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ブックリブックスの店主デクノロジジイの日記です。暇を持て余している人以外は近付かないほうがよろしいようで。
また本や映画については、ネタバレに関しての配慮はしていませんので、その点もご注意ください。一応、最近のものについては映画の内容に触れている部分は青くしています。
なお2006年からは、この日記と同じ内容のブログ(http://blog.livedoor.jp/dechnologigy/)もあります。
日付

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■2006.5.31(水) 粗大ゴミ無料回収車 トロの抜け毛

 

粗大ゴミの無料回収車(業者)がやってきたので、古い98とモニターを出す。テレビは10年以内の製品で21インチまでと言われる。壊れたのは15年は経っていそうだし、28インチだものね。しゃあない。

トロにブラッシング。抜け毛の量が急に多くなってきた。今日はいくらやってもキリがないくらいで、トロが逃げ出す前に(猫って従順だよね)こっちがイヤになってしまう。

今村昌平死去。


■2006.5.30(火) 見えた!

 

作り直しの眼鏡が出来てくる。店頭でレンズを入れ替えるのに15分ほど待たされた。おお、これこれ。このくらいは見えないと。

割ってしまった眼鏡と比べると、今度の方が多少よく見える。そして、当然なのだが手元は以前のように見にくくなった。これだったら遠近両用が必要だ。で、見えすぎの疲れが。頭痛までには至らないから、これで正解なのだろうが、目が悪いというのはなんともやっかいだ。


■2006.5.29(月) メダカの孵化

 

リウマチの家人の足が痛そうなので果太を保育園につれて行った。本人は大したことがないと言ってるが、足を引きずられてはね。

気温が上がっているのか、仕事をもってきたM山さんがふうふう言っている。仕事場で動かないでいる私には気持ちのいい日なんだが。

メダカが孵っていた。これ以上増えても困るので、最近は積極的に親と卵を分けていないのだが、先週もしやと思って水草を別の水槽に移しておいたもの。やっぱり可愛い。


■2006.5.28(日) 作り直し 映画『デイジー』

 

雨なのに夜帰ってこなかったトロのため朝早目に下に降りる。待っていたらしく飛び込んできて(濡れてはいなかった)、餌をがつがつ食べ、少しは甘えたけれど早々に、仕事場のいつもの自分の場所で寝てしまう。外は気持ちはよくても警戒しているから、きっと疲れてはいるんだろうけどねー。

朝はぐーたらするつもりでいたんだが、結局起きてしまう。

眼鏡店へ(10:00〜11:00)。眼鏡は結局2つ共(1つはまだ出来てきたわけではないが)作り直してくれることになった。

この間と同じ検査の繰り返し。でも担当も違うせいかやり方も微妙に違って、作ったものでは左目で0.5しか見えていないことがわかる。日によっても度は多少前後するし個人差もあってと言われるが、そんなことは最初に言ってほしい。

だいたい用心して1つ作ってから2つ目のに取りかかればいいと思うのだが、私のようなケースはまれなのだろうか。

家人と錦糸町へ。食事のあとヨドバシでテレビをざっと見て、楽天地シネマズ錦糸町-2で『デイジー』(Daisy)。

少女マンガ仕立て三角関係映画。

アムステルダムに祖父と暮らす画家の卵ヘヨン(チョン・ジヒョン)は張り込みの刑事とは知らず、広場での肖像画の客として現れたジョンウ(イ・ソンジェ)に心惹かれる。デイジーの絵を描きに通っていた田舎で彼女は秘かに助けられ、それ以来届くデイジーの送り主ではないかと思ったのだ。が、それはパクウィ(チョン・ウソン)という殺し屋が届けていたものだった。なんじゃ、こりゃ。

この2人の関係は、同じ監督(アンドリュー・ラウ)の『インファナル・アフェア』を思わせるものがある。ここでも、インターポールの刑事と殺し屋が直線的に結びつくわけではなく、広場の銃撃戦での事故も偶然という仕掛け。このあたりかなり手の込んだことをしているから、気の抜けない展開なのだが、そもそもあり得ない話としか思えないのがなー。

込み入った部分を避ける(隠す)ために、3人それぞれのモノローグという構成だ。映像も別々に用意してある周到さ。これで多少は飲み込み易くなったものの、パクウィはジョンウを狙撃したのかどうかなど、はっきりしない部分も残る。

アクション映画の要素が大きいが、基本は巻頭の田園風景のようにあくまできれいな乙女チック路線でしょうか。純愛。それを25歳の女と30代の男たちが大真面目でやるのだから恥ずかしい。大声で「flower」と言って花の鉢を置き、へヨンに見つからないように立ち去るんだよ。暗殺者にして花を育てクラシック音楽を愛し、絵画について語り合うってんだから。これ自体はありがちな設定なんだけど、パクウィの非情さなどには触れられないままだから、奇をてらってのことではなさそうだ。

しかしまあ、この映画はそこがいいのかも。2人の男に愛されるヘヨン。それぞれの想いが交錯して、うるうる。ヘヨンは銃撃戦で声をなくしてしまうのだが、テレビドラマで読唇術を習得していたパクウィには彼女の叫びがわかっちゃったりするのね。これにもうるうる(私はしない)。

ジョンウの暗殺の命がパクウィに下っては、またしてもなんじゃこりゃ状態。一種の囮捜査みたいなものなんだけど、ありですかねぇ。それと、ヘヨンの個展の日にジョンウの死を知らせないままパクウィが行くっていうのがねー。

実は彼は失点が多くて(まあ、普通ってことなんだけど)ヘヨンには近づけないとか言ってたのに簡単に破っちゃうしね。へヨンが自分を見守ってくれていると感じるからいいようなものの、やっていることはストーカーだもの。その点ジョンウは、デイジーの送り主ではないと言えなかったことくらいか。刑事の素性を隠していたことは謝っていたが、本当に言わなければならないのはこっちじゃないだろうか。

いや、面白い映画でしたよ。目一杯楽しめちゃった。そもそも韓国映画なのにオランダが舞台なんだものねー。この時点で少女マンガ的。でもそれはうまいこと説明できてました。

楽天地ビルを出たら晴れ間が広がっていた。散髪をして帰る。掃除。

FLASH自習7回目。30分。


■2006.5.27(土) 映画『間宮兄弟』『ピンクパンサー』『Goal! ゴール!』 ちくま文庫のカバー

 

雨。新宿に行き、映画3本。

まず新宿武蔵野館1で『間宮兄弟』。

子供がそのまま大人になった感じで、紙飛行機やグリコジャンケンで遊び、テレビやDVDを観、寝る前はその日の反省会する間宮兄弟。2人はこんなにも仲が良くって、30代になっても同居、そう2人暮らしを続けているんだと。ふうむ。

それはいいにしても、でもだからって寝る時まで一緒というのはねー。私にはこの兄弟(兄明信:佐々木蔵之介、弟徹信:ドランクドラゴンの塚地武雅)は理解不能。人格や考え方がではなく、そこまで行動を共にするということが。

でもまあ映画としてなら面白い。2人がオタク(マニア兄弟。長く独身でいたら多少はそうなるよね)なので、彼らの蘊蓄ゲームをきいているだけでも楽しいということもあるのだが、生活のほとんどすべてを覗き見させてくれたら面白いにきまっているもの。

しかも、兄はビール会社の研究員で弟が小学校校務員というのがねぇ。やらせが入ってませんか。いや、それもいいでしょう。みえみえであってもこの際飾り付けはいろいろあった方がいろんなところで遊べちゃいますから。

そんな満ち足りた独身間宮兄弟ではあったが、2人共恋人がいなかった……。

というわけでここから、物語は正しい方向に邁進することになるのだが、カレーパーティから浴衣パーティになっても、核心に触れようとしないというのがねー。

兄弟に第三種接近遭遇するのは、葛原依子先生(常盤貴子)、ビデオ店員の本間直美(沢尻エリカ)、その妹の夕美(北川景子)に、明信の会社の先輩(高島政宏)の妻さおり(戸田菜穂)たちだ。

彼女たちにはすでにそれぞれ相手がいて、健全故に問題があったり修羅場だったりするのだけど、間宮兄弟の方は、いろいろあるものの結局はふられてしまって「2人でこれからも暮らそう。静かに今まで通りに」って言うことになる。

「正しいことに真っ直ぐ向かって進みたい」という気持ちはわかるし、ちゃんと生活しているのだからそこは応援したくなるが、母親(中島みゆき)が「女の人にもてなくってもたいしたことじゃない」と言って台無しにしている感じがなくもない。兄弟でここまで気が合ったらそれは居心地がよさそうだけど、でもそんなふうにしていたら、それは違うでしょう。……としか言えないのだけど。

変わった兄弟の生活を覗き見しているぶんには面白いのだが、いくらここを覗いていても肝心なものはちっとも見えないのだな。続篇か、本間姉妹篇を期待。野球少年にいいようにされてる(でも憎めない)直美(2度の「断る」がよかった)や、彼氏にフランスへ行かれてしまう(徹信ではないが、あなどれない)夕美の姉妹のその後を見てみたい。

MDがiPodに完敗した映画でもありました。

続いて新宿武蔵野館2で『ピンクパンサー』(The Pink Panther)。

懐かしのピンクパンサーが帰ってきた! が、思い出すのはあの音楽とアニメ(この新作でも使われている)だけ。ブレーク・エドワーズのピーター・セラーズ版のどれかは観ているはずなのに、何も覚えていないというのがねー。

パリで中国とのサッカーの試合に勝利したフランスチームだが、競技場で監督が殺され、身につけていたピンクパンサーというダイヤも消えていた。ドレフュス警視(ケヴィン・クライン)は自らの捜査を秘密裏に行うため、マスコミ対策用に、また犯人を油断させることにもなると、あえておばかなジャック・クルーゾー(スティーブ・マーティン)を警部に抜擢する。

ギャグはてんこ盛りだが、どれも恐ろしく古くさい。特にのっけの電動車椅子の電気を逆につないだり、2人乗りの小さな車(スマート)を縦列駐車で前後の車にぶつけてしまうあたりは程度が悪く行き先を案じたが、途中からはなんとか調子が上がってきたような……。慣れの問題かや。笑うつもりで寄席に行くのとそうでない場合の違いのようなもので、その気でおばかなクルーゾーに付き合う覚悟はいるかもしれない。

無能で何もわかっていないクルーゾーだが、自分の大チョンボにはさすがにシュンとなってしまう。が、それはともかく、そこから事件の解決まで急にまともになってしまうのは妙だ。一方してやったりのはずのドレフュス警視が逆にかなりいい加減で、クルーゾーと代わり映えしないとなると……。これはちょっと脚本を作り間違えたかなぁ。切れ者がおばかにどうしてかやられてしまうという図にはなっていないのだ。

ダイヤのありかを偶然発見したのはよしとしても、そのあとのクルーゾーの推理とおばかぶりが結びつかないのでは、単純に喝采を送るわけにはいかない。性格的に悪者だったドレフュス警視だが、クルーゾーのおいたに散々我慢させられたあげく、最後(もうここではおばかなクルーゾーに戻っている)にも恐怖の体験が待っていると来ては、同情せざるを得なくなる。ケヴィン・クラインはよくこの役を受けたよなぁ。

ジャン・レノは、ドレフュス警視の命でクルーゾーの見張りをする地味なポントン刑事役。露出度の割には活躍場面が少なくて、ただの冴えないおっさんどまりだった。殺された監督の恋人(歌手)にビヨンセ・ノウルズ。クライヴ・オーウェン(006役だから、彼はもうけ)やジェイソン・ステイサムも顔を見せる。クルーゾーになりきったスティーブ・マーティンは、さすが主役でした。

本屋で時間調整をしていて、ちくま文庫のカバーの紙質が一部変わっていることに気付く。お、やっと代える気になったのだろうか。今のカバーは(昔は講談社文庫などもこれだった)新品感がなく、汚れも付きやすいから大歓迎。筑摩側としてもメリットが大きいと思うんだが。

最後は新宿ミラノ座で『Goal! ゴール!』(Goal!)。

LAのヒスパニック地区で父の下で庭師として働く、サッカー好きサンティアゴ・ムネス(クノ・ベッカー)のプレーが、ニューカッスル・ユナイテッドの元選手でスカウトだったこともあるグレン・フォイ(スティーヴン・ディレイン)の目に止まる。

10歳の時の不法入国、仕事一筋の父親との確執、祖母の愛情、持病の喘息、恋、いやがらせ、スター選手の暴走、父の死、怪我で脱落していく仲間などのエピソードを手際よく織り込み、サンティアゴがニューカッスル・ユナイテッドの一員となって活躍するまでが描かれる。

が、語られる話のどれもがありきたりで、面白くないのだ。いや、そんなにひどくはないのだが、平均点以上でもなければ以下でもないといったデキ。いくつもやってくる危機もするりと手が差し伸べられて落着という感じのものばかりだし。

FIFA初のオフィシャル・サポート映画といったって、サッカーシーンとなれば実際の試合にはかないっこないし、スタジアムの臨場感は出ていても試合の流れに配慮しているわけではないから、肝心のところで盛り上がらない。

次ぎはレアルマドリードで第3部はワールドカップが舞台ということが決まっているそうな。そこまでレールに乗っかっちゃってるんだ。でもまあ舞台限定なんだったら、今回のように盛り沢山ではあっても山場のない映画にはならずにすむかしらね。

新しい眼鏡があまりよく見えないことが、今日外出してはっきりした。見えすぎてくらくらした経験はあるが、見えなくてもこんなに疲れるとは。映画のように座ったまま見ている分にはほとんど気にならないのだが、問題は歩いている時で、駅の構内の表示板が見えないのには閉口した。

明日はまた眼鏡屋に行かなくては。土日だから、遠近用のも制作はほとんど進行していないだろうし(1週間はかかると言われた)。


■2006.5.26(金) 違和感

 

昼に予備用の眼鏡が出来上がる。毎度のことながら新しい眼鏡をすると違和感に悩まされる。軽いけれど夜まで頭痛。昨日は裸眼でいて、やっぱり頭が痛かったし、2日間何もする気がしない。

眼鏡を代えた時ってみんなこうなのだろうか? それとも私が少しばかり過剰反応なのだろうか? 早く慣れてくれー!

FLASH自習6回目。2時間。集中できないのだけど、パラパラアニメまで進む。


■2006.5.25(木) 遠近両用眼鏡購入

 

早く行けばいいものをやっと自転車を修理に出す。チェーンが外れただけなので1000円。私が壊してしまったカバーも直してくれる。というかこんな頑丈なカバーさえなかったら誰でも簡単に直せるだろうに。

家に戻る時、眼鏡の右のレンズが落下し、割れてしまった。ネジがすぐゆるんでしまうので、こうなるのは目に見えていたんだが。油断してた。予備もないしねぇ。仕事に余裕(!)があるからこういうところまでたるんでるのな。

仕方なく近所の眼鏡屋へ。遠近両用と予備(こっちは単焦点で、広告の安い品)で99800円也。あっちゃー。稼いでいないのに。

初めての遠近両用だが、まだ度が低いせいか、店先で試した限りではそれほどありがた味は感じられず。それどころかいろいろ試しているうちによくわからなくなってしまう。メンドーだ。

近視だと、フレームをかけた時のデザインもわからないから、今回もまあこんなものかなーと適当に妥協。店員は高い物ばかりすすめるが、つるの横に変な意匠をこらしたものは嫌いなんだって!


■2006.5.24(水) こわがり

 

狙いすましたように、果太の迎えの時間少し前から雨。最近出番が多くないでしょうか。やだなー。

雨はだんだん激しくなって、夕食時には雷が鳴り出す。果太が雷をこわがって、食事を中断し真ちゃんに抱きついて離れない。

なんて気の小さいヤツなんだ。ちゅーか、もうそういう感情もあって、言葉にも出すのか! そういえば、簡単な文章が喋れるようになる前から、こわいと重いという抽象的な言葉は使っていたが、どこまでわかっているのかは?

FLASH自習5回目。50分。このペースじゃとうていものになりませんぜ。


■2006.5.23(火) 本『ウェブ進化論−本当の大変化はこれから始まる』(梅田望夫)

 

梅田望夫の『ウェブ進化論−本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書)を読む。

わずかとはいえインターネットに関わりのある仕事をしているというのに、そこに「あちら側」と「こちら側」があることなど、考えてもいなかったのだからびっくりだ。

グーグルというのが、ただの検索ツール屋なんかではなく、代表的な「あちら側」の企業で、しかもそこには「世界中の情報を整理しつくす」という思想があるのだとはねぇ。

この本を読んだおかげで、なるほどそういうことだったのかといろいろ思い当たると同時に、これからインターネットでどんなことが起きるのか、ますます楽しみになってきた。

寺村輝夫死去。


■2006.5.22(月) 発育不全

 

沢山の梅の実が大きくならないまま落下していく。それがもう300個くらいになる。葉もほとんどが縮れてしまっているし、実にまではたどり着いたものの、収穫には至らないのではないかと心配になる。

ただよく見ると、この間薬(病害虫用)をまいたところは本来の葉の形で、つまりやはり薬に頼らないと無理なようだ。ということでまた少しだけ散布。

鳥がよく来ているのは虫目当てだろう。もっともあれだけ虐殺しても次から次へとわき出てきたアブラムシは、どこに行ってしまったのか姿は見えず、今代わりにいるのは2ミリくらいの白い糸のような虫である。

近所のS田さん(面識はなし)の梅の木は背丈こそ低いのに実の形がよく、もう収穫できそうなものまであるっていうのにね。枝を縛ったりしているし、よく手入れしているんだろうなー。

うちの梅に虫が多いのは、生ゴミを土に埋めているからかもしれない。草木を育てるよりは、生ゴミ処理施設としての役割が主だから仕方のない面もあるのだけれど。そもそも生ゴミは根元から離して埋めなくてはいけないらしいが、そんな余裕はないから木には負担なのかも。


■2006.5.21(日) 映画『明日の記憶』

 

歩いて楽天地へ。先に着いていた家人と楽天地シネマズ錦糸町(楽天地シネマ8からの名称変更。5〜8は廃館)のシネマ3で『明日の記憶』。

49歳で若年性アルツハイマー病になってしまう佐伯雅行(渡辺謙)と彼の妻、枝実子(樋口可南子)の物語。

始まりが2010年の入所施設の風景なので、2006年に戻ってからの結末は見えている。それでもそこに至るまでの、ほとんど予想通りではあるが、絶望を生きる道筋からは目が離せない。

この映画は夫婦愛がテーマだが、介護する妻の苦悩よりは、当事者である佐伯に重きが置かれている。佐伯の見る世界が何度も映像化されて提示されているのは監督(堤幸彦)の趣味?としても、この視点は案外新鮮だ。ただこれはどうやっても作り物にしかならないのが辛いところではある。

妻に説得され、連れて行かれた病院で医師(及川光博)のテストを受けるシーンでは、観客も当事者にさせられる。最初のテストで、1つだけにしても躓いた私など、しばらくは病気になった側の気分をひきずることになった。

佐伯の視点が貫かれるのは、後半になってからが顕著で、自分で入所施設に申し込みをしたあとの帰り、若い時の枝実子が目の前に現れ、彼女に誘われるように山道に足を踏み入れる。そこには何故か昔、結婚する前の枝実子と一緒に指導を受けていたことがある窯元が朽ち果てた姿で残っているし、枝実子(ワンピース姿で蹴ろくろというのがねぇ)に手取り足取り教えようとすることから佐伯がエロおやじと呼んでいた師匠(大滝秀治)までが現れる。

この師匠と陶器を焼き、夜を過ごすシーンは、前後の整合性からしても少し混乱気味なのだが、男っていうのがいつまでもこういうことを考えている(根にもっていた)部分が出ているようで興味深い。

病気も進めば、話は悲惨で暗くなるしかないところだが、その代わりに佐伯の、過去が半分入り交じった幻想風景で置き換えたのはうまい考えだった。ちょっとは救われるものね。もっとも、昔の妻は認識できる佐伯だが、翌日探しに来た現在の妻に会っても誰なのかはもうわからない……。

記憶が次第になくなっていくというのは、他のどんな病気よりも怖いはずだ。この映画はそれにどう向き合うかを、当事者の立場になって考えさせてくれるのだが、それ以前の段階で気になってしまうところがあるのは不満だ。

一番の疑問は、病気を自覚した佐伯が退職しないことで、名刺に部下の顔を書いているような状態では仕事になるはずがないのに、辞めないのは責任感がなさ過ぎる。娘の結婚式までは現職でいたいというのは理由になっていない。密告者の田辺誠一は他の部下からは裏切り者とみられるが、彼の行為は責められない(佐伯もそうしてはいたが)。

部長扱いのまま辞めれば退職金だって沢山もらえたのに、だから妻が仕事に出るようになる経緯には説得力がない。治療費がかかるにしても今すぐお金に困ったようには思えないからだ。新しい店の店長を引き受けるあたりでは佐伯の病状も進行しているから、「私がずっとそばにい」るという姿勢とはかけ離れている。

食事のあと、ヨドバシカメラでテレビを1時間ほど見てまわるが何も決められない。

1人になってブックオフ経由で帰る。だらだら歩きだから家が遠い。あわてて仕事。メール納品。朝やりかけていた掃除も。

夜は森下の牛角へ。


■2006.5.20(土) 朝シャン 祖母の23回忌 映画『ロシアン・ドールズ』

 

母方の祖母の23回忌。心配していた雨だが、いい天気になって日差しの中だと暑かった。

朝から髭そって、私にしては準備がいいつもりでいたら、髪が汚いと言われてしまいはじめての朝シャン。なんとー!

私だけ新橋までは自転車(10:00)。迎えにきた妹の車に母、家人の3人で乗り込み、西糀谷の清光庵へ。カーナビの設定などしていたら車酔い。やっぱりな。途中持ち直すが、着いてからしばらくは気分が悪いまま。

ほとんど次女の結婚式以来の顔ぶれだ。仁君の嫁さんと子供2人とは初対面。他にまあちゃん、亜矢ちゃんと妹はここまでで帰る。前山の叔父さんと家人の3人で歩いて蒲田の「梅の花」へ(他は車で)。計11人(前山2、飯田2、春日2、野瀬2、母、家人に私)で豆腐料理(野菜と豆乳のしゃぶ膳)を楽しむ(うーむ)。兄弟でないのは私たちだけなのだけど、ま、いーか。

駅のそばでみんなとはわかれる。少しだけ街をうろつくが、京浜+都営利用の家人ともわかれJRで新橋に出て、置いてきた自転車に乗ってシャンテシネへ。

『ロシアン・ドールズ』(Les Poupees Russes/The Russian Dolls)。

『スパニッシュ・アパートメント』(02)の完全な続編。バルセロナ留学から戻り30歳になったグザヴィエ(ロマン・デュリス)の仕事とセックスと恋を描く。

前作からほぼリアルタイムの5年後という設定にはひかれたが、あの楽しくもはちゃめちゃな共同生活時代に比べてしまうと、当然ながら生彩に欠ける。それが年を取っていくということなのだと映画も言っているみたいなのだが……。

なのにグザヴィエときたら、ライターとして認められつつあるもののそれはあくまで生活のための仕事で、しかもヨイショしまくってさえいれば食うには困らないという彼にとってはいいのか悪いのかわからない状況(悪い!)。かつ、恋がいつも中途半端なのはセックスの相手に困らないからなのか。適当につまみ食いをしている方が、身勝手を自認する彼には好都合なのだろうけどねぇ。

前作の時でさえ、面白くはあっても感情移入できずにとまどったものだが、今回はすでに実社会の中にいるのだから、老齢だし保守的になってしまっている私にはさらに抵抗がある。若さという特権を悪い方に使っているとしか思えないのだ。

けれど場面の切り取り方などは相変わらずうまく、グザヴィエをめぐる生活が軽快にスケッチされていく(凝った映像もあるしタイトルも洒落ていた)。でも、だからよけい内容が気になってくるのだ。チャーミングな黒人女性カッシア(アイサ・マイガ)を映画のセリフのように口説いても、中身がないからすぐ破綻するし、がっかりなのはグザヴィエがそのことに対して単純に怒りを発散させてお終いにしてしまうことだ。

そんなだから、シングルマザーになっているマルティーヌ(オドレイ・トトゥ)は、今回もとってつけたような役回りで、いくらお互いの性格を知り尽くしているとはいえ、元恋人同士でベッドにいて何もないというのがねぇ。ヤキモキさせながら他の男に夢中になっているシーンを入れて、もうそれっきりだった。レズビアンのイザベル(セシル・ドゥ・フランス)にしても、使い方はうまいけどそれだけの扱い。いやまあ、現実ってそんなものだから、別に不満というんではないんだけどね。

なんだかんだでロンドンにいるウェンディ(ケリー・ライリー)と新しい仕事と恋の関係がはじまるのだが、あなたの欠点が好きとまで言わせておいて、売れっ子モデルのセリア(ルーシー・ゴードン)に手を出してしまうのだから、どこまでもいい加減としか思えない。あ、でも一応ここでの恋の終着点にはなってました。

タイトルは、ウェンディの弟ウィリアム(ケヴィン・ビショップ)の結婚でサンクトペテルブルグに出かけることもあって、ロシア人形のマトリョーシュカにかけたようだ。入れ子になっていくつも出てくる人形にグザヴィエの恋の形を模したのだろうが、なんだかねぇ。

シャンテシネ1はまだ丸い背の椅子だった。やっぱり私はこれがいい。首の落ち着き加減がぴったりなのだ。次の改装でこの椅子がなくならないことを祈るのみだ。

映画館を出たら地面も自転車もかなり濡れている。映画の間中降っていたらしい。

夜は、PCを少々。届いていた『アサヒカメラ』『新しい住まいの設計』をパラパラと。いゃー、カッコイイ家に住みたいなー。願望と妄想のたぐいは無料なり。


■2006.5.19(金) 動力のメーター撤去

 

はっきりしない天気。ぽつぽつ雨だが、仕方ない、果太を保育園へ届ける。

東京電力が動力のメーターと引き込み線?を撤去していく。約20分。これだけの作業なのに作業車2台に5人?がかり。

何日か前の検針の際に撤去していいかどうかきかれたのだが、使わなくなって1年もたってからというのがねぇ。それにいいも悪いも、メーターまでは東京電力の物だというし、勝手にどうぞとしか。これだけのためにわざわざ来たのでなけりゃいいんだが。

荒らしにあって閉鎖していた回文の掲示板を再開。ついでに回文のメルマガも発行。


■2006.5.18(木) 果太2歳 暴挙母

 

果太の2歳の誕生日。まわりは盛り上がっているけれど当人(と私)はねー。

電話で母と法事の打ち合わせをしていたら、急に怒りだし、一方的に切ってしまった。いやはや。なんでこうなんだろ。前科3犯(多分)だぜ。

私、あんたの子供なんだよー。親がいい歳してそんなことしたらさぁ、悲しいじゃないの。わかってんのかな。わかっていて、甘えているからなんだろうけど、恥ずかしすぎ。元気になったのはいいけれど、変なところで強気になられたんじゃねー。

私の所に電話を入れてくる前に、妹とぶつかったという伏線があったらしいのだが、それにしてもね。自分の意見が通らないとなると、屁理屈にはかなわないとか言い出して、この暴挙ではへこたれる。そんなに怒ることじゃないのに。

それにね、私にこういうことをするとここに暴露しちゃうんだけど。といったって母親は私がサイト上に日記を書いているなんて知る由もないし、教えてもどの程度理解できるんだろ?

FLASH自習4回目。20分


■2006.5.17(水) 幼児語

 

3:30にトロに起こされて眠れなくなり、そのまま6時まで。明け方に起こされるのは毎日なんだが、このパターンだと朝からとんでもなく眠い。

雨で果太を迎えに。お迎え一番乗りだから、沢山いる子供たちが寄ってきていろいろなことを言う。幼児語はわからん。


■2006.5.16(火) 歯周疾患指導管理説明書

 

F歯科医へ(15:00〜15:50)。先生は初めて見る顔(K出先生)。最初と最後に所見を述べるだけで、清掃は看護婦(歯科衛生士?)。

ポケットを計ったり、清掃もいつにもまして丁寧な感じ。それはいいのだが、振動で汚れを取り除く機械が新しいものになっていて、これが音は静かなのだがやたら痛かった。機械のせいかどうかはわからないのだが。ちょっと痛むかもしれませんと言われても、痛みを感じたことなどほとんどなかったのに。あー、拷問だ。

2ヶ月おきの定期清掃といわれていたのに、次回は4ヶ月後でいいという。だから丁寧だったとか。1490円。

支払をすませたら「歯周疾患指導管理説明書」なるものをくれた。タイトルは長ったらしいが、たいしたものではない(と言ったら角が立つが)。歯肉の状態は「非常に良い状態です」、口腔内の清掃状態は「若干の歯石や歯垢が認められますので定期的にクリーニング致しましょう」とある。結局また来いっていうダメ出し証みたいなもんでねーの。

ブックオフの社長に、あの有名なパート入社の女性がなるそうだ。いや、素晴らしい。


■2006.5.15(月) テレビのない生活

 

毎日40〜50分程度にしろ、見ていたテレビがなくなってしまって、なんだな、寂しいわけではないのだが、……静かだ。

で、古新聞の整理がはかどる、ほどじゃないか、せいぜい1日に5〜10ミリしか山は低くなってくれないから。テレビがあるとどうしても画面に目がいってしまうから1日分強の新聞を整理するのがやっとで、これだと永遠に古新聞の山はなくなってくれそうもない。

であるからして、当分テレビは買わない方が……いや、でもニュースすら見ないでいるというのは、この情報化社会にいるには何とも不安だ。

と、とりあえず書いてみたが、実際はそうでもないような。別段何も困りゃしないんだよねー。社会も私を必要としていないってことでもあるな。当然の結論ではあるが。

FLASH自習3回目。45分


■2006.5.14(日) 母の日だった?

 

掃除。客?が来るので、いつもよりさらに丁寧に。次女は何かの集まりと友達の結婚式で外出。

最近のPCの不具合の件は、Srudio8のCDを入れたら勝手に検索して取り込んでくれて解消(自分でファイルを探そうとしたけどわからない。向こうにまかせればいいってことなのね)。結局古いバージョンのアプリケーションを捨てた時に必要な物もそれに入っていたってことなんだろうけど、だけどそれが何でワードとかにも影響するんだ? くそ。

母、妹、甥がやってくる(14:00〜18:00)。母は空豆を持ってきて茹でたのと煮物を作り出す。ウチで料理なんかしたこともないのに。テレビが壊れていてさぞがっかりするかと思いきや、今回はテレビをつけようともしなかった。もっともテレビがダメなことを知ると、例によって散歩と称して近所に買い物に出かけてしまう。よく喋っていたし、すっかり元気になったけど、じっとしていないというか落ち着かない。

何で今日我が家に集まったのか忘れていたが、一応母の日だったのね。私はもっぱらIllustratorの使い方で庸ちゃんいじめに専念。


■2006.5.13(土) 映画『ぼくを葬る』『かもめ食堂』 INAXギャラリー

 

雨の中地下鉄で京橋へ。銀座テアトルシネマのチケットを予約してからシャンテシネ2へ。

『ぼくを葬(おく)る』(Le Temps Qui Reste)。

撮影中に突然昏倒し、末期ガンと宣告された写真家のロマン(メルヴィル・プポー)の、死に至るまでを描く。監督がフランソワ・オゾンなので何かあるかもしれないと身構えなくもなかったが、勝手な予断に過ぎず、時間が淡々と流れていったという印象だった。

そうはいってもロマンは同性愛者で、しかも残された少ない時間に、たまたまドライブインで知り合った不妊に悩む女性(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)から、夫の代わりに相手になってほしいと言われ、夫婦合意かつ同席の場でセックスすることになるという、いかにもオゾン好みの話が挿入されている。

ただここではその女性に子供が授かり、ロマンは生まれてくるであろう子に相続権を与えるという、いつもの付随的な性の1シーンではなく、死に対する生をイメージした話になっている。ゲイのロマンではあるが、自分の子供を残すことの意味はやはり大きいのだろうか。恋人(クリスチャン・センゲワルト)とは乱暴なセックスと暴言で関係を解消してしまうが、その恋人の彼とも子供の出来る可能性があるのなら違った結果を望んだのだろうか。私には関心のないことなのでよくわからないのだが。

彼にとって問題なのは、自分の死を告げる相手が身近に存在しないことだろう。これなら私にもわかる。唯一遠くに暮らす自分に似た祖母(ジャンヌ・モロー)にそのことを話に行くシーンには切ないものがある。

結局父母にもうち明けられないのだが、喧嘩ばかりしている姉には彼女から手紙がきたこともあって関係修復の電話を入れる。ロマンは姉のすぐそばから電話をしているのに、目の前に姿を現そうとはしない。遠くからデジカメで姉と赤ちゃんの写真を撮すだけだ。これはロマンの演出かしら。私たちの写真なんか撮りたくないと言っていたのに、そしてこれはあの電話をくれた時じゃない、と姉に自分が死んだ後思ってもらうための……。人はこうやって死に直面してもきっと自分を演出するはずだ。だからなんとか歴史を刻んでこれたのだろうし……。

最後は、日の沈んでいく美しい海岸のシーンだ。マロンはそこで少年の姿を見る。幼い自分自身なのか、それとも自分の子供を想像したのだろうか。にぎわっていた砂浜から人が消えていくが、そこに横たわったマロンはもう動かない。31歳で自分の死に向き合うことになった1人の青年の最期の姿に、少しだけど自分の死を考えていた。

有楽町ビル地下のマクドナルドで食事+休憩。マクドナルドで初めてコーヒーをおいしいく飲めた。私ごときが言うのだから、味ではなくたぶん温度とかその程度の問題だったと思うのだけどね。サラダが増えたし、前は時間がない時にしか利用しなかったが、このメニューならまあまあだ。ちょっとゆっくりして映画のメモなどとる。

ビックカメラでテレビを見るが、何も決めているわけではないので漫然と眺めて終わり。カタログをもらってかえる。

銀座テアトルシネマは9番入場なのでお気に入りの場所へはらくらくなのだが、満席。『かもめ食堂』が限定上映なのは惜しいが、これだけ入っているのだったら、先行上映していたシネスイッチだって手放したくなかったのでは? 最近の興業事情というのはどうなってるんだろう。

『かもめ食堂』。

心地よい作品だ。肩の力が抜けるというか。だから、何か書いて台無しにしてしまうのが怖い。でもまあ、いつものように思いつくまま……。なんせメモっとかないとすぐ忘れてしまうし……。

ヘルシンキという、日本人にとってはそれほど親しみがあるとはいえぬ地に、かもめ食堂という小さな日本食の店を開いたサチエ(小林聡美)だが、1ヶ月たってやっと来た客は日本びいきのアニメオタク青年だった。

ここからミドリ(片桐はいり)と知り合うことになる導入部が、とっても愉快。観客は全員が、ガッチャマンの歌を(よく知らない人も)歌っていたのではないか。このことでミドリはサチエの家に居候することになり、食堂の手伝いもするようになる。

サチエの来るもの拒まず、といって引き留めることもしない自然体の生き方がとってもいい。

彼女は、客が来なくても毎日食器を磨き、夜は合気道の摺り足?が日課で、プール通いもしている。やることはきっちりしないとすまないタイプのようだ。

売上がなくてもあせらないのは、経済的なゆとりもあるのだろうが、自分のしたいことがわかっているのね。「やりたくないことはやらないだけ」と言ってたなぁ。かもめ食堂も、構えた日本レストランではなく、どこにでもあるような食堂にしたくって、客にもメインメニューのおにぎりを注文して欲しいのだと。そして、そういうところでは迎合しない。

ミドリや次第に増えてくる客にも、もう1人の日本人のマサコ(もたいまさこ)にも、きっとサチエの来るもの拒まずという雰囲気が伝わったのだろう。航空手荷物が行方不明になっても途方にくれるでもないのは、マサコの性格ばかりではなく、荷物が出てくるまでは急ぐ旅でもなし、このかもめ食堂にいればいいやという安心感からのはずだ。

相手ときちんと向き合うが、いらぬ詮索はしない。そして「人は変わるものですから」「いい感じに変わっていくといいですね」と引き留めない。ね、こんな食堂があったら行ってみたくなるでしょ。で、料理(食べられそうにないものもあったけど)もコーヒーも本当においしそうなのだ(食いしん坊でない私にこう言わせるんだから)。

もっとも背負った過去を捨てられるのは旅先のフィンランドだから、という側面は否定できない。そこで生活しているフィンランド人の登場人物に、店をつぶした男や亭主に逃げられた女という、ほっこりムードだけでは処理できない生々しさがあるのは当然で、映画も困惑気味である。店に残した物を取りに来て泥棒騒ぎになるのだけど、その前にだってコーヒー指導に来てるわけだし、それに忘れ物が大きすぎでしょうが。

亭主に逃げられた女の方の話は、このフィンランド女性となぜか会話が成り立ってしまうマサコという、人を食ったシーンを用意してあるんだけど、なにしろわら人形が出てきちゃうんでは穏やかじゃない(教えたのは誰なんだ!)。あとで、経過は省略していい方に落ち着かせてはいたけどねぇ。

と、いろいろありまして、かもめ食堂がはじめて満席になった日、サチエはプールにいるみんなから拍手されるのでありました。ここがまたいいんだなぁ。ここもだけど、この映画けっこうシュール。マサコの落としたキノコが行方不明だった荷物の中で増殖してたもの。

最後は、サチエとミドリとマサコが、それぞれの「いらっしゃい」を認め合うシーン。基本はこれでしょ。

ふらふらと(自転車じゃないからね)INAXギャラリーに吸い込まれてしまう。

『レプリカ 真似るは学ぶ』。贋作作りも奧が深い。ついでに『吉村敏治展−陶変異体−』も見る。そのままショールームをざっと見学するつもりで下に降りていくと、黒川紀章の中銀カプセルタワービルを中心とした展示に、ビデオまで流していたので腰を落ち着けてこれも見てしまう。

最初から18時の閉館時間までいたら帰るつもりでいたのだが、終わったら30分以上も過ぎていた。せっかく見ているのだからと気をきかしてくれたようだ。少しならともかく、申し訳ない気分。気持ちのいい対応でうれしくなる。

というわけで、家の夕食時間には遅刻。帰り道も雨。


■2006.5.12(金) トロの爪 本『マンガ金正日入門2 北朝鮮将軍様の悪夢』(李友情)

 

昨日の夜、寝る前にトロの爪を切る。トロの前右足の親指の爪は医療ミスで変形したままだったのだが、そこは触るのがためらわれて放置していたら、まるでカタツムリの殻のように丸まってしまい(不気味だ)、付け根を脅かすまでになっていた。肉の部分にわずかだが食い込んでいて、それでも他の爪の部分とあまりにも違うので、切っていいものかどうか悩んでいたのだ。

あー、でも切ってよかった。変形して肥大してはいるが切ってもまったく問題なく、猫の爪は縦に割れるから、最初に切り口をつけたらあっけないくらいだった。

気持ちのいい陽気なのに、調子のあがらない日。が、名刺の印刷は残りわずかだったこともあり、予定よりずっと早く昼過ぎには終わってしまう。

李友情『マンガ金正日入門2 北朝鮮将軍様の悪夢』を読む。


■2006.5.11(木) 本『またたび浴びたタマ』(村上春樹)

 

毎日さえない天気。じめじめのはずなんだけど、ちょうどいい気温のせいか過ごしやすい。

村上春樹『またたび浴びたタマ』読む。回文作家?サンダルダンサーにとっては、多少物足りない内容。ってえらそー。

名刺の印刷に、画像の追加と取り直し。今日はこれで終わった。


■2006.5.10(水) なんでや

 

Flash教室(4回目)。40分。復習しない私が悪いんだけど、ほとんど忘れている。4日ぶりだっていうのにぃ。

何故だかわからないが(こんなのばかり)DREAMWEAVERの初期設定?がなくなってしまって、アップできない。ワードも使おうとする度に毎回のようにMacromedia Contributeがなんたらかんたらって出てくるし。けど、Windows Picture and Fax Viewerは開けるようになった。???

上海に住む長女の友達のGちゃんが、3歳のRちゃんを連れてちょこっと(10分くらい?)顔見せ。


■2006.5.9(火) 日が暮れる メタボリック症候群

 

今日は名刺データの作成で日が暮れる、っておおげさな。それしかしていないというのが正しい。

朝刊に「生活習慣病招くメタボリック症候群」の記事。カタカナ語追放とか言っといて、新聞がこれじゃあねー。「メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)」とあるけど、これはカッコに入れるのを逆にすべきと思うが。

厳密には内臓脂肪肥満だけでなく、高脂血症や高血圧、高血糖などが複合している場合を指すらしいので、カタカナ語にせざるをえないのかもしれないけど、うちの母親にはこれは覚えられないものなー。


■2006.5.8(月) テレビの御臨終 本『うつくしい子ども』(石田衣良)

 

梅の木に殺虫剤散布。卒倒しそうなくらいびっしりいて、結局これだもんねー。

印刷と撮影画像の修正。撮り直した方が早いのもあるが、補正の腕が上がってきて(基本的なことしかやってませんが)なんとかなってしまう。

夜、テレビが突然混線?しだして、しばらく不安定な状態が続いた後、映像が消えてしまう。別のチャンネル(BSか何か?)の音声が入るのみ。そろそろ寿命とは思っていたが、あと3年くらいはもって欲しかった。今は値段がどんどん下がっている最中だかんねー。

石田衣良『うつくしい子ども』(文春文庫)読む。


■2006.5.7(日) 映画『僕の大事なコレクション』『トム・ヤム・クン』

 

家人と新宿へ。

シネマスクエアとうきゅうで『僕の大事なコレクション』(Everything Is Illuminated)。

この映画は困った。興味津々で画面は追えていたのに、終わってしまって、あれぇってことに。

用意された小道具や背景、そして人物などはどれも面白いのに、最後までそれらはバラバラで、だから全部思いつきのままで使ってしまったのではないかと疑いたくなるからだ。例えば、主人公であるユダヤ系アメリカ人ジョナサン(イライジャ・ウッド)が、何故収集家なのかという説明に乏しいのはかまわないとしても、そのことが映画が終わってからも気になってしまっては問題だろう。

祖母が死ぬ間際にくれた祖父の写真とバッタのペンダントをたよりにウクライナへ行き、そこではアレックス(ユージン・ハッツ)と彼の祖父(ボリス・レスキン)とサミー・デイビス Jr. Jr.という名の犬(だからなんなのさ)が案内役として待っているのだが、何故アレックスの祖父は盲目を装っているのか、なのに何故運転はアレックスの祖父の役目なのだろう。

ジョナサンという客がいるっていうのにロードムービー(を作るためかい)のように車をあちこち走らせ、まあなんとかひまわり畑の中にある一軒家に辿り着く。ここの住人は一人(それにしては洗濯物のシーツの多いこと)の老婆(ラリッサ・ローレット)で、もう戦争は終わったのかなどと言う(そりゃないでしょう)。

この老婆も収集家で、ジョナサンのポリ袋に対してこちらは収集物を山のように積み上げた箱の中に入れている。外部とのつながりはほとんどないらしいのに、この沢山の箱はどうしたのかしらね。

第二次大戦中にドイツ軍によって殲滅されたユダヤ人集落があったということが彼女の収集品と証言からわかる(老婆の妹がジョナサンの祖父の写真に写っていた女性だった)。なんだ、言いたいのはこのことだったのか。ユダヤ人は皆不幸な歴史を背負っている。いや、それはわからなくはないんですけどねぇ。

ひまわり畑に近づく前あたりから急に目を輝かせはじめたアレックスの祖父だが、昔のことが明らかになったあと何故か自殺してしまうし、ジョナサンは相変わらず何を考えているのかわからない表情のまま帰路につくし、って、ま、こっちは当然なんだけど。でもどうも登場人物も好き勝手に行動している感じがするのね。

収集家(特にジョナサンのような家族に関する物を片っ端から取っておきたくなるようなタイプ)というのが、過去にも特別なこだわりを持つというのはわかる気がするのだけど、収集品はあくまで彼の物であって、私の物ではなかった。要するに私には意味のない、ウクライナの風景だけが刻まれた旅だったようである。

そういえば失われた地名はトラキムブロドで、ブロドってフロド(日本人的ダジャレだな)で、イライジャ・ウッドがペンダントに固執していたのは、これも『指輪物語』だったから、とかねー。どうでもいいことでした。

WOLFGANGで食事のあと、一人でシネマミラノへ。

『トム・ヤム・クン』(Tom Yum Goong)。

奪われた象を追って、舞台はタイからオーストラリアへ。すげぇ。でもそこでもトニー・ジャーの他に活躍するのはタイ人の警察官で、最後の決戦の場もタイ寺院だったりする。悪役が中国人なのは怨念でも? アクションをいかに見せるかが映画の主眼だから、それはたまたまで、でも深層心理といいますか、って知りませんが。

今回の見所は3つ。敵のアジとでもある料理店の建物でのアクションシーンでの長回し(4階?までを次々と現れる敵をやっつけながらカメラ共々登っていく)。カポエイラ使いとの対決。50人?への連続関節技(骨折した人がいなけりゃいいが)。

邦題に料理名なんか付けて節操もないと思ったが、原題がそうみたい。でも、ホントかなー。映画の料理店は裏では希少動物を食材にしてたけど、それは関係ないしね。

以上。このての映画にはあまり興味がないもんで。すみませんねぇ。でも観ちゃったのな。はは。

抽選で当たっていたポスターをもらうために、帰りがけに新宿文化による。おまけなのかプログラムもくれた。プログラムはほとんど買わないから、こっちの方がうれしい。

夜、連休の最後の最後に少しだけ仕事。というより仕事がらみの雑用。

いや、そんなことないぞ。書き忘れているが、休み中の夜に蜻蛉玉の写真撮影もしたのだった。

本の注文がまとめて3件も。ってこんなんで驚いてたんじゃーねー。だけどブックリブックスは休眠状態で、最近は注文がないのが普通だからびっくりなのな。別件でもう1冊、月曜入金予定のものもあるのだ。どうでぃ(はずかしー)。


■2006.5.6(土) 母と食事

 

自転車で新橋の母の所へ。先に着いていた家人と3人で「木曽路」へ行き食事。

食事後に解散。文教堂で新書を買う。映画の時間が合わず(予定はないのだが)、まあいいかという気分に。銀座の歩行者天国は人であふれていた。気持ちのいい日だものねー。

Flash教室(3回目)。


■2006.5.5(金) 住吉軒の広東麺 本『ギター侍の書』(波田陽区)

 

雑用とパソコンに読書。午後30分ほど昼寝。昨日の疲れもある。

18時過ぎに家人と歩いて「島忠」へ。買い物のあと「住吉軒」へ。8年ぶりくらいなんだが、ここの広東麺のおいしさは不変だ。

波田陽区『ギター侍の書』を読む。有名人編とあるけど、知らない人が続出。で、何が面白いのかわからない。私を対象にはしてないか。


■2006.5.4(木) 下北沢 本『ほんとうは日本に憧れる中国人』(王敏)

 

今日は下北沢めぐり。10:30に家人と家を出て、笹塚−下北沢−池ノ上コース。

下北沢に着いたときにはもう昼で、寿司屋のワンコイン定食というのについ惹かれて入ってしまったが、これは大失敗。なにしろ500円だから食事に文句は言えないんだけど、それよりも手際が悪くって寿司屋らしくないのな。混むから詰めてと言われたけど混まないし、どんどん出来てたらがらがらじゃん。

このあと他を回ったらおいしそうな店がいくらもあったけど、腹もすいてたし、ま、しょーがない。

下北沢は予想以上のにぎわい。最初の商店街はごくごく普通だったが、別の道に入ったら若者がわんさか群がっていた。土地勘もないし、持参の地図がいい加減だったのでざっと見ていっただけだが、入り組んだところにも凝った店があり面白そうだ。

昼めしより高いコーヒーとこれまた昼めしより高いケーキで休憩。休むと足の裏がじんじんする。くたびれてきたので早めに渋谷に出て帰る(17:40)。もっと歩かんとなー。

夜は5人で「すかいらーく」へ。

王敏『ほんとうは日本に憧れる中国人』(PHP新書)読了。


■2006.5.3(水) 映画『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』『V フォー・ヴァンデッタ』

 

9時にはもう新宿。

新宿武蔵野館3で『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』(Nanny McPhee)。

基本は『メリー・ポピンズ』(というか原作はクリスチアナ・ブランドの『ふしぎなマチルダばあや』)だが、表面的な味付けは苦め。ナニー・マクフィー(エマ・トンプソン。脚本も担当)はメリー・ポピンズのように素敵な家政婦(nanny=乳母)ではなく、外見からして怖いのだ。

そしてやることもそんなには甘くない。7人の子供たちは、平気でギロチン遊びなどをしているくらいだから、そうでもないと対抗できないんだろうけどね。でも、最初こそ魔法でベッドに縛り付けたりするが、肝心な時には結果はどうあれ(子供たちを信じてのことなのだが)、子供たちの自主的な判断に任せ、自分たちで考えて行動することの大切さを教えようとする。魔法の乱用はしない。毅然たるものだ。

手の付けられない子供たちだったが、父親が再婚をあせるのが、アデレード伯母(アンジェラ・ランズベリー)に養育費をカットされないためと知り……。

すべての展開が落ち着くべき所に落ち着くのはおとぎ話。だからブラウン氏(コリン・ファース)は人のよい父親を演じてさえいれば、おのずと子供たち想いの若い女中(ケリー・マクドナルド)を新しい奥さんとして迎えられるというわけだ。

不気味な魔女顔だったナニー・マクフィーだが、子供たちの行状が直るにつれ、一つずつイボが取れ、歯はひっこみ、とすっかり優しい顔になっている。

最後は、雪が舞いドレスを飾る素敵なシーンが用意されている。魔法はこういうときにこそ使うのだって言わんばかり。ってまあこれは私のひがみ。

物語の始めにも言っていたことだが、必要としている人のところに現れ、いて欲しいと願っても必要でなくなれば消えてしまうナニー・マクフィーなんでした。めでたしめでたし。でもさ、であるならば好色女(おとぎ話にこの設定かい)のクイックリー夫人(セリア・イムリー)にこそ、ナニー・マクフィーは必要なはずなのにねー。

家人と会って「天はな」で食事。三省堂からミラノ座へ。

『V フォー・ヴァンデッタ』(V for Vendetta)。

近未来のイギリスがファシズム国家になっていて、その総統がサトラー。ってサッチャーとヒトラーをくっつけたのね。それはいいにしても出てくるのはいかにもな独裁国家で、今時こんな恐怖政治をやらかしたら崩壊は目に見えている。自警団もあることで、一部は民意も担っていることをほのめかしているが、目の前にある現実の方がずっと巧妙でしぶとそうだ。

なんでも第三次世界大戦では細菌兵器戦もあって、アメリカも植民地に成り下がっているというのだが、これも説明だけで、あとは世界情勢などまったく関係なし。なんだよー。面白がらせといて。

チャチなのは設定だけでなく、つっこみどころが満載なのは『フライトプラン』以上かも。書いても仕方ないと思いつつ、以下列挙。

・イヴィー(ナタリー・ポートマン)が夜間外出禁止令下に危険をおかしてまで会社の上司に会いに行く? 
・V(ヒューゴ・ウィーヴィング)がイヴィーを拷問する必要性は? 忠誠心? 恐怖の正体を知らしめるため? 
・別行動をとるための拷問? だったら別行動の理由は? 
・偽造の身分証で1年も逃げるのは大変だろうし、でもそれより1年たってもイヴィーの髪が伸びてない。坊主頭が気に入ったにしても、かつらもしないで目を付けられないか ・人気テレビキャスターの独裁者コケ番組放映は無茶 
・民衆がお茶の間のテレビ情報でVに共感して蜂起? 
・地下鉄は一番疑われていい場所。ましてや電車まで走らせる計画なんて 
・爆弾なのに花火まで上がる。演出かい? 
・大量の仮面はどうやってばらまいた? 
・上記の計画や家の資金源は?

じゃあ楽しめなかったのかというとそんなことはなく、過激な革命煽動メッセージで押し切った姿勢もさることながら、終始仮面のままのVが案外魅力的だった。立ち居振る舞いや会話(けっこう饒舌だ)から素顔を推し量ろうとすることもあるのだろうが、イヴィーが次第に心惹かれてしまうのがわかるような気がした(あれ、でも拷問を受けたんだっけ)。

まあ、仮面の下にあるのは本当の自分ではないみたいなことを言うのはずるいんだけどねー。でもキスは仮面があるからまねごとで終わるし、目的を失わず復讐に、いや革命に殉じるVはやっぱり潔い。イヴィーも仮面を剥がさないまま、爆弾を満載した地下鉄にV の遺体を乗せて動かす。

最後はビッグ・ベンの炎上。でさ、花火もあがるのよね。なに、これー。私はしつこいのだよ。

ジュンク堂から紀伊國屋へ移動しての本探し。「ラパウザ」で夕食をすませて帰る。

果太は快復。


■2006.5.2(火) 本『だから、あなたも生き抜いて』(大平光代)

 

果太×(真ちゃんが15:30?まで。そのあと次女が帰るまで家人)。熱は40℃もあるし、熟睡も出来ない様子。

曇り空から雨に。気温も下がる。昨日が異常だったから普通に戻っただけなんだろうけど。

分からず屋のY島氏がらみの仕事が終わる。最後になって校正紙に意味のないことを書いてよこすから、また電話をしなければならないし、それも文句に近いものになってしまう。相性も悪いんだよね、きっと。

Flash教室(2回目)。

家人が果太に手を取られているので(私は何もしやしないんだけど。だからって仕事を早仕舞するってのもな)、、勉強会に行くのはあきらめる。

大平光代『だから、あなたも生き抜いて』(講談社文庫)読了。いじめと司法試験合格の話が主で、暴力団妻時代はあっさりと。あとがきにあるように、プライバシーに配慮してのこともあるのだろうが、私のような興味本位な読者は肩すかしにあいます。受験勉強での集中力はマネできるものじゃないのだけど、頑張る力はもらえる。


■2006.5.1(月) Flash教室

 

昨晩、映画の帰り道がちっとも寒くなかったが、今日は起きたときからむっとした陽気。

今日から家人にFlashを教わることに。Flashは3年前に簡単なアニメを作った(大胆だ)だけだったので、すっかり忘れているから、一からおさらい。1時間。

真ちゃんが18時近くに果太を連れて帰るが、熱(38.8℃)。夕食を食べているうちにどんどん具合が悪くなっていく。


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