも、そうでない場合、提示されたものだけで想像力を働かせるのはつらいものがある。映像はきれいで、人物に近寄った画面など魅力的なところもあるが、それだけではね。思いつきのレベルで終わっている。

家には0:15。


■2006.6.9(金) 本『フォーチュンクッキー』(斎藤綾子)

 

夕方まで雨。

斎藤綾子『フォーチュンクッキー』読む。

あーびっくりした。エロ小説だ! って、そんなことすぐわかるし、短編ばかりなんだからやめられるでしょ、最後まで読んじゃってさ。


■2006.6.8(木) 夏みかん(本物!)

 

ブドウ(生ゴミの中から発芽したものなので品種は不明)が延びてきたので紐で誘導する。

次女が保育園の梅の実をもらって帰る。なんて立派なんだ。惚れ惚れしちゃう。ウチのは期待できないからな。大きな木で、バケツ4杯も取ってまだまだ上の方に沢山残っているんだって。いいなー。

3日目にして本物のの夏みかんに遭遇。でもこれは送ってくれたやつじゃない。実は先々週?だかの生協のチラシに「今回限り」で夏みかんが載っていて、それが今日届いたのだ。うーん、これこれ。といっても夏みかんは去年は食べていないから、いい加減な記憶。

そんなには酸っぱくないと思ったが、最後の方は唇や舌がしびれてきた。さすが夏みかん。もったいないので、実を口の中で全部つぶすように味わいながら食べたからね。もっともウチじゃ私しか食べないので1人占めなんだが。うははははは。


■2006.6.7(水) ソニーα 続・夏みかん? 本『僕のなかの壊れていない部分』(白石一文)

 

出た! ソニーのデジタル一眼(実際の販売は7月)。基本的にはコニカミノルタの資産を受け継いでいるにしても、一応レンズも含めて新設計なのがうれしい。ただ、サイトで見た限りではデザインは平凡。一眼レフはほとんど完成されてしまっているということもあるのだろうが、何かインパクトがほしかった。

CCD手ブレ補正機能に加え、アンチダスト機能は魅力。1020万画素だし、あとはライブビュー機能が付けば私的にはもうほとんど言うことがない。あ、もちろんファインダーは大きくて見やすいんでしょうね。あと交換レンズをチェックして……ってお金がないから買いませんが。

FLASH自習9回目。1時間。また作画のところで躓き、テキストで1ページしか進まない。

夏みかん?はもう1種類あるのだと。そうかそうか。で、今日はこれを食す。あーん、これも酸っぱくないよー。がっくし。

白石一文『僕のなかの壊れていない部分』(光文社文庫)を読み終わる。

出だしの会話こそ自分に近い部分を感じたものの、すぐ主人公の「僕」(松原)に嫌悪を感じはじめていた。こんなにひねくれたものの見方をしていて、いくら頭がいいからって社会の一員としてやっていられるのか。どうして枝里子のような女性に好かれてるんだ。って本に嫉妬してもねー。

もしかして読者に挑戦でもしているのかしら。私には何が「壊れていない部分」なのかもわからななかったけど。

再読、再々読に値する(理解できていないこともあるが)。と書いていやになるのは、作者は主人公に「一度読んだ本は、もう繰り返しては読めないし、読めば退屈して厭になる」と言わせているからなんだけど(枝里子と他の女性に反論までさせている)。なんてヤツなんだ。


■2006.6.6(火) 人間が多すぎる 夏みかん?

 

ぼやけた天気。イヤなことが3つ。

猪口邦子が「政府の責任でお見合いパーティ」などと気持ち悪いことを言い出すし、出生率も1.25に急降下で、さあ大変と騒いでいるけど、遅すぎでしょ。合計特殊出生率のことはよくわからない(定義についての疑問は6/2にも書いたが)が、単純に男と女で子供を作るということから言えば2を割った時点で少子化は始まっているってことだものね。

例えば私の母方の祖母は8人?の子を産んだけど、そのうち子供をもうけたのは5人で子の数は10人。女性に限ってだと4人で5人。つまり私の親の世代で(この例はたまたまにしても)すでに1.25という数字が当てはまるケースもあるのだ。

私は人間の数が多すぎると常々感じているから、少子化も悪くない気がするが、これは日本だけの問題ではないし、なにしろ当分は経済優先社会の枠組みで行くしかないわけだから、となると、やはり大問題なんだろう。

今読んでいる白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』に、主人公の知人が「公立の保育所を増やさないとこの国の生産力は一気に減退」するからと、やっきになって保育施設拡充のための予算を獲得する話が出てくる。しかしのちに彼は、自分たちの子供に感情がないことを知って、これは「クライアントを完全に見誤っていた」と反省することになる。

「生後わずか四十三日の子供を親が手放して他人に預けることを可能にするシステム作りなんて、社会全体のために有益なはずがないよね。そんなことをしたら子供がまともに育たないのは当たり前の話だ」と。

いや、でも、感情がないままに大きくなってもお見合いパーティがあるから大丈夫なのかな。そして教祖様じゃなくって総理大臣が「君はあの人と一緒になりなさい」とかねー。

私の酸っぱいもの好きを覚えてくれていた義姉が夏みかん?を送ってきてくれた。萩の友人からのものらしい。でかくて皮を剥くのに一苦労。期待が高まるが、あれ、ぜんぜん酸っぱくない。夏みかんではないのか。


■2006.6.5(月) 設定ミス

 

名刺プリンターで最後のものの裏面を刷ろうとしたら、すでに違うものが印刷されている。は。そんな馬鹿な。ということは、その前にやったものの数が……あー、やっぱり足らない。9枚だけど。でもなんでだ? このプリンターは、こと枚数に関しては実に正確なのに。ということは私の設定ミス。まさかね。でもそれしか考えられない。いやでもですよ、100枚を91枚とセットするか?

原因はとにかく、少しであってもやり直さなくては。両面名刺で違う裏面のが出来てしまったということは、まず終わったばかりのものを9枚追加。その裏面を刷ってから、前のに戻って、これも9枚だけ両面を刷る。書くとこれだけなんだけど、面倒で、あー、もうくっそー、なの。


■2006.6.4(日) 映画『ポセイドン』『Big River』『ブロークン・フラワーズ』

 

新宿へ。ミラノ座が館名を変更していた。新宿ミラノ座→新宿ミラノ1、新宿東急→新宿ミラノ2、シネマミラノ→新宿ミラノ3だが、シネマスクエアとうきゅうはそのままだ。でも最近ではシネマスクエアとうきゅうも、何が何でもミニシアターというのではなくて、ミラノ座3館のムーブオーバー(敗戦処理、じゃなくって続投?)になっていることも多いから、どうもすっきりしない決着だ。

それより、この4館すべてが4月1日から全面禁煙になっていたのね。いやー、うれしい。ミラノ座のロビーなんか広範囲に煙が立ちこめてたからねー。タバコをおすいのお客様は受付までとかアナウンスしていたが、すでに外は路上禁煙になっているし、タバコ部屋でも用意しているとか。

ミラノ1で『ポセイドン』(Poseidon)。

『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクだ。オリジナル版には作り直すだけの価値が、作り手には自信があったということだろう。

72年からだと34年も経っている計算になるが、それだけの視覚効果技術の差があることを冒頭シーンから見せつける。船に近づいたカメラは、走る主人公をしばらく追いかけるが、そのまま船体をなめまわすように回り込んでいく。反対側でまた主人公を捉えるのだが、豪華客船ポセイドン号の大きさを誇示したこのCGは見応えがある(ただし全体につるんとした印象だから、CGを意識せざるをえないが)。

続いてほどなく起きる(なにしろ展開が速いのだ)大津波による転覆シーンも、ミラノ1の大画面で見る価値十分のデキ。あっという間のことなので、『タイタニック』のようにいつまでもここでのシーンにこだわっているわけにはいかないが、それでも怒濤のように続く描写には圧倒される。

もっとも問題なのはここからで、お約束のようにクセのある人物を選んで脱出劇にあたらせるのかと思ったら、そこは案外あっさりしていて、しょーもないヤツには早々に天罰がくだるし、つまり極限状況下での人間の品性といったようなことには無頓着。ゲーム感覚映画だから人間描写は物足りないが、元潜水艦乗りに元消防士(でNY市長。これは?)、それと船の設計者と、難局に当たるにふさわしい顔ぶれが揃う。

無頓着と書いたのは、例えば2人が死ぬか1人が死ぬかというところでもスピード感を優先させているからだ(割り切った故の98分ね)。この話はかなり後味の悪いものだけに、話を入れてしまったそのことに意図があったはずだが、とはいえここだけ深刻になるわけにもいかなかったのだろう。

リチャード・ドレイファス(年とったね)は、この2人か1人かの場面もそうだが、逆さになった船に耐久性はないと断言(船の設計者なのだ)しながら、ホールにいる人たちには何も告げようとしないのね。うーむ。

映画は脱出行を共にした者以外には冷酷で、他の乗客や乗組員についてはほとんど無視。大量の死体ばかりでなく、死にぞこないにもあちこちで遭遇していいはずだが、一々かまっちゃいられないから、それは熱風で一瞬にして肺をやられたというような説明で逃げている。バラストタンクに注水して逃げ道を作っていくのだって船の沈没を早めることになるわけだから、他の場所でなんとか生きようとあがいている者を見殺しにしたかもしれないのだが。

前作からは転覆という設定だけを拝借して、まったく違う話を創ったのはいいとしても、せっかく出現させたさかさまの世界の、その視覚的奇妙さを見せもしなければ、脱出の際の障害などにも活かしていないというのも腑に落ちない。けどクライマックスだけに関してはこちらが上。ここはこの映画一番のアイディアになっている。

海に出たらお誂え向きにゴムボート。と、見る間にポセイドン号は沈没。海に放り出された人たちだっていたはずだけど、もう救助されちゃったんでしょうね。ヘリもすぐ来たし。しかしこれだけの巨大津波が発生したのでは、船どころか沿岸の被害の方が大変で、豪華客船どころじゃないような。いや、そんなことにはおかまいなしに、気がついたらもうゲームオーバーなの(なにしろ98分)。

マクドナルド。ヨドバシで電池(1659)、ジュンク堂で文庫本3冊購入(3108)。あーいそがし。

テアトル新宿で『Big River』。

監督はニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツで演出を学んだという舩橋淳。主演も日本人だが、アリゾナが舞台の全編英語映画。スタッフもほとんどアメリカ人のようだ。タイトルもBig Riverと横文字で出る。

アメリカ放浪中の日本人のテッペイ(オダギリジョー)は、立ち往生していた車を直したことでパキスタン人のアリ(カヴィ・ラズ)に同乗させてもらうことになる。が、車はしばらくしてガス欠で止まってしまう。ガソリンを買いに出たテッペイはサラ(クロエ・スナイダー)という若い女性に出会い、その夜は彼女が祖父と住むトレーラーパークにアリと2人で泊めてもらうことになる。

アリには妻探しという明確な目的があるが、テッペイは急ぐ旅でもなしの自由気ままさ。ニューヨークからアイスランドにでも行こうかなどとのんびりしたものだ。サラにはそんなテッペイがうらやましくもあって、次第に惹かれていきセックスもする。

3人の奇妙な3日かそこいらの旅は、時にわけのわからない衝突となるが、次の日には修復へと向かうといった具合だ。アリは何を考えているのかよくわからないし、でもテッペイだって曖昧なだけで同じようなものだ。「2人とも最低。たまには本当のことうち明けて」とサラが言うのもうなづける。とはいえ数日で何かがわかるはずもないんだが。

アメリカ人の相手がいる妻に拒否されたことで、アリの妻探しは、あっけなく終わりとなる。「アメリカ人は世界を支配しようとしている。アメリカ人は私の妻を奪った」。なんだ。急にこんなこと言い出して(アリが入国時に執拗な検査を受ける映像もあったけど)。だからって「アメリカのせいか。あんたに責任はないのか」とテッペイが言うことはないよね。

テッペイはサラに旅行に一緒に連れて行って欲しいと言われるが、はっきりした返事ができない。自分にはしたいことがあるとかは言ったかな。別れのバス停で先にアリが去り、テッペイはサラにも別れを告げたのに、車が走り出すと必死になって追いかけるって、ちょっとねー。で、画面も暗転。

最後は、途中でも挿入されていたモニュメント・バレーの空からの撮影シーン。これは何度見てもきれいだ。夜明けのシルエット中で光る水たまりや、果てしもなく広ろがる岩山の数々。遠景で見ているぶんにはため息が出るほど美しいが、そこに降り立ってみると殺伐としているってやつでさ。

退屈はしなかったけど、よくわからなかったのな。モニュメント・バレーでやっていた西部劇の見せ物(なんでここはセピア処理なんだ)やサラと黒い馬のシーンなども意味不明。

新宿武蔵野館3で『ブロークン・フラワーズ』(Broken Flowers)。

あなたの息子はもうすぐ19歳になるという差出人不明の手紙を受け取ったドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)だが、昔プレイボーイだっただけあって相手を特定できない。おせっかいな隣人ウィンストン(ジェフリー・ライト)の段取りで、気乗りしないと言いながらもピックアップした4人の女性に会いに行く。

しかし、このドン・ジョンストン氏はもう終わってますな。女に逃げられたばかりとはいえ覇気がなさすぎ。プレイボーイにもコンピュータの事業で成功した(すでに引退したようだが)人間にも見えない。悠々自適の生活だから出来ることなんでしょうが、いつもソファに無表情でぽつねんと座っていられてはねー。

昔の女を訪ね回るという設定は面白く、女性陣(シャロン・ストーン、フランセス・コンロイ、ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン、他にジュリー・デルピー、クロエ・セヴィニー)もそれぞれ興味深い対応を見せるのだが、なにしろドンがはっきりしないから歯がゆいばかり(これで本当にプレイボーイだったのか)。過去の恋人とはいえ、彼女たちの今を見ることでドンの好み(手当たり次第だったってことも)やどんな付き合い方をしていたのかもわかるわけで。そうか。それでよけい自分にげんなりしてしまったとか。

最後にドンは、通りで見かけた青年を自分を訪ねて来た息子と思い込む。ヘンなことを言って青年に逃げられるとあわてて追いかけて通りに飛び出すが、今度はそこで車に乗った別の青年と目が合い、(もしやこいつか、と)固まってしまう。ここは実におっかしい!

そうはいっても、来たのがピンクの手紙だからピンクが手がかりだと、これはウィンストン説だが、そうして行く先々でもそれらしきものをちらつかせて、その気にさせてそれで終わりってのもね。ここは何が何でもとびっきりの、そう、もやもやでない結末を用意すべきだった。

「過去はもう終わった。未来はまだどうにでもなる。大切なのは現在だ」というのは抜け殻のドンにとっては意味のあることだとは思うが、こんな結論を押しつけられてもなぁ。

それにしても手紙を書いた人物は、ドンにどうしてほしかったんだろう。何かを期待していたのであれば、ドンが訪ねたことにもう少し違う反応を示したのではないか。となると差出人=逃げた女説も捨てたものではない……。

ジム・ジャームッシュの感情移入を拒む(その気になると、ふっと横を向いてしまうような)そっけない演出は、この人ならではの雰囲気を醸し出しているのだが、そんなことよりもさ、今回はどうしても気になってしまうこの謎をどうぞ明かしてくださいませ。


■2006.6.3(土) Adobe「デジタルフォト&デザインセミナー」

 

掃除に雑用。

果太は元気。あれぇ、てことはポリオの薬が怪しいんじゃ……。風邪でこんなに早く元気になったことなんかないのに。少しはたくましくなったのならそれはいいのだけどね。

11時過ぎに自転車で新橋へ(納品も)。文庫本3冊購入(3346×.95=3179)。母とは15分ほど。

東京コンファレンスセンター・品川 アレア品川 5Fの大ホールへ。Adobe主宰の「デジタルフォト&デザインセミナー」に出席(13:08〜17:30)。

8分の遅刻は、途中の大門で入った、空いていて早いはずの吉野家が、従業員が足らず、かつ大量の弁当を買う客が注文していたのを見過ごしたため。あとビルに着いてから変な所から入ってしまったので、ホールまで行くのに多少手間取って。ギリギリまで母と喋ってたのもね。

セミナーは4つあり、2人の写真家(中村成一、茂手木秀行)に、デジタルレタッチャー(北岡弘至)、プロデューサー(佐藤武司)、アートディレクター(Johan Prag)が講師の興味深いものばかり。大勢(400人近くいたのだろうか?)が対象なので細かいところでは歯がゆい思いをさせられたが、Photoshop CS2をベースにした内容だけでなく、写真家のちょっとしたヒントやニコンのD2XをWiHiカメラに仕立てたものの実演などもあって、大いに勉強になる。

休憩がセミナーの間にそれぞれあって、コーヒータイムまであるのだが、展示を見ているとゆっくりしていられなかった。ここでもLightroomというアドビの新しいプロ向け写真閲覧・選択・現像ツールを見つけて大興奮。こんなのがあるんだったらもっと早く、開場の12時に来るのだった。

帰りは海岸通り経由で。昔の海岸通りらしさなどほとんど残っていないので、浜松町まではキョロキョロしまくり。変貌度はここから新橋までの方がすごいのだけど、ここからは何度か通っているのでどんどん自転車を走らせる。

でもスピードがでないよー。品川までなら平坦なところばかりだしへっちゃらなはずだったが、家にたどり着いたら結構くたびれていた(19:05)。何かする度に体力が落ちていることを痛感させられるのな。いかんいかん(って口だけ)。


■2006.6.2(金) 合計特殊出生率 勉強会

 

昨日の朝日新聞(夕刊)の出生率が最低の1.25になった(0.04ポイントの大幅な低下)という記事の「キーワード解説」に「合計特殊出生率 女性1人が15歳から49歳までの間に産む子どもの数の平均」とあったが、この15歳から49歳までというのは何なんだろ。14歳以下もしくは50歳以上で子どもを産んでも、それは加算されないの? 「女性が一生の間に産む」では何がいけないんだろう?

果太は、真ちゃんが休むことに。日中静かだった(寝てばかりいたらしい)ので心配したが、快復に向かっている様子。

高田馬場で勉強会(19:10〜21:20)。昨日読み終わった『日本人の遺訓』がテキスト。レポーターはY江氏。15人出席。


■2006.6.1(木) 夏嫌い 本『日本人の遺訓』(桶谷秀昭)

 

ふと温度計をみると30℃を超えている。仕事場でじっとしているから暑くはないのだが、もうこれ以上上がらんでほしい。近年、完全に夏嫌いになっている私。今から夏を恐れていてどうする。

仕事場の外回りや中ですす払いをしていたら汗ばんできた。あーやだやだ。

遠近両用眼鏡が出来上がる。まだよくわからんが、こんなものかしら。

16時過ぎに次女が果太を連れて帰宅。熱(38℃)が出たという。まる1月調子がよかったのにね。ポリオの薬を疑ったが、医者の判断はただの夏風邪だ。

FLASH自習8回目。2時間。遠近両用眼鏡のおかげで手元のテキストもなんとか読めるようにはなったが、だからってFLASHが進展するわけじゃない。当然か。お絵かきの段階でこれじゃあね。しかし、3年前にやったとこばかりなのになぁ。すっかり忘れているのがね。あれ、ということは3年前はまだ老眼という認識はなく、テキストもそんなには苦労しないでも読めたんだ(しばし感慨に耽る)。

桶谷秀昭『日本人の遺訓』(文春新書)を読む。

まえがきに「何よりも、遺訓は、発話者において、最後の言葉に近づく陰翳をおびてゐる。それを最後の言葉として汲みあげることができるか否かは、後世の人間の資質、能力いかんに依るであらう」とあって、ここは作者の自負もあるのだろうけど、いい加減な読者である私は、責められている気分になる。

日本武尊から始めていて、だから古典が多くって、私には手強いのな。知らないことが多いので、読んでいてなるほどと勉強にはなったし、漱石の手紙の紹介など好きなところもあるのだが、全体を通したものが見えてこない(能力がないのね)のには困った。

ところで桶谷秀昭って、文がうまいの、ヘタなの?


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