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ブックリブックスの店主デクノロジジイの日記です。暇を持て余している人以外は近付かないほうがよろしいようで。
また本や映画については、ネタバレに関しての配慮はしていませんので、その点もご注意ください。一応、最近のものについては映画の内容に触れている部分は青くしています。
なお2006年からは、この日記と同じ内容のブログ(http://blog.livedoor.jp/dechnologigy/)もあります。
日付

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■2006.4.30(日) 虫 映画『名探偵コナン』『アンダーワールド エボリューション』

 

掃除。梅の木の虫は驚くほど少なくなった。のではなくて一部の若葉に密集している。葉に付いているものはとても取りきれないので、4、5葉まとめて切り落とし、そのままメダカの容器に突っ込んで餌に。アブラムシもだが、3ミリほどの白い線状の虫が、こちらはそれこそゴマンといる。

楽天地シネマ8-2で『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌〈レクイエム〉』。

テレビアニメの映画版ながら、これがもう10作目なのだという。だからコナン音痴の私(テレビも知らなければ映画も初回)が一々面食らうのは当然で、説明がないところはファンにはすべて了解済みの部分なんだろう。

ということで、感想も適当に。

まず、アニメ好きではない私だが、コナンの画風はさらに苦手。キャラクターの部分は百歩譲っても、全体に絵としての魅力がない。例えば、ホテルの造形なども凡庸というよりはダサイ。

が、物語の方は意外にも入り組んだ作りになっている。毛利小五郎が子供たち同伴で横浜の遊園地に事件の依頼でやってくるのだが、子供たちまでが一緒なのはその間遊園地で楽しんでいてくださいという依頼主の配慮。で、遊園地のフリーパスが腕時計型で、実はそこに爆弾が仕掛けられていた。

何を解決して欲しいのかまでが依頼の一部というのがそもそもヘンだし、登場人物もとにかく多くて(10周年記念作だから?)、でもまあそれなりにまとめてしまっているのはすごいんだけど。

謎解きは他愛のないもの(あるいはどうして解けるんだと突っ込みたくなるようなものもある)で、かつ大きな謎(というほどでもないか)以外はコナンや服部平次がどんどん解いていってしまう(いつもそうなのか?)。謎(問題)と解決がワンセットになっているのは子供向けということもあるのかもしれないが、展開もスピーディだし、もったいをつけるよりはずっといい。

でもここまで盛り沢山にしてしまっては、子供にはわかりにくいような?

続いてTOHOシネマズ錦糸町-8に行き『アンダーワールド エボリューション』(Underworld Evolution)。

物語は前作のすぐあとを引き継いだ展開になっているから、この間観たばかりの私には非常に好都合。公開時期でいうと2年半ほど空いたことになるが、監督も同じだから作品の感触は変わらない。なにより前作同様の迫力の画面には圧倒される。

前作はセリーン(ケイト・ベッキンセール)の自分探し話だったが、ここでもそれは同じで、ヴァンパイア族とライカン族の誕生までが明らかにされるのだが、その鍵を握っているのも彼女だったのだ。

前提だけでも特殊なのに相変わらず凝った話で、咀嚼している余裕がないのが難点だ。この2作で3作分はゆうにある。詰め込みすぎなんだが、血を飲むことで記憶まで取り込んでしまうというアイデアもあって、画面上でのテンポは申し分ない。

もっとも元祖不死者のコルヴィナス卿(デレク・ジャコビ)の扱いなどは、唐突な感じがしなくもない。彼が重要な役回りを担ったことで、異端者の親子愛や兄弟愛という側面まで出てくるのだが、個人的には人間にはありえないような異端者としての価値観でもみせてもらいたいところだ。

アクションシーンで大活躍のマイケル(スコット・スピードマン)だが、それにしては存在感が薄い。それじゃああんまりだからってセリーンとの恋もあるのかもしれないが、この作品にベッドシーンはいらないよねー。監督はケイトと結婚したら見せびらかしたくなっちゃったとか? 変身した者同士のベッドシーンを用意するくらいのこだわりがあればまた別なんだけどね。

ヴァンパイア族の始祖マーカス(トニー・カラン)は前作の敵ビクター以上の肉体を持つ。さらにマーカスの兄弟で、凶暴さ故に牢獄に監禁されていた最初のライカンであるウィリアムスまでが甦る。セリーンもマイケルもさらなる混血を経て、力を得る(ここらへん適当に納得するしかないのな)ので、戦いは壮絶なものになる。

銃弾を浴びても致命傷にならない馬鹿馬鹿しさが、逆に意外なほど面白いアクションシーンになっている。残酷なシーンが次から次ぎに出てくるのだが、ヘンな暗さがないのは救いだ。

墜落したヘリコプターがらみのアクション(これはアイデアもいい)など、予算面でもスケールアップもされているみたいなのに、とっておき?のウィリアムスまで殺してしまったら次回作はどうなるんだ!って、今度は予告していないから、お終い? だったら、ちょっと残念だ。

食事は帰ってから軽めに。でも映画館でお菓子を食べてしまってるから、体にゃ悪い。


■2006.4.29(土) 映画『リバティーン』『ニュー・ワールド』

 

次女一家は横浜へ旅行。家人と新宿へ。

テアトルタイムズスクエアで『リバティーン』(The Libertine)。

いきなりジョン・ウィルモット(ジョニー・デップ)が登場し「諸君は私を好きになるまい」、「物語が進むにつれどんどん私が嫌いになる」、「私を好きにならないでくれ」と挑発的なことを言う。こんなことを言うのは自分の魅力がわかっているからで、イヤな奴そうだ(って、すでに術中にはまったとか?)。

17世紀に実在した英国の詩人、第二代ロチェスター伯爵ウィルモットの半生が描かれるが、時代背景(王政復古やら性に開放的だったという説明がある)にうといこともあって、卑猥な詩を朗読して国王チャールズ二世(ジョン・マルコヴィッチ)の怒りを買い幽閉されてしまったような人物が、何故またフランス大使の歓迎用の劇を任されるのかがわからない。才能があったのは間違いないとしても、国王、そして妻(ロザムンド・パイク)にとっても愛憎半ばながら見捨てることのできない存在だったということか。

そんな彼が、芝居の出来ないエリザベス・バリー(サマンサ・モートン)に目を付け、彼女に特訓をはじめる。二人が惹かれあうようになるところはもっと話の核になっていいはずなのに、そうはならないのはウィルモットが、彼の言動を見ている分には面白いにしても、自分に投影するにはやっかいすぎる人物だからだろう。サマンサ・モートンが今回はすごくいいのに残念だ。

このあと馬鹿馬鹿しいまでのポルノ劇が上映され、中止になり、遁走し、酒に溺れ、仲間も救えず、梅毒にむしばまれ、詐欺師になり、追っ手に捕まるが王からは「無視」の刑……。

もうバリーとの関係もうやむやになってしまっている。そういえば国王はバリーにウィルモットの劇の進行も含めた監視を命じ、バリーもそれを了承したはずなのに、それはどうなってしまったんだろう。報告を怠ったバリーなのに何故活躍できるのか。召使いのオールコック(リチャード・コイル)とのエピソードなどは気が利いているのに、こういうのは困りものだ。

暗い画面はどこまでも調子が同じだから、17世紀のイギリスの雰囲気はよく出ているにしても、時間経過が読みとりにくくてだらけてくる。

梅毒に冒されながらも最後に、王の弟が弾劾される裁判で王のため信義を説くウィルモット。個人の行いとしては評価できても、体制擁護になってませんかねぇ。

お終いにまた、巻頭シーンの続きがくる。こう不遜に振る舞われては、気にはなっても好きにはなれないよね。映画もそんなだ。妻の財産で好き勝手にやってた奴が33歳で死んじまったってねー。あー、そうかよ。

「ロムレット」で食事をしたあと、紀伊國屋書店新宿南店へ。家人とはここで自然解散。

新宿東急に行き『ニュー・ワールド』(The New World)。

アメリカ人には有名?なアメリカの建国物語の一部になっているポカホンタス話(ディズニーのアニメにもなった)で、この映画も多くはジョン・スミスの記述をもとに物語を構成している。でもそもそも彼の話は信憑性が薄く、ポカホンタスが有名になったことに乗じた作り話と断言している人もいるくらいなのだ。疑問は当然そこに帰結する。

それは置いておくにしても、まず映像が、美しくはあっても終始浮ついているように見えた。はじめのうちそれはポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)とスミス(コリン・ファレル)の愛を描くためのものであって、どこか現実離れした感じがつきまとうはそのせいなのだろうと思っていた。自然や愛の対象を浄化しての映像表現だとしたらすごいと買い被ってしまったのだが、入植地での先住民との軋轢、砦内の窮乏や疫病に腐敗を描いた時も撮り方は変わらない。浄化どころか、対象を遠ざけているようではないか。

浮ついて見えたのは、この話が、ポカホンタス、スミス、ロルフの三人のモノローグという、視点の定まらない構成で成立していることにもよる。実際の会話より、心の中の声の部分が多いところさえあるのだが、最後までしっくりこない。

話は進み、スミスとの別れがあり、ロルフ(クリスチャン・ベール)の求愛によって結婚したポカホンタスは英国に渡り、そこで死んだと思い込んでいたスミスと再会(死はスミスの偽装)する。彼を受け入れないのは、母としての自覚や、なによりも彼女自身の自立を表明しているのだろうが、私には監督のテレンス・マリック自身がまとめ方を探しあぐねているようにも思えた。

アメリカ大陸がニュー・ワールドとして位置づけられるアングロ・サクソン史観だけでなく、彼女にとってのニュー・ワールドも平行して描かれているのは間違いないのだが、だからといってジョン・スミスによるポカホンタスを踏襲したままでは、彼女はあくまで植民地人にとって都合のいい女性であり、建国神話をそのまま肯定したいのだろうと思わざるをえない。


■2006.4.28(金) 分からず屋

 

最近は、いやなこと(仕事も)はしないという傲岸不遜路線の私だが、だからって回避できるものではないねぇ。本日も2件。

作業を進めていて、支給されたデータに不備があることに気付く。間違えたデータを寄こしておきながら、予算があるからやり直し分に関しての料金は払えないと当然のように言われてはねー。こちらが言い出すまで無視しようとしてたし。

相手は簡単にデータを送り直すと言うが、こちらはまた同じ作業を最初からしなくてはいけないわけで、そう食い下がると、じゃあ折半にしましょうときた。折半たってそっちのミスなのにぃ! 現場のことを知ろうともせず上っ面のやり取りですませようという態度に頭にくるが、何しろ直接の客でないのがなー。

この分からず屋は、月曜に個人情報だからデータはメールでは送れないと言っていた当人で、さすがにそんなことをしていたら今回は間に合わないことに気付いたのか、今度はメールで入稿するという。でしょうとも。納期だって逼迫してるんだから。ま、こちらの作業がどうなろうとあなたには屁でもないんでしょうが、休日仕事だから料金を上げろってさらに言われるのが面倒で、仕方なくなんですよね。

データは何故か府中の別会社から届いたから、この人はまったく中身に付いては関知していないんだろうね。はー。

2つ目は、廃業したS口さんが、印刷会社からデータを要求されたといってやって来たことだ。こちらも料金のことは一言も口にしない。虫のいい申し出(むろん印刷会社が)だということをどこまで理解しているのだろうと思うが、これが最後なんだからと言い聞かせて送信。

先日はしんみり気分で最後の挨拶をしあったというのに、今日はイヤなことばかり沢山思い出してしまう。

米軍再編の日本負担金は7100億円どころか、ローレス副次官てーやつによると総額で3兆円にもなるらしい。それが「大まかで控えめな試算」というから恐れ入る。日本のお偉いさんたちも「とほうもない数字」とか驚いているばかりじゃあねー。アメリカ主導の軍事同盟のままでいいはずがないと思うが。


■2006.4.27(木) ホリエモン釈放

 

雨。午後になっても上がったり降ったりではっきりしない。少し寒い感じすらする。

午前中は、エクセルでデータ整理。同じ作業の繰り返しでも長時間使ってやっていると、疑問点がいくつも出てくる。エクセルでいつもやっているものは扱うデータ量が極端に少ないので、そもそも効率化のことなど考える必要がないからなー。

今日やったのも自動化できたらすごいんだけど。来年はこれも聞いてみよう。仕事が来ればだけど。

アドビシステムズ主催の「デジタルフォト&デザインセミナー」に申し込む。

本日の虫退治:2回出撃、戦果32。

風呂から上がるとヘリコプターの音がうるさい。何事かと思ったが、テレビ中継によると、堀江被告が釈放され、その車が小菅から箱崎にさしかかったところ(我が家からは1キロほどか)だった。

堀江被告の乗った車を六本木ヒルズまで延々とカメラが追っていくのだが、いくらなんでもこれは馬鹿げてるよねー。他にいくらでもニュースはあるだろうに。

掲示板ではさんざん豚よわばりされていて、私も最近の太り方と眉ぞりには抵抗があったが、8キロ痩せた姿で報道陣に向かって挨拶している様子はごく普通の感覚で、好青年に見えた。いやはや。


■2006.4.26(水) Officeメーリングリスト

 

エクセルのセルの並び替えについてOfficeのメーリングリストで質問する。夕食をすませたら返事がきていて、即解決。こんな機能があったのね。食事中に47回置換した後に並び替えをする方法を自分でも思いついたのだが、これなら条件さえ入力しておけば、また来年も使えてしまうのだ。にゃはは。仕事が来ればだけど。回答者に感謝。

本日の虫退治:3回出撃、戦果99。

今年もハワイに一ヶ月も行っていた(って何が言いたいのかな)妹に電話。夜になってやっとつかまる。用がすんだあとは親の悪口を言い合う。

米軍の再編に約61億ドル(約7100億円)だと。安保反対。死語かな。自前の軍隊だと政府はかえってまずそうだから、このまま? そうなったら基地問題だってもっと風当たりが強くなってしまいそうだしね。


■2006.4.25(火) 本『すぐそばの彼方』(白石一文)

 

白石一文『すぐそばの彼方』(角川文庫)読み終わり。子供に自然に受け入れられる結末には救われるが、主人公には最後まで感情移入できず。面白かったけどね。

3時過ぎに暑くて目が覚める。布団を剥ぐと寒いし。中にいると暑い。更に咳も。これが止まらず。苦しいというほどではないんだが。トロがじゃまくせー、あ、ふん、って感じで出ていきやがった。

というわけで、朝眠いのな。

本日の虫退治:2回出撃、戦果50。


■2006.4.24(月) 個人情報

 

なおったはずの風邪が喉にある?

ある会社のY島という人に、データをメールで送って欲しいとたのんだところ、個人情報の漏洩の恐れがあるのでダメだという。個人情報ったって県名と氏名だけで他の情報など何も入ってないのに? 理由を聞いても、優先順位があるので手渡ししますからとにべもない。だいたいこのデータはパネルに加工して展示するものなのだよ。氏名公表を了承した人たちでねーの?

言ってることが杓子定規で、でもそれよりなにより横柄なので腹が立ってきた。直接の取引先じゃなくってよかったよ。間に入った人がPCオンチのため、気軽にピンチヒッターで電話をしたんだけど、気分が悪いったら。断るにしてももう少し言いようがあると思うんだが。

この会社のホームページに行ってみると「対話を重視」みたいなことが重々しく書かれているじゃありませんか。どっひゃー!なんでした。

続いて、先週送られてきた「破産手続開始通知書」のことでM尾弁護士に電話。この間、K藤法律事務所のY野弁護士でいやな気分になったことがまだ頭にあったが、この人はとても話しやすく、また聞いたことにも丁寧に答えてくれた。このくらいの対応をしたって損はないはずなのにねー。

本日の虫退治:7回出撃、戦果641。虐殺現場にWさんのおばあちゃんが来て、薬を撒くか葉っぱを取ってしまえばと言う。このまま増殖したらやっぱり近所迷惑かなー。でもなるべくそうはしたくないので、虐殺続行。何も考えないようにしよう。


■2006.4.23(日) 映画『連理の枝』『プロデュースサーズ』

 

まずは掃除。家のまわりも。虫退治は出撃2で成果82。一息ついたら昼で、ちょこっとPC。

14時過ぎに出かける。ブックオフのぞいてから楽天地へ。

楽天地シネマ8-8で『連理の枝』。

若きIT実業家で女たらしのミンス(チョ・ハンソン)が、不治の病にも負けず明るく生きているヘウォン(チェ・ジウ)と出会い本当の愛を知るという、なんだかなー話。

ミンスは健康診断で病院に来ただけだしヘウォンもやたら元気(なんでも突然具合が悪くなるという都合のいい病気なのだ)なのは、前半のコメディータッチに合わせたのかもしれないが、いくらなんでも緊張感がなさすぎで、後半の展開がとってつけたように見えてしまう。

バス停で車に水をかけられるという出会いのきっかけも安直なら、病室は向かい隣で、しかもダブル難病(これは最後の方になってわかるのだが、ミンスまでが脳梗塞で死を待つのみと言われたってねー)というあつかましさ。

ケータイは返さないし(犯罪だ)、出てくる医者(ソン・ヒョンジュ)と看護婦(チン・ヒギョン)に、ミンスとヘウォンの友達同士(チェ・ソングクとソ・ヨンヒ)も恋に落ちるしと、まあそれ自体はいいにしても、内容と演出があまりに子供っぽいから、いいかげんにしてくれと言いたくなる。こんなだからギャグも上滑りだ。

ダブル難病は、病気のことを知りながら互いに思いやって相手にはそのことを隠すというところに持っていくためのものなんだろうけどねー。最新のケータイにムービーメッセージとして託されるというところでちょっぴり切なくはなるんだけど、それ以前に十分白けちゃってもうどうでもよくなってました。はい。

ブックストア談で新書購入。マクドナルドでハンバーガーを仕入れて楽天地に舞い戻る。

楽天地シネマ8-7で『プロデュースサーズ』(The Producers)。

歌と踊りの雰囲気は、昔のMGMのミュージカルに通じる。ではあるのだけど、話の方は相当ひねくれていて、単純に恋物語を楽しむというようなわけにはいかない。『シカゴ』もそうでした(もっとえげつない)。今という時代は、ミュージカルであっても、あの手この手の切り口で勝負せざるをえないんでしょうね。

もっともこの作品の元はメルブルックスの同じ『プロデューサーズ』というから、話のひねくれ加減は1968年もの(何故か日本公開は2000年の暮。私は未見)ですか。当時はまだミュージカル=夢物語的なところがあって、さすがにそうはしなかったとか。

「春の日のヒトラー」という劇中劇があって、なんとこれがヒトラー礼賛ものなのだが、これで舞台を台無しにして多めに集めた出資金をもらってしまおうという企み。

だけど落ち目のプロデューサーであることを強調するためにマックス(ネイサン・レイン)の舞台が初日に楽日を迎えてしまうシーンが巻頭にすでにあるわけだから、会計士のブルーム(マシュー・ブロデリック)にヒントをもらってひらめいたと言われてもねぇ。あんまりうまい説明ではないような。

ま、そんなこんなで「最低の脚本」「最低の演出家」「最低の出演者」というコンセプトのもと……なのな。でもこれも少しばかり苦しい。ダメ舞台にするための苦肉の策(ドイツ兵のゲイダンスはあっても、ゲイの演出家が主演になることになるのは計算外だったようだが)が、ヒトラー礼賛でなく皮肉になって、大当たり。目論見がはずれて、だから困ったって言うんだけど、困りゃしないよね。

ブルームはブロードウエーのプロデューサーになるのが夢なのだから、大当たりで名声を得ることこそが本当の夢の成就になるのだし、マックスにしても詐欺師まがいのことなどしたくはないはずで、こういうふうに辻褄が合わなくなってくるのは話をこねくり回すからなんだけど、でもそこを修正しだすと何もかもがなくなってしまう!ってね。たはは。

いやそれでも、そうやって無理矢理つくり出した話ではあるのだけれど、次々と披露される歌や踊り、そして役者たちの個人芸には堪能させられるばかりだ。

ネイサン・レインにもマシュー・ブロデリックにもうっとり(とは言わないね)で、青い毛布の切れ端がたよりのブルームがヒステリー症を起こすとこなんざ何度出てきても鳥肌ものですよーン。そしてウィル・フェレル(最低の脚本の作者フランツ)の、いつもながらこれは演技なのか素なのか聞いてみたくなるような演じっぷりには唖然としてしまう。ただ、ユマ・サーマンだけはミスキャストだったような、ね。

エンドロールになると席を立つ人がいるのはいつものことだが、せいぜい数分のことだし、音楽を聴いて余韻を楽しむ時間が惜しいとは、ミュージカル映画に何を期待して来ているんだろう。おまけ映像(こういうのが多いこともご存じないのかも)だってあるっていうのにさ。まあ、最後まで観ても「早く帰れ」って言われるだけなんだけど。 


■2006.4.22(土) 映画『美しき運命の傷痕』『寝ずの番』

 

自転車で銀座テアトルシネマへ。12:20の整理券に引き換え、古本屋、家人と会って食事。で、映画館に引き返す。

『美しき運命の傷痕』(L' Enffr)。

長女のソフィ(エマニュエル・ベアール)は夫(ジャック・ガンブラン)の浮気に見境のない行動にでてしまうが、離婚を決意する。恋をすることもなく療養所に通って母(キャロル・ブーケ)の世話をしている次女のセリーヌ(カリン・ヴィアール)だが、謎の男につきまとわれる。三女のアンヌ(マリー・ジラン)は不倫相手の大学教授(ジャック・ペラン)に別れを告げられ激しく動揺するが、相手は死んでしまう。

愛に見放されたこの三姉妹の苦悩を、映画は幼い時に父親を失ったトラウマに結びつける。ソフィの行動は父親を失うことへの恐れ、セリーヌは事件の目撃者であるが故の男性不信、アンヌは父親への思慕だろうか。

謎の男の告白で、父親が自殺に至った事件の真相が判明する。疎遠になっていた三姉妹が集まり、母親に誤解だったことを告げるのだが、彼女は「自分は後悔していない」と言う。

ここでやっと巻頭のタイトルバックが、カッコウの託卵の様子を克明に写した映像だった理由がわかる。つまり三姉妹は母の不倫の子だったのだ。

そういえば、カッコウが早く孵化したあと残りの卵を巣の外に落とすのだが、自分も転落してしまい、それを刑務所から出てきた父親が巣に戻すのが映画のはじまりだった。彼は託卵が成就する手助けをする運命にあったのだ。この場合、自殺こそが手助けだったとしたらずいぶんな話だ。

少なくとも三姉妹にとっては霧が晴れ、再生の道が開けたと思うのだが、母親の一言をどう受け止めるかという問題は残る。観客には不倫の子だということはわかっても、彼女たちは知らないのだし。そう考えていくと、だんだん怖くなってくる。

クシシュトフ・キエシロフスキの遺稿をダニス・タノヴィッチ監督が映画化したというこの作品は、映像も意味深で仕掛けが多い。思わせぶりな展開もどうかと思う。そのぶん間の悪い車掌などを登場させてバランスをとってはいるが、話の基調がこんなだからとても好きにはなれない。

それはたとえば、アンヌが、教授の娘(親友なのだ)に恋の相手を悟らせようとするのだが、そして彼女の父親を独占したいという気持ちがそうさせたのだと理解できても、彼女の行為を弁護する気になれないのと同じだ。

アンヌが受ける口頭試問のテーマが、たまたま夫の愛した子を殺す「王女メディア」だったのにはドキリとするが、教授は試験場に姿を現さずアンヌの妊娠も確定ではないようだから、これはソフィを連想させようとしているのか。いずれにしても、少しばかりうっとうしい。

でも、それはそうなんだが、十分面白い映画であることは間違いない。しっかり筋を頭にたたき込んだら、もう一度今度はあら探しをするつもりで観てみたい作品だ。

歩いて銀座へ。教文館で本を見たあとPRONTOでお茶。シネスイッチ前で母と落ち合う。

『寝ずの番』。

マキノ省三(祖父)とマキノ雅弘(叔父)のマキノを継承して、マキノ雅彦としてメガホンをとった津川雅彦だが、名前を変えた意気込みが感じられた。

上方落語界の重鎮・笑満亭橋鶴(長門裕之)の死の三日前の出来事(そ○事件)にはじまり、あとは通夜の席で下ネタ話が延々と繰り広げられていく。というのも、師匠に続いて一番弟子(笹野高史)におかみさん(富司純子)までが亡くなってしまうのだ。三人も殺しておいて喜劇というのだから人が悪いのだけど、通夜の寝ずの番が連続して行われたのでした、というただそれだけの馬鹿馬鹿しい、つまり艶笑落語そのもののような映画だ。

だから映画としては平坦な話なんだけど、見せ場はちゃんと用意してある。おかみさんが芸者だった時に師匠橋鶴の恋敵だったという元鉄工所の社長(堺正章)という男がおかみさんの通夜に来て、二番?弟子の中井貴一とで座敷歌(春歌)合戦をはじめるのだが、これが意外にも盛り上がるというか、なんかすごい熱気に包まれてしまうのだ。

もっとも私の一番のお気に入りは、死人の橋鶴を起こして一緒にカンカン踊りをするところだ。支えるのを忘れられた橋鶴が一瞬独り立ちになっていたり、果てはステップを踏んでしまうシーンまで出てくるのだ。おしまいの方でも、みんながはしゃいでいる映像の中に橋鶴が紛れ込んでくる。このシーンによって、大げさなんだけど彼らには確かな師弟愛あったのだなぁとつくづく感じてしまうのだ。

崩御の日に落語をしたという一番弟子の挿話もいいね。庶民感覚だとそれはありだもの。当日は、マスコミは自粛していたけれど、レンタルビデオ屋が大盛況だったからねー。

あと麻薬話や師匠とおかみさんの馴れ初めなんかも少しは出てくるのだが、とにかくほとんどが下ネタ話で、でもこの徹底ぶりには敬意を払わずにはいられない。だからR-15なのか、言葉だけなのにね。このはちゃめちゃな人間像は、江戸時代には子供ですら浮世絵を見ていたっていうし、原日本人とでもいいましょうか、つまりはやっぱり落語の世界かしらね。

三人で松坂屋で食事をしたあと、自転車で帰宅。夜でもジャケットを羽織っただけでいいのだから楽。

虫退治は朝の1回のみ。駆除数54。


■2006.4.21(金) 破産手続開始通知書 大虐殺

 

F木さんから電話。母の付き添いで病院へ行ってくれたものの、5/2に注射の予約をしてしまったのが気になっての電話らしい。一緒に行ってくれるだけでもありがたいのだから、余計なことをしたなんて思うはずがないのだけど、当人の気持ちとしてはそうかも。

注射は肺の機能を回復するためのものらしいが、一度すれば5年は効くと言われるとかえって心配になる。

東京地方裁判所からD社に関しての「破産手続開始通知書」なるものが送られてくる。債権を届出なくてはならないらしいが、文面がいかめしくて頭が痛くなる。来週電話して聞いてみないことにはよくわからんのー。

長女から怒り?のメール。

あのね、10日にバルセロナを出発すると11日に到着するの。予定表見間違えじゃない? それと23時に成田に着いたら福岡行きの飛行機はありません。23時に福岡のホテルに着いたんです。我家のコミュニケーションに問題があるのか、あなたが私の予定に興味がないのか…(以下略)

あーん、私の4/12の日記にクレームつけてんのね。訂正するの面倒なんで、ここにコピペでご勘弁。

いい気分じゃないと言いつつ虫退治。出撃回数7。駆除数468。


■2006.4.20(木) 虫退治 オリナス 映画『アンダーワールド』

 

長女、スペインに帰る(9:10)。

果太は咳と鼻は出るものの、元気になったので午前中だけ保育園へ。

梅の木に、昨日から大量の虫が付く。放っておくとびっしりになってしまうので早めに退治。昨日は100匹くらいだったが、今日は300匹以上。殺虫剤は木の根元の方だけにしておき、あとは手近にあったスプーンで潰していった。でも若葉に入り込んじゃってるのは無理だなー。殺虫剤はあまり使いたくないし。

善人ぶるわけじゃないが、滅入るし、気持ちのいいものではないねー。

アブラムシの一種なのだろうが、特定はできない。ここの画像(http://homepage1.nifty.com/tago-ke2/ABURAMUSHI/AB-MENU.htm)にも見あたらないし……。これを見ていると、付いている植物の種類だけいるのでは思ってしまうくらいだ(名前もそうなっているしね)。全部アブラムシになってるが、素人には同じ種類には見えないのもいるよね。

18時に職場離脱。錦糸町オリナス(http://www.olinas.jp/index.html)へ。見当はずれな場所だし、って心配してたが(北口の方は自分に土地勘がないからってねー)それなりの人出のようだ。錦糸町公園に自転車を置こうとしたらここにも整備員がいて、建物内に駐輪場がありますからと言われてしまう。へーい。でも3時間以上たつと50円取られてしまうシステムなのな。映画観るだけだからOKなんだけど。

オープン記念企画で4月19日からの3日間、おさらいワンコイン上映と称して、続篇の上映が決まっている『アイス・エイジ』『アンダーワールド』『海猿』を一律500円で観せてくれるってネットにあったのでやって来たんだが、それらしい看板もなく、券を買う時つい500円でいいんですよねと念を押してしまった恥ずかしい私。

なんで派手に宣伝しない? いい企画と思うんだがな。オープン企画でなく、同じように続篇が決まったものはどんどんやってほしいな。平日の最終回でいいからさ。この値段で(これが大事)、ここだったらひょいっと来られるし。普通はDVDを借りるんだろうけど、そういう習慣がないし、やっぱり映画は映画館でみたいでしょ。

TOHOシネマズ錦糸町-7で『アンダーワールド』(Underworld)。

ヴァンパイアとライカン(狼男)が数百年に渡る死闘を繰り広げてきたというヘンテコリンかつどうでもいいような設定で、はじまったとたんの説明で不安になる。

ライカンの首領ルシアンを倒してからヴァンパイア族の勝利は目前に迫っていたが、女戦士のセリーン(ケイト・ベッキンセール)はライカン族を追っていて、彼らがマイケル(スコット・スピードマン)という医師(彼は普通の人間)を狙っていることに疑問を抱く。

設定が奇抜だし人間との接点はマイケルだけなんだが、話(込み入っているので省略)は予想以上にしっかりしたものだった。ヴァンパイアものは、SFというよりファンタジーになってしまうのだが、その懸念もいつのまにか忘れていた。

映像に力があることが大きい。主体は銃撃戦だから、凡庸なもので終わってもおかしくないのに、それを含めてけっこう緊張させられるシーンが多いからだろう。

細部にも凝っていて、銃撃戦とはいっても対ヴァンパイアには紫外線弾(吸血鬼は日光に弱いからね)で、狼男には硝酸銀(が体内で溶け出して復活できなくなる)弾なんだって。うはは。

でもそれにしては、種族間の戦争というよりはやくざの抗争程度にしか見えない(人間社会に隠れて存在する同士だから仕方ないのだけど)のと、狼男のように激しく変身するのならともかく、ヴァンパイアの方は、眠りを妨げられた指導者ビクター(ビル・ナイ)にしてもヴァンパイアらしからぬというか、映画の中では特別な意味付けがされていないというのはマイナスだ。

まあそれは、ラストですでに次回作を激しく予告しているので、それを待てということか。

私の中では評価の低かったケイト・ベッキンセールだが、このセリーン役はぴったりだ。

終わって地下の駐輪場から自転車を出そうとしたら、リフト(ゴムのベルトが地面を回っているだけのもの)が動いている! これは便利だ。


■2006.4.19(水) なおった

 

なおった、風邪。なーんだ。まだ鼻が詰まっているけど、気分はヨイ。

果太はまだ休み。だいぶ快復してきたが、夜の咳は激しかったらしい(爆睡の私。だから私の風邪はよくなった?)。風邪が引き金で喘息が悪化したということなのかしらね。快復したらしたで、面倒をみるのが大変(そう)。私は精神的には3分が限度。

夜は、家人、長女とで「すかいらーく」へ。長女は3日間宴会?続き(2日は午前様、かどうかは?)で、もう特に食べたいものはないと言うし、昼間果太の相手で仕事が手つかずの家人を考慮して、近場で。


■2006.4.18(火) うつされた

 

風邪だ。ひどくないさ。ひどくはないんだけど風邪。22℃もあるっているのに寒気までする。果太にうつされた〜。うつされた〜。


■2006.4.17(月) クリップが家に!?

 

果太は土日とも40℃の高熱。今日は熱は下がっているし、次女が休みとはいえ、咳は土日よりひどくなっている。

長女が福岡(下関の義母の家)からやって来る(9:15)。

ネットのニュースを漁っていて、アメリカ人のカイル・マクドナルドさんという人がネットコミュニティーの力を使って、物々交換だけで自分の持ち家を手に入れようとしているという記事に出会う。

スタートは1個のゼムクリップ。んで、それがすでにあるの家の1年間無料貸与権にまでなっているという。

企画力の勝利というか、ネットならではの事件かしらね。記事の最後に「あまりに不釣合いと思われる“甘い申し出”は断るつもりだ」とあるが、最初のクリップを魚の形をしたペンに交換してもらえたのは、甘い申し出じゃあなかったとでも言うんですかぃ。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1860831/detail


■2006.4.16(日) 映画『春が来れば』

 

家人と新宿へ。

シネマスクエアとうきゅうで『春が来れば』。

市民講座かなにかで指導している中年のトランペット奏者イ・ヒョヌ(チェ・ミンシク)の楽団員になる夢は遠くなるばかり。夢は捨てても事業では成功している親友のギョンス(チャン・ヒョンソン)には酔って当たり散らすし、長年付き合ってきた恋人のヨニ(キム・ホジョン)には、結婚する人が見つかったと言われてしまう。

一緒に暮らしている母親(ユン・ヨジョン)ともつい口喧嘩になるしで、逃げ場を探すかのように、ソウルから寂れた炭坑の町にある中学校へ音楽指導員としてやってくる。

もう何度も作られてきたような設定の、落ちこぼれ人間によるつぶれそうな吹奏楽部再生物語。生徒や田舎の人たちの生活の機微に触れる中で、最後には本人も立ち直るという、これまた予定調和的な展開がまっている。

まったくもって甘っちょろい話なんだが、丁寧でゆったりとした語り口は心地よい。逃げ込んだ先はうらぶれた冬の田舎町だったはずなのに、主人公ではないが、薬局の前で降リはじめた雪をすでに楽しんでしまっているのだ(ドアは閉め忘れずに)。薬剤師の若い娘スヨン(チャン・シニョン)と親しくなっていくシーンもいいし、母親から夢を聞き出すシーンもいい。でもなにより、ヒョヌとヨニが心から好き合っているというのが至るところでわかるのが本当に素敵だ。

練習をかねて坑夫たちのために演奏するシーンは、冬の雨に濡れてまでだからいささかやりすぎだけど、主人公の教え子のジェイル(イ・ジェウン)が海岸でヨニに乞われてトランペットを弾き、親友といるヒョヌが自分の曲に気付き、このあとヨニの車を追っかけながらすれ違ったままという工夫が、平凡な話の中では光っていた。

そして、コンクールで指揮するヒョヌの楽しげでカッコイイこと。

ただ、春と共にヒョヌはまたソウルに戻ってしまう。中学校での扱いは臨時教員のようなものだったのかもしれないけれど、そこらへんは説明不足で、だからそんなことでよかったのかなという思いが残る。生徒たちの中で流行っていた眼病がうつって、ヒョヌもソウルへの帰り道では眼帯をしていたのに、ヨニに電話する時にははずしてしまうんだよね。もう田舎町でのことはきれいさっぱりなの。どうでもいいようなことなんだけど、気になっちゃって。

チェ・ミンシク主演の映画を二日続きで観るとはねー。

食事。LOFTでポットやバッグを見たあと結局ジュンク堂へ。私は7階をあっちこっち。家人はPC関連書籍棚にへばりついたまま。珍しく一緒に帰る。


■2006.4.15(土) 映画『ヨコハマメリー』『クライング・フィスト』

 

一人で新宿へ。テアトル新宿には30分前に着くが、列は一階まで延びている。すでに何人入っているかだが、まだ座れますとアナウンスがあった。入口にはプレス用のテーブルがあるが席は自由(前の中央3列くらいを前もってプレス用に確保していることが多い)で、結局空きも少しだがあった。

舞台挨拶は15分ほどで、中村高寛監督(30歳とは若い!)と五大路子に写真家の森日出夫の三人。写真撮影もOKなのがうれしい。というか、何で最近の舞台挨拶は写真撮影が禁止なんだろう。宣伝にだってなるのにねー。狭量。

『ヨコハマメリー』。

50年以上も現役娼婦だったというヨコハマメリー。目立つ姿で街角に立っているから、横浜では有名人だったらしい。そのメリーの実像、というよりは彼女とその周辺のことを少しだけ知っている人たちに取材したドキュメンタリー映画である。

「少しだけ知っている」と書いたのは、よく知っている人など登場しないからで、つまりこの映画を観ても彼女のことはほとんどわからないのだが、それはよく知っている人がもういないということはあるにせよ、ようするに彼女の生き方の結果なのではないか。プライドが高く(彼女を語る人が口を揃えて言う)、他人から施しを受けようともしなければ、自らのことを進んで語ろうともしなかったというメリーの。

だからそんなメリーが、ゆっくり眠れる場所が欲しいと言っていたというところは痛切だ。彼女の背が丸くなってしまったのは、もしかしたら椅子をベッドがわりにして寝ていたからではないか。

晩年のメリーに友達といえる人はいなかったようだが、彼女ともっとも親しかったと思われるシャンソン歌手でバーの経営者でもある永登元次郎という人を、映画は準主役扱いにしている。

ガンの宣告を受けた余命幾ばくもない彼が歌う歌、そして老人ホームにいるメリーを訪ねていくシーンでは胸が熱くなった。

そこでのメリーは、トレードマークの白塗りを落とし白いドレスも着ていない、「皇后陛下」でも「きんきらさん」でもない普通のおばあちゃんでしかなかったが、やはり余計なことは何も語らず、伝説の人は伝説のまま終わろうとしているかのように見えた。

食事のあと45分ほどぶらついて、新宿武蔵野館2へ。

『クライング・フィスト』。

北京アジア大会の銀メダリストという栄光を持ちながら事業に失敗して「殴られ屋」になるしかなかった40男のカン・テシク(チェ・ミンシク)と、喧嘩とカツアゲの末少年院送りになったユ・サンファン(リュ・スンボム)が、リングで激突する。

二人のことはずーっと平行して描かれるだけで、新人戦の決勝で初めて顔を合わせるという演出だ。

境遇も年齢も異なる二人だが、テシクは妻子との関係修復、父の死もあって祖母の期待に応えたいサンファンと、意味合いはだいぶ違うものの、今までの人生に区切りをつけるには勝利しかないと考えるのは同じ。

しかし、果たしてこの演出は成功しただろうか。二人の負けられない事情をたっぷり見せつけられるから、最後の決勝戦はどちらを応援してよいのか複雑な心持ちになるのに、 ラストは結局勝敗を提示するしかなく、割り切れないものがどうしても残ってしまう。これではスポーツ映画の爽快感は得られない。

また、映画が別のものを求めたのであれば、二人の対比を単なる羅列で終わらせてはいけなかった。当人同士は知らなくても、深いところでどうしようもなく絡みあったものを何が何でも用意する必要があったのではないか。

ボクシングシーンでは、カメラもリングに上がり、1ラウンドを切れ目なしで追うかのような動きをするところがある。ボクサー二人とレフリーの間を自在にかいくぐっての映像が素晴らしい。けれど、思いの外迫力が感じられないのは、テシクとサンファンの気持ちをリングに集約できそこねていることが影響していそうだ。

なくて不便だった簡易撮影ボックスをヨドバシで購入。ビックカメラからヨドバシまで、早足で見ていったつもりなのに、あっという間に帰る時間になっていた。

西口から東口への地下通路で、係員?(KEIOのバッチを付けていたような?)に撮影は禁止されていると注意される。え、なんで? 深く聞いてる時間がなかったけど、本当ならまた注意されるだろうから、ゆっくり理由を聞く機会があるだろう。


■2006.4.14(金) S口さんの廃業

 

S口さんが支払にきて、最後の挨拶をして帰っていった。

会社を閉じるという話はすでに5年程前からで、1年半前は本当にやめそうだったのに延びていたが、2ヶ月前にははっきり3月いっぱいという言葉になり、そしてついに今日がやって来た。

昔の営業日誌を開くと、1995年7月27日に、写研の紹介で前の事務所に、I坂B印刷の営業の人と一緒にやって来たことになっている。同じ写植屋がなぜ同行してきたのか不思議で仕方がなかったのだが、その印刷会社とは一心同体のような関係がまだ残っていたらしい。S口さんは縮小して中央区から江東区へ越してきたとはいえ、この頃はまだ6、7人の人間を使っていた。

印刷屋の付き人として来たS口さんだったが、何故か印刷屋とは直接の取引でなくS口さんを通してということになり、付き合いがはじまる。10月になってからが最初の仕事だったが、そのうち最初に来た印刷屋以外の仕事も持ってきてくれるようになった。

1995年はうちが仕事の主体を、手動機から93年に導入した電算に切り替えた年だ。もらった仕事は内容の濃いもの(保険の複雑な表組みなど)が多く、だから引き受け手がなくいろいろな所を探し回ったと言っていた。こちらも意気盛んな頃だから、ずいぶん頭を悩ませはしたがやりがいを感じていたものだ。

そのあとしばらくしてあっという間にMacが広がり、アナログ専門だったS口さん(この頑なさはいまだに謎)はトレス主体の版下部門だけにしてしまい、写植は全面的にうちに持ってくるようになった……。

思い出すといろいろあって感慨深い。話していたのは30分くらいだったが、帰ったあともしばらく昔のことばかり考えていた。

そうだ。最後の最後になってお互いの年の話になった。最初に会った時、どういう立場の人かよくわからなかったので、何でこの人は写植屋の味方ばかりしてくれるんだろう、ヘンなおやじだなぁ、と思っていた。つまり完全に年上という認識。それが数年前から、もしかしたらそんなに年は離れていないのかもしれないと思い始め、いやいやそうじゃなくって同い年くらいかもしれないとなり、今日聞いたら一つ年下だった。なーんだ、やっぱり。

果太は熱が下がったので保育園に行くが、39℃もあるという連絡で、15時過ぎには連れ帰ることに。というわけで、家人は30分遅れの出社なのに、早退。

家で寝たあともぐったりしたままで(帰ってからさらに悪くなったか)、いつもなら少々の熱でも食欲旺盛なのに、今日はその気力もない様子。次女が帰ってからは甘えが出て、もう離れようとしない。


■2006.4.13(木) うひひ

 

20℃もあるっていうのに、仕事場は薄ら寒い。

果太、熱(38.4℃)で、15時近くに家人が引き取りに。それほど具合が悪い感じでもないんだけどね。しょーがない。

ここ二、三日のうちで落ちた梅の花(の残骸)を集めたら五百ほどあった(先週も沢山だったし、土に直接落ちたのは数えていないから全部だと相当な数になるはずだ)。またダメなのかとあわてたが、よく見ると実が盛り上がってきて落ちたものがほとんどで、結実しないままというのはわずかだった。

ということは、今年は五百くらいの梅の実が……。うひひ。


■2006.4.12(水) あれま

 

長女から電話(11:30)。昨日の23時に成田に着いて、今は福岡だという。そういえば、ずっと前に予定を聞かされていたんだけど、すっかり忘れてたのね。あれ、でもカレンダーには10日に来ることになってるけどな? ま、いいか。

ブックリブックスのサイトの見えない部分(ソース)がメチャクチャになってしまっていたのを直してもらう。

なんでも新しいDREAMWEAVERは、よくわかっていない人間が使うと、スタイルシートを書き換えてしまうのだと。やだねー。

本当はまだまだ沢山ヘンな所があるのらしいのだが、時間がかかるのでそれは自分でおやりなさいと。あれま。

(4/13追記。スタイルシートを書き換えるのではなく、書き加えてしまうのだと。だから余計なタグが増えていって、場合によっては悪さをしてしまうんだそうな。ってことで、ちゃんと理解していないから、この日記の記述もミスが書き加えられていく……あれま)


■2006.4.11(火) 読みにくい

 

今日はたっぷり寝。昨日二度寝で、寝不足気味だから、って悪循環。

どんよりだなとは思っていたが、いつのまにか雨になっていた。西の方では大雨になっているらしい。

日刊デジタルクリエイターズNo.1955の編集後記(いつもほとんど読んでないのにね)に、とんでもサイトの紹介があったので行ってみる。うっわぁ。なんだこれ。やたら凝っているのに使い勝手が悪いのは記事の通り。作った人の頭はどうなっちゃってるんだろ。

で、ついでながら、日刊デジクリの編集後記も私には読みにくいんですけどぉ。行変えもないしぃ。メルマガは段落がわりに一行あけて欲しいのよね。「この読みにくさは、年齢を重ねた人にちっともやさしくないサイトと思うんだがなあ」というところを柴田編集長にそのままお返し申し上げますです。


■2006.4.10(月) 本『原始人』 サボテン 肩こり

 

4時前に目が覚めてしまう。こりゃ、今日はダメだなー。平日は死んでる私。

筒井康隆『原始人』(文春文庫)を読み終わる。全13編。これも15年ほど昔に買ったやつ。

越してきた時からあったサボテンだが、迷ったものの結局引っこ抜いてしまった。二度植え替えて、その都度適当にへし折ってきたのだが、道の脇で育てるには大きくなりすぎたし、サボテンの棘ってやっぱり危ないのだ。

我が家の雨漏りの元凶(ずーっと悪者じゃん)でもあったが、さらばじゃ。

家人の首が曲がりっぱなし。担当医師には「これはリウマチではなく肩こり」と言われたらしいが、どうなんだか……。F井先生は、家人には絶大な信頼があり(以前の医者がひどかった)、又聞きではあるが私もいつもなるほどと思うことが多いのだが、これだって「百人いれば症状も百ある」といううちの一つ、ではないんでしょうかねぇ。

肩こりは、私も一、二年ほど前からなるようになった。軽いのだけどね。


■2006.4.9(日) 映画『ブロークバック・マウンテン』『ファイアーウォール』

 

家人と新宿へ。新宿武蔵野館1で『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain)。

イニス・デル・マー(ヒース・レジャー)とジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)の出会いから別れまでの、禁断の愛の二十年を綴る。

ブロークバック・マウンテンで、二人は季節労働者として雇われ、数週間に及ぶ二人だけのキャンプ生活のうちに愛し合うようになるのだが、ここでの映像は息が詰まるほど美しい。映画はしばらくの間、この美しさと過酷さが同居し余計なものが削ぎ落とされた大自然の中にとどまることになる。羊の管理をする二人の姿を丁寧に追っていくことで、二人にとっての楽園を印象付けるのだ。

1963年であるからゲイが市民権を得ているはずもなく、当然二人のことは秘密にしておくほかなく、って説明がヘタクソだな。で、それは私のことだからいつもなんだけど、この映画はそういう説明がものすごくうまいのだ。

時間経過に織り込まれた二人の心の軌跡が鮮やかなのは、エピソードの選び方が的確なことが大きい。そのことが、二人だけでなく、家族や彼らをとりまく人々の立場や感情までを際だたせ、余韻を残す。どの場面でもいいから試しに思い返してみれば、そこには一切の無駄がないくらい、いろいろな要素が詰まっているのに気付くはずだ。

山を下りてからの二人の関係が、平穏なままでなくなるのは、時代の空気はあるにしても、いくつもある普遍的な愛のたどる物語と同じだ(もっとも、だからって二人の気持ちには同化できないし、つまり私は結局、同性愛の部分でつまづいたのだけどね)。で、二人の関係を優先させたいジャックと、世間の目を気にし続けるイニス(父親がゲイを殺した記憶が消えない)との間にわずかだが距離感が生まれる。

妻を持つことには抵抗を感じない(これは二人共だ)のに、ジャックが他の男に興味を示すのは、イニスには許せない。これはわかるようでわからない。やはり普遍的な愛の物語とは少し違った感情なのだろうか。

こういうところを注意深く見ていくと、ジャックの方が二人の関係については積極的なようだが、イニスもけっして負けていないことがわかる。山を下りて別れてからの激情の発露だってただごとではなかったし。

いくらでも書くことが出てきてしまうのでもうやめるが、ミシェル・ウィリアムズ(イニスの妻アルマ)とアン・ハサウェイ(ジャックの妻ラリーン)もよかった。妻たちからイニスとジャックを眺めるのも容易なのは映画の出来がいいからだが、途中で書いたように、最後まで当事者にはなれずにいたので、どこか醒めたまま終わってしまったのでした。

食事後、一人になって紀伊國屋書店など。

ミラノ座で『ファイアーウォール』(Firewall)。

よくできたサスペンスで、複雑な銀行のセキュリティ管理をめぐる話にしては、整理が行き届いているからわかりやすいし、大きな欠点もない。

しいてあげるならば、悪玉側のつまずきの始めになる、銀行の合併がすでにシステムにまで進んでしまっていたという点くらいか。セキュリティ担当で重役でもあるジャック(ハリソン・フォード)の身辺を調べ尽くしての犯行にしては、お粗末だよね。水面下での合併話段階ならともかく、システム統合にまでなっていては首を傾げたくなる。まあ、それは話を面白くするためのものと善意に解釈(するこたぁないんだけど)。

ジャックの家族を人質にした悪玉側は、リーダー(ポール・ベタニー)の存在が際だっていて(他が霞んでしまっている)なかなかの手際を見せる。ジャックを脅して銀行のシステムに易々と侵入してしまう。いや、はずだった。ところが、システム統合でジャックにも簡単には手が出せず、悪玉のために新たな進入経路を探すことになる。

タイトルはファイヤーウォール(不正進入防御ソフト)だが、直接セキュリティ担当者が狙われてしまうというわけだ。

そこでどうしても気になってしまうのが、ハリソン・フォードがどうしてもSE技術者には見えないってこと。SEは若くないとダメっていうのは定説でしょ。んで、さらに図々しいことに、8歳と14歳の子供がいて奥さんも若い! まあ、ありえなくはないんだけど(超お金持ちだし)、年相応の設定にしておいた方が無難だったかな、と。

それに可哀相なんだけど、この映画の見所は、実はハリソンのモタモタ感にあるのね。頭脳派でアクションシーンまでバリバリこなしてしまったら、それこそ面白くもないもんねー。家族のために必死、ってとこが伝わってくるからいいわけで……だから、この際もっとそのあたりを強調して老人アクション映画みたいにした方がよかったかなー、って褒めてるはずがおちょくっちゃってますな。

途中ハリソンの仲間が絡んできて、一瞬ではあるが彼に疑いの目が行ってしまうが、信頼していた人物が黒幕という、もはや最近ではありふれたどんでん返しにはしてなかった。よしよし。

最初にわかりやすいと書いたが、スキャニング、iPod、GPS(金持ちだから犬の首輪につけているのだ)なんかがどんどん出てくるから、ハリソン世代以上には苦しい人も多いはず。若い役でなく、同世代を代弁するような役をやってもいいと思うんだけどねぇ、としつこく言っておく。

また紀伊國屋書店。四冊しか買っていなかった文庫の宮沢賢治全集を3冊(2990)買って帰る。


■2006.4.8(土) 本『東京某家』『鏡』 映画『リトル・イタリーの恋』

 

昨日遅かったので、朝はゆっくり。トロもうるさかったので完全な二度寝。で、掃除は大急ぎ。

自転車で新橋へ。「ハマヤ」で富貴豆を買っていく。着く五分前くらいから雨に。けっこう降る。

地下鉄の家人と母で「徳寿」に行くときには雨は上がってしまう。二週連続なので私はタン塩にした。

一人になって銀座へ。銀座ファイブにある「個人書店」で、浅野マサオという人の写真集『東京某家』を見る。私が撮ってる(撮りたい)ような写真が、そこには沢山あった。あと、面白かったのが清田拓郎の『鏡』という本。銀の紙を片方の頁に配して鏡文字を作って見せるもので、単純だから当然なんだけど、20は2005になるのね。そっかー。

続いて「富士フォトサロン」をうろつき、階下のしだれ桜にひかれて、あれ何の撮影だ?って今度は野次馬。でも撮影されているのが誰だかはわからずじまい。なにしろ最近はテレビを見ていても知らないタレントや俳優だらけだからなー。

シャンテシネ3で『リトル・イタリーの恋』(Love's Brother)。

イタリア人に英語を喋べらせるものだから、強引なアメリカ映画かと思ったら、オーストラリアのイタリア人街が舞台なのだった(映画はオーストラリアとイギリスの合作のようだ)。この「オーストラリアのイタリア人街」という設定が私の頭になじんでくれなくて、少しの間だけど物語が私を置き去りにして進行していた。エスプレッソの道具がやってきて町中が大騒ぎをしていたのは、そういうことだったのね。イタリア人もオーストラリアに集団移民とかしていたのだろうか。

写真だけのお見合いというのは日本でも昔はあったようだが、1950年代のこの地でも同じようなことが行われていたわけだ。本国の女性を斡旋してくれるようなもの好きな(仕事ってことはないよね)おばさんがいるのね。

弟のジーノ(アダム・ガルシア)と違って社交的でもハンサムでもないアンジェロ(ジョヴァンニ・リビシ)は、この写真お見合いでもフラれてばかり。で、ついハンサムなジーノの写真を同封してロゼッタ(アメリア・ワーナー)に求婚してしまう。

はるばるやって来たロゼッタだが、一目惚れの結婚相手はアンジェロではなく、ジーノという名前で、彼には恋人のコニー(シルヴィア・ドゥ・サンティス)がいるし、とドタバタ調な筋だが映画はけっこう真面目。でもどうだろう、イタリア的陽気さでまとめた方がこの話には合っていたような。真面目路線でこの四角関係を最後まで描ききるのは、少々荷が重い感じがした。

ロゼッタが運命を感じたのはジーノの顔にだったということも気にかかる。とするとアンジェロの手紙は……。「手紙を書いたのはあなたなのよね」とアンジェロに問いつめるシーンもあるのだけどね。手紙も何度もやりとりするのであれば、それはまた違ったものになったのだろうけど、とにかく今からは考えられないようなことが当たり前のように行われていたのだな。

兄弟の親代わりである叔父夫婦のカフェで、壁に絵を描いていた流れ者のような男が、最後にもワンカット出てくるのだが、彼の役回りは? 壁に描いた絵が物語の進行を暗示するようにでもすれば立派な狂言回しになったと思うのだが、客の要望で描いた船を消してしまったくらいでは曖昧だ。


■2006.4.7(金) Oさんを偲ぶ会

 

昨日Y叔母が残りの蜻蛉玉を持って来たので、葉書に使う集合のやつだけは撮影してしまうことにした。しかしいつものことながら時間がかかるんだな、これが。

Oさんを偲ぶ会に参加するため高田馬場へ。早めだったので時間調整はブックオフで。

会場は、早稲田に向かって明治通りを渡って少しのところにある「軍艦島」(19:20〜23:10)。小さい店なので20?人は少しきつかったが、その分親密な会となった。会費4000円。

黙祷ではじまり、M本さんの追悼文朗読、O野先生……と、S川さんの司会のもと、全員で次々にOさんの思い出を語っていく。Mさんという、もしかしたら勉強会で一緒になったことがあるのかもしれないが記憶はない人の病院見舞いの記?(これも朗読)には、涙が出てきてしまう。

正直、こういう内容の会に出るのは気が進まないでいた(いつもか)のだが、出席してよかった。T丸さんの泥酔姿(でもないが)も見ることができたし……。


■2006.4.6(木) MacでWindows MacWintosh トロと風呂

 

自転車、網戸の修理をどうするか、小さい板や文具で値段を確認しておきたいものもあったりで、午前中に島忠へ行く。でも買ってきたのはトロのいつもの餌だけ。

MacでWindowsが使えるようになるというニュース。もっとも起動時にOSを選択するというもの。MPUがインテルになるとこういうことが可能になるんだ? これは単純に二つのOSが組み込まれるということ? それとも少しは資産を共有できたりするのだろうか。

それはどうでもいいんだけど、使ってみたい。欲しくなってきた! しかし冷静に考えると起動し直さなきゃならないわけだから、MacとWindowsを使っている今とあまり変わらないのね。というか両方立ち上がってる方が便利ってことも……。いや、だからさOSXを使ってみたいのよね。

ちなみにMacWintoshというのは数年前に考えたハンドルネーム。MacintoshもWindowsも使えるtosh(これは私の名前の一部)だ!って悦に入っていたんだけど、実体はパソコンには翻弄されっぱなしだからねー。

んで恥ずかしくなっちまってデクノロジジイ。今はテクノロジーとは無縁のデクノボーでノロ助なじじい。これはかなり当たってる。でもおやじギャグ満載ハンドルネームなんで、これまた恥ずかしくなっている。しょうもな。

トロを風呂に入れる。


■2006.4.5(水) また咳

 

一日中雨。なので果太の送り迎え。夜ぐったりなのはもしかしてこのせい? だとしたらあまりにも情けない。

なんで咳がでるんだ? 風邪って感じじゃないのに……。

Y叔母が仕事を持ってくる。会うのはもしかして今年初めて?

持ってきた蜻蛉玉をY叔母が開くとすでに壊れているものがあった。この人のは2年前もこうだった。蜻蛉玉というよりは硝子細工で、どうやっても壊れてしまいそうな作品なのだ。クッションの綿を詰めた段階で、もう壊れてしまったのではないかと思ってしまう。保険をかけてあるらしいのだが、これは保険会社(運送会社?)がかわいそうな気がする。


■2006.4.4(火) 春

 

14時前に猛烈な眠気。昨日は早寝だったのに。春なのかね。

今年も梅の花がずいぶん落ちてしまうが、でも残ったものは小さいけれど実の形にふくらみつつある。期待しちゃっていいンでしょうか。

4月になって仕事がぱったり。忙しいのは家人のみ。しなければならないことは山積みなんだが、一歩が踏み出せないのな。


■2006.4.3(月) 本『文学王』(高橋源一郎) 続けて……

 

高橋源一郎『文学王』読み終わり。

今日も暖かだ。でも時折、風が荒れ狂っている。

果太は、保育園へ行ってもいいという証明を病院でもらってからなので、家人の出勤は一時間遅れ。

代引きで送料の選択を間違えた注文がまた入る。確かに代引きの注文にしたからって、自動的に送料も変わるようにはなってはいないのだけれど……。いままでなかった同じ間違いが続いてくるっていうのもねー。

そういえばブックリブックスでは同じ現象がよく続くんだよな。来店(これは続いてというよりは、あの時だけだもんなー)や同じ本への注文。キネ旬も長いこと注文がなかったのに続けてだったし……。


■2006.4.2(日) 映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』『大統領のカウントダウン』『SPIRIT』

 

家人と新宿へ。コートを持って出たが、いらなかったなー。

武蔵野館2で『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(Sophie Scholl - Die letzten Tage)。

第二次大戦下のドイツにおける抵抗運動は、ヒトラー暗殺計画くらいしか知らないので興味があったが、白バラ運動そのものについては簡単な描写があるだけだった。

数人でビラを用意し、郵送後のあまったものをハンス・ショル(ファビアン・ヒンヌリフス)と、その妹のゾフィー・ショル(ユリア・イェンチ)がミュンヘン大学の構内でまくのだが、計画も行動も驚くほど杜撰なもので、逮捕されても当然としか思えない。

若さとはこんなものかもしれないが、数日後に死刑判決となり執行猶予なしの即日処刑が待っていようとは思ってもいなかったはずだ。

ゲシュタポ尋問官のモーア(アレクサンダー・ヘルト)の取り調べは、時に激昂するもののいたって紳士的で、日本人なら特高=拷問のイメージがあるので意外な感じすらした。このシーンは、はじめのうちこそモーアが優位に立っているのだが、次第にゾフィーペースとなっていく。近年になって新たに発見された尋問調書を元に忠実に再現されたということだが、モーアがゾフィーの逃げ道まで言うあたりは映画の脚色と思うが、どうなんだろう。

もっとも裁判となると一転して茶番となる。名前だけで何もしようともしない国選弁護士に、ヒステリックなだけの裁判長(アンドレ・ヘンニック)。コミュニストであることをゾフィーにうち明ける同房の女刑務官(彼女の立場がよくわからなんぞ)に、裁判長は元共産党員で睨まれているから厳しい判決になると聞かされるが、一方的に口汚く罵り続ける姿はもはや狂気でしかない。

ヒトラーは一人ではなかったことがよくわかるシーンである。そして、モーアの時と同じく、ここでも裁く側と裁かれる側が逆転してみえるのは映画のメッセージだろう。

それにしても、形式だけであっても裁判(尋問調書も残っているわけだから)が必要なんだからあきれてしまう。国家というのはそういうものなんだろうけど、個人レベルでしかものを考えられない私など、自分達のやっていることにそんなに自信が持てないのかってつい思ってしまうものねー。

最後のギロチンシーンはあとひくので体に毒。

映画が9:35〜10:40だったので、まだたっぷり時間がある感じ。ゆっくり食事をしたあと、ジュンク堂に行きIllustratorのマニュアル本を見る。

でも、こーやって小刻みに時間を使い出すと、もうとたんに早まわし状態になってしまってるのな。わからないところを拾い読みしただけで、どの本を買うかは決められないうちに時間がきてしまった。

CSでテキストがおかしくなるのは、Ver.10以前のもののようだ。となると庸ちゃんのは? CSで作ったと書いてきたが? それに、画像になってしまうって? わからないことだらけだ。

別の映画を観る家人とは別れ、シネマミラノで『大統領のカウントダウン』(Lichnyy Nomer Countdown)。

ロシア映画のアクション映画というのは私の記憶にないのだが、そりゃあ作られてるでしょう、こういうのだって。でもないのかな、よくわからん。

ポスターは「ロシア軍全面協力! 大国の本気を目撃せよ」だ。本気でハリウッド映画を目指したんだろうか。話はそれなりに大がかりなものが用意されてはいるが、なにしろところどころでもたつくし、主人公の連邦保安局諜報員スモーリン少佐(アレクセイ・マカロフ)は地味目。まあ、ロシア映画らしいってことかもね。

演出のもたつきは慣れとかもあるだろうけど、例えば、高度が下がったらプルトニウムが爆発するように仕掛けられた飛行機の中で、少佐は地上と連絡を取り合いハッキングで解決するのだが、そのあと飛行機を操縦してしまうのよね。そりゃないでしょー。だったらとりあえず高度上げといてから解除を頼めよな。着陸時には飛行機の故障も出てくるんだから、突っ込みを入れられないようにしておくのはそう難しくないでしょうに。

ま、そんな枝葉はともかく、チェチェン問題を題材にしてロシア軍が協力ともなれば、言いたいことはみえみえ。少佐が捕虜になって偽証させられたあたりは実話というが、アラブのテロ組織と国外追放されている大富豪が手を組み、チェチェン独立軍も彼らに利用されたのだ(チェチェン人で主人公に協力する人物も出てくる)ってことになると、胡散臭いとしかいいようがない(これも一方的な見方だけど)。

少佐の協力者になるのはアメリカ人?の女性ジャーナリスト、キャサリン。乗っ取られた飛行機の解決も西側との協力(サミット開催中のローマが標的になったということがあるにしても)でと、なんか必死ですなー。

それにしても'02年のモスクワ劇場占拠事件や'04年のベスラン学校占拠事件が、私ですらまだ生々しくイメージされるというのに、二千人収容のサーカス小屋を舞台にかえたとはいえ映画で再現し、半強行突入シーンまで挿入しているのはある意味すごいとしか……。

やることはやる、という国家の強い意志が感じられる映画でしたね。

続いて新宿東急で『SPIRIT』(霍元甲)。

ジェット・リー(李連杰:リー・リンチェイ)主演の格闘技アクション映画。フォ・ユァンジア(霍元甲)という実在の人物を演じているのだが、日本人には馴染みが薄いので、あ、でも『ドラゴン怒りの鉄拳』のブルース・リーはフォ・ユァンジアの弟子役だったそうな(私が覚えているわけないっす)。

実際のことはともかく、要するに日本人悪人説(この映画でも日本人に毒殺されてしまう)でのストーリー展開なのだが、それじゃまずいってんで中村獅童が、田中安野ってヘンな名前ながら、えらくおいしい役をもらって相殺されてるのね。マーケットを意識してのことにしても、中国も映画ではいろいろ気をつかってくれているようでやんす。悪者の原田眞人は『ラストサムライ』と同じようなイメージでしたね。

話よりアクション優先だからか、山村(少数民族にも配慮)でせっかく人間らしい生活を取り戻したというのに、天津に戻って最後の戦いにいたるあたりは、愛国心に目覚めたといっても少々手抜き。というか、そもそも武術に過信し、高慢になったことで恨みを買い、家族を失い、放浪の果てに助けられ、そこには可愛い盲目の娘が……ってありきたり。

アクションシーンはまずまず。早回しやワイヤーは許せる範囲で、多彩な技と対戦相手が用意されていて飽きさせない。巨漢のネイサン・ジョーンズとの戦いも面白いし、中村獅童もちゃんとした武道家に見えましたよ。

エンドロールに流れる主題歌が日本人のものに代えられていて、これが騒ぎになっているようだけど、やることが姑息ですな。こんなことをしても反感を買うだけなのに。

映画館を出ると強い雨。地下道に入るまでにリュックがぐっしょりになるが、清澄白河に着いた時にはほとんど上がっていた。


■2006.4.1(土) 映画『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

 

午前中は掃除をしただけ。だらけてるんだろうか。

自転車で新橋へ。母、地下鉄で来た家人と徳寿でランチ。その前にパークホテルにも。先週から行方不明の200円のレンズキャップはやはりここだった。

食事のあとは三人で日比谷公園へ。暖かくなったこともあるのだろう、母はやっと元気になった。もっとも出歩くのはまだ控えているようで、今日も公園を散策とまではならず、大道芸と陶器市をちらっと見たあとはベンチでお喋りをして帰っていった。家人ともここでわかれる。

映画は時間があえば程度に考えていたが、お目当てのところは一杯。一日で映画割引の日ってこともあるようだ。そうかー。だったら観たいなー。でも『かもめ食堂』のシネスイッチは立ち見で、シネパトス系は知らない映画! 最後の望みで東劇へ。

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(A History of Violence)。

巻頭の長回しで、いきなり日常の延長線上に暴力が存在する二人組を見せつけられる。モーテルの精算は人殺しを意味し、ほとんど精算するのと同じ程度の時間で、それは行われたのだ。

と、書き始めてはみたものの、私にはこの映画を語るのは荷が重い。なにしろテーマは暴力そのもので、でも私はとりあえず今のところは暴力とは無縁でいられるからだ。だけどそうしていられるのは、ただ運がいいだけなんだろうし、もう一つにはいつも文句ばかり言っている国家が守ってくれているからでもあるわけで……。

ね、トーンダウンなのよね。

小さな町でコーヒーショップを営むトム(ヴィゴ・モーテンセン)に突如襲いかかる暴力は、はじめのは偶然にしても後のは自分が背負ってきた過去に原因があるわけで、だからもちろん彼と比較しても仕方ないのだが、暴力をどこまで認めるかという問題にするなら多分同じになる。ただ、私の場合そういう局面にはないので、答えなくてもすんでいるだけなのだ。

最後まで自分からは何もしない(できない)から傍観者でいるしかないと思うが、であっても、暴力に暴力で対抗した人間をどう評価するかを問わざるをえなくなることはあるだろう。この映画であれば、妻のエディ(マリア・ベロ)の視点になるのだろうか。

でもこの映画のもう一つの要素であるセックスとなると、当然役回りは違ってくるからエディではいられない。セックスシーンは、場面と状況を変えて二回あり、上映時間が短い割には時間をかけている。それが監督(デヴィッド・クローネンバーグ)の趣味かどうかはこの際どうでもよく、トムの秘密を知ってのエディの嘔吐が、わかるようでわからないのは、役回りが違うだけなのだろうか、とやはり自問になってしまう。

人間の歴史はレイプと殺戮であるから……いや、こんなことを言い出すとますます収拾不能になるので、映画の、それもできれば技法についての話にしてしまおう。

結局トムはギャング時代の仲間を殺すことでしか過去を精算できない。が、それがこれからのことの解決にならないのは明らかだ。家族のもとに帰らないという道もあったはずだが、とにかくトムは戻る。トムにとっては、自分正体がわかってしまっても、今の家族が帰りたい場所なのだ。ラストは救いも見えるような気もするが、でもどうなのだろう。判断がつかぬまま画面は暗転してしまう。

息子(アシュトン・ホームズ)と暴力の関わりあい(いじめられっ子の立場かから力で逆転し、父を助けるためとはいえ銃の引き金を引くことになる)もトムの行動を際だたせる。息子には「暴力では何も解決しない」と言いきかせたというのに……。

巻頭の二人組もそうだが、昔のギャング仲間(エド・ハリス、ウィリアム・ハートという豪華さ)の見せ方が巧妙だ。彼らの存在感は圧倒的で、でも実のところトムの過去に何があったのかはまるでわからない。そしてそれはエディとのこともそうで、二人のなれそめなども語られることがないし、エディの二人の連れ子についても映画が進んで会話の端々からなんとなくわかってくるだけである。

この説明を排除した脚本は、映画の力を信じたものだ。

今日の自宅から新橋までのコースは、桜93本。帰り道のコースは65本。


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